『王女の軍師』【完結】   作:OKAMEPON

6 / 18
END②【あなたが居れば】

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「私、は……」

 

 

 ルキナは、迷っていた。

 

 ……ルキナの答えは、心は、選択は……。

 もう、既に決まっている。

 だけれども、それを口にする事は赦されるのか、と。

 その是非を迷ってしまったが故に。

 

 何故なら、ルキナの選択は……。

 ルキナの立場では決して赦される事では無いからだ。

 例え治めるべき『国』が最早国としての体を失っているのだとしても、世界が滅びる間際なのだとしても。

 いや、だからこそ、だ。

 ルキナは王女であり、そして『覚醒の儀』を行えば正式に聖王となる身だ。

 王とは、何処までも『公』の存在であり、『私』を通せる範囲は極めて限られている。

 王族として、民を、人を、世界を導かねばならぬ責務があるルキナは、自分の『願い』を優先して自分が背負ってきたモノを投げ出す事など……許されない、許されてはならないのだ……。

 それを誰よりも理解しているからこそ、ルキナは自分の選んだ答えを、言葉には……出来なかった。

 

 だけれども。

 王族も何も関係無い、一人の人間としての自分の答えは、自分の心は……。

 大切な『願い』を。

 こんな絶望しか無い様な世界で、やっと見付けたたった一つの大切な『想い』を。

 喪ってしまうなど、耐えられない。

『背負ってきたモノ』を捨てる事は、今までの自分の全てを喪うに等しい行為だ。

 

 だけれども。

 自分の『願い』を捨ててしまっては、それと同時に未来も何もかもを喪ってしまうだろう。

 後に残るのは、『課され続けてきた』枷によって無理矢理に身体を動かす傀儡の様な、そんな生だ。

 そこにルキナの意志は無く、心も無い。

 ルキナに『願い』を託す人々にとって、ルキナ自身の意志や心が何処にあるのかは、考慮する様な事でも無い。

 ただただ救世の装置としての役割のみが、ルキナに『希望』を一方的に託す人々にとっての、ルキナの存在意義であり『価値』なのだ。

 ルキナがファルシオンを振るう事が出来なくなれば、その時点でルキナの存在価値はほぼ全て消滅するであろう。

 平時ならば王族として、聖王の血を次代に繋ぐ為の胎としての価値程度ならあったかもしれないが、こんな絶望の世界ではそもそも次代などに『希望』を託すまでもなく世界は滅びるであろう。

 故に、ルキナは正真正銘の『最後の希望』なのだ。

 ……『最後の希望』として在る事だけが、ただただルキナに求められている全てなのだ。

 戦いを厭う事など赦されないし、何時如何なる時も『希望』の旗頭として誰よりも先陣を切って戦わなければならないし、『覚醒の儀』を果たしてギムレーに抗し得る力を手に入れた際には、彼の強大な存在と否応無しに戦わざるを得ない。

 無論、今日まで戦い続けてきたのはルキナ自身の意志である。

 ……そうとでも思わなければ、やっていられない。

 だが……もしルキナが逃げる事を選んでいたのだとしても、それは『人々の総意』が赦さなかったであろう。

 この世に生きるありとあらゆる人々が、そして志半ばにして死した者達が、次代に世界を託し逝った全ての者達が。

 世界を救えと、絶望に抗えと、未来を繋げろと。

 ルキナが逃げる事を赦さなかったであろう。

 ルキナは世界が絶望に沈んだ時点で、否……生まれ落ちたその瞬間から。

 戦い続ける運命からは、逃れる事が出来なかった。

 しかし、それが例えルキナが生きる上で逃れ得ぬ運命であるのだとしても、その中で何を『想い』何を『望む』のかは、正真正銘ルキナだけのものである。

 そして、それこそがルキナをルキナたらしめるものであり、例えそれが運命なのだとしても、自分の意志でそれを選ぼうと思わせるものであるのだ。

 ルキナにとってそれは、今はもう喪われたかつての『幸せ』であり、そしてロビンの存在それそのものであった。

 しかし……『人々の総意』と言うモノは酷く傲慢であり、ルキナにとっての掛け替えのないそれらを……ルキナの『宝物』を、時には傷付けるのだ。

 彼らにとって大切なのは、あくまでも自分達自身であり、自分達が救われるのならば、自分達以外の骸を幾万と積み上げようとも、自分達が『希望』を押し付けたその対象が何れ程傷付き果て何もかもを喪おうとも、構いやしないのだ。

 

 

 それが分かっているからこそ、例え他の全てを喪うのだとしても、ルキナは自分の『願い』だけは捨てられない。

 それが無くては、ルキナがルキナとして生きる意味が無いからだ。

 

 …………。

 そこまで心は決まっているのに、それでもまだ言葉に出来ないのは。

 ……ルキナが、恐れているからだ。

 

 ……民からの糾弾は、甘んじて受け入れよう。

 導くべきものよりも自らが選んだたった一つを優先してしまった咎は、ルキナが背負わなければならないものだからだ。

 今は遠い仲間達からの非難や悲嘆や憤怒も、受け入れよう。

 彼等は世界の為に、身命を賭して『希望』を繋げようとしているのだ。

 それなのに、その要となるルキナがそれを放棄してしまうのだから、彼等の怒りや嘆きは当然の事であり、彼等の権利でもある。

 今は亡き父や母から、失望されるのかも知れない。

 彼等はそれを守る為に戦い、志半ばで倒れたのだ。

 それなのに、ルキナは彼等から託されたモノを投げ出してしまう。

 …………失望されるのは、当然だろう。

 それはもう、覚悟の上だ。

 でもルキナには唯一つ、絶対に耐えられないモノがあった。

 

 民からの糾弾では無い。

 仲間達からの非難や悲嘆でも無い。

 今は亡き父からの失望でも無い。

 ルキナが恐れるたった一つとは。

 

 

『ロビンに見捨てられる』事であった。

 

 

 ロビンは、ルキナの軍師で在り続けると、ずっと傍に居ると、そう確かに誓ってくれた。

 

 だが、その選択をしたルキナは、彼にとっては。

 最早、彼が支え続けると誓ってくれた『ルキナ王女』では、無くなってしまうかもしれない。

 

 彼の誓いを、ルキナは信じている。

 彼の想いを、ルキナは信じている。

 

 だけれども。

 ほんの僅かにルキナの心の片隅にある『もしかしたら』と言う思いが、『ロビンに見捨てられる』と言う想像に幽かにでも現実味を帯びさせてしまっている。

 

 それが、恐ろしくて。

 その想像が『本当』になってしまうのに、怯えて。

 ルキナが何もかもを引き換えに喪ってでも叶えたい『願い』すらも喪ってしまう事が、怖くて。

 だから、どうしてもその先を言えない。

 言えなくなってしまっていた。

 

 

「ルキナさん……?」

 

 

 何処か怯えすら抱きながら苦悩していたのが、無意識にでも顔に出てしまっていたのだろうか。

 気遣わし気にルキナを呼ぶロビンからは、『もしもの選択』を迫った時の有無を言わせない雰囲気は欠片も残さず消し去られていて。

 ルキナを気遣う時の何時もの優しく温かな目で、ルキナだけを見詰めてくれている。

 

 その声が、堪らなく愛しくて。

 その眼差しが、何よりも尊いものの様に思えて。

 

 ルキナは、最早建前ですらも自分の心を偽る事など不可能なのだと、悟ってしまった。

 

 だから、拭いきれぬ恐怖に怯えながらも。

 ルキナは一つ、ロビンに尋ねる。

 

 もしも、と。

 

 

「もしも、私が自分の『願い』を選んだら……。

 ……いえ、もし私が『背負い続けてきたモノ』を選んだ時も含めて。

 ロビンさんは、どう……思いますか? 

 どうしますか?」

 

 

 そう尋ねられたロビンは、その意味が分からなかったのか、幾度か瞬いて微かに首を傾げた。

 

 

「どう、と言われましても……。

 ルキナさんが何を選ぶにしても、それがルキナさんの『選択』であるのなら、僕はそれを全て受け入れますよ。

 ルキナさんが何を選んでも、何を望んでも……ルキナさんは僕の大切なルキナさんです。

 それだけは、何があっても変わりませんから」

 

 

 そして、と。

 ロビンの紅い瞳が、優しい輝きを湛える。

 ロビンは少し目を細めてルキナを見詰めた。

 

 

「僕は、そんなルキナさんの傍に、ずっと居たいです。

 貴女もそれを望んでくれるなら、ずっとずっと一緒に。

 何があっても、貴女が何を選ぶのだとしても。

 僕は僕自身の意志で、貴女の傍に居ます。

 それが、僕の答えです」

 

 

 ロビンの真っ直ぐなその言葉に。

 ルキナの頬を、流れ落ちる温かな滴が濡らしていく。

 

 ああ、何と愚かな事を自分は考えていたのだろうか。

 ロビンは、彼は、こんなにも真っ直ぐにルキナの事を想ってくれているのに。

 それなのに、その気持ちを僅かにでも疑うなどと。

 ロビンがルキナの事を、ルキナと言う一人の人間の事を、確かに見詰めていてくれている事はとっくの昔に理解していた筈なのに。

 

 例えルキナが『聖王を継ぐ王女』でなくなっても、『ファルシオンの継承者』でなくなっても、『人々の最後の希望』でなくなったとしても。

 それでも、きっと。

 ロビンはルキナだけの軍師で在り続けてくれる、その傍に居てくれる。

 ルキナがそれを望むのなら、ずっと。

『何があっても、離さない』と、想いを通じ合わせたあの日に誓ってくれた様に。

 

 それなのに、有り得もしない、自分の想像の中の『もしも』に怯えるなんて……。

 ルキナはそう心の中で自嘲し、臆病だった自分と訣別する。

 

 もう、迷わない。

 もう、躊躇わない。

 ルキナは、自らの意志で、その『願い』を選ぶのだ。

 

 ルキナは、迷いを振り払って笑顔を浮かべた。

 そして、ハッキリと、何よりもの愛しさを籠めて、ロビンに答えた。

 

 

「私は、自分の『願い』を選びます。

 何を喪うのだとしても、何を捨てるのだとしても。

 それだけは……。

 たった一つのその『願い』だけは、喪いたくないですから。

 何を引き換えに喪うのだとしても。

 私は、ロビンさん……、貴方を、選びます」

 

 

 その答えに。

 ロビンは身動ぎ一つせずに、瞬きすらも忘れて、ルキナを見詰める。

 そして、次の瞬間には。

 

 ルキナですら今まで見た事が無い程の。

 この世の誰よりも幸せそうな、嬉しさを隠しきれない笑みを浮かべて。

 愛しさのあまりに辛抱出来なくなった時の様な勢いで、それでも痛くない様に優しく、ルキナを力一杯抱き締めた。

 

 

「ロビンさん?! 

 もう、突然だとびっくりしちゃいますよ」

 

 

 普段はどんな時でも穏やかなロビンが、こんなにも喜びを全身で露にするのは、初めての事で。

 その喜びが自分に向いている事が嬉しくて……少し気恥ずかしくて。

 その何れもに驚いていると。

 

 ロビンはルキナを抱き締めたまま、愛しくて堪らないとばかりにその頬を擦り寄せてくる。

 

 

「こんなにも嬉しくなるのは、生まれて初めてで。

 もう我慢なんて、出来る訳が無いじゃないですか。

 ルキナさんの事が愛しくて愛しくて、堪らないんです。

 一秒も我慢など出来ません、一瞬だって離れたく無いです。

 僕も何があっても、貴女を喪う事だけは耐えられない……」

 

 

 そんなロビンの言葉に、感極まったルキナもまた、力一杯に抱き締め返す。

 

 

「私も、です。

 ロビンさんを喪う事だけは、耐えられない……」

 

 

 父を喪った、母を喪った、誰かの優しい手を喪った、国を喪った、数多の民の命を喪った、未来を喪った、未来への希望を喪った、ほんの些細な幸せを幾度と無く喪った。

 喪い続けてきたルキナは、もう喪う事にすら慣れてしまっているけれども。

 それでも。

 たった一つ、たった一人。

 ロビンだけは、喪えないのだ。

 もし、そうなったらもう……ルキナはルキナとして生きていけない。

 

 何もかもを喪っても、そこが地獄の様な世界であっても。

 たった一人、ロビンさえ自分の傍に居てくれるのなら、それで良い。

 ロビン以外の何もかもを捨て去ってしまえるルキナは、きっとロビン以外の誰からも赦される事は無いのだろう。

 でも、それで良いのだ。

 

 その選択の先に煉獄を彷徨い続ける事になるのだとしても、地獄に堕ちるのだとしても。

 ロビンが共にそこに居てくれるのなら、それならば如何程の事も無い。

 ロビンと一緒ならば、どんな闇の中でだって迷わずに歩んで行ける、ルキナの目に映る世界は彩り鮮やかに輝いてくれるのだから……。

 

 お互いだけを選んだ二人は、そのままお互いの熱を分け合う様に唇を重ねる。

 

 

 

「もしも僕が、ヒトと相容れない存在なのだとしても、ヒトの敵なのだとしても。

 それでも、僕を愛してくれますか?」

 

 

 

 耳許で懇願する様に囁かれたその言葉に、僅かに驚いたが、ルキナは迷わずに頷いた。

 

 

「例えそうなのだとしても。

 ロビンさんが確かに私の愛するロビンさんであるのなら、私は迷いません。

 ええ、愛します、愛し続けます。

 例え貴方が何者であったのだとしても」

 

 

 それは人として許されない事なのかもしれない。

 だが誰に許されなかろうとも、最早ルキナはそれでも構わないのだ。

 

 ルキナをルキナとして見詰めてくれる、ただ一人ルキナだけをここまで求めてくれる、この愛しい彼を。

 愛する理由に、人々の許しなど要らない。

 

 人々の総意が、ルキナからロビンを奪うと言うのならば。

 ルキナが背負い続けてきた全てに刃を向けなくてはならなくなるのだとしても。

 それでもルキナは、人々の総意に抗うだろう。

 ルキナは沢山苦悩するだろう、沢山傷付くだろう、最早傷だらけのこの心に消えぬ傷が刻まれるだろう。

 それでも。

 

 その傍に、ロビンが居てくれるのなら。

 そして、彼がルキナを愛し続けてくれるのなら。

 最早、その苦悩や苦痛すらも、彼への愛を深める媚薬にしかならないのだろう。

 

 ルキナの返答に、ロビンはその口付けを以てその心を返した。

 

 

「ええ、僕は僕です。

 僕は、ヒトとは相容れない存在であるけれども。

 それでも、貴女を愛しく想い、焦がれるこの心に、一片の偽りも在りはしない。

 貴女に向けた心は、貴女の目に映る『僕』は、全て紛れもない真実です」

 

 

 ロビンの紅い瞳は、何処までも真っ直ぐな優しさと愛しさを湛えてルキナを見詰め続けている。

 

「ヒトに絶望をもたらす僕であっても。

 ただ一人、貴女だけは幸せにしたい。

 その笑顔を、その心を、貴女を傷付ける全てから守りたい。

 その為ならば、僕の全てを賭けても構わない位に。

 貴女の事を、愛しています」

 

 だからこそ、とロビンは囁いた。

 

「貴女が、人々から『希望』を『期待』を…………背負わされて戦い続けているのを、見ているのが辛かった……。

 例え、絶望を生み出したのが僕自身なのだとしても。

 人々が見ているのは貴女では無く、《ファルシオンの継承者》と言う象徴でしかなかったから、尚更に許せなかった」

 

 

 ロビンの紅い瞳が、憤りすらも秘めて輝く。

 

 

「貴女が望まずして背負わされたそれらの為に、何れ程戦い傷付き続けてきたのか、誰も顧みない。

 それを当然として、誰も彼もが一方的に貴女に自身の『希望』を身勝手に押し付けていく。

 貴女の意志を、想いを。

 磨り潰す事に、誰も疑問も躊躇いも持たない」

 

 

 語気が僅かに荒くなり、その目には剣呑とした光が混ざる。

 それでも、ルキナを抱き締める腕は、何処までも優しいものであった。

 

 

「そんな身勝手さこそが、その醜さこそが、他者に『希望』や……『怨み』を押し付けるヒトのその行為が、憎しみと怨みの連鎖を作り出し、狂信へと駆り立ててきたと言うのに。

 それが僕を甦らせたと言っても過言では無いのに、ヒトはそれすら気付かずに繰り返す。

 ヒト同士で争っている余裕も無い筈なのに、それでも同族で殺し合う事は止められない……。

 そしてそれを、『世界が絶望に満ちているから』と、『自分達が救われていないから』だと、そう恥じる事すら無く堂々と宣い、そればかりか。

 貴女がナーガの力を未だ得られていないからだと、そう声高に叫ぶ。

 自分達は、僕に立ち向かおうとした事すらも無いのにも関わらずに……!」

 

 

 そして、ロビンは。

 ルキナが今まで見た事が無い程に冷たい目で吐き捨てる。

 

 

「知っていますか? ルキナさん。

 ギムレーが甦ってもう随分と経ちましたが、甦って数年の間でヒトが激減したのは、ギムレーが手を下した訳でも屍兵の仕業でも無く。

 ヒトとヒト同士の争いが、一番の原因だったのですよ? 

 もしも、ギムレーが甦った直後に。

 ヒトが同族で争うのを止めて、手を取り合って屍兵に対処していれば。

 ここまで屍兵が横行する様な事は無かったでしょう。

 そしてもしかしたら……貴女がここまで追い詰められる事も無かったのかもしれない」

 

 

 でも、とロビンは冷たい目のまま続けた。

 

 

「僕は、『そうなる事』を分かっていました。

 分かっていたからこそ、甦ってからも暫くの間は、屍兵を放つだけでした。

 ヒトが、勝手に自分達で潰しあい、絶望を深めていくのを、静観していたんです」

 

 

 だってそうでしょう? とロビンは僅かに口元を歪ませる。

 

 

「僕が直々に手を下すまでも無く、ちょっとした切っ掛けさえ与えれば、ヒトは勝手に自滅するんですから。

 僕はそれを……自分達が自らの手でより拡大させた絶望に沈んでいく人々を、愚かな虫けらどもだ、と嗤って見ていたんです。

 勿論、屍兵に立ち向かおうと、僕を倒そうと抗う人々も居ましたよ? 

 でも、そんな戦士達の多くは、ヒト同士の争いに巻き込まれ志半ばで倒れたか、または他者に縋る事しか出来ぬ『無力な』ヒトを守って散っていきました。

 ヒトは誰も彼もが、目先の利益や些末な柵に絡め取られ、その時に本当に必要な事を理解出来ぬままに相争う……。

 僕からすればヒトなんて、特には何もせずとも勝手に吹き飛んでいく塵芥だったんです」

 

 

 ヒトと言う存在をそう語るロビンのその表情は、人間のものとは隔絶された……まさに超然とした存在のそれであった。

 しかし、ヒトの事をそう語る一方で、ルキナの髪に触れる手は何処までも優しくて、慈愛の様な温かさに満ちている。

 ルキナの髪を優しく手で梳く様に掬い上げて、ロビンはそこに静かに口付けを落とした。

 そしてロビンは、僅かに躊躇う様に視線を逸らしながら、「ですが」と、昔を思い出す様に僅少し遠い目をした。

 

 

「ヒトが最後に縋った『希望』。

 僕を害し得る神竜の牙──ファルシオンとその担い手たるナーガの眷族の末。

 それだけは、僕も捨て置く訳にはいきませんでした。

 かつて僕を封じたナーガの眷族である聖王。

 その末裔……。

 僕は、最初はルキナさんを疎ましく思っていました。

 憎き聖王の末裔だからこそ、絶望を与えようと思った……。

 僕を信頼させて、その上で裏切って殺そうと、そう思って。

 だからこそ、貴女に信頼して貰えるだろう人格を模倣して、貴女に近付きました。

 そう、貴女に出逢うまでは。

 僕は貴女の事を疎ましく想い、憎んでいたんです」

 

 

 ロビンが自分を『ギムレー』であると告げた言葉以上に、『憎んでいた』と言う言葉に、ロビンの本性を察し覚悟を決めていた然しものルキナも動揺を隠せなかった。

 

 だが、そんなルキナを安心させる様に、ロビンは優しくルキナの頬を撫でる。

 その手には、疑いようもない愛情が宿っていた。

 

 

「言ったでしょう? 

『貴女に出逢うまでは』、と」

 

 

 そう言って目を閉じたロビンは、きっと出会ってからのルキナの姿をその瞼の裏に描いたのだろう。

 ポツリと、その口から言葉が溢れた。

 

 

「初めて出会ったあの日。

 僕の目に映る貴女は……今にも傷付き倒れそうな、一人の人間であった。

 とてもでは無いけれど、人々が『希望』を押し付けて戦わせ続けるべきだとは、思えない程に。

 こんなにも追い詰められた人間に、何もかもを背負わせて磨り潰す程に、ヒトは身勝手な生き物だったのかと……思わず驚いてしまった程に。

 貴女がとても脆い存在に……見えたんです」

 

 

 守りたいんです、と。

 ロビンはルキナに囁く。

 

 

「最初は確かに、『ロビン』と言う存在は、貴女に信頼させる為にかつての器の人格を模倣しただけの、偽りの存在でした。

 でも、人格を模倣し続けていたからでしょうか? 

 それとも、貴女と共に在り続けていたからでしょうか? 

 演技であった筈の『ロビン』は、次第に僕自身になっていきました。

 それと同時に、貴女を守りたい、と。

 そう強く想い始めたんです」

 

 

 そして。と。

 ロビンは真っ直ぐにルキナの瞳を覗き込んだ。

 紅い彼の目には、ルキナの瞳が、そこに刻まれた聖痕が映し出されている。

 

 

「僕はギムレーだ。

 貴女が人々から『希望』を押し付けられて戦わなくてはならない世界になった原因は、他でもない僕自身です。

 なのに、それでも。

 僕は、貴女を守りたかった。

 この手で、貴女を傷付け得るモノ全てから、守りたかった。

 貴女の傍に居たくて、貴女を手離したくなくて。

 そして、……貴女に、僕を好きになって欲しかった」

 

 

 矛盾していると思いますか? と。

 そうロビンはルキナに訊ねる。

 

 ……ロビンの言っている事は、滅茶苦茶だ。

 矛盾どころの話では無い。

 ……だけれども。

 ルキナが戦わなければならなくなったのは、確かにギムレーの所為だろう。

 ギムレーの所為で、世界が滅び行こうとしているのだし、それ故にルキナは傷付き倒れそうになってでも戦い続けねばならなくなったのだ。

 それは、揺るぎようも無い事実で。

 ルキナがギムレーを、……ギムレーであるロビンを愛する事など、絶対に有り得無かっただろう。

 ……もし最初から彼の正体を知っていれば、の話になるが。

 

 敵であると、憎い仇であると。

 そうは知らずに接し続けていたロビンは。

 ルキナがそれまで求めていても決して得られなかったモノを、惜しみ無く与えてくれたのだ。

 それまでは、ルキナが戦う事に、重荷を背負い続ける事に、誰も疑問など持たず、それを顧みる事も無かった。

 

 でも、ロビンは違った。

 彼は何時だって、ルキナが戦う事や重荷を課され続けている事に憂慮し、ルキナの心を顧みてくれていた。

 

 最初の内こそ彼が打ち明けた様に、ルキナに彼を信頼させる為の演技であったのかもしれない。

 が、少なくとも結ばれてからは。

 そしてきっと、それよりも前から。

 当初こそ演技であった筈のそれらは、彼の本心になっていたのだ。

 ならば、彼が与えてくれた愛は、温もりは、真心は。

 決して偽りでは無かったのだろう。

 

 そして。

 確かにこんな世界になった原因は、ギムレーにあるのだけれども。

 ルキナを戦場に向かわせたのは、有無を言わさずにその背を押し出したのは。

 ルキナに『希望』と言う名の枷を与えたルキナが守るべき人々であり、そして受け継がれたものから逃げ出さないと決めたルキナ自身であった。

 ギムレーが直接ルキナを戦場に引き摺り出した訳では無い。

 

 そして、何よりも。

 最早どんな言葉で着飾ったのだとしても。

 どんな理屈を以て語るのだとしても。

 もう、ルキナは自分の心に、嘘は吐けない。

 だから──。

 

 

 

「確かに、矛盾しているとは、思います」

 

 

 そう答えたルキナの言葉に、ロビンは力無く「そうでしょうね……」と答えた。

 その眼差しは哀しみを湛え、静かに揺れている。

 

 

「貴女が傷付かなくてはならない原因である僕が、貴女を守りたいと思うなんて、とんでもない矛盾だ。

 でも、僕は自分の心に嘘は吐けない……。

 貴女が、ナーガの眷族の末裔であるから戦い続けねばならないと言うのなら……。

 無理矢理にでも貴女を僕の眷族にしてしまえば良い……とも、考えてもいました」

 

 

 だけど、と。

 彼はそれを否定した。

 

 

「僕が、こんな事を言うのは可笑しいのかもしれませんが。

 僕は、貴女の想いを、貴女の心を、貴女自身の意志を、尊重したかった。

 ヒトから誰にも顧みて貰えなかったその心を、僕だけは。

 だから、貴女の心を無理矢理殺してまで、無理に貴女を眷族にする事だけは、出来ませんでした……」

 

 

 だから、とロビンは愛しさを籠めてルキナの髪を撫でる。

 

 

「あの日、貴女が僕を望んでくれた事が。

 僕と居る未来を『願って』くれた事が。

 そして、今日。

 貴女が僕だけを選んでくれた事が……。

 何よりも、嬉しかったんです」

 

 

 でも、とロビンは僅かに不安そうにその眼差しを揺らす。

 

 

「後悔していませんか? 

 僕を……ギムレーを、選んだ事を。

 貴女は本来、僕と交わってはいけない存在だ。

 貴女が僕を望む事は、即ち、貴女が生きてきた世界全てを否定し拒絶する事にも繋がる……。

 ……でももう、もし貴女が後悔しているのだとしても。

 僕は、貴女を手離したりは出来ません。

 だから、もし貴女に悔いがあるのだとしても。

 僕には謝る事しか出来ない」

 

 

 そんな事を言って、手離せないと言う言葉を雄弁に語るかの様にルキナを抱き締めるロビンに。

 ルキナはキスで返事をする。

 

 

「私の言葉の続きも聞かずにロビンさんが話すから、つい言うタイミングを逃してしまったじゃないですか……。

 私も、自分の心は偽れません」

 

 

 何故なら、と。

 そう言いながら、ルキナはロビンの頬に手を当てて、彼の眼差しが自分から決して離れない様にして、その紅い眼を真っ直ぐに見詰める。

 

 

「貴方がギムレーであるのだとしても。

 私のこの気持ちは、欠片も変わらない。

 ……全てを裏切る事になっても、私は、貴方さえ傍に居れば、もうそれで良いんです。

 私も、貴方を手離してはあげられません」

 

 

 ルキナのその言葉に、ロビンは薄くその目に涙を浮かべてルキナを強く強く抱き締めた。

 

 

「好きです、愛しています、貴女を、貴女だけを。

 だから僕は、僕に捧げられるもの全てを賭けて、貴女を何者からも守ります

 それだけは、何があっても、変わらない。

 だから……。

 僕と一緒に、生きてくれますか?」

 

 

 その言葉に、ルキナもまた目に涙を浮かべて頷いた。

 

 自分は、今から『全て』を裏切る事になる。

 それでも、この愛しい彼が居てくれるのなら、それで良い。

 この世の全てから恨まれても、決して未来永劫赦されないのだとしても、それでも。

 

 チクりとこの胸を刺す痛みは、決してこの先一生涯消える事は無いだろう。

 けれど、もうルキナは迷わない。

 そこが無限に続く地獄なのだとしても、永遠に終わる事のない後悔を抱え続ける事になるのだとしても。

 そこがどんな地獄であっても、ロビンがそこに居てくれさえするのならば、そここそがルキナの望む場所、帰り着きたい未来、望んだ明日なのだ。

 幾万幾億の怨嗟と骸がそこに積み上がるのだとしても、その罪も罰も全て背負っていこう。

 もうロビン以外は、何も要らない、何も望まない。

 そこにあるのがかつて何を引き換えにしてでも取り戻したかった『幸せ』とは全く違う『地獄』でも、ロビンが居ればきっとルキナだけの愛しい『幸せ』がそこにあるのだから。

 

 

 

「私は、貴方が居れば、それだけで良いんです」

 

 

 

 ナーガの元に在れば共には居られないと言うのなら。

 ルキナがそこを去る事に躊躇いは無かった。

 誇りであったこの身に流れる血の全てを裏切っても良い。

 ロビンと生きる……その願いが叶いさえすれば。

 ルキナの想いに、ロビンは深い深い口付けを贈る。

 そして、この世の何よりも愛しい『宝物』へと、何度も何度も愛の言葉を囁く。

 それはいっそ『呪い』の様ですらあるけれど、この世で最も愛しい『呪い』であった。

 

 

 

「僕も、貴女が居てくれるのなら……それだけで良いんです。

 貴女と共に生き続ける為ならば、何だって出来る。

 だからどうか、ずっと僕の傍に居て下さい……」

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 斯くして、世界から『最後の希望』が失われた。

 最後の『聖王の末裔』は邪竜の手に堕ち、最早人々に滅びを免れる術は無かった。

 邪竜と堕ちた王女は、彼等を傷付け得る神竜と神竜を継ぐ者達を討ち滅ぼし、世界は彼等を止める術を完全に喪った。

 

 だが、ある時を境に屍兵が人々を襲う事は無くなった。

 

 僅かに生き残っていた人々は、同じく僅かに残された生存圏で、細々とした営みを始める事を邪竜に許されたのだ。

 全ての『希望』を喪った人々に邪竜に抵抗する意志などは無く、最早邪竜にとってはヒトは脅威とは成り得なかったからなのかもしれない。

 

 それと時を同じくして、空を厚く覆い尽くしていた雲も時折は晴れる様になり、荒れ果てた死の大地もほんの僅かだが甦った。

 ヒトへの興味をとうに喪っていた邪竜であったが、その眷族となった王女の事を想っての行動であったのかもしれない。

 邪竜の真意が何処にあるのかなど、ヒトの考えの及ぶ処では無いのかもしれないが。

 何にせよ、人は滅びの瀬戸際で踏み止まったのだ。

 その後の邪竜については、その眷族となり最早人ではなくなった王女と、その間に生まれた子供達を何よりも大切にしていたとだけは伝えられている。

 だが、ある時を境に邪竜達は姿を消した。

 この世界に飽いて新天地を求めて異界を渡ったとも、或いは単にヒトの前に姿を見せなくなっただけとも言われているが、その真実は誰にも分からないままである。

 

 ただ──

 

 

 邪竜と王女が、どんな時であってもお互いに決して離れる事が無かった事だけは、確かな事実である様だ。

 彼等が何処に居るのだとしても。

 遠い遠い時の最果てまでも、きっと彼等は共に在り続けるのであろう。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。