「璃々ー!!」
女性の名は黄忠。荊州の武将である。
現在、彼女は必死で娘を探していた。
元々、璃々の希望で町に繰り出していたのだが、少し目を離した隙に逸れてしまった。
昨今、人攫いが行われ奴隷として売られるということもあり、町中と言えど危険は蔓延っている。
最愛の娘にそんな目に合わせる訳には行かないと、駆けずり回っていた。
「お母さーん!!こっちだよー!」
そんな時、見たことも無い男に抱えられた璃々の姿が遠目に見えた。
「璃々!!」
黄忠は駆け寄りながら、護身用の短剣を忍ばせた。
万が一の場合の為に。
「おい!暴れんな!落ちるだろ!!」
その言葉を切欠に、黄忠は短剣を抜く。
「その子を..離しなさい!!」
助走から素早く一突き。
「って!なんでだよ!」
予想外だったのか、男はかわすも皮1枚持っていかれる。
「璃々!今助けてあげるからね!...観念しなさい。この騒ぎなら警備兵も直ぐ来るわ。」
「おいおい、頼むよぉ。お嬢ちゃん、何とか言ってあげて!」
どうやら誤解が生まれているらしいが、黄忠が必死すぎてどうにもならない。
男はなんとか収めようと璃々に懇願する。
「?....ああ!お母さーん!助けてー♪」
「えぇええ!?それは無いわー。」
「璃々!!」
黄忠は本気で殺しに来ている。殺気が尋常ではない。
「洒落に..なって....ないっ!!」
璃々を抱えながらも避け続ける。
「っく..!その子を盾にするとは、下衆め!!」
勘違いがどんどん酷くなる。
気がつけば、兵達に囲まれていた。
「将軍!この男ですか?」
「おいお前!諦めろ!!」
「さっさと子供を放せ!」
「あれは私の子なんです。できれば慎重にお願い..!」
「任せてください!!」
本当に洒落にならない状況に立たされた男。
「なんだ?赤い外套に耳輪の男?汚らしい風体をしおって!!」
「どこかの賊かもしれません。油断しないようにいきましょう。」
騒動の中心に、璃々を抱え、周囲の者にボロクソに言われた達磨が立ち尽くしていた。
「あはは~♪みんな凄いね~♪かっこいい!おじさんも早く逃げなきゃ、鬼につかまるよ?」
「...君ねぇ。...おじさん、将来が心配だ。とんでもない悪女になるかもしれん。」
璃々は完全に鬼ごっこと間違えている。
巻き込まれた達磨としては、笑えない。実に笑えない。
「はぁ....。お嬢ちゃん、お遊びはもうお仕舞いだ。特に、俺がなんだが。」
「えぇー!もう終わり~?」
達磨はこれ以上厄介な状況にしたくないので、璃々を降ろし、黄忠のところへ戻す。
「璃々!!」
「ただいま、お母さん。」
「今だ!かかれー!!」
「...もういいや。」
黄忠は感動の再会に、璃々を抱きながら涙を流す。
その横で達磨が大変な事になっているのだが、一切目を向けない。璃々が無垢な瞳だけが見ていた。
「本っ当に申し訳ございません!」
「まあ...分かってくれれば、いいんだよ。...恐らくね。」
顔に青あざを作った達磨に、黄忠が懸命に謝っている。
兵に取り押さえられた達磨は、抵抗していないのにも関わらず、徹底的に痛めつけられていた。
璃々が、やっと本当の事を言い、勘違いだと分かると開放されたが。
「お母さん!璃々ねぇ、お代わり!!」
「君にはもう少し、おじさんを心配して欲しいなぁ!」
「????」
「申し訳ございません!!」
「えへへへぇ~。」
達磨達は近くで茶を飲んでいた。
黄忠がお礼と謝罪がしたいという事で、場所を変えたのだ。
璃々は理解しておらず、無邪気に笑っていた。
「まあ、子供が元気な町は活気があって良い。その笑顔に免じておくよ。」
達磨はお茶を飲み、町並みを見つめる。
「ありがとうございます。あの、何か頼まれないのですか?」
「おじさん、これ食べる?」
「ごめんよ、俺肉食べられないんだ。気にせず食べな。」
「ええ?どうして?お腹空かないの?美味しいよ?」
「うーん説明して解るかな?」
「嫌いなの?」
「それでいいか...。そう!おじさんは肉とか魚とかが嫌いなの。」
「えー!駄目だよ。好き嫌いなんかしたら。大きくなれないよ?」
「はっはっはっは!もうこれ以上大きくならなくてもいいんだよ。」
「璃々、駄目よ。」
黄忠は璃々を諌める。
「でも、お母さんも言ってるよ?好き嫌いしたらいけませんって。」
「そうね。それをちゃんと覚えてるのはエライわ。でもね...。」
「気にしない気にしない。おじさんはね、食べなくてもいいようにしてるの。だから、食べなくてもいいんだよ」
「へぇー凄いね。」
「おじさんはいいから、もっと食べな。」
「うん!」
璃々は食事に集中し、達磨は頭を撫でた。
「そういえば、旦那さんは?仕事かい?」
「少し前に...。それからは2人で生きています。」
「それは悪い事を聞いた。申し訳ない。」
「いえ、御気になさらずに。それよりも貴方様は...。」
「菩提達磨という。この大陸を旅してる修行僧だ。そちらはここの将軍様だったっけ?」
「はい。荊州の武官をしておりまして、名は黄忠。字は漢升と申します。」
「最近の俺は、どういう縁をしてるんだろうな...。あ、こっちの話。もう、敬語とかしなくていいよ。疲れるからね。」
達磨が最近の出来事から何かを考えていたが、黄忠には解らない。
「菩提さんでいいのかしら。あの修行僧というのは?」
「俺は仏教徒なんだ。修行の一環で各地を旅して見聞を広めてるの。..そうだ。儒学を学べるところってどこ?」
「太学ならここから北にある大きな建物ですわ。よかったら案内致しましょうか?」
「ありがとう。助かる。」
「ごちそうさまでした!」
丁度良く、璃々が食べ終わり、勘定後、店を後にする。
「おじさん。肩車してほしいな~。」
「璃々!あまり困らせては駄目よ!」
「そうか、構わないよ。...それっ!」
達磨は璃々を持ち上げ肩に乗せ、璃々は両手を挙げてはしゃぐ。
「菩提さん、ありがとうございます。実は最近こちらに赴任してきたばかりで、他のお友達がまだできていないんです。」
「わぁーい!!高ーい!!」
「落ちないようにな。そういえば漢升さん。」
「はい。なんでしょう。」
「さっきの事なんだけど。この辺りって意外と物騒?心配なのは解るけど、少し過度な気がした。」
「...この地、いえ。この国では人身売買が行われています。生活に困った人が身売りをしたり、誘拐して売り飛ばすこともあります。」
黄忠は暗い顔で話していく。
「将軍の娘なら問題ない、って訳でもないのか。」
「ええ、私は来たばかりで発言力もありませんし、なにより豪族が仕切っている為、口出しが出来ないのです。情けない話ではありますが...。もしあの子に万が一があれば、そう思うと恐怖に駆られてしまうのです。」
「そうか。」
「どうしたの?悲しそうな顔してるよ?」
2人の感情を読み取ったのか、璃々は不思議そうな顔で見下ろしていた。
「なんでもないわ、璃々。お母さんが守ってあげるからね。」
「??」
黄忠が優しく微笑んでいると、向こうからなにやら騒がしい声が聞こえた。
それを見た、黄忠の顔色が変わった。
「ちょっとよろしいですか?」
「良い。俺も見に行きたい。」
「...構いませんが。できれば、見てほしくありません。気を悪くなさるでしょう。」
「...行くよ?」
2人は人ごみを掻き分け、騒ぎの現場に入る。
そこは貴族の屋敷と思われる入り口の前であった。
「てめぇ!病気とは一言も聞いてねえぞ!!」
「うう.....。」
「貴様は借金の代価として、身を売ったのだろう?それがなんだ!なんの役にも経たぬわ!!」
豪族と思われる人物が、女性を蹴り出しているところだった。
「韓崇(かんすう)殿!何をされているのですか!?」
黄忠が間に立ち、事体を確かめる。
「黄忠殿か...。それは、私の所有物だ。どうしようと私の勝手。指図を受ける謂れは無い!」
韓崇と呼ばれた男はさも当然のように答え、倒れた女性に近寄る。
「そういうことか...。胸糞悪い。」
「ねえおじさん。どうなってるの?あの人可哀想だよ。」
「そうだな。璃々ちゃん?今からおじさんがやることは内緒だよ?」
達磨は足元にあった石を拾い、貴族に投げつける。
「がっっ..!!おのれ!誰だ!?」
「ああ!男があっちに逃げていきました!!」
達磨が声色を変えて、人ごみから声をあげる。
「何!?追うぞ!逃がすな!!それはもういらん!!勝手に処分でもするがよい!!」
貴族は兵を引き連れて、達磨の嘘に吊られていった。
「大丈夫か?」
「あ、ありがとう、ございます。」
女性の下に駆け寄り、抱き起こす。
その女性は布で顔を覆い隠しており、布ををとると色黒の肌を持ち、赤い髪をしていた。
「漢升さん!どこかで休めるところはないのかい?宿は...駄目だろうな。今の事は直ぐに広がってる。この状況で寝床を貸してはくれないか...。」
「でしたら、私の家があります。そこに。」
奴隷に落ちた人間は宿を借りる事はできない。達磨は他の国でも見てきた為、直ぐに判断し黄忠に尋ねる。
黄忠も理解し、自宅へと促す。
そこに女性の手が達磨の外套を掴む。
「けっ、結構です。できれば、私の...家に連れていただければ...。」
「それはどこだ?」
「この町の...南の外れにあります...。」
「よし。...璃々、悪いが降りてくれるかい?ちょっとやることが出来たんでね。」
「うん。この人大丈夫なの?」
璃々は素直にぴょんと飛び降りる。
「私も行きます。送り届けるくらいはさせてください。璃々は私が...。」
「解ったよ。...ん?この人は...。」
「どうかしましたか?」
「いや、後で良い。急ごう。」
黄忠も同行することになり、璃々は黄忠が抱えた。
女性が言った場所にたどり着くと、ところどころがボロボロな家が建っていた。
「...ここでいいのか?」
「は..い。」
中には埃が溜まっており、休ませるような状態ではなかった。
「こればっかはしょうがない。ちょっと待ってくれ...。漢升さん、少し掃除しててもらえないか?俺は少し、食料を用意してくる。」
黄忠は璃々と室内を軽く掃除し、女性を布団に寝かす。
その間、達磨は食料を調達し、食事の準備を始めた。
実際の料理は、黄忠が食べやすく米と野菜でお粥を作った
その間に、日は既に軽く落ち始めていた。
「食事まで...。ありがとうございます。しかし、私から返せるものがありません。」
「気にしないで下さい。」
「ただの自己満足だ。」
「そうですか...。申し遅れました。私は黄婉貞(こうえんてい)と申します。字はありません。」
「字が無い?珍しいのですね。私は黄忠。字は漢升と申します。」
「事情がありまして...。」
婉貞は言いたくないのか、俯き口を閉じた。
「璃々と同じお名前だ~。お母さん、すごいね。」
「ええ、そうね。」
璃々が、黄という同じ姓に反応し、黄忠が笑いかける。
「とにかく食べた方がいい。話はそれからでいいよ。な?璃々。」
「うん!お腹空いた~。」
「おう!食べろ食べろ。今日は頑張ったから疲れたろ。」
「えへへ、璃々えらい?おじさんもちゃんと食べないといけないよ?」
「これならおじさんも食べれるから大丈夫だ。」
「じゃあ、いただきまーす!」
「「「いただきます。」」」
璃々に釣られて3人が復唱し、食事を始めた。
食事中は特に話すこともなく、お粥を口に運んでいた。
そんな中、婉貞は璃々を優しい眼差しで見ていた。
「とても可愛らしいお子さんですね...。元気で、日々を明るく照らしてくれそうで...。」
「...家族はいないのか?どこかからの流民だろう?」
「いないのー?」
食事も終わり、達磨が婉貞に踏み込む。
「...います。私にも娘がいます。つい四月前は、一緒に暮らしていました。」
「それはどこに?それに旦那さんは?」
「夫は亡くなりました...賊に殺されたそうです。娘は商人の屋敷に預けています。」
「そう、ですか...。何があったのですか?」
黄忠は、同じ母として婉貞に対して感情移入していた。
「私は十数年前にここに流れてきました。そしてあの人と出会い、娘をもうけたのです。...私はこの国の生まれではないのです。」
「じゃあ、異国の...。」
「....(やっぱりか。)」
達磨は婉貞を抱えた時に、その風貌や雰囲気でどことなく違う大地の匂いを感じた。
「はい。それが故に、初めはこの町に馴染めなかった。でも、あの人は優しくしてくれた...。だんだんと惹かれて、あの人も私を愛してくれた。夫は商人の息子でしたので、反対も少なくありませんでした。」
「...そう...でしょうね。」
「それでも、押し切って私の家族になってくれました。子供も直ぐできて幸せでした。でも、夫が亡くなってから、生活に困り始め私も働こうとしたのですが、よそ者の私に任せられる仕事は少なく、夫の家にお金を借りながらの生活でしたが娘の生活費が精々。そして無理がたたり、私は病に。」
「はい...。」
黄忠もかける言葉が見つからず、相槌を打つしかなかった。
「ついにお金が借りられなくなり、義父様に返済を迫られ、身売りする以外に手段がありませんでした。その代わり、私がそうすれば娘の生活をみてもらえるという約束をしていただきました。」
「娘さんはそれから会ってないのな?」
「はい...。あの屋敷から出る事はあまりなく、あっても直ぐに戻る必要がありましたので。」
「...あなたはそれで良いのですか?」
「私は、どうでも良いのです。あの子が笑っていられるのなら..。どれだけ辱められようが、心だけは私の物です。それだけは変わりません。」
「母として、同じ母として貴方を尊敬します。」
「...ありがとうございます。」
「お母さん?なんで泣いてるの?」
黄忠と婉貞は気付けば涙を流していた。
「ごめんなさい、璃々。婉貞さん、良ければ真名を交わしたのですが...。」
「すいません。私の生まれた地方では、夫と親以外に教えてはいけないという風習が在るのです。お気持ちはとても嬉しいのですが....。」
「そうですか...。でしたら、私の真名を預けさせてください。貴方の想いに心が打たれました。私の真名は紫苑です。」
「ありがとう、ございます。紫苑さん..。真名は教えられませんが、私の本来の名をお教えします。婉貞というのは婚儀を済ませた時、夫に付けて貰った名前で、エンティというのが本来の名です。」
「えんてぃ?」
黄忠には聞きなれぬイントネーションであった。
「エンティ...。」
「え?」
「ああ、ごめんな。俺関係なかった。少量だけど酒もある。この種子と一緒に飲んだら良いよ。」
達磨からお猪口と赤い種子を受け取った婉貞は、今までと違う反応をした。
「こ、これは..!?あ、貴方様!お名前を窺っても!?」
「....菩提達磨。この地を旅している。」
「ぼだい...だるま...。ぼ..だい....だ..るま...。ボーディ...ダーマ...!?失礼します!」
婉貞は達磨の顔に手を翳し、髭を隠すようにして顔を眺める。
「やはり、面影が...!貴方様は!?ボーディ第三王子様ではありませんか!?」
「ぼー..でぃ?」
黄忠はまた聞きなれない名前を聞き、思考を巡らせる。
「人違いだと思うよ?」
「いいえ、私は貴方の幼少の頃を知っております。そして、その面影は残っています。なにより、この種子とその耳輪がなによりの証拠。」
「まいったな...。まさかこの地にその名を知ってる人間がいるなんて思ってなかった...。」
その目の前で達磨はため息をついていた。
「私は貴方の幼少の頃にはあの国で暮らしていました。しかし、貴方の出家後から国を出たのです。」
「そうか...。貴方方には迷惑を掛けた。」
「いいえ。もうその事は良いのです。貴方は私達の為に戦ってくれた....。それは事実だと皆は今でも信じています。貴方様は覚えていないかもしれませんが、昔にこの種子を分けていただいたこともあります。」
「菩提さん?エンティさん?何の事を言っているのですか?」
「...すいません。」
達磨の雰囲気がガラリと変わった事に気付いた黄忠は恐る恐る問い掛けた。
この男の異質さは、黄忠も考えていた。
見たことのない製法で出来ている外套に、これまた見たことのない耳輪。
さらに黄忠の攻撃をあっさりとかわし、殺気にも怯まなかった。
肉を食べられないという事にも、何か事情があるのも直ぐに分かる。
最後に聞いた言葉、『王子』。
決して悪い人間だとは思わない。しかし、
「あなたは一体...。」
「俺から言えることは無いんだよ...。悪いけど、ね。」
達磨伝説②
達磨は古代南インドにあった王朝の第三王子と言い伝えられています。本名はボーディ・ダーマ。
なぜ出家したかは作者の解釈に基づいて、本編に書いていこうと思っています。
ちなみに、インドの名前は 名・姓 です。東アジアの 姓・名ではありません。
つまり、ボーディ・ダーマから菩提達磨なので、今までのキャラクターが姓だと思って呼んでいた『菩提』こそが、名に当るのです。