Kanmusu has Gone to the Rapture -幸福な消失- 作:焼き鳥タレ派
工場から立ち去ろうと振り返ると、奇妙なものが視界に入る。
鎖で吊られた船体に、邸宅で見たような6文字の英数字。なんなのだろう。
船体番号にしては全く規則性が見られない。
まったく、軍事基地というものは謎だらけだ。
もっとも、それが楽しみでこの小さな旅を続けているのも事実だが。
もう行こう。一歩前に踏み出すと、光の球が引き止めるように縦に回転を始めた。
まだ何かあるというのだろうか。振り返ってみると、
確かに工場隅の作業台のそばに心の断片が。
さっき消え去ったばかりの明石という女性だろうか。
まあいい。物語を聞かせてくれるなら、誰であろうと構わない。断片に近づく。
光の線、そして粒子が一点に収束し、音もなく破裂する。
そして、作業台のそばに二人の人の型が現れた。
『一週間で防毒マスク一万個!?できるわけないじゃん!』
『司令部からの通達なの。
無茶なお願いだとはわかってる、でもあなたにしか頼めないの。お願い、明石』
『その“無茶なお願い”、何度目だと思ってるの?
そもそも一万個分の資材も部品もないよ!
大淀から司令部に言ってよ、馬鹿なことはやめてって!』
『仮にも艦隊旗艦として上層部の決定に背くわけにはいかないの。
海軍だけじゃない。陸軍も製造ラインをフル稼働して生産に当たってるの。
私達だけ何もしないわけには行かないでしょう?』
『一億二千万人分の防毒マスクを?間に合うわけ無いじゃない!
みんなおかしいよ……日本を焼き払うための特殊焼夷弾、
撃つ相手すらわからない新型三式弾、おまけに今度は、
効果があるかもわからない防毒マスク?
明石、もう疲れちゃったよ……私達、一体何と戦ってるの?』
『いいえ、一億二千万人じゃない。六千万人よ。もう西日本には誰もいない』
『嘘……』
『本当よ。昨日、和歌山・京都・滋賀からの通信が途絶した。
もう伝染病は関東にまで迫りつつある。お願い、もう少しだけ頑張って』
『そんな凶暴な病原菌に防毒マスクが何になるのさ!仮に用意できたとしても!』
『1%でも可能性があるならやるしかないの。作ってちょうだい。
全ての小人達の作業を中断させて手伝わせてもいい』
『……っ!大淀はいいよね!“やれ”って言うだけで済むんだからさ!』
一人が振り返り、肩を怒らせて去っていった。
残された一人はしばらくその場に佇み、つぶやく。
『私だって、こんなこと言いたくないわよ……』
そして、光の糸が解け、粒子が消えていった。
大淀、そして、明石。二人の人物が現れた。今度はどちらの物語なのだろうか。
さあ光の球、お前の出番だ。
視線を向けると、光の球はどこか嬉しそうに工場から、
すうっと綺麗な曲線を描いて飛んでいった。後を追う。
だが、目の前に光の粒子、つまり人の型が見えた。断片ですらない、儚い欠片。
これまでにも何度か見た。まずは彼または彼女の声を聞いてみよう。
光の球をそのままにしておいて、欠片に歩み寄る。
邸宅前の広場で二人の光の粒子が語り合う。
『最悪や!ツバメさんこんなに死んどる……』
『本当、かわいそうに』
『どこか埋めたらなあかん。スコップ取ってくる』
『龍驤ちゃん待って』
『どないしたん?飛鷹』
『もしかしたら……これって例の病原菌の仕業なんじゃないかしら。
だとしたら下手に触るのは危ないわ。まずは提督に報告するべきよ』
『そっか。うち、提督呼んでくるわ!』
『お願いね』
その言葉を最後に二人の欠片は小さな粒となり、やがて消えた。
天龍という人物の唐突な鼻血。ツバメの大量死。
この世界に起きた出来事には、なにか予兆があったというのだろうか。
今更考えても手遅れ……いや、この表現は適切ではないな。
ならどう言い表すべきなのかと問われても、これもまたわからない。
とにかく心に留めておこう。
光の球の元へ戻る。
コンクリート製の建物の前で輝いていたので、探さずとも見つけられた。
鉄製の暗証番号入力式の鍵が設置されていたが、ドアは施錠されていなかった。
内部は、様々な通信機材、小さな会議室、大型コンソールがある通信施設だった。
コンソールの回転椅子の上に心の断片が浮かんでいる。
そばに寄ると、やはり光が収束し、そこにいた人物が粒子の集まりとなって現れた。
『モスクワ、モスクワ?こちら日本海軍。大使館、応答願う!……ダメ』
『同盟国独逸、こちら日本国海軍!貴国の状況連絡を乞う!……お願い、返事を!』
『中国の全周波数に呼びかけます!私は日本国の艦娘、大淀です!
生存者は返信を!……どうしてっ!』
その時、背後からもうひとつの人物が入室した。つまり、外から入ってきたのだ。
その人物と重なる格好になり、光の粒子が少し眩しい。
『大淀……状況は?』
『駄目です!
敵国含め、あらゆる主要国家に通信を試みましたが、まったく応答がありません!
司令代理、これからどうすれば』
『そうか……感染の拡大は想像以上に早いな。
念のため、もう一度独逸の大使館及び、通信可能な軍施設全てとの交信を試してくれ。
私は提督に結果を報告し、今後の対応を話し合う。頼んだぞ』
『了解しました』
そして、後から入ってきた人物がまた外に出ていった。
椅子に座る断片はきょろきょろと周りを見回すと、またコンソールを操作し始めた。
『……呉鎮守府、呉鎮守府?こちら(ノイズ)鎮守府です。
誰か、誰か一人でも生きていたら、返事をしてください。お願い、お願いだから。
誰か、応えて……』
小声で日本のどこかと通信しようとしている大淀という人物。
しかし、スピーカーは沈黙を保ち続ける。
『呉のみんな、お願い、生きていて……』
そこで、断片は途切れた。大淀を形作る粒子が消滅していく。
完全に彼女の型が消えると、残ったのはゆっくりと回る回転椅子。
そしてコンソールの上には……鳥のマークの本が一冊。
屋内にもう断片はないが、まだ終わりではないはずだ。行こう。通信施設の外に出た。
光の球がふわふわ飛んでいく。
急ぐ様子もないということは、それほど遠くではないのだろう。
実際、次の断片は近くにあった。邸宅前の広場。
ちょうど案内板の前に、断片が一切揺れ動くことなく空中で静止している。
歩道を一歩一歩前進して、どこか堅い決意のようなものを感じさせる断片に近づいた。
それは収束を開始し、ひとつの点になった瞬間、まばゆい光を放った。
光が収まると、そこには多くの人の型を前にした、ひとりの断片の姿があった。
大勢の人物が、次々に声を上げる。
『お願い、ドイツに帰らせて!きっとみんな大変なことになってるの!』
『私からも一時帰国の許可を頼む!』
『こんなところでじっとしてられません!みんなの無事を確かめなきゃ!』
『ワタシ、フランスが心配なんです。様子を見るだけでいいんです!
すぐに帰ります、お願いです!』
『提督には申請を出してくれたのだろう!?』
すると、ひとり案内板のそばにいた人物が、意を決したように告げた。
『結論から申し上げます。皆さんの、帰国申請は、却下されました』
怒りを含んだざわめきが起きる。
『どうして?生まれ故郷で大勢人が死んでるのに、黙って見てろって言うの!?』
『この期に及んでまだ戦えと言うのか!深海棲艦と和平を結んだ今となって今更!!』
『和平を結んだ意味を考えてください。
彼女達の情報によると、日本より西の世界は、失われました』
今度はざわめきがはっきりとした罵声に変わる。
『ふざけるな!そんなもの、日本に逃げ込みたい奴らの法螺話に決まってる!』
『嫌です、ワタシ、祖国を見捨てられません!』
『もういい!Bf109Tに乗ってでも私は帰るぞ!』
『艦隊旗艦として、それは許可できません。本件につきましては、
提督から皆さんの勝手な行動を禁止する権限をお預かりしています』
『なんだと!大淀、貴様……!
お前には人の心がないのか!故郷を思う、人の気持ちが!』
『病原菌の爆発的大流行以後、西に向かった航空機は、全て消息を断っています。
それだけ病原菌は強力だということです。皆さんを犬死にさせるわけにはいきません。
どうか、ご理解ください』
『ご理解くださいだと!?
お前は、ご理解くださいで日本を見捨てることが出来るのか!答えろ!』
『質問がなければ報告会を終わらせて頂きます。失礼します』
『待て、逃げるな!……この馬鹿野郎!』
この断片はその大声で消滅した。
今までにない数の光の粒子で照らされていた広場が、元の明るさに戻る。
大淀は何を思っているのだろう。行こう、光の球。
光の球はゆっくりと、歩いてきた道を戻っていく。またあの通信施設に行くのだろうか。
そう、思った通りだった。
開けっ放しにしていた入り口から入ると、屋内の隅に心の断片。
今度は迷うように、ゆらゆら漂っている。あなたの気持ちを聞かせてほしい。
断片に触れると、また光の線、粒子が収束。視界を光で満たす。
そこには、隅で膝を抱え込む大淀の姿が。
『ぐすっ……ううっ、わたしだって、広島に帰りたいよ……あの街が恋しいよ……
どうしてみんなわかってくれないの……?』
大淀はとめどなく流れる涙を拭いながら、嘆きを漏らす。
『こんなに悲しい気持ちになるなら、艦娘になんてなるんじゃなかった……
あのまま沈んで、ただの鉄くずのままでいればよかったのに……』
だが、その時、ハッと何かに気づいた大淀が顔を上げた。
そして、通信施設から慌てて飛び出す。彼女の姿を追う。
彼女は見晴らしのいい邸宅前広場にいた。大空に向かって手を振っている。
『迎えに来てくれたのね!ここよ、私はここよ!』
西の空から、幾千幾万もの光の糸が流れてくる。これほど間近で見るのは初めてだ。
息を呑むような光景。
『また海に連れていって!また、みんなであの海に!』
あの光の糸はなんなのだろう。あんなにか細い糸なのに、力強い存在を感じさせる。
やがて、一本の糸が空から伸びて、大淀に優しく触れた。
『懐かしい。また来てくれて、ありがとう……』
すると、大淀の姿を作り出していた粒子が舞い散り、分裂し、
小さくなりながら消えていく。気づくと、そこにはもう何もなかった。
光の球がそばに寄り添う。彼女の物語は終わったということらしい。
また逢う日まで。あなたの物語をありがとう。
まだ散策をやめようとは思っていない。次の断片へ向かおう。
光の球を促して、再び物語を探し始めた。