チェロとお味噌汁と剣のための三重奏曲   作:おかぴ1129

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2. あなたとご飯が食べたくて

 僕の名前は普賢院智久。読みは字のまま『ふげんいんともひさ』。かなり大げさで仰々しい名字だけど、別に名家の出というわけではない。名前負けもいいところだ。

 

 趣味は音楽。特に大学に入ってから始めたチェロがとても楽しい。といってもオケ部はないので、軽音楽部の練習室を時々借りて、一人でチェロを練習する日が毎日だ。時々ジャズ研や軽音部から『ベースとしてうちに来ないか?』と勧誘されるときもあるけれど……それよりはクラシックをやりたいんだよねぇ。そのうち近所のアマオケに参加しようかと今企んでるところだ。

 

 それ以外の特技は剣道。だけどこっちは、中学時代に親に強引にやらされてただけで、別に強くもなければ好きというわけでもない。ただ、竹刀をもたせれば、素人よりは様になる……その程度のことだ。

 

 今は大学三年生。一年時と二年時にかなりガッツリと単位を取得したため、今年からはかなり時間に余裕が出来ている。

 

 今日も僕の講義は三限だけ。その講義もたった今終わり、『じゃあ夕飯まで練習するか』と思い立ち、僕はいつもの練習室へと足を運ぶが……

 

「おっ! いたなッ!!」

 

 練習室入り口前に、最近知り合った清掃員の女性が、モップを片手に仁王立ちしていた。傍らには、清掃道具を所狭しと並べたキャスター。水色のバケツにかけられた雑巾の黄色が眩しい。スプレーの中のケミカルブルーな液体が泡立っているのが見える。やや白っぽく見えるキレイな金髪は、一見ショートカットのようにも見えるけど、実は後ろでシニヨンにゆったり編み込んでいるらしい。そんな、美人と形容できる彼女は、今日も薄水色のツナギのような清掃服に身を包んでいる。

 

「ぁあロドニーさん、こんにちは」

「貴公を探したぞ普賢院智久!!」

「その、僕を呼ぶ時フルネームを叫ぶの、やめてもらっていいですか?」

「それよりも、私と勝負する気になったか!?」

「だから決闘なんてやりませんって……」

 

 この人……ロドニーさんは、イギリスの元艦娘さんだそうだ。どうも漫画でありがちな『戦うことが大好きな人』らしく、僕が剣道をやっていたということを話したその日から、僕を見るたびに『私と斬り結べ』と物騒この上ないことを言ってくる。なんでも……

 

――強き者であれば挑まずにはいられない……

  それがネルソン級の生き方だっ

 

 らしく、どうも僕のことを凄腕の達人か何かだと勘違いをしているらしい。戦争が終わった今は、仲間内で清掃会社を立ち上げたそうな。その清掃会社とうちの大学が契約を結び、今はこうして、大学構内の清掃のため、ロドニーさんは、毎日この大学に顔を見せている。

 

「前から言ってますけど、そもそも強い人と試合をしたいなら、この大学には柔道部や剣道部がありますよ? そっちの学生たちに挑まれたらどうですか?」

「すでに全員打ち負かした。あとは貴公だけだ……普賢院智久ッ!!!」

「……だからなんでフルネームで僕を呼ぶんですか……」

 

 モップの柄を僕に向け、腹から声を出すロドニーさん。完璧な腹式呼吸でものすごく大きな声が出るんだから、歌を歌うとか管楽器をやってみるとかすればいいのになぁ……キレイな声だし、トロンボーンとかすごく似合うと思うんだけど。背、ちっちゃいけど。

 

「さあ貴公! このロドニーの挑戦を受けるがいいッ!!」

「遠慮します」

「んがッ!?」

「何度も言ってますけど、僕は弱いです。それに、僕はこれからチェロの練習をしたいんです」

 

 そういい、モップをギリギリと握る彼女の隣をすり抜けて、僕は練習室に入って扉を閉めた。ドアの向こう側からは、『私では貴公の良き敵にはなれんというのかッ!?』てロドニーさんの叫びが聞こえてるけど、まぁ気にしない。ケースからチェロを出し、チューニングをじっくりと済ませ、現在練習中の『白鳥』の譜面を出す。

 

「……」

 

 何度か繰り返しうまくいかないところを振り返り、時計を見た。 午後五時半。やはり集中しだすと時間が早く感じる……

 

「……そろそろご飯食べに行こう」

 

 チェロを片付け、譜面台と譜面をたたみ、僕は練習室を出た。ロドニーさんの姿はない。そら練習始めてから2時間ほど経ってるし、まさか二時間もここで棒立ちになってるはずがないか。

 

 そのまま足早に鎮守府に向かい、食堂に入る。食堂に立ち込めるお味噌汁の香り……

 

「……あれ」

 

 ちょっとした違和感を覚え、厨房の中を覗くように首を伸ばした。鳳翔さんの姿はない。

 

「そっか。鳳翔さんは休みか」

 

 鳳翔さんはこの厨房の責任者だとどこかで小耳に挟んだことがあるけれど、いくら責任者といえど、休みの日はある。今日は鳳翔さんは休みらしく、僕にとっては運の悪い日といえた。

 

 ちょっと意気消沈した気持ちを抱え、僕はいつもと違う人から今日の献立が乗ったお盆を受け取った。お味噌汁もとてもよい香りがするし、今日のメニューのカレイの煮付けも、甘辛い香りが食欲をそそる。だけど……

 

「んー……」

 

 今日は鳳翔さんと会えなかった……毎回ほんの数分だけの会話なのだが、僕にとって、その数分がどれだけ大切な時間か……沈み込んだ気持ちを抱え、僕は空いてる4人掛けのテーブルに座った。

 

「いただきます……」

 

 両手を合わせていただきますをした後、お味噌汁を静かにすする。んー……大好きな大根のお味噌汁だけど、やはり、なんだかちょっと物足りない。

 

 続いて、カレイの煮付けの身をほぐし、煮汁にひたしてご飯の上で一度受け、口に運んだ。甘辛い煮汁の味が口いっぱいに広がり、それがカレイの美味しさを引き立てる。

 

「んー……おいしいけれど……うーん……」

 

 ……だけど、やっぱりちょっと物足りない。美味しいことは美味しいのだが、心の底から『うん! 美味しい!!』と思えない。我ながら子供みたいだけど、鳳翔さんに会えなかったことがそんなに残念だったのか……少々うつむきがちに食事を続けることにする。

 

「相席してもよろしいですか?」

 

 女性が僕に話しかけたようだ。僕は今、テーブルの上の煮付けに視線を向けているから、僕に相席をお願いしているその人が誰なのか分からない。だけど、ここで断るのもなんだか申し訳ない。

 

「いいですよ。よかったらどうぞ」

「ありがとうございます。では……」

 

 椅子の音が鳴り、その女性が僕の向かいの席に座ったのが分かった。この人が座る前に、ちゃんと顔を上げて返事すればよかった……と気にしながら、僕はご飯を一口頬張って飲み込んだ後、お味噌汁を静かにすする。クセってわけじゃないんだけど、お味噌汁をすする時、自然と目を閉じちゃうんだよねぇ。

 

「……ほっ」

「お味噌汁はどうですか?」

「とても美味しいです」

「その割にはいつもに比べて表情が優れませんが……」

 

 ……ん? いつも僕がここで食べてることを知っている?

 

「ええ。美味しいんですけど、多分、作ってる人が違うからだと……」

「わかるんですか?」

「ええ。いつも作ってる方のお味噌汁は、本当に絶品ですから」

「そんな……うれしいです」

 

 ……んん!? ハッとして目を開く。僕の向かいの席に座った女性とは……!?

 

「いつもありがとうございます」

「鳳翔……さん……ッ」

「はいっ。私の名前をご存知だなんて、光栄です」

 

 なんという僥倖……僕との相席をご所望のご婦人は、鳳翔さんだったのか……ッ!? 少々ほっぺたを赤くした鳳翔さんは、嬉しそうにはにかんでいる。その笑顔は、僕から平常心を失わせるには充分すぎるほどの破壊力を秘めていて、とたんに胸がバクバクと音を立て、額から冷や汗が吹き出し、箸を持つ手が震えだした。

 

「? どうしました?」

「あ、いやあの……ッな、なんでもないでしゅっ!!」

「?」

 

 緊張で舌噛んだ……不思議そうに首を傾げた鳳翔さんは、不思議そうな顔のままお味噌汁をすすったあと、静かにカレイの煮付けを口に運んだ。

 

 僕もご飯を口に運ぶけど……緊張のせいか、さっきまでの美味しさをまったく感じない。舌がパニックを起こしてるようだ。

 

「……ん。美味しい」

「は、はいッ! この煮付け、とてもおいしいでしっ!!」

 

 鳳翔さんの言葉に、つい過剰な相槌を打ってしまう。その様子は鳳翔さんにとっても少々おかしかったらしく、くすくすと笑いながら、付け合せのたくわんに箸を伸ばしていた。

 

「ふげんいんともひささん……ですよね?」

「は、はいッ! 普賢院智久でしゅっ!」

「中々聞かない名字ですが……どんな字を書くんですか?」

「は、はいっ! 普通の『普』に賢者の『賢』、病院の『院』ですっ!!」

「へー……なんだかとても由緒正しい家柄の方みたいな名字ですね……」

「そ、そんな……僕は普通に一般人……ですよ!?」

「ぷぷっ……そうなんですか?」

 

 僕の過剰な反応がおかしいのか、少し口を抑えてぷぷぷと笑いながら、僕と会話してくれる鳳翔さん。……でもちょっと待て。なんで鳳翔さんは僕の名前を知ってるんだ? 幾分冷静になってきた僕の頭が、そんな他愛無い疑問を抱えた。

 

「でも鳳翔さん、なんで僕の名前をご存知なんですか?」

「ああ、それは……」

 

 鳳翔さんが何かを言いかけたその時……今度は、ロドニーさんと同じ清掃会社の制服を着た、長い黒髪の女性がやってきた。その人は右手で夕食が乗ったお盆を持ち、左手で大きなお櫃を抱え、とてもキレイな姿勢で、僕と鳳翔さんの前で笑顔で立っている。

 

「鳳翔さん、相席してよろしいですか?」

「ああ赤城。……智久さん、よろしいですか?」

「……」

 

 ……なんという天使の賛美歌……ああ……大好きな人の声で聞く『智久さん』という言葉が、こんなにも美しい音色だとは……

 

「智久さん?」

「……おわッ!? すみません!! どうぞどうぞ!!」

 

 危ない……まさか鳳翔さんの声に本気で感動していたなんてことは口に出せず……僕の言葉を受けたその女性……赤城さんは、『ありがとうございます』とお礼を口にした後、おぼんをテーブルに置き、お櫃を向かいに置いて、鳳翔さんの隣りに座る。そして座るなり……

 

「あなたが普賢院智久さんですか」

 

 と言いながら、僕の顔を見た。この人も僕の名前を知っている? なんでだ?

 

「あなたも僕の名前をご存知なんですか?」

「ええ。仕事仲間と共に、いつもあなたの大学に行ってるんですよ。清掃員の赤城です」

 

 赤城さんはそういい、手を合わせて『いただきます』をすると、実に美味しそうにお味噌汁をすすり、ご飯をぱくぱくと口に運び始めた。

 

 そんな美味しそうにごほんを頬張る赤城さんの制服をよく見る。ロドニーさんと同じ制服ということは、この人とロドニーさんは仕事仲間ということになる。僕の名前を知っているのは、ロドニーさんがこの人に僕の名前を教えたからか。

 

「てことは、赤城さんの仕事仲間って、ロドニーさんなんですか?」

「ええ。いつもあなたの話を聞かせてくれます。今日も『普賢院智久めッ!! またも私の挑戦を受けないのかッ!!』てぷんすかしながら言ってました」

「うへぇ〜……」

 

 ロドニーさんは僕の仕打ちに毎度怒り心頭のようだ。今日も大学の清掃の仕事のあと、怒りのあまり、おやつのりんごをまるごと一個、握りつぶしていたらしい。明日会うのが恐ろしい……。

 

「彼女はバトルジャンキーなんです。許してあげて下さい」

「はぁ……」

 

 と、赤城さんはフォローになってるのかいまいちよく分からないフォローを入れる。そういえばロドニーさんは元艦娘って話だし、戦い大好きな人ってのも、きっといるんだろう。なんだか少年マンガみたいな人だな。ちっこいのに。

 

 そして恐ろしいことに、赤城さんはお櫃のご飯をまるまる平らげようとしていた。

 

「でもそんな彼女でも、鳳翔さんには勝てないですけどね」

「ちょっと赤城……やめなさい……」

 

 ぁあそういえば、鳳翔さんも元艦娘だもんな……てことは、かつては鳳翔さんも戦ってたってことだよね。こんなに朗らかで優しそうな彼女からは想像できないけれど。

 

「それはそうと鳳翔さん、今度の店舗対抗運動会ですが……」

「ああ、うちは出場できる子が少ないんですよね……」

 

 幾分みんなの食事が進んだところで、鳳翔さんと赤城さんの間で、運動会の話が始まった。僕は何のことかよく分からないけれど、二人の話につい聞き入ってしまう。

 

 そんな僕の様子に気付いたのか、鳳翔さんが僕の方を見た。

 

「ぁあ智久さん、わからない話をしてしまってすみません」

「ぁあ、いいんです! でも部外者の僕が聞いても良い話なんですか?」

「それは大丈夫です。機密ってわけでもないですし」

 

 お櫃三杯目に突入しはじめた赤城さんの言によると……今度の日曜日、系列店舗対抗の運動会があるそうな。その系列店舗ってのが、鳳翔さんが所属する『東海道鎮守府食堂』、ロドニーさんと赤城さんの『ビッグセブンクリーン・一航戦』、そしてピザ屋さんの『Pizza集積地』、パソコン教室の『大淀パソコンスクール』だそうで。なんだかバラエティに富んだ店舗展開をしてるんだなぁ……。

 

 ところが、ここで問題がひとつ。他の店舗に比べ、鳳翔さんの『東海道鎮守府食堂』は運動会に出られる人員がとても少ないらしい。

 

 特に問題なのが、店舗対抗剣術トーナメントだそうで。この食堂には、そのトーナメントに出られる、剣道経験者がいないそうだ。

 

「だから頭を抱えてるんです」

「そうなんですか……」

「私も弓には自信があるんですが……剣となると、全然経験ないですし……」

 

 僕の向かいに座る鳳翔さんが、そう言って表情を曇らせた。お味噌汁をすすろうと少し俯いたのだが、それが僕には、酷く落ち込んでいるように見えた。

 

 ……僕はここで、ある葛藤を抱えた。僕は剣道の経験がある。だから、もし鳳翔さんがそれを許可してくれるのであれば、僕が食堂代表でその大会に出場することも可能だ。

 

 だけど僕の心が、それにブレーキをかける。僕は、剣道の経験があるというだけで、別段強いというわけではない。そんな僕だから、きっと大会に出ても、一回戦を突破することすら出来ないだろう。鳳翔さんの前で無様な姿を見せるのは、どうなんだ……

 

 それに、もし僕が出場して一回戦で負けたら……鳳翔さんに迷惑がかかるんじゃないだろうか……そんな心配事が頭を駆け巡る。『僕、剣道出来ますよ』と言いたくなっていた気持ちは、急激に小さくなり、胸の奥底に引っ込んでいった。

 

「ああそういえば!」

 

 三つ目のお櫃を空にし、今は美味しそうにお茶をすすってる赤城さんが、手をポンと鳴らした。その輝く瞳は、まっすぐに僕を見ている。そういえばこの人は、ロドニーさんと仕事仲間だ。ひょっとして、僕が剣道をしていたのを知っているのだろうか。

 

「普賢院さんは剣道の心得があるらしいじゃないですか!」

「はい……ありますが……」

 

 心持ち、鳳翔さんの顔がパアッと明るくなったような……次の瞬間、鳳翔さんは持っていたお箸とお椀をテーブルに置いて、手を膝に置き、真剣な眼差しで、まっすぐに僕を見た。

 

「もしよかったら、食堂代表として出場していただけませんか?」

「ぼ、僕がですか……? でも僕、弱い……ですよ?」

「真剣勝負じゃないですから。ホントに、ただのお遊びみたいなものですから」

 

 んー……ほんとはここで『はい出ます』って言いたいんだけど……でも鳳翔さんの前で、みっともない姿を晒すわけには……そして鳳翔さんに、ご迷惑をおかけするわけには……!!

 

「……すみません。自信、ないです……」

「そうですか……まぁ、無理強いは出来ませんし……」

 

 あれだけパアッと輝いていた、鳳翔さんの笑顔がくすむ。輝きを失った鳳翔さんの眼差しが、僕の胸にぐさりと刺さった。うう……こんなことなら、もっとちゃんと剣道に打ち込んでおけばよかった……ずっと続けておけばよかった……そうしておけば、今、自信を持って『やりますっ』て言えるのに……。

 

「……ごめんなさい」

「いや、こちらこそすみません。無理なお願いをしてしまって」

 

 頭を下げる僕に対し、ちょっと困ったような苦笑いを浮かべる鳳翔さん。彼女の悩みの種は未だ消えず……僕の胸に、罪悪感が広がっていく。

 

「ぁあ赤城。当日ですけど、なにかリクエストはあります?」

「リクエストですか?」

 

 ここで僕は、自分自身が、実は思った以上にゲンキンな性格であるということを、生まれて初めて自覚した。たとえ気が乗らない頼まれごとであっても、対価があれば、意外とすんなりと受け入れる……まさかそんな、俗物的な性格をしているとは、思ってもみなかった。

 

「お弁当です。みなさんの分の昼食を準備しようかなと」

「お弁当!? 運動会の時のですか!?」

「はい。そのためにお重も準備してありますし」

「胸が踊ります! えーっとですね……ちょっと待って下さい……」

 

 『鳳翔さんのお弁当』その魅惑の単語が僕の心にじんわりと染み込んでいく。そしてそれは、僕の意識外のところで、僕の口を操り始めた。

 

「あの、鳳翔さん」

「はい?」

「……すみません。さっきの、訂正します。鳳翔さんのお力に、ならせて下さい」

「へ……?」

 

 鳳翔さんがぽかんとした表情を僕に向けた。多分、僕も同じ表情を浮かべてる。僕が口走った言葉に、僕自身、驚いてるんだから。

 

「つまり……」

「はぁ……」

 

 頭が少しだけ冷静になる。僕の冷静な頭は『それ以上言うなっ』てブレーキをかけるけど、一度言ってしまった言葉は、もう取り返しがつかない。それに、僕の無意識が、僕の口を操り続ける。僕の意識は、それを止めることができなかった。

 

「食堂代表で、剣術大会に出ます」

 

 言ってしまった……もう後戻りは出来ないぞ……どうするんだこれ……

 

「ほんとですか!?」

 

 ほら……鳳翔さん、満面の笑顔になっちゃったじゃないか……もう引き返せない……

 

「ありがとうございます! ありがとうございます智久さん!!」

 

 ほんとに、花開いたようにパアッと明るい表情を見せた鳳翔さんは、僕の右手を両手で取って、力強くギュッと握ってくれた。毎日食堂での仕事を頑張っている鳳翔さんの手は、けっしてすべすべではないけれど……。

 

「い、いやあのっ! でも僕弱いですよ!?」

「強い弱いではありません! 出場できることが……出場してくれることがうれしいんですっ!!」

「き、期待しないでくださいよ!?」

「結果なんていいんですっ! ありがとう智久さん! ありがとう!!」

 

 僕の手を包み込む鳳翔さんの手は、さらさらと心地よく、あたたかい。

 

 そして、鳳翔さんの手の心地よさに負けないぐらいに、鳳翔さんの嬉しそうな微笑みはあたたかくて、僕の胸は心地いいぬくもりでいっぱいになった。。

 

「ちなみにロドニーさんは出るんですか? 他の店舗の方は強いんですか?」

 

 フと湧いた疑問。もし彼女が出る場合は、ただでさえ低い優勝の可能性が、さらにゼロに近くなってしまうのだが……僕は、今隣で必死にお弁当のリクエストを思案している赤城さんに問いただしてみることにする。いわゆる開戦前の情報収集というやつだ。

 

「出ますよ。普賢院さんが出るとわかれば、彼女も燃えるでしょうね」

「出るんですね……ずーん……」

「他には……『大淀パソコンスクール』は、艦娘ではない方が出場されるんだとか。なんでも、剣に相当な自信がある方らしいです。いろんな戦士との野良試合を経験されている方とか」

「うう……優勝が遠のきます……」

「『Pizza集積地』からは、元深海棲艦の姫クラスの方が出場されます」

 

 うう……これでは可能性はゼロじゃないか……出場する以上、鳳翔さんの前で無様な試合なんて見せられないのに……

 

「智久さん! 結果じゃないです! あなたの心意気に感謝します!」

「は、はひ……」

 

 鳳翔さんはそういって、とてもうれしそうに僕の手を力強く握ってくれるけれど……やっぱり、多少は結果がほしいよね……特に、好きな人の前でだと。

 

 ……しばらく、剣道部で稽古させてもらおうかな……。

 

 

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