シュバルツバースでシヴィライゼーション   作:ヘルシェイク三郎

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シュバルツバースで対峙と発覚

「ねえ。ちょっと、ヤマダ! 外の様子はどうなってるの!? やっぱり、かなりやばい感じ?」

「うーん……、とりあえずはうじゃうじゃいますねえ」

 草の蔓がこびりついた"箱庭"の扉に耳をぺたりとつけ、焦れったそうに腕を振り回し問いかけてくるトラちゃんさんに答えながら、扉の隙間から外を窺う小生は、胸に渦巻く不可解な感情にただただ困惑していた。

 

 今、小生を含んだ"箱庭の住人"たちは不意の来訪者を出迎えるため、"箱庭"の入り口前に代表者を立たせている。

 そう、この来訪は全くの突然であった。

 ミトラス宮殿という死地から帰還したリーダーたちによれば、来訪者たる"彼女"たちは一度宮殿内で再会できた後に身命を賭して救出に現れたリーダーたちを振り払い、「これからやるべきことが、知るべきことがある」と呟き、"天使"たちと共に何処かへ姿をくらませてしまっていたらしい。この時、"彼女"らに親近感を持っていた1名のチームメイトも勝手についていってしまったそうで、無事に"箱庭"へと帰ってきた救出班はたったの3名だけだった。

 決死の努力を無碍にされた彼らの、特に責任感の強いリーダーの失望たるや、想像を絶するものであったに違いあるまい。

 少なくとも帰還直後の彼の顔つきは、まるで死人のように憔悴しきっていた。

 今は戦死者の浄化と葬儀を終え、十分な食事と安全な睡眠をとったためか人並みな受け答えをすることができているが、時折見せる陰の濃さが刻まれた傷跡の深さを教えてくれる。

 故に。

 小生らは今回の来訪者に対して、最大限の警戒心をもって接することを皆で肝に銘じていた。

 

 こちら側の代表として扉の前に立っているのは、完全武装したリーダーと強面、そして"ギガンティック"の青年の3人に、その仲魔たちだ。

 また、交渉役としては観測班の要職にあるという関係上、フランケン班長がそれを務めている。

 それ以外の面々は、艦内における階級の低さが場をいたずらにかき乱す恐れがあったことから、矢面に立つことを免除されていた。

 勿論、重責を担わずに済んで喜んでいる住人などいようはずがない。

 ヒスパニックは「またぞろ面倒ごとがやってきた」という表情を小生らの傍らであからさまに浮かべているし、ドクターたちは今後の行く末を、固唾を呑んで見守っていた。

 "リリム"もまた心配そうに胸に手を当てており、双つの丘が少し歪んでいる。

 

「あちらの陣容はどんな感じなの?」

「あー、ええとですね。"エルブス"号の責任者お歴々や同僚たちが20人近くに、天使が30か40体くらい……、ですかねえ」

 そう返しつつ、小生は扉の隙間から見える景色を右から左へと見回していく。

 そこには先の襲撃で廃墟と化した歓楽街を背景に、こちらと向かい合うようにして2週間近くご無沙汰であった同僚たちの涼しげな顔が揃っていた。

 小生にとっては直属の上司となるインフラ班の班長に、動力班や通信班、機動班の班長……。"外様"などは一人もおらずに役持ちの隊員がずらりと並ぶ中で勝ち気そうな白人女性が微笑んでいる。

 忘れもしない、"エルブス"号の艦長だ。

 

「あ。後、ゼレーニン中尉もあっちにいます。肩に金色の小鳥――、"スパルナ"が乗っかってますから、分かりやすいですね」

「へ!? 何であの子があっちにいるのよっ!」

 トラちゃんさんがまさかの事態に悲鳴をあげるが、小生は彼女が想像しているであろう可能性を即座に否定した。

 

「あー、いや。あれは艦長たちの帰還に巻き込まれただけっぽいですよ。だって、ものすごく浮いてます」

 中尉は、端から見ていて可哀想になるくらいにおろおろと狼狽えてしまっていた。

 彼女の気持ちは小生にも大変よく分かる。

 悲願した仲間たちの合流にようやく立ち会えたというのに、気づけば二極に分かれた睨み合いの始まりだ。

 もし、あの中に小生が巻き込まれていたらと考えると、想像するだけでしくしくと胃腸が痛みを訴え出す。

 

「じゃあ、あの子がアタシと対立するなんてことはないの?」

「その言葉、彼女が聞いたら悲しみますよ。まあ、普通にタイミングの問題だと思います。少し離れた位置にタダノ君やヒメネス隊員たちが待機しているんですよね。状況的に考えたら、根元の蘇生処置を済ませて"箱庭"へ帰ろうとした道中にばったりと出くわしてしまったというのが真相じゃあないでしょうか? その根元の姿が見えないのが気になりますけど……」

「そ、そう? なら良かった……」

 ほっと胸を撫で下ろすトラちゃんさんを後目に、小生は何度も瞬きし、上司たちのさらに後ろへと目をやった。

 

「うーん……」

 そこには羽根の生えた"天使"、"天使"、"天使"……、強そうなのから、偉そうなのや、エロそうなのまで……。いや、エロは関係なかった。とにかく、沢山の"天使"たちが控えている。

 小生の胸に渦巻く不可解な感情が深まった。

 はっきり言って、これまでに培ってきた両者の関係はお世辞にも良好なものとは言い難い。

 仮に"箱庭"の防衛戦時に援軍を寄越してくれたことを好意的に見たとしても、それ以外の局面におけるマイナス印象が大きすぎるのである。

 現に"箱庭の住人"たちは"天使"に対して不信の念を皆が多かれ少なかれ抱いていた。当然だ。むしろ小生だってそうあってしかるべきなのである。

 ……だというのに、一体何故だろうか?

 小生は彼らのほとんどに向けて、かけらも悪感情を抱けずにいた。

 

 一番数のいるエロそうな"天使"たちに対しても、剣や杖を持った"天使"たちに対しても、数が少ないが前面に出ている"パワー"たちに対しても、ご近所さんに向けるべき感情しか生まれてこないのだ。

 唯一の例外は――これも困惑の種なのだが――集団の後ろで事の成り行きを悠然と見守っている、見るからに上位の"天使"であった。

 大柄で白いハーフマスクを被った胡散臭そうな風体の男性天使。

 彼を見ていると何というか……、得体の知れぬ苛立ちが次々に湧いてきてしまうのである。

 

 

 ――何で一人だけ黒い羽根なのですか? しかも、よりによって黒。浮いてるじゃないですか。羽根で飛んでいるだけに。協調性というものを学びなさい。

 その目隠しは何なのですか? 面と向かって人と語らいたいのならば、面で顔を隠さずにまず素顔をさらしなさい。

 というか、一昔前のジャパニーズコミックスに登場する悪役顔そのものではありませんか。容貌で善悪を語ることは悪しきことではありますが、とにかくイライラするので身だしなみには気を使いなさい。手始めにヴィダルサスーン。

 

 

「……何でヴィダルサスーン?」

 小生は頭を抱えた。

 脈絡のない自らの思考に、ただただ混乱する。実はヴィダルサスーンはイタズラしたい小悪魔な髪質にぴったりで、たまには無垢な天使とのちょっとした対比を。いや、一体何を考えているんだ小生は。そんなフェミニンな知識が小生の中にあることがびっくりだった。

 

「どうしたの? ヤマダ」

「いや、自分の頭がちょっと信じられなくなりまして……」

「ちょっと、大丈夫? お野菜の若葉食べる?」

「あっはい、いただきます……」

 もっしゃもっしゃと草of草な何らかの作物を食べながらそんなやりとりを交わしていると、"箱庭"の外でリーダーが事態の趨勢を見極めるべく、警戒した様子で口を開いた。

 

「……ウェルカム、"エルブス"クルー。だが、そこより先に進むのはご勘弁願いたい。用向きはここで伺おう」

 その言葉に小生直属の上司や機動班の班長がぴくりと眉を持ち上げる。

 特に機動班の班長は不機嫌を隠そうともせずに「仲間に向かって、何だその態度は!」と威嚇するように進み出ようとした。それを、

 

「……お止めなさい。彼らに警戒心を抱かせてしまった、ワタシたちにも責任があります」

 微笑みを絶やさぬ艦長が彼を制止する。

 正直、今のはかなり危ういと思える場面だった。現在、"ギガンティック"の青年はマシンガンの持ち手を握りしめていつでも構えられる状態を保っている。もし仮に機動班班長が警告を無視して踏み出していれば、青年は躊躇せず彼に銃口を向けていたはずだ。

 そして、それは両者の関係を徹底的に破壊せしめてしまったことだろう。

 破綻を未然に防いだことから、艦長の行動はこちらにとってもファインプレーであったと評さざるを得ない。だが、同時にこうも思うのだ。

 この人、こんな余裕綽々な態度をいつもとっていたっけ……? と。

 小生の知る彼女は、今のような無礼を決して見逃さない。以前の彼女ならこちらの無礼に対して烈火のごとく怒り狂い、小一時間の説教モードに入っていたはずだ。

 一体彼女はどんな心境で無礼を受け流したのだろうか。心境の変化? それとも何か心に拠り所でもあるのか?

 彼女は両の手を合わせて、柔らかい口調で語りかけてきた。

 

「……アナタたちが無事のようで何よりです」

「そちらも壮健そうで何よりだ。もっとも、そちらの無事は先日に確認しているが。で、用向きは?」

 リーダーが鉄面皮のままにそう返した。端で見ている小生の方が縮み上がってしまうほどに冷えた声色をしている。

 今のやりとりで分かったことだが、リーダーは彼女らを完全に見切ってしまっているようだ。つまり身内でなく、赤の他人を相手にするように扱っている。

 その声色から窺える感情は、静かな怒りと不信であった。

 彼の失望を間近で見ていたからこそ、人間同士でこのような状況に陥ってしまったことを悲しく思ってしまう。

 リーダーがさらに言葉を紡ぐ。

 

「現在、シュバルツバース調査隊は緊急事態につき全ての指揮機能を"レッドスプライト"号の作戦班と司令コマンドに集約させている。我々は例外的に局外機関を組織しているが、それは完全なる自立を意味していない。基本的な隊全体の意思決定はあくまでも"レッドスプライト"クルーに委ねられているというのが現状だ。よって、あなた方とこれ以上の交渉を行うことはできないと考えてくれ。人権規約に定められたあなた方の基本的人権は尊重しよう。だが、我々は歩み寄れない。歩み寄るつもりもない」

 リーダーのおざなりな対応に、あちら側の隊員たちが一斉に目つきを険しいものにした。が、それはすぐさま明確な敵意に変わるほどではない。

 ひょっとすると、リーダーの予防線が効いているのだろうか? 彼は今の発言の中に、"レッドスプライト"号との密接な関係を匂わせた。こちらには戦力の整った味方がいるのだぞ、と暗に牽制しているわけだ。

 また、正しい手続きを取っているという体裁もここで効果的に働いている。組織人にとって、上司という理不尽に対抗できる唯一の手段が"上司より優位の原則論"であるからだ。

 事実、彼女らはリーダーの無礼を咎められずにいた。

 

「成る程。では、ワタシたちもこれより原隊に復帰いたしましょう。これで再び仲間ですね?」

「それを決めるのは"レッドスプライト"号のコントロールであり、我々ではない」

「……その理屈はどうなのでしょうか? そもそも調査隊の総責任者であるゴア隊長は既に殉職なさったと聞きました。ならば、"レッドスプライト"号を運営しているのはワタシよりも階級が下の隊員たちだけのはずですね。彼らには他艦の命令系統に影響を及ぼせるほどの権限はなかったはずですよ」

 リーダーがかすかに俯いた。あれは恐らく、艦長の反論に理を感じたせいではないだろう。

 彼は事あるごとにゴア隊長の言葉を持ち出すほどに、隊長の人柄を慕っていた。その死という事実を改めて突きつけられれば、あのような反応をしたっておかしくはない。

 リーダーが押し黙った代わりというわけではないだろうが、フランケン班長が彼に続いて手を挙げた。

 

「あー、ちょっと良いですかね?」

「どうしました? フランケンシュタイン班長。聞きましょう」

「いや、僕はこういう腹の探り合いみたいな無駄な接触が嫌いなんです。お互いにはっきりさせましょうよ。ぶっちゃけ、貴女たちは何が欲しいんです?」

 理系脳の身も蓋もない発言に、周囲の空気が凍り付いた。おい、誰だあの人を代表に立たせたのは。小生たちだ。何も言えねえ。

 艦長はにっこり微笑み、諸手を広げてフランケン班長に答えた。

 

「……予期せぬ"悪魔"どもの襲撃により、隊員たちの中から多くの痛ましき被害が出てしまいました」

 言って彼女は戦死者に祈りを捧げるポーズを取り、さらに続ける。

 

「けれども、こうして私たちは生き残っています。悲しんでいる暇はありません。これからが反撃の時です。善き魂による導きを得た今、人々は共に手を取り合い、人類社会の未来のためにもシュバルツバース内にはびこる"悪魔"どもを討ち滅ぼしましょう。聖戦を行うのです」

 彼女の演説を脳内で噛み砕きながら、小生は角の立たぬ着地点を探していく。

 今のところを聞いた限りでは、対"悪魔"戦線における共闘態勢を取るところまでは妥協できそうだ。

 フランケン班長がさらに問う。

 

「それ、答えになっていませんよね? 結局、僕たちに何を望むんです?」

「ワタシたちの指揮下に入ることと、アナタたちが"悪魔"を利用して作り出した空間の供与を命じます」

 あ、そこに辿り着くのか。

 

「ちょ、ちょっとヤマダ! 何か聞き捨てならない発言が外から聞こえたんですけど!! アタシのマッスルパンチを解禁する時が来たんじゃないの!?」

「多分気のせいです。だって、ここに"悪魔"が作った空間なんてないですよ。トラちゃんさんは女神ですし」

「ん? んー? 確かに? その通りね?」

 ここで話をややこしくしては折角の話し合いが無駄になるため、とりあえずいきりたつトラちゃんさんを煙に巻いたが、艦長らの要求は小生等にとってちょっと受け入れ難い内容であった。

 フランケン班長もまた首を傾げる。

 

「つまり、貴女が元の鞘に収まって"エルブス"クルーの総指揮を執るということですか。ちなみに合流後におけるこちらの"悪魔"の取り扱いと、"レッドスプライト"号との接し方についてお伺いしても?」

「"悪魔"については、我々と共に正しき道を歩むのならばこれを許し、そうでないのならば浄化いたします。同胞に関しては、元の階級に準じて接するつもりですが」

 うーん……。こうして話を聞く限り、どうやら彼女は全てにおいて主導権は自分たちで持つことを念頭に置いているようだ。

 しかし、これは正直無理筋の要求だった。

 班長も難色を示しつつ、その論拠を列挙していく。

 

「はっきり言って受け入れ難いと言わざるを得ません。まず、僕らは"悪魔"たちを支配しているわけではなく、ただ協力・共生関係を結んでいるだけなのです。頭ごなしに彼らに言うことを聞かせることなんてできませんよ」

「善き魂の導きを払いのけ、"悪魔"の誘いに耳を傾けるなど悪しき行いですよ?」

「善悪とかいう、そういう形のない論に興味ないんです。すいません」

 班長の身も蓋もないぶったぎりに、艦長の頬がぴくりとひきつった。

 

「……ならば、"天使"の力に縋るより他にありませんね。アナタたちの心を改めるには、"悪魔"の力が信用ならぬものであることを知らしめる必要があるようです」

 これは恐らく多分に恫喝を含んだ発言であったが、班長は言葉の裏に気づかなかったようで、我が意を得たりと語気を強めた。

 

「あー。そこなんですよね。"天使"が信用できて、"悪魔"が信用できない――。そもそも、この論理が現時点で破綻しているんですよ。だって……」

「――"天使"サマとやらはオレの仲間が"悪魔"どもに食われている時、"こいつら"と違って決して助けちゃくれなかった。それが全てだよ、こん畜生め」

 口を挟んだのは"ギガンティック"の青年だった。

 彼はマシンガンの銃口を艦長に向け、挑発的な笑みを浮かべる。

 

「……もうこの茶番、ヤメにしないか? 意味ねえだろ。オレたちはこいつらを信用できない。なら、言うべきことはたったの一つだ。おととい来やがれ(キス・マイ・アス)ってさ」

 その言葉に"天使"側に立った機動班や"天使"が一斉に身構え、"レッドスプライト"勢もまた巻き込まれまいと仲魔を召還した。

 共有していた通信回線を通じて、ヒメネス隊員の押し殺した笑い声が聞こえてくる。

 

『……おい、ヒトナリ。付くなら勿論"箱庭"の連中だよな? 今のは傑作だった。オレも"ギガンティック"のアイツと同感だね』

『待て。そもそもこのセクターの魔王がまだ健在な中、人間同士で争っている場合じゃない』

 ここはタダノ君の言う通りだった。

 断言できることだが、ここで両者の間に戦端が開かれたとして、得をするのはこの歓楽街の魔王だけだ。

 

 例えば、先ほど"ギガンティック"の青年も指摘していたことだが、何故"悪魔"の襲撃を受けている小生ら調査隊の人間たちを"天使"たちはすぐさまに助けようとしなかったのか? タイミングさえ間違えなければ、このように不信感を抱かれることもなかったはずだ。

 例えば、何故"悪魔"たちへの反撃を謳いながら、今になるまでその動きを見せなかったのか? 善き魂が"悪魔"に打ち勝てるほど強いものならば、今頃この歓楽街は"天使"勢が席巻しているか、最低でも一定の勢力圏を確立しているはずだろう。

 今までの経緯から浮き彫りになる事実は、"天使"側の準備不足と力不足だった。

 故に、何故ここで小生らに無茶な要求を突きつけ、わざわざ敵の敵を敵に回しかねない愚を犯しているのかが分からない。一体、何が狙いなのか?

 

「よし、トラちゃん軍も突撃よ!」と"天使"相手にカチコミをかけようとするトラちゃんさんの額を押さえつつ、小生は必死に考えを巡らせる。

 

「トラちゃんさん。"天使"ってそんなに強いんですか?」

「え、藪から棒にどうしたの? えっと……。弱いのから強いのまでいるわよ。でも面倒くささはあんまり変わらないかも」

「ふわっとした物差しじゃなくて。何かちゃんとした指標が欲しいんですよね。例えば、先日にやってきた"パワー"はこちらの仲魔を基準にすると、どれくらいの強さなんです?」

「"天使"の中では中位から下位、かしらねえ……。うちで言うなら、カンバリと同等くらい?」

 って何でそんな質問を? という顔をしている彼女には答えを返さず、小生は黙して思案する。

 成る程、こうして聞く限りにおいて外を取り囲む"天使"たちは少なくとも小生らよりは戦力的に充実しているようだ。こうして小生らに対して居丈高に接してくる理由も分かるといえば、分かる。ならば、

 

「質問を変えます。彼らはここの魔王勢を討ち滅ぼせるほど戦力を持っていると思いますか?」

「んっと。無理だと思う。そもそも地球の浄化が始まっちゃった今の状況って、もう"天使"たちにとっては負け戦みたいなものだからね。やるにしたって、アタシみたくワンチャン狙うしかないんじゃない?」

「へ、負け戦ですか?」

「だって、もうこの宇宙にあいつらの親玉は存在しないもの」

 彼女の見解に引っかかるものを覚え、きょとんとしたところに道頓堀から声が聞こえてきた。

 

『初手クソ立地からワンチャン餌場へ遠征の、ゲルマン民族大移動感よ』

『それな、知らんけど』

『【悲報】ワイの周り全部クソ【餌場何処】』

 そういうことか、とにわかに目の前の霧が晴れていった。

 今までにあった不可解な点が、すべて線に繋がっていく。

 

「……トラちゃんさん。後もう一つだけ確認させてください。それさえ分かれば、多分落としどころが見えてきます」

「ということは討って出るのね! それで聞きたいことってなあに?」

「トラちゃんさんって、"天使"たちに舐められてません?」

 言った途端、トラちゃんさんの眉間に深い渓谷が刻まれた。

 

 

「……ああ。こやつは確かに"天使"どもに舐められておるなあ」

「というよりも、異界でトラソルテオトルと言えば、その神格の高さに反して全戦全敗で有名な女神ですからね」

 トラちゃんさんが口答えするより先に口を挟んできたのは、カンバリ様とディオニュソスさんだ。

「アンタたち、言わせておけば!」

 ときゃんきゃん甲高い怒声をあげてトラちゃんさんが二柱に掴みかかろうとしているところを羽交い締めに制止しつつ、小生は彼らを問いつめる。

 

「はーなーしーてー!」

「ちょっとお静かに……。んっと、どういうことです?」

「わしらの知る限り、こやつに直接帰依する信者は基本全てがさくっと征服されておるんじゃよ」

「んん? トラちゃんさんは中米の女神様ですよね。となるとアステカ帝国のことだと思うんですが、それ以外にも……?」

 うろ覚えの世界史知識でそう言うと、トラちゃんさんがぶんぶんと首を振りつつ、こちらを見た。

 

「アステカの連中はどうでもいいのよ! アタシの子はワシュテカの民とかそっちの子たち!!」

「んんん??」

 ちょっと言ってることが良く分からなかったため、頭上に疑問符を飛ばしていると、ヒスパニックの青年が合点したとばかりにポンと手を叩いた。

 

「確か、ベラクルスの穀倉地帯に住んでいる先住民族だ。今もピラミッドとか残ってますよね。アステカに征服されたんでしたっけ」

 ヒスパニックの言葉にトラちゃんさんは大きく頷き、小生の羽交い締めから脱出しては身振り手振りに地団駄を踏みにといきり立つ。

 

「そうよ! ワシュテカの民にとって、アタシはトウモロコシや綿の花の成長を見守るカッコカワイイ水の女王だったはずなの。なのに、ワシュテカを滅ぼして、アタシを娼婦と愛欲の女神に変えたのがアステカの連中……。だから、アタシはあいつらが嫌いだったし、何時か病で滅んじゃえって呪いもしたわ! もうちょっと大自然に近い役割をよこしなさいよ!」

「お、おおう」

 彼女の怒りようたるや、ちょっと抑え難い程であった。

 

「それでアステカを呪いで滅ぼしたは良いものの、まんまと土地と信仰を"天使"どもに奪われたりしとったら世話ないのう」

「そもそも貴女。一時期、下っ端の"天使"として働いてませんでした? 奴らの口車に乗せられて」

「別宇宙でも大抵はすぐ滅ぼされておったしなあ」

『【悲報】ワイ将餌場だった』

「ちょっとアンタたちは口を閉じてっ!!!」

 てんやわやになった場を半ば放置し、小生は思索を深めていく。

 ――自分たちよりも強大な敵の存在。

 ――トラちゃんさんの評価の低さ。

 ――トラちゃんさんの脳筋……、じゃなくて素朴な思考能力。

 ――そして彼らの不意打ちにも似た来訪……。

 

「あー」

 ……多分、"天使"たちの狙いは読めた。もしかすると、血を流さずに場を収めることもできるかもしれない。ただ、そのためにはこちら側が侮り難いという印象を、あちらさんに植え付けなければならないのだが――。

 どうしたものかと意識を外へと向けた直後、まるで天佑かと見紛うタイミングで状況に変化が訪れた。

 今までただ困惑し、静観するだけであったゼレーニン中尉が癇癪を起こすように叫んだのである。

 

「もう、人間同士で……。いい加減にして頂戴!! スパルナッッ!」

 彼女の叫びに、金色の小鳥がクエっと応えて羽ばたいた。

 羽ばたきする度に小鳥の体が膨らんでいき、人よりも大きく、熊よりも大きく……、やがて怪獣を思わせる大きさにまで巨大化し、中尉の体を宙に軽々と持ち上げた。

 彼女はひとっ飛びに"天使"勢と"箱庭"勢の間へと降り立ち、そのまま左腕のハンドヘルドコンピュータを操作する。

 

「来て頂戴、ネモ!!」

 "悪魔召喚プログラム"を起動させたのだ。

 地面に描き出される青い魔法陣。くるくると回るその中心部から勢い良く水飛沫が舞い上がる。

 続いて、あれは麦だろうか――? まっすぐと伸びる茎や葉が、無数により集まって人の形を成していく。

 現れたのは麦穂の冠を被った、逞しい青年であった。

 彼女はそれをネモと呼んだが、小生の知る以前の姿形とは明らかに違う。

 自動的にデモニカの悪魔解析プログラムが走り、モニターに判明した情報を表示していく。

 

 龍神"パトリムパス"――。

 

 隊共有の悪魔全書が、現れた"悪魔"を周囲の人外生命体と比しても決して引けを取らぬ存在であると教えてくれた。

 

「おう。ティータイムか? 付き合うぜ、ゼレちゃん!」

 "パトリムパス"が快活に笑う。その口調は小生の知る根元のそれだ。もしや"悪魔合体"に手を出したのか? だが、中尉は倫理的に問題があるとして、合体を忌避していたはずだ。こちらの知らぬ間に色々な出来事があったのだろう。

 中尉は"パトリムパス"こと根元に待機を命じ、辺りに向けて叱責した。

 

「今はそんな風に争っている場合じゃないでしょう! お互いに理性をもって話し合いなさいっ」

 その凛とした声に、"箱庭"の面々がきょとんと固まり、完全にやる気になっていた"天使"たちもまた、勢い余ってたたらを踏む。

 ――これだ。

 このハプニングを生かさずして、血を流さずに済む落着はない。

 小生は"箱庭"独自の共有回線を開き、外に出ている面々へ向けて通信を飛ばした。

 

『ゼレーニン中尉、リーダー。そのまま戦闘態勢を解かずにいてください』

『ヤマダさんっ? えっ、わ、分かったわ』

『だが、何か策があるのか? 今は何とか牽制できているが、戦闘になれば正直我々に勝ち目はないぞ』

『大丈夫です。戦闘には絶対発展しません(・・・・・・・・)

 小生の断言に、外で"天使"たちと接触していた面々が揃って息を呑んだ。

 

『……ここはヤマダ隊員を信じてみることにしよう。総員、警戒を怠るな』

了解(ラジャー)。ヤマダに拾われた命だ、オレは特に反対もしねえよ』

『それにしちゃ、喧嘩っ早すぎだ。少しは自重しろ、"エース"』

『へいへい』

 強面と"ギガンティック"の青年が軽口を叩く中、じりじりと時間だけが過ぎていく。

 焦りが募っていき、傍らのドクターたちが小生を押し出す勢いで扉の隙間から顔を出す。トラちゃんさんはマッスルパンチの振るいどころを求めていたので、とりあえず静かにお野菜の若葉を食べていてもらうようにお願いした。彼女のマッスルパンチ推しはいったい何なんだろう……。

 あちら側の人間たちも焦りを募らせているようで、しきりに"天使"たちを窺っている。が、動きを見せる素振りはない。 

 小生の予想通り、"天使"側から戦闘を仕掛けるようなことはなかった。

 これは当然である。何せ、現状のあちらには十分なメリットを得られる見込みが立っていないのだから。

 

 要するに今までの居丈高な態度は、恫喝によって交渉を優位に進めようとする一種のレトリックであったのだ。

 恐らく、彼らはこちらの戦力についてかなりの精度で把握していることだろう。だが、こちらの心理的な余裕がいかほどなのかまでは分からなかったため、初手から恫喝に及んで、それを推し量ることにしたのである。

 その証拠に、恫喝を仕掛けてきたのはあくまでも"天使"側についた"人間"たちだけである。"天使"はそのやりとりをただ見続けているだけだった。

 

『典型的な善玉と悪玉を分けたロールプレイです。誰の発案かは分かりませんけど、多分次には"天使"のいずれかが仲裁役を買って出てくれますよ』

『ヤマダさん、ちょうど良いですから僕にも何か役割くれませんか? 戦闘要員じゃないと暇なんです』

『フランケン班長は偉そうにしててください。自信満々に』

『マッドサイエンティストのようにですか、分かりました!』

 と理系脳が諸手を広げ、機動班の後ろで不敵なポーズを取って薄笑いを浮かべた。何処からどう見てもボスキャラにしか見えないから、そのポーズはちょっとやめてほしい……。

 だが、そのあまりの圧力に何故か"天使"側の人間たちが勝手に気圧され始めたのに驚く。オイオイオイ、マジかよ。

 中尉による絶妙な叱責に、リーダーたちの確かな実力、そして理系脳の謎な威圧感が相乗効果を生み、場に漂う空気が見かけ上"箱庭"優勢に傾いた。

 これ以上は"天使"側も黙ってはいられまい。

 今までは軍勢の背後で静かに沈黙を保っていた上位の"天使"が口を開こうとするのが見えた。

 

『……来ます。心をしっかり持っていてください』

「……成る程、私たちには悲しい行き違いがあるようですね。ここは矛を収めるとしましょう」

 上位"天使"が艦長の隣へと進み出て、柔らかな声色で周囲に語りかける。

 一触即発の現状を、まるで少しも気にしていないかのような涼しげな表情を浮かべていた。

 余裕というより、表情を取り繕う術に長けているだけだろう。少なくとも彼は昔からそういう小賢しい"天使"だった。ん……?

 何か引っかかるものを感じながらも、その違和感は艦長の焦り声にかき消されてしまう。

 

「"天使"様! お待ちくださいっ。後もう少しだけこの私にお任せを……!」

「いえ、これ以上いたずらに時を費やしてしまうことはあまり良い判断とは言えないのです。我々には倒すべき悪が他にいるのですから。ね?」

 今のやりとりを見る限り、恫喝案は艦長たちの発案であったのかもしれない。多分、自分たちの有能さを。求心力のアピールを目的としていたのではないだろうか? 艦長の食い下がりようは、到底演技には思えなかった。

 対する"天使"の反応は涼しいものだ。元から、さほど期待もしていなかったのだろう。

 上位"天使"は朗らかに微笑み、警戒するリーダーたちをちらりと見た後、扉に隠れる小生らの方へと目を向けた。

 というか、明らかに小生のことを見ていた。やめてください、セクハラで訴えますよ。いや、その理屈はおかしい。まだ小生の頭は混乱から覚めていないようであった。

 

「貴方たちもどうか我々に顔を見せてはくれませんか? お互いに腹を割って話し合いましょう」

 どうしたものかと逡巡し、ドクターやヒスパニックと目で会話する。

 だが、大人しく出て行くかどうか吟味している暇などなかった。トラちゃんさんがいち早く飛び出してしまったからだ。

 

「――受けて立つわ! このトラソルテオトルの最強奥義、マッスルパンチの錆になりたいというなら、食らわせてあげようじゃむぐっ!?」

 慌てて彼女を追いかけて、暴走する前に手で口を塞ぐ。

「――っ、――っ!」

「いやいやいやいや! 離して、そいつぶっ倒せないじゃなくてですね!? 今、完全に戦わずに済むルート模索してたじゃないですかっ。ああ、もうっ」

 頭を抱えたくても手が塞がっているもどかしさに身じろぎしていると、上位"天使"がさも旧友に会ったかのような口振りで声をかけてきた。

 

「お久しぶりですね。女神"トラソルテオトル"。こうして滅びの地で再会できたことも主のお導きでしょう」

 口元だけは朗らかな笑みを見せる彼に対して、小生の戒めから抜け出したトラちゃんさんが敵意もあらわに声を荒げて言った。

「へぁっ! アタシはアンタとなんて会いたくなかったわよ! 言っとくけど、アンタたちがアタシを騙したことまだ忘れてないんだからね!」

「ふむ。我々が貴女を騙した、とは?」

「とぼけないで! 今まで通りベラクルスに生きる生命に祝福を与えたら、アタシの信仰を残してくれるって約束だったじゃない! それが何よっ。アタシ、ただの最下級天使(エンジェル)扱いじゃない!! 最低でも、ミカエル、ウリエル、トラソルテオトルくらいの立場を用意しなさいよ!!」

 彼女の言葉に小生は困惑する。

 いや、彼女が本当に"天使"陣営と付き合いがあったことに驚いたわけではなく、小生の中の何かが「ミカエル、ウリエル、トラソルテオトル」のくだりに大爆笑していたからだ。いや、そんな面白くなかったぞ。今の……。

 ひょっとして日々のストレスで二重人格でも患ってしまったのかしら……、と思い悩む一方で上位"天使"がわざとらしく手を叩いた。

 

「……どうやら契約に行き違いがあったようですね。お詫びと言っては何ですが、貴女にこびりついたケガレを主より授かった御力で浄化してさしあげましょうか。我々に協力してくださるのならば、という条件付ですが。貴女、もう自分の力では死神から女神へ戻れないでしょう?」

「えっ、ホント?」

「ストップ! ストップ! トラちゃんさん、信じないで! これは罠ですっ!」

 あっという間に丸め込まれたトラちゃんさんの素朴さに、小生は慌てて口を挟んだ。

 "ギガンティック"の青年の傍らでサーベルを構えるハルパスさんが、阿呆を見る目で彼女を見ている。何かごめんなさいというより他に言葉が出ない。

 小生は「えっ、今の何処に罠があったの?」と驚愕するトラちゃんさんを後ろに置いて、仕方がなしに矢面に立った。

 

 上位"天使"と向き合ったというのに、不思議なくらいプレッシャーを感じないのが気になるところだ。代わりといってはなんだが、不快感をあらわにした艦長たちのまなざしを受け、腸内活動が活発化している。

 とりあえず悪意をなるべく受け流すため、艦長と上位"天使"にぺこりと会釈しておく。

 

「えっと。まず先日は援軍をくださり、まことにありがとうございます。"箱庭の住人"ヤマダです」

 小生の挨拶に、一人と一体は対照的な反応を見せた。

「……場違いですよ、控えなさい。この場にアナタの出る幕はありません」

 と艦長は苛立ちを隠さず叱責してきた。

 彼女は上下関係と筋道を重んじる人柄をしており、また元から小生とも相性が悪かったため、この反応は容易に予想できる。無論、予想できてもストレスに耐えられるとは言い切れないのだが。

 一方、上位"天使"は黙して微笑むだけである。微笑みの裏で値踏みをされているのは容易に読み取れた。

 しばしして、にこやかなままに彼は返してくる。

 

「いえ、人の子に手を差し伸べるのは我々の使命ですから。と、お初にお目にかかります。私は――」

「黒き羽根の天使"マンセマット"でしょう? 勿論存じておらぬはずがなく、話を先に進めましょうか」

 "マンセマット"の微笑が一瞬凍りついた。小生も勿論びっくりした。

 今のは自身の思考よりも先に、口が勝手に開いたのである。

 彼の正体を何となく察してはいたものの、もし外れていたら赤っ恥のためドヤ顔で指摘するつもりなどなかった。

 それなのに、何だろう……。

 さっきから、目の前の"マンセマット"と向かい合っていると、どんどん心と身体が乖離していっているように感じられる。

 小生は"マンセマット"をじっと観察し、乖離した口がそのまま言葉を紡いでいった。

 

「トラソルテオトルの"箱庭"を"悪魔"が襲うように仕向けたのは、この交渉で優位に立つためだったのですね?」

「ハテ、何がなんだか――」

「ヤマダ隊員! さっきから、"外様"の分際で何の権利があって"天使"様に無礼な口を聞いているのっ。いい加減になさい!!」

 艦長が言葉を荒げて小生を非難しているというのに、意識と乖離した胃腸は最早痛みを訴えても来なかった。

 小生は言う。

 

「お言葉ですが、艦長。今回に限っては私にも出る幕があるのです。何故なら、貴女たちの欲する空間とは、私の契約したトラソルテオトルが作り上げたものであるからです。つまり、私は交渉物件の共同管理者。口を挟む権利は十分にあるでしょう」

 艦長の口元がきつく切り結ばれた。腕組みをした手の人差し指が苛立たしげなリズムを刻んでおられる。

 彼女を言い負かすとか、乖離した小生どうなっちゃってるの……。

 絶好調に回る小生の舌鋒はとどまるところを知らない。

 

「さて、問いましょう。天使"マンセマット"。貴方は何の根拠があって、我々の"箱庭"を手中に収めんとしているのですか?」

 "マンセマット"は答えない。何か訝しんでいるようにも見受けられる。

 代わりに艦長が食らいついた。

 

「先ほどから鬼の首を取ったように! 正しいモノが正しい行いをして! 人々を正しい道へと誘う! "エルブス"号のトップはワタシなのだから、ワタシがアナタたちを指揮することに何の間違いがあるのですッ!!」

「でも、貴女たち。囚われた同胞を見捨てましたよね?」

 この指摘に艦長だけでなく後ろに控える役持ちの面々、そして"箱庭"の住人たちまでもが驚愕した。

 

「ア、アナタ……。何を言って」

「"悪魔"の行った人体実験……。何故生き残った人の子の派閥に"偏り"が生じているんですか?」

 あっ、と既に観戦者と化していた小生の精神は言葉にならない声をあげた。

 "アケロンの河"でカロンが言っていたではないか。人体実験を受けて死んでしまった同僚たちが「仲間に売られた」と証言していた、と。

 小生の脳裏に艦長らがミトラスと交渉し、生贄を捧げた可能性がにわかに浮かび上がってきた。

 そしてさらに言うならば、だ。

 艦長らとようやく連絡がついたとき、彼女はこう言っていたではないか。「"天使"様が我々の罪を許し、手を貸してくださる以上、怖いものなどありません」と。

 ということは、つまり――。

 

「天使"マンセマット"。貴方は人の子を操り、何を為そうとしているのですか?」

 ここに来て、"マンセマット"がようやく閉ざしていた口を開いた。

 

「私のすることは勿論、主の御心にかなうものですよ」

 それは韜晦であると容易に分かった。乖離した小生がさらに言う。

「道は漠々として捉えどころのなきもの。故に我々は問うのです。"貴方は何処へ行こうというのか(クオ・ヴァ・ディス)"と。ですが、道は人の子の自由意志によって生み出されなければなりません」

 "マンセマット"の表情に初めて険しいものが混ざり始めた。

 

「……ここは出直すと致しましょう。共に"悪魔"を討ち滅ぼさんとする意思は同じくしていることだけはお忘れなく。我々はきっと手を取り合えます」

「そう願いたいものですね」

 終わった。

 何が何だか分からない内に、危ぶまれた接触が血を流さずに終わってしまった。

 いや。それ自体は良いのだが、小生の乖離した身体は元に戻ってくれるのだろうか……?

 困惑しつつも"天使"たちに促されてこの場を離れていく艦長派閥と事態の進展についていけてない"箱庭の住人"たちを見守りつつ、小生がはらはらしているところに不意の衝撃が腹部を襲った。

「うぐっ」

 トラちゃんさんが頭突きをする勢いで小生の腹部に耳を当ててきたのである。

 

「ヤマダ、生きてる!? "こいつ"に魂呑み込まれてないっ?」

「ちょっとトラソルテオトル……、人のお腹はデリケートな箇所なのですから、そんな乱暴に――」

「やーかましい! アンタ、何時からヤマダの中に棲みついていたのよっ! 人の契約者を、勝手に! "レミエル"ッッ!」

 トラちゃんさんの怒声に小生は身体を動かせぬままに疑問符を浮かべた。

 "レミエル"って何ぞ……?

 


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