シュバルツバースでシヴィライゼーション   作:ヘルシェイク三郎

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年度が始まりましたので、執筆時間減ります。


シュバルツバースで次なるミッション

 世界の中心、アキハバラ。

 コンクリート越しに聞こえてくる蝉の鳴き声とは裏腹に、ここ知り合いの経営しているこじんまりとしたネットカフェは一足早い秋が到来しているかのような室温を保ち続けていた。

 要するにエアコンでギンギンに冷えているってことだ。

 そんな空間に入って一等先にやることといえば一つだな。勿論、ドリンクバーから持ってきたばかりの炭酸飲料に口を付けることだろう。

 うーん……、この貴族のように贅沢なマイライフよ。いや、まあぶっちゃけジャンクなんだけどさ……。

 と人間文明の恩恵にひたりつつも、

「やっぱ、読んでないなあ……」

 頭をもたげる一抹の不安をどうしても拭えないでいる。

 オレが今見ているものは、メーラーの送信履歴に残された一通の送信済みメールだった。

 Subは『Y-MADさんへ、AT-LOWより暑中お見舞いです』とシンプルにまとめている。

 あの人は周りに気を回しすぎる性格をしているから、あまりプレッシャーを与えるような文面にすると、下手をすればまたぞろトイレに駆け込むことになりかねない。

 出張先でそれをやらかしたら、周りの目が怖そうだもんな。気配りのできる男、それがオレです。

 

「アツロウ?」

「うわぁっ!? って何だお前かよ……」

 個室でいきなり肩を叩かれ、思わず悲鳴をあげてしまったが、振り返ってみれば何のことはない。高校時代からずっと連み続けている、今や一番の親友がそこに立っていた。

 よくよく考えてみたら、今日は貸切みたいなもんだったしな。知り合い以外が俺にわざわざ会いに来るはずもないだろう。

 胸を落ち着け、深く深呼吸。

 で、だ。

 

「何でお前ここにいるんだよ? 今日は、前期の単位全取得(フルタン)地獄がようやく落ち着いた打ち上げだって、ユズ(ソデコ)と遊びに行く予定だって聞いたんだけど」

 そう言って半目で睨みつけると、親友は素知らぬ顔で「アツロウが来てなかったから呼びに来た」と仰ってきた。

 あのね……、それはわざとなの。と言葉がそこまで出かかったが、オレももう大人だから口にはしない。代わりに「お前、ホモかよぉ」と問いかけて、「(ホモでは)ないです」と笑い合った。

 

「悪かった。ちょっとバイトがらみの話でさ。うちの従兄弟に関わりのあることがあって、送ったメールを確認しに来てたんだ」

「ひょっとして、ヤマダさん?」

「そう。今、国連の南極調査隊に所属して、現地へ働きにいってるらしい」

「工学専攻で……?」

 親友の疑問はオレにも良く理解できた。何せここ最近の南極に関わるニュースといったら、異常気象やら磁気嵐やらと気象に関するものばかりだ。そんなところに連れていく人材といったら、普通気象とか自然現象とかの専門家だろ、普通に考えれば。

 百歩譲って観測基地を持ってる自衛隊、とか? そういや、伏見三佐やイヅナさんなんかも今は"海外"に出張しているらしい。このタイミングで自衛隊が出張する場所なんて、南極以外あり得ないんだよなあ。

 そう……、オレたちが普段耳にしている南極のニュースには何故か意図的に隠された情報があるんだ。

 ただの異常気象に各国の軍隊や国連が総力を挙げてるって、一体全体どういうことだよ。こう言っちゃ何だが、まともな脳味噌を持ってりゃ、"違和感"しか湧いてこないわ。

 ちなみに目の前の親友は、その"違和感"を抱いていない数少ない一人だった。

 別にバカってわけじゃない。こいつの頭の回転の早さは親友のオレが良くわかってる。単に授業単位落としそうでそれどころじゃなかったってだけのことだ。流石、昔とある不良に『遊んでそうな奴』と評されただけのことはある。お前、ちょっとは勉強しろよ。

 

 オレが変な顔をしているせいだろう。親友もまた、変な顔になってしまっていた。

 あまり心配をかけても仕様がないため、茶化すようにフォローを入れる。

 

「まあ、あれだよ。メール開封してくれたかなあと確認しに来たら、まだされてませんでしたー、と。それだけの話だよ」

「何を伝えるつもりだったんだ?」

 親友は嘘を許さないという目つきでこちらをずっと見つめていた。これは完全にオレがヤバい橋を渡っているんじゃないかと疑っている目つきだ。

 うー、やめろよな。そういうの……。オレが悪いことしてるような気分になるだろうが。

 仕方がないかと椅子の背もたれに体重を預け、オレはメールの文面を親友に見せるように開いた。

 

「ホンダさんの働いていた企業が、今度南極に民間人観測隊を派遣することを決定したようです……、って。ホンダさんって、あの?」

 親友の問いかけにオレは無言で頷いた。

 オレたち共通の知り合いで、企業勤めのホンダさんといったら、あの"東京大封鎖"に巻き込まれたホンダさん以外にいない。

 表向きは毒ガスの発生による集団幻覚事件として片づけられた、4年前のあの事件。オレたちは、確かにあの閉鎖空間で"悪魔"という人じゃない存在と向かい合い、助け合い、そしてこの世界から追い出すことに成功したんだ。

 そんな大事件の最中で出会った彼は、息子の手術代を稼ぐために、"誰でも悪魔を支配できるようになる"力を企業に売り渡して巨利を得ようとしていた悲しい人だった。そして、彼からそれを買い取ろうとしていた企業が――。

 

「ホンダさんな。"ファントム・ソサエティ"っていう組織の下請けで働いていたんだ。で、そいつらが今度ジャック部隊ってその筋じゃ有名な傭兵集団を雇って、南極の調査に乗り出すらしい」

「それって、まさか……?」

 やっぱり、こいつに隠し事はできないなあと改めて感じる。

 オレは続けた。

 

「多分、"悪魔"がらみの事件なんだと思う。バイト先のリーダーや先輩たちも、その線を疑っていたよ」

 そう、"悪魔"がらみの事件は実のところオレたちが関わったアレだけで終わりなんかじゃ全然なかった。

 俺たちの住む世界のすぐ隣には、まるで鏡合わせみたいに"悪魔"たちが住んでいる異世界が確かに存在していて、二つの世界の間にある壁が何らかの原因でひび割れてしまったときには、ああいった事件がいくらでも起こり得るんだ。

 

 例えば、オレたちがまだ生まれる前に起きたっていう平崎市における不可解な連続殺人事件。

 軽子坂高校っていう学校で起きた生徒の集団失踪事件。

 情報環境モデル都市として整備された天海市で起きた奇病騒動。

 この日本で起きた事件だけでも、両手の指の数だけじゃ足りないってのに、世界まで含めたら一体どれくらいの数になるんだろうな。

 少し興味はあるけど、真面目に調べようって気には到底なれなかった。この世界が危うい均衡の上に成り立っていて、ちょっとしたキッカケさえあれば、簡単に滅んでしまうなんて証拠を集めたって鬱になるだけだしさ。

 ため息をつきつつ、オレは親友に愚痴を吐いた。 

 

「お前、オレがあの"東京大封鎖"の時に言ったこと覚えてるか?」

「"悪魔"をすべて制御するって奴?」

「そう、それだ。今になって思えば、"悪魔"を異界に追い返すってお前の判断に従ってほんとに良かったと思ってる。多分……、オレたちが"悪魔"を制御できるようになったとしても、そこで得られる恩恵なんてそう長くは続いちゃくれなかったよ。遠くない未来に各国が"悪魔"を使う大戦争か何かが起きてたと思う」

 もし、そんなことになってしまったら、オレたちは決して今みたいな日常を送ることはできなくなっていただろう。それを思うと、今でも震えが止まらないってのが正直なところだ。

 けれども、オレの浅慮を止めてくれた当の親友は何かを思案するように首を傾げ、まっすぐこちらを見ながら微笑んできた。

 

「……そうかな。俺はアツロウのアイディアも別に悪くなかったと思ってる」

「は? 何でだよ」

 思わず素っ頓狂な声を返してしまったオレに、親友はいつも通りの図太そうな表情で、平然とした答えを返してくる。

 

「もし、ヤバい状況になりかけたら、その時に何とかすればいい。俺たちなら何とかできるよ。根拠はないけど」

「ははっ、何だそれ」

 親友はオレたちが世界の流れに流されてしまい、どうにかなってしまうなんて、欠片も恐れていないようだった。

 強いんだよな、こいつは。ユズのことも……、こいつが相手だから負けを素直に認められるんだ。

 

「アツロウはヤマダさんにメールを送った。自分にできる手助けをちゃんとやったんだよな?」

「そりゃあ、当たり前だろ。親戚の命がかかってるかもしれないんだぜ」

「じゃあ、後は無事の帰りを祈って待つだけじゃないか。あまり、気を揉んでいても疲れるだけだ」

「オレ……、そんなネガってた?」

 そう問いかけると、親友は悪戯っぽく口の端を持ち上げた。

 

「まるで、メールが届いてないことまで自分のせいみたいな顔をしていた」

「マジかよお」

 自分の思い上がりに今更気づいて、オレは両手で顔を覆った。オレの反応に親友は笑う。

 

「まあ、心配しなくてもアツロウの従兄弟なら多分大丈夫だろ。ただの勘だけど……」

「根拠ないんかい!」

「いや、勘だけど根拠はある。何というか、年上の従兄弟キャラはしぶといイメージが……」

「それ、お前んとこのナオヤさん限定じゃねえか!」

 きっと、こいつはこいつなりにオレのことを励ましてくれているのだろう。少し気持ちが楽になったことで、希望的な見方もできるようになってきた。

 ……そうだよな。オレの知っている従兄弟はそんな簡単に死んでしまうような人じゃなかった。

 人間関係の軋轢でプレッシャーを感じて、トイレに駆け込んだところで偶然悲劇を避けてしまうような面白黒人枠こそが、オレの従兄弟のポジションなんだ。

 ここはあまり悲観的にならずに無事の帰りを待つべきなんだろうなあ。

 そんな結論に導いてくれた親友に「ありがとな」と礼を言う。

 すると彼は「じゃあ、遊びに行こう」と有無を言わせない口調で答えを返してきた。

 いや、それはオレのユズに対する応援の気持ちからくるボイコットであってだな……。ああ、もう!

 

 この後、ばっちりキメてきたユズの奴に言葉には出してなかったが「ええっ!? 二人で遊びに行くんじゃなかったの!? 何で、何で!?」というような顔をされた。

 これだから、顔を出したくなかったんだよなあ!!

 

 

 

 

 "箱庭"の白んだ空にうっすらとした青みが混じり始める時分。

 小生が先ほど経験した出来事などまるで明晰夢であったかのように、住人たちの早起きな日常が再び始まった。

「結構、多めに作り置いておきましたからお代わりオッケーでーす!」

 と助手さんの明るい声。

 炊事の匂いに誘われるようにして、目が覚めた隊員たちは立ち並ぶ小屋を対角線で結んだ中心部にある調理区画へと群がっていく。

 作り置いていたポトフの鍋蓋が、コトコトとダンスを踊っていた。

 

「ふわあ、おはよ。ヤマダ」

 女性陣とともに眠っていたトラちゃんさんが、寝ぼけ眼のままに小生のもとへとやってきた。

 いの一番に朝食の乗ったプレートを持たされている辺り、皆から猫可愛がりされているのが一見して見て取れる。

 ちなみに献立は作り置きのポトフにトウモロコシ粒を用いたかき揚げ、それに根菜メインのコールスローだった。

 すさまじいベジタリみを感じる。助手さんの趣味なのだろうが、肉食メインの男性陣が不満を募らせそうだ。大丈夫なんだろうか……?

 と思いきや、肉食系には謎肉料理が別途用意されているらしい。偏食を加味したビュッフェスタイルだったのか。なるほどなー。

 

「欠伸とははしたないですよ、二文字様」

「……その言葉でしゃっきりと目が覚めたわ。そういえば、いたのよね。サナダムシ」

 レミエルさんは相変わらずの赤パーカーな少女姿だ。ちなみにこれは仮初の投影した映像で、老いもしなければ汚れもしないと心持ちドヤ顔で言っていた。

 プレートにはコールスローのみがうず高く積み上がっていた。……まんが日本昔話かな?

 二人が額をぶつけ合うところを横目で見つつ、小生は欠伸をかみ殺して自分のプレートを受け取りにいく。

 先日の一件が尾を引いて、とにかく眠くて仕方がない。

 

「ヤマダ、寝不足気味のようでしたら少し横になりなさい。身体を壊してしまっては元も子もありませんよ」

「あー、ありがとうございます……。とりあえず朝食を食べてから考えますね」

「食事の後は必ず歯を磨くこと。ゆめゆめ忘れてはなりませんよ」

「わ、分かりました」

 この規則正しい生活リズムを強いられている感じにふとした懐かしさを感じる。

 いや。母親の言いつけとかそういう以前に、学生時代の一人暮らしを鮮明に思い出してしまうのだ。

 深酒をしたときの腹痛、寝坊したときの腹痛、歯磨きを忘れたときの腹痛……、もしかして小生はかつて強いられていたのではなかろうか? 規則正しい生活を……。

 

 それはさておき、食事開始である。

 住人たちは銀シートの上で車座になり、思い思いにポトフを啜る。

 個人的には少し寝かせて具に味が染み込んでからの方が好みであったため、今日の一杯は昨日の一杯よりもずっとおいしく感じられた。うまし、うまし。

 皆の腹が五分目程度にまで収まった頃、食事をしながら"レッドスプライト"コントロールと定時連絡を行っていたリーダーが皆に向かって口を開いた。

 

「皆、そのままで聞いてほしい。たった今"レッドスプライト"号からの緊急要請があった。どうやら、"エルブス"号に搭載されている通信機の速やかな確保を我々にしてもらいたいようだ」

「艦載の通信機というと……、"グレーバー"式の重力子通信機よね? "レッドスプライト"号の通信機が壊れてしまったのかしら?」

 スプーンを容器の中に置いて、答えたのはゼレーニン中尉だ。肩に"スパルナ"は留まっているようだが、根元の姿が場に見あたらない。どうやら、未だ惰眠を貪っているようで、以前にも増した奔放さはスタンスの変化を感じさせる。

 彼女の豊かな知識を前提とした言葉に、ほとんどの住人たちが首を傾げた。

 彼女の言う重力子通信機がどのような価値を持つのか、いまいち理解できないでいるのだ。

 

「一体、誰と通信するんだ?」

「いや、それは外部の合同計画とでしょう」

「へ、できるのか?」

「そりゃあ、そういう風に作られたものですし」

 ヒスパニックの疑問には、中尉ではなくフランケン班長が答えた。彼は「オイオイオイ」とストップをかけたくなるほどにマッドなサイエンティストであったが、こと解説役になった時にはものすごく輝く。

 ちなみに彼の持つプレートには異様な光景が広がっていた。ポトフの容器にすべての献立がぶちこまれているのだ。どう控えめに言っても残飯にしか見えない食事の仕方に、作り手の助手さんが青筋を浮かべておられる。

 

「単純な電波だと、シュバルツバース周縁を取り巻くプラズマ雲が内部と外部で時空間の差異を作り出してしまって、正しく目的地に情報を届けてくれないんです。いや、いつかは届くのかもしれませんが、それが何時になるかは分からないといったところでしょうか。ですが、地球観測衛星"グレーバー"の二機(トムとジェリー)を用いた重力子通信ならば、時空間差異なんてモノともしません。受信機さえ向こうにあれば、中世の十字軍とすら通信ができるって触れ込みの次世代機ですから、通信が可能になる可能性はそれなりに高いと思われます」

 へー、と住人たちが感嘆の息を吐く。

 これは苦難続きの小生らにとっては珍しく嬉しいニュースだった。

 何せ、もしかしたら二度と外界の土を踏めないんじゃないかという孤立した不安との戦いこそが、このシュバルツバース内における調査活動なのである。

 再び外界との繋がりを取り戻せるかもしれないという可能性は、まさしく希望そのものだ。

 さらに合同計画と接触できれば、人類の集合知を結集して自分たちが置かれた苦境を何とか解決できるかもしれない――。

 そんな一縷の望みを皆が目に宿しつつ、リーダーの言葉の続きを待った。

 

「ミッションは至急的速やかに行われる。これは不確定要素である"天使"勢の動きが予想できないためらしい。また、"レッドスプライト"クルーは魔王"ミトラス"の討伐準備に専念するため、我々の独力で行うことになるだろう」

「待ってくれ。何故戦力を分散させる必要があるんだ。その通信機とやらも必要なのに、わざわざ危険を冒してまで魔王とやらの討伐を優先させる理由が思いつかない」

 この質問は強面によって発せられた。

 確かに危険を冒すことになる以上、理屈に合わない戦力の分散に関しては納得のいく説明が必要かもしれない。

 リーダーも彼の疑問は当然のものとして受け取ったようで、一度頷いた後でハンドヘルドコンピュータの機能を駆使したスライド解説を差し挟んだ。

 

「皆ハンドヘルドコンピュータの起動を。タスクボードに映像を添付する……。まずは一つ目の映像だが、これは2号艦"ブルージェット"号の指令コマンド、"ヴェルヌ"によるこことは違う亜空間の解析情報だそうだ。セクター"アントリア"。奇しくも彼らは自分たちが降り立った最初のセクターに、我々と同じ名前を付けていたのだな。これからは便宜上、我々の降り立った歓楽街の世界は彼らの命名規則に準じてセクター"ボーティーズ"と呼称する。そして、"アントリア"の天頂部――、ここだ。このポイントに量子的なトンネルが形成されている。このトンネルを経由して、彼らは"ボーティーズ"へと渡ってきたわけだ」

「……つまり、シュバルツバース内の各セクターにはセクター外へと繋がる出入り口が存在する?」

「そうだ。この"ボーティーズ"に同様の量子トンネルが存在していることも、既に"レッドスプライト"クルーが観測し終えている」

「すごい! 彼らはこの亜空間という未知の大海原を、迷うことなく航行できる羅針盤を手に入れていたんですね」

 フランケン班長が舌を巻き、他の皆も驚きの声をあげた。

 リーダーはさらにスライドを進める。

 

 

「"レッドスプライト"の指令コマンドが言うには、この量子トンネルを潜り抜けるために"ロゼッタ多様体"なる未知の情報媒体が必要となるのだそうだ。そして、これはセクター内に恐らく一つしか存在していない」

「それを魔王が所持している……、ということですか?」

「班長、君の理解で概ね構わない。と同時に、これを"天使"勢に先んじて奪われることの意味も理解してもらえたかと思う」

 住人たちが息を呑んだ。

 唯一無二の羅針盤を奪われるということはつまり、小生らの生殺与奪権を彼らに奪われることを意味しているも同様だ。

 成る程、これは疎かにできない。大切な脱出への道しるべなのだ。彼らが魔王討伐を最優先対象とする理由が身に染みて理解できた。

 

「他に何か質問は?」

 そう言ってリーダーが皆を見回すと、エースがスプーンを銜えながらふてぶてしい態度で問い詰めた。

「あー、大まかなミッションスケジュールを教えてくれ。先の救出ミッションみたいなややこしいのは正直勘弁してもらいたい」

「前段ミッション、観測気球を放球しての広範囲索敵。後段ミッション、敵の手薄な頃合を見計らって"エルブス"号への進入と通信機の調達。ミッション時の障害は可能な限り排除するが、前提は隠密行動に尽きる。極力戦闘を避けるように動きたい」

 これで良いか? とリーダーが無言のままに目で問うと、エースは肩を竦めて引き下がる。

 別段、冷やかそうなどという意図はなかったのだろう。

 続いて再び強面が口を挟む。

 

「出撃メンバーに関して教えてくれ」

「メンバーは俺と貴様、そしてエースの他に可能ならばヤマダ隊員も編入してもらいたいと思っている。この作戦は我々にとっては脱出という"未来"に繋がる重要な作戦だ。可能な限りの戦力をここで投入してしまいたい。ヤマダ隊員、それで良いか? ……ヤマダ隊員?」

「え、あっ。はい。構いませんよ」

 "未来"という言葉に一瞬意識が囚われてこちらの反応が遅れてしまったため、リーダーが怪訝そうな面もちになる。

 

「体調不良か? 本来は非戦闘員であるはずの君に危険を強いている自覚はあるつもりだ。もし不安がある場合は、遠慮せずに問題を指摘してもらって構わない。その上でミッションを調整していこう」

 小生の方が申し訳なくなってしまうくらい、リーダーの気配りは至る所に行き届いていた。それ故に、彼が昨日零した弱音を呼び水に先日の出来事が脳裏で鮮明にフラッシュバックされる。

 一瞬、すべて打ち明けてしまおうかとも思ったが、それは余計な混乱を皆に与えるだけに終わるだろう。

 とりあえずは笑ってごまかすだけにしておく。

 

「あー、いや。まあ……。大丈夫です! ちょっと寝不足だっただけでして」

 レミエルさんがじっとこちらの様子を窺っているのが容易に感じ取れる。

 小生は内心ため息をつきつつ、昨日の出来事を思い返した。

 

 

 

 

 ルイ・サイファーと名乗った少女は小生の顔をまじまじと見た後、やがて別のものに興味が移ったかのように、明後日の方向へと目を向ける。

 彼女の見ている方向には、何時の間にやら赤パーカーの少女が静かに立っていた。

 

「――ヤマダから離れなさい、"明けの明星"」

「そう警戒せずとも私にこのニンゲンを害しようというつもりはないよ。私は君たち"天使"ほどニンゲンが嫌いではないんだ」

 恐らくそれは皮肉だったのだろう。レミエルさんはかすかに眉根を寄せ、一瞬の内に小生の隣にまで跳び寄った。

 

「ヤマダ、アレに何かをされましたか?」

「え? あ、いや。特に何かをされたわけではないと思いますが……」

「実際、何かをしたわけではなく、私の目的は君にあるからね。"神の雷霆(らいてい)"」

 ルイ・サイファーは白いドレスを指先でいじりながら、レミエルさんにこう続けた。

 

「少し聞きたいことがあったんだ。この"造物主が既に造物主たる資格を失った世界"における、君の最終目的はあの小物と同じなのかね?」

「……それはあり得ません。私はあくまでも人間が自立してその霊を高め、天の世界へと上っていくことを望んでいます。過程にこだわる必要はないのです」

 二人の会話はまるで分からないものの上を分からないもので塗り重ねていくようなものであった。

 だが、ルイ・サイファーはこの意味不明な会話の中に納得のいく答えを見つけたようで、

「……ああ、うん。良く分かった。だから、この先"ああなる"のかな? 疑問も解消できたことだし、私はここで失礼するよ」

 口元に手を当て、これまでとばかりに話を切り上げようとする。

 困ったのは小生だった。彼女は先ほど気になることを言い残しており、それに対する満足な答えをまだ得られていないのだ。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「ん、どうしたんだね?」

「先ほどの、野球好きさんの魂がまだあるという話について、どういうことか小生伺っていませんっ」

 口から泡を飛ばして詰め寄ろうにも、彼女が立っているのはトラちゃんさんの心象風景の映った壁の向こう側だ。自ずと大声で問いかけることになったが、構いはしなかった。

 

「どういうことかと問われてもね……。君の言う彼の魂が、まだ"そこにある"というより他にない。恐らくは執念の類だろうね。詳しくは"神の雷霆"か君たちの女神にでも聞いてみたら良いのではないかな」

 言って、彼女は心象風景の向こう側で眠りこけている草食動物の体にもたれ掛かる。

 そうして、しばらくはやきもきする小生の姿を薄ら笑いを浮かべて観察していたが、

「そうだ。君は未来に興味はあるかい?」

 やがて、名案を得たかのように無邪気な声を彼女はあげた。

 

「は、え? 未来、ですか?」

 突然の話題転換に戸惑うが、自分の未来が気にならないかと問われれば、気にならないわけがない。

 自ずと小生が話を聞く体勢になったのを認めたのか、彼女は細い人差し指をひらひらとさせ、小さな光をその先に生み出す。

 

「私は少し計算が得意でね。今の状況から振り子の落ちる先を割り出すくらいは簡単にやってのけられるんだよ。つまり、君の未来も予想できるんだ。少し見てみたいかね?」

「……おやめなさい、"明けの明星"」

「君もやっていることじゃないか、"神の雷霆"。大丈夫、最終的に道を決めるのは彼自身だよ。決して手を差し伸べることはしない。だって、私はニンゲンのことが好きでもないからね」

 そう彼女が言い終えた途端、小生の目の前に良く分からない光景が広がっていった。

 

 目映い光を放つ無機物に囲まれた空間の中に、タダノ君が仲魔と共に立っている。

 タダノ君は何故か満身創痍の状態で、仲魔たちの顔ぶれもまた今の面々とは異なっていた。兜をかぶった"シーサー"に似た神獣。身体に蛇を巻き付けた四本の手を持つ神々しい青年。剣を携えた緑髪の美しい少女。

 そして彼と対している敵は、

 

「えっ?」

 背格好や髪型を見るに、それはどう見ても小生であった。

 ただ今の小生とは身に纏っているものが違う。例えば、既に隊員たちのトレードマークと化していた"バケツ頭"をかぶっておらず、代わりに何故か狐面をかぶっている。そこはシュバルツバース内ではないのだろうか?

 それに、左手に稲穂の束らしきものを持っている。農作業の帰りか何かか。満身創痍のタダノ君を出迎える格好とは到底思えない。

 小生の仲魔たちもまたタダノ君のそれと同様に変わっていた。六本の腕を持つ巨大な牛頭の"悪魔"。どう見てもメカだこれという見てくれの"天使"。さらに、今の姿よりも成長したトラちゃんさん。

 どうやら小生らは、空間の奥に鎮座する天まで届く光の柱を守るようにしてタダノ君の前に立ちふさがっているようだ。 

 タダノ君が叫び、両者が戦闘態勢を取った。その成り行きに、小生はただただ困惑する。何故、タダノ君と小生が敵として向かい合っているのか分からなかったのだ。こんなことは絶対にあり得ないはずなのに――。

 そして、激戦の幕がきって落とされた。

 

 相変わらずタダノ君の戦いぶりは見事なもので、単騎で切り込む牛頭の"悪魔"をチームワークで捌いていく。それに対し、小生らは回復や支援の異能を駆使して戦いを泥仕合に持ち込んでいた。

 驚いたのは小生も素で異能を用いていることだ。稲穂を振れば仲魔たちの傷が塞がっていき、右手を掲げれば自身の傷が塞がっていく。

 千日手にも思えた戦いは、やがて乱入者の存在によってタダノ君優勢へと傾いていった。

 乱入してきたのは見慣れない、黒いデモニカスーツを着込んだ見たこともない少女である。

 何かを叫び、互いに何かを確認しあった後、彼女はやはり見たこともない装備を駆使し、タダノ君のサポートに徹し始めた。

 そうしてじり貧へと追い込まれた狐面の小生は、牛頭の"悪魔"が倒されていくのを見届け、メカ天使が倒されていく様子も見届け、さらにトラちゃんさんが粒子に変わっていく姿をも見届けた後、力を失ったかのように崩れ落ちていく。

 血まみれの状態で横たわる小生を後目に、少女とタダノ君は何か言葉を交し合う。

 やがて少女は満足したように微笑み、光に包まれ消えていった。

 タダノ君もまた、意を決した面持ちで仲間と共に光の柱へと飛び込んでいく――。

 

 

「……というような未来を計算してみたんだが、感想はあるかね?」

「感想もなにも……、全く意味が分かりません」

 幻視から目覚め、小生は冷や汗を流しながら荒い息を吐いた。

 

「小生とタダノ君が戦うことになるなんて、あるわけないじゃないですか!」

「そうだね。あくまでも可能性の一つだから。君の意見はいちいち尤もだと私も思う」

 食ってかかる小生に対して、彼女は飄々とした態度でさらに続けた。

 

「ではこの未来が本当に起こり得るか、少し確認していこうか。君は、この地球を食い潰さんとするニンゲンの業によって生まれたこのシュバルツバースが、発展的に解消されると信じているのかね? 例えば、すべてのニンゲンたちが悔い改めることで」

「それは――」

 多分、無理だろうと考える。人間社会はもうどうしようもなく多様性に富み、複雑化してしまっているから、すべての人間が同じ望みを持つことなんて不可能なのだ。

 例えば地球環境の破壊は誰かの損であるが、それと同時に誰かの得でもある。

 逆に環境の保護は誰かにとって得であっても、誰かにとっては損であった。

 経済も然り、政治も然り、宗教の勢力争いも然り……。

 対立する意見の調整は並大抵の努力では決してなし得ない。

 

「例えばすべてのニンゲンを洗脳すれば、ニンゲンが地球環境を食い潰すことはなくなるだろうね」

「そんなの、絶対駄目ですよ」

「ならば、いっそのこと君たちがシュバルツバース現象と呼ぶこの地球浄化の営みを広がるままに任せておき、その中でニンゲンたちが生きられるようにするというのはどうだろう? ニンゲンの生物学的構造を変えてしまえば、あながち不可能な線ではないと思うがね。勿論、ほとんどのニンゲンは死滅してしまうだろうが、生き残ったニンゲンたちはアクマとともに生存が可能だと思うよ」

「それも……、駄目ですよ」

 彼女はここで言葉を切り、少し口の端を持ち上げた。

 

「……ならば、一端問題を棚上げして、後生の英知に縋るのかね? ニンゲンが問題を自発的に解消できるようになることを頑なに信じて、地球というリソースを消費し続けるのは黙って見守る。地球が真の意味で死滅するまでね。地球意志は自らの生存を図って何度もシュバルツバース現象を発生させることだろう。それを誰かが食い止めなければならぬわけだ、延々と」

 彼女の口ぶりには多分にからかいの色が含まれていた。

 多分、この第三の選択肢を愚かな選択肢だと思っているのだろう。

 

「個人的には、この三つ以外の選択肢が見てみたいとは思うのだがね。珍しいことに今回の私は"神の雷霆"と近しい立場にいるようだ。これは本当に珍しいことなのだよ」

「――"明けの明星"」

「分かっているさ。私はもうお暇させていただくよ。ただ、一つ忠告を。そこのニンゲンは英雄の類ではない。有象無象の善人だよ。それを忘れると、永劫の孤独に閉じ込めることになるかもしれないね」

 言って、彼女は草食動物の身体に預けていた背を持ち上げる。直後、白いドレスが風で翻り、彼女の身体をすっぽりと包んでいく。

 そうして彼女の身体は瞬くよりも早く何処かへと消え去ってしまった。

 

 

 

 

 

 結局、昨夜の出来事が何を意味するのかについては、小生は未だ満足の良く答えを得られずにいる。

 レミエルさんもこの答えは自らが導き出すのが筋であり、自分から話すことは何もないと言っていた。

 小生にとって、最も望ましい"未来"へと至る道とは一体何なのだろうか?

 永劫の孤独とは何なのか?

 分からないことだらけで、頭がショートしてしまいそうだった。

 

「寝不足ならお野菜食べなさいよ。とりあえずお野菜食べておけば、大抵のことは解決できるのよ?」

 再び思考の袋小路へと迷い込んだところで、トラちゃんさんから心配そうな声をかけられる。そして、住人たちから続々と。

 

「肉も食えよ」

「ポトフ、お代わりいります?」

「多分、インスタントコーヒーが残っていた気がしますよ」

「点滴を打つと、少し楽になるかもしれませんね」

 小生は頭を掻きながら、それら一つ一つにお礼を述べて言った。

 とりあえず、彼ら彼女らが不幸せになるような道筋だけは選んじゃいけないなあ、と考えながら。

 




【メインミッション】
 重力子通信機の調達。

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