シュバルツバースでシヴィライゼーション   作:ヘルシェイク三郎

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不定期更新ですが、ぼちぼちと続けていきます。


シュバルツバースで回収と召喚

 ひんやりとした霧の漂う坂道の麓、鈍色に輝く大河のほとりで、小生は白髪リーゼントの老人にぺこぺこと頭を下げていた。

 そう――、"また"来てしまったのである。

 

「で、茶菓子いるか?」

「あっ、はい。頂きます……」

 呆れ顔の老人から手渡されたものは、100年以上前に創業した老舗のカステラだった。カラメル色の外生地と、山吹色の中生地が織りなすコントラストが実に目映い。現世の品が何故、ここにあるか正直理解不能だったが、あまり深くは考えないことにする。大方、何らかの手段で取り寄せたのだろう。

 小皿に置かれた状態で手渡されたそれを、流れに任せて一つまみ。良く分からない流れには、とりあえず身を任せて責任を丸投げしてしまうというのが小生なりの処世術だった。

 うーん、賞味期限も大丈夫そうな正真正銘の本物だな、これ……。

 解せずとも懐かしい故郷の甘味を堪能する小生を見て、老人は満足げな笑みを零す。

 そうして上機嫌なままに改札の手前に乱雑に放置されたソファの一つにどっかと座り込み、足を組んで自前のリーゼントを整え始めた。

 ……何処からどう見てもヤの付く自由業味しか感じない。途端にカステラの甘味が何かの罠に思えてきたぞ。

 

「復活を待つ間、そこにリクライニングチェアーがあるから、使って構わんぞ」

「えっ!? あ、はい。ど、どうも……」

「何なら茶も出してやろうか?」

「こ、こ、これはご丁寧に……」

 彼の下にも置かぬ扱いが逆に恐ろしい。戸惑いつつもおっかなびっくりチェアーへと腰掛けると、アームレスト部に垂れる白い張り紙が目に付いた。

『差し押さえ』

 ごしごしと我が目を擦り、すぐさまヒエッと息を呑む。

 小生の目がおかしくなったのでなければ、白地に朱書きで記されたその文言は、何処からどう見ても闇金融的なアレだ。

 

「ん、どうした?」

「い、いいいえ。何でも!?」

 小生は慌てて張り紙から目を逸らしたが、逸らした先に別の差し押さえ品を見つけてしまう。

『押収』『質草』『強制執行』……。

 記された文言こそは違えども、ここにやってきた経緯は家具も武器も防具も全てが同じ類のものだった。

 ……この老人は一体どれだけ手広く悲しみを作り出していっているのだろうか。

 またぞろ胃腸がしくしくと痛み出す。

 小生はここに声を大にして訴えかけたい。

 見知らぬ誰かの血と涙が染み込んだ椅子なんぞにリクライニング効果はねーよ! と――。が、無理! 小生にそんな直球で口を挟む度胸など無かった。

 ただ、痛みを訴え始める胃に逆らうこともできぬ。小生は胃が弱く、また胃に弱い男なのである。故に角が立たぬようカーブボールを放り込むことにした。

「あの、なるべくお手柔らかにしていただけると……」

「む、それは出資者としての要望だな。無論、そなたの要求はなるべく守ってやろう。最近、有能な集金人を見つけたのだ。下界ではカツアゲミカド王などと呼ばれている人材でな。相手を無駄に傷つけることなく、死なないぎりぎりのラインを見極めて集金を行ってくれる良い男なのだ」

「は、はあ」

 ちょっと何言ってるのか分からないが、どうやら別世界の話をしているようだ。

 それなら、あまり気にすることでもないのだろう。そう。死人が出ていないなら気にすることでも……、いや気にするわっ! 結局、血と涙を搾り出してるじゃねーか!!

 うんうん小生が良心の呵責に苛まれているところに、老人がティーカップ片手に語りかけてきた。

 

「して、今回の死因は?」

「あ、実は"混沌の海"という異能を受けまして……」

 そう口を濁して老人に答える。

 実際のところは"イッポンダタラ"という邪鬼の群れに背後から奇襲され、焦ったトラちゃんさんが"混沌の海"を放った先に小生がいたために"悪魔"と合い挽き肉のミートボールになってしまったというのが正しい経緯なのだが、包み隠さず話したところで我らがトラちゃんさんの名誉がいたずらに損なわれるだけだ。

 故に言葉を選んだつもりであったが、老人はたったの一聞で異能の持ち主に思い至ったようで、呆れ顔を浮かべてため息を吐く。

 

「……"ジャッジメント"の例があったというのに、あの女神は反省という言葉をしらんのか」

「いや。折り悪く戦闘隊形のチェックがてらに小生だけがチームの後方にいたことも駄目だったんだと思います」

「隊形のチェックをしていて、同士討ちが起きていること自体がありえんだろう」

 捨て置けば、このままトラちゃんさんのバッシング大会になりそうな気配が漂っていたため、小生は慌てて「それよりも」と話題を変えた。

 

「投資したマッカじゃ足りなかったんですか……?」

「言葉が足りておらぬな。そなたの仲間たちのことか?」

「ええ。一人、犠牲者が出てしまいまして……。マッカが足りていないのならば、手持ちの分は全部お譲りしますから、何卒――」

「ああ。いや、あの戦士のことならば、マッカの有無だけが問題ではないのだ」

 こちらの提案を遮るように老人は言い、顎に手を当てさらに続けた。

 

「あやつは短時間に魂をすり減らしすぎた。ニンゲンという存在はたった一度の黄泉帰りでも、その魂が大きく変容してしまうものなのだ。何処かで臨死体験をした者が異能を授かった例を聞いたことはないか? 人格が変容してしまった例を聞いたことはないか? 古来に名を残した聖人のように、復活とは奇跡であると同時に脆弱な魂にとっては猛毒そのものといえる。では、毒の杯を一度ならず何度も呷り続けたものが果たしてどうなるか――、然程難解な予想ではあるまい」

「それじゃあ、野球好きさんは……」

「既に人としての魂は失われたに等しいな。いや、"アケロンの河"(ここ)に姿を見せていないことから察するに、もう消滅してしまったのかもしれぬ。いずれにせよ、当人も納得の上の話であったから、わしから言うべきことは何もない」

 "予想通り"に帰ってきた無慈悲なその言葉に、小生は肩を落として俯いた。

 実は老人と同様の見解を、トラちゃんさんやレミエルさんから既に聞かされていたのだ。

 先日、ルイ・サイファーと名乗った少女の発言を真に受けた小生は、土下座する勢いで二人に野球好きの魂とコンタクトを取ってくれるよう頭を下げて頼み込んだ。

 しかし、その後どうやっても野球好きとのまともな意思疎通は不可能だったのである。

 

『うーん。残念だけど多分……、これ残留思念のようなものなんだと思う。地縛霊をもっと希薄にしたような感じかしら』

『言葉を交わす知性は最早存在していないようですね。察するに仲間を守るという意思のみが、霧散した魂の一片としてこの帽子に宿ったのでしょう。私が天界へと送り届けても宜しいのですが、彼がこの場に残りたいと望んでいる以上、私は彼の自立した意思を尊重いたします』

『でも、その内"ディース"たちがヴァルハラに連れて行こうと誘うんじゃないの?』

『いけません。彼の意思にそぐわぬ勧誘は、他ならぬこの私が認めませんよ』

 二人とも申し訳なさそうにしていたものの、彼との会話は不可能であると断じていた。未練がましい小生と違って、早々に諦めてしまっていたのである。

 恐らく、小生と違って数多くの魂を見送ってきたことが、このドライな見方に繋がっているのだろうとは思ったが、それでも小生は彼の死に納得できなかった。

 だが、ここで冥府の管理人の見解を聞かされたことで、今更ながら大切な仲間の死が現実味を帯びて喪失感を形作っていく。

 

 

 野球好きは既に死んだ。魂の欠片が"箱庭"を漂うばかりで、小生と彼が再び今世で出会うことは最早無いのである。

 

 

 落ち込む小生に対し、老人は飄々とした声色で語りかけてきた。

「そなたもゆめゆめ心に留めておくのだぞ。死を繰り返すことが自身の魂にどのような変容を起こしてしまうかは、蓋を開けてみるまで良く分からぬのだ。死を想え(メメントモリ)。決して、死を軽々しく扱ってはならぬとその身に刻め」

「はい……」

 そうして小生は通例のマッカ投資をした後に、泣き叫ぶようなトラちゃんさんの声に誘われて現世へ至る帰路についた。

 閉じた目を開け、仲魔たちと再会する。

 

 

「ええええっと、ヤマダ。ごめん……」

「ま、いつも通りの光景じゃの」

「これがいつも通りとか、ちょっと命が軽すぎる気もいたしますが……。フフ。まるでカストリ酒のような粗雑さは嫌いではありませんね。とてもデカダンスで。ファッションパンクではない本物の凄みを感じて、大変グッドです」

 右からトラちゃんさん、カンバリ様、ディオニュソスさん。そして、機動班の仲間たちも、少し遠い場所で"悪魔"の掃討を続けていた。今のところ、犠牲者は一人も出ていないようだ。

 ほっと安堵の息を吐いて、トラちゃんさんに笑いかける。

 

「犠牲者が出てないんですから、万々歳ですよ」

「そ、そうなの?」

「ええ、ですからこのまま犠牲者0を目指して、あちらの応援に向かいましょう」

「わ、分かったわ!」

 言うが早いか、トラちゃんさんはリーダーたちと相対する堕天使や邪鬼の軍勢を蹴散らしに向かっていった。

 ディオニュソスさんもそれに続き、既に奮戦していたハルパスさんと背中合わせに敵を千切っては投げの大立ち回りを見せる。

 カンバリ様は後衛についての援護らしい。

 

『オペレーションシステム高速リカバリ。致命的なエラーから復旧しました』

 と、ここで小生の肉体復元に伴いデモニカのシステムも再起動を果たしたようだ。

 "バケツ頭"のモニターに"混沌の海"によるダメージ由来のエラー履歴の洪水が表示される。

 最低限の生命維持機構が滞りなく動いていることにひとまずは安堵。追加アプリケーションの状況も逐一チェックしていく。

 

「百太郎、OK。サプライザーもOK。ヒロえもんは……、何か挙動が怪しいな」

 これらは"レッドスプライト"号の資材班が突貫工事で組み上げた戦闘・探索補助アプリケーションであり、バグフィックスにあまり時間をかけていないために予期せぬ不具合を起こす可能性があった。

 怪しいアプリは全てシャットダウンさせてしまい、小生は仲間たちに指示を飛ばしながら異能の石を投げ放つ。

「速攻陣形! 皆さん、一撃の後にCOOP(追撃)を仕掛けますッ!」

 フォーシームの握りから投げ放たれた石は、時速450km超。さながらレーザービームを思わせる軌道で真っ直ぐ"イッポンダタラ"の群れなす中心部へと吸い込まれていき、内一体の鉄仮面を容易くひしゃげさせた。

 ――と同時に、石から同心円状に発生した真空の刃が周辺に固まる"イッポンダタラ"を切り刻む。

 声にならない悲鳴が彼らから上がり、それを好機と受け取った仲魔たちが"イッポンダタラ"たちに飛び掛っていった。

 奇襲によって、初撃を相手に奪われたとはいえ、蓋を開けてみれば見事な完封。

 既に小生らはここ歓楽街の"悪魔"たちの中でも並みの相手ならば容易に掃討できる戦力を手に入れつつあったのである。

 

 

 

 

 

「放球確認。前段ミッションの完了をここに宣言する。これより我々は速やかに"箱庭"へと帰還し、後段ミッションの発動まで待機任務に入る」

 歓楽街の一角から浮上する空中迷彩色の観測気球を見上げながら、リーダーはカチャリとマシンガンの銃口を下げた。

 この順調な滑り出しに、同行していた隊員たちも声を揃えて歓喜する。

 

「ヒュウ、思ったより早く終わったな! んじゃまあ、さっさと帰還して飯にしようぜ」

「おい。帰路で浮かれる奴があるか、エース。まるでニュービーじゃあるまいし」

「そうは言うがな、強面。ニンゲン様ってのは息抜きが無いと生きていけない生き物だろう。Take have a restを座右の銘にしたいくらいさ」

「安息日はお前の嫌いな"天使"様の領分だと思うんだがねえ」

 強面たちが皮肉の応酬を交わす中、小生はハンドヘルドコンピュータをタップし、タスクボードを立ち上げる。

 どうやら、こちらのミッション完了を受けて、観測班も既に周辺の索敵を始めているようであった。

 エネミーアピアランス・インジケータと連動して近隣に散在する"悪魔"の情報が、モニター上に可視化される。これならば、帰路で不意打ちを受けることもないだろう。

 ほっと小さく息を吐き、その様子をトラちゃんさんに見咎められる。

 

「どうしたの? もしかして、まだ寝不足が辛いとか?」

「ああ、いや。無事に済んでよかったな、と」

「ふうん」

 彼女は見上げるように小生を窺い、やがて後ろ手に組んで踵を返した。

 

「早く帰りましょ! アタシたちの"箱庭"ならずっと安全だもの!」

「そうですねえ」

 言って、小生は彼女の後に続く。

 帰路においては特に苦戦するような局面も無く、皆が大きな怪我も無いままに恙無く"箱庭"へと辿り着けた。

 こうして無事にミッションをやり遂げた小生らを住人たちは酒食を以って出迎えてくれる。

 その日は丁度アーヴィンさんとチェンさんという"レッドスプライト"からやってきた派遣員も"箱庭"へと訪れており、夜遅くまで歓談の声が途切れることはなかった。

 ――そして翌日。

 

「調査隊の、夜明けぜよ! まだ見ぬ"フォルマ"よ……、ウェルカーム!」

 などと訛りの強い言葉で朝日を眺めるアーヴィンさんを後目に、小生は簡素な椅子に腰掛けながら起き抜けにタスクボードと観測気球の中継映像をざっと確認していく。

 どうやら、"エルブス"号の残骸周辺は未だ"悪魔"の警戒が強く、後段作戦の発動は少し後ろへとずれ込みそうであった。

 ならば、機動班から伝授された追撃の連携攻撃――、COOPの練習でもしようかしらと考えているところに、アジア人の女性が声をかけてくる。

 

「どうぞ、ヤマダ隊員。温まりますよ」

 差し渡されたのはマグカップになみなみと注がれたコーンスープであった。

 口を付けてみると、雑味の無い素朴な味で"箱庭"の自家製と容易に分かる。

「ありがとうございます。えっと、チェンさんでしたっけ」

「はい。初めまして……、といっても私はあなたのことを一方的に知っているんですけどね。母国からの報告にありましたから」

 七三に分けた黒髪を揺らし、少しはにかみながら言った彼女の言葉に小生は目を丸くした。

 その風貌から想像するに、彼女は某アジアの大国か星条旗の超大国のいずれかに籍を置く人間だろう。

 ただ、後者と小生に縁は無い。あって、国連の平和維持活動で関係者と少し顔を合わせたくらいだった。

 となると必然的に前者の報告になるだろうが、特に国の報告に挙がるような活動はしていなかったと思うのだが……。

 

「学生時代に太湖(タイフー)周辺の水質改善ボランティアをされていましたよね。我が国にとって有用な人物リストの中に隊員は名前が挙がってるんです」

「え、ただのボランティア活動まで記録されちゃうんです!?」

 流石の超管理社会ぶりに思わず、朝一番(小生の業界では朝一の腹痛を指す)が吹き荒れる。が、彼女はこちらの顔色を見て面白そうに腹を抱えた。

 

「ハニートラップとか、別に何かを頼まれてるわけじゃないですよ! 私も超大国に留学してから、母国との縁なんてほとんど途切れちゃったようなものですし。ただ、お礼が言いたかっただけなんです。あとテイキッイージーってね」

テイクイットイージー(暢気にやれ)ですかあ」

 こちらの素っ頓狂な返しに、彼女は「重要です!」と人差し指をピッと立てる。

 

「博論の提出を控えてた時の私と同じ顔をしてるように見えましたから。アーヴィンさんくらい緩い方が、多分色々うまくいくと思いますよ」

「アーヴィンさんくらい……。まあ、あの人は確かにあっけらかんとされていますねえ」

 言われて朝日を拝んでいた彼へと目をやると、彼は目に隈を作ったフランケン班長とシュバルツバース由来の物質談義を花咲かせ始めていた。

 てかフランケン班長。夜通しで観測任務していたはずなのに何で元気なんだろう……。

 

「"フォルマ"の組み合わせ次第では武具の強化も可能なんですね。"レッドスプライト"クルーの装備が見たことも無いものばかりだったのはそういうことでしたか!」

「おう! ワシは"フォルマ"っちゅう代物に人類の未来を切り開く力が秘められていると信じていてな。その成果の一端を新兵器やアプリとして活用してもらっているわけなんぜよ!」

「そのひたむきな姿勢、僕も見習わなければなりませんねっ!!」

 二人の眼には不安の影など欠片も見当たらず、真っ直ぐ前を見据えているようだった。

 成る程、かくあるべきとは良く言ったものだ。小生の口元も自ずと緩んでいく。

 まるで霞みがかった視界が開けたかのようだ。心も浮つき、ぴょんぴょんと朝らしい爽快感に包まれていった。

 

「だが、オヌシもただ時間を浪費していたわけではあるまい。ワシの見たところ、皆がアッと驚く何かを開発していると見た」

「んっ、んー。分かりますかあ。そうですね。今は"悪魔"の品種改良を研究テーマに据えておりまして……。とりあえず、"マンドラゴラ"からかなり強力な興奮剤を作り出すことには成功したのですよ。薬効は既に僕を含めた隊員たちで実証済みです!」

「――ちょっと待って!?」

 何時、一服盛られたのだろう? 小生も思わず真顔になって彼らの会話に割り込んだ。

 フランケン班長は、一瞬きょとんとした後ですぐに小生の疑問に思い至り、晴れやかな朝日を思わせる笑顔で白状する。

 

「皆さんの食事に少し混ぜて、心理状態を観察していたんですよ」

「いかんでしょ!?」

 道理で最近、宴会や歓談の場がエスカレートしがちだったわけだ! 即刻勝手な人体実験は慎むようにと叱責すると、班長含め、何故かアーヴィンまでつまらなそうに唇を尖らせた。

 ブレーキを踏まずにスロットルを開く二人の聞かん坊ぶりに、どっと疲れが襲い掛かってくる。

 そうして肩を落とし、ため息をついたところでチェンさんが彼女は明後日の方を見ながら他人の振りをしていることに気がついた。

 ……猛烈に嫌な予感がぷんぷんしよる。

 小生は空になったマグカップへと目を落として言った。

 

「……まさか、チェンさんも盛りましたか?」

「……少しだけ実験がてらに」

 朝らしい爽快感じゃなくて、"麻"らしい爽快感じゃねーか! 小生は興奮のままに自らの顔を手で覆った。

 

 

 ――さらにすったもんだあった挙句に翌日。

 どうやら、"レッドスプライト"クルーによる"ミトラス"討伐ミッションが本格的に発動したようで、"エルブス"号の周辺に群れていた"悪魔"の気配が目に見えて少なくなったことが観測班による夜通しの観測で明らかにされる。

 恐らく、小一時間後には小生たちも後段ミッションに身を投じることになるだろう。

 訪問者へ食料を渡すための一時的な保管庫や訪問者用の宿泊施設――、通称"ショップ"や"ホテル"などの建設も進み、日に日にインフラストラクチャーの充実していく"箱庭"の中央広場にて小生が柔軟体操をしていると、建物の影でレミエルさんとおかっぱ頭の少女が仲睦まじく遊んでいる姿が目に映った。

 おかっぱ頭の少女――、はなこさんも今やすっかり彼女に懐いてしまっているようだ。

 今は住人たちも空気を読んで見ない振りをしてくれているが、遅かれ早かれ彼女のことはちゃんと皆に紹介するべきだろう。

 そのためのお膳立てをしてくれていると考えれば、レミエルさんのお節介は至極ありがたいものだった。

 だからこそ、忙しさにかまけて後回しにしていた礼をいい加減彼女に言うことにする。

 

「おはようございます、レミエルさん。その、いつもいつもありがとうございます」

「おはようございます。ヤマダ。いえ、これは私自身のためにやっていることですから」

 小生がレミエルさんに声をかけると、はなこさんはびっくりしたように飛び上がり、身体を透明化させて消えてしまった。

 あちゃあ……。折角楽しんでいたところを邪魔してしまったのかもしれない。

 

「……まあ、もう少しといったところですね。もう少しだけあの子に時間をください」

「申し訳ありません……」

 ぺこりと邪魔をしてしまったことを謝ると、レミエルさんは「そうではない」とばかりに首を横に振った。

 

「あの子は貴方たちの輪に入ろうと努力しているのです。ですから、貴方が歩み寄ること自体が間違いであるとは思いません。間違いがあるとすれば、あの子が"悪霊"というケガレた存在であるということ。謝る必要は無いのですよ」

「ケガレた存在、ですか……?」

 小生の問いに、レミエルさんは頷いて言う。

「本質的に"悪霊"とは人間に仇なす存在なのです。ですが、あの子は人間に仇なさんとする存在理念を意思で捻じ伏せてみせました。これは大変崇高なことなのです。"愛"が芽生えたと言い換えても宜しい。ヤマダ、"愛"とは一体何ですか?」

「えっと、愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない……、でしたっけ」

 言われてすぐに出てきたのは、新約聖書にある『コリントの信徒への手紙』第13章であった。

 やたら、親族や友人の結婚式やらが重なり、しかもやけに耳に良く響くものだからほとんど覚えてしまったのである。

 思えば、あれは人の悪意を受けて腹痛が増すようになった耳に残るようになった気がする。

 

「って、よもや……?」

 半眼でレミエルさんを睨むと、彼女も先日のチェンさんと同様に目を逸らした。

 やはり小生の日常は、秩序だった見えざる力によって色々と強いられていたのかもしれない。

 咳払いをしつつ、彼女は続ける。

 

「それはさておき、我らが主は"愛"そのものです。忍耐そのものなのです。ですから、私には"愛"の芽生えた彼女を救う使命があります。"愛"を得た"悪魔"が進化する前例を私は既に学んでおりますから、"悪霊"を無害な"地霊"の類に変える程度のことはこなしてみせましょう。とりあえずは――」

 言って、彼女ははなこさんと一緒に良くやっている決めポーズをクールな表情のままにとった。

 

「貴方の無事を祈っておりますよ。今日は"特に"気を引き締めなさい」

「はあ……、お気遣いありがとうございます?」

 と良くは分からぬままに後段ミッションへと送り出される。

 

 

 "箱庭"を出ると、まず巨大な"ミトラス"宮殿の最上階辺りからもくもくと煙が立ち上っていることに気がついた。

 いや。煙だけでなく、時折稲光のような光も内部より漏れている。あれは恐らく、何らかの戦闘の余波だろう。

 同行する機動班の面々もまたそれに気がついたようで、互いに顔を見合わせては宮殿内で戦っているであろう同胞たちへと思いを馳せる。

 

「……"レッドスプライト"クルーはミッションを順調に進めているようだ。我々も負けてられんな」

 リーダーの言葉に皆が頷き、小生らは機動班のスリーマンセルを前衛に置いた人・魔混合の中隊陣形を取って、目的地へと足を速めた。

 原色の建物が建ち並ぶ小路に敵がほとんどいないことは既に分かっている。

 観測気球からリアルタイムで届けられる立体情報が、小生らの索敵パフォーマンスを限界以上にまで引き上げているからだ。

 

「ポイント2-5……、クリア」

「2-6、クリア」

「オーケイ、そろそろ愛しの"エルブス"号が見えてくる頃合だぞ」

 スリーマンセルの先頭を進む強面がそう言って、小路の曲がり角に建っている建物の壁にぴたりと張り付く。

 彼が静止するのと同時に阿吽の呼吸で、仲魔の"ゴブリン"が低い姿勢でその先へと飛び出していった。

 索敵に引っかからなかったイレギュラーを燻り出しに行ったのだ。この辺りのリスクマネジメント能力は今までの歴戦で磨き上げられたものであり、恐らくは"レッドスプライト"クルーのそれと比べてみても、決して劣るものではないだろう。

 

「アニキ、敵はいなさそうだぜ! こういう時何つうんだっけ、クリアーだ!」

 "ゴブリン"が覚えたてのハンドサインをこなしながら、そんなことを小さくない声で言う。

 あれではハンドサインの意味が無いが、本人としては立派な仕事をしているつもりなのだろう。

「グッドボーイだ。相棒」

 強面も彼を咎めるのではなく、気長に仕込んでいく腹積りらしい。

 苦笑いを浮かべながら彼はリーダーとアイコンタクトで頷きあうと、"ゴブリン"を追って曲がり角の先へと向かう。続き、リーダーが。エースが。そして小生も曲がり角からその身を躍らせる。

 そうして辿り着いた区画は以前、"ガキ"を蹴散らした小路であった。

 奥にはかつて小生らの母艦であったはずの"残骸"が、周辺の建物をなぎ倒したままに横たわっている。

 そう、あれはただの"残骸"だ。

 "エルブス"号は次世代テクノロジーの結晶であるという性質上、小生らにとっても"悪魔"にとっても貴重な資材の塊となる。

 故に幾多もの資材回収任務の対象として選ばれ、今やあちらこちらの隔壁が剥ぎ取られており、内部が半ば露出してしまっているような状態であった。

 

「……あの様子で、お目当ての通信機は無事なのか?」

 エースが当然過ぎる疑問を呟くと"バケツ頭"を通じて"箱庭"に待機しているゼレーニン中尉がそれに答えた。

『"グレーバー"通信機は艦橋の管制室に置かれているわ。今までに行われた資材回収ミッションのリポートによれば管制室は比較的荒らされていないことが判明しているから、後は天に祈るより他にないわね』

「天、ねえ。シュバルツバースに取り残されちまったオレらが天運を信じられるほどツイてるとは到底思えないんだが」

『それなら、そこにいらっしゃる女神様に祈りを捧げるといいわ』

「……アンタならそう言うと思ったよ。まあ、"比較的"ツイてはいるんだろうな。兄弟?」

 言って、エースは小生に笑いかけてきた。多分、気の利いたジョークを言ったつもりなのだ。

 小生は曖昧に笑って返そうとしたところで、機動班の顔色が一斉に変わった。

 

 "悪魔"の接近を感知したのだ。

 

「あっ、やば!?」

 即座に有利な地形へと身を隠した3人とは違い、反応の遅れた小生はものの見事に小路に取り残され、"悪魔"の群れの襲撃を受けてしまう。

 "ハーピー"に"コカクチョウ"。襲撃してきたのはいわゆる飛行型の"悪魔"たちであった。 

 もしかすると彼女らの巡回ルートに引っかかりでもしたのだろうか。敵の群れは獲物を見つけた歓喜に表情を歪め、散開し遅れた小生らのパーティに向かって急降下攻撃を仕掛けてくる。

 突如として曝された生命の危機。

 もし、小生が普段通りの心理状態にあったのなら、きっと身体を強ばらせ、直後逃げるための一手を必死に探し求めたに違いあるまい。

 だが、今の小生は普段通りとは到底言えぬ心理状態に陥っていた。

 誰に言われるまでもなく、脅威に向けて無謀にも一歩進み出る。

 

「ヤマダ、下がって!」

「いえ、今のは小生の不手際です! 無駄な被害を減らすためにも前に出ますっ!」

「待って、無茶しないでっ!」

 心配そうに制止するトラちゃんさんにぺこりと頭を下げつつ、小生はバックパックから石を取り出して身構えた。

 襲撃者と守り手、途端に狭まる両者の距離。

 小生は目をかっと見開いた。たとえ手傷を負っても構いはしない。仲間や仲魔たちが自分の代わりに傷つくよりも、その方がずっとずっとマシだ……。そんな衝動的な行動は、幸か不幸か全くの取り越し苦労に終わってしまう。

 

「――蛮勇を奇貨へ変えるのも一流の狩人の嗜みぞ」

 いち早く物陰へと隠れていた"ハルパス"さんたちが、小生を囮にした奇襲攻撃を見事成功させたのだ。

 まるで猛禽類が行う狩りのように、"ハルパス"さんは"ハーピー"を空中で鷲掴みにし、嘴で喉を深々と切り裂く。

 その際に脊髄らしきものを引きずり出して摘み食いしているあたり、食物連鎖の上位層特有の威厳を感じさせる。

 味方をやられて硬直した"コカクチョウ"もまたリーダーたちの集中砲火を受け、満身創痍の状態でひょろひょろと高度を下げていく。その隙をリーダーの使役する"ゴブリン"が突いた。

 

「奇襲はお手の物だぜ、ベイビー!」

 "ゴブリン"の鉤爪が"コカクチョウ"を真っ二つに変える。

 続いて流れるように強面とエースが周辺のクリアリングを行う。

 息をつく暇も無い、圧倒的な瞬殺劇であった。

 その立役者の一人であるエースが、こちらを見ながら面白そうに笑みを深めた。

 

「ナイス囮」

 マシンガンによる残心の姿勢すらもわざとらしく思えてしまうほどの悪戯っぽい表情であった。

 その余裕綽々振りに小生は何と言っていいやら、強張っていた体を脱力させる。そこを、

「いてっ」

 とトラちゃんさんに強めのチョップを入れられた。その威力たるや一瞬"バケツ頭"のモニターが乱れるほどで、割と本気な痛みについ顔をしかめてしまう。何故? WHY? と疑問符が頭上を踊りまわる。

 

「ヤマダ! 今のはやっちゃ駄目な奴だからね。分かってんの!!」

「あ、すいません。敵の接近に気づかなくて……」

「――そうじゃなくて!」

 小生の謝罪を遮ったトラちゃんさんは、艶やかな青髪を振り乱し普段は決して見せぬ真剣な面持ちで小生を睨んできた。

 

「アンタ、"兵隊アリ"の役割じゃないでしょ!」

「あっ」

 言われて、自分の思い上がりに今更気がつく。

 周囲を見れば、エース以外の皆が困ったような顔をしていた。

 

 先ほど小生が取ろうとしていた行動は、まさに仲間の身を守らんとする兵隊アリの役割と言えよう。

 そしてそれは戦闘のプロフェッショナルにとっては、自らのお株を奪う余計なお世話であり、トラちゃんさんたちにとっては余計な心配を増やすだけの愚行だった。

 どうやら、野球好きの死という事実は、思っていた以上に小生の判断力を鈍らせてしまっているらしい。

 

「……すいません。色々混乱していたみたいです」

「ホントに分かってるならアタシからは何も言わないけど。気をつけて頂戴よ! アンタは大事な契約者なんだからっ!」

 ただひたすらに頭を下げる小生に対して、いまいち信用できないという風に半眼で見上げてくるトラちゃんさん。

 いい加減に居た堪れなくなってきた頃合で、双方が丸く収まる着地点を提示してきたのは今までサポートに徹していたカンバリ様であった。

 

「そう引きずらずとも、他ならぬ神が完璧ではないのじゃから、ニンゲンである小僧に完璧を求めたところで仕方あるまいて。間違うたびに周りが言い含めてやれば良いだけの話じゃろう」

「カンバリ、そうは言うけど」

「ハテ、女神とは慈悲深いものと考えていたのじゃが」

「うー……」

 トラちゃんさんはまだ色々と言いたそうにしていたが、流石に理想足るべき女神のことを取り上げられればぐうの音も出ないらしい。

 小生がもう一度深く頭を下げると、彼女は握り拳を固めながら不満そうにぷいっと顔を背けた。

 許されるかどうかは、今後の反省次第ということだろう。小生はカンバリ様にも礼を言いつつ、自らの本分を思い出して隊のサポートに専念することにした。

 その後は特に厄介な敵との遭遇も無く、小生らは"エルブス"号から無事に"グレーバー"通信機の回収に成功する。

 管制室から切り離された通信機を梱包材で包んだ後、リーダーが心持ち表情を引き締めて皆に言った。

 

「……良し、後段ミッションの目標物確保も完了した。後はこれを"レッドスプライト"号に届けるだけだな。皆、もうひとふんばりだ」

「行きは良い良いとならなきゃ良いがな」

 強面の軽口に、リーダーは真顔で頷く。実際、この通信機を無事"レッドスプライト"号へ届けられなければ、これまでの苦労が全て水の泡になってしまう。

 彼は"ゴブリン"2体に通信機のポーター役を任じつつ、"箱庭"のクルーへ通信を飛ばして周辺状況の最調査を要請した。

 結果としては、特に問題となる脅威は見られず。

 小生らはほっと安堵の息を吐き、今の内にと"エルブス"号の外へと早足で出て行く。

 

 ――そして、奇妙な識別信号をキャッチした。

「何だこりゃ……?」

 どうやら識別信号は目と鼻の先から送られてきているようだ。

 信号を頼りに辺りを窺うと、小路を真っ直ぐに進んだ更に50メートル以上先に何かがいるのが見える。

 先ほどの調査結果には無かった情報だ。

 "箱庭"のクルーたちを信じるのならば、彼女は突然泡のようにその場に現れたことになる。

 

「……って女性?」

 小生の網膜の動きに合わせて、"バケツ頭"のモニターに50メートル先の拡大映像が表示された。

 風にたなびく黒い長髪に気の強そうな凛とした美貌。

 その身に纏っているのは、赤い防弾ジャケットに黒い細身のジャンプスーツ。デザインこそ違えども、小生らのデモニカスーツとコンセプト自体は似ているように思える。

 小生は彼女の顔を見て、思わず「あっ」と声を漏らした。

「おいおい、何で人間の女なんかがヘルメットもなしでこんなところにいやがるんだ……?」

 素っ頓狂な声をあげるエースに対して、彼のデモニカスーツに居着いていた戦闘支援AIが強い警告を発する。

『相棒、気をつけろ。あれは間違いなくデモニカスーツだが、我々の知るデモニカスーツじゃない』

 そのやり取りが聞こえたのだろうか。

 正面に佇んでいた黒いデモニカスーツの女性が柳眉を不可解そうに歪めて、身近な何かと会話を始める。

 

「あれは……。プロトタイプ"ジョージ"の持ち主ね。本来なら、彼はとっくに死んでいるはず……。それに"エルブス"号の乗組員が、"悪魔"を使役……? 一体何が起こっているの……?」

 小生は迷うことなくバックパックから蘇生の力が篭められた石をありったけ取り出した。

 彼女が遠くない未来に戦うことになる"彼女"ならば、この邂逅は非常にまずい。

 それは単純な力量差からくる、万が一の危機感であった。

 彼女は言葉少なに何者かと会話した後、小型の金属筒をかちゃりと取り出す。

 

「ええ、そうね。不確定要素はここで排除しておくべきだわ。少なくとも、"レッドスプライト"のクルーに命の重さを知る者はいない。ならば――」

 ――瞬間。

 女性の姿がモニターから消失した。

 いや、違う。まるで消え失せたかのように疾く動いただけだ。

「"エルブス"号の連中とて同じこと! "悪魔"どもに誑かされる、ゼレーニンの同類やヒメネスの同類が増えただけなら、増えただけ刈り取れば良いッ!!」

 気づけば彼女は小生らの目と鼻の先にまで飛び込んできていた。

 50メートルの距離を一瞬で詰める、彼女の高速移動に対応できたのは恐らく"事前"に彼女を知っていた小生だけだ。

「なっ!?」

 後の面々は皆、突然の事態に身体が硬直してしまっているようで満足な迎撃態勢を取れていなかった。

 1テンポ遅れて機動班の並べたマシンガンの銃口が即席の槍衾を作りあげたが、それは彼女にとって脅威でもなんでもない。 

 

「……駄目です! 皆、避けてくださいッ」

 小生の叫びも空しく、虚空を飛ぶ女性の手元が無慈悲に光った。

 利き手に握る金属筒の先端から、10メートルにも及ぶ長大な光の刃が飛び出したのだ。

 恐らくはプラズマ粒子を利用した携行近接兵装。

 その脅威度は、銃口を向けられながらも涼しい顔をしている彼女を見ればまさに想像するに容易きものであった。

 

「まとめて消えろっ!」

 光刃が横薙ぎに閃いた。

 渦巻いたプラズマ粒子が真一文字にシュバルツバースの空気を灼き、機動班の持つマシンガンをバターのように切り裂いていく。

 そして、当然ながらマシンガンの持ち主もまた、必殺の光刃から逃れることはできない。 

 全てが通り過ぎた後、べちゃりと両断された三人の上半身が地面へとずり落ちていく。

 仲間たちが死に至らんとする光景が、ノイズ交じりの断末魔とともに"バケツ頭"のモニター上に映し出された。

 

「――ッッ! くっそぉッ!!」

 小生は予め用意しておいた蘇生の石を、3人のもとへ正確に投げていく。

「回復をッ!」

 続いてトラちゃんさんへ言葉少なな回復の指示。

 ことは刹那を争う局面であった。

 

「え、回復っ? 蘇生じゃなくて? でも。わ、分かったわ!」

 あまりの急展開にフリーズしていたトラちゃんさんが再起動を果たす前に、石に篭められた白い光が3人の致命傷を重傷へと置き換える。

 勿論、小生の一手だけでは全滅を先延ばしにするだけの単なる気休めに終わってしまうことだろう。であるからこそ、トラちゃんさんの回復能力が要る。

 

「メディラマ!!」

 そう叫んだトラちゃんさんの指先から放たれた祝福の光が、即死していた3人の肉体を元通りに修復せしめた。

 流石に意識の回復にまでは至らなかったが、ここは犠牲者を0にできただけで十分と考えよう。

 

 女性はそんなこちらの対応を受けて、予想外とばかりにその切れ長の目を細めた。

 どうやら先ほどの攻撃は必殺の確信があったようだ。彼女は苛立たしげに舌打ちすると、小型の拳銃を取り出して小生の眉間へと狙いを定める。

 未来的なデザインの拳銃だった。

 実弾を発射するようなタイプの銃口は確認できなかったが、先ほどの一閃を目の当たりにしていた小生は、恥も外聞も忘れて地面を転がり、攻撃を避けようとする。

 

「お前……、やけに反応の早い奴だッ!」

 罵詈雑言と共に、拳銃の引き金が引かれた。

 そして、拳銃の銃口から機動班の装備している実弾とは段違いの威力を持ったエネルギー弾が発射される。

 それらは着弾時に音こそ立てないものの、一々大きなクレーターを作り上げ、寸でを転がる小生の肝を冷やしていった。

 身を隠した建物の壁が焼け落ち、苦し紛れに投げつけた端材がプラズマに包まれ消滅する。

 さながら将棋で詰めをかけられているかのような畳み掛けが続く。それを力ずくで遮ったのは、小生を狙われたことで激昂したトラちゃんさんだった。

 

「この――! ヤマダに何すんのよ!!」

「私も加勢いたしますよっ!」

 拳を光らせ殴りかかるトラちゃんさんに続き、ディオニュソスさんもまた女性の側面へと回りこむ。

「ならば、我も続くより他にあるまいてっ!」

 そこに"ハルパス"さんも加わり、"箱庭"最強戦力による三方からの同時攻撃が偶然にも実現する。

 それは今までに経験した戦いならば、趨勢を一気に持っていくほどに強力で決定的な連携攻撃であると言えた。

 

 だが、女性はこちらの奮戦を嘲笑うかのように見事な体術で三方からの攻撃を受け流していく。

 マッスルパンチは拳の側面を叩くことでその軌道を逸らし、ディオニュソスさんによる手刀の一撃はすらりとした長い脚で蹴り上げていなす。

 続くハルパスさんのサーベルは姿勢を低くして潜り抜け、彼女はそのままトンボを切るようにして"エルブス"号の残骸の上へと飛び乗った。

 

「出鱈目だ……」

 今までのやり取りで、彼女は傷一つ負っていない。汗一つかいてすらいない。

 彼女と比べれば便所空間で出会った"マカーブル"など赤子と変わらぬ強さであった。

 黒豚召喚による永久機関を実現していた"オーカス"など、攻撃があたるだけずっとずっとマシであった。

 比較にならない次元の戦闘力と判断力――。

 それらが組み合わさって形を成した悪夢こそが彼女であった。

 

「何よ、あいつホントに人間なの……?」

「……これは神々や英霊と矛を交わすつもりで戦う必要があるかもしれませんね」

「クハ、クハハハ!! これは愉悦ッ。これほどの強き者と出会えた運命に、感謝を捧げねば……ッッ!」

 ポーター役を務めていた"ゴブリン"たちが通信機を背負って戦場から離れんとする中、トラちゃんさんたちはじりじりと小生らの盾となるべく女性との間合いを詰めていく。

 悪夢を前にして決して退こうとしない彼女らを見回した黒髪の女性は、解せないといった風に困惑交じりの呟きを漏らした。

 

「……妙だわ、ジョージ。このセクターにしてはどいつも戦力が整いすぎている。それも"タダノヒトナリ"ではない人間たちだというのに――」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 彼女の呟きを拾い取った小生は、活路を求めて懇願するように叫ぶ。

 このまままともに戦ったとしても勝ちの目は薄く、大きな犠牲を支払う羽目になることだろう。

 彼女はルイ・サイファーに見せられた未来において、タダノ君と共闘していたはずだ。

 ならば、話し合いの余地があったっておかしくはない……。いや、必ずや話し合いの余地があるはずだ。

 そう考えて、喉を嗄らさんばかりに続ける。

 

「貴女がタダノ君のお知り合いなら、我々が戦う理由はありませんっ! 我々はタダノ君の味方です!!」と。

 そして、歓楽街に訪れる一瞬の沈黙。

 直後、猛烈な殺気を当てられ、小生は思わず尻餅をついた。

 

「味方、だと? そうだろうな。お前たちは"奴"の味方だろう……!」

 女性の凛とした美貌が憎しみに染まる。怒り、悲しみ、様々な感情をごちゃ混ぜにしたような声色で、彼女は激情のままに吼えた。

 

「――タダノヒトナリの味方ならば、それは私の敵も同然だ! "ジョージ"、ハーモナイザーを起動ッ。デモニカの出力をもう一段階上げるッッ!」

『OK、相棒』

 女性の顔が"バケツ頭"に似たヘルメットで覆われ、身に纏う威圧感がより一層に増していった。

 そして、再び女性が一陣の風と化す。

 トラちゃんさんを蹴り飛ばし、ハルパスさんの羽根を折り、ディオニュソスさんの胸に風穴を開け、

「まずい――、テトラカーン……、ガッ」

 小生をかばおうとしたカンバリ様を、物理反射の異能ごと打ち破る。

 気がつけば、大事な仲魔を皆蹴散らされた挙句に小生の目の前に怒り狂った女性が立っていた。

 

「ヒッ」

 思考が上手く纏まらない。

 ただ、分かるのは次に彼女が動きを見せた時が、小生が死ぬ時だということだ。

 それだけじゃなく意識の無い仲間たちや、仲魔たちも――。

 自ずと湧いて出た恐怖心が、小生の身体を少しでも彼女から遠ざけるようにとしきりに脳へと警鐘を鳴らす。

 彼女が一歩こちらへと詰め、無意識に逃げ腰の身体が退いたところで、胸ポケットに入っていた"お守り"代わりの"封魔管"が乾いた音を立てて何かとぶつかる音がした。

 

「――あっ」

 女性が再び光刃を繰り出して小生をなます切りにしようとするほんの一瞬の間に、小生は直感に身を委ねて"封魔管"を取り出した。

 

『確か日本神話の……、地霊の親玉みたいな奴が封じられているはずだ』

 

 タダノ君に"これ"の素性を知らされてより、一応解析をしてはいたものの、未だ実際に中身と対面したことの無かった切り札である。

 召喚に用いるキーワードは分かっていた。ただ、召喚時に膨大なエネルギーを食うらしいと判明していたために貧乏性が抜けなかっただけだ。

 ……だが、今はコストを考えている場合ではない。

「召喚!」

 小生が"封魔管"に念を篭めながらそう言うと、試験管状のそれはほのかに緑色の光を発し始める。

 

「クッ……。お前、何をするつもりだ!!」

「そんなの分かりませんよ!!」

 そして猛烈な虚脱感が全身を襲う。

 どうやらエネルギーは小生の体内から賄われているらしい。

 

『――我は汝、汝は我』

 痛みで割れそうになる頭の中に、響き渡る不可思議な男の声。

「は、へっ!?」

 やがて試験管から飛び出してきた植物の蔓が、枝が、幹が小生の全身を飲み込まんとする。

 

「え、ヤマダ!? もしかして"封魔管"を使って……、って何よその顕現の仕方っ!!」

「し、しし知りませんよ!? わっぷ――」

 すぐに顔も植物に覆われ、呼吸すらも満足にできなくなってしまう。

 まずい、これじゃあ女性に殺される前に死んでしまいかねない! 

 思わず悲鳴をあげようとしたが、小生の発しようとした言葉とは別の言葉が何故か口をついて出てくる。

 

『――我は地霊"クエビコ"。人は皆、山田の"そほど"と我を呼ぶなり』

 その声もまた、不可思議な男の声と小生のそれが重なっているように響いた。

 何ぞこれ……。

 身体中の肉という肉が植物の細胞壁へと置き換わり、視点がいつもよりも高くなる。

 高層の建物が目線と同じくらいにあり、口をあんぐりと開けた仲魔たちや驚きを隠せない黒髪の少女がこちらを見上げているのが視界に映る。

 足を動かそうとするもどうにも上手く動かせなかった。

 何やら植物と化した小生の足は、まるで案山子のように一本にまとめられて地面に深く埋まってしまっているようだ。

 代わりに手は自在に動かせることに気がつく。

 一本足では上手く保てぬバランスを取るため、手を地面につくとついた箇所から濃い緑色の雑草やコケが無数に伸びていった。

 繰り返しになるが、何ぞこれ……。

 

「何の手品か知らないが――!!」

 困惑する小生の身体が、女性の振るった光刃によって切り刻まれる。が、大したダメージにはなっていないようで、むしろ切り裂かれたその場から修復が始まる始末であった。

 思考の纏まらぬ中で小生は必死に考える。

 何もかもが分からないことばかりの現状だが、分かることだけを拾い集めていく。

 

 例えば今の自分がゼレーニン中尉の使役している"スパルナ"も真っ青なサイズに巨大化してしまっていることは理解できた。

 そして、女性に一撃で切り伏せられる可能性がなくなったことも理解できた。

 と言うことは、すなわち。

 

 この仲間たちが今にも殺されんとしている状況下において、皆を守る盾になれるのではないだろうか……?

 

 小生は仲間や仲魔たちを一度ちらりと見て、一心不乱に女性に向かって植物と化した巨大な腕を振り下ろした。

 


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