シュバルツバースでシヴィライゼーション 作:ヘルシェイク三郎
「重ね重ね質問します。貴方はご自分の名前を思い出せましたか? ……貴方は一体誰ですか?」
仲間たちが固唾を呑んで見守る中、"レッドスプライト"号の医療スタッフであるゾイ女史によって、野球好きの面影を残す"悪魔"への確認作業は粛々と続けられた。
「ア゛、ア゛――」
"悪魔"は医療ベッドに腰掛けたまま、女史に向かって声帯を震わせる。それは断じて言語などではなかったし、言語を解しているとも思えなかった。
「……項目45が丸Cよ。次項目の46に移るわね」
"悪魔"が何らかの反応を示すたびにゾイ女史の暗い声が書記役の小生に投げかけられる。机をペン先で叩く回数も増えていた。小生のタッチパネル式キーボードをタイプする勢いも決して明るいものではない。ただ、恐らく彼女とは気持ちの沈む原因が異なるだろう。
「先ほどやりましたから、要領は覚えていますね? はい。指で答えてもらってかまいませんよ。今度はこの紙に書かれた絵を……。そうです。この積み上げられた直方体はいくつありますか?」
そんなやりとりが続けられる傍らで、先日まで機動班の一人が寝ていたベッドの上では、"ハーピー"があくびをしながら、うとうとと微睡んでいた。
もし事情を知らないものがあの様をみれば、いい気なものだと呆れてしまいそうになるかもしれない。だが、彼女と小生らではそもそもの立場が違うのだ。
片時も彼から離れないところを鑑みるに、彼女の彼に傾ける親愛の情が本物であるということだけは疑ってはなるまい。
「……そりゃあ、仲間が"仲魔"になってしまった側と同じ"仲魔"になった側では感じ方が違ってくるよなあ」
「……どうしたの? ヤマダさん」
「あ、いえ――」
独り言を聞き咎められたところで、小生は掘ったて小屋の窓から差し込む幻の西日が夕刻を示していることにようやく気がつく。正直、働き過ぎだった。
「ゾイさん、今日はここでお仕舞いにしませんか? 皆さんもそれで良いって顔をしていますし」
小生の呼びかけに、外野を囲っていた仲間たちがうんうんと頷いた。
女史は深いため息をついて、ペン先を自らの眉間に強く押しつけ、答える。
「そう、ね。肝心のデータを引き出せなかったのは残念だけど……。ああ。本日収集した内容はヤマダさんから、皆さんに報告してもらえるのかしら?」
「ぶつ切りの
「……お仕事が速いのね。それなら、ご厚意に甘えて私はドクターと少しご相談させてもらおうかしら」
と少し弾んだ調子で彼女は言う。ゾイ女史がこのシュバルツバースに取り残される前からドクターの大ファンであるという情報は、以前に本人の口から聞かされたことであった。
ご自由にと返そうとしたところで、外野に混ざっていた助手さんや"リリム"からの冷気を感じ取り、慌てて自身のお腹を両手の摩擦熱で温める。冷えは腹痛の大敵だものね……。気をつけなきゃだよね……。
「じゃあ、うちらも広場に退けて配膳手伝うかあ」
「ヤマダもこれから他の残務処理とか始めんなよ? 飯の時間が遅れちまうから」
と大きく伸びをして掘ったて小屋から外野たちもぞろぞろと出ていく。
全員が出ていき、ドアがぱたんと閉められた後で、小生は"ハーピー"の傍らで呆と夕日を見つめる彼を見た。
腰掛けていても分かる巨躯、筋骨隆々としたその身体には銅色と赤銅色がマーブル模様を描いている。
当初身につけていた猛獣の毛皮を模した一枚布は、検査の手前脱いでもらっていた。やはり、顔つきは野球好きの彼そのものだ。
成る程、こうしてまじまじと面影を見れば、彼が冥府の底から黄泉返ってきたのだと"勘違い"してしまってもおかしくはあるまい。
事実、仲間たちのほとんどは今回のニュースを明るいものとして捉えているし、女史の声色が沈んだものであったのも、それは障害を負った戦士に対する労りに端を発しているだけのはずだ。
だが、生憎と小生には他の面々よりも悲観的な情報が集まりすぎていた。
白髪の老人からもたらされた魂に関する理解。トラちゃんさんやレミエルさんの分析。そして、ルイ・サイファーの残した言葉。
「ウ゛――」
身体に痒みを感じたのか、彼は二の腕をボリボリと大ざっぱに掻き毟る。掻いた箇所からボロボロと剥がれ落ちていったのは、陶片にも似た土の塊だった。
道頓堀の水底に溜まる泥なのだろう、あれは。先日に起こった"昆虫"発生事件を鑑みれば、彼がどのように生まれ、小生らの目の前へと現れたのかは、おぼろげながら想像もできる。そして、それが小生の気持ちをより一層暗く沈めた。
――彼は、"新世界"の住人なのである。真っ当な"悪魔"ではないが、勿論ながら人でもない。
小生は自らの頭をがしがしと掻き毟る。旧世界の身の上だ。当然、土片は落ちてこなかった。
◇
夕飯時。
住人たちの誰もが広場のベンチに腰掛けて、トレーの中身をフォークやスプーンで突きながらハンドヘルドコンピュータの表示に目を走らせている。
タスクボードにアップされた
皆が無心で液晶表示をタップする様は、さながらくず山の中から失せ物を探すようにも幻視できる。
今、住人たちが最も知りたいことは、果たして彼が自分たちの仲間であったという確かな"記憶"を持っているのか、の一点に尽きた。
"記憶"は絆と言い換えることができよう。いや、正確には"記憶"と"約束"の集合体が絆を形作るのである。
短いながらも共にシュバルツバースに取り残され、死線を潜り抜けてきた記憶。そして、大小様々な約束事。
"レッドスプライト"クルー以上に彼と深い絆をつむいでいた"箱庭"の住人たちは、とにもかくにも彼の"記憶"の有無にこそこだわった。……残念ながら、もたらされた検査結果は住人たちを満足させるものではなかったわけだが。
曰く、大脳辺縁系以外の脳機能は全くもって正常。視覚や相貌、または末端の失認は認められず。
統覚処理も連合処理も滞りなく行われており、空間把握能力に至っては常人が生物学的に到達のできない程、高度な処理を行っているものと推測される。
肝心の大規模な知識損失、思考判断能力に致命的な損傷が見られる点については、これが一度"死亡"したことによるダメージの蓄積によるものか、そもそも復活時に再現されなかっただけなのかについては今後の検査結果を待つことになる――。
つまり、彼に生前の"記憶"は無かったのだ。
「そうか、残念なことだなあ」
とヒスパニックはトレーに盛られたポテトフライをフォークで押し潰しながら、しゅんと俯いた。
「そもそもブロードマン博士の脳地図論に則して考えれば、"見てくれ"が変わった時点で脳機能が都合よく踏襲されていると考えるほうが辻褄が合わないんですけどね。あまり気にすることもないと思います」
とフォローにならないフォローを入れたのは、ヒスパニックとテーブルを挟んだフランケン班長だ。
彼はジャーマンポテトとポテトフライをマッシュしてボウルにぶち込んでおり(ドクターの助手さんは彼のこうした暴挙まで計算して、下手物が生まれないようメニューをある程度決めていたようだった)、目を爛々と輝かせてはスプーンをひらひらとさせていた。
「むしろ、彼という存在が再び僕たちの前に戻ってきた意味を考えるほうが生産的だと思います。ハンマーシュミット博士の提唱していた超進化形態"ユーバーゲシュタルト"についてはご存知ですか?」
「いや、皆目見当もつかねえ」
専門外の話かと眉根を寄せるヒスパニックに対し、班長はしめたとばかりに顔を詰め寄らせる。
「生命体として進化を遂げた"新人類"のことですよ。分かりやすく言えば、"超人"といった感じでしょうか。博士は人間社会が危機に陥った時に、導き手となる存在なのではないか? と考えておられるようでした」
「まるで直接聞いてきたかのように言うんだな」
「論文を読んで、筆者と対話できないようでは研究者としてはモグリですよ」
そこから始まる班長の講演会に、ヒスパニックはお手上げの表情を浮かべていた。
「でも、意味を考えたくなる気持ちも分からなくはないわね。彼は私たちのために命を失ってしまったのだから……」
ゼレーニン中尉は最近"命"の意味について、こうやって思索をめぐらす機会が多くなった。
この命が軽く吹き飛ぶ過酷な環境下において、身近な存在が徐々に死んでいってしまっていることに相当参っているのかもしれない。
男性ならば瞬く間に禿げそうな哲学的な自問自答だが、彼女の場合は欝になりそうで心配だ。
「ヤマダさんはどう思う?」
おう、ナチュラルに答えにくい質問がやってきてしまった。
答えに窮したところで、スプーンを咥えたまま雑草の生い茂る地面に寝転がっていたトラちゃんさんがおもむろに口を挟んでくる。
このお行儀の悪さ。どうやら完全に人間社会の食器捌きをマスターしてしまったようだ。
どうでもいいけど平坦な胸部よりも腹部が盛り上がっていると、何とも複雑な気分になってしまうんだよな……。食べ盛りか。
「そんなの決まってるでしょ。あいつが死んだのは群れを守るためで。復活したのは1000%アタシのお陰よ。多分」
秩序を尊ぶトラちゃんさんらしい返答であった。そして、概ね小生の推測とも重なっている。
思うに、野球好きは……、今回のケースは別段死者が黄泉返ったわけではない。
言うなれば、"再現"が行われたのだ。
彼という生命の記録を基にして、トラちゃんさんの創世した"箱庭"の中で、"昆虫"のときと同じようにただ新たな生命が誕生しただけなのである。
例えば、黄泉返りを指して「失われたAがAとして修復される」と定義づけられるのならば、ここでいう"再現"とは「失われたAの代わりにAと酷似したA´を置換する」ことに他ならない。
冥界の老人は言っていた。既に野球好きの魂は人の形を成しておらず、恐らくは消滅しているはずであろうと。
トラちゃんさんたちは言っていた。"箱庭"に漂う彼の残り香は、ただの残留思念に過ぎないのだと。
理性的に情報をまとめれば、新たに生まれ出た彼が全く別の存在であることなど容易に想像がつく。
であるからこそ、小生は戸惑うのだ。
彼という存在は野球好きという生体情報をコピーして生まれたに過ぎず、野球好きそのものではないわけで……。
果たして、野球好きの代わりが彼に務まるのか? それは野球好きにも、彼にも礼を失した考え方だと思う。
うーん……。
「……成る程。女神様のお力とするなら、色々と納得もいきますね」
中尉の相槌に、上体を起こして胡坐をかいたトラちゃんさんが鼻を高くする。
「でしょ。アタシもそれで納得したわ!」
「女神様も?」
「アッ」
「こうして馬脚を現すのが二文字様たる所以なのですね」
「サナダムシィッ!!」
もー、ちょっと静かにしてくれないかな……。
ゴッチンゴッチン、トラちゃんさんとレミエルさんが頭突きあっている中、小生は黙って思索を進める。
野球好きの黄泉返りについては無闇に期待を持たないとして、考えるべきことはほかにもあった。
例えば、野球好きが人間そのままの形で"再現"されなかった理由について。
これは二つの可能性が考えられると思う。
一つは、地球に眠る記録の中から"人間"に関するものがすっかり消去されてしまっていて、満足のいく再現ができなかった可能性だ。これはいつぞやに推察した人類害虫論を補足することになるわけで、正直考えるだけで胃が痛くなる。
そしてもう一つは、野球好きの魂が散逸してしまったせいで十全な生体情報を集めることができなかった可能性であろう。
いずれにせよ生体情報の不完全さが"人外"の誕生を招いたのならば、彼を指して"超人"と評すのは間違っているように思える。
かといって"偽人"と評すのもあまりに人間本位な見方ではあるわけだが……。
「――大事なことは、何が足りていて何が足りていないかじゃない。彼という存在が味方であるか。それ以外であるかの一点に尽きると俺は考える」
女神と大天使の取っ組み合いと、班長の講演会をまとめたのは、我らが黒人リーダーであった。
彼は貴重なインスタントコーヒーを更に薄めた一杯をちびりとやりながら、感慨深げに掘っ立て小屋のほうへと目をやる。
「そして、彼は敵ではないよ。これはとても、とても大事なことなんだ」
リーダーのこの見解について、"箱庭"の住人は勿論、オブザーバーとして顔を見せていた"レッドスプライト"クルーからも異論が差し挟まれることはなかった。
物事をシニカルに考える"ギガンティック"のエースですら、戦友の帰還を無邪気に喜んでいる。
ディオニュソスさんやハルパスさんのような仲魔たちも「ニンゲンたちが何かめでたそうな顔してんなあ」と空気を察している中、もしかすると空気が読めておらずにネガティブなことを考えているのは小生ただ一人だけなのかもしれない。
……仲間外れ感が下腹部をぎゅるぎゅる揺さぶっていく。
「……小僧、あんまり細かいことを気にしておると今以上に禿げるぞい」
痛みが悪化しないよう下腹部を摩っていると、不意にふよふよと辺りに浮かんでいたカンバリ様から声をかけられた。
もしや、カンバリ様は小生の戸惑いに気づいておられるのだろうか。いや、それよりも――。
「ま、まだ禿げてないですよね……?」
「とりあえず、冗談ということにしておくわい」
「ですよね。例えば、ドクターと比べたら小生の方が全然望みありますよね?」
「うーむ、我が契約者ながらしつこい上に、小さいのう」
とカンバリ様の大足にすがりついたところで、その日の夜は静かに過ぎていった。
そして翌日の朝焼けに染まる早朝、中央広場。
「おはよう。タダノさんに二人とも。それでは先日できなかった運動能力テストの続きをやりたいと思うのだけれど……。何故彼は野球のバットを小脇に抱えているのかしら?」
首を傾げる女史に対して、野球好きが「ア゛ア゛」と返す。
「"NOAH"の面々に聞いたところ、朝一で彼が"エルブス"号から持ち込んだ自分の私物を目ざとく見つけてからは、ずっとこの状態らしい。そうだよな? ヤマダ」
「ああ、はい。そうなんです」
第三セクター"カリーナ"の探索を一端中座して事実の確認にやってきたタダノ君の言葉に、隣に立っていた小生はぶんぶんと頷く。
「さっき聞いた感じだと、本日予定していたテストの内容は、投擲能力テストだったんだよな?」
「ええ。だから、一度バットを手放してもらわないことにはテストが始められないわね」
「そいつは困ったな。残念ながら余程バットを気に入ったらしく、手放そうとしないんだよ」
お手上げといった風に肩を竦めるタダノ君の言に、女史が口をぽかりと開けた。
「待って。彼は執着行動を取ったの!?」
「専門用語はわからんが、彼の行動を執着と呼ぶならそうなんだろう。何か大きな意味があるのか?」
「"記憶"を辿るヒントになるのよ!!」
そう言って口から泡を飛ばしながら彼女が言うには、何でも執着心というものは本能に根付くものではなく、執着に至る経験を記憶として持っている必要があるのだという。
って、ちょっと待って欲しい。
小生は慌てて問いかける。
「"記憶"が残っているのですか……?」
「そう言ってるじゃない!」
彼女の見解は、先日に小生が出した悲観的な推測を根本からひっくり返すものであった。
というか、マジか……。"記憶"が残っているということは、もしかしてお隣の彼は野球好きそのものだったの……?
おっかなびっくりお隣の彼を見ると、彼はバットを抱えたまま言葉にならない声を発しているだけであった。
「今日の予定を変更しましょう。バットを生かしたスポーツテストに切り替えるのよ!」
「良し来た」
願ってもないとばかりに手を打ったのは、タダノ君だった。
「バットを使ったスポーツテストなんて、野球かソフトしかないだろう。ヤマダ、ボール持ってきてくれ」
「えっ、ですがルールの方は大丈夫なんでしょうか?」
小生が懸念を投じると、タダノ君は何でもないという風に笑顔を浮かべる。
「んなもん、やってる内に思い出すさ。何なら、俺がその都度教えてやっても良い」
ワクワクを隠せないタダノ君の姿を見て、小生は察する。これ、ただ自分が野球やりたいだけだ……。
でもまあ、気持ちは分からないでもなかった。左の瞳に「野」、右の瞳に「球」の文字が点った彼のことはさておいて、小生は野球好きと交わした口約束を思い出す。
彼とキャッチボール、結局できなかったんだよなあ……。
気づいた時には、自然と手が挙がっていた。
「じゃあ、ボール投げるの。小生がやりましょうか」
「ヤマダさんが?」
「おい、そこはピッチャーの俺が投げるべきなんじゃないのか?」
口を尖らせるタダノ君。やはり、自分がやりたいだけだった。だが、こちとら大義名分があるのである。
いつもはハイハイと彼の言うことを聞いている小生も、今回ばかりは譲らなかった。
「実は野球好きさんとキャッチボールする約束していたんです。もしこれが"記憶"に繋がるきっかけに成り得るんでしたら、小生が投げるのが筋かなあって」
「ぐぬぬぬ……」
ぐぬぬじゃないよ。タダノ君の思考回路がどんどん大人げなく、高校時代の頃に近づいているようで、小生心配だ。昨日まではもっと落ち着いたイケメン風だったろ! そんなに野球したいのか!
「うん、やりたい」
「そ、そうですか」
あくまでも食い下がるタダノ君であったが、やがて諦めたようにしゅんと肩を落とし、渋々ピッチャー役を譲ってくれた。
「……分かった。だが、キャッチャーは俺がやるからな。これは絶対譲らん。あと、内野に"オニ"と"ナーガ"呼んどくか。他の面々にも……。てか、ミットがないじゃないか。くそっ、ハタケヤマの良い奴持ってたのに、日本に置いてきっぱなしだ。仕方ないから、デモニカスーツで代用するとして――」
といって、何だかんだでうきうきと身支度を始めるタダノ君。この外界から切り離されたシュバルツバースにおいて、最早気分は草野球の面子集めだった。
かくして即席のグラウンドづくりが開始される。ベース代わりの資材を四方に置き、ボールは小生が持ち込んだ私物を使う。元の"箱庭"が小さいため、大分手狭な球場になってしまったが、ボールを投げて打つゲームだけなら手狭でも事欠かないはずだ。
「お前はファースト! んでお前はサード! セカンドと外野は数がいないから、二人で全部分担しろっ」
「サマナーさんよ、アクマ遣いがおかしくねえか……?」
「いいや。何もおかしくない。むしろ正しい。分かるな? 分かれ。駆けあぁーし!」
「アッハイ」
とぼとぼと外野につくタダノ君の使役"悪魔"たちを横目で見ながら、小生は愛用のボールをぽおんと天に投げる。
何の因果か分からないが、予期せぬ形で約束と望みが叶ってしまった。
野球好きとの……、いや彼が彼そのものかはまだ分からないが、もし本物ならばこれで約束を果たしたことになるだろう。
そして、タダノ君と一緒に野球をやるという望みもだ。
まさか生きて再びプレーできるとは思わなかったなあ、野球……。
少しの戸惑いを覚えつつ、
「さて、どうしよう」
パシンと落ちてきたボールを掴みとり、投球フォームの確認をする。
即席のホームベースにはデモニカスーツを着込んだタダノ君とバットを持った彼がいる。
どうやら、バッティングをジェスチャーで伝えているようだが、果たして何処まで伝わっているものか……。
あくまでも"記憶"を取り戻すきっかけにするだけだし、ここはあまりガチに投げるべきではないのかもしれない。
と考えている内に、タダノ君たちもひとしきりの準備が終わったようで、威勢の良い「しまっていこーう」が"箱庭"内へと響き渡った。
何だ、何だと寝起きの住人たちが掘っ立て小屋の窓から顔を出す。
居心地の悪さを感じながらも、第一球。
手の内を隠し、
これには小生も苦笑いだ。今のサインは高校球児だった時分、チームを盛り上げるために初球でよく飛ばしていたサインを真似たものだろう。
しょうがねいなあ、と振りかぶり、
「ほいっ」
肩を大きく使った速球を放つ。慣らしだから時速110km程度も出ていないはずだ。コントロールの方は失敗するはずもなく、タダノ君の手元そのままへ。バッターの彼は一歩も動けず。
パシン、と捕球の良い音が響いた。
「ストラーイッ」
あっ。キャッチャーだけでなくアンパイアもやるのね。
ボールを投げ返しながら、タダノ君がいたずらっぽく笑う。
「おい、ヤマダ本気出せ。レーザービームで来いよ」
「外野ポジに言ってくださいよ」
「ハハハ。しかし、これだとバッティング厳しいかもしれないな。ちょい作戦タイムだ」
第二球を投げる前に、突発イベントを敏感に察知したエースとハルパスさんが何だ何だとグラウンドに乱入する。とはいえ、見物に徹するようでプレイヤーになるつもりはないようだ。それにトラちゃんさんや、レミエルさんも。
「ふわあ。これ、何やってるの?」
「ベースボールですね。北米から全世界に拡散した球遊びの一種ですよ」
「……大丈夫? 負けた方が心臓を捧げるとかそういうのないわよね?」
「そういえば、中米にはそんな神事がありましたね。望んでみたらどうですか? 邪神として」
「いい加減はっ倒すわよ!! アタシがそんなの望むわけないでしょっ」
やがてヒスパニックや中尉、ドクターたちまでやってきては、本格的な観客席が形作られる。
その片隅では強面とリーダーが作り置きの朝飯をかきこんでいた。どうやらがっつりと応援する気はないようだが、ながら観戦に興じる腹積もりであるようだ。
「朝飯食いながら、ベースボール観戦たぁな。贅沢すぎて"レッドスプライト"のクルーたちにぶちぎれられそうだ」
「……これもテストの一環なんだろう。"あちら"さんも参加していることだし、公開レクの一環として認められるんじゃないか」
と親指でくいっと"あちらさん"呼ばわりされるタダノ君であったが、当人は衆目を集めていることなど頓着せずに夢中でバッターにバッティングの指導をしていた。
「球が来たらな。手元で合わせるように、しゅっとやってきゅっとやってカキーンって感じで。分かるだろ?」
ちなみに彼は高校時代から教えたがりで何人もの後輩球児を指導してきた実績があったが、その実教え方は致命的に下手糞だった。
「バッティングは骨盤で打つんだ。骨盤で。分かったな? よおし、打て!」
タダノ君がバッターの骨盤をぱしんと叩いて激励する。
そのやりとりの懐かしさに少しクスリとさせられながらも、セットポジション。タダノ君からのサインは……、うーん。また速球か。今度は手加減すべきだと思うんだよなあ。
サインの出し直しを要求。スライダー。いや、無理だって。シンカー。それタダノ君の決め球でしょ。
ようやく球種が決まった。というか、相手に捕らえてもらうことを意識したキャッチボール投げである。
ピッチャーヤマダ、振りかぶって第二球……、ぽいっちょ。
第一球よりも高い位置から山なりに落ちていくボールを、半身になったバッターが目で追う。
お? 腰が良い位置にある。バッティングフォームはアメリカンスタイルに似ている気がするけど、さっきタダノ君が教えたのと違うなあ。やはり「しゅっとやってきゅっと」では伝わるものも伝わらぬ。
これはまた見逃しかな? と予想したところでバッターが前のめりにバットを振った。
左手が強い。後ろ手主導なのかな? 随分と古臭――。
次の瞬間、耳をつんざくような打球音とほぼ同時に、凄まじい速度のライナーが小生の頬を切り裂いた。
「――は?」
驚愕に振り返った瞬間、小生はただの野球ボールが"オニ"の頭を陥没させる瞬間を目の当たりにしてしまう。どうみても、あれはやばい当たり方だが、更にバウンド。
跳ね返ったボールは勢いを失わずに"ナーガ"に当たり、これを遠くまで吹き飛ばす。バウンド。
帰ってきた先は小生の顔面であった。
ゴッ。
「ヤ、ヤマダァーッ!?」
…………。
……。
「――で? 手短に説明してくれんか」
「アッハイ。"箱庭"で野球していたら、打球に顔面を吹き飛ばされました」
もう"アケロンの川"へやってくることも、白髪の老人に対する簡潔な状況説明も手馴れたものであった。
老人のほうもやはり手馴れたもので、差し押さえソファにもたれかかりつつ、呆れ顔で紅茶の入ったティーカップを傾ける。
「そなたが何を言っておるのか、いつもながら良く分からぬ」
あれ、通じてない……。どうやら小生の説明能力は一向に進歩を見せていないようだった。
仕方がないにゃあと一から十まで細かく経緯を説明していく。
「いや、そなたの説明の問題ではなく、突飛な経緯が問題なわけだが……。まあ良い。大体事情は把握した」
「お分かりいただけましたか」
「"ベルセルク"と常人たるそなたが力比べをすれば、こうもなろうな」
ん? と老人の言葉に小首を傾げる。
「"ベルセルク"ですか?」
「北欧神話に伝わる高位の妖鬼だ。理性はなくとも、得物は決して離さぬ。そなたの話を聞く限り、そのアクマもどきは"ベルセルク"で相違なかろうて」
「ということは、やはり彼は野球好きさんじゃなかったのですね……」
自分の予想通りとはいえ少し気落ちしながらそう言うと、
「そうとも言えぬ。そもそも、狂戦士たる"ベルセルク"が遊戯の道具を得物として執着していることがそもそも有り得んのだ。これはニンゲンの魂が滅びの地に漂うマグネタイトと妙な形で混ざってしまったために起きたアクシデントであろう」
「えっ?」
老人の語った推測に、小生は目を見開いた。
「野球好きさんの魂が、ですか?」
「そうさな。随分と力技だが、散逸したそやつの残留思念を無理矢理にかき集め、また無理矢理に人の形を取ろうとしたところで、情報が足りずに最も魂の形に近いアクマとして受肉してしまった……。大方そんなところだろう」
「無理矢理にかき集めてって、一体何でそんなことが――」
「何を馬鹿なことを言っておる。それは
老人の言葉にはいつもいつも驚かされてばかりだったが、今ほど仰天したことはなかったかもしれない。
小生の思考は驚きに塗りつぶされ、再起動までに少なからぬ時間を費やした。
小生が? 野球好きの魂を集めた? そう望んだから? 全く意味が分からない。
「し、小生にそんな力ありませんよ」
「だが、"加護"は受けておるではないか」
「え? え? あ、ああっ!!」
不意に小生の脳裏に草地でへそを出して寝転ぶ青髪の女神が浮かび上がった瞬間、小生の身体もまた現世に帰らんと浮かび上がり始めた。
いつもの如くこちらを見上げる老人は、腕を組みながら息を吐く。
「誤解、すれ違い、思い違いはヒトもアクマも面倒ごとしか生み出さん。せめて自省せよ。自身の足元も分からずば、滅びの地で生き延びることなどできぬぞ」
「わ、分かりました! いつもいつもありがとうございます! このお礼はいずれっ」
「いや、一昨日そなたの投資を仮想通貨に半額突っ込んだら大儲けできたので、ここはサービスにしておくよ」
「ちょっと人のお金で何ギャンブルやってるんですか!?」
というか冥界の仮想通貨って何だ!? ネット繋がってるんだろうか……。
正直、老人の界隈が物凄く気になるのだが既に身体は現世へと向かっていた。
光を抜けて、光を抜けて、真っ白な光を潜り抜けると、そこは"箱庭"の中央広場。トラちゃんさんの腕の中であった。
「ヤマダ!? 大丈夫なのっ?」
「へ、平気です。それより皆さんは――」
不幸中の幸いというべきか、"オニ"や"ナーガ"は一命を取り留めたようだったが、それでも"ベルセルク"と化した野球好きを取り囲むように、武器を構えた住人たちや仲魔たちが、様子を窺っている。
まずい……! 先ほどのファウルボールが皆の警戒心を煽ってしまったようだ。
誤解による諍いは何としてでも食い止めなくてはなるまい。
小生は急いで制止の声を投げかけようとした、その矢先――。
『あのバッティング……。"バース"や!! "バース"神や!!!』
『すげえモノホンの"バース"や!! サインもらわな!!!』
道頓堀のほうから悲鳴ともつかない歓声が雷の如く湧き上がった。
待ってくれ。ここに元阪神の助っ人外国人は居ない。ちょっと精霊たちは正気を失っているようだ。
だが、言われてみると野球好きの顔が元助っ人外国人に見えてくるから不思議だ。待って。今それどころじゃないの。
「"バース"だって……? それはあいつのファミリーネームじゃないか。"箱庭"の精霊たちが断言するってことは、やはりあいつは"バース"なのか……?」
え? 野球好きの苗字って元助っ人外国人と同じだったの? 知らなかったそんなの……。
「何だって? んなら、やっぱりあいつは俺たちの戦友、"バース"だってのかよ」
「ならば、先ほどの攻撃も何かの間違いだったということか……」
「そんな――」
「まさか――」
オイオイオイオイ。思わぬところから誤解の解ける兆しが見えてきたぞ。
いや、待って。これも誤解かすれ違いか思い違いだ。やべえ、老人の言ったとおりだ。すげえめんどくせえ!
小生は誤解の訂正を放り投げることにした。
その代わりに冥界で聞き知った事実を端的に皆に語ることにする。
「皆さん! その人は野球好きな"バース"さんです! 冥界で確固たる証言を得て戻ってきました!!」
小生の口からでまかせにどよよと沸き立つ"箱庭"の住人たち。
一度敵意が揺らいでしまえば、一仕事を終えて無抵抗になった"バース"さんの手前、状況の沈静化は容易であった。
小生も安堵の息を吐き、改めて"バース"さんと向き合う。
「ア゛イ゛――」
今さっき"アケロンの川"まで見事ホームランされたばかりだが、やはりというべきか"バース"さんに悪気はないようであった。公民館から相方の"ハーピー"が飛んできて、彼の傍らに降り立ってからは一緒に草地に座り込んでは朝焼けを浴びる、呆けモードに移行してしまっている。
小生もまた腰をかがめて"バース"さんの目線に合わせて続ける。
でまかせを真実として押し通す前に、どうしても確認したいことがあったのだ。
「"バース"さん、野球好きです? 野球。キャッチボール。バッター。試合観戦」
身振り手振りを組み合わせてみると、呆けたままであった彼の眼に、確かに理性の光が一瞬宿ったのを感じ取ることができた。
初めて見る反応。
彼は野球に関することに限り、ひとかけらの理性を残しているようであった。
「そっかあ、残留思念って"そっち"だったかあ」
半ば呆れ顔になりつつも、湧き出る笑いを抑えられそうにない。
よくよく考えれば、野球好きの彼は味方を"悪魔"の魔の手から守りきって死んだのだ。自分の役割は果たせているわけで、その方向性の未練や執着が残るとは思えない。
となると何に執着したのかといえば、野球だ。野球好きの彼は、小生と交わした"約束"に未練を感じ、その未練が"バース"さんとして具現化したのである。
絆とは"記憶"と"約束"が形作るもののはずだ。であればこそ、彼と小生の間には絆が確実に存在するだろう。
気づけば小生のくよくよとした戸惑いも、彼のホームランで綺麗さっぱりかっ飛ばされてしまったようであった。
「ちょ、ちょっと。いきなり笑い出して、大丈夫? 状態異常回復する? ヤマダ」
絆を繋ぎ止めた張本人であるトラちゃんさんが、わけも分からず鳩が豆鉄砲を食ったような顔で肩を叩いてくる。それがまた笑いを誘った。
「ええと、大丈夫です。ちょっとイメチェンした友人にお帰りって言える気分になっただけですから。ありがとうございます、トラちゃんさん」
「は、はあ……? どういたしまして……? ちょっと何についてお礼を言われてるのか全く分からないわ……」
疑問符が尽きずに頭を抱えるトラちゃんさんの姿が尚更面白く、小生はこの地にやってきて初めてプレッシャーやストレス以外で腹を抱えることになる。
かくして、野球好き改めバースさんは改めて"箱庭"の住人として受け入れられることに相成ったわけだ。
彼の持つ高い身体能力は"箱庭"の防衛とシュバルツバースの探索に充てられ、相性の関係から主にエース・ハルパスコンビとパーティを組むことになった。
また、休憩時間にはレクリエーション目的の野球メンバーに数えられ、ふと気がついたときには触発された面子によって複数の野球チームができていた。
タダノ君率いる"レッドスプライツ"。"箱庭"の住人によって構成された"トラちゃんズ"。
ハルパスさんが何処かから手下を引き連れて作り上げた"フォーリンエンゼルズ"は"レッドスプライツ"戦における常軌を逸したラフプレーにより、即日解散させられたらしい。小生がフォルマ探索に行っている間に一体何があったんだ……。
ちなみにタダノ君は"レッドスプライツ"に小生が所属しないことに大層お怒りのご様子だった。仕方ないじゃないか……。
【悪魔全書】
名前 バースさん
種族 妖鬼
属性 NEUTRAL―CHAOS
Lv 45
HP 398
MP 199
力 35
体 30
魔 20
速 36
運 30
耐性
物理 耐
氷結 耐
火炎 弱
スキル
狂気の暴虐 月影 タルカジャ 道具の知恵・攻
後2回くらいでようやくボーティーズ探索終わりそうです。