シュバルツバースでシヴィライゼーション   作:ヘルシェイク三郎

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シュヴァルツ・バースで世界の拡大

 さて、決して参加などしとうなかった臨時"箱庭"住民会議である。

 

 先だって情報交換を終えたフランケン班長を引き連れ、重い足取りで中央公民館の大会議室へと足を運ぶと、会議のお膳立ては既に整っており、後は小生たちを待つのみとなっていた。当たり前か。当たり前だな……。

 

 席の空きは二つ。内の一席はご丁寧に円卓の上座を空けられている。小生が今までにない機敏な動きで上座ではない方へ向かおうとすると、ニューカマーな住民たちが慌てて立ち上がって鉄壁の防御陣を敷いてきた。当たり前か。当たり前だな……。

 

 

「ヤマダ村長、探したんですよ!? 一体どこにいらしたんですか!!」

 

「すいません。耐え難い腹痛に苛まれまして、トイレに篭っていました」

 

 嘘は言っていない。事実、小生の腹具合は今も大好評につき絶不調だ。仮病が仮病にならないところは小生の個性といえるのかもしれない。また、村長呼ばわりに対して強く言い返せないところも個性である。便利だな個性。小生の性格はめっちゃ不便だけど……。

 そのまま素知らぬ顔を装い上座へ座り、参加者をちらりと見回す。

 

 どうやら原則として仲魔は参加していないようだ。これは当然だろう。同じ住民といっても"悪魔"と人間の関係というのは基本的には契約に縛られているのだ。仲魔の意見にまで参政権を付与してしまうと、契約している"悪魔"の数が多い人間の発言権が強まってしまう。それはつまり軍人による寡頭政治を呼び込む契機となり得、民主主義に染まった小生らの常識に則れば、あまり正常な状態とは言い難い。

 

 今、円卓の外野に集まっているのはいわゆるニンゲンたちのやることに興味深々な見物悪魔たちのみだろう。もしくは契約者と特別な絆を結んでいるか……。くそう、童貞を殺す服装をしていたリリムさんがいつの間にやらエロカワスリムなナース服へと着替えておられる。ドクター爆発すればいいのに……。

 

 しかしながら。と嫉妬の心を一旦鎮め、円卓に座る例外の"3体"を見る。1体はお馴染みバースさんだ。筋骨隆々した身体で無理矢理デモニカスーツを着込んでいる。顔つきに生前の野球好きの面影があるため、一見すると肉体改造に成功した野球好きにしか見えない。

 

 複雑な思いで彼を見ていると、バースさんがこちらの視線に気がついたのかおもむろに口を開いた。

 

 

「ヤマダ、コンナコトヨリヤキュウヤロウゼ」

 

「待って。バースさん、いつから言葉を喋れるようになったの……?」

 

「タダノ隊員が空き時間を使って根気良く教えてたらしいわよ」

 

 とは隣に座るゼレーニン中尉の言葉だった。あー、タダノ君かあ。やりそうだあ……。

 

 呆気にとられる小生とは対照的に、バースさんは元気よく座ったままバッティングのジェスチャーを始めた。

 

「ヤマダ、オレフドウノ44バン。クロマティニマケタラアカン」

 

「ちょっと思い出させる言葉が偏りすぎてない?」

 

「今のはアクアンズと会話する内に発し始めた言葉だそうよ」

「トラちゃんさんが作ったこの新世界、ちょっと虎びいきが酷すぎるんだよなあ……」

 どう考えても彼の言葉は前世の知識というより、ただの仕込みであるようにしか思えない。

 

 ただ、彼の社会復帰に言語能力の回復は必要であるため、ここは素直に喜んでおく。

 

 問題は他の2体だ。リーダーと強面が平然とした表情でそこに並んで座っていた。

 

 アドラメレクとの戦闘時にあったような異形の姿はしておらず、以前の人間だった頃と同様の姿を取っている。ハンドヘルドコンピュータこそ身につけているものの、デモニカスーツは着ていない。恐らく、デモニカスーツの生命維持機能に頼る必要がなくなったからだろう。今はレミエルさんが何処かから調達してきていた法衣を身に纏っていた。

 

 と、リーダーがこちらを強い眼差しで見ながら声を掛けてくる。

 

 

「体調不良は回復したのか? ヤマダ隊員。君が倒れる事態だけはなんとしてでも避けねばならない」

 

「あー、お気遣いありがとうございます、リーダー。特に病気なわけではありませんので、はい」

 

「心因性なら、ドクターのストレスチェックを受けることをすすめる。それと俺はリーダーではない。リーダーは君だ。俺のことは"ハゲネ"と呼んでくれ」

 

 ストレスの一旦はそのリーダー扱いにあるんだけどな! と言いたくもあったが、それよりも気になる言葉があった。

 

 

「"ハゲネ"さん、ですか?」

 

 リーダー改め、ハゲネさんがこちらの言葉に頷いた。

 

「東欧から北欧にかけて伝承として残るエルフ族との混血の戦士だ。俺のルーツはドイツ系のアフリカーナと黒人にあったからな。この身体を引き寄せたのかもしれん」

 

 胸に手を当てそう語る彼の表情は心持ち誇らしげですらあった。以前の不安を抱え込んだ重い表情が遠い過去のものに思えてしまう。

「俺も、"ラリョウオウ"でいいぜ」

 

 と、ここで手をひらひらとさせながら椅子に全体重を預けた強面が口を挟んだ。彼の肩を隣のエースが拳で突つく。

 

「何だよ、オッサン。お袋から貰った名前が気に入らねえのか? ジョンだかトムだかいう……」

 

「バカ、そういうんじゃねえんだよ。俺たちは"変わっちまった"から、今はそういう線引きを大事にしておいた方がいいって思うだけだ。個人的にな」

 

 うるさそうにエースをあしらう様は、人間だった頃とさして変わらない。ただ、彼の発した言葉の中に気になるものがあった。今は藪蛇をつかず、心の片隅に留めておくだけにする。

 

「んじゃまあ。主役もやってきたことだし、臨時の住民会議を始めるとしようや」

 開会の音頭をとったのはヒスパニックだった。静かな拍手が室内に響く中、小生は確認がてらに挙手をする。

「あ、その前にすいません。二点ほど確認を。トラちゃんさんは今どちらに?」

 この問いに答えてくれたのはエースであった。額に指を当てながら、思い出すようにして言葉を発する。

「うちの女神なら、なんか古い知り合いの"女神"が近づいてきてるっていうんで出迎えにいってるぜ。何でも、手に入れた"卵"を自慢するんだとかなんだとか」

 んん? 女神? それに"卵"ってレミエルさんのいう"宇宙卵"のことだろうか? 容易に他所様に見せびらかして大丈夫なものなのかしら……。まあ、何かまずいことがあればここにいないレミエルさんたちが止めるだろう。今は目の前の問題に集中する。小生はエースに礼を言いつつ、言葉を続けた。

 

「ありがとうございます。後、申し訳ないのですが、腹の調子があまり良くはないため、席を外すことがあるかもしれません。どうかご承知置きください」

 皆が是と頷き、お互いに見合わせてハンドヘルドコンピュータを立ち上げる。さあ、ここは一種の正念場だろう。小生は、タスクボードに貼り付けられたリポートとそれに添付された解析映像へと目を走らせた。

 作成者は観測班と資材班。"レッドスプライト"号の知見も一部借りているようだ。

 皆が静かに映像とリポートを読み進める中、作成者の一人であるゼレーニン中尉が情報を補足していく。

 

 

「今回の議題の一つにはこのヤマダさんたちが持ち帰った"宇宙卵"の取り扱いがあると思うのだけれども、まずこの"宇宙卵"の正体についておおよその推測を述べておくわね。これは恐らく、『一定の設計図を内包した宇宙の作成因子』よ」

「宇宙作成……、何だって?」

 エースが眉根を寄せて問い返す。後方人員である小生でも「何かSFっぽい用語だなあ」としか分からないのだから、純戦闘員である彼がすぐさま理解できないのも無理からぬことなのかもしれない。てか、小生の頭の中にも疑問符しか涌かないよ……。何それ、すごいの?

 後、こういう時真っ先に踏み込んできそうなフランケン班長が聞き役に徹していることも不気味ではあった。一体何を考えているんだろう。

 小生が周囲の反応をちらちらと窺う中、中尉は順序だてて発言の内容を噛み砕いていった。

 

「これが何なのかを理解する前に。まず、宇宙がどのようにして生まれたのかについて、皆どの程度知っているのかしら?」

「ビッグバンでできたんだろ。その程度はエレメンタリスクールでも習う内容だ。いつも俺の悪戯を怒鳴りつけてくるババアの教師が教えてくれたな。たまにくれるリコリス菓子は今思えばくそ不味かったが美味かった」

「素敵な先生に教わったのね。ではビッグバンが起きる前の知識は?」

「……んなもん知らねえよ。何もなかったか。何か宇宙の材料があったんじゃねえの?」

 脊髄反射的に答えたエースの言葉を受け、中尉は更に続けた。

 

「そのどちらも可能性として上げられている説ね。では何故138.2億年前にビッグバンが起きたのかしら。その前では駄目だったの? その後では駄目だったの?」

「それを考えるのは学者の仕事だろ。プロフェッショナルってのは分業が大事なんだ」

 ここで専門外の畳み掛けに機嫌を悪化させていくエースの代わりに、ヒスパニックが手を上げた。以前の会話を耳にした限り、彼は各国の宇宙開発事情に詳しかったはずだ。隣接分野である宇宙物理学について聞きかじっていても何ら不思議ではない。

 

「確かその前にも起きていたが、宇宙の形成には至らなかったって話だったな」

「ええ。その通りよ。原因は単純にエネルギーが不足していたためだと言われているわね。"無"に充満する加速膨張した何らかのエネルギーが、膨大な熱量に置き変わった際、私たちの知る宇宙と私たちを構成する元素が生み出されたという訳。だから、その前に生み出されては消えていった小宇宙の中には、私たちの知らない法則で動く宇宙があったのかもしれない……。このシュバルツバースのようにね」

「で、この講義と"卵"にどんな関係があるっていうんだ?」

 エースがディスプレイに表示された"宇宙卵"を指で叩きながらそう言うと、中尉はほっそりとした顎に手を当て、脳内の考えを推敲するように返した。

 

「この"宇宙卵"にはビッグバンを起こすための膨大なエネルギーが圧縮されているのよ。有り体な言い方をすれば、超々高密度のエネルギー体ということになると思う」

「ぞっとしねえな。手元にICBMの発射ボタンが何百発分もあるようなもんじゃねえか……。ん、待てよ?」

 そう悲鳴を上げたエースが、何かを思い出したかのような面持ちでハンドヘルドコンピュータのディスプレイをタッブする。

 程なくして寝起きの声を上げたのは、小生にも聞き覚えのあるポンコツAIの機械音声であった。

 

『ハロー、相棒(バディ)。原子時計を確認した限り、以前のシャットダウンから随分時間が経っているようだが、アクシデントか?』

「馬鹿。お前があまりにもうるせえもんだから、シャットダウンしていたのを忘れていただけだよ。"ダグラス"。んでちょっと聞きたいんだが、以前お前はこのシュバルツバースを破壊するためにはエネルギーの供給源を強力な物理攻撃で破壊する必要があるかもしれないといってたよな?」

『肯定だ、相棒。破壊に必要な火力の算出には別途データ収集のミッションを策定しなければならないだろうが、概ねその理解で構わない』

「んなもん宇宙を作るくらい膨大な熱量があるなら十分すぎるだろ! オレたちはそのエネルギーを手に入れた! 後はそのエネルギーを元凶に向けて、シュバルツバースはめでたく破壊。万々歳のハッピーエンドじゃないのか!?」

 口から泡を飛ばす勢いでまくしたてるエースの言葉に小生らもはっとさせられる。

 確かに"宇宙卵"にビッグバンを起こすほどのエネルギーが圧縮されているのなら、それを用いてこのシュバルツバースを内部から破壊することも夢ではない。だが、それが為された時、トラちゃんさんらの目的はどうなってしまうのだろうか? まさか、彼女との決別の時がやってきたのか? いや、レミエルさんの見せてくれた夢で、小生とトラちゃんさんは最期まで道を同じくしていた。ならば、ここで仲違いのルートを辿るはずは……。

 エースの願望を否定したのは、今まで聞き役に徹していたフランケン班長であった。

 

「エースさん、そのプランは現実的ではないと思います。まず、僕らにはビッグバンを制御するだけの科学技術がありません。良くて自爆か、悪くてシュバルツバースどころか地球ごと消滅してしまうというのが関の山でしょう」

「推敲の価値もないっていうのか?」

「少なくとももっと"現実的なプラン"がある以上、選択肢としては採りづらくはありますね」

 と言って彼は中尉へと目を向ける。どうやら彼女の補足説明には、"現実的なプラン"とやらに繋がるものがあったらしい。エースもそれに気づいたのか、不機嫌そうに頬杖を突きながら彼女の説明を待った。

 急に横槍を入れてきた班長から、これまた急に仕事を振られた中尉は呆れたように肩を竦めて自らの仕事に徹する。

 

「別段難しい話ではないわ。以前、ヤマダさんが提案していたシュバルツバースのテラフォーミング化を推し進めるプランを実行するだけよ。さっき私は"宇宙卵"を『一定の設計図を内包した宇宙の作成因子』と評した。驚くべきことに、このエネルギー体は膨大な容量の情報媒体でもある訳。これと女神様の御力が組み合わさりさえすれば、一つの国がすっぽり収まるくらいの生存領域を確保できる……。成功率もそれなりに期待できるわ。少なくとも破れかぶれで自爆に賭けるよりもずっとね」

「厭味ったらしい物言いはやめろ。オレだって死にたくはねえから、安全策があるならそっちを選ぶさ」

「いえ、意見の交換は大事よ」

「プロフェッショナルは分業こそ大事でございますのよ(・・・・・・・)? オーケー、サー?」

 どうやら完全にエースは不貞腐れてしまったようで、これ以上は口を開かぬ腹積もりのようであった。

 柳眉を歪める中尉がフォローの言葉を入れようとした矢先、リーダー――、いやハゲネさんが彼女の出した現実的なプランに賛意を示す。

 

 

「既に我々"箱庭"のチームは地球人類のシュバルツバース受け入れに向けて、包括的なプランを策定している。余程のことがない限りは、それから逸脱する必要性はないだろう。それよりも防衛戦力の問題だ。広大な生存領域の確保が成ったとして、それに見合った防衛戦力の拡充が必要となるだろう。俺としては――、味方であるニンゲンの肉体強化手段を確立するべきだと考える」

 

 

 あ、これまずいな……。と、ここで小生はハゲネさんに対する警戒度を一段階上げた。

 班長との会話が一瞬の内に思い起こされる。彼らは人類の知性を持ち合わせているが、その方法論や発想の段階で人類にそぐわぬものを取り入れてしまう恐れがあった。

 少なくともニンゲンであった頃のリーダーは、このような紋切り型に自分の主張を通そうとする人ではなかったはずだ。勿論、単に役割から開放されたせいであるかもしれないが、今、このヒトは明確に――、ニンゲンの"悪魔化"を防衛力強化案の一つとして取り入れようとしていた。

 これ以上、"悪魔化"するニンゲンが増えていくのは多分拙い。

 薮蛇。いや、龍が飛び出してくる案件だろう。

 夢の中で、"箱庭"の防衛戦力の一角を、"悪魔人間"とやらが担っていたことが思い起こされた。あの時、リーダーたちを指すのではなく、十把一絡げにそれらを総称していたことがやけに気にかかる。

 恐らく、"ああして"人類と敵対する結末に至った条件の中には、ニンゲンの"悪魔化"があるはずだ。もしかすると、この案が通って"箱庭"所属の"悪魔人間"が大量に増えたのかな……?

 

 想像する。予備知識なしでこの話を聞いた場合、小生は彼に何と返して、周りは一体何と返したのかを。

 まず、小生はきっと何も言い返せなかった。相手の反応を恐れるが故だ。蚤の心臓は相手の機嫌が損なわれるのをひどく怖がる。

 では、周りの皆は? 慌てて円卓の反応を窺ってみる。

 理解が及んでいない者が八割。理解したくない者が一割、例えばゼレーニン中尉がその筆頭。残る例外はラリョウオウさんだった。やはり、彼は"そっち側"ではない。

 一見して、大多数の賛同を得られているようには見受けられない。であるならば。

 

 可能性1、一度案を退けられた後に何らかのアクシデントが発生して、ニンゲンの"悪魔化"案を推し進めざるを得なくなった。

 可能性2、頭ごなしの棄却が提案者の先鋭化を招いた。

 

「あー、あー」

 この場合、前者は後でフォローもできるが、後者のフォローが難しい。

 

 うーん、うーん……。

 小生は大きく手を叩き、この案件を"茶化す"ことに決めた。

 

 

「あー、それ。アグリー。めっちゃアグリーですね。大賛成ですよ、小生!」

 まず周囲の混乱を混乱させたままに、発案者に対して共感を示す。これで小生と発案者一対一の話し合いができる構図を作り出すことができる。

 真っ先に文句を言いそうなゼレーニン中尉には目配せをしておく。

 ここから先は小生とハゲネさんのTALKであった。

 小生はまくしたてる。

 

「要するに小生らにはオカルト的な防衛力が足りていないと、リ……、ハゲネさんは仰りたいんですよね。正論だと思います。何とかして拡充しなくてはなりません」

「そうか、ヤマダ隊員は分かってくれるか。ラリョウオウの奴はあまり良い返事をしてくれなかったんだ。賛同者がいてくれるとやりやすい」

「そうなんですかー」

 小生はわざとらしく相槌を打ち、これまたわざとらしく困り顔を作った。先ほどからラリョウオウさんから発せられる圧が怖い。

 

「ただ、あのですね。それやるには多分大きな難関があります。ハゲネさんがハゲネさんになれたように。ラリョウオウさんがラリョウオウさんになれたように。バースさんも含めて、それの結果にばらつきがあるのが問題なんですよ。不安要素です。選択の自由とまでは言いませんけど、ギャンブルはまだちょっと。研究の余地ありとして、代替案を考えませんか?」

 おずおずと言い出したこの台詞は多分ながらに賭けであった。正直、"悪魔化"してしまった彼の性格がどの程度変容してしまっているのかが読み取れなかったからだ。狭量や短気でないことを祈りたい。

 そして、幸運なことに彼は酷く理性的であり、また短気でもなかった。

 

「……成る程、君の言うとおりだ。リスク、は考えていなかった。外の人類を救おうというのに――、変に格差のつきかねない破れかぶれの案は良くないな」

 内心でガッツポーズを取る。問題を先延ばしにすることに成功したからだ。

 と同時に、先日彼が語っていた「人類を救うための妙案」に朧げながらの想像もついてくる。

 

 今、彼は「外の人類」を視野に収めながら、「格差」についての懸念を口にした。これは単純にその場しのぎでシュバルツバース内の志願兵を"悪魔化"するだけで生まれる発想では断じてない。もっと政治的なものの見方だ。

 恐らく、彼は人類を皆、新世界に適応できる"悪魔人間"へと変えることで、テラフォーミングが追いつかずともその命を永らえさせることができるのではないかと考えているのだろう。

 こんなもん賛否両論どころではない。シュバルツバース外の人間がこのプランを耳にしたら、それこそ非難轟々の嵐だろう。

 

 ……あー、これかあ。この認識のずれが、悪魔と人間のずれなのかあ。

 彼にとって"悪魔人間"になるという選択肢は、"はしか"の予防接種と同じなのである。

 

「しかし、代替案などというものがあるのだろうか? この戦力を拡充しにくいこの世界において……」

「ああ、それなら――」

「それなら?」

 首を傾げつつも興味を示すハゲネさんに、傍観者と化していた皆の視線が一斉にこちらへと降り注ぐ。

 小生は胃の痛みを訴え続ける腹をさすりながら、申し訳なさそうに言った。

 

「すいません……。トイレ行かせてください」

「ん、そうか。体調が悪いのだったな。無理をせず、行ってきてくれ」

 すいません。すいません。と周りに謝りながら――、勿論中尉に余計な火種は起こさないよう目配せをしておきつつ――、小生は笑顔を取り繕って席を立ち、公民館を出る。

 その後は全力疾走だ。

 カンバリ様の厠へと駆け込み、ズボンを脱ぎ、人心地付いたところで頭を抱える。

 

 

「あー、あー。戦力拡充の代替案どうしよう……。ハゲネさんの目的も皆の理想にソフトランディングさせなきゃ……。ついでに"宇宙卵"の取り扱いも一応は考えなきゃ……」

 出るものは出るが、小生のわがままストマックはその程度で自己主張を止めることはなかった。

 ただ、とりあえずはっきりしていることは――、

 

「この案件は先延ばしにしよう」

 ということであった。

 

「それは先延ばしにできそうな話なのかのう」

「できそう、というよりは今結論を出すことができない話だと思います」

 屋根上でうたた寝をしていたカンバリ様から問いかけられたため、それに答える。

 彼は明日の天気でも尋ねるような口調で、更に続けた。

 

「戦力か。確かに、これからこの"滅びの地"における戦いが激しくなっていけば、ここを守ることも難しくなろうな。ワシも魔人などといった輩を相手するには既に力不足になってしまっておる」

「いや、カンバリ様にはすごく助けてもらっているんですが……」

 慌てて擁護しようとしたが、はっきりとは断言できずに徐々に言葉を濁してしまう。

 先だって小生が"デイビット"と相対した際に、戦力外通告を出してしまったことは決して否定できるものではなかったからだ。ただ、あれは相性も悪かった。これだけは断言できる。

 続く言葉を出しかねている小生を制して、カンバリ様はあっけらかんと笑った後に、こう言った。

 

「――まあ、にっちもさっちも行かなくなったら、ワシを合体材料として使うがいいじゃろう。今後小僧たちニンゲンが増えていくのなら、カワヤも同じく増えていくに違いない。ワシはカワヤの守り神。つまるところ、そういうことじゃ」

「カンバリ様……」

 小生の脳裏に夢で見たカワヤジョークを操る仲魔の姿が思い起こされた。

 戦力拡充を求められる機会はきっとやってくるのだろう。

 レミエルさんの預言だ。間違っているとは到底思えない。

 ただ、見知った相手を合体素材に使わねばならない生理的嫌悪感だけは如何ともしがたかった。

 

「あー、ほんとどうしたら――」

 と顔を覆って嘆こうとしたその瞬間、

 

「ええええええぇぇーっ!!?」

 と年若い少女の叫び声が"箱庭"の出入り口方面より響き渡った。

 

 

 

 何じゃらほいと痛む腹をさすりながらカワヤを出ると、出入り口の手前に諸手を挙げて寿司会社の社長みたいなポーズをとったトラちゃんさんと向かい合うようにして、若草色のドレスを着込んだ金髪の少女がやいのやいのと騒いでいるのが小粒ではあったが目に映る。

 不可思議な人面模様の土器を抱きかかえ、空いた手には麦穂らしきものを握り締めているようだ。

 もしや、彼女が出迎える予定だった"女神様"なのかしらん?

 

「……これは珍しい。あれは"デメテル"じゃな。とても古い――、途轍もなく古い豊穣神の1柱じゃ」

「豊穣神、ですか」

 カンバリ様が驚きの声をあげた。もしかして彼女はとても珍しい、ないしは尊い存在なのだろうか。

 自ずと小生にとって身近な豊穣神と見比べてみてしまう。

 

 ……成る程、似ているといえば良く似ていると言えるのかもしれない。

 

「豊穣神というのは皆、その、小さいものなので――」

 言い終らんとするや否や、小生の顎を迫り来る野球ボールが掠めていった。

 クリーンヒットでなくて本当に良かったと思う。ちなみにボールを投げたのはトラちゃんさんだった。ふええ、何たる強肩。レーザービーム。もの凄い怖い顔をしておられるよお……。

 

「アンタのそのナチュラルに無礼な思念だけはほんと治らないし、垂れ流しなのよね。何なの? 育ちかなんかのせいなの? 多分、サナダムシ型天使が悪いのね。後でとっちめておかなくちゃ!」

 と場違いな方向に怒りを向けておられるトラちゃんさんの隣で、

「え? え?」と混乱から立ち直った豊穣神の少女、デメテル様がこちらへと目を向ける。

 赤く綺麗な瞳が見開かれ、春風のように上品な声色が驚きに上擦った。

 

「人の子? あの"子"と同じような籾を。いえ、ここは信仰心に満ちていて――、何て、ハーベストですの……?」

 少女の呟きに、トラちゃんさんが鼻を高くする。

 

「すごいでしょ、アタシの"箱庭"なの。トウモロコシ畑も良い具合なんだから。勿論、うちのヤマダたちも頑張ってくれたのよ」

「おかしいですわっ!!」

 無い胸を張るトラちゃんさんに、デメテル様が詰め寄った。

 

「……何がおかしいのよ?」

「ねえ、トラソルテオトル! 何故秩序と信仰を失った"滅びの大地"に、こんな実りある土地を生み出したんですの!? それに人の子まで囲って……。いずれは混沌なる(マー)の力に飲み込まれていってしまう大地ですのに――、人の子に恵みを施したところで全部無駄になってしまいますのよ!?」

「え、ん。んぅ? ワンチャン、あると思って?」

「わ、わんちゃん?」

 トラちゃんさんの答えに言葉を失うデメテル様。色々と聞き逃せない会話内容ではあったのだが、それよりもトラちゃんさんの近視眼であった。

 この視野の狭さと出たとこ勝負こそがトラちゃんさんであった。

 古い知り合いっぽいのに、デメテル様は彼女のこういうところ把握していなかったのだろうか……?

 いや、出たとこ勝負を予想しろというのも酷だな。小生だって行動の理由は納得できても、行動の予測は全くできない。

 

 答えに窮したトラちゃんさんは頭を捻り、やがて住民たちに貢物としてプレゼントされたらしきウエストポーチから、"宇宙卵"を取り出した。

「あっ、待った。これがあるじゃないの!! どう? デメテル。これが何だか分かるでしょう? "宇宙卵"よ"宇宙卵"! これさえあればアタシだけの世界を安定化させることだって、きっとできるわ!」

「うちゅ? え、えええぇぇぇっ!?」

 ひったくらんとする勢いでデメテル様が"宇宙卵"にすがりつく。何か尋常でないこだわりようだ。あの"宇宙卵"と何か因縁でもあるのだろうか?

「これさえあれば、終わりのない私の使命も――、でも……」

 彼女は見開いた瞳を動揺させ、ぶつぶつと何事かを呟いていたが、やがてハッと何かに気づいたようにして"宇宙卵"を細い指で撫で、残念そうに首を横に振った。

 

 

「……この"宇宙卵"はハーベストではありませんわ。使わない方が宜しいかと思います」

「へ? どういうことよ?」

「この"宇宙卵"は遊びふける国を生み出したものでしょう? ということは、この卵の中には人の子の悪徳、"快楽"の芽が眠っているのだと思いますわ。こんなものを使って世界を創世しても、そこに住まう生命に悪徳がはびこってしまって、ろくな世界にはなりませんわよ」

 おお。さすが豊穣の女神様と思わせる深い見識だと思わず唸らされる。しかしながら、トラちゃんさんの反応はすぐには返ってこなかった。

 しばらくの思考停止の後、

 

「……"宇宙卵"ってそういうもんなの?」

「そういうものですわ。でなければ、私もこんなに苦労しません! って、あっ」

 デメテル様が慌てて自らの口を両手で塞ぐ。今の台詞の何処に失言らしきものがあったのかはちょっとわからないが、それよりも気になったのはトラちゃんさんであった。

 名残惜しそうに"宇宙卵"をコンコンと叩いてみたり、カラカラとシェイクするように振ってみたり……、ちょっとそれ膨大なエネルギーが詰まった危険物質……。

 小生が制止するよりも前に、トラちゃんさんの意を決した言葉が不吉にもこちらの耳へと届けられた。

 

「……やっぱもったいなさすぎ。多分、ワンチャンいけるでしょ」

「ちょっ」

 周囲の面々が度肝を抜かれる中、トラちゃんさんの手から"宇宙卵"が浮き上がり、何やら漆黒のもやもやを放出し始める。

 偽りの太陽が消え失せ、視界が突如闇に閉ざされた。

 暗闇に目が慣れるよりも先に、ぼうと虹色の光が前方に点る。

 "宇宙卵"が発光しているのだ。腰を抜かしたデメテル様と、何やら一心に力を篭めようとしているトラちゃんさんの姿が見える。

 慌てて駆け寄ろうとしたが、無理だった。

 静謐だった"箱庭"内を嵐を思わせる大風が吹きすさび始めたからだ。

 小生は思わずその場で立ち竦んでしまい、その場でトラちゃんさんに呼びかけた。

 

「トラちゃんさんっ! せめてそういうことは皆に相談してからにしないとっ!!」

「へーき! というより、最近アンタたちに貢がれっぱなしでアタシ、女神としての仕事何もできていないじゃないの! ここらへんで、サプライズな恩恵を皆に与えてあげるんだから!!」

「駄目です、トラちゃんさ――」

 ここは"クエビコ"を召喚して取り付いてでも彼女の浅慮を止めさせるべきだ。だが、そういった小生の判断を押し留めるようにレミエルさんが小生の隣へと降り立った。

 

「待ちなさい、ヤマダ。ここは様子を見るのです」

「レミエルさん!? でも――」

「これは預言の未来を変える絶好の好機かもしれません」

「どういうことですか!?」

 小生がトラちゃんさんから目を逸らさずに続きを問うと、彼女はいつもの如く感情の乏しい口調で説明を始める。

 

「思うに、事前知識も無くあの駄女神の行動を目にした場合、私や貴方の採る行動は制止の一択であるはずです。ですが、ここで選択肢を変えることで未来に関わる変数を弄ることができるのではないでしょうか?」

「それはギャンブルですよ! あまりにもリスクのある!」

「ですが、御覧なさい。彼女の力を――」

 レミエルさんに促されるまでもなく、小生はトラちゃんさんから目が離せなかった。

 どうやら、彼女の"創世"は微調整の段階にまで差し掛かっているようで、卵はやがてまばゆい太陽光を発し出す。まるでビッグバンのような――。

 

「悪徳は美徳と鏡写しだもの! 世界に"快楽"が蔓延ってしまうのだったら、その法則を『生みの喜び』や『耕す喜び』に変えてあげればいいだけよっ!!」

 光が熱量に変わり、質量へと転移する。

 不可思議な現象によって、"箱庭"の空間がかつてない速度で拡張されていった。

 大地が生まれ、空が生まれ、生まれ、生まれ――。

 やがて、空間拡張の洪水が不可視の壁によって堰き止められてしまう。 

 壁の向こう側には"ボーティーズ"の風景が広がっていた。これは、以前トラちゃんさんが作り出した空間の断絶か。

 トラちゃんさんが卵の浮かんでいる方向に向かって、より一層力を篭めようとする。

 

「むううう。みんな、畑になりなさああああああい!!!」

 ボーティーズと"箱庭"の間にあった断絶が埋まり、かつて遊びふける国と称された歓楽街がまるで消しゴムをかけられているみたいに消されていき、消された後には茶色い大地だけがただ形作られる。 

 小生らの苦しめられた空間は、世界はこんな簡単に塗り替えられてしまえるものなのか。

 身震いする小生に対して、レミエルさんがなだめるような口調で言った。

 

 

「恐れることはありません。アレは蛮神といえども、秩序に身を置く大きな力。少なくとも我々の害になるものではありません。ただ、これほどまでとは――」

 目の前で起きている光景は、一神教の天使をもってしても、舌を巻く所業であるようであった。

 空間の拡張は終わらない。

 既に複数の町を呑みこむに足る面積の荒野が生み出されている。

 何時終わるんだこれ。

 都道府県レベルが収まるまで? それとも国がすっぽり入るまで……?

 

 

 と、遠ざかり続ける地平線の向こうに平野とは異なる地形、または構造物が見えてきた。

 あれは――、氷山?

 

「……別の悪魔が住まう宇宙ですね」

「宇宙。って、別セクターですか!?」

 慌ててパノラマの大地を左右に広く見渡すと、山以外に途轍もない大きさのショッピングモール。ごみ山などが目に飛び込んでくる。

 まさかあれも別のセクターなんだろうか。

 と、レミエルさんの言葉が途絶えてしまった。

 どうしたのかと隣を見れば、彼女は呆れた様子で空を見ている。

 一体どうしたんだ?

 吊られて空を仰いでみると、天頂には白い光を発する球体が浮かんでいた。

 

「何だあれ。太陽? にしては熱を発していないような……」

「あれはカグツチといいます。混沌の海に漂う偽りの太陽とでも表現すればいいのでしょうか。しかし、となると――」

 トラちゃんさんに目を移すと、彼女の傍に浮かび上がっていた卵の姿は既になく、彼女は何処か満足げに胸を張っている。

 

「どう? デメテル。これくらい広い土地があれば、沢山作物を植えられるわよ。アンタだって麦穂を植えたりしたいでしょ」

「わ、私は……」

 トラちゃんさんの所業を目の当たりにしたデメテル様は、何やら当てが外れたとばかりに思い悩んでいる風に見受けられた。

 何と口を挟んだものかと小生が戸惑っているところに、予想外の"短距離通信"がハンドヘルドコンピュータ経由でもたらされる。

 送り主は別セクターで活動中であるはずの"レッドスプライト"クルーであった。というか、タダノ君であった。

 

『おい、何か現セクターの探索区域外にヤマダたちの識別信号が急にポップしたのは一体どういう理屈なんだ?』

「急に、ポップ?」

 未だ事態が飲み込めていない小生の手を、レミエルさんが強く引いた。

 

「ヤマダ。公民館へと急行しましょう。至急、結界を。防衛計画を組み直さなくてはなりません」

「組み直し、ですか?」

 ええ、とレミエルさんが深刻そうに頭を抱える。

 

「……私の目は節穴でした。他の宇宙と宇宙が繋がってしまったと悪魔たちが気づきでもすれば、一斉攻撃を受けてしまいますよ」

「――へ? へ?」

 小生が間抜けな声をあげたのとほぼ同時に、ごみ山の見える遠方から何やら恐ろしげな唸り声が、まるで雷のように轟いてきた。

 


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