シュバルツバースでシヴィライゼーション 作:ヘルシェイク三郎
幾星霜を経てもついぞお目にかかったことのない主人の失態を本日目の当たりにしてしまった。
複数の平行世界をソファに腰を埋めて愉しげに鑑賞なさっていた主人が突如、口に含んだ飲み物を吹き出されたのである。
一体何をご覧になっていたのだ? 最近のお気に入りは"地球意思"に翻弄される惰弱な魂に一石を投じ、その多様な変化を観察なさることであったはずだが……。
「普通、そうはならないだろう」
瀟洒にハンカチで口を拭き、呆れた様子で主人の呟きが漏れ出る。主人は、魔界屈指の権力者は黄金色に輝く濡れた髪を手櫛で整えるとそのまま従者である私へと飲み物の替わりをご所望なさった。
「ああ、折角の紅茶が駄目になってしまったね。ならば、君。無価値なるモノに価値を与えようか。採れたてのセイロン茶葉で飲み物を用意してくれたまえ。確か、"あの世界"の南アジアは核紛争の真っ最中だったね。かけらも汚れのない、とびきり綺麗な色をした茶葉を頼むよ。もうそろそろ勝手口を開けて入り込めるようになっているだろう」
私は内心で首を傾げながらも、深く頭を垂れて主人の期待に沿うべく下界へと向かった。
深く考えることはしない。どうということもない任務だと思ったからである。
「……不思議なほどに、読めないなぁ。あの世界、間違いなく神は既に死んでいるというのに。滅亡に抗う、霊的な変数はとうに失われてしまっているというのに。本当、ワクワクするね」
であるから、道中は主人の歓心を買っているものは何なのか推し量ることに全ての労力を費やした。
それこそ下界の茶葉の仕入れなど、片手間で終わる任務だと思っていたからである。
◇
とてもたいへんなことになった。
「何だ、何が起こっている!? ヤマダ隊員、説明を!」
ハゲネさんを筆頭に公民館からぞろぞろと飛び出してくる"箱庭"の住人たち。
小生は別セクターと"地続き"になった"箱庭"の境界に立ち尽くしながら、遠方に見えるゴミ山の頂上から飛び出した巨人に目を奪われていた。
遠雷を思わせる咆哮が小生の鼓膜をしきりに震わせる。
うわあ、とても大きい……。肉眼であれなのか、何でここまで声が届くんだ……。言うまでもなく、あれも悪魔なのだろう。
一部の例外はあるにしても、この世界において図体の大きさは概ねその悪魔の強さに直結する。となれば、ゴミ山の"アレ"がいつぞやの"オーカス"級かそれ以上であることは想像に難くない。
と、そこまで考えたところで、小生がデモニカスーツの補助なしで悪魔を視認できていることに今更ながら気がついた。
……というか、この場合大気組成はどうなってしまうんだ? 最悪の想像に苛まれ、小生は彼らの問いに問いを投げ返した。
「……皆さんは、あのゴミ山天辺の悪魔が見えていますでしょうか。それに、息苦しくはなっていませんか?」
この問いかけにはエースがいち早く答えた。常在戦場がモットーなのか、"バケツ頭"をすぐさまかぶれる状態にあったのが彼だけだったのだ。エースは"バケツ頭"を装備した状態でハンドヘルドコンピュータを操作し、ヘッドアップディスプレイを上げ下げしては肉眼とディスプレイ越しの映像とを比較した。
「……こいつは驚いた。肉眼で見える悪魔がデモニカ越しだとモザイクになっちまう。遂にクソダサい"バケツ頭"もお役御免か?」
「大気組成は"箱庭"従来のままですね。多分、"箱庭"を包み込む大気が我々の視覚に何らかの影響を与えているんです。……ヤマダさん、空間拡張を試すなら、その前に一言声を掛けてくださいよ。観測しそびれたじゃあありませんか」
班長によって知らされたひとまずの安全にほっと胸を撫で下ろし、「100%不可抗力です」と返しておく。叱られる気配を感じ取ったのか、トラちゃんさんが何やら息を潜めておられるようにも見受けられたが、そんなことより脅威がまだ過ぎ去ったわけではない。
「ヤマダさん、ヘルメットよ」
「ありがとうございます、中尉」
渡された"バケツ頭"を被り、スーツの機能を完全稼働させる。何があるのかわからないのだから、警戒してし過ぎることはないだろう。
――デモニカ・システム起動。未知のエリアを解析します。解析完了。未知のエリアを解析します。アンノウン、アンノウン、解析中。解析中。解析中。
女性の機械音声が周辺環境の解析進捗をひっきりなしにアナウンスする中、肉眼の景色とディスプレイ越しの景色のギャップが徐々に徐々にと埋まっていく。
周辺の解析を完全に終えた後、小生は表示カメラの倍率を500倍にまで引き上げた。
「彼我の距離は、50キロメートル程度。遠近を考えるに、コルコバードのキリスト像程度のたっぱはありそうだ。あんなでかい悪魔もいやがるのか……」
同様の操作をしていたらしいヒスパニックが、ごくりと唾を飲み込む。初動の遅れた面々を除き、他の住人たちにも例外はない。
「おい、観測用のドローンを打ち上げろ。周辺の情報を早急に収集するんだ!」
「今やっています!!」
巨人は、まるでアジア圏の仏像を思わせる見てくれをしていた。三つの厳しい人面に三対の隆々たる巨腕。仏像といっても、大仏のような福々しいものでは決してなく、阿修羅像や四天王像特有の武張った風体が印象的だ。
巨人はゴミ山の天辺に陣取り、周辺をぐるりと見回した。セクターの異常に勘付いたのだ。
そして、小生らと目が合った。
「やばい……! あのデカブツと目が合っちまったぞ!!」
ヒスパニックが悲鳴をあげて、周囲に動揺と恐怖が伝播していく。特にドクターたち非戦闘員の反応が顕著であった。
彼らは未だに堕天使"ベテルギウス"の襲撃がトラウマになっているのだ。
右往左往する彼らに対して、彼らの精神的支柱である女神が言葉を発した。ただし、この混乱をもたらした張本人でもある。
「み、皆焦っちゃダメよ!! 大自然では焦ってばらばらになった群れから野獣の餌になってしまうのよ!!」
「お、おお女神様」
「我々をお導きください。女神様!!」
「大丈夫、任せなさい!! で、でも、ど、どうすれば良いのかしら。ヤマダ!!」
おい、そこで小生に振っちゃうのかよ!! と胃痛の到来とともに悲鳴をあげそうになったが、ぐっと文句を飲み込んだ。この状況下において目指すべきは、何よりも未知の遭遇者との関係を対等以上にまで持っていくことだ。そのために必要な能力は細やかな意見調整能力、そして"威嚇"のできる戦闘能力。"それら"を満たす手札は限られていた。
ハゲネさんたちを見る。エースを見る。ゼレーニン中尉を見る。ハルパスさんも根本と"スパルナ"も、皆強力無比な仲魔であることは確かだ。しかし、この大事な局面において細やかな外交交渉を全面的に任せられるかと問われれば、些か疑問符がつく。
小生は予想される強烈な疲労感に顔を思い切りしかめながら、「召喚」と言葉少なに呟いた。
両足に土が纏わりつき、自分という存在が何物かに食われていくような不快感に襲われる。
肉の足が土の柱へと置き換わり、肉の胴は苔生した土塊へと取って代わられた。
「我は汝、汝は我。我は山田のそほど――、生々流転の権化にして、雨風に晒され、朽ち果てし者」
以前"彼"に憑依した時、ある程度その身体を伸び縮みさせられることには気がついていた。その能力を活用すれば、あるいはこちらの戦力を実態以上に大きく見せることができるかもしれない。
「――我は"クエビコ"。今は"箱庭"見敵必殺の霊的守護者なり」
仰々しく名乗りを上げた小生は、そのまま土塊でできた身体を膨らませる。これが意外なほどに容易くできた。もしかするとトラちゃんさんによって耕された肥沃の大地は、"クエビコ"にとって活動しやすい環境なのかもしれない。
足元の土壌を吸い上げ、体長10メートルにまで身体を膨張させるのはすぐだった。20メートルもさほど時間はかからなかった。30メートルも無理ではない。40メートルまではいける。いや、50メートルまではいけそうだな……。
足元で驚きの声が上がっているのが聞こえたが、正直そんなものを気にしている暇はなかった。
武張った巨人が完全にこちらを見ていたからだ。
遠雷の音が震え、意味のある言葉を紡いでいく。
って、50キロも離れたここまで直接声を届けられるのかよ。つくづく外界とは物理法則が異なっていることを思い知らされる。
「――コレハ予想外デアッタ。弱ク無価値ナ人間ドモガ楽園二巣喰イ"美シクナイ"国ヲ創リ上ゲルトハ」
「ちょっとアタシの畑を美しくないってどういう了見よ!! あんのデカブツ、ぶっ飛ばしてやる!!」
瞬間湯沸かし器じみた怒声が足元から轟いてきたため、そっと土でできた手を動かし、きゃんきゃんと叫ぶトラちゃんさんを囲い込む。
どうやら我らが女神のファーストインプレッションは最悪の一言に尽きるようだ。
しかし、言葉は通じる。
その意味を噛みしめつつ、小生は「話をしたい」と土くれの口をもごもごと動かした。もっとも、鈍重なこちらの動きを先んじるように巨人が遮ってしまったのだが。
「何故力ヲ持チナガラ、弱ク無価値ナ人間ヲ救オウト足掻ク。我ハ知ッテオルゾ。外界ノ俗物ガ企ミヲ。貴様ノ足掻キガ無駄ニナルコトヲ」
続けられた巨人の言葉に小生は土塊の中で一瞬眉をひそめる。レミエルさんに見せられた幻視が思い起こされたからだ。
と同時に、思考する。
初手でTALKが始まるというのは正直予想外であった。もっと「餌場来た!」と大喜びして問答無用で攻めかかってくるものかと……。
これはもしかすると、姿に似合わず搦め手を好む手合いなんだろうか。でも言葉の中に頻出する単語は"力"と"無価値"……。
うーん、あまり搦め手が好きそうには思えないんだが。
自分の中にある絶対的な基準に二項対立で従うタイプなのは透けて見える。いや。これ多分、あれか。知恵も"力"の内と考える幅の広さを持ち合わせているってことなんだな。
……何が正解だ、これは。今必要なものは何よりも防衛態勢を構築するための時間的猶予。利用価値があると錯覚させ、攻撃の手を緩ませる土下座外交。あるいはハリネズミ理論。手持ちの札を考える。
いや、いや、待った。もっと良いアイデアが思いついたぞ。そもそも小生らみたいな後方要員がわざわざ矢面に立つリスクを負う必要なんてないじゃないか!
小生の中の責任逃避願望が、改めて土くれの喉を震わせた。
そして、破れ鐘のような叫び声が轟く。
「――ケガレし山の悪魔よ!」
まずは、こちらの声が聞こえているかどうかの確認からだ。
巨人の強面がぴくりと動いた。
反応があるっていうことは聞こえているのか? 良し。
小生はさらに大気を震わせる大声を張り上げた。
「あー、大いなる? 秩序に栄光あれ!! この地は? 我らが秩序を広めるための前線基地なり!! 我々の庭に近寄らば殺す。敵は殺す。あー。我らに仇なすモノはとりあえず皆殺す。お前は秩序の? あー。我々の敵か!!」
短いやり取りの中にもわかることはあった。
今、小生と相対している巨人のような"力"を信奉している輩というのは、内戦状態の東欧にいたときに嫌という程見てきている。小生の人生訓に則るのならば、こういう手合いとまともに交渉しようというときには絶対に舐められるわけにはいかない。組し易しと評された瞬間、全てが終わってしまうのだ。
媚を売ったところで、餌場と定められるだけであろう。さりとて、威圧するにも蟷螂の鎌では意味がない。
相手が即座の開戦をためらう程度のバックアップが必要だ。威を借りるための虎が必要なのだ。"レッドスプライト"号との繋がりを匂わせる?
いや、もっと良い虎がいる。
「あー。
小生の三文芝居にもかかわらず、その効果は覿面であった。巨人は三つ顔をいずれも忌々しそうに歪め、吐き捨てるように言う。
「ソウカ。死ニ体ノ天使ドモガ差シ金ダナ。最期ノ最後マデ諦メノ悪イ……」
そう。小生の借りた威は大天使"マンセマット"率いる天使勢のネームバリューであった。相手が策を弄する手合いならば、リスクを盛れるだけ盛っておいたほうがいい。小生らの背後に悪魔にとって天敵であるらしい天使の影がちらほらと見えれば、後は勝手に警戒してくれることだろう。
勿論、本当に武器を取って戦いを挑むつもりなど毛頭ない。あんな巨人とまともにやりあうなんて、どんな罰ゲームだよ。
「――皆さん、メシアを讃えるのです。邪悪なる力に信心を持って立ち向かうのです!」
こういう時、すぐにこちらの意図を拾いとってくださるレミエルさんの存在はありがたい。
彼女は全身に白い光を帯び、宙へと浮かび上がった。
祈るように両手を組み、聖句を唱えながらこちらを見上げる表情は、「すべて承知していますよ」と言わんばかりの訳知り顔をしておられた。
「――さあ皆さん、ご一緒に!」
「ヤマダメシアを讃えるのだ! グローリア!!」
「アメイジンググレイス!!」
「グローリア!! グローリア!!」
「声が小さいです。貴方たちの信心はその程度のものなのですか!!」
「グローリア!! グローリア!! グローリア!! グローリア!! グローリア!!」
……そこまでやれなんて小生望んでないよ?
即席でできあがった十字軍が熱狂に晒されて、巨人に対して気炎をたちのぼらせる。熱すぎて足元を炙られているみたいであった。
「マコト忌々シイ、唯一神ノ軍勢メ……」
巨人の表情に、不愉快をあらわにした皺が深く刻み付けられる。
熱狂と圧力の板ばさみになりながらの睨み合いがしばし続く。土くれの手の中では、きゃんきゃんもごもごと暴れまわっておられる女神様もおられる。小生の胃腸はぼろぼろだ。
辺りを昼のように照らし出していた光が弱まる。天頂に浮かんでいたカグツチとかいう天体が傾いたのだ。
……ああ、この拡張された世界にも昼夜はありそうだなあ、と他人事のように現実逃避した思考が類推を始めたところで状況に変化が訪れた。
「ヴォォォォォォォノ!!」
という何処かで聞き覚えのある雄たけびが、膠着を打ち破ったのだ。
ぎょっとして声のする方向へと目をやる。どうやらごみ山と一緒に出現した、ショッピングモールの高層階が発信源らしい。
やがて盛大な土煙と共に建物の一部が消し飛び、中から醜悪な豚面が飛び出してきた。
魔王"オーカス"。しかし、巨人の援軍として高層から顔を出したようには見えない。何処からどう見ても苦し紛れの、満身創痍にしか見えないのである。
"オーカス"はぐったりと舌を出した状態で荒い息を吐いた後、小生と巨人の存在に気がつき、悲痛な声を轟かせた。
「マ、魔王"アスラ"ヨ! 手ヲ貸シテクレッ! 我単体デハ手ニ負エヌ……!!」
そう言う"オーカス"の鼻面に、豆粒大の何かが飛びついた。いや、縮尺の関係で豆粒にしか見えなかったが、土くれの目を良く良く凝らして見てみればあれはデモニカスーツを着込んだ隊員だ。
ビルの壁面を、"バケツ頭"の屈強な男性がワイヤーウインチを器用に操り、縦横無尽に駆け回っている。
成る程、彼らは現在進行形で戦闘中のようだ。それは分かる。
しかしながら、一部の装備が理解できない。
何故、男性の手に持っているものが木製のバットなのか――。
「ヌ、ヌゥゥゥゥン、ボナペティ!!」
"オーカス"が大口を開けた。その口内が眩い光球が生み出され、ワイヤーで壁面にぶら下がる隊員めがけて発射される。
膨大な熱量を秘めているであろう光球は、周囲の構造物を溶解せしめながら隊員を焼き尽くさんと襲い掛かった。しかし。
「ヴォォォォォォォォォォォノ!?」
隊員がひとたび空中で木製のバットをスイングすると、バットの芯に光球が吸い込まれ、「カキィィィィン」と次の瞬間には"オーカス"の顔全体が燃え上がっていた。
なにあれ……?
『おい、ヤマダ! 何か日本の仏像みたいな巨人と向かい合っているみたいだが、何でそんな状況になってんだ!?』
半ば予想していたが、あの"バケツ頭"はタダノ君のようであった。どうやら、"クエビコ"の土くれに覆われていてもデモニカの通信は届くようで、小生はたまらず脳内に浮かび上がった疑問を投げかける。
「むしろ、何でバット持ってるんです……?」
小生の問いかけに、タダノ君は興奮冷めやらぬ勢いで答えてくれた。
『ヤマダが提供してくれた"ストラディバリ"を素材にして、うちの
物理法則返事して、とのツッコミを返したかったが、小生の物資提供で魔王との戦いを有利に運べているのならば、何も言うことはないだろう。
むしろ"オーカス"から"アスラ"と呼ばれた巨人の方が小生らのやり取りに横槍を入れてきた。
「脆弱ナル、有様……。同ジ母カラ生マレシモノトシテ、マコト見ルニ耐エン。ダガ、ナルホド。先ニ片付ケルベキハ、アチラノヨウダナ」
巨人がごみ山の天辺から跳躍し、その麓へと降り立った。向かう先はショッピングモール。タダノ君たちを挟撃する腹積もりのようだ。
小生は慌ててタダノ君に通信を送る。
「き、気をつけてください。タダノ君! 巨人がそちらへと向かっていますッ!!」
『オーケイ、こちらからも見えている。あのデカブツが来るまでには、こちらのデカブツを片付けておくさ』
再びビル構造物が破砕し、"オーカス"の全身が引きずり出された。
丸々と太ったその腹は半透明になっており、その内部に放射能マークの描かれた巨大な弾頭が漂っている。
苦し紛れに"オーカス"が青白い光球を打ち上げると、タダノ君がバットをフルスイングして光球を叩き落す。そしてフルスイング。フルスイング。
その姿たるや今までのストレスを全て発散せんばかりの勢いであった。
『故意のピッチャー返しが掟破りであることは分かっている!! だが、男にはやらねばならん時があるんだ!! 涙を流してバットを振っているんだ! 振って! いるんだっ!! フン! フン! フン!』
「ヴォォォォォォォォォォォォォォオノノノ!!?」
……頼りになるなあ。と思いながらも、想像を超える展開の連続に頭痛を感じ、小生は土くれの手で頭を抱えた。
と、その時。足元のヒスパニックが警句を発する。
「おい、ごみ山から悪魔の大群がこちらへ押し寄せてきやがるぞ!?」
「えっ?」
その声に促されごみ山を見ると、雲霞の如き悪魔の大軍勢がこちらへと進軍を始めているのが視界いっぱいに映った。
ずらずらと並ぶいずれもが"ボーティーズ"の悪魔よりも強そうで、どう見ても本格的な軍事侵攻にしか見えない。
あ、あれぇー……? 何か、計算していた展開と違う……!?
「あー、これは牽制の戦力なんじゃろうなあ。小僧の友軍を蹴散らそうにも、余計な横槍を入れられてはたまらんからの」
何時の間にやら小生の横に浮かび上がっていたカンバリ様が、合点したようにそう言った。
成る程、確かに主力であるはずの"アスラ"はショッピングモールへと向かっており、こちらへは目も向けていない。さらに手勢も少なからぬ数を引き連れているようだ。
だが、待って欲しい。
牽制の戦力がちと多すぎやしませんか……?
「大方、天使どもが背後にいると思われたからじゃろう。生半可な戦力では足止めにすらならんと評価されたわけじゃ」
「うん。足止めどころか致命傷ですよ?」
小生の保身が呼び寄せた最大級の裏目に思わず"クエビコ"の憑依を解き、座り込む。
「ぷっはあ! ちょっとヤマダっ! いきなり息苦しかったじゃないの!! 確かにアタシは崇め、守られるべき女神だけど? でもこういうアンタたちがピンチの時こそ、アタシの出番だと思うのよね。腕が鳴るんだから! それと、かばうならもうちょっと優しい感じにかばってちょうだい!」
どないせいっちゅうんじゃ、この状況……。
髪をかきあげ、あくまでも明るい様子ですらりと仁王立ちするトラちゃんさんが眩し過ぎる。
この際、"ボーティーズ"の軍勢を押し返した彼女の活躍を再び乞うべきか。いや、あれは駄目だ。二度と繰り返してはならない類のものだと小生の勘が告げている。
と言っても、手持ちの札でこの局面を乗り切れるのかというと……、うーん。
小生がウンウン唸っているところに、満を持して声を上げたのはハゲネさんであった。
「そう悔やんでも仕方がない。あれは誰が交渉しても同じ結果になっただろう。一つの失敗をあげつらうよりも、次の対策を練るべきだ」
言っていることは人間であった頃の頼れるリーダーそのものであったが、その提案のゴールが透けて見えていた。
慌てて小生は彼の提案に先んじて言う。
「……ええと、戦力の拡充が必要ですね」
「その通りだ」
「しかし、ハゲネさんたちのような"強化"はリスクがあります」
「いや、今はリスクを呑むべきタイミングかもしれないぞ」
ぐっと出掛かった直情的な言葉を一度飲み込み、なけなしの思考をフル稼働させながら言葉を選んで吐き出す。
「まだ手はあります。"箱庭"にまだ加入していない中立の悪魔たちを戦力として呼び込むんです」
「フム。そのアイデアは即効性に欠けていると個人的に感じてしまうな。第一、"ボーティーズ"が消え去った現状において、そこまでまとまった悪魔共が住み着いている場所の当てがない」
全くその通りなんだよなあ! と内心で泣きを入れながらも、必死に強情を張り続ける。
ショッピングモールも、ごみ山も、隣接したセクターは敵の本拠地であるわけで……。あー。
「氷山。あの氷山のセクター。あれ、以前"レッドスプライト"クルーからもらったレポートで見た記憶があるんですが」
「セクター"アントリア"だな。既にセクター内の魔王を倒し、"ロゼッタ多様体"の回収も終えた地域であったはずだ」
「ワンチャンありませんか? 戦力獲得の……」
そう小生が言うと、ハゲネさんは手を口元に当てて少し思案するそぶりを見せた。
「チャレンジする価値がないとは言い切れない、な。だが、確実性に欠けることも確かだ。保険は必要だと思う」
「で、では班長に保険を用意してもらいましょう」
「えっ?」
急に話を振られ、目を丸くするフランケン班長に小生は必死に目で訴えかける。
果たして、班長はポンと手を叩いて言った。
「ああ。分かりました。良い感じに"起死回生の手段"を用意しておきますよ」
「と、いうわけで! 当面のミッションを決定しましょう。"新たなるセクターからの侵攻を防ぐ"。このミッションは侵攻を防ぐための防衛戦力と、戦力拡充を目指す探索戦力に分かれて進めていきます。人手が足りませんから、"箱庭"の構成員は原則として全員が参加です。この決定に賛同の方は拍手をお願いします!」
満場一致の拍手が鳴り響いた。
ハゲネさんやラリョウオウさんといった人外の面々も、この決定に否やはないようだ。そこにほっとさせられつつ、続いて人員の割り振りに悩まされることになる。
エースがいち早く懸念を表明した。
「で、ヤマダの決定に今更反対する馬鹿はいないとして。防衛戦力は誰を当てる? ハゲネやラリョウオウのオッサン、中尉は絶対に外せないと思うぜ」
「え、ゼレーニン中尉もですか?」
「当たり前だろ。"箱庭"屈指の仲魔を2体も従えてやがるんだから」
「確かに、その通りね」
目を丸くする小生に対して、中尉が覚悟を決めた表情で声をかけてきた。
「私ならば問題ないわ。今度こそ、"箱庭"を守ってみせる」
「ゼレーニン中尉……」
「それなら、俺も戦ってやるさ!」
彼女の決意に当てられたのか、ヒスパニックも参戦を声高に叫ぶ。ただ戦意果敢なのは申し分ないのだが、彼は現実問題として仲魔を持っていない。
そんな小生の心配に答えるように、今度はディオニュソスさんが声をあげた。
「ならば、私の援護は仲魔を連れていない皆さんにお願いしましょう。魔石や宝玉を投げてもらえるだけでも大分助かりますから」
「おお!」
こうなると、戦いを恐れて"箱庭"へと逃げ込んできた新規の住人たちも逃げ出すわけにはいかなくなる。
ぽつりぽつりと参戦の表明が挙げられ、最終的には防衛戦力に"箱庭"住人の8割が従事することと相成った。
例外は"起死回生の手段"を用意する班長と、怪我の治療を受け持つドクターたち。そして、探索戦力である小生である。
ん?
「あれ、小生が探索に回るんですか? 防衛でなく?」
「当たり前だろ?」
何を言っているんだという顔をヒスパニックにされてしまう。何故だ。
「だってよ。女神様やカンバリ様を防衛にまわしたまま、単独でセクター内を探索した上で悪魔を勧誘できそうなの、悪魔を憑依できてTALKの実績もあるお前しかいないじゃないか」
「アッ」
「恐らくは持って丸1日。長くは持たないからよ。なるべくたくさんの悪魔を口説いてきてくれよ?」
「ヤマダさん。貴方がいない間、必ず私たちの"箱庭"を守り通して見せるわ」
「村長」
「リーダー」
アッアッアッ、責任が重く圧し掛かってくる。
恐らく小生の顔色はとてもひどいものになっていることであろう。
「す、すすすぐ戻りますからッッ!」
皆が意気揚々と手を挙げ、防衛の意思を固める中、小生はデモニカスーツの身体強化機能をフル稼働させて、氷山の見えている方角――、セクター"アントリア"へと猛ダッシュを開始した。
「いや、走って向かってどうするんですか。ヤマダさん! "エルブス号"から運び出していた
「アッハイ!」
かくして、恐らくはこのシュバルツバースが発生して以来初めてであるセクター間の抗争が勃発してしまう。
その原因の一端に小生の選択があることは決して否定できない事実であった。
「さあ、あいつらがアタシの畑に集る前に勝負を決めちゃうわよ。大冷界!!」
「天罰☆てきめん! マハジオンガっ!」
総電気動力で最大速力の80km/hをキープする調査車両を走らせる小生の頭上を、長閑な村から発射された長距離砲撃が通り過ぎ、巨人の軍勢の一角を薙ぎ払う。
轟く爆音。揺れる車内。
小生はたまらず腹をさすった。
◇
――さて、こうして始まった時間制限つきのスカウトだが、その釣果はお世辞に大漁とはいえなかった。
「ヘ、ヘイ、彼女。しょ、小生の車に乗りませんか? 仲魔になって、ウインウインな関係を築きませんか!?」
「え、やだ。キモイ」
まず、炎を操る虫のような羽根の生えた小さな少女ににべもなく断られる。
「小生なら、あなたの憂いを取り払うことができると思うんです!」
「でも一緒に車なんかに乗って、噂とかされると恥ずかしいし……」
さらに、悪霊にしがみつかれた男性の悪魔にも噴飯ものの断られ方をされる。
「こんにちは。私の同胞と付き合いました。貴方は。それは正しい。私たちの仕事はありますか?」
「あっ、タンガタ・マヌさん。どうも。ハイ、大歓迎ですよ! ハイ!」
唯一の例外はタンガタ・マヌさんの眷属であった。何かやたらと意気投合し、こちらから声をかけなくてもがやがやと集ってきて、そのまま仲魔になってくれる。
惜しむらくは彼らがあまり戦闘能力の高い種族ではないことであった。
犠牲になること前提の勧誘はしたくない。
だが、選り好みしていられる時間もない。
「ああ、どうすりゃいいんだこれ……」
調査車両の後部座席やボンネットに1ダース分のタンガタ・マヌさんをがたごとと乗せながら、小生は"レッドスプライト"クルーが踏破したマップを読み込んだカーナビに目を落とす。
西部から北部、中央部、"レッドスプライト"号が着陸したという南部の探索と、釣果はさておき移動行程は今のところ順調だ。
そのいずれもが辺り一面氷に覆われていて、まるでトラちゃんさんの大冷界に閉じ込められたような錯覚を抱かせる。
何で、タイヤスタックしないんだろうなあ。異空間ってことなのかなあ……。
そんなことを考えながら、車内に表示された原子時計に目を向ける。
"箱庭"を出て、もう7時間になる。
今のところ救援の要請は来ていないが、有利に戦いを進めているということはありえないだろう。
恐らくは建物や構造物を用いた篭城作戦に徹しているはずだ。
小生はやきもきしながらカーナビのマップを指でつつき、その表示箇所を拡大させる。残る探索箇所は"アントリア"の東部だ。
情報に寄れば2号艦"ブルージェット"号が不時着した地点でもある。
「ここで戦力を見つけられないと流石にまずいぞこれ……。どうなんですかね。頼りになりそうな強い悪魔はいるんですかね……?」
すがるように小生は後部座席に鮨詰め状態で座るタンガタ・マヌさんへと声をかける。
すると、彼らは意外にもこちらの質問に対して是と頷いてきた。
「はい。それはいます。それは私たちよりもパワフルです」
「えっ、本当ですか?」
思っても見なかった返答に思わず目を丸くする。
彼らの言葉を解読してみると、どうやら"アントリア"の東部には元から2体の強力な悪魔が住み着いていたとのことだった。
1体は堕天使"オリアス"。この名前は聞いたことがある。
確か"ブルージェット"号を壊滅させ、シュバルツバース調査隊の現場責任者であるゴア隊長を殺害した悪魔だったはずだ。そして、タダノ君の手によって討ち取られたとも聞いている。
残るもう1体は妖精"ローレライ"。こちらは"オリアス"をはるかに上回る力を持ちながら、気まぐれで風来坊な気質が影響して、めったに姿を現さないらしい。
小生はこの風来坊な悪魔の情報に一縷の望みを賭けることにした。
心持ちアクセルを踏む力が強まる。
"レッドスプライト"クルーが提供してくれた情報の中に"ローレライ"なる悪魔の情報は存在しなかった。
つまり、このセクターの魔王とタダノ君たちが壮絶な戦闘を繰り広げている時も、全く姿を現さなかったということになるだろう。
何故か? 恐らくは魔王の軍門に下っていなかったからだ。
ならば、中立の態度を取ってくれるかもしれない。いや、取ってくれるだろう。
心持ちハンドルさばきも軽やかになる。
……後になって考えてみると、この思考は希望的な観測によって成り立つ至極甘い見立てであった。あるいは時間制限の差し迫った焦りによって、少々軽率になっていたのかもしれない。
何故、タダノ君たちの前に"ローレライ"は姿を現さなかったのか。
単純な話だったのだ。
要するに、
魔王も人間と同様に殲滅する対象だった。
"レッドスプライト"クルーからもたらされた情報によれば、"アントリア"の魔王は、さながら戦時中のような焼け野原の町並みを世界として生み出していたのだという。
であったならば、この氷の世界は一体何なのか?
"ブルージェット"号の残骸を遠目に認めた調査車両に向かって、無数の氷塊が降り注いだ。
「う、うわわっ!?」
慌ててハンドルを切るも、勢いに駆られて車両は横転。小生とタンガタ・マヌさんたちは車両の外へと投げ出される。
軽い脳震盪に混濁する小生の視界に、宙を舞う緑髪の少女が浮かび上がった。
端正な顔つきだ。ただし、その顔色は水死体を思わせる。
あれは、ハープだろうか。見るからに技巧をこらして作りあげられたであろう楽器に腰をかけて嗜虐に満ちた笑みを浮かべていた。
「クスクス、クスクス」
小生は確信する。
あ、これ話の通じん奴や、と。
「――クスクス、クスクス。人間ね。人間がやってきたのね? "モラクス"を殺した人間の仲間? 誰でも良いわ。私の声を聞いてくれるのならば」
「……あー、私たちに力を貸してくださるんなら、いくらでもコンサートを開いてくださっていいんですが。観客も集めますよ?」
「あかんて、兄ちゃん。"ローレライ"姐さんの歌声聴くと常人なら死ぬで。そこはウチの六甲おろしにしとき」
ん?
理解が追いつかず小生が辺りを見回すと、"ローレライ"の背後に立ち並ぶ氷柱の一本に、これまた緑髪の少女がコアラの如くしがみついている姿を見つけることができた。
ハープ持ちの女性との違いは、見るからに業物の西洋剣を小脇に抱えていることだ。って……。
「え、何? この、何?」
ちょっと意味が分からない。
十中八九、敵であるはずの"ローレライ"の後ろに見える、敵か味方かわからない少女の存在が小生の混乱を加速させる。
緑髪の少女はしばしこちらの反応を観察した後、何か閃いたように自らの立場を宣言した。
「シベリアを抱きしめてまんねん」
「ちょっと何言ってるか分かりません……」
シベリアじゃなく、ここは南極、いや。"アントリア"だろと言うべきか。今の状態を聞きたいんじゃないんだよと言うべきか。
「そういうとこやで、兄ちゃん」
「ちょっと、どういうところなの……?」
「うーん、兄ちゃんは理想の勇者様違うんかもなあ」
「だから、何が!?」
まさかの"ローレライ"姐さんまで嗜虐的な笑みを引っ込めて、真顔になってしまっていた。
「人間。私の声を聞いて欲しいのだけれども」
「アッハイ」
「この子、ちょっと外へ連れて行ってくれないかしら? この子ったら、この年になって今更何の影響を受けたのか、変な風に夢見がちになってしまったのよ。もしかしたら、箱入りに育てられたのがまずかったのかしら……。だから、気分転換もかねて一度外の空気を吸わせてあげたいのよ。勿論報酬も用意するわ。私の頼みを聞いてくれている間だけは、敵対しないでいてあげる。どう?」
「ハイ。ハイ?」
うん。
何が何だか、全く分からん……。
ただ、どうやら今すぐの戦闘を回避できたようで、小生はひとまず安堵の息を吐いた。
名前 ハゲネ("エルブス"号機動班リーダー)
種族 属性
英傑 NEUTRAL―NEUTRAL
Lv 56
HP 507
MP 121
力 57
体 50
魔 30
速 50
運 35
耐性
物理 銃 火炎 氷結 電撃 疾風 破魔 呪殺
- - - - - - - -
スキル
忠義の斬撃 冥界破 グランドタック 道具の知恵・癒 道具の知恵・攻
名前 ラリョウオウ("エルブス"号機動班)
種族 属性
英傑 NEUTRAL―NEUTRAL
Lv 49
HP 480
MP 98
力 53
体 45
魔 18
速 38
運 30
耐性
物理 銃 火炎 氷結 電撃 疾風 破魔 呪殺
- 無効 - - 耐性 - - -
スキル
慈愛の反撃 ジャベリンレイン 怪力乱神 道具の知恵・癒 道具の知恵・攻