シュバルツバースでシヴィライゼーション 作:ヘルシェイク三郎
恐らく――、いや間違いなく小生は幸運だったのだろう。
遭遇時にいきなり襲い掛かってくるという荒っぽい対応、そしてこちらに向ける好意的でないまなざしを思えば、今小生の目の前に浮かぶ"アントリア"東部の実力者、妖精"ローレライ"との遭遇は、本来ならば不幸な幕引きを迎えていた可能性が非常に高い。
その具体的な結末がどのようなものなのかは考えたくもないので、さておくとして……、とにかく敵意にまみれた彼女の心に寛容さをもたらしたのは、剣を抱える緑髪の少女であった。
小生は「外の世界に連れて行って欲しい」と頼まれた少女をじっと様子見する。すると即座に鋭く尖った氷塊がヘルメットの側頭部を掠め、浅からぬ傷をつけていった。何で!?
「この子を傷物にしたら、八つ裂きにしてあげるから」
「エッ、エェェッ……!?」
本物の殺意と尋常でない気配に小生はその場で震え上がる。
やはり、"ローレライ"は小生に良い感情を抱いていないらしい。であるからこそ、疑問が募る。
小生は死人同然の顔色をした女性に、恐る恐る問いかけた。
「あの……。何点か質問よろしいですか?」
"ローレライ"は真顔でこちらを見下ろしたままだ。これはちょっと反応に困る。
愛想笑いを浮かべながら揉み手をし、さらに問う。
「さ、先ほどの依頼。お受けすることはできるのですが、やっぱり事情は伺いたいと……。駄目、ですかねえ?」
こちらの粘りに折れたのか、"ローレライ"が小さくため息をつく。そして、宙に浮かぶハープに身体を持たれ掛けさせながら、口を開いた。
「良いわよ。それだけのことを頼むわけですものね」
小生を苛む殺意が弱まったことに、まずは安堵。言葉を選びながら、慎重に情報を聞き取っていく。
「まず、大前提としての質問を。貴女は小生らにとって味方ではないのですよね?」
「むしろ敵だわ。貴方たちはこの星を蝕む害虫ですもの。"選ばれなかった人間"とわざわざ交わる必要性を"私は"感じない」
いくつか引っかかる言い回しがあった。だが、今は置いておくことにする。
現状、重要なのはそこではない。
小生は続けた。
「……ならば何故、小生らにお仲魔を預けようとなさっているのですか?」
ここが分からないところだった。見るからに大事に育てたらしい少女を、何故敵と断言する相手に預けようとしているのかが理解できない。
勿論、この場を無傷で切り抜けるために、彼女の要求を受けざるを得ないことは疑いようのない現実であろう。
しかし、それによって小生の死よりも大きなデメリット――、例えば"箱庭"が崩壊するといったリスクを負わなければならないのだとしたら、こちらも腹をくくる必要がある。
こちらの必死の問いかけに答えたのは、"ローレライ"に守られた少女であった。
少女は緑髪を細い指でかきあげ、ばつが悪そうに目を逸らしながら言う。
「あー、それな。ウチの我侭やねん。ウチが"今の人間"と交わりたい言うたから、姐さんが我侭聞いてくれはったんよ」
「交わりたい、ですか?」
こちらの声に少女は頷き、更に続ける。
「せや。ほら、ウチは昔から人間に恩恵を与えてきた種族の娘やろ。ほなら人間が滅びる前に、もう一度関わり合いを持っとこうとな。自分の目で今の人間があかんと確認したわけでもなく、何も関わらずにいなくなるんはやっぱり寂しいやろ。ひょっとしたら、勇者の一人や二人は"次に"引っ張っていけるかもしれんしな」
先だって、少女と交わした会話が思い起こされる。
徹頭徹尾、ボケ倒した会話の中にあった『兄ちゃんは理想の勇者様違うんかもなあ』という呟き。
あれを聞いて、"ローレライ"は小生に彼女を預ける気になった。
ん? あー。あー。
読めてきたぞ……。
こちらの理解を推し量ったのか、"ローレライ"の表情が歪んだ。
「察しが良いのね。不愉快だわ」
あはは、と愛想笑いを浮かべておく。
要するに、彼女は少女が言う"理想の勇者様"が実際に現れないよう、
少女自身の能力か、何らかの異能かは分からないが、恐らく身の安全はある程度保証できているのだろう。
その上で、少女の失望を誘っている。失敗を望まれているのだ。
これ、かなりめんどくさい案件だぞ……。
小生はなけなしの頭をフル回転させて、現状最も利益を引き出せそうな選択肢を探し出す。
小生の推理が正しいのならば、少なくともこちらが少女の失望を買うまでの"箱庭"の不可侵は保障されているといってよい。
慎重に、慎重に申し出る。
「お話は分かりました。この依頼、喜んで引き受けたく思います。ただ、ですね。小生はお嬢さんのお眼鏡に適わなかったとして、小生の仲間たちに会わせようにも、会わせる前に壊滅してしまう可能性が高いです。実はゴミ山の巨人が我々の"箱庭"に軍勢を送り込んでおりまして。このままでは、お嬢さんの望みに沿うことも難しくて、ですね……」
「何や、防衛力に難があるんかい。アッチソンやメッセンジャーはおらんの? 名投手やん」
「いや、投手に過度の期待をかけすぎ……、もっと野手と打者に責任持たせて……、ていうか"箱庭"は阪神球団じゃないんですよねえ!」
ヘルメットを氷塊が掠めていった。何これ、理不尽すぎる。
小生の顔色が真っ青になったことに溜飲を下げたのか、"ローレライ"は険しい表情を緩めて言った。
「ならば、貴方たちの"箱庭"とやらでこの子が交流するまでは、私の眷属を使って"腐りただれた国"を攻めましょう。それで時間が稼げるはずです。どうせ、いずれコトワリを求めて競い合う相手。ここで力を削っておいても損はないですからね」
「え、あ、ありがとうございます!」
良し、良し良し! 後のことはさておき、当面の増援を得られたことは大きいぞ。小生は思わずガッツポーズを取る。
話がまとまったと判断したのか、少女も諸手をパンと叩き、喜色を浮かべて明るい口調で言った。
「ほな、兄さん暫くの間よろしく頼みますわ。ウチは妖精"ヴィヴィアン"。人はウチのことを"道頓堀の乙女"と呼びます」
「何その清くなさそうな乙女」
しまった、と思った瞬間にはガンと氷塊がヘルメットを揺らしていた。
一応殺さないよう手加減しているつもりのようだったが、人間の身体は脆いのである。
小生は一瞬の内に"アケロンの川"へと超高速成仏を果たし、白髪の老人からドラ焼きを進められたところで"ヴィヴィアン"の蘇生を受けるのであった。
◇
さて、横転状態から復旧させた調査車両に乗り込み、各種車載機器の再起動を行う。特に深刻な故障は見当たらないようだ。
エンジンを回して、シフトスイッチを操作する。フルオートマチック機構が故障していなくてよかった……、マニュアルのトランスミッション操作は苦手なんだよなあ。
ハンドルを握り、後部座席を振り返れば、ヴィヴィアンさんがどっかと座席に飛び込んでいた。
「おー、意外と座席ふっかふっかやないの。VIP待遇ええやん。葉巻とグラサン用意しよか。ん、何や。タンガタ・マヌはんも乗りはるんか? うっふふ、ええよ。ウチは寛大やから、脇どけたるわ。ちょ、あかん。人数考えて! そんな数入らんて!!」
瞬く間に単独のVIP待遇から、タンガタ・マヌさんたちによるドナドナ地獄のおしくらまんじゅうへと変化したことに、ヴィヴィアンさんが悲鳴をあげる。それでも彼らを追い出そうとしないあたり、社会性はあるようだ。
ほんの少しの安堵を覚え、小生は彼女に声をかけた。
「助手席に来られますか? 機材をどければ、スペース作れますけど」
こちらの呼びかけに、ヴィヴィアンさんが緑髮の分かれ目から覗く目を丸くする。
「ほんまか? でも、ウチ地図の読めへん女やで」
「別に地図は小生が読めますし、特に補助が必要なことはありませんよ」
「そら助かりますけど、ほなら何で助手席って言うねん。何を助手するんや。エロいことはNGやで?」
「むしろそんな発想に至ったことにビックリですよ!」
小生はたまらずツッコミを入れた。氷塊は飛んでこない。一応、車外より攻撃が飛んでこないかビクビクしつつ、「そんなもんなんやなあ」と一人納得するヴィヴィアンさんを観察する。
どうにも彼女の常識や知識には妙な偏りがあるようだ。先だっての阪神知識もそう。それでいて、"今の人間"を知るために関わり合いたいと。いや、大分知ってるじゃないかとツッコミを入れなかった小生の自制心を自画自賛したい。
うーん、確認しておいた方が良い案件なのかな。これ……。
一応とばかりに小生はアクセルを踏みながら、彼女に問う。
「随分と"今の人間"についてお詳しいように見えますけど、今更交流の必要ってあるんですか?」
「あー、兄さん。それ誤解やで。ウチは"今の人間"について知っているんとちゃう。"今の人間"の記録を生まれ落ちた時に刻み付けられたから、知っとるだけなんや」
「んー、んー?」
すぐには理解しがたい答えが返ってきたため、小生は反応に困って眉を寄せる。
氷山の立ち並ぶエリアに終わりが見えてきた。十分に安全マージンを取った運転を心がけつつ、小生は彼女の補足説明を待つ。
「えっとな。ウチらみたいな最近生まれた悪魔は"地球意思"が生みの親なんよ。"今の人間"を滅ぼして、この星を掃除するために創られたんや。せやから、生まれ落ちた時には人間についての知識を植え付けられとるわけやな。ここまでは分かるか?」
「あー……、一応は」
彼女の言に妥当性があることは、今までの状況を鑑みれば容易に理解できる。むしろ、「"地球意思"についての推測は正しかったのかあ」とでも呟きたいくらいだ。勿論、理解と納得は全くの別問題であり、小生を苛む失望感と胃痛は如何ともしがたい。
ヴィヴィアンさんはさらに続ける。
「ただ、知識は結局実体験には勝てへんねや。"地球意思"がいくら人間滅せよ言うても、助けたくなる人間おるやんけ! てなるのが義理と人情の世界やろ。せやから、"ヴィヴィアン"であるウチは直に人間を見たい。ウチの考えは間違っとるか?」
「人間の立場からすれば、ありがたいとしか言いようがありませんよ。それ」
彼女の口から明かされたこのシュバルツバースの真実は、小生らの現状認識を大いに深めてくれるものであった。
何故、このシュバルツバースの悪魔は人間を襲うのか。白血球の持つ免疫機能に対し、何故ウイルスを攻撃するのかと疑うものはいない。そういう風に創られたものだからだ。そして、白血球であるはずの悪魔の中にTALKで仲魔になるものがいる理由に関しても理解できる。新たな知的生命体として彼女のような悪魔たちが創られた以上、そこに自由意志があっても別段おかしくはないからだ。いくら"地球意思"によって人類殲滅の指令が布告されようとも、そこに個々人の自由意志が存在する限り、絶対に従わなければならないという道理はない。ただ……、そうなると気になることが生じてくる。
「"地球意思"が生み出したわけではない、古い悪魔は人間をどう思っているんですか?」
気づけば、セクター"アントリア"の辺縁が眼前に広がっていた。助手席のヴィヴィアンさんは口許に人差し指を当てながら、言う。
「それこそ、存在によりけりやろ。あのけったいな天使たちなら、主の復活に役立つならば~て味方のツラをするかもしれんし、大昔の生き残りやったら、自分の得になるなら~て考えるんやないか? 大事なんはウィィンな関係やと思うで」
「ウィン・ウィンですかあ」
「それや」
話を聞きながら、小生が思い浮かべていたのはトラちゃんさんの顔であった。
彼女は間違いなく大昔の生き残りにカテゴライズされる存在だ。今はウィン・ウィンの関係を築き上げられているよう見受けられるが、だからといっていつまでも蜜月が続くと考えてしまうのは、あまりにも楽観視が過ぎるだろう。少なくとも小生が所属していたシュバルツバース調査隊、ひいては人類全体の主目的と、彼女の目的がうまく組み合う有効な方針は未だ見つかっていないのだから。
これ。いい加減、見えてこないとマジでまずいんだよな……。ハゲネさんたちの問題も然り、あまりにも据え置きの懸念が多過ぎるのである。
そして、差し迫ってやってくる矢継ぎ早のピンチが落ち着いて考えるゆとりを与えてはくれない。
小生は車両の通信設備をぱちりと起動させ、"レッドスプライト"号へ連絡を入れた。
『ハロー、こちら"レッドスプライト"のアーサー。通信感度は良好。アナタは"NOAH"のヤマダ隊員ですね?』
相変わらずの無機質な音声は、"レッドスプライト"の指令コマンドのものだった。予告なしの通信にヴィヴィアンさんが「わ、ハイテクやなあ」と目を丸くしておられる。トラちゃんさんといい、悪魔とはメカに弱いものなんだろうか?
まあ、それは今考えることではない。小生は今までの経緯を手短に話すべく、口を開いた。
「御察しの通り、ヤマダです。現在"箱庭"が直面している危機の報告と、種々の情報共有のため、通信させていただきました」
こちらの言葉に対する反応はすぐさまに返ってきた。
元よりアーサーは人類の技術を結集して組み上げられた超高性能AIだ。それ故に人間のような息遣いも、聞き間違えも、相手に対する遠慮の意識も存在しない。
『ナルホド。それならば、前者については既にこちらでも把握済みであることをお伝えしましょう。今から9時間3分前に発生した奇妙な次元歪曲現象についての情報収集をはかるため、セクター"カリーナ"における艦外調査と並行してセクター"NOAH"に通信を送っていたのです』
「え、連絡が取れたのですかっ?」
意外な返答に小生の声は上擦る。
『すぐには取れませんでしたが、今から3時間34分前に返信があり、大体の事情はつかめました。今もリアルタイムの通信を継続しており、貴方が抱いているであろう懸念をすぐにでも解決できます』
「なんでや、阪神関係ないやろ!!?」
「本当に関係ないんで、ちょっと黙っていてくれませんか!?」
突然、ヴィヴィアンさんが発狂し始めたため、運転席の収納スペースから希少な栄養バーを取り出し、彼女へ放り投げる。
「おっ、気がきくやないの。今日はこの辺で勘弁したるわ」
と、もっさもっさとバーを頬張るヴィヴィアンさん。「あー、プロテインの音ぉー……」などと妄言を垂れ流しておられるが、プロテインの音なんてない。いい加減にして。
「それで皆さんは無事なんですか?」
『ええ、善戦しています。映像を中継いたしましょうか』
「お願いしますっ!」
直後、カーナビのディスプレイに空中から撮影したであろう"箱庭"の映像が受信される。恐らくは"箱庭"の住人によって打ち上げられたドローンによって撮影された映像だ。映像の中で、荒野の中にぽつんと佇む"箱庭"は雲霞の如き悪魔の群れに取り付かれ、一進一退の籠城戦を繰り広げていた。
"箱庭"の面子の中で、最も水際立った大活躍を見せているのは当然ながらトラちゃんさんであった。
『どっせぇぇぇい、メディラマ! おうりゃあああ、メディラマ! 今がチャンスよ、女神の力を味わいなさぁぁぁい!! それとメディラマ!』
ただひたすらに光る拳を振り回し、有象無象を殴り飛ばす。手近な敵を仕留めた合間に、仲間の傷を異能で癒す。その繰り返しが敵の勢いを完全に砕いている。当人の疲れは敵を討ち取るたびに自己回復してしまうわけだから、これは最早永久機関といってもいい。改めて彼女の規格外さを思い知らされる。
「何や、あのおっかない死神……」
「うちの女神様です」
「死神とちゃうん?」
どうやら彼女の実力はヴィヴィアンさんをして、頭おかしいレベルのようで「戸締りしとかな」と顔を青ざめさせている。
しかし、うちの女神様にも弱点があった。魔人"デイビット"との戦いで判明した事実であったが、実力者が相手だとそのマルチロール性のために手が足りなくなってしまうのである。現に彼女が相対しているのは一撃で仕留められるような力の弱い悪魔に限定されていた。
故に実力者との戦いを別の面々が負担することになる。
『
ハゲネさんの指示出しにより、有機的に連携した7人が陣形を作って敵の群れを切り裂いていく。
先頭はエースとハルパスさん。その側面サポートに正体を現したハゲネさんとラリョウオウさんがまわり、後方にスパルナと根本を有したゼレーニン中尉がいた。
『ネモ、スパルナ。お願いっ!!』
『へっ、任せとけいっ!!』
中尉の声援を受け、2体の悪魔が異能を無差別に放つ。根本の息吹はハリケーンを思わせる突風に変わり、周囲10メートルの敵をドミノ倒しに薙ぎ倒す。そして無防備になったそれらをスパルナの羽ばたきが生み出した真空の刃が襲った。
しかし、彼女らの援護射撃はあくまでも質量の小さな個体を蹴散らすだけに留まる。厄介な大型の悪魔にはエースたちが間髪入れずに斬り込んでいった。
『――人間。そこのウスノロを狩るぞ!』
『朝飯前だ、馬鹿野郎!!』
姿勢を低くして駆け出したエースの構える新型の突撃銃が火を噴く。"レッドスプライト"のアーヴィンさんによって製造された、対悪魔性能の高い一品だ。精密な射撃で両目を潰された獣は、黄金色の毛皮を血で汚しながら、両腕を振り回し、その場の悪魔たちを巻き添えにしながらもがき苦しむ。それの暴走を物理的に食い止めたのが、ハルパスさんだった。
『予期せぬ闘争……、滾るわッ!!』
軽やかな跳躍で獣の眼前にまで跳躍したハルパスさんがコンパクトな動作で細剣を一閃、直後に獣の動きがピタリと止まる。そして、ごとりと巨大な首が地面へと落ちた。まるで居合のような、惚れ惚れするような凄技だった。
「何やねん。ウチの知っとるハルパスとちゃうねんけど」
「ハルパスさんはハルパスさんなんじゃあないんですか?」
「いや、せやけど。違和感あんねん。察してや、この乙女心」
知らんがな。
さて、一人と一体の連携攻撃に巨大な獣が討ち取られる中、現場の指揮を取っていたハゲネさんが突如動きを見せる。動揺した敵集団の中に、明らかに戦況を観察していたであろう悪魔を見つけたのだ。
それは青い肌を持った人型の悪魔であった。手には法螺貝を持ち、まるで修験者のような格好をしているが、その背中には大きな羽根が生えている。
ハゲネさんは修験者に向かって迅雷の速度で襲い掛かり、手持ちの長剣を下段から斬り上げた。が、届かない。
修験者の法螺貝がハゲネさんの太刀筋を塞いだのだ。強襲に失敗したハゲネさんであったが、すぐさまに手の内を返し、長剣を袈裟に振り下ろす。防がれる。横薙ぎの一撃。防がれる。目にも留まらぬ速さで喉元を突く。修験者の動きに乱れが生じる。
止まらぬ追撃に耐えかねた修験者が翼を羽ばたかせ、空へと逃げようとするも、それよりも速い速度でハゲネさんが跳躍し、渾身の唐竹割りで頭上から修験者を地上へと叩き落とした。
『――
『イエッサー』
墜落した修験者を待っていたのは、ラリョウオウさんであった。修験者の胸を力一杯に踏みつけ、抵抗を封じた上で剣を振り下ろす。
修験者の顔で剣が砕けた。なまくらというわけではないのだろう。単にあの悪魔の体が硬いのだ。だというのに、ラリョウオウさんはそれに頓着することもなく、ただひたすらに敵を叩き砕く。
修験者が痙攣を始めた。それでもラリョウオウさんは、剣を振るう手を止めようとしない。徹底的に、敵を潰す腹積もりのようだ。ただ、それを眺めていたハゲネさんは、もう加勢する必要はないと見たのか、他の獲物を探すべく、仲間達へと指示出しを始めた。
『頭は潰した。弱いところから食い破れ!! 我々に挑んできたことを後悔させてやるんだ!! ゴー! ゴー! ゴー!!』
――うん。
うーん……。
「……素朴な疑問なんやけど、これウチらの加勢要る?」
「あ、あれぇー……?」
ヴィヴィアンさんの指摘に、小生も思わず首を傾げた。
彼女の言う通り、中継から伺える戦況は思っていたよりずっと優勢のように見受けられる。いや、しかし。物量差が……、野球だって怪我の続出で控えのいない球団はシーズン後半から失速するものだ。この調子がいつまでも続くわけがない。てか、皆で敵陣にまで攻めに出てるけど、守備はどうなっているんだこれ。
「アーサーさん、これドローンのカメラを"箱庭"へ寄せることってできますか? こちら側の操作で」
『ハイ。この攻勢が無理のないものなのか懸念を抱かれたのですね。やってみましょう』
と答えるや否や、カメラの映像が攻勢をかけている正面以外を順繰りに映すように移り変わっていった。
どうやら側面にはディオニュソスさんと新米メンバーが防衛についており、後方には花子さんとカンバリ様が控えているようだ。
『フフフ……、酒飲み仲間を手に入れた私に怖いものはありません……! 身体が軽い、もう何も怖くない、とりあえず脱いでおきましょうっ!!』
『皆を苦しめる悪魔たちは、天罰☆てきめん! です!』
花子さんの放った強烈な電撃が"箱庭"の隙を伺っていた悪魔たちを薙ぎ払っていく。そして、ディオニュソスさんがホップステップと華麗な跳躍を決めた後でトーガを脱ぎ捨てた。何でだ。
いや、しかしディオニュソスさんの裸を見た一部の悪魔が混乱をきたし、何故か同士討ちを始めたではないか。ほんと何でだよ。
「あー、ファイナルヌードやな。魅了を司る異界魔法の一つや。あほくさく見えるかも知れへんけど、あれで精神汚染能力はすこぶる高いねんで。絶対食らいとうないけど」
「確かに」
大真面目に同意してしまったが、防衛に使えるのならば何も問題はない。それよりも。
「それより、おかっぱ着物の嬢ちゃんの方が辛いな。あんな大技、連発できるもんやないで」
眉根を寄せるヴィヴィアンさんの懸念は正しく、極大の電撃を放った後の花子さんは肩で荒い息をついていた。電撃の合間を縫おうと突撃してくる悪魔たちをカンバリ様が食い止めていたが、それもいつまで続けられるものか。
「あっ!」
何度かの連発の後、ついに花子さんがぐらりとよろめいてしまった。傍にいたレミエルさんが彼女の方を抱き支えたが、これで"箱庭"の後方は迎撃能力を失ってしまったことになる。途端に殺到する悪魔たち。まずいぞ、これ!
「カンバリ様っ! 花子さん! レミエルさん!」
こちらの声が聞こえないことはわかっているというのに、小生はカーナビにすがりついて必死に叫んだ。その声が届いたわけではないのだろうが、悪魔たちの前へと筋骨隆々な大男が歩み出ていった。
あれは、バースさんだ! 手にはバットも持っている!! んんん!?
『ヴェー、ヴェーヴェーヴェー……』
バースさんが突如、意気揚々とアメリカンスタイルにバットを構えた。そして何処からか彼の目の前に放り投げられた異能の力が込められた石……。よもや!
次の瞬間、カキィンと石が悪魔たち目掛けてライナー軌道で飛んでいった。エース顔負けの精密射撃だが、それによって引き起こされる結果が異なる。超高速で撃ち出された石は激突した1体目の悪魔を貫通し、2体目の悪魔を破裂させ、3体目の悪魔を骨格を完全に粉砕させた後、周囲に冷気を放出し始めた。更にもう一発の打球。駄目押しにもう一発の打球。ヴィヴィアンさんが叫んだ。
「マイク・イースラーやん!」
「そこかよ!」
しかも間違ってる。日ハムと阪神くらいに間違っている。
「いや、どう考えてもバースでしょう。バッティングフォームも」
「嘘やん。ヴェーヴェーヴェーはイースラーやろ! 何で打席で落ちへんのや!!」
「打席で落ちるって何!?」
彼女の言っていることがかけらも理解できなかったので、ここは捨て置くことにする。どうやら石の補給をしているのは、フランケン班長のところにいた片足義足のメイドであるようだった。
『ヴぉい』
『ヴェー』
『ヴぉい』
『ヴェー』
巨大な斧を手元に立て掛け、やる気がなさそうに石を放っている。
そこに着物をまくってムンとガッツポーズした花子さんが復帰した。
『チャクラドロップの甘味で、花子復活ですよ! 天罰☆てきめん!』
花子さんが奮闘し、電撃が周囲を駆け回る。
『ヴェーヴェー……』
バースさんが打席に立つ。
『天罰です!』
『ヴェーヴェー……』
『べ、ベーベー!』
『ちょっと、うちの花子に悪影響が出ていますから静かにやりなさい。ベルセルク!!』
ついに傍にいたレミエルさんがキレた。気持ちは痛いほどによくわかる。
「あっ、ベルセルクだからイースラーのモノマネなんか! お姉さん一本取られたわ!!」
「何でやねん」
それは全くよくわからないため、呆れ声でため息をついた。そこにアーサーからの提案が差し込まれる。
『ご覧の通り、"NOAH"の方々は善戦しています。彼らが当初に見込んだ予想よりもずっと。そこでアナタに提案なのですが、このまま拠点へ直帰するのではなく、移動距離としては少し遠回りになりますが、"カリーナ"付近で戦力拡充の探索をしませんか?』
「それは……、そんな悠長にしていられる時間がありますか?」
少し承服しがたい提案に、小生は難色を示す。万が一道草を食ったことで、"箱庭"が壊滅してしまっていたら、小生は自分を生涯許すことができなくなってしまうだろう。
そんな小生の懸念に対し、アーサーは理路整然と提案の根拠を示していく。
『アナタの懸念はもっともです。しかしながら、この提案は移動距離こそ遠回りになったとしても、戦略上は遠回りではないのです』
「と、言いますと?」
『単刀直入に言えば、"カリーナ"に隣接した地域に正体不明の……、"NOAH"のような小セクターが生じています』
「エッ?」
小生は驚きの声を上げる。そんな情報は今までに聞いたことがなかったからだ。アーサーは続ける。
『小セクターの存在を観測できたのは、先程の次元歪曲現象以降のことです。恐らくは巧妙に隠蔽されていた空間なのでしょう。あんなことがなければ、今後発見されることもなかったかもしれません。さらに付け加えるならば、"カリーナ"の敵性存在と小セクターの知的生命体が争いあっているであろう映像も撮影できました。映像をご覧になりますか?』
「お、お願いします!!」
アーサーの言が本当ならば、"ローレライ"と同様に敵対を避けた不可侵、ないしは共闘の約束を取り付けられる可能性がある。何故"レッドスプライト"の人員をそちらに回さないのかについては、単に余裕がないからだろう。何せ、今は魔王"オーカス"と直接殴り合っている真っ最中だ。現状、何処にも紐付けられていない遊動戦力である自分に目をつけた理屈は理解できる。
ディスプレイに映像が表示された。
そこはショッピングモールに隣接する、ところどころ赤茶けた土の露出する小さな野原であった。小さいながらも透き通るような泉の側に、木造の家が建っている。その門前には、槍を携えた少年が立ち塞がっており、近寄る悪魔たちを問答無用で刺し貫いていた。
「ん? あっ……」
何故かヴィヴィアンさんが妙な声を上げた。
「何かご存知なのですか?」
とこちらが問いかけると、彼女は何とも言えない表情で言葉を濁す。
「んー……、知ってるんやけど、ウチからは何とも言えへんわ。姐さんにどやされてまう。で、そこのテレビに住んでる電霊の言うこと聞いて"お屋敷"に向かうんか?」
「差し障りなければ、そのつもりですが」
「そっかー、そうなるんかー……。まあ、そういう星の巡りなのかもしれへんなあ」
そう言ったきり、ヴィヴィアンさんは何かを思案するように黙り込んでしまう。
どうやら、小生らがあの屋敷に関りを持とうとすることは、彼女にとっての姐――、つまりは"ローレライ"の意志にそぐわぬものであるらしい。
ハンドルはそのまま、アクセルを踏みながら、小生は少し考える。
"箱庭"の現状。敵味方、中立の把握。"レッドスプライト"への貸し。中立勢力への挑発となる恐れ。メリットとデメリット。
まだ、何処でハンドルを切っても時間的なロスは発生しないであろうと思われ、小生は地平線の彼方に小島のように浮かぶ各セクターを見回しながら、ハンドルを右に切るか、左に切るかの判断に迷う。
正直、判断材料が足りないのだ。後もう一手でも後押しがあれば、右にも左にも振り切れるというのに。
と、そこで後部座席からぬぼっとした手が伸びてきた。
すし詰めになったタンガタ・マヌさんの一人だ。
どうやら何かを指し示しているらしく、いつもながらの不自由な言語で小生に注意を促してくる。
「見てください。あれは人間のようなものです」
「ん?」
小生が"バケツ頭"のカメラ解像度を上げると、"カリーナ"へと向かう道筋の中途に、こちらへと手を振る人影が一つ目に映った。
あれは、シルエットから考えれば女性なのだろう。デモニカスーツを着ている。ただ、識別信号が出されていない。
故障? まさか、いつぞやに襲い掛かってきた黒いデモニカの女性だろうか? いや、それならば、こちらへと手を振っていること自体がありえないだろうし、何より彼女は武装を持っていないように見える。
「調査隊の、仲間でしょうか?」
「はい、
小生はハンドルを"カリーナ"へと切った。メリット・デメリットはさておき、この危険な世界に孤立した人間がいると分かった以上、救出しなければならないと考えたからだ。
ならば、"カリーナ"に隣接する小セクターとやらにも立ち寄った方が、色々と無駄もないだろう。人命の価値が小生の背中をそっと押した。
スピードメーターが高速域で安定し、巨大なショッピングモールが徐々に、徐々にと全貌をあらわにする。
調査隊の女性は、まるで郊外の道路脇でヒッチハイクでもするかのような気楽さで、こちらに親指を向けてきた。
……いや、女性ではない。丸みを帯びてはいるが、恐らくは限りなく中性的な細身の男性のようだ。
接触まで残り80メートルといったところで小生はアクセルを緩め、強化ガラスを開けて運転席から身を乗り出した。
「"レッドスプライト"の方ですよね。こんなところでどうされたんですか?」
この問いかけに、中性的な印象を持つ青年はにこやかな様子で答える。
すぐに口を開こうとして、何かに気づいて"バケツ頭"をコンコンと叩いた。何のジェスチャーだろう。
「ん、あーあー。こんにちは。初めまして。私は"レッドスプライト"という舟の乗組員ではないよ。"ブルージェット"といえば分かるのかな?」
"バケツ頭"の防護面を持ち上げて彼の漏らす声色もまた、奇妙なほどに中性的であったが、そんなことよりも発言の内容が問題であった。
「えっ、2号艦の生き残りですか!?」
「ああ。うん、そうなんだ」
思わず目を見開いてしまう。2号艦の"ブルージェット"号といえば、堕天使"オリアス"の手勢に襲撃され、ヒメネス隊員以外のすべての人員が全滅してしまった艦のはずだ。
その生き残りがまだ存在していた。
この情報は"レッドスプライト"にも伝えなければならない。息巻いて、アーサーへと通信を入れようとし、
「でも、なんでこんなところに……?」
根本的な疑問に行き着いた。ここは"アントリア"から随分と離れた、むしろ"カリーナ"寄りの荒野なのだ。
今の今まで生き抜いてきたことも驚きであるし、"アントリア"の傍にいなかったことも正直解せない。
小生が胡乱に思っていると、青年からぷっと吹き出した。ガラスの向こう側に覗くその相貌は女性と見紛うばかりである。
「私にも理解できる。ごく自然な反応だね。でも、私はちょっと他の人間よりも強かっただけなんだ。名前を調べてはくれないか? エノキという名前で登録されているはずだ。典型的なジャパニーズの名前のはずだよ」
「エノキさんですか。これはどうも、ヤマダと申します」
彼の口ぶりがあまりにも堂に入っていたものだから、こちらもついぺこりと頭を下げてしまった。
何というか、意味不明な威厳を彼は放っているのだ。パワハラ上司のオーラを柔らかくしたものと評しても差し支えはないだろう。
一応、"レッドスプライト"へと通信を入れてみると、確かにエノキ隊員は実在した。
念には念を入れてとばかりに、アーサーを仲介して元"ブルージェット"クルーのヒメネス隊員にも確認をとってみる。
『こちらヒメネス。って、何だよ。確か"レジャー施設"の管理やっている奴だったか』
あ、"箱庭"って今そんな印象持たれているんだなあと愛想笑いを浮かべつつ、エノキ隊員について質問する。
ヒメネス隊員はやや億劫そうではあるものの、エノキ隊員の印象について投げやりな口ぶりで語ってくれた。
「うーん」
彼の語るエノキ隊員の身体的特徴と実物がぴったり合致する。
駄目押しに彼の姿を撮影して画像を送信してみたが、ヒメネス隊員からは驚きの声が返ってきたので、彼がエノキ隊員であることは間違いがないのだろう。
彼は本物の"ブルージェット"クルーだ。
「となると、何で"アントリア"にいなかったんです?」
苦笑いを浮かべつつ、彼は口元に手を当てて答える。
「あそこには用がなかったんだ」
「え、用……、ですか?」
彼は頷き、続ける。
「そう、大事な探し物があってね。"買いあさる国"ならばと思ったのだが」
「買いあさる……、セクター"カリーナ"ですか?」
「うん、その"カリーナ"にね。用事があったんだよ」
うーん、何だろう。
彼の言っていることは、明らかにおかしい。
ただ、現に"ブルージェット"クルーのエノキ隊員は実在しているわけであり、ここは何らかの精神汚染を疑ったほうがいいのかもしれない。
「とりあえず、"レッドスプライト"号でゾイ女史のメディカルチェックを受けた方が良いでしょうね。シュバルツバースでの長期滞在が身体的、心理的にどんな悪影響を及ぼすのか分かったものでもありませんし」
少なくとも、救助しないという選択肢だけはありえなかった。トラちゃんさん曰く、これは霊性の問題なのかもしれないが、人を見捨てるという行いにはどうしても抵抗があるのだから仕方がない。
こちらが救助を申し出ると、エノキさんは嬉しそうに「乗せてくれるのかい?」とオーバー気味にはしゃいだ。
小生はその喜びように少し救われたように心が軽くなり、後部座席を確認してから真顔に戻る。
――乗せられる座席がない。
うんうんと知恵をひねり出した結果、後部ボンネットに積み込まれていたタンガタ・マヌさんを車の屋根にしがみつかせ、エノキさんの座席を作り出す。
「ルール違反はあまり褒められたことではないが、こういうのは少しワクワクするね」
「いや、苦労をおかけします……」
「――大丈夫だよ。こう見えても私は普通の人間よりも
そりゃあ、武闘派揃いの"ブルージェット"クルーだものなあと思いつつ、ふと思いついた可能性をぶんぶんと振り払い、再びアクセルを踏み込んだ。
厄介ごとは"レッドスプライト"に投げてしまえばいいんじゃないかと思考を放棄したからである。