シュバルツバースでシヴィライゼーション 作:ヘルシェイク三郎
"エルブス"号の潜入任務をつつがなく成功させた小生らは母艦を脱出し、待機班のもとへと舞い戻る。
半日近く小生を苛んでいた腹痛とは、既にさよならを告げていた。身体が軽い。おのずとスキップ。この解放感は……、もう何も怖くない。
後方人員で構成されていた待機班は歓楽街に並び立つ、建造物の一つに潜伏していた。どうやら建物の一つ一つは幻などではなく、ちゃんと建造物としてそこに建っているようだ。
彼らは小生らの帰還を確認して、ほっと胸を撫でおろした。
「待機班、異常はなかったか?」
「はい。まあ、"悪魔"とニアミスして寿命が縮んだくらいで……。それ以外は被害無しです」
黒人リーダーが何時の間にやら後方の代表的存在になっている観測班の一人に問いかけると、彼は笑ってそう答えた。
声色には随分と余裕がある。潜入班の無事に加え、充電式の台車に積み込まれた資材の数々が彼の展望に光明をもたらしているのだろう。
「大漁ですね」
と軽口を叩く他の面々の表情もまた柔らかい。
また、艦に取り残されていた"生き残り"の存在も、彼らの心理状態に良い影響を与えていた。
そう、生き残っていたのだ。
たったの二人だけではあったのだが、負傷した機動班と動力班の青年が、医療室の治療ポットに匿われていたのである。
彼らは口々にこう叫んだ。
「頼む。"
◇
作戦指揮を担当する1号艦"レッドスプライト"号。
各艦の護衛を担う2号艦"ブルージェット"号と4号艦"ギガンティック"号。
そして現地調査を担当するはずだった3号艦"エルブス"号。
これらシュバルツバース合同計画の用意した次世代揚陸艦4隻は、その課せられた任務に応じて人員構成に違いはあっても、各艦とも百人近くの乗組員を抱える大型艦だ。
現状確認されている"エルブス"号の生き残りはたったの12人であったが、艦内に残された隊員の亡骸は30を越えない。
つまり、半数以上の隊員が未だ行方不明のままなのである。
無論、髪の毛一本も残さずして"悪魔"どもの腹に収まってしまった可能性も否定できないのだが、ここはポジティブ・シンキングに徹するべきだと小生は考える。ネガティブに沈んでしまうとストレスでまた腹痛が再発してしまいそうだ。楽しいことだけ考えていたい。
故に各班合流後の簡易デブリーフィングにおいて、小生は行方不明者の存在についてポジティブに「それは悪くないお話ですね」と迂闊にも発言してしまった。
「仲間の安否が分からない時に、それを"悪くない"とはどういうことだ!」
当然ながら、迂闊な発言は言葉尻を叩かれるものである。救出された二人の隊員が、口から泡を飛ばして小生を酷く詰った。脱出時の合流組と異なり、彼らには小生の傍にいるトラちゃんさんやカンバリ様の威光が通用しない。
何やら胡散臭い人外を引き連れている外様としか思われていないのである。
自業自得のバッシングに、小生の腹痛も再び活動を再開した。うぐぐ。
「……仲間割れをしている場合じゃないだろう」
「けどな!」
正直、穴があれば逃げ込みたい気分であったが、幸いなことに黒人リーダーが仲裁役を買って出てくれる。
この危機的状況下にあって、身を守る術を持つ機動班の発言力は高い。それも暫定リーダーの発言だ。
彼が二人を救出するミッションを指揮していた功もあってか、はたまた周囲の雰囲気を感じ取ってか、怒り狂った二人もリーダーの言葉には耳を傾けてくれた。
「……ヤマダ隊員は、死亡さえ確定していなければまだ救出の見込みがあると言いたかったんだ。ここまでの道中、彼の決断は常にポジティブだった。今回もそうだな?」
「は、はい。その通りです……!」
リーダーの取りなしによって、二人は落ち着きを取り戻す。ただ、小生への不信感までは拭いされなかったようで、険しい目つきは変わらなかった。逃げたい。
リーダーが小さなため息をつく。彼個人としても、現状で仲間割れなど勘弁してくれと思っているのだろう。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ないと小生は内心謝罪した。
「……とにかく、状況をざっと整理しよう。拠点構築に必要な資材を手に入れた我々は次のミッションを定める必要がある。第一に拠点構築予定地の策定。そして、行方不明隊員の捜索……」
リーダーの言い聞かせるような物言いに、いきり立った隊員たちも仲間割れをしている場合ではないと現状の拙さを認識する。
更に駄目押しとばかりに、外を見張っていた強面が舌打ち混じりに口を挟んできた。
「ていうかだな。くだらん喧嘩はマジで後にしてくれ。リーダー、"悪魔"どもがこちらへとやってくる」
強面は忌々しげに空を睨みつけていた。
小生も顔を出して、彼の見ている方向へと目を向けると、歓楽街の中心部にそびえ立つ宮殿から飛び立った複数のモザイクが遠目に確認できる。
恐らくは"エルブス"号の異常を何らかの手段で感知して、この土地の支配者たる魔王"ミトラス"が自らの手勢を差し向けたのであろう。いくら弾丸の補給を終えて隊の継戦能力が延びたとはいっても、未だ"悪魔"どもと正面対決できる戦力が整ったわけではない。
「……悠長に足を止めている暇はなさそうだな。裏口を使おう」
今、小生らにできることはひたすらに逃げることだけであった。
かくして、再び必死の行軍が再開される。
進路は概ね北を取った。少しでも"悪魔"どもから距離を取るべく、宮殿とは反対方向へと足を進めたのである。
デモニカ内蔵の原子時計が狂っていないことを信じるならば、1時間、2時間、3時間、4時間……。
隊の中には見るからに疲労困憊の者も見受けられたが、今は休憩を挟める状況ではない。
地上で出くわす"悪魔"どもより、今は空を飛ぶ"悪魔"が恐ろしかった。宮殿から直行して"エルブス"号へと降りたであろう奴らは、そのまま四方へと拡散して、小生らの足取りを探しているようだ。奴らの策敵能力は、地上を徘徊する連中よりも遙かに高く、小生らは奴らの姿を見つけた時はすぐに建物の中へと隠れなければならなかった。
無論、地上の連中が厄介でないわけでは決してない。"ガキ"は一匹一匹の能力こそ高くないものの、その数が問題だった。また、トラちゃんさんやカンバリ様が"アズミ"と呼ぶ人型の水生生物を思わせる"悪魔"は、たったの一体でこちらの機動班を容易く蹴散らすほどに強力な敵であった。
当然無傷で戦闘を終えることはできず、トラちゃんさんの持つ回復の異能がなければ、早々に脱落者が出ていたに違いあるまい。
「皆、決して諦めるな! 諦めなければ道は開けるっ!」
リーダーの激励が共有回線で届けられる中、この必死の逃避行は更に半日過ぎたところでついに実を結ぶ。
奇声と物音が四方から漏れ聞こえる、このおぞましい血色の歓楽街にそぐわない程物静かな、そして"悪魔"の密度が明らかに薄い箇所にたどり着いたのである。
「……妙じゃな。高位悪魔の気配がするわい」
大足に浮かぶ老人の顔を解せないという風に歪めるカンバリ様の言葉に、隊員たちはぞっとさせられる。
今までの連中ですら厄介だったというのに、"高位"とまで称されるということは、一体どれほどの力を持つ存在なのか――。
不安に思ってハンドヘルドコンピュータを操り、デモニカのセンサー類を軒並み稼動させる。
操作に応じてピピピ、と幾つものインジケータがこの生存不能の局地環境を数値化して"バケツ頭"のモニター上に浮き上がらせたが、一見して高位悪魔の存在を示すような特異な情報は検知できないようだ。
ただ、大気組成に関わる表示が気にかかった。先ほどまでの逃避行を続けていた区画と異なり、高濃度のエタノール分が検出されている。もしかすると、これが"悪魔"の近寄らない原因の一つではないだろうか?
「でも、この世界の魔王ほど明確な悪意のある気配じゃないでしょ。話が通じるなら、ワンチャンあると思う。それに一昔前の退魔師なら、高位悪魔の手前で休憩するとか良く見られた光景だったわよ。ほんとウザいくらいだったんだから」
カンバリ様の指摘に対し、トラちゃんさんは高位悪魔の存在を好都合だと主張する。
右も左も分からぬ中で、人外の作法を知るカンバリ様とトラちゃんさんの存在は貴重極まりない。
恐らく小生らだけの道中であったならば、高位悪魔の気配など感じ取った日にはすぐさま逃げの一手を取っているか、分不相応にも攻撃を仕掛けていることだろう。
だが、今の小生らには彼女らとの出会いを通じて人外を利用、もしくは頼るという第三の選択肢を選ぶ余地があった。
小生は考える。
正直、休める時には休んでおきたいのだ。周辺に"悪魔"がいないのならばそれでいいじゃないか、と。
トラちゃんさんが休憩のできる環境といっているのならば、それを信じよう。
強迫観念に駆られてやらなくてもいい配慮を続け、自滅してしまうよりはずっとマシである。
そこで小生はリーダーに休憩を提案した。
「そろそろ、この辺りにキャンプを張りませんか?」
「……テメーが休みたいだけじゃないのか?」
その提案に真っ先に反応したのは、小生に不信感を持つ救出組の一人であった。脊髄反射で否定にかかるあたり、正直胃が痛くてたまらない。
しかも、図星だもの。
「そういうのは後でやれって言ってんだろうがよ」
強面が苛立たしげに舌打ちした。恐らくは小生をかばってくれているとは思うのだが、顔が怖くてたまらない。
「ヤマダさんの言うとおり、先のことを考えて休むことも大事だわ」
更にゼレーニン中尉が擁護に回ってくれた。ヒスパニック隊員のような、トラちゃんさんに信仰、もしくは好印象を抱いている隊員たちも小生の側に立ってくれているようで、それはそれでありがたい。ただ、そもそもの話、小生は対立の矢面に立つこと自体が好きではないのである。
今のは誰かの発言を待つべきであった。オピニオンリーダーの立場は、小生の腹に悪すぎる。
リーダーが眉間を指で押さえた。本当に、無駄に波風を立てて申し訳ない……。
「……ヤマダ隊員の意見は一考に値する。隊員の疲労を鑑みれば、俺もそろそろと考えていたところだ。ただ、反対者を納得させるもう一声の理由が欲しいな」
リーダーがこちらをじっと見つめて更なる発言を求めてくる。どうやら疲労以外に何かしら提案に至った理由があるんだろうと端から決めてかかっているようであった。
正直、「休める時には休んでおけ」という人生訓に従ったという以外に特段の理由はないのだが、言い訳に使える材料はある。
小生はハンドヘルドコンピュータを指差し、隊員たちに周辺の解析を促した。
「皆さん、ちょっとこの周辺の大気組成を検出してみてください」
「ん……? 検出って――、うおっ、何だこのエタノール濃度ッ」
「えっ? ほ、本当だわ。まるで蒸留酒を詰めた樽の中みたいな数値……。デモニカがなければ、重度の中毒症状を起こしてもおかしくない数値よ」
観測班たちが驚きの声をあげる。
これなら納得もさせられるだろうと小生は続けた。
「大気組成が宮殿の周辺やダメージゾーン、先ほど歩いてきた通りとも異なる異常な数値を示しています」
「それが一体何だっていうんだ」
あくまでも批判的な立場に居続ける救出組。胃が痛くてたまらないが、こういう場合は詭弁でごり押ししてしまうのが一番楽だ。
「キャンプを張るのは"休憩"のためじゃなく、"調査"の必要性を感じたからなんです」
長年苛酷な環境で仕事をしていると、こういう"休んでいない言い訳"を吐くのが上手くなってくるものだ。
救出組がぐうと黙りこむ。一見、正論にも思えるところがこうした詭弁の厄介なところだよなあと他人事のように思う。
「成る程。異常を検知して放置するリスクも馬鹿にできない。それではこの辺りの……、あの建物でいいか。あそこにキャンプを張って周辺の"調査"を終えてしまおう。それで皆、構わないか?」
リーダーの呼びかけに反対意見を述べた者以外が静かに頷いた。その後、共有回線越しに方々から安堵の息が漏れ聞こえてきたところをみるに、案外と限界が来ている者たちは多かったようだ。
機動班による安全確認を終えた後、古ぼけた娼館風の建物へと後方人員が足早に吸い込まれていく。
救出組も文句はないようで、こちらを不満たらたらの顔で睨みつけながらも、大人しく建物へと入って行った。何で、こんな目の仇にされてるんだろう……?
どっと疲労が押し寄せて肩を落とすと、小生の背中を最初期に合流した機動班の一人がポンと叩いた。
「お疲れさん」
「あ、どうも」
彼は手をひらひらとさせた後、皆が入っていった建物を困ったような表情で見つめた。
「ありゃあ、ただのやっかみだぜ。"外様"の後方人員が発言力を持ってることが不満なだけさ。元々、"エルブス"号は艦長をはじめとする合同計画の直属が幅を利かせていたから、艦長の不在で力関係が逆転したことに不安を感じているんだろ」
「なんてはた迷惑な……」
言ってからしまったと口を噤むがもう遅い。
彼は苦笑いを浮かべて、小生の"バケツ頭"をコツンと小突いた。
「そういう無駄口がぽっと出るあたり、ヤマダは見るからにピンピンしてるよな。まあ、俺も同感だ」
彼も合同計画の直属であったはずだが、救出組よりもずっと人当たりが良い。
恐らく、責任感が強いのだ。そういった手合いは、強面の人と同様に無意味な軋轢をひどく嫌う。
彼は口元を緩めて、更に言った。
「その体力。もしかして軍隊経験でもあるのか? 何処の軍にいた」
探る、というよりは心持ち期待のこもった瞳で、彼が前のめりに尋ねてきた。
予期せぬところで同胞を見つけた親近感のようなものがひしひしと感じられる。あるいは、戦力の増加をも期待しているのかもしれない。
小生は慌てて首を振って答える。人より体力があるほうなのは確かだが、戦いの矢面に立つなんて真っ平ごめんだ。
そういうプレッシャーに耐えられるほど、頑丈な胃袋を持っていない。
「ああ、いえ! 野球やってたんです。それと前職は内戦地でインフラ整備ですよ。何処から
「そっちね。ちなみに野球のポジションは何処だった?」
「キャッチャーですが……、もしかして貴方も?」
「おう、ガキの頃に。俺はドジャースが好きでなあ。ただ、俺の才能はピッチングやバッティングよりも、ビール片手に野次飛ばす方にあったらしい」
彼は声を出して笑った。良い人だ。癒される。彼は一通り軽口を叩いた後、「それじゃあ」とリーダーのもとへと走っていった。
って、まずい! 出遅れた。小生が慌てて建物へと続こうとしたところで、リーダーが他の機動班を引き連れて屋外へと再び戻ってくる。
リーダーは共有回線をオンにしたまま、生き残り全員に向けた指示を下す。
「それでは後方人員はここでしばし調査を行ってくれ。便宜上、君らをコントロールと仮称する。基本任務は通信の中継と分析のサポートだが、その他の雑務もお願いしたい。例えば、ヤマダ隊員には建物内に侵入した"悪魔"の撃退を、といった具合にだ」
「は、はい。要するに、トラちゃんさんとカンバリ様にお願いすればいいのですよね?」
「その通り。我々機動班はツーマンセルで周辺の偵察を行う。それでは状況を開始する」
リーダーの号令に、強面と野球好き、そして小生を良く思わぬ一人が「了解」と頷き、反対方向へと散っていく。
戦闘員は大変だなあと彼らの背中を眺めつつ、小生も改めて観音開きの木製扉を潜り抜け、屋内へと足を踏み入れた。
「って、ほんとに人が作ったようにしか見えないな……」
玄関をくぐった先は、まるでホテルのロビーのようになっていた。
正面受付の左右には螺旋状に伸びる大理石の階段が備えられており、上階の個室へと繋がっている。
窓を含め、屋内のあちらこちらには薄紫色のカーテンがかけられていて、何というか今にもプロのお姉ちゃんがカーテンをくぐってこちらに抱きついてきそうな雰囲気を漂わせていた。いや、小生は実際そういう場所に行ったことはないのだけれども。
「建物の中で待つっていうのも、ちょっと退屈ね」
早速トラちゃんさんがロビーにあったソファにダイブする。隊員たちが忙しなく辺りを行き来する中、完全に寛ぐ体勢をとるようだ。
カンバリ様は、屋内のカワヤをチェックしに行った。人がいない以上、汚れているということは無いと思うのだが、どうなのだろうか……?
小生も小生で、窓際に背中を預けてカーテンをめくり、いつでも外の異常に対応できるようにする。
本当はこんなことやりたくないのだが、リーダーに仕事を振られた手前、サボるわけにも行かない。
「アンタって仕事人間?」
ソファの背もたれに顎を預けながら、トラちゃんさんが寛いで言う。
「仕事が好きなわけではないのですが、仕事をしないことで周りの人に何か言われるのがつらいんですよ」
「ふうん。まあ、善いことだと思うわよ。生き物が群れを維持するには、アンタみたいな"秩序"を大事にする手合いが必要だもの」
そんなやり取りを続けていると、小生の張り付いていない別の窓から小型の気球が飛び立っていくのが見えた。
「あれ、何?」
「気球型カメラです。ドローンといった方が最近は通りが良いかもしれません。カメラと通信中継機が搭載されていますから、うまくやれば機動班のサポートだけじゃなく仲間の救援信号を捉えることができるかもしれませんね」
打ち上げられた小型気球には周囲の風景に溶け込むような即席の塗装が施されていた。
やっぱり調査隊に選抜された人たちはエリートなんだろうなあと考えつつ、心なしかクリアになった共有回線に耳を傾ける。
『こちらアルファ、A地点クリア』
『こちらブラボー、B地点クリア』
機動班の偵察は順調に進められているようだ。デモニカのモニターには気球型カメラで撮影された上空からの映像が届けられており、ちょくちょく機動班が右へ左へと移動する様が映り込んでいる。
幸い、"悪魔"との遭遇はないようで、デモニカ内蔵のオートマッピング機能によって周辺の地形図が自動的に書き込まれていく。
『……ゲートの中には一方通行の細工が施されているものもあるな。各員注意するように――』
『こちらブラボー、D地点、"悪魔"がいやがる』
忌々しげなリーダーの言葉に、強面が言葉をかぶせてきた。
『どうした、女神様の言う高位悪魔とやらか?』
『分からん。が、様子がおかしいのは分かる』
『どうおかしい?』
強面は解せないという風に言葉を続ける。
『俺たちに興味がないみたいだ。髪のない……、えらい別嬪の女悪魔だが、複数人で集まって何かを祈っていやがる』
『ヤマダ隊員聞こえるか? 女神様か秘神に情報提供を頼みたい。髪のない女悪魔だ。高位悪魔というのはこいつらの事か? 他の特徴は……』
『ちょ、ちょっとお待ちを……』
こちらに通信が飛んできたため、トラちゃんさんに聞いてみると、どうやら女悪魔は"ディース"という妖魔とのことであった。
「妖魔というのは危険なのですか?」
小生が問うと、ソファに身体を預けながらトラちゃんさんは何処か懐かしむような目を天井に向ける。
「各種族、各個体によりけりといったところね。ただ少なくとも、ディースたちに悪い子はいないと思うわ。死した人の子の魂を天界へ運ぶことが仕事の、むしろ人の子に好意的な悪魔だもの」
「ははあ、まるで"天使"みたいですねえ」
聞く限りでは、メシア教の"天使"を彷彿させる存在のように思えたため、小生は貶める意図なくそう答える。だが、そうした小生の認識は、彼女の機嫌を損ねるものであったらしい。
共有回線を開いてリーダーに報告しようと口を開く小生のことを、トラちゃんさんは半眼でねめつけた。
「……アンタの言う"天使"とディースの違いなんて、仕える神が違うくらいの差しかないわ。わざわざ、彼女らを"天使"みたいって言い表すのは彼女らを貶めてるみたいで気に入らない」
『どうした? ヤマダ隊員。女神様は何と言っている。俺たちはどう対応すればいい』
『も、もう少しお待ちを……』
これは地雷を踏んだかもしれない。
そもそも彼女は多神教の神だ。そうした存在の前で、メシア教だけを特別扱いするというのは、一段下に見られているよう感じられるのだろう。
幸い本気で怒ってはいないようだが、見るからに拗ねてしまったようであった。
「……無知で申し訳ない」
ぺこりと頭を下げながら言うも、彼女はツンとして取り合ってくれない。
周囲の同僚から「何をやってるんだよ」という目が小生に向けられた。最早、謝罪の繰り返しである。
……大いに困った。
小生に仕草や表情からそれとなく不満に思っていることを読みとるスキルが備わっていたら良かったのだが、そもそも小生は女性の取り扱いを得意としておらぬ。
少年時代は野球漬けであったし、大学時代はリア充を呪いながら、真面目に勉学とボランティア活動に励む日々を送っていたのだ。無論、内戦地の勤務時代は言わずもがなであろう。内戦地で見かける女性など、現地民以外は一風変わった女傑しか存在しないのだから。
ともかく今に至るまで、まともな女っ気というものに接してこなかった小生にとって、人外でありながら少女でもあらせられるトラちゃんさんは全く未知の存在であった。
小生に気の利いた一言など言えるものであろうか? 無理だな。言えるわけがない。諦めよう。
ぽりぽりと頭を掻きたいところであったが、"バケツ頭"が邪魔であった。
気の利いた一言が言えない以上、できることは率直に教えを乞うことのみである。
困り果てた小生は言う。
「彼女らを貶めないようにするためには、どう扱えば失礼にならないのでしょうか?」と。
トラちゃんさんは少し呆れたようにこちらを見て、
「まあ……、反省ができるというのは人の子の美徳ね」
と頬をぽりぽりと掻きながら返してきた。そのぽりぽりがうらやましい。
「これは多神教の神々にも言えることなのだけど、とにかくその存在を貶めず、ありのままに受け入れること。水は水と。火は火と。安易に何か別の存在にたとえることが、彼ら彼女らにとっては侮蔑に成り得るのよ。こんなこと自分の身に置き換えて考えれば、簡単に理解できる話だと思うけど」
「ああ、成る程」
彼女の言いたいことがようやく飲み込めてきた。例えば東洋人の小生に対して、誰かが「まるで白人みたいですね」と言うようなものなのだ。言った当人にどんな意図があるのかは別問題として、言われた側にしてみたら嫌味か何かにも捉えられかねない。
「要するに相手の立場を尊重するというわけで……、あれ?」
その理屈で言えば、トラちゃんさんを十把一絡げに"女神"と言い表していることも失礼に当たらないだろうか……?
不安に思い、小生は「もしかしてトラちゃんさんにも失礼かましてましたか?」と問うと、
「アンタ、呑み込みは悪くないわよね。まあ、アタシの場合は良いのよ。"女神"であることがアタシの理想だからね」
彼女はようやく機嫌を直してくれた。
『トラちゃんさんから情報の提供を受けました。相手の立場を尊重すれば、敵対することはないそうです』
『ずっと言いたかったんだが、その"女神"とかいうのの情報は確かなんだろうな? 俺からしてみたら、そいつらだって"悪魔"にしか見えねえんだよ』
『あのなあ。"アズミ"戦で傷を癒してもらったのは何処のどいつだよ?』
『俺たちを騙すための演技かもしれないだろ』
救出組と野球好きの口論はトラちゃんたちに聞かせられないなと思いつつ、機動班による偵察の進展を静かに待つ。
屋外に"悪魔"の姿は見受けられなかった。
『……周囲1km四方の安全は確保できそうだな。となると、女神様の言う"ディース"が高位悪魔ということなのだろう。フム……。ここは一旦合流しておこう』
リーダーの言葉に、後方の各員が胸を撫で下ろした。ようやくまともに休憩が取れそうなのだ。
中にはへなへなと壁にもたれかかる者も見受けられた。
彼らの様子をぼけっと観察するトラちゃんさんであったが、
「……んん?」
その内に首を傾げてソファから立ち上がる。
「こんなところにも隠れたゲートがあるのね? というよりも、"隠れ場"? いや、既存の部屋を隠蔽しただけかしら?」
「えっ、ちょっとトラちゃんさん!?」
ひょこひょこと壁際へ近づいた彼女が手をかざすと、フッと扉が出現する。
「何かしら、ここ」
「いや、機動班に任せましょうよ。安全確認できてない箇所を小生らで踏み込むのはまずいですって」
「でもこの中から、人の子の気配が感じられるわよ?」
「エッ?」
慌ててデモニカセンサーを働かせると、確かに生命反応が複数検出できる。
"悪魔"とは違う、人のそれだ。
いや――、
「ちょっと待ってくれよ……」
即座に共有回線を開き、各員に報告する。
『こちらヤマダ。多分、生き残りを見つけました』
『何!? 何処で見つけたッ?』
『いや、それが待機組の潜伏する屋内に、です。"隠れ場"に潜んでいるみたいです』
『ならば、至急そちらに向かう。ヤマダ隊員は外から様子を窺いつつ、そこに待機していてくれ』
その言葉に小生はため息をついた。
またぞろ批判的な面々に小生を攻撃する材料を提供することになるのだろうと考えると、胃がきりきりと痛んで仕方がない。
『リーダー……』
『何だ?』
『生き残りの反応と共に、"悪魔"の反応もあるんですが……。これってもしかして、非常にまずい状況なのでは――』
『単独での踏み込みを許可する。我々がたどり着くまで、生き残りを何としてでも守りきってくれ』
リーダーの判断は迅速であった。
まあ、そうなるよなと思いつつ、カワヤから戻ってきたカンバリ様やトラちゃんさんと示し合わせて、隠れ場への突入を図ることにする。
「じゃあ、扉を開くわよ……、と開いた!」
まず、トラちゃんさんが"隠れ場"の中へと足を踏み入れ、続いて小生、最後にカンバリ様が後ろにつく。
中は、普通の客室を模した造りをしていた。
奥には桃色のシーツが被せられたベッド。そして床に座り込んだ二人の調査隊員の姿が見え、その前には人間大のモザイクがふよふよと浮かんでいる。
モザイクが白い光を周囲にばら撒き、徐々に"悪魔"の形を作り上げていく。
すらりとしつつも肉付きの良い長い足。
いかにも悪魔らしい尻尾を携えた小振りの臀部。というか、ホットパンツ。
上半身からはコウモリ羽が生えていた。浅黒い素肌に直接ジャケットを着込んでおり、全体的に露出度は高めだ。
全貌を現してみるとそれは、黒いストレートヘアーの美しい女悪魔だった。
小生はごくりと生唾を飲み込む。ジャケットが胸を隠せていない。
あれは童貞を殺すジャケットの着こなし方だ。
ふよふよと宙に浮かびながら、息遣いと共に豊かな双丘が上下する様を凝視した後、
「これは目の毒だ」と小生はトラちゃんさんの平坦な上半身を見て、心を静めることにした。当然殴られた。
「アンタ、このシチュエーションで良くそんな余裕がかませるわよね」
「せ、正常化バイアスです」
小生らのやり取りを見て、最初はこちらに警戒していた女悪魔が、
「……なーんだ、ニンゲンか。警戒して損しちゃったあ」
と構えを解く。
多分、こちらを甘く見ているということはないだろう。その証拠に、彼女は不安げな面持ちでカンバリ様とこちらをちらちらと見比べている。
「もしかして、そこの男ってサマナー?」
「似たようなものよ」
とはトラちゃんさんが答えた。
「フーン」
女悪魔はまだ疑わしげにこちらをじろじろと窺っている。
その眼差しとちらちら移る双丘が気になって、小生は再びトラちゃんさんを見る。当然殴られた。
「外、アクマいないの? ミトラス様の手下は?」
「この世界の魔王のことなら、今の所追っ手は撒いてる。この辺りはアタシたちしかいないわね」
「そっか……」
少し思案するように女悪魔は俯き、
「助かったよ。"ドクター"! 私、役に立ったでしょっ」
と座り込んでいた一人に抱きつく。
抱きつかれた隊員は疲労困憊の顔を上げて、"バケツ頭"越しに微笑んだ。
「……正直な話、もう駄目かと思ってた。日頃の行いがよかったのかな?」
「こちらに来てからはちょっと疑わしいですけどね」
抱きつかれた方は男性で、口を尖らせ苦言を呈した方は女性である。
というか、普通にミーティングで顔合わせをしたことのある人物だった。
二人はあらゆる病の撲滅を目的とする某国際機関から国連経由で派遣された医者と看護師だ。
どうやら女悪魔の様子を見るに、一言では語りきれない過程を経て、この"隠れ場"へと逃げ込んだらしい。
小生はドクターに押し当てられた双丘が変形する様を凝視して、精神安定剤としてトラちゃんさんを見る。
当然殴られた。