シュバルツバースでシヴィライゼーション 作:ヘルシェイク三郎
「……むむ?」
気づけば、小生は深い霧の中に立っていた。
目の前には古ぼけた改札口が置かれており、ホームがあるはずの向こう側には濃い色をした大河が静かに横たわっている。
その流れにたゆたう渡し船の上には、白髪に白装束の老人が一人。
頬は痩せこけ、焦点の定まらない眼を持った彼は小生を見るなりこう呟いた。
「――そなた、
「へっ?」
老人に言われて、慌てて自分の体をペタペタと触る。
やばい、心なしか透けているように見えるぞ。うわあ、もしや本当に死んでしまったのか……。
慌て始める小生に対して、老人は開いた口が塞がらないといった様子で更に続けた。
「随分と暢気な死人もいたものだな……。まあ良い。ちょっとその場で飛び跳ねてみろ」
「と、飛び跳ね……?」
「手持ちに"マッカ"があるなら、付け届け次第でこのまま現世へと戻してやる。ないなら、このまま冥界行きだ」
黄泉路の管理人には賄賂が通じるのか……。冥界すらも支配する貨幣経済の世知辛さに肩を落としながらも、小生は「まるでカツアゲだな」とその場をジャンプする。
じゃらじゃらとした音は鳴らなかった。
老人はこれ見よがしに舌打ちする。
「文無しか。ならば冥界に連れていってやる。さっさと渡し船に乗れ」
「えっ、あっ、ちょっ……」
老人が小生に手をかざした途端、小生の身体は体重を失う。まるで綿埃か何かにでもなったかのように、だ。
「うおっ」
さらに踏ん張りのきかなくなったところに追い打ちをかけるようにして、不可視の力が小生の身体を改札口へと引き寄せていく。小生の身体を迎え入れんと、改札のゲートもまたがたりと一斉に開いた。
駄目だ。抵抗しようにも抵抗できない。
「い、いいいいいやっ、ちょっとお待ちを!?」
「タイム・イズ・マネーという言葉を知っておるか? そなたの相手をすることにわしは価値が見出せぬ」
「め、冥土の土産を所望しますっ!」
「なんと死人が土産をせがむとは……」
焦りに焦って押し問答を始める小生の耳元に、澄んだ銀を思わせる声が届けられた。
トラちゃんさんの呼びかけだ。
『ヤマダ、戻ってきなさいっ!』
すると、不可視の力が弱まっていく。いや、綿埃を運ぶ風向きが変わったとでも言うべきか。引力から斥力へ。小生の身体は改札口から遠ざかる方向へと動かされていった。
「……よりによって"はぐれ女神"の加護持ちか」
老人がつまらなそうにため息をつく。
「は、"はぐれ女神"とはトラちゃんさんのことですか?」
小生が問いかけても、老人は既に小生を居ないものとして取り合わない。
「また銭にならぬ時間を過ごしてしまった……。もうやってくるなよ、時間の無駄だ」
老人の姿がどんどん遠ざかっていく。
改札から果てのない坂道へ。ぼんやりと揺れる人型の炎と何度もすれ違いながら、小生の身体はやがて浮き上がり、天井で煌めく一筋の光へと一直線に向かうようになる。そして――、
「――ハッ!?」
光の先には綺麗な青髪を垂らしたトラちゃんさんの焦り顔が見えていた。
どうやら、元いた歓楽街の一角へと小生の身体は帰還を果たしたようだ。"バケツ頭"越しではあるが、後頭部にふにょりとした柔らかみを感じる。
「ヤマダ、気がついた!?」
「え、あ。はい」
「今自分がどういう状況か、自覚できる?」
言われて、周囲を見回してみる。
傍らには頭部をしこたま殴られて絶命したであろう黒豚の死骸に、ふよふよと浮かぶカンバリ様。
そして頭上に見えるはトラちゃんさんの平坦な双丘。
「あいでっ」
そして"バケツ頭"にガツンと響く折檻パンチの衝撃は本物と来ていた。
以上から自身が置かれた状況を推測すると……。
「ああー、死にかけてましたね……。初めて臨死というものを体験した気がします」
後、膝枕されていることも付け加えた方がいいのだろうか? 外見上は年下であるトラちゃんさんに膝枕されているというのは、何というかえらい気恥ずかしいものがあるのだが……。
小生の返事を聞いて、トラちゃんさんは小さく息を吐いた。
「……思ったより冷静ね。まあ、良かった。頭に変なダメージは行ってないみたい」
「いや、滅茶苦茶焦りましたよ。もう少しで三途の川を渡るところでした」
あれって多分三途の川だよな……? まさか人生の中途で三途の川を見る羽目になるとは思わなかったよ……。つくづくこの異空間で遭遇する事象のことごとくには驚かされてばかりだ。
小生の言葉にトラちゃんさんとカンバリ様が驚いて口をあんぐりと開けた。
「えっ、あの一瞬で"アケロンの川"にまで至っていたの、アンタ!? どんだけ超高速成仏しようとしてんのよ!」
「……これは、霊性の問題かのう。この滅びの地で、更にはアクマの手に掛かったというのに、そのまま素直に昇天できるというのはちょっと驚きじゃ」
「は、はあ」
これはどういう文脈で驚かれているのだろうか。多分、誉められているわけではないと思う。
「要するに、アンタは他人より"呪殺"に弱くて死にやすいってこと」
「え、ええ……っ? それってやばいじゃないですか」
彼女の言わんとすることを素直に理解すると、これから小生はあの黒豚と出会う度に、即死のリスクが生じるということなのではなかろうか。
まずい……。途端に任務を放り投げて暫定拠点へと逃げ帰りたくなってきた。
だが、任務を放り投げた末に同僚たちから向けられる冷たいまなざしが恐ろしい……。「働かずに食う飯はうまいか?」と無言の圧力をかけられる未来が目に浮かぶようだ。
板挟みの想像で顔色を急速に悪化させているであろう小生に対し、トラちゃんさんは力強く平坦な胸を叩いてみせた。
「大丈夫。"呪殺"なんて大したこと無いわ! 死にかけてすぐなら、アタシが蘇生してあげられるからね」
「そ、そうは言われましても……」
すぐには承服しがたいフォローであった。
大体をもって即死の危機を大したことがないとのたまえる人間は、戦国時代の武将かEXスポーツの選手くらいだと思う。少なくとも小生にそういった類の覚悟はない。
言うなれば、心臓麻痺のリスクがある中で、「同行者にAEDを持ってもらえば安心でしょ?」と太鼓判を押されているようなものだ。それは断じて安心ではない。小生の業界では気休めと呼ぶ。
危険が目に見えている場合、家で安静にしたいと考えるのが小生なのである。ただ、引きこもった末にダメージを受ける世間体のことを考えると。ぐぬぬぬぬ……。
失った血の気はそのままに、悩ましげに唸りながらも小生はトラちゃんさんに頭を下げた。
彼女に命を救われたことは確かであり、恩神? へのこういうお礼は後回しにするべきでないと考えたからだ。天国を身近に感じてしまった以上、尚更だった。
「と、とにかく、引き戻してくれてありがとうございます。あのままでは老人の渡し舟に乗せられてしまうところでした……」
「ん。"カタキラウワ"に仕掛けたのはアタシの判断だったし、責任もあるから、それはいいのよ。って、カロンと会ったのね。ダグザ先輩はいた?」
「ダグザ先輩とは?」
「マッスルパンチしか能のない知恵の神よ。黄泉津平坂で魂の出待ちをしてるときに知り合ったの。こっちが下手に出てるってのに、つんけんしてて気に入らない奴だったけどね」
マッスルパンチとやらのどこら辺に知恵を使う余地があるのだろうか。角度とかかな……?
彼女の言にあった"出待ち"という表現も気にかかったが、あまり追及してほしくはなさそうな顔をしていたので、これは無言で流すことにする。
臨死を体験したことによる動悸もいくばくか治まっていき、小生もようやく安堵に胸を撫で下ろす。
前線はやっぱり怖いところだよ……。
「あー。えと、無理矢理付き合わせちゃってごめんなさい。アタシにもその、色々と誤算があって……。その、やっぱり怖かった?」
小生の態度に何かを察したのか、しゅんとするトラちゃんさん。
確かに"カタキラウワ"なる黒豚との戦闘を決断したのは彼女であったが、かといって彼女に全ての責任があるわけではない。先刻、黒豚狩りを行うことについては小生も決断の追認を下していた。故にここで被害者面して騒ぐのは筋違いというものであろう。
それに……、これは個人的な推測だが、彼女の作り出した"極小の箱庭"は絶対に小生らの今後に役立つと思うのだ。隊内のコンセンサスが取れない以上、独力で"マッカ"なるエネルギー体を稼いで、なるべくあの世界の補強に努めておいた方が良いだろう。
現世においてもそうだったが、エネルギーという代物は自前で調達できるかどうかが重要な交渉材料になりやすい。工業製品などとは違って、需要と供給がダイレクトに結びついているため価値の変動が起こりやすいのだ。
あの動力班の青年も、オンリーワンの価値を握っているからこその強硬な態度なわけであって、遅かれ早かれ"極小の箱庭"が小生らの自助努力によって完成してしまうと思い知れば、その姿勢を和らげるかもしれない。
だからこそ、小生はトラちゃんさんの提案を受け入れた。そして、受け入れた以上泣きはしても泣き言は言わぬのが大和男児ではなかろうか。
小生は言う。
「いやあ、まあ……。こちらも些か危機感が足りていなかったと言いますか。エクストリームな死生感に初めて触れたと言いますか……。これから追い追いと慣れていきたいと思います」
「……慣れていけそうなの?」
「経験上、こういうのは思いこみが大事なんです。『死ななければ安い。死ななければ安い』と毎日三唱しておけば、多分……。すぐに蘇生はしてくださるんですよね……?」
「絶対に守るわ!」
力強い声だった。"守る"という言葉には言霊でも宿っているのかもしれない。
少し不安の和らいだ小生は、平坦で不動の双丘が再びどんと叩かれたのを満足げに眺めた後、ハンドヘルドコンピュータからタスクボードを呼び出した。
掲示すべきは"カタキラウワ"のレポートだ。
トラちゃんさんの応急蘇生異能なしで、この呪殺豚とやりあうというのは少々リスクが高すぎると思われる。
「黒豚はやばいです、っと」
すぐにリーダーから体調を慮る返信と、情報提供に関する感謝のメッセージが飛んできた。礼儀のしっかりしてる人だなあと思いつつ、ヒスパニックのトラちゃんさん信者からもメッセージが飛んできていることに気がつく。
『女神の加護を受けて復活とか、それは控えめに言って預言者のやることでは?』
そっとメッセージを閉じると、更にゼレーニン中尉からのメッセージがポップアップする。
『これからはヤマダ隊員にも祈りを捧げた方が良いのでしょうか?』
止めてくださいと返しておく。
その他隊員への雑多な連絡を済ませ、小生は改めて憎き黒豚と対面する。
「トラちゃんさん。この豚は何処に"マッカ"というのを持ってるんですか?」
腹をかっさばなきゃいけないとしたら、一度死骸を安全な場所にまで運ぶ必要があるだろう。だが、小生の懸念は取り越し苦労だったようで、
「あー、えっとね。あくまでも通貨だから、すぐに取り出せる場所にあるはずよ。んー……」
言って彼女は口元に人差し指を当て、かわいらしい仕草で黒豚の死骸を検分する。そして、豪快に黒豚の口に細い手を突っ込んでは、
「ん、ああ。ここかあ。あったわよ」
ごそごそとやりつつ、程なくして唾液にまみれた金貨をべちょりと取り出した。ええ……、黒豚狩る度にあれをやらなきゃならないのん……?
小生の言わんとすることが顔に出ていたのか、トラちゃんさんはすぐさま「はいはい」と取り出した金貨に浄化の異能をかける。
「はい。これが"マッカ"よ」
「へえ……」
矯めつ眇めつ見てみると、"マッカ"にはアルファベットの"h"に似た刻印が為されていた。成る程、何処ぞで成形の一手間がかけられていることは間違いないようだ。渡された"マッカ"を電磁ロック式のバックパックへと放り込みながら、小生は更に疑問を口にする。
「これを"悪魔"たちは貨幣として用いてるんです?」
「そうよ。交渉材料としても使われてるし、エネルギーの補給手段としても重宝されてるの。アタシたちにとっては"箱庭"へのエネルギー補充手段であると同時に、新たなアクマの"召喚"コストとしても重要になるでしょうね」
「新しく"召喚"? 小生にもできることなのですか、それは」
思わず首を傾げてしまう。同じ文言が入っていることから、デモニカの追加アプリとして強制インストールされていた"悪魔召喚プログラム"がふと連想されたが、それでもいまいち明瞭なイメージが湧いてこない。というか、そもそもこのアプリをどうやって使うのかも自分は確かめていなかったことに気づいてしまった。
何だかんだで成り行き任せにトラちゃんさんやカンバリ様の協力を取り付けられていたからなあ。
タスクボードに貼り付けられた"悪魔召喚プログラム"の解析ドキュメントに目を通しながら、トラちゃんさんの講義を大人しく拝聴する。
「悪魔召喚術ってね。大昔から手続きこそ煩雑だったんだけれども、アクマの情報と対価さえ用意できていれば、さほど難しいものじゃなかったのよ。契約したアクマを呼び出すのも、新たにアクマを呼び出すのもね。それにアンタの場合、その機械の服がピコピコって召喚の面倒な部分をやってくれるんでしょ? だったら、対価さえ支払えばすぐに新しいアクマを呼び出すことができる……、と思うわ」
「ほえー」
間抜けな声で説明に応える。
やはりイメージができないが、戦力が増えるというのなら、隊としても言うことはないだろう。
「その、新しい"悪魔"なんですが……。呼び出せる"悪魔"は決まっているんです?」
「ん、"悪魔合体"によって新たに生まれたアクマを呼び出す時なら基本、対価なしで呼び出せるはず。後は契約外で見知ったアクマや一度契約を打ち切ったアクマと再契約をして遠方から呼び出す時にはやっぱり"マッカ"が必要になるんだけど……。あー、そっか。アンタの仲魔ってアタシとカンバリしかいないもんねえ。今すぐに、新しいアクマにお目にかかりたいならアタシたちを素材に合体を試して見る必要があるわ。アンタ、"悪魔合体"に興味あったりする?」
小生は要領を得ないながらに首を横に振った。
"悪魔合体"という字面からして、仲魔と仲魔をなんやかんやして新たに一体の仲魔を呼び出す儀式なのだろうと察しがつくが、それを今の小生がやるのは自殺行為だと思われる。
何せ二体しかいない仲魔の内、カンバリ様は恩人にして雲の上の存在であるし、トラちゃんさんに至っては、現在進行形で調査隊の大多数から崇敬を集める女神様だ。
安易な気持ちで「ああ、トラちゃんさん? 戦力強化のためにカンバリ様と合体させましたよ」などとのたまった次の日には、信者連中に親撲会を開かれる未来しか見えない。良くてひき肉、悪ければ細切れだろう。
「じゃあ、今アンタが呼び出したり引っ込めたりできるのはアタシらしかいないはずよ。他の手としては、んー。今からアクマを口説きにいって仲魔に引き入れるか、特定のアクマと"縁ある言葉"を介して召喚を試すしかないわね」
「"縁ある言葉"ですかあ」
また良く分からない単語が出てきた。俗に言うパスワードのようなものなのだろうか?
「その言葉はどう入手したらいいのでしょうか?」
「アクマから直接教えてもらうか、人伝に聞き知るかでしょうねえ」
「成る程」
となれば、現時点においてパスワードを入手できる目処が立っていない以上、小生が今悪魔召喚術を試したいのならば、トラちゃんさんかカンバリ様を出し入れ――全くイメージが湧かないが、何処に収納されるのだろう? ――をしなければいけないということになる。
そして、何時敵に襲われるとも知れない歓楽街の真っ只中で、何が起きるとも分からない召喚を試すほど小生は胆の据わった人間ではなかった。
今はそういうことができるのだと、頭の片隅に入れておくだけでいいだろう。
小生は答える。
「とりあえず、"縁ある言葉"というのが分かるまでは『召喚や合体というものがあるらしい』程度の理解に留めておきます。戦力の増強は確かに魅力的ですが、その辺りはタスクボードを通じて機動班の皆さんに情報を流しておくだけでもいい気はしますんで」
「そうね。今は何が起こるかわからないし、それが無難かもね」
二人して頷き、この話題に関しては保留の線で打ち切ろうとする。
が、ここでカンバリ様が口を挟んできた。
「ん? 土の精霊……、"アーシーズ"を呼び出すだけならば、わしが召喚の手助けをできるぞい。今までお主に渡していた土も、"アーシーズ"に命じて作らせたものじゃし」
「なっ!?」
「え、ほんとですか? 流石、カンバリ様」
何といつものトイレ探しを終えるごとに渡してくれていた謎の土は、精霊に命じて作らせたものであったらしい。
てっきりトイレ周りの何かをどうにかこうにかして作ったものだと諦めていた小生は、飛び上がる勢いで拍手した。やっぱりトイレ周りの生成物だとね……、ちょっと抵抗があるんだよ。
そうして小生がカンバリ様を囃し立てると、トラちゃんさんが火がついたように騒ぎ出した。
「ア、アタシだって"アーシーズ"だろうが"アクアンズ"だろうが、"ウンディーネ"だろうが呼び出せるし……! 多分……」
キンキン声でがなりたてる有様たるや、まるでへそを曲げた中高生だ。
段々と分かってきたことなのだが、この女神様は図抜けて負けず嫌いの気があるらしい。
それが女神としての神性によるものなのか、少女としての外見に引っ張られたものなのかは分からないが、女性の取り扱いに疎い小生からしてみると、どう対処したものかと正直戸惑う。
「えーっと」
「何よ! アタシの言葉が嘘だって言うの!?」
「……どっちが何を出せるとしたって、どうでもいいじゃろ。拠点に戻ってからでも、精霊召喚を試してみればええ」
「むう……」
むきむきといきり立つトラちゃんさんと、見るからに年の功を感じさせるカンバリ様。
どちらの意見が通るかなど、当事者からしても一目瞭然であった。
三方の意見が妥協にまとまり、いい加減リーダーに頼まれた探索を再開しようとしたところで、ふと気がつく。
「この黒豚の死体はどうなるんです?」
「……そんなの、通りすがりのアクマが片づけてくれると思うけど。何なら、隊のゴブリンやハーピーにご飯として持っていってあげても良いかもね」
「へえ……」
未だ不機嫌の収まらぬ女神様に生返事をしながら、デモニカのスキャナーを起動させる。これは「まだ使える部分があるんじゃないか?」という日本人的なもったいない精神が働いたせいであったのだろうが、何よりもまずこの"悪魔"の図体が黒豚の形をしていることが大きかったのだろうと思う。
ぐぎゅるるる、と腹が鳴り、生唾が自ずと口内に満ちてきた。
何というか、故郷で頻繁に食されてきたビジュアルも手伝ってか、グロ画像によって失せていた食欲が猛烈に刺激されたのである。
……いやいや、騙されるな。こいつは人の住めぬ地を闊歩する化け物に過ぎぬ。あまつさえ、小生をあわや死へと追い込みかけた元凶でもあるのだぞ、と大脳がしきりに警鐘を鳴らしているというのに、生物としての本能が「これ食えるんじゃね?」と訴えて止まない。
「ええと、内臓は後にして。表面だけでも……」
とりあえず死体の傍に腰を下ろし、検査用のナイフで黒豚の表皮を削りとる。
続く動作で食用目的のサンプリングを行った瞬間、
『危険、未知の毒物です。危険』
"バケツ頭"のモニター上に赤字の分析結果が滝のように表示され、挙句の果てには耳やかましく警告音がかき鳴らされた。
「うへ」
これは人体に悪影響のある毒素が、この黒豚に含まれている事を示している。
つまり眼前の物体をまともに食べるのは不可能なわけだ。
うーん、成る程。
「毒があるんじゃなあ。食べられないよなあ」
諦めようと黒豚の傍らから立ち上がり、腹の音に引っ張られて再び座り込む。
「うーん」
黒豚の空虚な眼に、小生の空腹を抱えたしかめっ面が映りこんだ。
何処からどう見ても美味そうな黒豚だが、これはあくまでも毒である。毒である。毒で……。
ぐぎゅるるるるるる。
「……いや、ワンチャンあるな」
小生の脳裏に、丸々太った河豚の姿が浮かび上がっては消えていった。
◇
「あー、えっと。とりあえず、今回の探索結果は以上となります。詳細はレポートとしてドキュメント化もしておきました。小一時間の小休止後に、また探索ミッションを再開します」
「探索の成果は分かったが……。お前さんの引き摺ってる、その死体は?」
「道中に確保した、暫定的な食料候補です。どうか、お気になさらず」
「いや、ちょっと待て」
あの後、宮殿周辺の隠し扉を幾つか発見し、意気揚々と暫定拠点に帰還した小生は屋内に黒豚の死体を持ち込もうとしたところを同僚に発見され、詳細な説明を求められた。
とりあえず、当初求められていたレポートは提出したというのに、同僚たちは奇異に困惑したままだ。
ぐぎゅるるるるるるるるる、と腹が鳴った。
「食料って、お前……」
「それ、レポートにあった"悪魔"じゃないのか?」
資材班やインフラ班が軒並み嫌そうな顔で黒豚を見ている。やはり、いくら形が豚であっても"悪魔"を食べるという発想には行き着かないようだ。ヒスパニックやゼレーニン中尉に至っては、「"悪魔"の肉を食して、自分が"悪魔"になる可能性はないのか?」と本気で疑ってかかっていた。動力班の青年などの小生に批判的な面々も、毒気が抜かれたように、まるでアホの子を見るような顔になっている。
疑惑と哀れみの眼差しが四方から小生の全身に突き刺さっていく。
正直、居心地が悪くて仕方がなかったが、それ以上に空きっ腹が「おい、早く食わせろ」と訴えかけていた。他の面々と違って小生は二度も盛大に粗相をやらかしてしまった手前、胃腸の中が空っぽ同然なのである。
「……ジャパニーズが悪食だというのは本当だったんだな」
とは強面が頭を掻く。この発言に野球好きも同感を示して「そういや、デビルフィッシュなんて食ってるもんなあ」と何度も頷いている。てか、タコは"悪魔"じゃないぞ。
こう言う時にこちらの主張をできる限り理解しようとするのは、やはりまとめ役たるリーダーであった。
「……皆、頭ごなしの否定は良くない。この非常識の地で、先入観に囚われることは危険であると肝に銘じておくべきだ。我々は何もない空間からゲートが出現するという常識外の現象を既に前例として知っているじゃないか」
彼も眉間に皺を寄せているものの、小生の考えに何やら深い意図があるものと考えてくれているようだ。
しかし非常に申し訳ないのだが、ただ空きっ腹の誘惑に負けただけであった。味気ない、チューブに詰まった栄養ペーストに嫌気が差しただけであった。
いや、一応自分なりの理由はある。
トラちゃんさんの蘇生を受けてからこの方、腹の調子がおかしいのだ。下る、というよりはひどい空腹に襲われていた。
もしかすると、臨死を体験したことによって生存本能が刺激され、より多くの栄養を身体が欲しがっているのかもしれない。
最早宇宙食じみた栄養ペーストでは物足りなかった。
今は肉がたらふくに欲しい。肉が。
リーダーが祈るような面もちで、一言一言確認するように問いかけてきた。
「……ヤマダ隊員。その"悪魔"の死骸は食用に適しているとの分析ができているのか?」
「いえ、未知の毒物であるとの分析結果が出ました」
「待て。ならば、何故その"悪魔"を食べようと思ったんだ? 今回の君の行動はいささか論理性が欠けているように思う」
全くもってその通りだ。今回のこれは理屈ではない。
少なくとも、"エルブス"号の生き残りを救出しなければならぬという大事なミッションを控えている現状、一時の誘惑に駆られて無駄なリスクを負っている余裕などないことは、火を見るよりも明らかであった。
故に自分でもおかしいとは思っている。だが……。
外を守る理性よりも、内に宿る性分よりも奥底にある何かが、このシュバルツバースで肉を食えと、しきりに叫び続けているのだ。
小生は思考をめまぐるしく働かせ、躊躇いがちに口を開いた。
「……まず、これは極々個人的な意見なのですが、"エルブス"号から持ち出せた数少ない食糧は、なるべく機動班に優先して配給されるべきだと思うんです」
ロビーがにわかに沸き立ち、傍観していた仲魔たちがびくりと反応を見せた。
小生が平等分配の原則を崩した主張をしたことで、方々から不満の声が挙がったのだ。が、それをリーダーが手で制する。
「……ヤマダ。俺の立場からすれば、君の主張には素直に頷くことができない。同じ遭難者という立場上、食料分配は常に平等であるべきだ。だが、そんな原則論は分かって言っているんだろう?」
空きっ腹のせいか、別の理由によるものか常より腹の据わった小生は、ぐぎゅるるると腹を盛大に鳴らしながら、これに答える。
「我々が持ち込んだ栄養ペーストは完全食品として栄養学上大変に優秀ですが、それ以上に他に代え難い携行性と保存性をも兼ね備えています。今のところ、まだ潜入プランは定まっていませんが、ミッションの達成にどの程度の期間が必要か分かったものではありません。2日や3日ならばいいのですが、それ以上ともなると……。ここで限りある栄養ペーストを無駄に消費するというのは、今後のミッションに制限を加えることにならないだろうかと、懸念していたりします」
周囲から、ぐうと唸り声が聞こえてきた。小生もまた、ぐうと腹の音を返した。
正直、ずるい物言いだったかなとは思いつつも反論が出てこないことに安心する。後は駄目押しに一言添えるだけであった。
「無論、どんな影響があるかは分かりませんから、まずは小生の食事分と仲魔たちの分を"カタキラウワ"の肉で賄えないか、調査してみようと思います。それで安全だと分かったところで、栄養ペーストの消費量を徐々に減らせるようなプランを提示したいと。これならば、隊の今後にも役立つと思うのですが……」
要は先刻のトラちゃんの一件で用いたのと同じ手口だ。
自己責任で隊の利益になりえるチャレンジをしている限りは、行動の自由が補足されるはずであった。
「つまり……、君が現地で調達できる食料候補物質の毒見役をかってくれると。隊の食糧事情を見据えた上で言っているわけだな」
リーダーが眉間を押さえてため息を吐いた。更にトラちゃんさんが付け加えて言う。
「……多分、食べても大丈夫なものはあると思うけどね。アタシの知ってる人の子らもアクマのお肉は食べていたし。むしろ、何で"カタキラウワ"から毒が見つかったのかしら……? アタシの知識だと……。あっ、勿論栄養は考えなきゃだから、穀物や野菜も取らなきゃだめよ。そういうのはアタシが作ってあげるから」
どうやら彼女の常識の範疇では、この黒豚は無害の食料として見なされているようであった。だが、隊員たちは彼女の発言の後半に驚き、目を丸くする。
「穀物を頂けるって……。もしかして、女神様の育てておられるあのトウモロコシをですか? そんな、畏れ多い……」
「いや、今の世代は殖やすために育ててるんだけど、元々おすそ分けしようとは思ってたのよ? 穀物は命を育むものだから。皆に食べてもらうのはずっと"自然"なことじゃない」
「おお……、何と有難い……。おお……」
トラちゃんさん信者の信仰心が高まっていく音が聞こえるかのようであった。
人間という生き物は、胃袋を握られると弱いのである。
リーダーが大きな手のひらで剃り上がった頭を抱え、ため息をつく。
「分かった……。今後のメインミッションにプラスに働くのならば、俺もこれ以上何も言わない。ただ、無理はすべきでないし、傾倒すべきでもないとやはり思う。あくまでも休憩時間を使ったサブミッション扱いだ。その辺りを約束できるか? ヤマダ隊員」
「は、はい。勿論です!」
「では、有志でチームを募ろう。リスクを一人で抱え込むべきではないさ。効率も高めなければならないしな。この中で、ヤマダ隊員のプロジェクトに参加したいと思う者は、後ほど集合してほしい」
リーダーの号令によって、隊員たちの解散が告げられた。
こうして、黒豚の調理と試食は有志によって実験的に試みられることになる。
その場に残り、プロジェクト参加の意志を見せたのは小生を含め、観測班の男性、ドクター、そしてヒスパニックとゼレーニン中尉の5人であった。って、後方人員の3分の1もいるじゃないか……。
集まった面々は、まず額をあわせて志願の動機を語っていく。
いの一番に口を開いた観測班の男性は、
「理論上、科学的に分解さえしてしまえば栄養の調達できることに変わりは無いと思いまして」と情緒もへったくれもない腹を打ち明けた。理系か。
続くドクターは、
「恥ずかしながら、その黒豚を見ていたらお腹が鳴ってしまいまして……。勿論、人体を用いた臨床試験には医者が携わるべきという責任も感じています」と頬を掻く。日本人か。
ドクターの傍に付き添っていたリリムは、看護師の女性と別の作業に従事するようだ。彼女らの間に淑女協定のようなものが透けて見えるが、第三者の小生にその詳細を知る術はない。
そして、残るヒスパニックとゼレーニン中尉は、
「女神様が仰ることに間違いはないでしょう」と真顔で語っていた。信者か。いや、信者だな……。
解体と分析は、トラちゃんさんの作った"極小の箱庭"で行われることとなった。
まるで外界のような景色の中にあって、拠点の防衛に詰める仲魔の一部がくつろいでおり、ヒスパニックの青年とゼレーニン中尉はのびのびとした顔を見せている。
「さて、まずは解体をしなければならないのですが……。この中に家畜の解体経験者はおりますか?」
はきはきとした観察班の問いかけに、ヒスパニックの青年が手を挙げた。
「実家が畜産農家だった」
「話が早いですね。では私とゼレーニン中尉が解体部位の分析を行っていきます。ドクターは医学上のアドバイスを。フフ。未知の物質……、大変興味があります」
案外、そっちの興味が本命だったんじゃないかと思わせる含み笑いを浮かべた観測班に皆が苦笑いを返し、黒豚の解体は始められる。
「……蹄から、"マッカ"と同質のエネルギー反応が見られますね。今後、このようなエネルギー反応の見られる物質を便宜上、"フォルマ"と分類しましょう」
「トラちゃんさん、この"フォルマ"も箱庭の安定化に使えるのですか?」
「えーと……、うん。使えるみたい。アンタたちすごいわね。こういうところにまで気が回るなんて」
徐々にテンションの高まりつつある観測班の男性を後目に、小生はトラちゃんさんと箱庭の補強作業を行うことにした。というよりも、専門家の協力が得られたおかげで、小生の仕事がなくなってしまったのである。
「うんしょ」
探索中に得られた"マッカ"を握りしめたトラちゃんさんが、握りしめたその手を天井へ掲げると、まばゆい光を伴って手中の"マッカ"が消え失せてしまう。
……質量保存の法則をガン無視した光景だ。
清浄な空気が強まり、心なしか周囲の景色が色濃くなったような気がする。
「うん、これでもう数日は持つようになったわ」
「数日! 随分省エネなんですね?」
「空間を広げるのと、維持するのは力の使い方が違うのよ」
解体に従事している面々に目をやると、既に黒豚は細切れのブロックになってしまっていた。
現場に近づいてきたゴブリンがおこぼれにあずかろうと、じろじろと見つめている様が何とも牧歌的に感じられる。
「……不思議ですね。尋常でない量のカテプシンが検出されているというのに、細胞質が溶ける様子もない」
「検出されたタンパク質のほとんどは不凍タンパク質よ……。極地に生息する魚介類が持っているものだわ。変なところで、ここが南極なのだと思い出させてくれるのね」
……うん、あそこに加わるべきではないと小生は一瞬で理解する。会話の中に「加工すれば食べられるかもしれない」との文言があったことから、もう完全に任せてしまうことにしよう。小生が空腹で倒れる前に全てが済めばいいのだが……。
更に余った"マッカ"を用いて、探索中話題になった悪魔召喚も試すことになった。
カンバリ様から"縁ある言葉"を教えてもらい、おっかなびっくり悪魔召喚プログラムを起動する。
すると不可解な文字列が高速でインジケータを流れていき、目の前の足下に六芒星が突如として出現した。
「お、おお!?」
そして、六芒星から立ち上る金色の光が何らかの形を模していく。
これは人の上半身だろうか?
土でできているらしく、上半身が身じろぎをするたびに土の塊がぱらぱらと床に零れ落ちる。
そして、光が収まった頃には意思ある精霊が一体、小生の足元に顕現していた。
「……フム、カンバリ様の呼び出しかと思いきや、私を呼びだしたのはニンゲンですか。まあ、宜しい。精霊"アーシーズ"。今後ともよろしく」
「あ、はい。どうも。こちらこそご丁寧に」
思わずこちらも頭を下げてしまう。
すごいな、カンバリ様。本当に精霊なるものを呼び出せてしまったぞ。
尊敬のまなざしを小生が向けると、カンバリ様は特に偉ぶりもせずに口を開く。
「こやつには箱庭の管理と土の生成を任せればええじゃろう。精霊というものは本来的に戦闘以外の様々な場所で役に立つものじゃ。自然にあまねくエネルギーを滞りなく循環させ、宇宙の外に漏れていかぬようにする役割こそが、こやつらに課せられた使命じゃからな」
「成る程、そういうものなのですかあ」
感心しきりの小生とは対照的に、トラちゃんさんは膨れっ面になってしまっていた。負けん気を全身で表現しておられる。
「ちょっと、アタシにも召喚させなさい!」
「あっ」
余った"マッカ"をトラちゃんさんは引ったくると、小生のハンドヘルドコンピュータを胸元にまで引っ張っては、その表示をにらみつける。
「ほら、ヤマダ。さっきのみたいに、ピコピコってやって! カンバリが"アーシーズ"なら、アタシは"アクアンズ"よ! ほらっ!」
「わ、分かりましたってば」
「この世界の精霊はまだ良く分からないけど、アタシの神力なら別次元から精霊を引っ張ってくることくらい訳ないわっ。ぱすわーどは"とらちゃんふぁんくらぶ"でやってみなさい!」
「えええ……?」
言われるがままに、悪魔召喚プログラムを起動する。
すると、再び"マッカ"が消滅して、足下に不定形の魔法陣らしきものが浮き上がってきた。って、ほんとに成功するのかよ。
ただ、カンバリ様に促されてやった時とはいささか勝手が違うようで、六芒星から水が湧きだし、形作られた人の身体は一体、二体、三体……、多くね?
三体の水でできた人型の精霊は、ゆらゆらと揺らめきながらおもむろに口を開いた。
「……いや、さいかわはネミッサやろ……」
「……は? たまきちゃんやろ?」
「アサヒちゃんがさいかわでど安定。屋上」
何で猛虎弁やねん。てか、トラちゃんさんのファンクラブじゃないのかよ!
どうやら、彼らはただの水の精霊ではなく道頓堀の精霊であるようであった。
小生がトラちゃんさんを見ると、彼女は口笛を吹いて目をそらす。
「ち、ちゃんと召喚はできたじゃない」
確かにと思い直し、彼らには箱庭への水の供給を命じることにした。
かくして箱庭の床に土壌が生じ、道頓堀が湧き出したわけである。
「女神様すげえなあ……」
とここで解体を終えたヒスパニックの青年が小生の隣にまで近寄ってきて、感嘆の息を漏らした。
「道頓堀がですか?」と突っ込みたい気持ちは山々であったが、確かに三体も同時に召喚できた辺りは凄かったため、小生も否定せずに頷いておく。
青年はひとしきりトラちゃんさんに祈りを捧げた後、親指をくいっと解体現場へと向けて言った。
「分析結果出たぞ。毒素を完全に分解してしまえば、食えることは食えるらしい。ただ、半日はかかるって」
「は、半日ですって!?」
小生は絶望する。すぐさま肉にかぶりつきたかったというのに、これではお預けも良いところだ。
しょんぼりと落ちた小生の肩を青年がぽんと叩き、苦笑い混じりに続けた。
「まあ、腹減ってるんだろうけど、今は栄養ペーストで我慢しとけよ。な? それよりそろそろ休憩時間も終了だろ。探索ミッションに戻った方が良いんじゃないか?」
「あ、ほんとだ」
言われて原子時計の表示に気がつく。もう休憩の終了まで10分と無いではないか。
脳裏でオーバーワークの文字列が踊るが、救出を待っている仲間たちがいる以上、あまり悠長なこともしていられない。
「分かりました……。ちょっと探索の続きをやってきます」
「ねえ。あんまりお腹が減っているのなら、若いトウモロコシの苗食べる? 少しなら分けてあげるわよ」
俯き気味の小生の傍らから、トラちゃんさんが袖を引きつつ顔を覗かせる。
苗というところに抵抗はあったが、小生はこの提案を二つ返事で受け入れた。空腹でどうにかなりそうだったのだ。
「じゃあ、これ。大事に食べてね」
トラちゃんさんから手渡された苗のお味は、まさに「草だこれ!」といった感じであった。ただ不思議と空腹が和らいだことに正直驚く。
「仲間のために頑張るのは大事なことよ。ヤマダ、頑張りなさい!」
トラちゃんさんの声援を受け、小生はうんと背伸びをした。
彼女の言うことも一理ある。次の帰還後に美味しく肉を頬張るためにも、もう一頑張りしてみよう。
◇
それからの探索はすこぶる順調に進められた。
「んっ、ここもゲートが隠れてるわねえ。先進みましょう、ヤマダ」
「あー……、ちょいお待ちを。まだマッピングの済んでいない箇所がありますから、先にそちらを埋めてしまいましょう」
未踏破区画を埋めていき、宮殿までの安全な道のりを確保する。
時折、共有回線を通じて機動班の戦闘通信が届けられたが、小生らに課せられた任務はあくまでも隠されたゲートを発見するなどといった探索の補助に過ぎない。
邪魔をせぬよう、機動班には言葉に出さぬエールを送り、粛々とマップの解析に専念する。
無論、極力戦闘を避けてはいっても避けられぬ戦いもあるにはあった。
「周囲、囲まれてるわ。完全に挟み撃ちを受ける前に片側を潰すわよっ!」
「は、はいっ!」
出会う"悪魔"は黒豚や"ガキ"、そして"アズミ"で占められていたが、何度も繰り返された不意の戦闘によって徐々に力を取り戻しつつあるトラちゃんさんと、元から強いカンバリ様がこれを一蹴し、特に足止めされることもなく探索を進める。
また、やむを得ぬ場面においては小生も直接戦闘に参加することがあった。
"悪魔"たちが所有している魔力を秘めた"石"を拾ったことで、小生らも異能を再現できるようになったためだ。
これが弱点属性を持つ"悪魔"と相対した際には猛威を振るった。
「"ガキ"には火属性の攻撃が有効のはずよ! さっき拾った"アギストーン"を投げつけてみてっ」
「分かりました!」
オーバースローで投げつけられた"石"は、デモニカの補助により時速数百キロの弾速を得て、"悪魔"たちへと吸い込まれていく。
戦闘の心得がなかった小生も、"物を投げる"という行為だけは人よりも上手くこなせたことがここにきて生きたわけだ。
こうしてマップを埋め、"悪魔"を狩り、マップを埋めを繰り返し、ついには宮殿のすぐ傍にまでたどり着く。
ぼう、と原色の明かりがあちらこちらに灯る宮殿は、直下から見ると7階か8階建てはありそうな高層建築であった。
またその面積も見るからに広く、内部の探索が容易ならざるものになるであろうことを予期させてくれる。
宮殿周囲の建物に潜みながら、小生はとりあえず機動班へとミッション完了の連絡を送った。
『こちら、ヤマダ。宮殿までの安全なルートは確保しました。ただ……』
『こちら、アルファ。ヤマダ隊員よくやった。宮殿周囲の状況を教えて欲しい』
『なんというか、"うじゃうじゃいます"』
建物の小窓から見える"悪魔"の数は、およそ百や千ではききそうにない。
まるで絶望か悪夢がパレードを成して闊歩しているかのようだ。
見知った姿に混じる大型のモザイクが、尋常でない威圧感を発している。トラちゃんさんに問いかけると、あれらは"高位悪魔"であるようだった。
要するに、小生らでは逆立ちしたって敵わない存在ということらしい。
……駄目だ。これは。
正面突破にしろ、勝手口のような物を見つけて潜入するにしろ、この多勢を相手に切り抜けるビジョンがちょっと思い浮かばない。
『これ、もう少し策を練った方がいいかもしれません。ひとたび"悪魔"に見つかってしまえば、生還できるとはとても……』
『……君の意見は重く受け止めよう。だが、躊躇している暇はないのだ』
『ですが……』
大型の"悪魔"が大通りの真ん中で雄たけびを上げ、巨大な電撃を高々と打ち上げた。
その余波が建物の中にいる小生にまで伝わり、ぷつぷつと鳥肌が立っていく。
「……大丈夫?」
気圧されて思考が真っ白になった小生の背中をトラちゃんさんが優しくさすってくれたが、ちょっと大丈夫だと返せそうにない。
とにかく、自分のミッションは達成できたのだ。
後はさっさと逃げ帰ってしまおう――。
真っ白になった思考を弱音が瞬く間に塗りつぶしていき、トラちゃんさんらにその旨を伝えようとしたその瞬間、
『……生き残りは、誰か生き残りは――、まだ、いるのか? 畜生。頼む。返事を、してくれ――』
ノイズ混じりで息も絶え絶えな、見知らぬ人間の発する通信を捉えてしまう。
彼は4号艦"ギガンティック"号の隊員であり、今も"尋常でない化け物"に追われている最中とのことであった。
更に電波の発信地点は宮殿の内部、階層も上層。
小生は目を剥き、宮殿の上層へと目をやる。
良心と生存本能が天秤へとかけられ、ゆらゆらと揺れた。
トラちゃんさんを見る。
「ヤマダ……」
小生は乾いた笑いを浮かべ、彼女に向けて頷いた。
「ちょっと、上に上る道を、探しましょう」