シュバルツバースでシヴィライゼーション   作:ヘルシェイク三郎

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シュバルツバースで箱庭生活

 色々とはしょるが、小生は復活した。

 

 ……まあ、颯爽と現れた黒い鳩が腰に提げたサーベルでエレベータドアを木っ端微塵に切り刻んでくれたため、圧死も人体切断死も経験せずに無事落下死するだけ? で済んだとか、"アケロンの川"にいる老人の身なりが白スーツにリーゼントとかいう"ヤのつく仕事"の人みたいになっていて、「そなた、これは保険という名の投資だぞ」と"マッカ"をせびられるようになったりと、語れることは少なくもないが、本筋を考えればそれらは些事だ。取り立てて、話を膨らませるほどのことでもない。

 

 今、小生にとって大事なことは、今回の活躍によってめでたく後方への出戻りを果たしたことであった。

 いや、別段めでたくはないか。意識がなかったために細かくは知らないが、どうやら暫定拠点に運び込まれた際の小生の状態はとても正視できるものではなかったらしい。

 トラちゃんさんの異能をもってしても完全回復はできないほどの複雑骨折に脊髄、内臓の損傷……、負傷箇所を挙げているだけで気分が悪くなってきた……。

 涙目の彼女がドクターに小生を預け、丸一日の手術の結果、とりあえず意識が戻り、現在に至るわけである。

 

「異能って、重傷までぱぱっと治せるものでもないんですねぇ」

「リリムが言うには、"異界魔法"も万能ではないらしいですよ。興味深い話ですが」

 小生の呟きに、傍らで治療を続けていたドクターが答えた。

 

「では、小生が復活できたのはドクターのお力あってのことですか」

「いえ、女神様のお力はヤマダ隊員の命を間違いなく取り留めることができていました。時間が経つと効かないらしいですよ、リカームという魔法は。僕がやったことは破砕した骨を接ぎ合わせることと、神経や血管を縫い合わせることくらいです。カウンターショックや細胞の再生促進は、リリムが魔法でやってくれましたし、ヒールゼリーや輸血、ドレーンなどの機材の準備は僕の助手が……」

「あ、もういいです……」

 自分がどれだけ重傷であったのかを耳にしても、胃腸がしくしくと痛んでくるだけだ。

 

 チチチと、小鳥のさえずりが幻といえども磨耗した小生の心を癒してくれた。仮初めの青空に目を細める。

 小生が簡易マットに寝かされているのは、トラちゃんさんが創り出した"箱庭"の一角であった。彼女が自分の"箱庭"で守ると言って聞かなかったらしい。

 

 横を見やれば、一抱えもある植木鉢が、畑の如く列を成し並んでおり、子供の背丈ほどに成長したトウモロコシがその天辺に雄花を豊かに咲かせている。茎の中程には既に黍穂(きびのほ)ができていた。

 緑の青臭さは先日に拠点を出たときよりも一層濃いものとなっていて、相変わらずの良く分からない成長速度に言葉も出ない。

 この滅びの大地にそぐわない、至極牧歌的な風景を見ながら目をぱちくりとさせていると、ドクターがからかうように口元を緩めた。

 

「あれ、次は"アーシーズ"の作った庭土に直接種を蒔くそうですよ。そうすることで、もっと実りを増やすことができるとか……。女神様が仰るには、あの実りを最初に味見できるのはヤマダさんだそうです。ですから、皆さんも貴方の回復を心より願っていましたね」

 どうやら小生は、こちらの知らぬ内に食欲と安否を秤に掛けられてしまっていたようだ。もしやすると、この非常事態に一人便所を捜し求めたり、肉を求めて黒豚を狩ってきた小生に対する婉曲な皮肉も含まれているのかも知れない。

「ア、ハハハ」

 無論、抗議などできるわけもなく。とりあえず曖昧に笑って、向かってくる矛先をそっと受け止める。

 人間、とりあえず笑っておけば何とかその場をやり過ごせるものだ。

 そもそも皮肉の出る環境にケチを付けてもしようがない。皮肉は溜め込んだ不満を波風立てずに発散するための術なのである。

 好例として、銀幕のスターがしょっちゅう作中で皮肉を言い合っているではないか。皮肉の通じない奴は、大抵ゾンビか鮫の餌になる。小生はたとえ面白黒人枠になったとしても生き延びてやる所存であった。

 

「回復したら、皆でトウモロコシ料理食べましょう。ぱっとできるものでは……、ポップコーンってできるのかな?」

 こちらの返しにドクターの浮かべていた悪戯っぽい笑みから、毒気がぱっと抜けていく。

「お、良いですねぇ! 我々のシチュエーションも映画みたいですし」

「役どころは完全に銀幕の中の人ですけど」

「それじゃあ、皆ハリウッドスターだ」

 ひとしきり笑いあったところで、小生は深く息をついた。

 

「ああ……、喋りすぎて疲れてしまいますよね。それでは僕は失礼します。また30分ごとに助手と交代で様子を見に来ますね」

「ご迷惑をおかけします」

「いえ、お互い様ですよ」

 ドクターはぺこりと頭を下げて、"箱庭"から立ち去っていった。多分、主戦場である暫定拠点の医務室に向かうのだろう。小生の潜入を皮切りに、機動班のメインミッションが本格始動したそうだから、今頃は負傷した機動班が代わる代わる医務室を訪れているに違いあるまい。

 トラちゃんさんも"箱庭"の入り口で門番に徹しているそうで、"箱庭"に存在する人間は小生一人になってしまった。

 

「ゆかりっち最高やろ」

「会長」

「やアNO1屋上」

 小鳥とさえずりとともに、たっぷんたっぷんガボボボと道頓堀のさえずりも聞こえてきた。少し静かに水たまりのままでいて欲しい。

 

 手持ち無沙汰になって、治療のために脱がされたデモニカスーツを取り寄せてみる。

 "バケツ頭"をかぶって、デモニカを起動。

「うげ」

 モニターに表示されたタスクボードを見て、小生は思わず眉をしかめた。新規に溜まった案件があまりにも多かったからだ。

 恐らく、機動班が救出作戦に専念してしまったことこそ、後方業務が滞ってしまう直接的な原因だろう。

 例えば、拠点にない資材が必要になったとしても、後方組だけではおいそれと外部へ調達に出ることができない。

 また、もうサバイバル開始から4日も5日も経っていることも、案件の増加に繋がっていた。人は1日や2日ならば、非常事態を非常事態として受け入れることができる。だが、1週間近くも過ぎれば、それは当人にとって日常だ。

 非常事態ならば目を瞑ることのできる様々な不具合が、ここにきて色々と表出してきているようであった。

 

「これ、悠々と寝ていられない気がするんだけど……」

「――駄目よ、ヤマダさんは身体を休めないと」

 不意に独り言を遮られ、タスクボードの読み取りを中座する。

 上体を起こしてみると、腰に手を当てて呆れ顔のゼレーニン中尉が立っていた。

 

「何か見知った識別信号がポップアップしていると思ったら、案の定……。貴方、ワーカーホリックの気があるの?」

「それ、トラちゃんさんにも同じこと聞かれましたけど。単に、後で仕事に追われて職場がギスギスするのが嫌なだけなんですよ」

「気が合うわね。私も同じ人種」

 んべ、と舌を出して悪戯っぽい笑顔を浮かべるゼレーニン中尉。小生もつられて、苦笑いを浮かべ返す。

 

「先日、ヤマダさんが食べたいって言っていた"悪魔"の肉、持ってきたわよ」

「えっ、それは本当ですか!?」

 思わず勢い余って前のめりになり、全身を走る鋭い痛みに悶絶してしまった。

 

「あ、無理はしないで! ドクターが言うには、魔法で身体自体は治っているけど、怪我をした痛みを身体が覚えているらしいのよ」

「面目ない……。それで、お肉は?」

 ゼレーニン中尉は、傍らに腰を下ろして手に持ったジップロックのビニール包装を開封する。そして中から取り出したるは、サイコロ状のぶつぶつした肉らしき灰色の何かであった。

 この……、何だ、肉……?

 

「間違いなく、あの豚みたいな"悪魔"から生成した可食成分よ」

「何か、思っていたのと違うというか……」

「ドクターも資材班の人も同じこと言ってた」

 ゼレーニン中尉はくすりと続ける。

 

「私も試しに食べてみたけど、間違いなくこれは食べ物よ。少しジャンクだけど……。食べてみて」

 フォークを手渡され、サイコロ状の物質を恐る恐る口に運ぶ。

 そして、咀嚼。湧き出る感想を素直に紡いだ。

 

「……○ップ○ードルの謎肉だこれ」

「あ、やっぱりそういう感想なのね。私、インスタント食品を食べたことないから、想像もつかなかったんだけれども。こういう味だったのねえ」

「え、何で? 何で、あの肉らしい肉から、これが?」

 頭の中で疑問符がタップダンスを踊るが、食えないこともないため、久方ぶりの食事にフォーク持つ手が止まることはなかった。

 手を動かすだけでも痛そうだし、食べさせてあげましょうか、とゼレーニン中尉に提案されたが、小生はリハビリを建前にこれをやんわりと辞退した。下手に(小生が)勘違いしてしまったら、後が恐ろしいことこの上ない。小生の三十年近い童貞力は伊達ではないのだ。

 ゆっくりとした食事に、彼女は根気強く付き合ってくれた。そんな中に、突如として乱入してきたのが"ギガンティック"の青年だ。

 

「ヤマダ、目を覚ましたのか!」

「あ、エースの……」

 青年は喜色を満面にして、小生が寝ているマットにまで駆け寄ってきた。そのあちらこちらに"悪魔"の血らしきものが飛び散っていて、ゼレーニン中尉が眉根を寄せる。

 

「貴方……、せめて女神様の"箱庭"に入るときには身を清めて……」

「んだよ。あの女神には許可もらってんだから、良いだろうがよ! しかし、本当に回復してら。ハハハ。すげえな、おい!」

 自分の回復を喜んでもらえているのだから、小生としても悪い気はしない。そちらも怪我一つないようで何よりだと無事の到来を歓迎すると、彼は鼻を高くして武勇伝を語り始めた。

 

「ここいらの化け物どもじゃ、"ハルパス"とオレの相手にはならねえよ。もう撃墜スコアも強面の奴に並んだぜ。後方の雑魚どもにも、オレを助けたことを無駄だったとは言わせねえ。ヤマダの名誉も、オレが守るぜ」

 タスクボードにも詳細なレポートが張り付けられていたが、彼の言う"ハルパス"とは、エレベータで出会った黒い鳩を指していた。

 あんなみてくれでありながらも、彼は地獄の伯爵にして26の軍団を率いる堕天使であるらしく、彼とエースの調査隊加入は隊内に少なからぬ混乱をもたらした。

 

『折角の潜入経路が他艦のクルー一人を救うために使われてしまった。どうせ使うならば、"エルブス"の同僚を救うべきだったんじゃないか』

 とは、小生に批判的な機動班の言だったらしい。これに助けられた当人は激怒して、『人の手柄を後からさも手前の権利みたいにほざくな、バカヤロー』とふっかけて、あわや取っ組み合いにまでなりかけたそうだ。

 結局、トラちゃんさんからもたらされた同僚たちの所在、"悪魔"に協力する仲間の存在、不完全ながらも"ギガンティック"号に搭載されていたサポートAIの回収、そして"ハルパス"によって暴露された宮殿内の内部構造の情報が有用であるとして、小生の単独潜入は不問にされた。

 無論、リーダーの理性的な取りなしが場を納めたことは言うまでもない。

 小生はメインミッションの進捗具合をタスクボードで確認しながら、青年の座り込んだ方へと体勢を動かした。

 

「南方の奥まったところに隠しゲートがあったんですね」

「ああ、"ハルパス"の奴が知っていた。潜入はまだタイミングを計らっている。お宅の同僚と連絡を取り、一気に潜入と救出に望むつもりだ。ヤマダが気づいたっていう"裏切り者"の存在があるんで、接触は最小限に、そして迅速に行うんだってよ」

「……事情が事情なのだから、仲間を"裏切り者"呼ばわりしないで」

 上機嫌に語る青年に対して、ゼレーニン中尉が抗議の声をあげた。確かに、虜囚に"裏切り者"の汚名をかぶせるというのは些かやりすぎだ。

 

「んだよ。兵士がすぐに裏切るなんてのは論外だろうが。それは弱さの証明だ」

「貴方たちみたいな戦闘員以外だって沢山捕まってるのよ。そんな短絡的に……」

「現実を見ろよ。メインミッション参加者は、"ダグラス"の発案でスーツごとの識別信号を変えて宮殿付近をうろついているんだ。これは、機動班の大半が"裏切り者"を"裏切り者"として考え動いてるってことじゃねーか。まあ、現実が見えてないのも一人いたけどよ」

 端から見ていて即座にわかったが、この二人は明らかに馬が合わない。考え方の根っこの部分で、その性質が対極に位置しているのだ。

 こういう場合は、下手に放置しておくと関係をこじらせてしまうだけだろう。同じチームメイトとしての共感が嫌悪感を上回るようになるまでは、誰かが仲裁に立ってやらなければならない。

 小生は咳払いして、つついていた謎肉をフォークに突き刺したまま、青年に言った。

 

「破竹の戦果を重ねる"エース"に差し入れです」

「……何だ、こりゃ?」

「魔獣"カタキラウワ"の肉ですよ」

 青年はぽかんと口を開け、次の瞬間に腹を抱えた。

 

「ハ、ハハハ! 何だ、これ"悪魔"の肉かよ。オレたちを散々追いかけ回して好き勝手しやがった奴らの! こいつは、最高にロックだっ!」

 涙すら目に浮かべて、青年はそのまま謎肉をぱくりとやった。

 

「ん、んー? これって……、あれだろ?」

「あー、そうですね」

 青年は咀嚼しながら怪訝そうな表情を浮かべ、小生と声を揃えて「○ップ○ードルの謎肉だ」と再び笑い声をあげた。

 

「貴方たち……」

 ゼレーニン中尉も先ほどまでの毒気が抜けたのか、呆れたように肩を竦めている。

「この謎肉売ろう。シュバルツバースに会社作ろうぜ」

「いや、誰が買いに来るんです」

「冗談だよ、冗談。でも面白かった。このクソったれな地で初めて大笑いできた気がするわ」

 そうしてひとしきり雑談を楽しんだ後、『相棒、そろそろ時間だ』というサポートAIの連絡を合図に、青年と中尉は"箱庭"を立ち去っていった。

 

 去り際に青年の勇ましい呼び声が聞こえてくる。

「"ハルパス"! 行くぜ、狩りの時間だ。他の奴らに戦果で負ける訳にゃいかねえからな」

 青年は仲間の弔い合戦と、"悪魔"との戦闘経験を求めて再び出撃するようだ。あまり無理はするなと声をかけると、彼は親指を立てて「雑魚どもにオレが負けるかよ」と野生味にあふれた笑顔を返してきた。どうやら、本来の彼は大口を叩いて調子を整えていくタイプらしい。実力本位の社会で過ごしてきたものにありがちなメンタリティとも言えるだろう。

 

 更に中尉も去り際に外で待機していた仲魔に向かって呼びかけた。

「……用事は済んだから。さあ、行きましょう。"アプサラス"、"ゴブリン"」

「我々の力、契約者ならば賢く使ってくださることを期待しておりますよ」

「帰ったら、茶でもしばこうぜ。ゼレちゃん!」

 彼女も通信の精度をあげるべく、護衛を随伴させて宮殿の近くにまで出張するようだ。無事に帰ってきてくれと声をかけると、こちらへ小さく手を振ってくれた。

 本丸の近辺への出撃に不安そうな面もちであったが、それ以上に仲間を助けねばならぬという使命感のようなものが彼女の背中を押しているようであった。

 

 再び、"箱庭"に小鳥と道頓堀の鳴き声が響くだけの静寂が訪れる。

「そういえば」

 と自分の仲魔を思い起こす。

 カンバリ様は十中八九、カワヤ掃除の歓楽街行脚を行っているにしたって、トラちゃんさんが顔を見せないと言うのが気にかかった。

 彼女の性格上、中尉に小生の回復を知らされたら「ようやく起きたの! "マッカ"集めに行くわよっ」と飛び込んできそうなものなのだが。

 挨拶にいこうか? とも思ったが、身体の痛みと疲労感が洒落になっていない。それに空腹を多少満たしたせいか、猛烈な眠気までやってきていた。

 しばらく葛藤した後、小生はうつらうつらしていた目を閉じた。

 今日一日は、動けそうにない。

 

 

 

 

 再び眠りに落ちてから覚醒するまで、たっぷり半日は眠っていたらしい。小生は不意の尿意に暗闇の中で目が覚める。

 原子時計の電光表示を確認すると、外界では深夜に当たる時間帯だった。

 機動班はまだ潜入の準備を続けているのだろうか? 後方組は休息を取れているのだろうか?

 

 こうしてトラちゃんさんの"箱庭"で長い時を過ごしていると、どうにも自らが置かれている危機的な状況をついつい忘れてしまう。

 風もないのにはさりと揺れるトウモロコシの行列も、身を寄せ合って眠り込む幻の草食動物の群れも。

 土も緑の香りもして、挙げ句の果てには道頓堀経由で水の波打つ音すらも聞こえてくる。空には仮初めではあるものの、満天の星空が浮かんでいた。

 まるで世界の始まりのような、原初的な風景だ。

 ぽちゃんと何かが水面に落ちる音がした。

 

 そして高まる尿意。

 正直小生、空気読めてねえなと自省しつつも、水音を聞けば尿意に繋がるのは最早条件反射のようなものであった。

「……トイレ、外かあ」

 痛み、治まったかなあと不安を抱きつつもマットからごそごそと這い出でて、尿意を解消せんと便所へ向かおうとしたその矢先、入り口の方から人の気配を感じる。

 入り口には細い男性のシルエットが見えていた。

 おろおろと落ち着かない様子で周囲を見回しているから、この"箱庭"に初めて足を踏み入れた人間なのだろう。

 シャツだけになっていた小生は、デモニカスーツを上着に羽織り、深夜の来訪者に声をかけた。

 

「こんばんは」

「う、うおっ」

 来訪者は意外なことに、動力班の青年であった。普段、小生や仲魔に批判的な二人の内の一人である。一体何の用だろうか?

 

「どうしたんです?」

 ここに入ってきたということは、トラちゃんさんが入室を許可したということだ。黙って、忍び込めたということは……。んんん、どうだろう。ありえるんだろうか……?

 

「ここに来たということは、トラちゃんさんと仲直りできたのですか」

「いや、あいつはすっかり寝てたんで……」

「……え、マジで?」

 思わず真顔になったが、すぐに彼女らしいと頭を切り替える。

 彼女は女神だが、決して全知全能ではない。むしろ、ザルだ。ザル女神だ。本人も自覚しているからこそ、小生らの助けを欲しているのだと思う。

 気を取り直して、小生は問いかける。

 

「急な来訪を咎めるつもりはないんですが。何か小生に御用ですか?」

「ああ。いや……」

 動力班の青年は言葉を濁して、怖じ怖じとしていた。相当ばつの悪い心地でいるらしい。

 やがて、意を決したように息を吐き、ずしりと何かが詰まったバックパックを台車に乗せてこちらへすっと滑らせた。

 

「これは……」

 中をあらためると、デモニカ用の大容量バッテリーが積められるだけ積められている。嫌がらせとかでなければ、恐らく充電も終えてあるはずだ。その数はこの"箱庭"を構築する際に使われたバッテリーの数を優に超えていた。これだけあれば、更なる拡張が可能になるやも知れない。

 

 ――だが、何故?

 誰かに命じられて、ということは強情であった彼の態度からしてあり得ない話だろう。

 考えられる線としては自発的に、彼の閉ざされた心に雪解けの気配が生じたということ。それは願ってもないことであった。

 

「……流石に分かってるんだよ。俺も馬鹿じゃない」

 ぽつりぽつりと青年が語り始める。

「この非常事態、どう考えても空気が読めていないのは俺たちの方だ。現実問題として、あの"自称女神"は俺たちの命を救ってくれた。お前のことも、こうやって面会謝絶で後生大事に守っている」

「ザルですけどね」

 無論、ありがたいこととは思いつつ、若干(くさ)すことで会話のバランスを保つ。青年は困ったように笑って、続けた。

 

「ただ、やっぱ受け入れられないんだよ。あの"自称女神"も他の"悪魔"も。だから、お前経由で今までの借りを返したかったんだ」

 要するに、彼なりに気持ちの整理がついたということなのだろう。

 敬虔なメシア教徒である以上、トラちゃんさんを敬うべき神として認めることはできない。

 だが、自分たちの"隣人"として辛うじて認めることはできたのだ。

 これは中々できない、大きな歩み寄りだと小生は思う。

 当然ながら諸手をあげて、彼の譲歩を歓迎した。

 

「貴方はすごいです」

 動力班の青年は表情を歪めて、頭を横に振る。

「……別にすごくねえよ」

「いや、本当に関係がこじれてしまうと、中々態度を翻せない。もっと面倒くさくなるんですよ……」

「やけに気持ちが篭もっているけど、経験があるのか?」

 訝しいまなざしに遠い目で応えて、小生は続けた。

 

「東ヨーロッパの内戦地で。小生らは被害がなかったんですが、特に武装組織に包囲されているわけでもないのに、仲間割れで壊滅したコミュニティがあります」

「一度本気でお前の経歴を事細かに聞いてみたいところだが……。まあ、いいや」

 どん引きした様子の青年であったが、すぐに気を取り直して話題を本筋へと戻す。

 

「機動班の奴と意見を同調させた手前、"トカマク型起電機"のエネルギーを直接ここへ引っ張ることはできない。それはあらかじめ言っておく」

「そういうのは、全員の仲直りができた後ってことですよね」

「まあ……、そうなるな」

 頬をポリポリと掻き、青年は「それじゃあ」と背を向けた。その後ろ姿に「待ってください」と声をかける。

 

「……何だ?」

「肩貸してくれません? トイレ行きたかったんです」

「お前、ほんと腹が弱いのな……」

 呆れ顔になる青年の肩を借りて、小生は"箱庭"の外へと出る。

 

 入り口では、トラちゃんが背を壁にもたれかけさせてすっかりと熟睡していた。

「今度はちゃんと女神をやってみせるんだからぁ」

 ふがふがとしたいびきに口から涎まで垂らしている彼女の姿に、思わずずっこけてしまったことは言うまでもない。

 

 

 

 

 翌朝。

 道頓堀の訳の分からない鳴き声に目が覚めた小生は、凝り固まった身体を解すように背を伸ばし、マットから出ることにした。

 仮初めの陽光を全身に浴び、大欠伸をしたところでふと気がつく。

 道頓堀の方から見慣れぬ鳴き声が聞こえてきているのだ。まるでカエルのような、それでいて女性のような姦しさが感じられる鳴き声であった。

 

「んんん?」

 "バケツ頭"はかぶらずに、声のする方向へと近づいてみる。

 林立して部屋の大半を占領している植木鉢のトウモロコシは、もう完全に収穫期を迎えていた。これ以上鉢植えに植えておくと時機を逸してしまうかもしれない。

 後でトラちゃんさんに伝えておこう。というよりももう起きてんのかなあなどと考えつつ、植木鉢の林を数列通り過ぎ、"アーシーズ"によって作られたという小さな庭へと足を踏み入れる。

 庭はインフラ班の同僚たちによって柵と『聖地』なる立て看板がかけられ、横長に土が敷き詰められていた。明らかに床と土の間に大きな段差が生じているのだが、その辺りはトラちゃんさんと同僚たちが何か細工をしたのだろう。深くは考えないことにする。

 

 寝ぼけ眼のままに庭土を踏みしめると、靴越しに農地特有のふんわりとした感触が足裏に伝わってきた。そして、妙に悔しげな声も返ってくる。

 

『くっ、私を足蹴にするとは……。ひと思いに殺しなさいっ』

 どうやら、小生が踏んだ地面は"アーシーズ"が作ったものではなく、"アーシーズ"そのものであったらしい。

「あ、申し訳ありません!」

 慌てて謝るも反応はない。

 しばしの沈黙。

 床へ戻ろうとすると、何故か無言の圧力が強く感じられた。

 故に恐る恐る二歩目の足を進めると、今度は『むほっ』と奇妙な反応が返ってくる。

 小生は察し、その場で数度足踏みをした。

 

『アッアッアッ……』

 ああ、そういう……。

 "アーシーズ"の声は聞かなかったことにして、小生は庭の奥に作られた1メートル四方の道頓堀を覗き込む。

 

「ケロケロ」

 どういう理屈かはわからないが、水面を金髪のおかっぱ頭が右へ左へと動き回っている。

 ちゃぷんと音を立てて、おかっぱ頭が道頓堀の中へと消える。やけに水深がある気もするが、これも深くは気にしない。

 注目すべきは再び顔を出したおかっぱ頭の顔立ちだった。

 ……どう見てもカエルにしか見えない。最近のカエルはカツラを被るのか。

 

 一応、このカエルのような何かが"悪魔"であることは、一見して理解することができた。

 おかっぱ頭もそうだが、米国の国民的アニメーションじゃあるまいし、現実のカエルが年頃の少女が着るようなフェミニンな服など着るはずはないからだ。

 ただ、何故ここに?

 ここはトラちゃんさんが守っている"箱庭"だというのに……。

 一抹の釈然としなさと、「あ、いや。トラちゃんさんじゃ仕方ないな……」という納得感がせめぎあう。

 当然、勝ったのは納得感だ。そっちが勝つのかよ。

 その推測に対する答えはカンバリ様のものとも違う、しわがれた老人の声でもたらされた。

 

「……聖獣"ヘケト"か。大方"アクアンズ"と女神の気配に当てられて受肉したのであろうな」

 振り返れば、紳士服を着こなした黒い鳩が立っている。"ギガンティック"の青年と契約を果たした"ハルパス"だ。

 煌々と輝く赤い目に気圧されながらも、小生はぺこりと会釈した。

 

「外から侵入したということですか?」

「いや、内部で生まれたアクマだろう。こうした力に満ちた空間に、同じ属性や同じ"スタンス"のアクマが湧いて生まれるというのは、さほど珍しいことではない」

 つまり、先ほどの小生が行った推測は完全に濡れ衣ということであった。

 トラちゃんさんに「申し訳ない」と内心頭を下げる。

 

「えっと、"ハルパス"さんでしたよね。その節はどうもありがとうございます。って、何故ここに……?」

「契約相手の付き添いだ。狩ってきた魔獣をお前に差し入れるつもりらしい。『謎肉を量産する』などと抜かしておったが、あれは生のまま喰らった方が旨いというのに」

 "ハルパス"に促されて入り口の方へ目をやると、清々しい笑顔を浮かべる"ギガンティック"の青年と、うず高く積み上げられた黒豚の死骸が視界に入ってくる。

 どうやら、謎肉のお味が大層お気に召したようだ。

 更にトウモロコシ畑の陰に、何者かの気配を感じ取る。

 

 誰何の声をあげるまでもなかった。

 隠れ潜んだ何者かが、「にゃ、にゃーん」と下手な猫の鳴きまねをしていたからだ。

 要するに、トラちゃんさんであった。

 苦笑いして、彼女のもとへと急ぎ向かう。

 何故か、彼女は小生と目を合わせず、ばつの悪そうな表情を浮かべていた。

 

「来てくださったのなら、声をかけてくださっても良かったんですが」

「……怒ってない?」

「へ、何をです?」

 小生が首を傾げると、彼女は口にするのも恐ろしいと言った様子で、たどたどしく言葉を紡いだ。

 

「アタシ……、ヤマダを守るって言ったのに。守れなかったじゃない」

「いや、あれは小生が勝手な行動をしたからではないですか?」

「でも契約は契約なの! 契約を破ったら、アンタから契約を破られても何も言えないの!」

「はあ……」

 妙に律儀なことに拘るのだなあと呆れもしたが、以前にカンバリ様とした約束についても彼女は守らなければならないと主張していたことを思い出す。

 彼女にとって――、いやアクマにとって契約とは人が思う以上に大事なものなのだろう。条件付きの"絆"と言い換えても良いのかも知れない。

 

 そういうことならば、と改めて気を引き締める。

 やはり、彼女らと自分たちでは根っこの部分で価値観が大きく異なっているのかもしれない。

 例えば、彼女が契約に拘泥する在り様は、"余程のこと"がない限り、彼女らが小生らを見捨てないことを意味していた。

 と同時に、もし"余程のこと"があった場合は容易に小生らを見捨てるかもしれぬということも留意する必要があるだろう。

 契約を、約束を重視するというのはつまりそういうことなのだ。

 何処までがOKで、何処からがNGか……。

 まだ小生らと彼女らは、異種間交流の瀬踏みを十分に終えていなかった。

 故に極力言葉を選びつつ、彼女との"絆"が壊れていないことを再確認しなければならない。

 小生は意識して暢気な声を出し、問題はないのだと素知らぬ風を装った。

 

「これくらいでトラちゃんさんとの契約はおじゃんになりませんよ。だって、小生死んでませんし」

「……本当に?」

「そりゃあ、嘘は言いません」

「本当?」

「本当です」

 いつぞやにもやったやり取りを繰り返し、ようやくトラちゃんさんの表情に笑顔が戻る。

 

「なら、問題ないわね! 死んでないものっ!」

 切り替え早ぇーなあと笑いつつも、一日ぶりの雑談を楽しむ。

 どうやら、先日トラちゃんさんが小生の前に姿を現さなかったのは、約束を破って申し訳が立たなくなっていたからであるらしい。

 

「じゃあ、何で今日は来てくれたんです?」

「そりゃ、"ハルパス"が何かしでかさないか心配だったからよ。こいつ、勝手に通るんだもの。怪我人の前じゃなきゃ、ぶちかましていたわ」

 この発言には、静観していた当の"ハルパス"が抗議の声をあげる。

 

「……おい、カワヤの女神。随分な言いがかりだな。貴様の危惧するとおりの役割を演じてもよいのだぞ? もっとも、打ち倒されるのは貴様だがね」

「ふん! 今のアタシはトイレだけじゃなくてハーベストな女神でもあるんだから、そっちの呼び名で言いなさいよ。このクソカラスっ! 泣きわめくまでパンチしてやってもいいのよ!」

 むきいとにらみ合うそのやりとりを見る限り、うちの女神とこの堕天使はあまり仲が宜しくないようだ。

 ゼレーニン中尉と"ギガンティック"の青年のような、性格の違いからくる不仲だろうか?

 あまり諍いが続くようでは、今後のしこりにも繋がるため、例の如く小生が中へと割って入る。

 

「あー、"ハルパス"さん。黒豚のお裾分けですが、あんな沢山はすぐに加工できませんから、1頭か2頭、貴方がもらっていきませんか?」

「む……。話が分かるな、ニンゲン。殺すのは最後にしてやろう」

 いや、殺されるのは困るのだがと顔をひきつらせつつ、バサバサとその場を飛び去っていく"ハルパス"を見送る。

 彼はそのまま"ギガンティック"の青年と黒豚の分配について口論をした後、1頭を足で掴んで部屋の隅へと持っていった。

 そして始まる大自然の営みからは目を背けつつ、トラちゃんさんへと声をかける。

 

「"ハルパス"さんと仲が良くないんです?」

「……別に悪いって程でもないわよ。これは単純な"スタンス"の不一致」

「"スタンス"ですかあ」

 彼女曰く、人間もアクマも各々の魂には皆霊性……、つまり"スタンス"というものがあるのだという。

 

「"スタンス"を大ざっぱに分類すると、秩序を尊きとする魂、混沌を何よりも好む魂、そしてどちらにも寄らず、また両端へと移ろいやすい魂に分かれるのよ。これに光のものやら、魔のものやらって分け方も組み合わさって、一つの霊性を表せるんだけどね」

「小生の魂も分類できるんです?」

「限りなく"中庸に近い秩序"の色をしているわね。一般人よりはかなり秩序に寄っているけど、まあ気にすることじゃないわ。大自然じゃ、秩序も混沌も入り交じっているのが常だもの」

 気にすることではないと言われ、正直ほっとさせられる。これは性分の問題なのだが、母集団から逸脱していることを自覚してしまうと、腹が痛くなってしまうのだ。

 

「とにかく、"ハルパス"の奴もアタシもお互い憎みあってるわけじゃないの。アタシが"秩序"を司っていて、あいつが"混沌"の体現者ってだけ。アタシはぶっちゃけ、あいつみたいなのをジャングルにいるジャガーとかそういったのと同じに考えている。仲良くはできないけど、まあ"隣人"って感じ?」

 彼女の説明を聞き、小生は昨夜の出来事を思い出した。

 動力班の青年が至った許容の境地とは、恐らく彼女が"混沌"の体現者に抱く感情と似ているのだろう。

 

「はあ、要するに"スタンス"が仲良くなれるかを定めているのですか」

「んんー、そうでもないわ。"スタンス"はあくまでも第一印象。"秩序"と"混沌"が共生関係をとっていたり、友情を育むことだって、夫婦になってしまうことだってなくはないわよ」

「じゃあ、あまり気にすることでもないんですね」

「極端でない限りはね」

 ん? と小生が首を傾げると、彼女はため息をつきながら更に続けた。

 

「例えば、"ハルパス"と一神教の軍勢は絶対に相入れることがないのよ。お互いがお互いの存在を否定しているからね。一神教の連中からすれば、"ハルパス"みたいな堕天使って害虫も同然だから」

「一神教、ですかあ」

「そ、"天使"とか信者(メシアン)とかその類ね」

 天使というのはいまいちピンとこなかったが、信者の方は大体の察しがつく。

 というか、まさに小生を批判していた動力班の青年や機動班の一人そのものであった。一人は寛容の兆しを見せてくれたが、もう一人は未だ心を閉ざしている。

 彼らのことを思い出したのか、トラちゃんさんはぶすっとした顔で嫌そうに言った。

 

「アタシ、人の子から否定されるようなこと言われたくない。胸がきゅーってなるんだもの」

「あー……、先日揉めてしまった時も少し辛そうでしたもんね」

 そう! とトラちゃんさんは大きく頷き、その場でくるりと回りながら諸手を広げる。

 

「アタシは女神なんだから、皆にすごいって敬われたいのよ!」

 ……邪気もなくこういった言葉を口にできるところが、彼女のすごいところだ。

 素朴さに望みを明け透けにしていたからこそ、あの動力班の青年も警戒レベルを下げてくれたのだと素直に思う。

 小生はフォローするように相槌を打った。

 

「少なくとも、この隊にいる大多数はトラちゃんさんを敬っていると思いますが……」

「そうね! アタシの野望は今のところ順調よ。後は"箱庭"をもっと安定させていきましょう。もっと広げて。人の子も動物も植物も増やして……。それから……」

 そうして彼女が指折り願望を挙げ終えた後、小生らは半ば日課と課した"箱庭"へのエネルギー補給を行うことにした。

 

 

「こんないっぱいのエネルギーどうしたの!? もしかして、アンタってアタシの知らない魔法が使えたりするのっ?」

「いや、善意のお布施があったんですよ。多分、寄付してくれた人が誰か知ったら、トラちゃんさんも驚くと思います」

「こんなにいっぱいエネルギーがあったら、今回は"箱庭"の拡張ができるかもしれないわ!」

 "箱庭"の中央。トウモロコシ畑に囲まれた中にあって、うずたかく積み上げられた大容量バッテリーの山を前にしてトラちゃんさんが小躍りする。

 

 その様子を見て、「何のイベントだ?」と休憩時間を"箱庭"で過ごすことに決めたらしい"ギガンティック"の青年も入り口から中央まで寄ってきた。

「何だ、ありゃあ? あの女神、すげーテンションだな。てか、早く謎肉作ってくれ」

 そういえばと、観測班と資材班に謎肉の作成依頼を飛ばし、青年に向き直る。

 

「この"箱庭"を拡張するんだそうです」

「拡張って?」

 青年は、どっかりと床に座り込んではジップロックに入った謎肉を口に放り込みつつこちらに尋ねてくる。

 完全に見物客のスタイルであった。

 

「この空間、外敵から身を守るためにトラちゃんさんが作ったんですけど、エネルギーさえあればもっと広くできるらしいんですよ」

『それは――、このシュバルツバースという異空間現象を解析するのに、非常に示唆的な情報に思えるが。解析は進んでいるのか? "エルブス"クルー』

「え、ああ。"ダグラス"さんか。いえ、その辺りは解析班が色々と分析しているとは思いますが……」

 突如としたサポートAIの横やりに、ついつい小生は戸惑ってしまう。やはり、姿が見えないのにいきなり声をかけられるというのは慣れないのだ。

 "ダグラス"はこちらの戸惑いなどお構いなしに、機械音声をまくしたてる。

 

『簡潔にプランを構築しよう。自らを女神と名乗る、あの知的生命体が異空間を創出するのにエネルギーが必要だというなら、このシュバルツバースにだってエネルギーの元になる物質、またはポイントがあったはずだ。それを強力な物理攻撃で破壊することができれば……。これは外へ通信ができる状況になれば、真っ先に伝えなければならない情報だろうな』

「ふざけんな、"ダグラス"。それで、ICBMでも南極にぶちこまれるようなことになったら、真っ先にお前をアプリから消去してやるからな」

『許容しろ、相棒。人類社会の未来のためだ』

 どうにも、このサポートAIは"ギガンティック"号の司令部から切り離されたことで、大幅に情報処理能力が低下してしまったらしい。

 思考の悉くが短期決戦と直接戦闘に結びついており、最早調査隊の頭脳を務めることはできそうになかった。

 では各戦闘員のサポートを務めさせればいいのかというと、これもまた難しい。

 彼は"命"というものを計数的に考える傾向にあり、どうにもデモニカの持ち主や自己の犠牲をも前提に入れた特攻プランを提示しがちなのだ。

 率直に言って、彼はポンコツAIであった。

 

 ……と青年と"ダグラス"が特攻漫才を続けているところに、トラちゃんさんの明るい声が聞こえてくる。

 

「しっかりと見てなさいよ、女神たるこのアタシの力をっ!」

 "箱庭"から光という光が消え去り、小生らと多様な荷物、それに無数にあるトウモロコシの植木が足場を失い漆黒の宇宙へと投げ出された。

 宇宙の中心にはトラちゃんさんが浮かんでいる。彼女の胸元には"箱庭"に満ちていたエネルギーや、バッテリーから取り出されたエネルギーが渦巻くように結集しており、再び眩い球体を形作ろうとしている。そして、以前よりもずっと大きい。

 

「お、おおおっ!?」

「――"アーシーズ"、お願い!」

 仰天する小生らの足元に、まず茶褐色の大地が広がった。

 その広さはちょっとした屋敷が一軒すっぽりと入ってしまうほどだ。

 更にトラちゃんさんは精霊に呼びかける。

 

「"アクアンズ"、お願い!」

 大地の一角に楕円形の透き通った池が湧き出でてきた。

 波打つ水面から、カエル顔の"悪魔"が顔を出しては喜んでいる。

 そして球体が再び弾け、"箱庭"の世界は青空と光で満ち溢れた。

 

「こいつは……、ドヤるだけのことはあるな」

 全てが創生しおえた中にあって、"ギガンティック"の青年が半ば放心しながら呟いた。

 小生もまた驚いているのは同じであったが、

 

「えっと」

 それ以上の懸念に辺りを見回す。

 部屋一つ分から、屋敷一軒分の空間拡張――。恐らく、相応に空も高くなっているのだろう。

 こんなに容積を一気に増やして、果たしてエネルギーの消費は大丈夫なのであろうか……?

 小生が眉根を寄せてそう問うと、トラちゃんさんは上機嫌そのものでこれに答える。

 

「平気よ! このままじゃ10分と持たないけど、"エアロス"と"フレイミーズ"を呼び出して、四大元素が循環するようにすれば長持ちすると思うわ!」

「ああ、成る程。他に"アーシーズ"みたいな精霊を呼び出すんですね……、って」

 どうやって? と眉間にしわを寄せる。

 

「どうやってって……、"悪魔召喚プログラム"で呼び出すに決まってるじゃない。他に方法なんてあるの?」

 何を当たり前なことを言いたそうな顔をしているトラちゃんさんに対して、小生は顔を引きつらせながら問題を指摘する。

 

「ええと、ですね。小生……、もう手持ちの"マッカ"ありません」

「へ、何で!? どうして!? まだもうちょっとあったと思うんだけど」

「"アケロンの川"で投資の名目でカロンさんに渡しちゃいまして……」

 小生の返しに、一瞬硬直するトラちゃんさん。

 そして再起動した直後、小生は猛烈な勢いで涙目のトラちゃんさんに胸倉をがっくんがっくん揺さぶられた。

 

「ど、どどどどどうすんのよ! 奮発して空間を広くしちゃったから、あっという間にエネルギー不足で空間が萎んでいっちゃうわ。折角のエネルギーが台無しになっちゃう!」

「お、おおおおお落ち着いて!」

 頭を揺らされながら、小生はボケッと謎肉をつまんでいる"ギガンティック"の青年を見た。

 

「……どした?」

「あ、あああの! 申し訳ないのですが、"マッカ"を貸してもらえないかと!」

 青年は解せないと言った様子で明後日を見上げ、"マッカ"の単語を呟く。

 ああ、そうか。彼は"マッカ"の存在を知らないのか!

 うわあああと頭を抱える小生とは対照的に、彼は離れた場所で相変わらず黒豚を啄ばんでいる堕天使にのんびり呼びかけた。

 

「"ハルパス"、お前何か知ってるか?」

「……知っているも何も、我は地獄の伯爵ぞ。地獄の通貨を知らぬはずがなかろうが」

 その言葉に、小生は堕天使のもとまでダッシュで駆け寄り、「お金を貸してください」と土下座した。

 

「いや、まあ良いが……」

 結果として、小生はこの堕天使から"1時間で利子1割"という高金利で借財する羽目に陥った。

 

 

「何か適当にパスワード入れて召喚! 精霊違う! 何か適当にパスワード入れて召喚! 精霊違う! あ、あの"ハルパス"さん、"マッカ"を……」

 

 

「……上限額はちゃんと決めて回せよ? 見ていて愉快だから我としては構わんが。後、我の宮殿を建てても良いなら、利子は無しにしてやらんでもない」

「待ちなさい! 何でアタシの"箱庭"にアンタの宮殿建てなきゃいけないの――」

「それで手を打ちましょう!」

 最終的に50回も続けられた召喚の内訳は、妖鳥"タンガタ・マヌ"というエキサイト翻訳のような言語で会話する不気味な鳥人間が35体。地霊"スダマ"とかいう丸いナマモノが13体だった。

 ここまで確率が偏ると、何らかの悪意さえ感じてしまう。

 ちなみに「もしかしたら合体させればワンチャンあるのでは……?」と思い、一度だけ試しに"タンガタ・マヌ"と"スダマ"を合体させてみたが、出来上がったのはしゃれこうべの顔を持つ、不気味な凶鳥であったため、

「それ、大自然で生きるんだよ」

 と見ない振りをして空に放鳥してしまっている。

 

 無事に"エアロス"と"フレイミーズ"を引き当てられていなければ、今頃ハンドヘルドコンピュータを地面に叩きつけていたに違いあるまい。

 

 

 そして、後方で頭の悪いことをやっている小生らをしり目に、事態は刻一刻と進展していく。

 ついに囚われた艦長らと連絡を取り、潜入作戦が開始されたのだ。

 艦長は救出に向かおうとするこちらのリーダーらに感謝をしつつも、以前とは別人のように落ち着いた様子でこう通信を返してきたという。

「私たちも私たちで脱出をはかってみます。"天使様"が我々の罪を許し、手を貸してくださる以上、怖いものなどありません」と――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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