シュバルツバースでシヴィライゼーション 作:ヘルシェイク三郎
『……聞こえますか、生き残ったクルーの皆さん。こちらは"エルブス"号の艦長です。どうか、返事をしてください』
ラジオの如くマットに置かれた"バケツ頭"が不意に拾い取った広域の通信音声に、小生は我が耳を疑った。
脳内で音声が木霊する。それは迷いを欠片も感じさせぬ涼やかで綺麗な響きを感じさせたが、紛うことなく小生に対して日頃キンキンとした罵りを浴びせかけていた艦長の声そのものだった。
――だが、何故だろう?
今、艦長は宮殿内でリーダーらの助けを待つ身のはずだ。潜入を開始したリーダーからの状況連絡はなく、恐らく両者は未だ合流していないだろうと容易に推測がつく。
しかし、そうであるならばどうして宮殿の"悪魔"側についた隊員に傍受されるリスクを犯してまで、このタイミングで広域通信を発しているのだろうか?
敵の懐を進むリーダーたちから目を逸らすため……、いや囮作戦は有効だと思うが、救出対象がそれをやるというのは逆効果のように思える。
もしかすると先の状況連絡にあった"天使"なる存在と何か関係があるのかもしれないが、現状では何とも判断が付かない。
『聞こえますか? あなたたちの声を聞かせてください。お願いします』
艦長の声に、じゅうじゅうと肉の揚がる音がかぶせられる。
"箱庭"の一角。仮設キッチンに置かれた揚げ物鍋からしている音だ。料理人は小生である。
灰色の謎肉がきつね色へと変わる様を見ていたところにこの通信が来たものだから、ちょっと……、いやとても気まずい顔になってしまった。
あ、頃合いだ。でも艦長からの通信が……、いや、タイミングが。だがしかし。とフライドと化した謎肉を回収する手が止まらない。
「え、艦長っ?」
通信環境の整備任務から無事帰還し、キッチンの近くに敷かれた金属マットに腰をかけていたゼレーニン中尉も、不意の通信に目を白黒させているようだ。
彼女も口元を隠して行儀よくフライド謎肉を賞味している最中であったため、艦長の通信に対応することができない。同席していたドクターやその助手、資材班や、インフラ班、観測班といったその他の後方人員もまた同様である。皆、口にフライド謎肉を入れていたことが、対応の遅れにつながっていた。
「はふ。何よ、ここにいない仲間から声でも届いたの?」
小さな入れ墨の刻まれた口元を油まみれにしながら、トラちゃんさんが小生らの反応を見て不思議そうにしている。
「いやあ……、囚われているはずのうちの艦長から通信がきまして。それでどう反応したものかと……」
「ん。そんなの。すぐに反応してあげればいいじゃない。仲間外れにしたら可哀想でしょ」
軽い口調で言って、彼女は謎肉の油がついた指先をぺろりと舐め取った。正直あまりお行儀の良い仕草とは言えなかったが、彼女がやると気品さえ感じさせる。美人というのは、やはり得だ。
小生は困り顔で答えた。
「揚げ物の音させながらは、流石にマナーが……。他の方々は――?」
と見回してもすぐに反応できる者はいなかった。
この微妙な空気は前職で覚えがある。
早朝から始めていた仕事がようやく一心地ついて、さあ昼の小休憩で弁当を食べようとしている中、急な来客があった時のあの空気だ。
お前が出ろよ。いや、お前が。という、歓迎したいのに歓迎できないあの気まずさのことである。
「いいじゃない。別に自分勝手で料理してるわけじゃないんだし。皆のためなんでしょ?」
トラちゃんさんがしれっと言う。恐らく他意はないのだろう。以前にも自白していたが、彼女は現代文明に少々疎いところがある。
「いや、そうなんですけどね。相手があまり冗談の通じる人ではなくて……」
そもそもの話、機動班が宮殿に潜入している真っ直中というこの大事な時期になって、何故小生らがフライド謎肉の量産などという空気の読めない作業に勤しんでいたのかというと、これから帰ってくるであろう囚われの同僚たちを労う慰労会を開くためであった。
ただ……、今更ながらよくよく考えてみると艦長はこういう独断行動を嫌いそうな気がする。いや、嫌うに違いない。むしろ宣戦布告に等しい所行だ。
『何故、窮地に陥っている同僚がいる中で、そのような脳天気なことができるのですか! これだから"外様"の人間は……』と説教1時間コースが脳内で精密に再現され、小生の胃腸が恐怖に震え始めた。
そして、強く非難する。安易な発想で、男料理を始めた小生自身の浅慮を。何故、粛々と戦地に赴いた同僚を待ち続けなかったのかと。
じゅうじゅうと油の弾ける音を手元で奏でながら、小生の思考は半日前へと遡った。
◇
"箱庭"の拡張を無事に見届けた小生は、ふと涌いてきた徒然を慰めるためにトウモロコシ畑(予定)の手入れにとりかかることにした。
いや、艦長から返ってきた謎のメッセージなど、潜入を開始した前線において事態が急転直下の様相を呈していたことは既にリーダーからの通信で聞き知っており、一応小生もミッションを手伝おうとは申し出たのだが、当のリーダーからきっぱりと断られてしまったのだ。
『……君の働きはもう十分過ぎるものだと思う。今はとにかく身体を休めてくれ』と。
人命がかかっている以上、戦力の出し惜しみはすべきでないと食らいつきもしたが、それでもリーダーの判断は覆らなかった。
『では、言い方を変えよう。君には拠点の防衛に専念してもらいたいのだ。先の秘匿通信を経て、状況が少々読めなくなった。万が一を考えて、遊軍を作っておきたいというのが正直なところなんだ。我々の女神からの情報提供により、"天使"という存在が直ちに人間に対して敵対行動をとるような存在ではないことは理解した。だが……、情報が足りない。艦長の語る"天使"が果たして本物なのかすらも判別できない現状で、全戦力を救出ミッションに注ぐリスクは犯したくない。分かってくれ』
まさかそこまで状況を厳しく見ていたのかと小生は目を丸くしたが、こう言われては引っ込むより他にない。
『――正直ブリーフィングを通さず我を通すようで申し訳ないと思う。君は軍人ではないのだから、本当はあまり上意下達を強いたくはないんだ。だが、もうすぐ終わる。状況はきっと上向きになる。艦長たちを救出して、ゴア隊長らとも合流して……、ここが踏ん張りどころなんだ。状況連絡終わり。今しばらく待っていてくれ』
小生は大人しく後方待機を甘んじて受け入れることにした。ただし、大人しく身体を休めるだけでいるつもりは毛頭なかったが。
大体にして、小生の心臓は蚤よりも小さいのである。
今までに学んだ人生訓に寄れば、『もう休んで良いよ』はほぼ間違いなく……、罠。
馬鹿正直に身体を休めて、後で『空気の読めない奴』というレッテルを貼られるのは嫌なのである。
そこで小生は拠点内を回り、自分にできる仕事はないかと探し歩いた。が、すぐにできそうな仕事が中々見あたらない。
例えばインフラ班に仕事はないかと尋ねたときには、
『は、仕事? あー、備蓄資材の整理も使えそうな異界物質《フォルマ》の加工もここ数日でやっちまったしなあ。今タスクボードに山みてぇに貼られてるミッションって大概が外に出なきゃいけない奴だろ。母艦の資材漁りみたいな機動班の随伴が必要な類の。拠点内でできる仕事は今のところないと思うぜ。資材班を当たってみたらどうよ?』
確かにそうですよねえ、としか返しようがなかった。
だが、資材班の反応もまた渋いもので、
『んー。今やってることって機動班や観測班が持ち帰った異界の物質を何かに応用できないか研究している段階なんですわ。インフラ班に頼めることは当面ないと思う』
要するに同僚の優秀さが小生の仕事を奪ってしまっていたわけである。
しようがないにゃあと、拠点の外でできる後方業務を探し歩く。すると、リーダーから再び緊急で秘匿通信が入った。
『君の識別信号が拠点の外へと出ようとしているようだが、これは見間違いか? ……気が逸ってしまうのは理解できる。だが、大人しく休んでいてくれ』
まさかのお叱りに小生は背筋を正して、拠点内へと回れ右した。
ひたすらに謝り、後悔する。
どうやら、疲労の気配が隠せていないリーダーの声から察するに、この場における"空気"とは"大人しく休んでおく"ことこそが正解だったようだ。
休むことが仕事だったとは、"空気"というものは本当に難しい……。
そしてウンウンと悩んだ結果、とりあえず据え置きになっていたトラちゃんさんとの約束を果たしてしまおうと思い至ったわけである。
「え、畑作るの? 本当に?」
"箱庭"でトウモロコシの穂をつついて遊んでいたトラちゃんさんは、小生の申し出を聞いて意外そうに目をぱちくりとさせた。
「はい、身体を休めておけと言われたのですが、ただ安静にしていると身体が根を張ってしまいそうでして……。種を収穫して、土を耕せばいいんです?」
頬を掻きながらそう続けると、彼女は飛び上がって喜びを全身で表現する。
「ありがとう、その気持ちが嬉しいわ! じゃあ、土いじりは良いから鉢植えの穂を食べる分だけ……、12、3本程度収穫しちゃいましょうっ」
「え、食べる分だけ収穫ですか。全部じゃなくて良いんです?」
ドクターから聞いた話だと、庭土に種を直播きするとのことであったが、何か考えがあるのだろうか?
小生がきょとんとしていると、彼女はちっちっちと指を立て、したり顔で答えた。
「アンタ農業未経験者? 分かってないわね! 種にするならまだ収穫しちゃ駄目なのよ。食べる分には頃合いだけれどね。アンタたち人の子は、普段トウモロコシの未成熟な種を食べてるの」
知らなかったそんなの……、という顔になる。トラちゃんさんのドヤ顔は一層に深まった。
「それに土いじりも必要ないわ! だって、"アーシーズ"に直接蒔くつもりだもの。"アーシーズ"なら自身の形状を好きに変えられるんだから、いちいち
ほへえ、考えられてるんだなあという顔になった。トラちゃんさんのドヤ顔はより一層に深まっていく。
「もう半日もすれば、直播き用の種も収穫できそうだけどね。今はとにかく、食用の収穫よ!」
彼女の有頂天具合たるや、"ざじずぜぞ"が"ずざじぜぞ"になるほどであり……、要するに頭が高くなっているということなのだが、小生はただただ敬服するより他なかった。
専門知識というものは宝なのである。
「え? でも、この"アーシーズ"という土型の精霊……。土の質は
だが、トラちゃんさんの独壇場に横から割り込んできたものがあった。
観測班の青年である。彼の後ろ、"箱庭"の入り口付近にはぞろぞろと後方の隊員たちが群れを成していた。
「おー、ようやく収穫か。待ちくたびれてたんだ。俺も手伝うぜ」
「僕も手伝いますよ。いや、決してお裾分けが楽しみなわけではなくてですね」
なるほど彼らはおこぼれを狙うハイエナのようだ。
苦笑いする小生の傍らで、トラちゃんさんがきょとんと固まってしまっていた。
「……れ、れす?」
見るからに彼女の頭上で疑問符が踊り狂っている。
観測班の青年は腕を組み、したり顔で指を立てては早口で解説を始めた。
「イエス! 多孔質でミネラルが豊富なシルトですよ。特に外界とは違ってマグネタイトが豊富に含まれていまして……。あっ、失礼を承知で、"アーシーズ"にお願いをして隅々まで分析させていただきました」
その付け足しに、庭土がもぞもぞと蠢いた。小生らの見ていないところでそんなことが行われていただなんて……。というよりも、やはり黒豚の件と言い、観測班の彼は研究調査に関する分野において、前が見えなくなってしまう手合いのようだ。
解説も地味に解説になっていない。現にトラちゃんさんは口をぽっかりと開けてしまっている。
「そ、そうなの? いえ。アタシは女神なんだから知ってるわよ、れす。れすよね。うん」
「そうですか! いえ、そうですよね! 何故、"アーシーズ"が黄土でできているのかはとても興味深い問題でして。精霊という存在は地殻変動と何か深い関係があるのですか? だとすれば、テラローシャやテラロッサでない理由も気になりまして。もしかして地域的なバリエーションがあるのかと……」
「て、寺? ジャパニーズの神殿が何故ここで出てくるの? ねえ、ヤマダ! ジャパニーズでしょ、解説して!」
ついには悲鳴をあげ始めたため、小生が解説の解説役として間に立つ羽目になった。
といっても科学的にどうのこうのという話は門外漢の小生にはできない。よって結論から先に述べれば、
「え、え? 普通はこういう土ってトウモロコシの生育に合ってないの!?」
と返される。
小生は頷き、更に続けた。
「黄土は建材としては大変優秀なんですけどね。掘ろうが固めようが、それだけで家が建てられますし。黄土で育つ作物って、小生が某国で見たときにはあんまりなかった気がします」
「ソルガムが適していますよ。ヤマダ隊員」
「あー、ソルガムかあ……」
観測班の助言に頭を抱える。
ソルガムとはキビやコウリャンという別名を持つ穀物の一種であった。一応世界4大穀物の一つに数えられることもあるが、いかんせん他の3つと比べるとマイナー感が否めない。
「トラちゃんさん、ソルガムの種とかお持ちです?」
そっとトラちゃんさんに耳打ちすると、彼女は見ていて可哀想なくらいに狼狽えてしまった。
「……も、持ってないわよ。アタシの知ってる作物に無いもの。というか、意味わかんない。土って命さえ循環すれば、何でも良いんじゃないの?」
「小生も門外漢なのでそこは分からないのですが……。トラちゃんさんのお力で土の質を変えたりはできないのですか?」
「アタシにできるのは死んだ生き物の浄化と、これから生まれる生命への祝福だけよ……。種を蒔いて、代を重ねればその内実りが増えていくの。それがアタシの常識だったんだから!」
彼女の答えに何故か観測班の青年が感動した。
「それはプリミティブな品種改良の概念ですね。太古の昔から、地球の生命は環境への適応努力を重ねてきたんだ。素晴らしい……。素晴らしい……」
咽ぶ青年は放っておき、念のためにと"アーシーズ"にも土の質を変えられないかと尋ねてはみたものの、『無いものは生み出せません』という答えが返ってきた。それはまあ、そうか。
要するに水はけの良さなどは調整できるが、土の成分まで変えることはできないと言うことだろう。
頭を捻り、更に捻って、挙げ句の果てには隣に投げる。
「観測班さん。どうすればトウモロコシの育成に向いた土壌に変えられますでしょうか?」
「簡単ですよ。肥料と石灰を混ぜて土壌成分とpH値を整えてあげればいいだけです。肥料は秘神様の紫土を使えばいいでしょう。あれは生命に必要な栄養分の塊で、要研究対象です。味も甘くて驚きましたよ。石灰は電力さえあれば化学合成が可能ですね」
キラキラと目を輝かせて彼は言う。
というか、口にしたの? カワヤの神様が持ってきたあれを? 科学者という輩は皆こういうメンタリティを持っているものなのだろうか……。
顔を引きつらせながら、更に問う。
「カ、カンバリ様の土はまだたっぷりストックがあったと思いますし、石灰も建材にありましたね。
「pH値を下げれば良いだけですから、毒性さえなければなんでも良いと思いますよ」
「あー、ただ。混ぜるってことは耕すってことですよねえ。いや、"アーシーズ"にお願いしてみればいいのかな?」
再び、うごうごと蠢いている"アーシーズ"に尋ねてみると、『自分から交わるなんて、品のないことはできません』とのことであった。ちょっと何を言ってるのか分からない。
ただ、自分からは無理ということは、誰かが耕してやれば済む問題ではあるのだろう。手間暇から逃げることはできなかったが、今後の青写真は描けている。
後は誰が骨を折れば良いのかという問題だけだ。
「じゃあ、収穫班と耕作班に分かれましょうか」
小生は同僚たちを順繰りに見ていった。同僚たちは小生からぷいっと目をそらした。こいつら……。
どうやら、彼ら彼女らの腹はすっかりトウモロコシを味わうモードに入ってしまっているようであった。先日に小生も同じことをしでかしていたから強く出られないが、成る程これは呆れてしまう。
どうしたものかと頭を掻いていると、小生の肩を叩く者があった。誰かと後ろを振り返り、そして「うおっ」と飛び退る。
ぬぼっとした眼につるっとした表皮、曲がった嘴に丸い頭。小生が35体召喚して34体が残された鳥人間、"タンガタ・マヌ"がそこにいた。
「貴方の仕事を手伝う私」
「え、手伝ってくださるのですか?」
小生の言葉に"箱庭"をぞろぞろしていた"タンガタ・マヌ"たちが一斉に頷く。
風貌も相まってちょっとした迫力がある。気圧されながらも、小生は予期せぬ援軍を歓迎した。
「そ、そうですか。それでは小生と一緒に畑を耕しましょう」
諸手を広げてこちらがそう言うと、彼らは首を横に振ってさらに答える。
「空腹は満たす。貴方は収穫します。そして、私たちの仕事が始まる」
「え、耕作はあくまでも貴方たちがやる……、ということですか?」
再び一斉に彼らは頷く。
どうしたものかと戸惑っていると、トラちゃんさんから助け船がやってきた。
「今は受け入れてあげなさいよ。"タンガタ・マヌ"って、そんななりでも古い神の一柱なのよ。飢餓に喘ぐ人の子を助けることが仕事みたいな善い奴らだから、腹が満たされた後にお返ししてあげればいいの」
「そ、そういうものですか。なら……、ありがとうございます。"タンガタ・マヌ"さん、このお礼は必ずしますね」
「それに沿って、遠慮なく」
言うが早いか、"タンガタ・マヌ"さんらはカンバリ様が歓楽街カワヤ行脚を終える度に増やしていった紫土の詰まった袋をがばりと抱え、"アーシーズ"の大地を素手で耕し始めた。
筋肉質の裸体でパワフルに穴を掘り、紫土を突っ込み、強引にかき混ぜては、それをひたすら繰り返す。
資材班から生石灰を受け取ってからは、紫土、石灰、かき混ぜのローテーションだ。
地べたが白に紫に黄色と面白いくらいに色を変えていき、"アーシーズ"の悲鳴とも歓声ともつかぬ甲高い声が上がった。
『お、おのれ! そのようなものと混ぜるなどというおぞましい所業に私は決して屈しは……』
"アーシーズ"の抗議も聞く耳持たず、"タンガタ・マヌ"さんらは無表情で地面をかき混ぜる。
ある意味ホラーだ。これで死体でも掘り出されればビンゴなのだが、出来上がるのは立派な耕地だけ。これはアグリカルチャーですね。
しばらくは彼らの勤勉な仕事ぶりをぽかんと口を開けてみていた小生であったが、
「あ、収穫しなきゃ」
と同じ顔をしていた同僚たちを呼び、トウモロコシをもぎ始める。
「ハタケ仕事ー? ハタケー。タケー。ビヨーン」
背の高くなったトウモロコシの穂に手をかけると、どこに隠れていたのか、召喚したまま放置していた"スダマ"たちも顔を出す。こちらは仕事を手伝うというよりはただ邪魔をしに出てきただけのようだ。トウモロコシの茎に掴まり、びよんびよんとターザンみたいに揺らしている。何それ小生もやってみたい。
「"スダマ"は自然に宿る霊だから、放置してて大丈夫よ。遊び疲れたらまた隠れるしね」
「そんなもんですかあ」
とはいえ、びよんびよんと目の前でうるさかったため、指で弾いて隣のトウモロコシへと飛ばしておく。
「カミカゼー、カゼー」
えらい物騒な言葉が出てきたが、鎌倉時代の方であってほしいな……。というか、楽しそうでほんと羨ましい。
「こりゃあ、ずっしりと重いな! 流石女神様の加護を受けたトウモロコシだ!」
「食いでがありそうですねえ」
同僚たちから嬉しい悲鳴が上がる中、小生も穂の一つをもぎ取る。確かにトラちゃんさんが「手始めに作った」割には出来がいいように思える。もしかするとカンバリ様の土のせいだろうか? 観測班によれば「栄養の塊」だそうだから、その可能性も否めない。
トウモロコシを両手に抱えたところで、ふと資材を直置きしている区画の陰に小さな気配を感じた。
首を傾げ、陰を凝視する。赤い吊りスカートがちらりと見えて、小生の疑問は即座に氷解した。
小声でそっと呼びかけてみる。
「……はーなーこさん?」
「いーませんよ」
何あれかわいい。
同僚たちから「どうした?」と問われたが、何でもないと返しておく。彼女との約束は未だ継続しているはずだった。彼女が同僚たちと面合わせできるようになるまでにはもう幾ばくかの時間が必要だろう。
そうして人数分のトウモロコシが収穫され、シートの上に並べられる。
「収穫って良いわよね。皆、生き生きするんだもの!」
とトラちゃんさんもご満悦だ。
ただ、これらをどう食べるかは問題であった。
「ドクターとの話では、ポップコーンとかどうだろうって話してましたよね」
「はい、良いですよねえ。ポップコーン……」
ドクターが喜色を満面に表した。現代社会から途絶した小生らにとって、日常を感じさせる食べ物は何よりものご馳走ということなのだろう。
だが、ここで観測班の青年が空気を読まずに水を差した。
「へ? ポップコーンはポップ種でないとできませんよ。見たところ、収穫したこれらはテオシントの原種に近くても歴としたトウモロコシだと思われますから、ポップコーンは厳しいんじゃないかですかね。素直に乾燥させて澱粉を抽出してはいかがでしょうか?」
「えっ、そうなんですか?」
ドクターのテンションが見る間に下がっていく。
宇宙食じみた加工食品に飽き飽きしていたためだろう。
「で、では焼きトウモロコシとかどうでしょうか?」
「それは、そのまま粒を焼いて食べるということですか? これは見るからに硬粒種ですから、カロリーベースで考えるとあまり栄養摂取の効率が良いように思えませんが……」
「効率とかはどうでも良いので!」
青年のKYぶりにドクターの語気が強まった。真剣な表情だ。傍らに控えていた助手さんが呆れていて、リリムが顔をぽっと赤くしていた。何でだ。
やがて資材班やインフラ班の面々も交えて、ああでもないこうでもないと調理法の模索が始まる。
トラちゃんさんは彼らの様子をぼけっと見ていた。
「どうしたんです? トラちゃんさん」
「ん、いや。ちょっとね。トウモロコシにそんなにいっぱい食べ方ってあるんだあって」
彼女の言葉が引っかかり、小生は他の面々の議論には加わらず、彼女との会話に専念する。
「ちなみにトラちゃんさんの知ってる食べ方ってどんなのです?」
「えっと。人の子がやってたのは……、団子を煮たり蒸したりしてたわね。トマトとかトウガラシとかと一緒に煮込んだり。たまに分量間違えてバチバチってさせちゃったり。見てて楽しかったわ」
そう語るトラちゃんさんの目は、ここではない何処かへと向けられていた。
郷愁にちかい感情だろうか。彼女は、この"箱庭"の外側に彼女の原風景を描き出している。
思い出は決して悪いものではないが、少し寂しいと小生は思った。
こう言う時は童心に帰るに限る。
「じゃあ、それ再現しましょうか。団子なら量も作り置きもできそうですから、帰ってきた人たちにも振舞えますし」
「え、良いの?」
「渋る人いないと思いますよ。すいませーん」
小生は同僚たちに声をかけた。お互い食には譲れぬ正義はあっても、恩神たる女神を蔑ろにするものはいない。
料理のベースは満場一致でトウモロコシ粉を使った中米料理で決まった。
「調味料は……、いくらか母艦から持ち出せていたっけか。おーい、道具持ってきてくれ」
「粉ものにするなら科学的な処理が必要ですよね。強アルカリ処置か真空乾燥あたりが無難かな……、必要そうな機材見繕ってきます」
「主食が決まれば、後は……。そうか、おかずが欲しい。僕は何て無力なんだ……」
資材班と観測班がひとっ走り"箱庭"から拠点へと立ち去っていき、ドクターは一人うなだれていた。助手は呆れ、リリムは顔を赤くしている。だから、何でなんだ。
「おかずかあ」
とはいえ、ドクターの言葉にも一理あると思い、少し考えを巡らせてみる。
以前に大言を壮語した手前、備蓄食糧に手を出すというのは駄目だろう。となれば、選択肢は黒豚で作られた謎肉しかない。
だが、謎肉をかじりながらというのはなあ。コンビーフをおかずにご飯を食うような空しさを感じてしまう。ここはもう一手間欲しいところだ。
そこでトラちゃんさんの言にあった「バチバチ」という単語が思い出された。
タダノ君ら、野球部の面々と共に過ごした青春時代の記憶が鮮明に蘇っていく。
「――揚げ物食べましょうか」
「えっ、食べられるのですか?」
ドクターが前のめりに食いついた。完全に欠食児童モードである。普段は穏やかな性格をしているというのに、極限状態というのはこれだから怖い。
「多分、できます。肉は謎肉になってしまいますが、加工の副産物としてラードも取れていたはずですし……。後はトウモロコシの粉さえあれば」
「粉に、肉に揚げ物……。唐揚げですか! 是非それでっ」
「は、はい」
ドクターの気迫と、他の面々の賛同によって南米料理の副菜はフライド謎肉に決定した。
こうしてインフラ班の常にない作業速度でキッチンが仮設置され、収穫されたトウモロコシが白い団子状の物体と、さらさらした白い粉に作り変えられていく。
「ただいま、皆。女神様。あら、何をやってるの?」
「あら、おかえりなさい。これは皆でお料理しているのよ!」
いざ料理を始めようという段になって、ゼレーニン中尉も帰ってきた。どうやらリーダーは拠点の防衛を小生と彼女の2枚看板で行わせる腹積もりのようだ。
言うなれば前線に職業軍人を置いて、後方に民兵を配置するようなものだろう。内戦地でも国連軍がよくやっていた人員配置だった。
中尉は何故このタイミングでと一瞬首を傾げたが、すぐに自分なりの理解をしたらしく、
「……それなら、帰ってくる人たちの分も作らなければいけませんね。温かい料理があると気持ちもずっと落ち着くと思いますから」
と柔らかく微笑む。彼女の一言を聞いて、何人かの同僚が耳の痛そうな顔をした。楽しいことを目の前にすると、それ以外が抜け落ちてしまうというのは良くあることだ。小生の場合、便意が湧いても同じことが言える。
と団子状の物体が女性陣、というかドクターの助手によって手馴れた様子で電気加熱された鍋の中に投入された。味付けはヒスパニックの青年が持ち込んでいたチリソースである。皆に振舞うと決まった瞬間は血の涙を流していたが、今はうまい料理へと転生する気配を鼻で嗅ぎ取り、出来上がりを静かに待っていた。
小生もまた、言いだしっぺの義務を果たすために助手の隣で下ごしらえを行う。鍋に油を投入して加熱を始めた後、トウモロコシ粉、そして故郷から持ち込んだ醤油と鶏がらを作業用のトレーの上で混ぜ合わせる。トレーはインフラ班の備品であった。普段使いの道具で料理をするのは若干抵抗があったが、ボウルが見つからなかったのである。一応殺菌洗浄はしてあるため、調理に支障はないはずだ。
「ソイソースは分かるが、何でトリガラ?」
「一人暮らしとトリガラは密接な関係にあるんですよ。本当はニンニクも欲しかったです」
ヒスパニックの野次に受け答えしながら、できあがった粉を黒豚の謎肉に揉みこんでいく。
「ヤマダさん、手馴れているのね。もしかして趣味がお料理とか?」
「いえ、高校時代からの習慣なんです。公式試合が終わると、うちに野球部の面々が押しかけるんですよ。それでイナゴみたいに食料を食べ去っていきます」
高校球界において小生の母校は歴史ある強豪校とは違い、甲子園出場校の中ではぽっと出の県立校だった。
当然、肉体作りを目的とした食事管理は自主的に行うことになるが、この辺りが自力だとどうしても欲望に負けてしまう時期がやってくる。大抵、公式試合の後であった。
"打ち上げ"と称したこの暴飲暴食唯一の機会に、料理人になるのが何故か小生だったのである。
何故小生が料理役を押し付けられるのかいつも不思議でならなかったが、タダノ君が言うには『ヤマダは何となく女房っぽい』らしい。
一般にバッテリーを組んだ相手を夫婦に例えることはよくあるが、ちょっと納得が行かない理由だった。
まあ、その分タダノ君も『紅茶買って来た。アイスティーで良かったよな?』と他の部員に対してはホスト役と買出し役に徹していたし、負担を一身に受けているわけではなかったのだが。
「オォイッ、ゼレちゃん! 料理できたらオレの分も頼むわ!」
と野太い声を響かせる"ゴブリン"などはまさに野球部のノリであった。
中尉は親愛をこめてネモ船長というロマンチックな名前をつけたそうだが、小生の中では完全に根元である。首位打者を取りそうだ。
根元の眼光――、あれは完全にから揚げを食い散らす腹積もりであろう。こちらも揚げる量を調整しなくてはならない。
ごくりと唾を飲み込み、第1投が揚げ終わるのと同時に、油に投入する謎肉の量を限界にまで増やした。一度に出される量が多ければ、食いっぱぐれる同僚もいないだろう。
小生の懸念はぴしゃりと的中し、揚げ終わったから揚げを根元は三つ同時に摘んで大きな口へと放り込んだ。おい。
「悪魔か、この野郎!」
「ブラボーな罵声だ。オレ様アクマだもんね。かぁーっ、うめぇなぁ!」
「野郎、ぶん殴ってやる!」
資材班が根元と取っ組み合いを始める中、第2投も揚げ終わる。取っ組み合いは計算の内だった。体育会系の、あの無駄なノリは小生の日常だったのである。
人外と殴り合って平気なの? と一瞬心配にも思ったが、根元の中尉に向ける親愛の情は本物だった。中尉が暴力沙汰を好まぬ以上、よもや人を傷つけるということもあるまい。
案の定、すぐに「ネモ、駄目よ!」と中尉に叱り付けられ、その場限りの反省のポーズを根元が取った。気にせずに第3投。
「トウモロコシのお団子できました!」
助手さんがそう宣言すると、トラちゃんや同僚、そして根元が歓声をあげた。勿論、中尉の傍に浮かんでいた"アプサラス"も柔らかく微笑んでいる。
というか、このままだと小生トウモロコシ団子食べられない……。貴重なチリソースが間違いなくうまそうだったのに……。下っ腹がぎゅるるると空腹を訴えだす。
「このお肉のバチバチした奴も案外美味しいのね。でもヤマダはこれ! 一番に食べるのはヤマダって言ってあったからねっ」
だが、小生には女神がいた。器を取り置いてくれたのだ。笑顔でいっぱいのトラちゃんさんが後光を発しているかのように見える。
「あ、でもお料理中か。どうしよう」
「あー、手が離せないので食べさせてもらえますか?」
つい野球部のノリで言ってしまったが、よくよく考えるとこれは失敗だった。相手は女神で、しかも女性だ。気恥ずかしい。
ただ、その気恥ずかしさも「分かったわ!」と団子を手で取ろうとしたトラちゃんさんに慌ててしまい、何処かへと吹き飛んでしまう。
ああ、そうか。フォークみたいな食器無かったのか、古代の中米って……。
「トラちゃんさん! フォーク使ってくれませんかっ?」
「ふぉーく? ああ、今の人の子が使ってる奴よね。タマルは素手で食べるものなんだけど……。まあ、良いわ! って、これ難しいんですけど……」
ぷるぷると手を震えさせながら、フォークに突き刺さったトウモロコシ団子がめでたく小生の口にゴールインした。
「あつっ」
出来立てということもあって火傷しそうなくらいに熱かったが、ほくほくと解れていく食感が面白い。
味はチリベースでまずくなりようが無いだろう。勿論、作った助手さんの腕も良いのだろうが。
いや、これは……、素材が良い。チリソースの辛味に負けない、優しい甘みが口の中で解れて行く度に広がっていった。
これは、おかずが欲しい。というかもう一手間加えたい。この素材は活かさなければ、重罪だ。
2番手に団子を食べたのは作り手の助手さんであった。彼女も同じような感想を持ったようで、一瞬目を丸くした後で何とも歯がゆそうな表情を浮かべている。
「……すごくおいしい。でも、材料と時間が足りないことがすごく口惜しいです」
「え、こんなに美味しいのに? 大地の恵みが感じられる、立派なタマルじゃない」
と3番手に団子を口にしたトラちゃんさんがはふはふと息を吐きながら言った。
少し行儀は悪かったが、心底幸せそうにしている彼女に文句を言うKYなどここにはいない。
「……だな。これはめっちゃタマルだわ。てか、素材が良いわ。うめぇ」
とヒスパニックの青年。
「これは心が温まりますねえ」
とはドクター。
「ええ、とても美味しいわ」
と中尉や他の同僚たち、そしてアクマたちも舌鼓を打つ中、
「うーむ、富栄養化土壌の超促成栽培。栄養価がどうなっているのか、興味があります。分析させていただいても?」
と観測班の青年は別のベクトルから唸っていた。
オイオイオイ、あいつKYだわ……。
そうして皆の表情が和らぎ、小生の揚げ作業ももう少しで落ち着こうという直前になって、
『……聞こえますか、生き残ったクルーの皆さん。こちらは"エルブス"号の艦長です。どうか、返事をしてください』
と艦長からの広域通信がやってきたわけである。
皆がアイコンタクトをし、誰が代表になって通信に答えるかを若干の間思案した。この躊躇いが理性的な判断に繋がったのだろう。
観測班の青年がいつもの様子で口を開いた。
「受け答えしては駄目です。通信傍受で拠点の位置を探られる可能性があります」
隊員たちの表情がはっとなり、各員悔しそうに口をつぐんだ。
艦長たちだってこちらの状況が知りたいはずなのである。そんな中で自由に消息を伝えられないというのは歯がゆいことであった。
「艦長だってそれくらい分かるはずなのに。何でこんな馬鹿なことを……。極限状態で余裕がないのでしょうか?」
「そんな言い方! 何とかこちらの状況を知らせる方法は無いのかしら?」
中尉が青年を咎め、周りにアイディアを求める。勿論すぐに名案が思い浮かぶ者などいない。
そもそも、この中で指折りの頭脳を持っているのは中尉自身だ。彼女が思いつかないような発想に、小生たちが辿り着けるのならば苦労はしないだろう。
青年が険の混じった声色で言う。
「そんな方法があったとしても。私は通信に答えてはいけないと思いますよ。現在、我々のリーダーは艦長じゃないんですから。独断は厳禁でしょ」
「それはそうだけど、でも!」
中尉も青年の言葉を理性では分かっているようで、自ら通信に答えようとする素振りは見せなかった。
他の面々もまた同様だ。つまり、"たった今聞こえてきた"広域の通信は、小生ら以外が発したものという理屈になる。
『こちら動力班。ハロー、ハロー……! 艦長、ご無事だったのですね……!』
これは完全に失策であった。
時間が問題を解決してくれると甘く見ていたのである。
今、この場に姿を見せていない動力班の青年が抱いていた孤独を小生は軽く見すぎていたのである。
「おい、誰かこの通信をやめさせろ。マジでやばいぞ……!」
数人が"箱庭"の外へと駆け出す中、事態は更なる悪化の一途を辿っていく。
リーダーから広域通信が入ったのだ。暗号化もしていない、
『こちら、アルファチーム。緊急事態だ。宮殿内から多数の悪魔がそちらへと向かっていく姿を確認した! 迎撃態勢を……、いやすぐにその場から脱出をするんだ!!』
隊員たちの顔から血の気が引いていく。
『ヤマダ隊員、ゼレーニン中尉。後方の皆の安全確保を頼む。我々では救出に向かえない。皆の命を――』
会話はそこで途切れ、銃撃音が通信越しに聞こえてきた。
リーダーたちもまた、広域の通信を行ったことで宮殿の"悪魔"たちに位置を知られてしまったのである。
「ど、どうするんだよ! このままじゃ全滅だぞ!?」
パニックになった隊員が頭を抱えて座り込んだ。ドクターが何とか宥めようとしても、この状況下で彼の言葉に耳を傾ける者はいない。
一人の恐慌が隣へ、また隣へと伝染し、最早冷静な判断を行える者はほとんどいなくなっていた。
「こ、この野郎が、余計なことを!」
と顔をひどく殴られた動力班の青年が"箱庭"へと連れ込まれ、乱暴に蹴り飛ばされる。
青年は泣いていた。本人だって、悪意があってやったことではなかったのだ。そして、混乱は加速する――。
「待ちなさいよ!」
寸前でトラちゃんさんが隊員たちを叱責した。
「仲間割れをした群れは猛獣に狩られるのよ! とにかく落ち着きなさいっ」
言って、彼女は動力班の青年に回復の異能をかける。顔にできた痣が消えうせて、青年が驚いたように目を見開いた。
「で、でも女神様。このままじゃ俺たちは全滅で……」
「隠れる方法が無いわけじゃないわ。"箱庭"を完全に外界から切り離してしまえば、相当高位のアクマだって、塞いだ扉をこじ開けることはできなくなるから。多分……」
隊員たちが仰天する中、トラちゃんさんは続けた。
「でも、エネルギーが全然足りない。外のを使えばギリギリ足りるかもってところで……。それに――」
「"トカマク型起電機"か! 了解です、女神様。お前ら急いで運び込むぞッ!!」
資材班とインフラ班の一部が、尻に火がついたように動力室へと向かっていった。
小生も向かおうとして、トラちゃんさんに呼び止められる。
「ヤマダ……」
何かを戸惑っているような顔をしていた。
短くはあったが深い付き合いを経てきたため、彼女の言わんとしていることが何となく察せられる。
小生は"バケツ頭"を被り、デモニカスーツを起動しながら彼女に答えた。
「……分かります。小生は、"外"に残りますよ。囮でもやって見せます」
えっ、とドクターや助手、そして中尉が言葉を失った。
「完全に"箱庭"を閉じてしまうということは、外部との連絡が取れなくなるということです。それってリーダーや艦長たちを見捨てることになりますからね。トラちゃんさんの言わんとしていることって、"選べ"ってことですよね? リーダーたちを見捨てるか、小生がもう一度死ぬか」
「だ、駄目に決まってるでしょう!」
中尉が悲鳴に近い声で小生の発案に抗議する。
だが、これはトラちゃんさん風に言えば、実質一択なのだ。小生は答えた。
「小生はトラちゃんさんの傍で死ぬ限り、復活できるみたいです。だったら、これは"外"に残る一択でしょう。……他の人命がかかっていますもん」
と言い聞かせるように、小生は自分を納得させる。
正直に言えば、こんな確実に死ぬミッションを受けたくはない。ただ、天秤の片方が重すぎた。それだけだ。
「ヤマダ……、ごめんなさい。アタシにもっと力があれば」
「十分、小生たちにとっては立派な女神様です。……と、準備できました。行きましょう」
バックパックを背負い、足早に入り口へと向かう。
あまりうだうだとしていると、無理矢理蹴飛ばした小生の心が再び竦みあがってしまいそうだ。
「ヤマダさん! なら、私も――」
「ゼレーニン中尉は、中で待機をお願いします。最終防衛ラインとかいう奴です。というか、蘇生しなきゃいけない対象が二人もいると……、トラちゃんさん大変ですよね?」
トラちゃんさんがこくんと頷き、中尉が声を殺して涙を流した。
小生はトラちゃんさんと共に、無言で"箱庭"の外へと出る。同僚たちが"トカマク型起電機"を"箱庭"の中へと運び込む中、入り口付近の窓から外の様子を窺い見る。
「あー……」
グロ画像が見えてしまった。
空にモザイクがまるで雲のように広がってしまっている。多分、陸上も似た感じなのだろう。
間違いなく言えることは、小生の死は避けられないということだ。
足ががくがくと震えだしたが弱音を吐いてもいられない。
ただ迫り来るモザイクを凝視して、自らの運命を受け入れる。
そして、"トカマク型起電機"が"箱庭"の中へと運び込まれた。
「配線とか必要ありますか?」
「ん、エネルギーさえあれば大丈夫よ」
「放射線はデモニカスーツが防いでくれますし……、じゃあ何も心配は要りませんね」
「うん」
トラちゃんさんが頷くと、小生を除く後方隊員の全てが避難するのを見届けた後、
「それじゃあ、閉じるわよ」
と目映い光を伴って、拠点内に作り出していた"箱庭"への入り口を消滅させた。
「……またぞろ厄介なことに巻き込まれておるのう」
とは何時の間にやら現れたカンバリ様だ。
「カンバリ様も避難されては……」
「何、お主に死なれるとワシは困る。完全に成仏せんよう、お主もまあ踏ん張るんじゃな。カワヤだけに!」
言った瞬間のドヤ顔に、小生は不覚にも笑ってしまった。このカワヤ神様はやはり神様なのである。
モニターに表示されたエネミーアピアランスは、真っ赤に染まって警告音を発していた。
「とりあえず、外で戦いましょう。中で戦ったらアレです。カワヤが壊れる」
「それは困る」
小生はお二柱と共に拠点から外へと出た。
バックパックから異能の力が篭った石を取り出し、いつでも投げられるよう準備しておく。
「ええと、魔石とチャクラドロップでしたっけ……? 回復に使えるものも取り出せるようにしたほうがいいですよね?」
「回復はワシにだけ頼むぞい。そこな女神は自力でなんとかなるじゃろ」
「何よその扱い! まあ、実際何とかなるけどね」
ばしっとトラちゃんさんが手のひらに拳を叩きつけた。
「何か今なら新しい力に目覚めそうな気がするのよ。ダグザ先輩の使ってたマッスルパンチが……」
「それ、強いんですか?」
「分かんない」
えー、とげんなりしたところで、まず"悪魔"たちの第一陣が空より飛来してきた。
その内の一部は野球好きやドクターと契約していた"ハーピー"や"リリム"であったが、両の目が狂気と嗜虐に染まっている。"悪魔"にも色々いる、ということなのだろう。
彼女らに対しトラちゃんさんが片手を天に掲げ、勇ましく宣戦を布告した。
「開幕マハブフーラ!」
……どうやら、宣戦布告ではなくて奇襲攻撃だったようである。
トラ・トラ・トラではないが、氷像と化して落下して砕け散る"悪魔"たちを避けながら、小生は氷結に耐性のある"悪魔"に対して、電撃の異能が篭められた石を投げつけた。
そうして、暫定拠点前で激戦の幕が切って落とされる。
「マハブフーラ! マハブフーラ! マハブフーラ! マハブフーラ!」
倒した敵のエネルギーを吸収できる、ほぼ永久機関のトラちゃんさんはさておいて、意外なことに小生も"悪魔"たちの猛攻撃に晒されているというのに、即死せずにいられていることに内心驚く。
何と言うか、どの"悪魔"の攻撃も以前に相対した"マカーブル"と比べるとまだ対処できる攻撃速度なのである。
どうやら、デモニカの学習プログラムが小生の動きをサポートしてくれているようだ。
最新技術様々だなあと思いつつ、トラちゃんさんが苦手な属性を持つ敵に集中して石を投げつけてはサポートする。
小生への攻撃は、そのほとんどをトラちゃんさんがかばってしまっていた。何と言うか、鬼気迫る表情だ。
「マハブフーラ! マハブフーラ! マハブフーラ! マハブフーラ!」
無駄口すらも叩かない。ただ一身に異能を迫り来る敵の群れへと叩き付けている。それだけ余裕が無いということなのだろう。
空からの猛攻が続く中、地上からも"悪魔"たちが押し寄せ始める。
"ギガンティック"のサポートAIである"ダグラス"から受け取っていた情報提供がモザイクを形あるものへと映し変えていった。
猿型のアクマと虫と赤子を融合させたかのようなおぞましい姿をしたアクマの二種類だ。
「喝ッッ! マハンマじゃ!!」
赤子虫の方はカンバリ様の発する破魔の力で全てが光の粒子へと変えられていく。だが猿の一部が駄目だ。破魔の力を物ともせずに四足でこちらへと駆け寄ってくる。
何度かカンバリ様と共に戦って分かったことなのだが、この異能は少々ギャンブル性が高いのだ。
残った敵の攻撃をギリギリのところで小生はかわし、電撃の力が篭った石を再び投げつける。かなり強力な力の篭った特別製だ。当たった箇所から広範囲に電撃を撒き散らすため、複数の敵を倒すのに都合がいい。果たして、猿型のアクマたちは断末魔の叫びをあげてその場で焼け焦げていった。
対空迎撃はトラちゃんさんの独壇場だ。氷像が面白いように落ちてくる。いや、実際は落ちてくる氷像にひやひやさせられているのだが、あまりの頼もしさに笑えてきてしまう。
「マハブフーラ! マハブフーラ! あっ――」
時折トラちゃんさんが仕留め損ねた"悪魔"が出るが、これはカンバリ様が自らの体から土の針を無数に作り出して、蜂の巣にして撃ち落す。
「ごめん、カンバリ!」
「あんまり気を張るな。カワヤで足を踏み外すぞ」
良く分からないカワヤジョークを聞き流しながら、小生は思う。
……これ、案外いけるんじゃね?
「ムドだこの野」
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!」
憎き黒豚の登場に死の気配を感じ取ったため、小生は全力で石を投げつけた。間一髪、黒豚は力ある言葉を口にする寸前で、頭蓋を陥没させてはその場に崩れ落ちる。
……いけるやん!
勿論、気のせいであった。
モニター上に表示された周辺環境を示す数値の中で、エタノール値が恐ろしい勢いで上昇していく。
そして、"悪魔"たちを文字通りなぎ倒しながら現れた原色の人影によって、小生の身体は文字通りミンチにされてしまった。
「――ジャッジメント!!」
激昂したトラちゃんさんが、周りを光の本流で薙ぎ払う。
その光に包まれながら、小生は再び"アケロンの川"へと向かっていった。