シュバルツバースでシヴィライゼーション   作:ヘルシェイク三郎

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修正内容は4号艦AIの名前です。公式に名前が判明したため、ちょっと描写と設定をいじくることになりました。ご了承ください。


シュバルツバースで味方と合流

「おう、何だ。そなたも来たのか」

「あ、はい。その、毎度どうも」

 例の如く"アケロンの河"へ流れ着いた小生に、白髪の老人が声をかけてきた。ぺこりと会釈するこちらに対し、あちらはやたらフレンドリーなご様子。背筋がエネルギッシュに伸びており、びしりと決まったリーゼントが快活に揺れている。

 

「――ん、"マッカ"も大分貯まっておるようだな。結構、結構。また半分ほどは頂いておこう」

 含み笑いを浮かべた老人のもとに、何処ぞより現れた大量の"マッカ"が吸い寄せられていった。はて、こんなに小生貯蓄していたっけか? と一瞬首を傾げ、すぐに合点する。多分、防衛戦の影響だろう。トラちゃんさんが倒した"悪魔"の数だけでも200やそこらではきかなかったはずだ。

 ひいふうみいと機嫌良く回収した"マッカ"を数える老人に、小生はぽりぽりと頭を掻きつつ問いかけた。

 

「そういえば……、投資した"マッカ"はどうしてるんです?」

「そりゃあ腐らせずにアクマどもに貸し付けて利子を取っておるよ。左団扇とはこのことでな。そなたは上客にして資金源。大概のことには協力してやるつもりだ」

 何と言うことだろう。世知辛い貨幣経済のしがらみをこんな黄泉路で目の当たりにしてしまった。

「……それ、返済の見込みが立たない"悪魔"に小生が逆恨みされる可能性とかないです?」

「案ずるでない。返済できぬ屑にはそれ相応の報いを受けてもらっておる。妙な気を起こさぬようにな。無論、万が一のことも考えて上客の個人情報は厳守しておるよ。何せ、近頃は色々手厳しいからな」

 小生は眉根を指でつまんだ。

 真面目に考え始めたら多分負けだろう。とりあえず、尻の毛までむしり取られそうな、または既にむしりとられている"悪魔"たちに南無南無と祈りを捧げておく。

 

「では、いつものように復活するまで待たせてもらいますね」

「おう。そなたもいい加減勝手知ったるといった具合よな。死後は良い死神か魔神になれるやもしれぬぞ」

「あ、あはは……」

 呼び戻されるまでひたすらに待つ。

 川を渡っていく人魂の群れに「いってらっしゃい」と声をかけながら、ただひたすらに待ち続ける。

 が、何故かいつもよりも蘇生が遅い。んー?

 どうしたのだろうかと戸惑っていると、老人は思いだしたかのように、「そういえば」と小生の耳を疑うような爆弾を投げかけてきた。

 

「そなたと同じ格好をした連中が6人ほど、同じ世界からやってきたな」

「えっ、どなたですか?」

 前のめりになる小生に対して、老人は顔をしかめて更に返す。

「待て、待て待て。良く考えてみよ。私がニンゲンの名前など知るものかい」

 確かに。日がな夥しい数の死者を川の向こう側へと送っている老人からしてみれば、人間一人一人の素性などいちいち取り沙汰する程価値のある個人情報ではあるまい。彼が名前を知らずとも無理からぬことなのだ。

 

「では、覚えている特徴だけでも……」

「そうさなあ」

 老人が虚空を見上げ、過去を振り返る。

「最初の4人は口を揃えて『おぞましい化け物に捕まった。体を弄くられた。仲間に売られた』と泣き叫んでおった。続く1人はアクマと戦い、殺されたらしいな。そなたのことも知っているようで、生き返らせてやると私が言えば、『この恩は忘れないと伝えてくれ』と言づてを頼まれたわ」

 前者は宮殿に囚われていた同僚たちの誰かである可能性が高い。痛ましい話に胸がはりさけそうだ。

 後者は多分、機動班の内の誰かだと思われる。やはり、先だっての広域通信によって"悪魔"側に所在を掴まれたのは致命的だったのだろうか。

 小生はおずおずと問いかけた。

 

「皆さん、生き返ることはできましたか? "マッカ"は足りましたか?」

 老人は高級そうな白スーツをたわませ腕を組み、顎を撫でながらこれに答える。

「黄泉路から現世へ魂を送り返す場合、魂の重みが重要になる。そなたらの世界で言う"ユウビンキョク"と同じようなものだ。重ければ重いほどコストがかかるというわけだな。発狂した4人は大した器ではなかった。ただ、続く1人はかなりのコストがかかったぞ。あれは恐らく、混沌の化身に好かれる魂の器だ」

 小生はほっと安堵の息を吐く。どうやら"マッカ"不足で蘇生できなかったということはなかったらしい。

 しかし、老人の続ける言葉に小生の淡い希望は打ち砕かれた。

 

「もっとも――、最初の4人はまたこちらへ戻ってきたがな。いわゆる"詰み"の状況だ。甦ってもまたすぐに殺される。これ以上、比羅坂を行き来させても魂が磨耗するだけであるから、三度目の死亡時にはさっさと川を渡らせてしまったわ」

 それで問題なかったろう? と平然とした顔で言う老人に、小生はすぐに返事を返せなかった。

 正直、問題大有りだと彼を詰りたかったが、老人と小生らの間に倫理感のギャップがあることは重々承知している。これはむしろ、救出の遅れた小生らの方に落ち度があった。

 むしろ、二度は生き返らせてくれたことを感謝するべきなのだ。本来ならば、生は一度きり。やり直しなどあり得ない。

 故に小生は老人に礼を述べた。老人は小生の葛藤など気にもしていない風に、「上客とは良い関係を結びたいからな」と声を出して笑う。

 小生は彼の言葉を聞き流しつつ、被せるように更に問うた。

 老人の言を聞く限り、まだ後1人は死亡者がいたはずだ。

 

「あの、残る1人がどうなったのかもお伺いしたいのですが……」

 老人はきょとんと目を見開き、「ああ」と上を向きながら答える。

 

「もう1人か。もう1人は確かなあ、女だった。堕天使に"拠点"を襲撃されたらしい」

「えっ!?」

 拠点と聞いて、小生の心臓が跳ね上がった。

 小生の思いつく限り、女性の言う"拠点"とはトラちゃんさんの作った"箱庭"のことを指しているとしか思えない。

 だが、何故だ。"箱庭"は侵入者を防ぐためにトラちゃんさんが出入り口を封印してしまっていた。彼女の言を信じるならば、歓楽街から攻め入ることは不可能に近いはずだ。

 

「そやつからも言伝を頼まれておった。確か『こちらは何とか持ちこたえてみせます。今は貴方が生き残ることだけに集中して』だったはずだ」

「ゼレーニン中尉だ……」

 この利他的な物言いは彼女の性分と合致する。中尉も殺されてしまったのだ。

 

「冷静な女だった。襲撃を受けた理由についても、思い当たる節があるようだったな。あれは秩序の担い手に好かれる魂の器だろう」

「た、助けにいかなきゃッ――!」

「己で何とかすると言っておるのだ。信じれば良かろう。それに、助けに行ける立場でもあるまいに」

「ああ、そうだった!」

 頭を抱える。

 蘇生が妙に遅いのだ。もしや、年貢の納め時か? いや、このタイミングは待ってほしい。折角命を懸けたというのに、守るべきものが何も守れていない。

 やきもきする小生の耳元に、聞き覚えのある声が届けられた。

 

『戻ってこい、小僧!』

「え、カンバリ様? 何で……」

 予想だにしなかった声に疑問符が飛び回るが、小生の体が現世へと向かい始めたことは確かであった。

 小生はふわりと浮かび上がりながらもバックパックを全開にし、中身をばらばらとぶちまける。

 

「カロンさん! "マッカ"全部あげますから! とにかく、皆を助けてくださいっ」

「お? おお。相も変わらずお人好しよな、そなた」

 老人は目を丸くした後、指で円を描きながら不敵な笑みを浮かべた。

「……毎度あり。"マッカ"の縁が切れぬ限り、私はそなたの味方だよ」

 そして、小生は現世へと戻る。

 

 

 数度、瞬きしてここが死ぬ前に戦っていた拠点前の一区画であることを確認。が、奇妙だ。手近な"悪魔"が軒並み物言わぬ骸と化してしまっており、拠点以外に無事な建物がない。

 皆、廃墟になってしまっているのだ。

 まるで暴虐の嵐が過ぎ去ったかのような光景を目の当たりにし、小生は脳裏でそれを東欧の内戦地と重ね合わせた。理不尽の爪痕という意味合いにおいて、両者は驚くほどの近似性を示している。

 

「ようやっと目覚めたか、小僧!」

「あ、カンバリ様……。一体、何が」

 状況を伺おうとした瞬間、耳をつんざくような爆発音が辺りに轟いた。

 瓦礫が弾丸を思わせる速度で四散し、爆発の始点らしき箇所から一体の"悪魔"が吹き飛んでいく。

 まるでボディペイントでもしているかのように原色で塗りたくられた体を赤い布――、古代ギリシャ風のトーガで身を包んだ銀髪の青年だ。見紛うことなく、あれは先だって小生を殴り殺した"悪魔"であった。

 

(たぶ)れ心と酒を司る神"ディオニュソス"じゃ。魔王にも比肩する歴とした高位悪魔じゃよ」

 だが、とカンバリ様は爆発の始点から目を離そうとしない。

 始点にはもう一体、怖気を催す瘴気と冷気を身に纏い、悠然と佇む"悪魔"が残されていた。

 宝石のように輝く青い髪。いささかエキセントリックな少女らしい服装……。

 

「……えっ?」

 それはトラちゃんさんだった。だが、形相が明らかにおかしい。

 無垢な表情から、感情という感情が失われ、まるでマネキンのような顔つきをしている。

 トラちゃんさんが"ディオニュソス"に向けて細い人差し指を突きつける。

 

『"混沌の海"』

 無機質ではあるものの間違いなくトラちゃんさんが発したと分かる声と、しわがれた老婆の声が同時に響いて聞こえた。

 直後、周囲の空間が圧縮したように暗く歪む。これはいつも彼女が空間を創り出す際に訪れる現象の一つだ。だが、それによって生じる結果がいつもと違った。

 空間が跳ね上がり、揺さぶられ、内にある全ての構造物が破砕される。歓楽街の建物であったものが、有象無象の骸が乾いた砂礫と化すまで砕け散り、その中で"ディオニュソス"の体が四方八方に叩きつけられた。

 どれだけ頑丈なのか、"ディオニュソス"自身に大きなダメージはないようだ。だが、紡ぎ出される言葉は重い。

 

「……これは、酒瓶一つを賭けた余興のつもりが、割に合わぬ依頼を受けてしまったものです」

『――ほざけ。私は呪ってやる。御前という存在を讃える神名が悉く忌み名と化すまで、御前という存在が完全に消滅するまで未来永劫、呪い続けてやる』

 トラちゃんさんが飛び出し、"ディオニュソス"もまたそれを迎え撃った。

 一方が腕を振るう度に周辺の地形がいちいちに変わる。歪み、へこみ、砕け散り、殴り合いが延々と続けられた。

 

「あれが、トラちゃんさんなのですか……?」

 にわかには信じ難い光景であった。

 小生の知るトラちゃんさんは、少し間が抜けているが寛容で、皆に支えられ、笑い合える女神のはずだ。

 だが、今見せている姿は違う。あれは――、

 

「ああいった類を"死神"と言うのじゃ」

 カンバリ様は苦々しげに言う。

 

「あやつ、相当ひねくれた存在であったらしい。確かに生と死を司っておる以上、"そう言った"側面が目覚めたとておかしくはないが、これは……」

「一体何がどうして、こんな状況になったのですか!?」

 小生は混乱の極みにあった。

 死んでいた間に何があったのか。

 この問いに対し、カンバリ様が語る間も惜しいという風に早口で答える。

 

「一言で言えば――、あの女神は発狂しておる」

「……発狂?」

「何のことはない。憎しみの感情が発露しただけじゃ。無論、相対する"ディオニュソス"の奴が狂れ心を司っていることも影響しているのだろうが……。奴が小僧を殴り殺し、女神の蘇生を妨害し、小僧の魂が現世から遠のいた。故に女神が小僧の蘇生を不可能と確信した。それだけじゃ」

「でも、現に小生は復活できていて……」

 小生は夢中で抗論する。もしかすると、小生はトラちゃんさんの中に、あのような負の側面があることを認めたくないのかもしれない。それが尚更に焦りを加速させた。

 だが、カンバリ様は頭を振ってこれに答える。

 

「いや……、お前さんを蘇生したのはこのわしよ。ぎりぎりじゃったがな。有象無象との連戦に次ぐ連戦の中で、運良く破魔の術が蘇生の術へと化けよった。じゃから、女神は小僧が復活したことに気づいてもおらぬし、こちらへ目を向けてもおらぬ。あれは既に諦めておる」

 そう言うカンバリ様の大足の身体は小刻みに震えていた。カンバリ様程の存在から、少なからぬ恐怖の情が漏れ出ているのだ。

 

「そう、あやつはこの滅びの地で顕現した際に掲げた目標を"諦めた"らしい。これは、付く相手を間違えたかのう……」

 激突していた両者が一端離れ、"ディオニュソス"の後ろに"悪魔"の軍勢が姿を現した。"ミトラス"配下の援軍だろう。

 トラちゃんさんは気炎を上らせる"悪魔"の軍勢を呆と見つめ、首を傾げ、そしてを天を仰ぐ。

 

『おぞましくも、遍く全ての生よ――。朽ちて果てろ』

 彼女は続く文言で"マハムドオン"と口にした。

 そして、彼女の身体から生じている漆黒の瘴気が、無数の触手を形作る。

 不気味に蠢く触手であったが、すぐに自らが果たすべき役割を思い出したかのように全方位へ向かって広がっていく。

「う、うわっ!?」

 雪崩を思わせる勢いであった。

 触手は拠点の近辺にいる小生とカンバリ様以外の全ての生を瞬く間に呑み込む。これは空を飛ぶ"悪魔"も例外ではなく、鞭のように伸びた触手に足を絡め取られ、"ハーピー"も"リリム"も触手の海へと引きずりこまれていった。

 方々から上がる断末魔の悲鳴。それも徐々に小さくなっていく。

 やがて触手の動きが大人しくなり、潮のように引いていった。

 後に残されたものはもみくちゃに敷き詰められた無数の死体と、呆気に取られる呪殺耐性持ちの"悪魔"たちのみだ。

 死体を見れば、姿形はそのままに、ただ命だけが刈り取られてしまっている。

 颯爽と現れた雲霞の増援が、たったの一撃で半壊してしまっていた。

 

「これって、黒豚や"マカーブル"が使っていた呪殺……? いや、でも……」

 ――範囲が広すぎる。 

 周辺の生命を刈り取ったトラちゃんさんは、すうと大きく息を吸った。

 それに伴い、刈り取られた"悪魔"たちからエネルギーのようなものが取り出され、彼女のもとへと吸い寄せられていく。

 彼女は一頻りのエネルギーを吸い尽くした後、呪殺に耐えた生き残った残党をじろりと見渡した。

 そして、再び力ある言葉を紡ぐ。

『なれば、次なるは"大冷界"』

 周辺の区画が一瞬にして氷柱に支えられた極寒の空間へと一変する。マハブフーラと同種の異能、だがその威力は桁違いに大きい。

 彼女の呪殺による蹂躙を免れた"悪魔"たちが逃げ腰のまま次々に氷のオブジェと化していった。

 

「これは、忌まわしい……」

 "大冷界"の爆心地で、"ディオニュソス"は舌打ちする。

 どうやら呪殺の影響は受けなかったようだが、その半身が凍り付いてしまっていた。

 "ディオニュソス"は自由を奪われた半身を力任せに動かし、凍りついた箇所と無事な箇所を無理矢理に引き剥がそうとする。

 その様を見て、トラちゃんさんが嘲笑った。

 

『――忌まわしきは御前自身だ。どれ、戒めからの解放を手伝ってやろう』

 再び、トラちゃんさんが"混沌の海"を発動した。

 圧縮された空間の中に投げ出された"ディオニュソス"の半身が膨大な運動エネルギーを受け、無残に砕け散ってしまう。

 片足が千切れ飛び、腕の一本もひしゃげて不具と化した。

「ぬぅっ…!」

 悶え苦しむ"ディオニュソス"をじっと見つめながら、彼女は突きつけた人差し指に無心で力を篭めていく。

 数えて3発目の"混沌の海"。そして4発目。5発目……。

 何が何でも"ディオニュソス"をここで討ち取るという殺意がひしひしとこちらにまで伝わってくる。

 

「……トラちゃんさん」

 小生は考える。

 恐らく。このまま情勢が推移していけば、かなりの確率で敗色濃厚であったこの防衛戦を、我々の勝利という結末で飾ることができるはずだ。

 ならば、小生は助かるだろう。拠点への救援も間に合うかもしれない。

 だが……、駄目だった。

 この状況は、何というか非常にまずい状況な気がするのだ。トラちゃんさんを、"そちら側"へ送ってはならない。これはある種の予感だった。

 

 小生は一歩、トラちゃんさんの方へと歩み寄る。

 途端に襲う、洒落にならない嫌悪感。多分、彼女の発する漆黒の瘴気に生存本能が警鐘を鳴らしているのだ。"マカーブル"など比較にならない拒否反応だった。

「――小僧、危険じゃ。あの瘴気が小僧を絡めとらんという保証はない」

 カンバリ様から制止の声がかかる。

 小生はそれに対して引きつった笑みを返し、そのまま「えいやっ」とトラちゃんさんのもとへと駆け出した。

 これでも足には自信がある。甲子園に出場していた頃には、他校から"真夏の妖精"呼ばわりされるほどの盗塁成功率だったのだ。多分良い意味だと思う。

 近づくたびに、心臓と胃腸が悲鳴をあげた。

 小生の接近に気がついたらしく、トラちゃんさんの周囲を漂う瘴気が独りでに触手へと形を変える。

 そして……、獲物を求めてこちら目掛けて襲い掛かってきた。

 

「ひ、ひえっ」

 小生は辛うじてそれを避け、避け、避け、

「ちょ、ちょっと触手多すぎじゃ!?」

 道を塞ぐ氷柱を囮にくぐり抜け、骸と化した"悪魔"を飛び越え、トラちゃんさんの名を叫ぶ。

「トラちゃんさん!」

 彼女がこちらを振り向いた。能面のような表情に差した一瞬の感情。驚き? 疑い? 感情はまだ死んでいない。あれは間違いなくトラちゃんさんだ。

 カンバリ様は彼女が憎しみに駆られたのだと指摘していた。彼女は現在、激情に身を委ねるままに力を振るい続けている。

 先程は豹変した彼女に対して拒否反応を起こしてしまったが、よくよく考えてみれば生き物ならば誰だって感情の揺れ幅くらい持っているものだろう。人だって、怒るときは怒る。神だって多分同じだ。そして、怒っている、憎しみを抱いている状態が正常値であるとは到底考えられない。

 故に、彼女のためにも力技で正常値へと引き戻すのだ。

 小生は彼女の感情をリセットするべく、大声を張り上げた。

 

「"デブ"りますよ、トラちゃんさん!!」

『は、へ……?』

 一瞬の硬直。小生はさらに畳みかける。

 何故か動きの鈍った瘴気の触手をヘッドスライディングで再びいなし、受身を取りつつまた走る。

「色々食べ散らかしすぎです! 変なもの食べたせいで、黒豚みたいな異能使っちゃってるじゃないですかっ。声までちょっとやさぐれた感じになって! 豚の親分になってしまいますよ!」

『い、いや。これって、スキル変化の結果、で――。ていうか、ヤマダ? 何で生き返れてるの……? 屍鬼になっちゃったの? あ、ていうか――』

「そう言うのは良いですから!」

 触手が完全に停止した。

 五体満足のままに小生はトラちゃんさんのもとへと駆けつけ、彼女が本来的に掲げていた目標を改めて口にする。

 

「大手を振って食べるなら、"トウモロコシ"でしょう! こういうのは、ほんともう良いですから……」

「ヤマダ……」

 蠢く触手が塵と消え、トラちゃんさんの発する声から老婆のそれが遠のいていった。そして、彼女はその場にぺたんとその場に座り込み、自身の両手をじっと見下ろす。

「ほんとに良かった……」

 感情の戻った表情がくしゃくしゃに歪んだ。

 彼女のそんな表情を見て、黄泉路日帰り旅行を繰り返した結果薄れつつある死への忌避感が、再び小生の中にぶり返してくる。

 やはり、そう簡単に死んではならない。死ねば悲しんでくれる者もいるのだ。その一人がトラちゃんさんだった。

 

「トラちゃんさん……」

 志を新たに何か気の利いた一言を言わねばならない、そんな雰囲気だもの。と何か脊髄反射で口にしようとしたところで、

 

「ぐほっ」

 キィンとテトラカーンの反射音が鳴り響く。

 音のする方を見上げると何故か"ディオニュソス"が高々と上空へと吹き飛ばされていた。ん、んんんー……?

 

「いや、苦し紛れの不意打ちを狙っておったのでな」

 小生に続いて駆けつけたカンバリ様のアシストのお陰であった。本当にこの秘神様には頭が上がらない。

 カンバリ様がため息混じりにトラちゃんさんを見る。

 

「女神よ。頼むから、暴走だけは止めてくれ。お主は既に好き勝手に暴れ回って良い立場ではないのだ」

「カンバリ……。うん、ごめん」

 "ディオニュソス"がどさりと落ちてきた。まだ息どころか、意識すらもある。

 人間ならばもう死んでてもおかしくないダメージを負っているというのに……、全く何という頑丈さだろうか。

 ただ、流石にこれ以上の戦闘は厳しいようで、こちらを忌々しげに睨みながらもすぐには動けずにいた。

 故に、小生は"ディオニュソス"の前へと進み出る。

 

「ヤマダ!?」

「おい、小僧よ……」

「いえ、実は事態が急を要していまして……。交渉(トーク)しませんか? えっと、"ディオニュソス"さん」

 今の状態のトラちゃんさんにこれ以上の殺生を重ねさせるのは拙い。

 そういった思いからくる独断であったが、この提案は仲魔たちだけでなく"ディオニュソス"の意表もついてしまったようだ。

 ちぎれていない方の足で身体を支えながら、"ディオニュソス"はこちらを怪訝そうに見上げてくる。

 

「……ニンゲンが、私と?」

「そうです」

 しばしの沈黙。

 やがて"ディオニュソス"はこちらの返答を鼻で笑い、ともすれば卒倒しかねない眼光を向けてきた。

「ならば……、手始めに死んでくださいませんか?」

 どうやら情けか侮蔑と受け取られてしまったらしい。

 いつもならば、失禁していたであろう圧力を受けながらも、小生の括約筋は辛うじて踏みとどまる。

 切羽詰まっている状況と、何度も行き来した黄泉路日帰り旅行が小生の心を強くしているようだ。

 それに、この交渉には勝算もあった。

 

「……貴方も依頼で動いているんですよね? 多分、この土地の"悪魔"からの。酒瓶一つを報酬に」

「む――」

 "ディオニュソス"の発する圧力が弱まった。

 手応えあり、かな? と小生は次に投げかける言葉を吟味する。

 先程彼はこう口にしたのだ。「割に合わない」と。これはワンチャンあるかもしれない。

 小生は更に続けた。

 

「このまま戦って、勝っても負けても野獣と化したトラちゃんさん……、略して野獣さんとの間に遺恨が残りますよ」

「ちょっと何よそのあだ名! 野獣って! アタシはもっとお行儀がいいわよっ!!」

 むきいと何時もの調子を取り戻しつつあるトラちゃんさんの怒声を聞き流しつつ、小生はわざとらしい仕草で首を傾げる。

「……大体酒瓶一つって、何のお酒です? この世に二つとない高級酒とかなんですか?」

 "ディオニュソス"がぼろぼろの風体のままに考え込む。

 

「あの色合いは……、恐らく小麦を蒸留させた酒だったと思いますが」

「ん? ラベルとかありました? ジョニーだかジャックだかそう言う」

「あれは確か……、ジャックと刻印されていたような」

 隊員が持ち込んだ私物じゃねーか。と些か毒気が抜かれつつも、小生は提案する。

 

「だったら、我々もお酒を提供しますから。ここはどうか、退いてもらえないでしょうか。我々は畑を持っていますから、何なら定期的にお酒を造って取引も可能です」

「待った! アタシは嫌よっ。こんな奴に差し出す作物なんてないわ!!」

 顔を真っ赤にして抗議するトラちゃんさんが嫌がる気持ちも理解できるのだが、こればっかりは譲れない。

 彼女の方へと向き直り、小生は物言いたげにじっと見つめた。

 

「な、何よ」

「いや、女神ってどんな存在かなあって」

「女神ですって!? そんなの……」

 女神、の言葉にトラちゃんさんが平坦な胸を張り、細く白い手を胸に当て、ドヤ顔で答えを言う。

 

「このアタシみたいに秩序を重んじて、慈悲深くて何かキラキラしてる存在に決まってるじゃないっ!」

「成る程、慈悲深く……」

「そう、慈悲深く! ……んん?」

 やがて、自身の矛盾に気がついたのか、トラちゃんさんは気恥ずかしげに咳払いをして「話を聞いてあげるわよ」とすぐに折れた。ちょろい。

 再び"ディオニュソス"へと顔を向け、提案に対する返答を待つ。

 彼が再び口を開くまでに1分ばかりの時を要した。正直今も拠点が危機に晒されている可能性がある以上、あまり悠長にもしていられないのだが、和解できるものは和解しておきたい。それは小生らにとっては中立以上の"悪魔"を増やすことに繋がるし、トラちゃんさんにとっても必ずプラスに繋がるはずだ。

 三者の注目を浴びる中、"ディオニュソス"が観念したように息を吐いた。

 

「……分かりました。ならば、手付けとして。あなた方が酒を嗜むという"証"を見せていただきたい」

「"証"、ですか?」

 どういうことだろうか? と目を白黒させているところに彼は更に続ける。

 

「私は狂気と酒を司る神であり、無粋というものを何よりも嫌う。酒を嗜むということは、粋であることと同義なのです。あなた方が交渉するに足る相手であると、証明してみせてください」

 いや、言っていることがちょっと良く分からない。

 粋であることを証明ってどうすればいいのだろうか……。小気味良いジョークでも言えばいいのかな? だが、小生のジョークは内戦地では銃弾の返礼に、"エルブス"号では絶対零度の眼差しに変わった実績がある。

 ここは奇をてらわずに、手持ちのアイテムか物資を提供……。酒が一番なのだろうが、生憎と嗜好品の類は持っていなかった。いや――。

 ふと閃いた思いつきに従い、小生はバックパックから強化プラスチック製の容器を取り出した。それは天辺にストロー状の差し口がついており、中には液体が透けて見える。

 

「これは……?」

「えっと、濃度95%の精製エタノールですね」

 小生が容器の中身を手に垂らしながらそう言うと、

「……馬鹿にしているのですか!? 私でもそれが飲用に作られたものでないことくらい分かります! それを、言うに事欠いて"酒"とッッ!?」

 "ディオニュソス"が激昂した。もし万全の状態であったならば、今頃小生の頭はスイカ割りのスイカのように砕け散っていたことだろう。

 彼が満足に動けないからこそ、小生は続けられる。

 

「……飲用目的に作られたものでないというのは全くその通りなんですが。小生にとってはこれも"お酒"なんです……、よっと」

 と言って、小生はデモニカスーツを操作してバックパック内に装着された飲料水タンクを取り外し、中身を精製エタノールへと置き換える。

 そして、再装着。口元に伸ばしたストローを通じて、エタノールを一気に口に含む。

 途端に感じる、灼けつくような痛み。そう、ただ痛いだけだ。

 ゲホゲホとむせて、涙目になりながらも口の中に広がる強烈な酒精にもんどり打つ。

 

「ちょ、ちょっと! 大丈夫なの!?」

「だ、だだ大丈夫かといわれると。あまり大丈夫ではないのですが……」

 トラちゃんさんに背中を擦られる小生のことを、"ディオニュソス"は冷めた目で見ていた。

 

「何がしたいのですか、貴方は……」

「……これ、学生時代の新入生歓迎会で、上級生が下級生に見せる儀式だったんです」

 "ディオニュソス"が目を細める。

 ひりひりと痛む舌を空気で慰めつつ、小生は往時を思って説明を続けた。

 

「ぶっちゃけ、美味しくなんてないんですけどね。ノリというか、何と言うか……。でも時折無性にこのエタノールが懐かしく感じることがあるんですよ」

「……フム。勢い……、と」

 "ディオニュソス"がおもむろに指を立てた。指先に力を篭めて、何かを生み出そうとしているようだ。

 やがて小さな球体が生まれ、それが徐々に体積を増していく。あれは酒精だ。エタノールそのものを、彼は異能の力で生み出したのである。

 彼は生み出したエタノールの球体を、口の中へと放り込んだ。

 酒精を舌の上で転がし、俯き、独りごちる。

「味わいのない、ただの酒精。だが、その中に人の子が情を抱くと言う。無味の先にあるものは……、"ノスタルジー"……、いや、人の輪そのもの……?」

 ノスタルジーと何度も呟き、"ディオニュソス"ははっと目を見開いた。

 

「エターナルノスタルジー……。ならば、私は"ロンリネス"……!?」

 ん? と一瞬何を言わんとしているのかが分からずに硬直。だがすぐに理解する。というよりも、理解してくれたのだ。彼が。

 酒を酌み交わす相手の存在こそが、何者にも優る酒の肴であると。

「ちょっと何言ってるのこいつ……」

「いや、皆目見当もつかん」

 仲魔の二人からの理解は得られそうになかったが、小生は柔らかく微笑み、"ディオニュソス"に手を差し出した。

「ファイナルファンタジー」

 酒精が回ってきたのか、ちょっとテンションも上がってくる。

「ひ、独りじゃない……、と」

 "ディオニュソス"が涙をほろりと一筋こぼし、小生の手を握った。

 

「ですが、私はダークネス……」

「大丈夫、大丈夫! もう寂しくなんて、ないんですよ!」

「おお…、おお……。酒を酌み交わす相手に……、おお……。先程は何ということを……。貴方という存在は……」

 プライスレス、とお互いの声がハモり、"ディオニュソス"はわんわん声をあげ、小生に抱きついて泣き始める。小生も何だか無性に悲しくなってきた。

 理解できたはずの相手と殺し合った過去が、忌むべき記憶と化したのである。

 横目に映るカンバリ様が小刻みに震えていた。カンバリ様程の存在から、少なからぬ恐怖の情が漏れ出ているのだ。

 

「……ああ、理解したわい。酒飲みの狂気か、これは」

「んー。アタシ、良く分かんない……」

 小生も正直途中から酒と勢いで良く分かんなくなっていったが、手を取り合ってからは"ディオニュソス"、いや"ディオニュソス"さんの態度が嘘のように軟化していった。

 つうと言えばかあといった具合に、終いにはトラちゃんさんの"箱庭"で酒造に勤しみたいとまで言い始める始末である。

 

「えっ? な、何でよ。"ハルパス"もそうだけど、あそこはアタシの"箱庭"なのよ!?」

「ぶどう畑を作る術なら、私も提供できると思うのですが……」

「うっ……。作物……。それなら、けど……」

 トラちゃんさんは頭をがしがしと掻き毟り、自棄鉢になったように宣言した。

「ああ、もう! アタシは完璧な女神だからね! 寛容なんだから、アンタのことも許してあげるっ!」

 どうやら、感情の揺れ幅が完全に何時もの調子を取り戻したようで、小生としても嬉しい限りだった。

 

「トラちゃんさん」

「ん、分かってるわよ」

 メディラマ、と回復の異能をトラちゃんさんが発動する。その対象には自分たちに加え、"ディオニュソス"さんもまた含まれていた。

 

「これは、感謝します……。中米の女神よ」

「そう、アタシ女神だから! 誰よりも優しいから! 特別なんだから!」

 と鼻息を荒くし、何処か照れ隠しでもしているかのように機嫌の悪い振りをするトラちゃんさん。

 

「……ったく、アンタも酒瓶欲しさに"ミトラス"なんかの依頼で軽々しく動くんじゃないわよ。闇に属するものとはいっても、人の子のことだって知らないアンタじゃないでしょうに」

 そんな彼女の言葉に、"ディオニュソス"さんは首を横に振った。

「いえ……、私に依頼してきたのは"ミトラス"ではありませんよ」

「え?」

 一同の思考が停止する。その瞬間のことだった。

 

 

 

「ヴォォォォォォノ!!」

 空高くから拠点の真上に巨大な質量が落ちてくる。

 その衝撃で唯一無事であった建物も崩れ落ち、瓦礫と人々が生活していた痕跡の中で巨大な質量が雄叫びを上げる。

 それは爬虫類の尻尾を持ち、豪奢な深紅のマントをはためかせる、二階建ての建物よりも大きな豚の親玉か何かであった。

 思わずトラちゃんさんを二度見する。

 

「今なんでアタシを見たのよ!」

「い、いや……。先ほど"悪魔"の食べすぎで黒豚の異能を身につけちゃってましたし……」

「あれはただのスキル変化! ああ、もうっ!」

 トラちゃんさんが地団太を踏み、豚の親玉を睨みつける。

 

「魔王"オーカス"!」

 "オーカス"と呼ばれた"悪魔"が答える。

「ヴォォォーノッ! 忌マワシキ女神ヨ! ソノ身ハ闇ニ穢レタカ。穢レタノナラバ、ソレデヨイ。我ハメインディッシュヲ食イニ来タノダ!!」

 言って、"オーカス"がその場でふごふごと鼻を利かせ始めた。その仕草は完全にトリュフ豚であったが、質量と迫力が段違いに大きい。

 

「見ツケタッ! 美味ナルエネルギーノ残リ香をッッ」

 "オーカス"は牙の生えた大きな口を禍々しい形状に歪め、何もない空間へと手持ちの錫杖を突きつける。いや……、何もない空間ではない。

 石突きの先に見慣れた扉が現れつつあった。あれは――。

 

「やば!? "箱庭"の出入り口がこじあけられちゃうわッ」

「え、な、な、何でですか!? トラちゃんさんが外界との出入り口を完全に閉じていたはずなのに……」

「恐らく……、変質した女神の瘴気を手がかりとしたのじゃろう。浄化の力も、瘴気も、その源が同じならば扉を開く鍵に利用できても不思議ではない。少々拙い展開じゃぞ、これは――」

 カンバリ様の推測を耳にした小生は、目の前が真っ暗になるほどの衝撃を受けた。

 彼の推測が確かであるのなら、この"悪魔"の軍勢襲来から"ディオニュソス"さんとの対決に至るまでの流れは全て、トラちゃんさんから瘴気を吐き出させるためにあったのだという理屈になる。

 ようやく足が再生した"ディオニュソス"さんが、ふらふらとその場に立ち上がり、"オーカス"に言葉を投げかけた。

 

「"オーカス"……。もしや、私と戦うことで女神が変質することまで予測していたのですか?」

「狂エル酒ノ神ヨ! 確カニ貴様ノ言ウ通リ、ワレハ貴様ノ敗北マデモ見越シテオッタ。全テハ"アドラメレク"ノ神算鬼謀ニヨルモノダアッ!!」

「まさか、この私が手のひらの上で踊らされていたとは……」

「酒瓶一ツデ快諾シタ分際デ、手ノヒラモ糞モアルモノカ!」

 確かに、と敵ながら思ってしまったことは、傍らで憤る"ディオニュソス"さんには言わないでおく。

 というか、まずい……! 既に隠されていた扉が露にされてしまっていた。明らかに出入りのできる状態だ。"オーカス"も勝利を確信し、「ヴォォォォノ!!」と雄叫びを何度もあげた。

 

「イザ行カン、ワレダケの"パライソ"ヘ!!」

「ま、待ちなさい!!」

「待テト言ワレテ待ツ馬鹿ガ何処ニイル!!」

 と"オーカス"が巨体に比して大分小さなドアノブへと手をかける。そして、静止。

 沈黙。

 硬直。

 

「ん?」

「ヴォォォーーーーーーーーノ!!!」

 怒号とも悲嘆とも判別のつかない、"オーカス"の雄叫びが拠点の周囲に轟いた。

 何が何だか分からなかったが、カンバリ様は"オーカス"の雄叫びに合点がいったようで、

 

「しめた! あやつめ、自分の巨体を計算に入れておらなんだ! 奴が無理やりに扉を拡張せん内に、何とか撃退してしまうぞっ!!」

「え、えええ……?」

 その展開は全く予想できなかった。思わず力が抜けてしまうが、あれも歴とした魔王なのである。

 小生はバックパックから異能の力が篭った石を取り出し、臨戦態勢をとった。

 トラちゃんさんも、カンバリ様も、"ディオニュソス"さんも流れで"オーカス"に立ち向かわんと身構える。

 かくして、小生にとっては初めてとなる魔王との戦いが始まった。

 

「アタシの"箱庭"に手を出さないでっ! ――"大冷界"よ!」

 まず、トラちゃんさんが先だって"悪魔"の軍勢に止めを刺した特大の異能を"オーカス"へとお見舞いする。

「ヴォ、ヴォォーーーーーノ!?」

 再び絶対零度と化した空間の中で、"オーカス"の尻尾が凍りついた。

 だが、致命的なダメージになるまでには至っていない。

 恐らくはベルクマンの法則が影響している。巨体過ぎて、凍結のダメージが通りにくいのである。

 

「ならば、何度も攻撃を当てれば……! トラちゃんさん! トラちゃんさん!?」

 続く攻撃を期待して呼びかけるも、トラちゃんさんから返事はなかった。

 精も根も尽きたかのように、前のめりに倒れてしまっている。何故だ。

 

「……周りからエネルギーを奪わないと、こんな大魔法を連続で使うなんて無理だってことに気がついたわ……」

「ああ、もう!」

 小生は手持ちの石を"オーカス"に投げつける。それはかまいたちのような異能を引き起こす石だったが、生憎と"オーカス"にとって有効打となる属性ではないようであった。

 ならば、と普段使いで好んで投げている電撃を引き起こす石を投げる。

「ヌヌウ……、ヴォォーーノ!」

 これは効果覿面のようで、"オーカス"がたまらず身じろぎする。

 凍り付いた尻尾が痛みにのたうち、元は拠点であった瓦礫の数々が辺りへと弾き飛ばされていった。

 

「追撃を行うぞ。八百万針じゃ、食らえぃっ!」

 続いてカンバリ様が自身の体から無数の針を生み出して、"オーカス"を蜂の巣にせんと次々に発射する。だが、これも"オーカス"の表皮を貫くには至らず、彼の逆鱗に触れただけの結果に終わる。

 

「キサマラ、コトゴトクツブレテシマエッ!!」

 "オーカス"の巨体が天高く舞い上がった。建物大の巨体が砲丸投げの玉のように――、高すぎる。

 あの膨大な体積がため込んだ位置エネルギーが、この後どんな結果をもたらすかなど、火を見るよりも明らかだ。

「ふぎゃっ」

 小生は色を失い、トラちゃんさんを担ぎ上げ、すぐに今いる場所から退避した。

 自慢の俊足をもってしても、ギリギリで回避できるかどうかの瀬戸際といったところだろうか。

 焦りつつも、振り返る。まだ、カンバリ様たちに退避の指示を出していなかった。

 

「カンバリ様、"ディオニュソス"さん!!」

 そして、声をかけてから絶望する。

 カンバリ様は浮遊しながら動くことのできる便利な身体を持っていたが、あまり機敏に動くことができない。

 "ディオニュソス"さんに至っては、先ほどまで足を失っていたばかりだ。

 

「テ、テトラカーンは張れますか!?」

 その問いに、カンバリ様は苦笑いを浮かべつつ答える。

「……流石にもう精神力がガス欠じゃわい。後は任せ――」

 カンバリ様が言い終わらない内に、"オーカス"の巨体が二人を無惨に押し潰した。

 押し潰してしまった。

 

「カ、カンバリ様ぁ!?」

 今まで頼りにしていた仲魔の一人が一撃でやられてしまったことに、正直ショックを隠せない。

 "悪魔"にリカームは効くのだろうか? 効くとしたら、何時まで放置しても大丈夫なのか。どの程度のダメージまでは蘇生できるのか?

 それよりも、まずい。まずい。まずい!

 今、こちらでまともに戦力になるのは小生だけであった。

 次の動作で、トラちゃんさんの精神力を回復させたとしても、"オーカス"に同じ攻撃を繰り返されてしまえば、きっとじり貧に押し切られてしまうだろう。

 控えめに言って、"詰み"の状況であった。

 ほぼ無意識にチャクラドロップを取り出しながら、救いを求めるように辺りを見る。何か起死回生にと使えるものはないだろうか? だが、無い。先ほどの戦いで、辺りにあったものは敵の軍勢も含めて、全てが瓦礫と残骸に変わってしまっていた。

 やばい。やばい。やばい!

「ヴォォォーーーノ!!!」

 再び"オーカス"が天高く飛び上がり、小生らめがけてボディプレスを仕掛けてきた。

 これを必死の猛ダッシュでなんとかしのぎ、回復したトラちゃんさんを立たせ、再び電撃の石を投げつける。

 

「ヌ、ヌゥゥ……!?」

 今は一瞬でも時間を稼ぐことが重要だった。

「ア、アタシは何をしたら……」

「トラちゃんさんは早くカンバリ様たちの蘇生を! 魔王はなるべく小生が引きつけますからっ」

「素直ニ戦力ノ建テ直シを許ストデモ思ウタカ!!」

「ですよねえ!?」

 痛みを押して、"オーカス"が猛然とした勢いで前足を振るった。建物の支柱よりも体積のある前足だ。それに、鋭い鉤爪がついている。

「ヤ、ヤマダ!?」

「まだ……、まだしばらくは大丈夫です!!」

 小生はバックパックから古めかしい鏡を取り出した。

 鏡で巨大な鉤爪を受け止め……、

「ヴォ、ヴォォォォォォノ!!?」

 直後、斬り裂かれた表皮から血を流しながら、"オーカス"が苦悶の内に絶叫する。

 対する小生の身体にダメージはない。

 物反鏡という、テトラカーンと同じ効果を持つ魔鏡がもたらした成果であった。

 探索中に拾いはしたものの、一回こっきりしか使えない上に一つしか持っていなかったことから、バックパックの肥やしになっていたのだ。

 これは秘中の秘。文字通りの切り札であり、もう小生にできることはない。

 足りない脳味噌を必死に回転させ、打開の一手を模索する。

 回復、攻撃、蘇生、回復、攻撃……。

 どう見繕っても手札が足りない。

 気がつけば、小生は悔しさのあまりに唇を噛みきってしまっていた。

 

 戦力が足りなすぎるのだ。小生たちは。

 無力なのだ。人間という存在は。

 ただひたすらに悔しくてたまらない。"悪魔"という人外の存在に蹂躙されるだけの自分たちが。

 悔しさが、諦観と繋がりかけていた。繋がった瞬間、小生の命運はそこで尽きることだろう。

 小生の心が弱気に支配されようとしているところに、トラちゃんの姿がふと目に映った。

 彼女は小生の指示を素直に信じ、必死にカンバリ様たちにリカームをかけようとしている。

 小生は大きく息を吐き、「馬鹿野郎」と自らの頬を思いっきり殴りつけた。

 "バケツ頭"がぐわんぐわんと揺れて反響したが、酔い醒ましには丁度良い。

 そして腹の底から力一杯叫ぶ。

 

「まだ負けてたまるか!」

『良く言った! 感動した!』

「へ……?」

 と崖っぷちに立たされた小生の耳元に予想外の"通信音声"が聞こえてくる。

 直後、デモニカスーツを着た隊員らしき青年が、長柄の槍を持って"オーカス"の懐へと潜り込んでいく。

 そのすぐ後ろを、犬の頭を持った幽霊らしき"悪魔"がひょろひょろと付き従っていた。

 青年が犬頭の"悪魔"に気安い口調で声をかけた。

 

「"イヌガミ"! 援護頼むわっ」

「オォォン!! 任セロ、サマナー。"ラクンダ"ッ!」

 犬頭の口から発せられた波動が、"オーカス"に何らかの効果を与える。

 そして、長柄の槍が一瞬の内に2度の閃きを見せた。 

 

「シャラァッ!」

「ヴォォーーォォノ!!?」

 切っ先による刺突痕、薙ぎ払いによる斬撃痕、それらが巨体に刻み付けられ、さらに槍が大きくしなるほどの膂力をかけた石突による殴打が"オーカス"を大きくのけぞらせた。

 

「す、すごい……」

 どう見ても尋常の腕前ではない。それに、小生は彼の操る槍に全く見覚えがなかった。

 血色に染まった禍々しい大身槍。隊の標準装備にあんなものはなかったはずだ。私物か? いや、待った。

 小生は目を瞬かせ、もう一度彼の背中をじっと見た。

 

 彼は"エルブス"号の隊員ではない。

 "ギガンティック"号の隊員でもない。

 彼は――、調査隊の一号艦である"レッドスプライト"号の乗組員であるはずであった。

 

『"レッドスプライト"コントロール! こちら、機動2班のアンソニーだ! "エルブス"号の乗組員を発見したぜ! 大型の悪魔と交戦中。手近な援軍を遣してくれっ』

『こちら機動1班。俺も彼を視認した。即座に援護を行おう』

 続く通信が立て続けに入り、二人目の隊員が戦場へと乱入してきた。

 小生も顔を見知っている、ブレアという古強者の傭兵だ。

 彼は標準装備のそれとは形状の異なるマシンガンを腰だめに構え、両隣に控えさせていた雪ダルマのような"悪魔"とカボチャ頭の"悪魔"に鋭い口調で指示を飛ばす。

「突撃を開始する。トリガーハッピーだ。アタック! アタック! アタック!」

「ヒーホー! 暴れたい放題だホーっ!」

 駆け回りながらのマシンガン乱射を行う彼の肩に、カボチャ頭がひっしとしがみつきながらもその口から燃え盛る火炎を轟と吐き出した。

「アギラオだホー!」

 彼の後ろをどたどたと走る雪ダルマもまた、雪ダルマらしい異能を発動する。

 こちらは見た目通りの氷結系で、"オーカス"の足元に凍った地面を作り出す。

「ブフーラだホー!」

「ヴォ!? ヴォ、ヴォォォォノ!?」

 氷結した地面に足を取られた"オーカス"が体勢を崩し、驚愕に染まった彼の顔をブレアの放った銃弾とアギラオが強かに打つ。

 じゅうと肉の焦げる匂いが漂う。銃弾は表皮に弾かれてしまったが、どうやら火炎の異能は有効打となりえるらしい。

 悶え苦しむ"オーカス"を見て、ブレアがしてやったりとばかりに鼻で笑う。

 

悪魔分析(デビルアナライズ)進行中。どうやら火炎が弱点属性のようだ。こいつは正規のマシンガンを持ってきたほうが良かったかもしれん……。"ジャックランタン"!!」

「我が世の春がやってきたホー!」

 続けてカボチャ頭が火炎を放ち、"オーカス"の身に纏っていたマントを延焼させた。

 "オーカス"が炎から逃れようと半狂乱になってのた打ち回る。その隙を彼らは見逃さなかった。

 

「COOP! おい、アンソニーも参加しやがれッッ!」

「待てよ、俺は2班だろ!? 全く人遣いが荒いオッサンだな!!」

 彼らとその仲魔たちは、あの巨体を相手に全く臆せず立ち向かっていた。

 不意打ちの混乱から立ち直った"オーカス"から手痛い反撃を食らっても屈しない。ただ愚直に攻撃を重ねていく。

 

「……何であんな前のめりに攻めていけるんだ?」

 小生には理解できなかった。

 銃弾も資材も命も有限で、人間社会から切り離された環境にあって、彼らは一体何を心の支えにして戦っているのか。

 呆然とする小生に、機械音声の通信が入った。

 

『ハロー。ワタシは"レッドスプライト"号の指令コマンド、"アーサー"。当艦、ならびに他艦のあらゆるシステムと連動して行動プランを策定し、あなたたちをサポートする擬似人格タイプの管理プログラムです。"エルブス"号のクルー。情報の提供をお願いします。あなたたちに何があったのですか?』

『え、あ。えっと……』

 突然の質問に小生の思考は真っ白く塗りつぶされた。何から話せばいいのだろうか。彼らは何を知りたがっているのだろうか。

 いや、違う。彼らは仲間だ。ただ、全てを打ち明ければ良い。

 小生は言った。

 

『"エルブス"号所属、インフラ班のヤマダ隊員であります。現在、仲間が宮殿に囚われています! 機動班が宮殿内にて救出ミッションを遂行中。小生は拠点の防衛に努めていました』

 小生の説明に、"アーサー"が間髪入れずに返してきた。

 

『情報の提供をありがとうございます。行動プランの策定、優先順位の設定――。"レッドスプライト"クルーに連絡。これよりメインミッションを発令します』

 "アーサー"が柔らかな機械音声のままに言葉を紡ぐ。立ちはだかる困難を困難とも思っていない、人格プログラムらしい声色であった。

 

『第一ミッション。最重要情報提供者、ヤマダ隊員の保護。第二ミッション。彼の言う"拠点"なるものの防衛。第三ミッション。囚われた隊員の可及的速やかなる救出――、タダノ隊員』

「……えっ?」

 聞けるはずのない苗字を耳にした。

 

『現在機動1班と2班が合同で処理に当たっている大型悪魔の対応に向かってください。あなたが一番近くを探索しています』

『こちら、タダノ隊員。直ちにメインミッションを受領する』

 聞けるとは思っていなかった懐かしい声をも耳にする。

 そして、援軍がやってきた。

 

 

「どっせぇぇぇぇぇい!!」

 蛇の半身を持つ男"悪魔"と赤肌に大柄の角を生やした男"悪魔"が息を切らせながら、"オーカス"に体当たりをぶちかます。

「ヴォォォーーーノ!!!」

 しかし、彼らの攻撃はたいしたダメージにはならなかったようで、怒り狂った"オーカス"に尻尾で薙ぎ払われ、木の葉のように吹き飛んでいった。

 宙を舞う二体の"悪魔"たちは、何故か満ち足りた表情を浮かべている。いや、"何故か"ではない。小生は、彼らが満ち足りた表情を浮かべている理由に察しがついてしまっていた。

 

「へ、へへ……。ようやく休憩ができるぜ」

「休みのことを考えているようでは、まだ心に余裕がある証拠だな」

「ヒ、ヒエエ!?」

 駆けつけた男性の言葉に、地面に崩れ落ちた二体の"悪魔"が即座に立ち上がりながら悲鳴をあげた。

 どうやら小生の予想は当たっているようだ。

 

 駆けつけた男性を、小生は見る。

 すらりとした長身。クォーターらしき彫りの深い顔かたちに、生真面目な表情。そして体育会系の思考回路。

 小生は呆れつつも、嬉しくなって上機嫌に声をかけた。

「……こんな地で、"悪魔"相手に何やってるんですか」

「新入部員は少し荒っぽくしごかないと使い物にならんだろう。まあ、敵の相性も悪いか。帰還してよし!」

 男性が、高校時代を思わせる生真面目な口調で"悪魔"たちに命じ、ハンドヘルドコンピュータを操作する。

 二体の"悪魔"がほっと安堵の息を吐きながら粒子に変わっていく姿は、小生にとってはまさしく青春時代の再現そのものであった。

 ここまでくれば夢幻ではありえない。

 彼は、間違いなくタダノ君だ。高校時代に自分とバッテリーを組んでいたはずの。

 だが、彼の名前が隊員名簿になかったことが気にかかった。

 

「どうしてシュバルツバースに……?」

「ん、国連の指名で駆け込みの参加が決まったんだ。まあ、間に合って良かったよ。本当に」

 大したことではないといった風に流し、そのまま彼は召喚プログラムを起動させる。

 そう、いつも彼は大それたことを何食わぬ顔で仕出かす男なのだ。

 

「――召喚。"ハイピクシー"、"ドワーフ"、"シーサー"」

 続いて三体の"悪魔"が彼の周囲に出現する。

 

「ちょっと! ライドウちゃんに負けない活躍をするのよ! ヒトナリ!」

「ご先祖様と比べないでくれ」

 まずは羽根の生えた小さな少女が一体。随分と気安い様子で語り合っている。

「こりゃ、ヒトナリ! 老骨に鞭打たず、若いもんを使わんかい」

「すいませんが、緊急時ですから」

 金槌を持った小柄な老人が一体。やはり確かな絆が透けて見える。

「ワオオオン! オレサマ、ハラヘッタ! ニクノイチバンイイトコロヲショモウスル!!」

「あそこででかい肉が暴れまわってるぞ」

「アオン!! コンガリマルヤキ、ハライッパイニククイタイ!!」

「そうか、腹壊さない程度に頑張れ」

 三体目は沖縄でお土産として売られているシーサーそのものだった。だが、何処かタダノ君の家で飼われていた犬を髣髴させるところがある。

 タダノ君がピストル型の銃を構えた。やはり正規のものではない。もしや自力で製造をしているのだろうか。

 呆気に取られる小生のことを、タダノ君はちらりと見る。

 

「ヤマダ、お前戦えるのか?」

 その眼差しはトラちゃんさんに向けられていた。彼女はカンバリ様たちの蘇生に専念して駆け回っている。

 

「あ、はい。戦えます……、けど。まずは仲魔を蘇生したくて」

「分かった。好きなタイミングで援護に入ってくれ。それでは戦闘を開始する」

 その言葉を皮切りに、ピストルの銃口が火を噴いた。

 銃撃の直後に駆け出す見慣れた背中を見て、小生は心の底から安堵する。

 こんな滅びの地にあって外界の"戦友"と出会えたことは、小生を襲った数々の困難を一瞬忘れさせてくれるほど何よりも嬉しいことであった。

 

 




【悪魔全書】
名前  トラソルテオトル(分霊)
種族 死神
属性 DARK―NEUTRAL
Lv 35
HP 348
MP 146
力 26
体 30
魔 24
速 29
運 20

耐性
氷結 吸
破魔 耐
呪殺 無

スキル
大冷界 混沌の海 メディラマ リカーム マハムドオン 勝利のチャクラ

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