「とりゃぁぁっ!」
紅のコートが翻るたび、ポリゴン片が宙を舞う。一振りの長剣を携えた少女が空間に幾筋もの残光を撒き、駆け抜けた後には既に何も残っていなかった。その様子を後ろで見ていた、二刀を構えた少年は暴風雨の如き少女を見て呆れたようにため息をつく。
「ほんっと、でたらめな攻撃範囲だよなぁ……」
少女の名前はアリス、そして少年の名前はキリトという。少女はひとしきりモンスターを狩りつくすと、満足したと言わんばかりに鼻を鳴らし、剣帯のベルトをパチリと留めた。
左手の人差し指と中指を揃え、振ると出てきたメニューウィンドウを手早く操作すると、出てきた数字に笑顔を浮かべる。
「やった! 熟練度800!」
習得スキルリストと書かれたそこには様々な種類のスキルがずらりと記されており、アリスが確認していたのは《英雄之剣》というスキルで、そのスキル名の横には800/1000という数字が書かれている。人目を避けて熟練度を上げること数時間。アリスはメニューウィンドウを閉じると、体の熱を外に出すようにふぅと一息吐いた。
このゲームのスキル熟練度の上げ方は簡単で、《片手直剣》や《両手剣》等の戦闘スキルであればそれを使用及び対応した装備でモンスターを倒す。《裁縫》や《鍛冶》等の作成スキルは使用してアイテムを生産すれば上がっていく。
簡単とは言ったものの、そこはMMORPG。熟練度は上がれば上がるほど1つ上げるために必要な使用回数が増えていく。
が、戦闘スキルに関しては抜け道が無いわけではない。要は、使用回数が多くなればいいのだから、安全に狩れるモンスターを大量に倒せばいいという話だ。
このデスゲームでは多数のモンスターに囲まれるという手段を取る事が命の危険に繋がるので、ソロで行うリスクは高い。しかしそれも、パーティを組んでいれば別の話。むしろ、もう一人がモンスターを釣って来ることで効率は更に上がる。
特にアリスの《英雄之剣》は一体多の戦闘に強い特性を持っている為、習得してから僅か3ヶ月でカンストが見える域にまで達していた。それもコハルやキリトといった協力者が居てこその成果なのだが。
「そういえば、スキルチェインとか言ってたか。あのシステム外スキルは使わないのか?」
アリスが大量のモンスターを倒したことによる、アイテムストレージの素材達を整理していると、剣を背に納めたキリトが近づき言った。
スキルチェインとは、アリスがソロで活動しているときに偶然見つけたシステム外スキルだ。ソードスキルのモーション中に、一瞬の活動可能時間を使用して武器とソードスキルを《クイック・チェンジ》で変更し、別のソードスキルを発動するというもの。ソードスキルからソードスキルまでのラグがほぼ無いに等しく、ソードスキルといういわば必殺技を連発できるというチートレベルの技だ。
しかし、その難易度は極めて高く《クイック・チェンジ》の熟練度をカンストさせるという前提を抜きにしても、アリス以外に使用することは出来ないだろうというのがキリトの見解だった。
実はこっそりキリトが《クイック・チェンジ》の熟練度を上げているのは誰も知らない。
「んー……前も言った通り、繋げられても単発ソードスキル3、4回位だし、ちょっとでもミスったら硬直するしでリスクの方が高いんだよね。《英雄之剣》スキルの方が対モンスターには相性いいし」
アリスはぽりぽりと頬を掻きながら、何故スキルチェインを使用しないのかという理由を説明する。
ソードスキルが強力とは言っても、下位のソードスキルは上位のそれには及ばない。《英雄之剣》の熟練度が上がったことにより、上位のソードスキルが解放された。その結果として、スキルチェインで下位のソードスキル数発を重ねるよりもモンスター相手には具合がいいという結論に至ったのだ。
そして、スキルチェインを使わない理由はもう一つあった。
「それに、あれって結構神経使うっていうか……こう、ぐわーってなってないと上手く出来ないんだ」
「ぐわーって何だぐわーって」
アリスのよく分からない擬音での説明に、キリトが肩を竦めた。
「なんか、無い? 周りがスローモーションになるっていうか、そんな感覚」
「あー……なるほどな。何となくだけど分かるよ」
アリスが言っているのは、極限まで戦闘に意識を集中したときに起こる、感覚が一段階シフトアップするというもの。意識が加速し、周りがスローモーションになるこの現象は、死線を数多く潜り抜けているトッププレイヤー達が稀に感じるシステム外スキルとも呼べるようなものだった。
キリトも覚えがあるのか、アリスの説明に納得したとばかりに頷いた。
「さて、次はキリトの番だけどどうする? 狩場変える?」
「ん? ああ……そうだな。場所を移動しようか」
二人は次の狩場をピックアップすると、転移するため主街区へと歩を進めていった。
◇Side アリス
「ターゲット発見。……なんかもめてる?」
「そうみたいだな……喧嘩か?」
所変わって、ここは三十五層《迷いの森》。私とキリトはある目的の為にこのダンジョンへと赴いていた。認識阻害のフードを被り、隠密スキルをフルに活用して目的のパーティを注意深く観察していると、どうやらターゲットはいざこざがあったらしく言い争いになっていた。
騒動の中心は、パーティの女性プレイヤー二人。内一人はまだ年端も行かない少女で、多分私よりも年が下じゃないだろうか。
「どうする? 仲裁に入る?」
「いや、様子を見よう。ここで顔を見られるのはまずい」
そうこうしているうちに、小さな女の子のほうが怒ってどこかに行ってしまった。探知に引っかからないように遠くに潜んでいたため会話の内容は詳しくは分からないけれど、アイテム分配で揉めてたっぽい?
これはまずいかもしれない。今までの戦闘を見てた限り、《使い魔》を連れてる事を含めてこの森を十分に攻略できるレベルは持っているはずだけど、それでもソロとパーティとじゃ勝手が違う。彼女がソロでの戦闘に慣れてるとは思えないし、心配だ。
「キリト」
「ああ、こっちは任せとけ」
名前を呼んだだけで何がしたいのかを瞬時に悟ってくれたキリトに、共に過ごした時間の長さを感じる。彼の気遣いに感謝しつつ、私は静かに小さな女の子の後を追った。
《迷いの森》には何度も来ているし、地図も持っているから迷う事は無い……のだけれど、運が悪かった。このダンジョンは一分ごとにマップの更新があり、区画と区画を結ぶ回廊が入れ替わる。森を走り抜けようとする少女の後を少し遅れて追った私は丁度この更新時間を僅かに超えてしまい、出た先で少女の姿が見えず少し焦った。
これはまずいぞ……区画の切り替えは完全にランダムで、システムによるマップが制限されてる《迷いの森》では索敵スキルによるプレイヤーの感知は不可。つまり一度見失ってしまえば追いつくことは困難となる。だけどまだ手はある。
私は目を閉じ、全神経を耳に集中する。聞き取れ、些細な音を、違和感を。このゲームの背景音は一定だ。だけどそこにプレイヤーが介在した場合、足音や話し声、息遣いなどは必ず発生する。区画の繋ぎが変わろうとも、その音が発生した方向は変わらない。
耳を澄ますこと、少し。私の耳がとある方向からの戦闘音を捉えた。
瞬間、地を強く蹴り疾駆する。音の聞こえる方向へ、陽炎の様に揺らめく転送ゾーンへと。もしかしたら、それは探している女の子のものではなく、別のパーティが起こした音かもしれないとは思わなかった。
何かに導かれるように、半ば確信的に走り続ける。区画を数箇所越えた先に――居た。
ずんぐりとした、腕の筋肉が異常に発達している毛むくじゃらの猿人――《ドランクエイプ》三匹が件の少女を取り囲み、手にした棍棒を今まさに振り下ろさんとしている。
「させ……ないっ!」
足元から爆発めいた音を放ちながら、私は一瞬の内にモンスターの群れへと肉薄し、技を繰り出した。
英雄之剣スキル中級範囲技《ホーリィ・スワイプ》
右上段から振り下ろした光を帯びる剣を、そのまま水平方向へと切り返す二連撃技は密集していた《ドランクエイプ》を両断し、何が起きたかもわからぬまま猿人は絶叫と破壊音を振りまきながら砕け散った。
なんとか、間に合ったみたい。剣を納め無事な姿の少女を確認して安堵に胸を撫で下ろす。が、瞳に涙を溜めながらこちらを見上げる少女の胸に抱かれた羽を見て、考えを改めた。
この子は助かったかもしれない、けど……。
「……ごめん。君の友達、助けられなかった……」
私がそう声を掛けた瞬間。少女は涙を溢れさせ、崩れ落ち嗚咽を漏らし始めた。
「お願いだよ……あたしを一人にしないでよ……ピナ……」
◇side シリカ
「……本当に、ごめん」
再び、紅衣の少女の声がしました。あたしは必死に涙を収めて、言いました。
「……いいえ……あたしが……バカだったんです……。ありがとうございます……助けてくれて……」
嗚咽を堪えながら、どうにかそれだけを口にします。
少女がゆっくり歩み寄ってくると、あたしの前に屈みこんで遠慮がちな声を発しました。
「……えと、その羽根なんだけど。アイテム名って設定されてる?」
アイテム名……? 涙を拭い、改めて水色の羽根に視線を落とします。
そういえば、一枚だけ羽根が残っているのは不思議ではありました。プレイヤーにせよモンスターにせよ、死亡して四散する時は装備から何から全て四散するのが普通です。ドロップアイテム等は獲得ログと共にストレージに自動収納されますし。
おそるおそる、羽根の表面をぽんとシングルクリックすると、浮き上がった半透明のウィンドウには重量とアイテム名がひっそりと表示されていました。
《ピナの心》
その文字を見た瞬間、ぶわと涙が溢れました。
「わ、わ! 待って待って! 心アイテムが残ってればまだ蘇生出きるかもしれないんだよ!」
「え!?」
私は慌てて顔を上げました。ぽかんと口を開けたまま、彼女の顔を見つめます。
「最近分かった事だから、あんまり知られてないんだけどね。四十七層に《思い出の丘》っていうフィールドダンジョンがあるんだ。そこのてっぺんに咲く花が、使い魔蘇生用のアイテムらし――」
「ほ、ほんとですか!?」
彼女の言葉が終わらないうちに、あたしは腰を浮かせ、叫んでいました。悲しみに塞がれた胸の奥に、ぱぁっと希望の光が差し込んでくる思いです。ですが――
「……四十七層……」
今いる三十五層からは遥か十二層も上のフロアです。とても安全圏とは言えません。
悄然と視線を地面に落としかけた時。
「うーん……私が代わりに取りに行ってもいいんだけど……本人が行かないと肝心の花が咲かないらしんだよね……」
人の良さそうな彼女の言葉に、私は自然と微笑んでいました。
「いえ……。情報だけでも、とってもありがたいです。頑張ってレベル上げすれば、いつかは……」
「それがそうもいかなくて……。使い魔を蘇生出きるのは、死んでから三日まで。それを過ぎると、アイテム名の《心》が《形見》に変化しちゃって……」
「そんな……!」
思わず叫んでしまいました。
現在のレベルは44。安全マージンを取るには、最低でも55まで上げなければなりません。実際の攻略を考えて、残り二日でレベルを10以上も上げるだなんて、どう考えても無理です。
再び、絶望に捕らわれて項垂れます。地面からピナの羽根を摘み上げ、両手でそっと胸に抱きました。自分の愚かさ、無力さ、全てが悔しくて、自然と涙が浮かんできました。
少女が立ち上がる気配がしました。立ち去るのでしょうか。もう一度お礼を言わなければとは思いましたが、口を開く気力も残っていません。
不意に、目の前に半透明に光るシステム窓が表示されました。トレードウィンドウです。見上げると、少女が手元で同じウィンドウを操作していました。トレード欄に次々とアイテム名が表示されていきます。《シルバースレッド・アーマー》、《イーボン・ダガー》……。どれ一つとしてみたことのあるものがありません。
「あの……」
戸惑いつつ口を開くと、彼女はウィンドウを操作しながら言いました。
「この装備で5……6レベルくらいかな? ステータスが底上げできるよ。私と……あともう一人、連れが一緒にいれば多分なんとかなると思う」
「えっ……」
口を小さく開きかけたまま、あたしも立ち上がります。彼女の真意を測りかね、じっとその顔をみつめました。視界がフォーカスされたことで、彼女の顔の右上にグリーンのカーソルが浮かび上がりますが、SAOの仕様どおりそこにはHPバーが一本そっけなく表示されているだけで、名前もレベルもわかりません。
ようやく、今になって分かりましたが、彼女の年の程は私とそう変わらないんじゃないでしょうか。身長は私よりほんの少し高いくらい。少し丸みを帯びた輪郭に、くりくりとしたやや垂れた目に紅玉色の瞳が優しそうな印象を受けます。腰まで伸びた赤茶色の髪は夜風に煽られ静かになびいていました。
あたしとあんまり年齢が変わらないのに、彼女はあの猿人をいとも簡単に倒してしまったことからそのレベルの高さが伺えます。それは単純に尊敬を抱くと同時に――
「なんで……そこまでしてくれるんですか……」
警戒心が立ちます。このゲームには女性プレイヤーは稀少です。なので、同じ女性プレイヤーというだけで心を許してしまいそうになります。……でもそれは少し前までの話で、あんな事があった今女性プレイヤーだからこそ何か裏があるんじゃないかと疑ってしまいます。
彼女は返答に困ったように頬を掻くと、何かを言おうと口を少し開き、そしてすぐに閉じました。やがて視線を逸らして、小声で呟きます。
「うーん……説明するのがちょっと難しいんだけど……。私のね、大切な人がさ。こういうの絶対に放っておかないなぁって。あの子だったら、きっと君の事を助けるから……それに……」
「それに……?」
「……笑わない?」
不安そうにこちらをみつめる視線に、あたしはしっかりと頷きます。
「えっとね。……君が妹に似てるから、かな」
あまりにもベタベタな答えに、思わず噴出してしまいました。慌てて片手で口を押さえますが、こみ上げる笑いを押さえきれずくすくすと漏れてしまいました。
「あーっ! 笑わないっていったのに!」
「あはは……。ごめんなさい。えっと……それじゃあ宜しくお願いします。助けてもらったのに、こんなことまで……」
――悪い人じゃない。笑いを堪えながら、あたしはこの人の善意を信じてみようと思いました。一度は死んだと思った命です。ピナを助けるためなら、もはや惜しむものはありませんでした。
トレードウィンドウを操作して、自分のトレード欄に所持しているコルの全額を入力します。彼女が提示してきた装備アイテムは武器だけでなく上下の防具やアクセサリーにまで及び、その全てがモンスタードロップのレアアイテムみたいです。
「あの……こんなんじゃ、ぜんぜん足らないと思うんですけど……」
「んーん。お金はいいよ。私のお古で余ってた物だし、私がここに来た目的とも多少被らないでもないし……」
謎めいたことを言いながら、彼女はお金を受け取らずにOKボタンを押してしまいました。
「すみません、何からなにまで……。あの、あたし、シリカっていいます」
名乗りながら、少しだけ、彼女が「君があの?」と驚く反応を期待してしまいましたが、どうやらあたしの名前は記憶にないようでした。一瞬残念に思いましたが、すぐにあたしのそういう思い上がりが今回の事態を招いたんだと反省します。
彼女は軽く頷くと、右手を差し出してきました。
「私はアリス。よろしくね?」
ぎゅっと握手を交わします。
はて、アリスという名前にはどこか聞き覚えがあるのですが、いったいどこで耳にしたのでしょうか。
しかし記憶をめぐる暇も無く、アリスさんはポーチから迷いの森の地図アイテムを取り出して、出口に繋がるエリアを確認するとすたすたと歩き始めてしまい、慌てて後を追いかけます。
右手に持っていたピナの羽根を口元に当て、胸の中で呟きます。
待っててね、ピナ。絶対、生き返らせてあげるから――。
◇
三十五層主街区は、城壁に赤い屋根の建物が並ぶ牧歌的な農村のたたずまいです。それほど大きい街ではありませんが、現在は中層プレイヤーの主戦場となっていることもあってか行き交う人の数はかなり多いです。
あたしはせめてアリスさんにお勧めのチーズケーキを振舞おうと、二週間前から逗留している宿屋へと彼女を案内しています。
人ごみに迷うといけないからと、手を引いて大通りから転移門広場に入ると、早速顔見知りのプレイヤーさんが声を掛けてきました。あたしがフリーになった事を聞きつけ、パーティに勧誘しようというのです。
「あ、あの……お話はありがたいんですけど……」
受け答えが嫌味にならないよう一生懸命頭を下げてお話を断わります。そして隣に立つアリスさんに視線を送り、続けました。
「しばらくこの人とパーティを組むことになったので……」
あたしを勧誘していた二人は、そりゃないよと不満の声を上げた後に釣られるようにしてアリスさんに視線を投げかけました。そしてぴしりと固まります。
どうしたのでしょうか、もしかしてアリスさんの事を疑っているのでしょうか。あたしは目の前で彼女の強さを目の当たりにしましたが、アリスさんの外見はとてもじゃありませんが強そうに思えません。
特に高級そうな防具を装備しているわけでもありませんし――鎧のたぐいは一切無し、辛うじて金属の胸当てがある程度で、その上には古びた紅いロングコートを羽織っているだけ。武器もシンプルな片手剣を一本腰に吊るしているのみで盾も装備していません。
「あ、あんた――」
「ん? 私?」
「もしかして、アリスさんじゃないか!?」
声を掛けてきた二人の内、やや恰幅の良い方が驚いたように声を上げました。
知り合い、なのでしょうか? しかしアリスさんの方は記憶に無さそうで、うーん? と可愛らしく首を捻っています。
「えっと……誰だっけ?」
「そんなぁ! ……っていっても、《はじまりの街》以来だから仕方ないか。俺はウルリック。覚えてない?」
「あたし……じゃなくてオレはみゆりんだよ。ほら、ネカマの……」
二人が自己紹介をすると、アリスさんも合点がいったようで「ああ!」と手をぽんと叩きました。
「あはは! 久しぶりだね! 中層にまで来てたんだ!」
「うん。端っこでちまちまと頑張ってきてやっとね。今日はコハルさんは居ないんだ?」
「そうだよ。今日は単独行動中。それよりもシリカちゃん取っちゃってごめんね?」
「いやいや、これが男なら文句の一つも出ようもんだけど、アリスさんなら構わないよ」
それじゃあまた! と先程とは打って変わり、二人は和やかな雰囲気で去っていきました。途中までは中心にいたはずなのに、いつの間にか蚊帳の外だったあたしはぽかんとしたまま惚けていました。
「あの……アリスさんはあの人達と知り合いだったんですか?」
「知り合いって言うか、なんていうか……。まあ、そんなところなのかな?」
途中まで忘れてたんだけどねーと、アリスさんはからからと笑いました。
すごい、と思いました。あたしと年はそう離れてないはずなのに、あの二人からはアリスさんに対する信頼が見えて取れました。それに比べてあたしは、マスコット代わりに囃し立てられて、調子に乗って、それで――
ピナの事を思うと、自然と涙が出ます。
しかし、浮かんだ涙が零れる前に、そっとアリスさんに拭われました。
「だいじょうぶだよ」
あくまで落ち着いた声で、アリスさんが言いました。
「絶対生き返らせられるよ。心配しないで」
にこりと笑ったアリスさんに、あたしも微笑み返しました。不思議と、この人の言う事なら信じられる気がします。
やがて、道の端に目的地である一際大きい二階建ての建物――《風見鶏亭》が見えてきました。と、ここであたしは何も言わずアリスさんを連れて来てしまったことに気づきます。
「あ、アリスさん。ホームはどこに……」
「ん? えーと、二十二層にあるんだけど……ちょっと待ってね」
そう言うと、アリスさんは手早くウィンドウを操作するとどこかにメッセージを飛ばしたようでした。待つこと数分、届いた返事を確認するとアリスさんはウィンドウを閉じて言いました。
「外泊の許可取れたから、今日は私もここに泊まるよ」
「そうですか!」
嬉しくなって、思わず両手をパンと叩いてしまいました。
それにしても、外泊の許可……? もしかして、どなたかと一緒に寝泊りをされてるのでしょうか? ……思っていた以上に、アリスさんは大人みたいです。森で話していた、大切な人というのがそうなのでしょうか。
話が逸れました。お世話になりっぱなしというのも座りが悪いですし、ここはやはりお勧めのケーキをご馳走したく思います。はやる気持ちを抑えつつ、アリスさんの手を引いて宿屋に入ろうとした時、隣に立つ道具屋からぞろぞろと四、五人の集団が出てきました。ここ二週間程参加していたパーティのメンバーです。前を歩く男性達はあたしに気づかずに広場のほうへ去っていきましたが、最後尾に居た一人の女性プレイヤーがちらりと振り向いたので、あたしは反射的に相手の眼を真っ直ぐ見てしまいました。
今いちばん見たくない顔です。迷いの森でパーティとケンカ別れする原因になった槍使いです。顔を伏せ、無言で宿屋に入ろうとしましたが……
「あら、シリカじゃない」
向こうから声を掛けられてしまい、仕方なく立ち止まります。
「……どうも」
「へぇーえ、森から脱出できたんだ。よかったわね」
真っ赤な髪を派手にカールさせた、確か名前をロザリアと言ったその女性プレイヤーは、口の端を歪める様に笑うと言いました。
「でも、今更帰ってきても遅いわよ。ついさっきアイテムの分配は終わっちゃったわ」
「要らないって言った筈です! ――急ぎますから」
会話を切り上げようとしましたが、相手にはまだあたしを解放する気はないようでした。あたしの肩を一瞥すると、そこが空いているのに気づき、嫌な笑いを浮かべます。
「あら? あのトカゲ、どうしちゃったの?」
思わず、唇を噛みました。使い魔はストレージに格納することも、どこかに預けることが出来ません。ここに居ないということは、答えは一つです。そんな事は彼女も当然知っているはずなのに、薄い笑いを浮かべながらわざとらしく言葉を続けました。
「あらら、もしかしてぇ……?」
「死にました……。でも!」
キッとロゼリアさんを睨みつけ、言います。
「ピナは絶対に生き返らせます!」
けらけらと痛快という風に笑っていた彼女の目が、わずかに見開かれました。そして小さくひゅぅと口笛を吹きます。
「へえ、てことは、《思い出の丘》に行く気なんだ。でも、あんたのレベルで攻略できるの?」
「できるよ」
あたしが答える前に、アリスさんが進み出てきてくれました。あたしをかばうように、背に隠して。
「そんなに難易度が高いダンジョンじゃ、ないしね」
ロザリアさんはあからさまに値踏みするような視線でアリスさんを眺め回し、紅い唇に再びあざけるような笑みを浮かべました。
「あんたも垂らしこまれた口……ってわけでもなさそうね、女だし。見たとこそんなに強そうじゃないけど? 小さな女の子同士の仲良しこよしでどうにかなるのかしら?」
悔しさのあまり、あたしは体が震えるのを感じました。俯いて、必死に涙を堪えます。
「行こ?」
肩に手を乗せたアリスさんに促され、あたしは宿屋へと足を向けました。
「ま、せいぜい頑張ってね」
ロゼリアさんの笑いを含んだ声が背中を叩きましたが、もう振り返ることはしませんでした。
《風見鶏亭》の一階は広いレストランになっていて、その奥まった席にあたしを座らせると、アリスさんはNPCの立つフロントでチェックインを済ませました。戻ってきたアリスさんが向かいに腰掛けたのを見て、不快な思いをさせてしまったことを謝ろうとしましたが、それよりも前にアリスさんが声を上げました。
「あーもう、むかつく! 小さなって失礼だよね! 私達だってこれから背が伸びるんだから! ね?」
怒る所、そこなんですね……。
アリスさんは小さなという言葉に大層憤慨したようで、ぐちぐちと不満を零していました。
「どうせ近くにいるだろうから、あいつも呼んじゃお」
アリスさんは再びメッセージをどこかに送ると、メニューを取り出ししげしげと眺め始めました。しかし途中で選ぶことを諦めたのか、あたしに「お勧めってある?」と聞いてきました。
戸惑いながらも、一推しであるチーズケーキと、以前食べて美味しかったシチューと黒パンを勧めると、アリスさんはやってきたウェイターに迷わずそれを注文しました。慌ててあたしも同じものを注文します。
料理が届くまでの間、何を話そうか迷っていると、背後から声を掛けられました。
「よ。来てやったぞ」
「おー、待ってたよ。シリカちゃん、この黒いのはキリト。明日の《思い出の丘》攻略のもう一人のメンバー」
現れたのは、なんと表現すればいいのでしょうか……。全身黒ずくめの、線のほっそりとした中性的な顔立ちの……男の人? でしょうか。どこかアリスさんと似た様な、色違いな風貌をした彼は、よいしょっとあたしとアリスさんの間にある席へと腰掛けました。
「えっと、シリカです。よろしくお願いします……」
「キリトだ。えぇっと、話はアリスから聞いてるよ。《思い出の丘》攻略は俺も手伝うから、少しの間だけどよろしくな」
差し出された右手をおずおずと掴み、握手を交わします。男の人ということで少し警戒しましたが、アリスさんの紹介であれば信用しても大丈夫そうです。
ちょうど、ウェイターが湯気の立つマグカップを三つ持ってきました。それぞれの目の前に置かれたそれには、不思議な香りの立つ赤い液体が満たされています。
パーティ結成を祝して、とキリトさんの声に三人でこちんとカップを合わせ、あたしは熱い液体を一口啜りました。
「……おいしい……」
スパイスの香りと、甘酸っぱい味わいは、遠い昔に父親が少しだけ味見させてくれたホットワインに似ています。ですが、こんなメニューがあったでしょうか?
「あの、これは……?」
キリトさんはにやりと笑い、言いました。
「NPCレストランはボトルの持ち込みも出来るんだよ。さっき来る前に俺が持ってた《ルビー・イコール》っていうアイテムを持ってくるように頼んどいたんだ。カップ一杯で少しの間敏捷力が1上がるんだぜ」
「そ、そんな貴重なもの……」
「いーのいーの。どうせキリトは知り合い少ないからこういう時じゃないと開ける機会もないだろうし」
「なんだとぉ……? まあ、その通りなんだけどさ……」
おどけたように肩をすくめたキリトさんを、アリスさんがからかいます。それをキリトさんが恨みがましそうにアリスさんを見ながら、肩を落としました。
まるでコントを見ているようで、あたしは思わず笑いながらもう一口ごくりと飲みました。何処か懐かしく、暖かいその味は、悲しい事の多かった一日のせいで硬く縮んだ心をゆっくりと溶きほぐして行くようでした。
カップが空になっても、その暖かさを惜しむようにしばらくそれを胸に抱いていました。
「……なんで……あんな意地悪言うのかな……」
思い出されるのは、ほんのつい数分前の出来事。
アリスさんとキリトさんは真顔になると、顔を見合わせ口を開きました。
「シリカちゃんは……MMOはSAOが……?」
「初めてです」
「そうなんだ……。――どんなネットゲームでも、キャラクターに身をやつすと人格が変わる人が多いんだ。善人になったり、悪人になったり……。アニメのキャラクターになりきったり、だとか。それを今まではロールプレイって言ってたんだけど……」
アリスさんに続くようにして口を開いたキリトさんの目が、一瞬鋭くなりました。
「でも俺は、SAOの場合では違うと思う。今はこんな、異常な状況なのにな……。そりゃ、プレイヤー全員が一致協力してクリアを目指しましょうだなんて不可能だてことは解ってる。でもな、他人の不幸を喜ぶ奴、アイテムを奪う奴、――殺しまでする奴が多すぎる」
キリトさんは、あたしの目を真っ直ぐみつめてきました。怒りの中に、どこか深い悲しみの見える目の色でした。
アリスさんが、キリトさんに続いて言います。
「わたしは……わたし達は、ここで悪事を働くプレイヤーは、現実世界でも腹の底から腐った奴なんだって思ってる」
吐き捨てるような言葉でした。直後、あたしが気圧されたような表情をしていたのに気づいたのか、ごめんね、と軽く舌を出して笑いました。
「私だって、人の事いえた義理じゃないんだけどね……。自分勝手に周りを振り回して、迷惑かけて……。そのせいで、一番大切な人に、あんな表情させて……」
アリスさんが、深い懊悩を抱えている事をおぼろげですが悟りました。何か声を掛けたかったのですが、言いたいことが上手く形に出来ず口を噤みます。その代わりに、テーブルの上で握り締められていたアリスさんの右手を、無意識のうちにぎゅっと両手で包み込んでいました。
「アリスさんは、いい人です。あたしを、助けてくれたもん」
アリスさんは一瞬驚いたように手を引っ込めようとしましたが、すぐに腕から力を抜きました。口元に穏やかな微笑が滲みます。
「あは、私が慰められちゃった。ありがと、シリカちゃん」
にこりと笑ったアリスさんに、胸の奥がじわりと暖かくなる気持ちです。キリトさんも、穏やかな表情を浮かべあたし達の様子を見守っていました。
まるで見計らっていたかのように、注文した料理がテーブルに並べられました。鼻腔をくすぐるいい匂いが、空腹感を増大させます。
「お腹空いちゃった! さ、食べよ?」
アリスさんの声に、あたし達は両手を合わせ「いただきます」と口を揃えます。
自分の料理を注文し忘れていたことに気づいたキリトさんが「俺のは!?」と慌てているのを見て、あたしとアリスさんは大きな笑い声を上げました。
・《熟練度》の上げ方
ネトゲだと、熟練度はプレイヤーレベルが上がっていくとそれに応じた強さのモンスターを倒さないと熟練度が上がって行かないっていうのが多いんですが、SAOでは低レベルモンスターでも熟練度上げに必要なポイントが最低でも1は上がるというオリジナル設定です。HFとかLSとかだと熟練度上げるためにソードスキルの素振りとかコントローラー固定とかやりましたが、それだとあまりにもあまりなので……。デスゲームと化したSAOでは、危険度が跳ね上がるトレインからの大量の雑魚狩りはあまり取られない方法です。ソロ活動中のアリスは、最前線の美味しい狩場に行けない時はこうした方法を取っていたため武器熟練度が軒並みカンストしていたという訳です。
・《ルビー・イコール》
一杯で敏捷の最大値が1上がるはやりすぎなので下方修正です。そんなドラクエの種みたいなアイテムがぽんとあってたまりますかという理由で時間制限をつけました。
・シリカの勧誘相手
原作小説だと複数の男性プレイヤーという描写でしたが、アニメではウルリックとみゆりんでしたので、ここぞとばかりに再登場です。今後彼らがまた登場するかは未定です。アリスがすぐに思い出せなかったのは、主にみゆりんの装備が鎧装備に変わっていたから。