SAOif 紅の戦姫と蒼の聖女   作:百合好きの獣

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前後編にまとめようと思ったら過去最大級の文字数に……!

※この話は原作小説より文章の流用が含まれます。


閑話 紅黒の剣士達 後編

Side シリカ

 

 

 

 耳元で奏でられるチャイムの音に、あたしはゆっくりと瞼を開けました。あたしにだけ聞こえる起床アラームの音で、設定時間は午前七時です。

 いつも朝は苦手なのですが、今日は常に無く心地よい目覚めでした。深く、たっぷりと睡眠を取れたことで頭の中が綺麗さっぱり洗われたような爽快感があります。

 一つ一つ、血が通っていくような感覚で、徐々に意識が覚醒していきます。そして血の巡りが脳にまで達したところで、あたしはぴしりと固まりました。

 

 目の前で、すやすやと穏やかな寝息を立てるアリスさんの寝顔があったからです。もう、ともすれば唇が触れてしまいそうな距離に、鼻と鼻がくっつくくらいの至近にあるその顔に思わずのけぞってしまいました。

 ようやく、あたしが昨日どこで寝たのかをを思い出しました。

 

――そっか、あたし……アリスさんの部屋で……。

 

 昨夜、明日の攻略について相談するためにアリスさんの部屋にお邪魔し、キリトさんを交え三人で段取りを決めていました。途中、誰かに聞き耳を立てられていたようですが、それに気づいたアリスさんとキリトさんは特に深追いするでもなくそのままキリトさんは自室へと戻って行きました。ちなみに、あたしは聞き耳を立てられていたことに一切気づきませんでした。

 

 その後、あたしも自室に戻ろうとしたのですが……どうにも、一人きりで眠ることに寂しさを感じてしまい部屋を出る際にちらりとアリスさんを振り返ってしまったのです。きっと、随分名残惜しそうな顔をしていたのでしょう。アリスさんは苦笑いを浮かべると「一緒に寝る?」と提案してくれました。

 あたしの部屋の分の宿賃が無駄になってはしまいますが、そんなもの、一人で眠ることに比べたら瑣末な問題でした。あたしは一も二もなくその提案に飛びつきました。

 

 部屋は一人用の物なので、ベッドもそれ相応の大きさです。二人で入ると、少し手狭さを感じてしまいましたが、この世界に来て初めて感じる人肌の暖かさにあたしは大きな安心感を得ました。

 

 ベッドの中で、色んな話を聞かせてもらいました。アリスさんの今までの事、そして大切な人の事。名前をコハルさん、というらしいです。コハルさんの事を話しているときのアリスさんは、くすぐったそうに、けれど誇らしいような、本当に大事に思っているんだなぁという事が伝わってくる、そんな表情でした。

 

 そして、妹さんの事も少しだけ話してくれました。性格はあたしとは正反対らしいのですが、雰囲気がとっても似ているとか。どういうところが? と聞けば、表情に出やすいところと笑いながら返され意図せず赤面してしまいました。

 

 そんな、他愛の無い話をしているうちに、どうやら眠ってしまったようです。

 目の前で眠るアリスさんは、昨日の頼もしさはどこへやら。幸せそうに頬を緩め安穏とした表情で眠っていました。

 その無防備な姿にちょっとだけ、ドキドキしてしまいます。いつまでもその寝顔を眺めていたい衝動に駆られますが、そういうわけもいかないのでそっと肩をつつきながら声を掛けます。

 

「アリスさん、朝ですよー」

 

 その途端、アリスさんは瞼をゆっくりと持ち上げ、ぱちぱちと数回瞼をしばたたかせた後にくぁと大きな欠伸を一つしました。

 

「あぁ……シリカちゃん。早起きなんだねぇ……」

 

 どうやらまだ寝惚けているようです。上体を起こして、くしくしと瞼を擦り眠たそうにするアリスさんはとても幼く見えて、ついくすりと笑ってしまいました。

 

「……? どうしたの?」

「いいえ、何でもないですよ」

 

 アリスさんは不思議そうにこてんと首を傾けましたが、徐々に目が覚めてきたのか腕を伸ばしぐっと伸びをすると、思い出したかのようにこちらを見つめ、言いました。

 

「……とりあえず、おはよ」

「あ、おはようございます」

 

 二人で、顔を見合わせて笑いました。

 

 

 

 

 

 

 《思い出の丘》攻略に向け、しっかりと朝食を摂ってから表へ出ると、外は既に陽が昇り始めており、眩しい陽光がうっすらと街を照らし始めていました。これから狩りに出かける私達のような昼型プレイヤーと、逆に深夜の狩りから戻ってきた夜型プレイヤーが対照的な表情で行き交っています。

 

 幸い、昨日のような勧誘をしてくる方やロザリアさんたちに会うことも無く、三人連れたって転移門広場へとやってくることが出来ました。青く光る転移門に飛び込もうとして、はて、転移先の名前が分からず足を止めます。

 マップを呼び出して確認しようとすると、アリスさんが右手を差し出してきました。

 

「街の名前分からないなら私が指定するよ」

 

 おずおずとその手を取ると、アリスさんはふわりと微笑み、街の名前を口にします。

 

「転移! フローリア!」

 

 同時、眩い光があたしの視界を覆い、一瞬の眩暈に似た転移の感覚の後……私は思わず歓声を上げてしまいました。

 

「うわぁ……!」

 

 四十七層主街区ゲート広場は、見渡す限りの花々で彩られていました。ゲームオリジナルの花なのか、それとも現実の花と同じなのかは分かりませんが、名も知らぬ花々が色彩鮮やかに咲き誇り、おだやかな風に吹かれそよそよと揺られています。

 

「すごい……」

「この層は通称《フラワーガーデン》って呼ばれてて、街だけじゃなくてフロア全体が花だらけなんだ。時間があったら、北の端にある《巨大花の森》にも行けるんだけどな」

 

 少し遅れてやってきたキリトさんの説明に、胸を弾ませます。こんな素敵な場所を今まで知らなかっただなんて、損をしていた気分です。《巨大花の森》も気になりますが、それはまたの楽しみにとっておきますとキリトさんに笑いかけました。

 

 目の前にあった花壇にしゃがみこみ、整然と植えられている花の中から一つをじっと見つめます。以前パーティを組んでいた男の人が自慢げに話していた事によると、このゲームには《ディティール・フォーカス・システム》という視線を向けた先のオブジェクトのみが精細な描写処理がされる……とかなんとか。なるほど確かに、目の前の花は花弁の一房から茎に至るまでまるで現実そのものみたいに精巧です。顔を近づけ、すんと鼻を鳴らすと金木犀にも似た甘い香りがふわりと抜けていきました。

 

 ふと、視線を上げてみれば、花々の間の小道を行く人達が目に入りました。その殆どが男女の組で、仲睦まじげに手を繋いだり腕を組んで楽しげに歩いていました。

 何も考えずに、アリスさんとこのフロアを散策出来たら楽しいだろうなぁ……とぽわぽわとした妄想に浸っていると、転移門から青い光が迸りました。

 

「お待たせ、アリス。キリトさん」

 

 新たに転移をしてきたのは……どなたでしょうか。名前を呼んだ事から、お二人の知り合いであることが伺えますが……。

 艶やかな黒髪のセミロングに、翠玉色の瞳の女性はアリスさん達に嬉しそうに近づくとあたしに気づいたのかにこりと笑みを浮かべ言いました。

 

「えっと、シリカちゃん……で合ってるかな。私はコハルって言います。よろしくね」

「あ……その、よろしくお願いします」

 

 アリスさんとは違った、年上の女性然とした佇まいにどぎまぎとしながら差し出された手を握り返しました。

 綺麗な人だなぁと、思います。全体的にバランスの取れたというか、優しそうな目も、穏やかな笑顔も、彼女が美人であるという事を強く印象付けています。

 

「今日の攻略は、私とコハル、キリトとシリカちゃんの四人パーティで行くよ。これだけいれば大丈夫だと思うけれど、万が一の事もあるから……これ」

 

 思わずコハルさんに見惚れていると、アリスさんがポーチからアイテムを一つ取り出し、あたしの手の中に落としました。

 これは……なんでしょう。結晶アイテムのように見えますが……。

 

「念の為の転移結晶。私かコハルが離脱してって言ったら必ずどこの街でもいいから跳んで。私達の心配は要らないから」

「で、でも……!」

 

 転移結晶という高価なアイテムをぽんと渡されたこともそうですが、なによりも自分だけ逃げろという指示に戸惑いの声を漏らすと、アリスさんは真剣な表情で言いました。

 

「このゲームに、絶対な安全っていうのは無いんだ。それに、私もコハルもキリトも結構強いから心配は本当に大丈夫だよ。だから、お願い。約束ね」

 

 あまりにも真剣なその表情に、頷くほかはありませんでした。そっと指きりをして約束をすると、アリスさんはあたしを安心させるようにニッと笑いました。

 

「じゃ、行こ! せっかくだから私達がフォローに回ってシリカちゃんのレベルも上げちゃおう!」

「はい!」

 

 腰に装備した短剣の感触を確かめながら、あたしは密かに決意をします。何があっても、昨日みたいにパニックにはならないようにしようと。あたしの出せる全力で戦って、ピナを生き返らせるんだ――!

 

 

 

 

 

 

――ですが、そう上手く行かないのが世の中でした。

 

「ぎゃ、ぎゃあああああああ!? なにこれ――!? き、気持ちワル――!!」

 

 四十七層のフィールドを南に向かって歩き出して数分後。早速最初のモンスターとエンカウントしました。

 

「や、やあああ!! 来ないで――」

 

 小道の脇に生い茂る、背の高い草むらにモンスターが潜んでいたのです。がさりと突然姿を現したソレは、さながら醜悪なオブジェのようなモンスターでした。人面花、といえば伝わるでしょうか。正確には目は無く口のみなのですが、大きなひまわりのような(しかし毒々しい色をした花びらでした)花の中央に、三日月型の口がぱっくりと開いていて、中から唾液なのか溶液なのか分からない何かが滴り落ちています。 

 なまじ花が好きなだけに、その姿はあたしに生理的嫌悪感を抱かせるに十分でした。

 

「落ち着いてシリカちゃん! そいつは花のちょっと下にある白い部分が弱点で、そこを攻撃すれば……」

「だって気持ち悪いんですううううう!」

「そいつで気持ち悪がってたらこの先大変だぞー。毒々しい花がいくつもついてるやつとか、食虫植物みたいなやつとか、ぬるぬるの触手が山ほど生えたやつまで……」

「いやああああああ!」

 

 なんでこんな綺麗なフィールドなのにそんなモンスターが出てくるんですか! この層をデザインしたスタッフの人に届くかは分かりませんが恨みの念を発しつつ、めちゃめちゃに振り回したソードスキルはやっぱり当たるはずもありませんでした。

 そんな隙だらけなあたしをモンスターが見逃すはずも無く、技後硬直時間にするりとすべりこんできた二本の蔓が、あたしの両脚にぐるぐると巻きつきひょいと持ち上げられます。

 

「わ!?」

 

 ぐるん、と視界が反転した事であたしが今宙吊りにされているという事を認識しました。そしてあたしはスカート装備です。つまり、重力に従ってスカートはずりりと下がるわけで

 

「わ――ッ!? わ――ッッ!?!?」

「キリト!! 後ろを向く!!」

「はいッ!!」

 

 スカートが完全に捲れてしまわないように、片手で抑えながら蔓を切ろうと試みますがぶらぶらと不安定なせいで狙いが定まりません。思わず涙目になりかけていると、突然びくりとモンスターが痙攣したかと思うとそのままポリゴン片となって弾けました。当然、吊られていたあたしは自由落下に移行します。

 

「うわああぁぁぁぁ!?」

「よいしょっ、と」

 

 地面にぶつかるかと思った、その刹那。あたしは誰かにぽすりと抱きとめられました。

 瞑っていた目を恐る恐る開きます。果たしてその正体は――コハルさんでした。

 

「大丈夫?」

「は、はい……ありがとうございます……」

 

 そっと地面に下ろされ、あたしはコハルさんに頭を下げお礼を言いました。コハルさんは優しく笑うと、言います。

 

「シリカちゃんは、短剣使いだよね」

「あ、はい。長い剣とかはあんまりしっくりこなくて……」

「じゃあ私と同じだ」

 

 コハルさんは、手にした短剣をあたしに見せ嬉しそうに微笑みました。そして、こほんと一つ咳払いをすると、短剣を収めてから口を開きました。

 

「じゃあ、同じ短剣使いとしてのアドバイス。短剣はどうしてもリーチが短いから、誰よりもモンスターの懐に潜りこまなきゃいけないのは分かるよね。だから他の武器よりも勇気が必要なの」

 

 コハルさんの言葉に、あたしはこくこくと頷きました。

 

「戦い方も色々あって、例えば一気に飛び込んで弱点を攻撃したりとか、後はひたすら待ちに徹してカウンターで攻めたりとか。短剣は取り回しやすい分色んな戦い方が出来るんだよ。さっきシリカちゃんはモンスターを倒そうとして連撃ソードスキルを打っていたけど、あの時だったら蔓を少し切り落としてからの方が弱点に攻撃が届きやすくなったかな」

 

 コハルさんは言いました。短剣はあらゆる物を使い、考え、相手を自分の土俵に引きずり込むのがセオリーだと。バフしかり、アイテムしかりで使えるものは何でも使うのだと。

 

 目からウロコが落ちた気分でした。あたしは今まで、パーティを組んでしか戦闘をしてこなかったため、強力なソードスキルを打ち込めばモンスターを倒せるのだと思っていました。けれどそれは自分よりも下のレベルまででしか通用せず、格上どころか同格相手でも攻撃力の差から単純な力押しだと短剣は負けてしまうのでしょう。

 コハルさんは「これをあげるね」と言っていくつかのアイテムを譲ってくれました。それはお店で売っているのを見た事はあるものの、買ったことのないアイテムばかりでした。

 

「これとかこれはお店で売ってるし、これなんかも簡単に手に入るよ。どれも使い方で戦いやすくなるから是非使ってみてね」

「ありがとうございます!」

 

 アリスさんと同じく、お金は要らないといって笑ったコハルさんの姿は、大げさかもしれませんがおとぎ話で語られる聖女のように見えました。白いフードつきローブも相まって本当に求道士様のようです。

 

 その後もコハルさん指導の元、五回ほどモンスターとエンカウントしましたが全て自力で倒すことが出来ました。アリスさんはあたしが危なくなると敵の攻撃を弾いて間を作ってくれ、キリトさんはモンスターの弱点や攻撃方法などを教えてくれました。そしてモンスターを倒すとコハルさんが優しくアドバイスをしてくれて、あたしはレベルが上がるのと同時に自分の技量もめきめきと上昇していくのを感じました。

 

 やがて、小一時間程歩き続けたでしょうか。小川にかかった小さな橋の先に、一際高い丘が見えました。道はその丘を巻くようにして頂上まで続いているようでした。

 

「みえた。あれが《思い出の丘》だよ」

 

 分かれ道等は無いようですが、キリトさんの話ではモンスターの量がこれまでとは比べ物にならないそうです。安全策をとり、先頭をアリスさんとコハルさん。後ろをあたしとキリトさんという隊列に変更しました。

 

 先頭を歩くアリスさんとコハルさんを見て、ふと気になることがあり、あたしはキリトさんにこっそりと聞きました。

 

「あの……アリスさんとコハルさんってどういう関係なんですか?」

「ふぐっ!?」

 

 何に驚いたのか、キリトさんは何か喉に詰まらせたような声をあげ、げほげほと咳き込みました。怪訝そうな顔で振り返るアリスさん達に、ジェスチャーで問題ない事を伝えるとキリトさんは少し間を置いてから聞き返してきました。

 

「……どういう関係、とは」

「えっと、アリスさんとコハルさんは長く一緒に居るっていうのはなんとなく想像できたんですけど……。このゲームでどうやって知り合ったのかなって」

 

 あたしがそう言うと、キリトさんはほっと胸を撫で下ろしたようでした。

 

「そういうことか……。そうだな、このゲームの開始時点でもう既に二人は一緒だったよ。現実で知り合いだったわけじゃないらしいけどな」

「それからずっと一緒なんですか?」

「あー、一時期は離れてた。けど、まあずっと一緒にいるよ、あの二人は」

 

 言ってから、キリトさんは前を進む二人を見ました。仲良さげに談笑している二人は、まるでそうあることが当然のように寄り添っています。……なんだか距離が近い気がするのは気のせいでしょうか。

 

「あの二人は……単にパートナーとか、相棒とかそういう言葉で簡単に表すことが出来ないんだ。切っても切れない、それほどの深い絆が二人の間にあるんだよ」

 

 羨ましいけどなと呟き、アリスさん達を見るキリトさんの目は、眩しいものを見るような、羨望の色が混じっていました。

 あの二人の間に何があったのか。あたしにそれを知る術はありませんが、きっと言葉に出来ない程の困難があったのでしょう。寄り添う二人からはお互いに対する絶対の信頼とそれ以上の何かがあるように思えました。

 

「いいな……」

 

 ふいに口をついて出たのは、そんな言葉でした。キリトさんが驚いたようにあたしを振り返りました。

 

「キリトさん……あたしとピナも、アリスさん達みたいになれるでしょうか」

 

 ピナは、言ってしまえばただのデータでしかありません。だけど、ピナと過ごした日々はかけがえの無い思い出で、そこには確かな絆があったと思いたいです。

 ぽん、と頭に手を乗せられました。見上げると、キリトさんは優しく微笑みながら言いました。

 

「なれるさ。NPCとだろうと、誰だろうと、そこに確かな想いがあれば絆は生まれる。俺はそう信じてるよ」

 

 その言葉に、もやもやとした気持ちがぱぁっと晴れていくように、あたしは強く頷きました。

 

「はい!」

 

 

 

 

 

 

 急角度になっていく小道のループを、次々と現れるモンスターを退けながら上っていくこと数十分。ついにたどり着きました。

 

「うわぁ……!」

 

 周囲をぐるりと木立に囲まれ、ぽっかりと空いた空間には大小様々な花達が咲き誇っています。

 ここが、《思い出の丘》。その頂上です。

 そこはまさに天国のような様相で、あまりにも幻想的な光景に今日何度目かの歓声を上げます。

 

「ここに……その、花が……?」

「ああ、真ん中あたりに岩があって……ああ、アリスのいる辺りだな」

「シリカちゃーん!」

 

 コハルさんの隣で、手を振りながらあたしの名前を呼ぶアリスさんの声に、一目散に走り出しました。

 花畑の中央、アリスさんのすぐ側に白く輝く大きな岩がありました。息を切らせながら、あたしの胸のあたりまである岩に駆け寄り、おそるおそるその上を覗き込みました。

 

「え……うそ……」

 

 そこには何もありませんでした。くぼんだ岩の上には糸のような短い草が生え揃っているだけで、花らしきものはみあたりません。

 さっと血の気が引いていきました。絶望感から、目の前が真っ暗になりそうです。

 

「ない……ないよ、アリスさん!」

 

 そんな……ここまで来たのに……。足元がガラガラと崩れさって行く感覚に、思わずよろけるとアリスさんが抱き止めてくれました。涙目になりながらも視線を上げると、アリスさんは安心させるように微笑み言いました。

 

「大丈夫。よく見てて?」

 

 アリスさんに促されるまま、視線を岩の上に戻すと――

 

 それは、まるで夢のような光景でした。

 

 するすると、草の間からちいさな芽がその背を伸ばしていきます。やがて、白い双葉が開き、その間から細い茎が少しずつ伸びていきます。

 植物の成長記録を早回しで見るように、それはぐんぐんと大きくなり、あっというまに真珠色に輝く大きなつぼみが出来ました。

 

――しゃらん

 

 鈴の音がしたかと思うと、ふくらみは花開き、そこから光が舞いました。ふわり、ふわりと小さな光が宙に溶けていく様子を、私達は四人息をするのも忘れ魅入っていました。

 

「シリカちゃん」

 

 アリスさんの声に、あたしは頷きそろりそろりと手を絹糸のように細い茎に触れました。ネームウィンドウが、音も無く開きます。《プネウマの花》――

 

「これで……ピナを生き返らせられるんですね……」

「うん。……だけど、ここだと強いモンスターもいるからもうちょっとだけ我慢して、安全なところでやろう?」

「はい!」

 

 あたしはメニューウィンドウにその花を乗せ、アイテム欄に格納されたことを確認すると、すっくと立ち上がりました。

 正直に言うと、転移結晶で今すぐに飛んで帰りたい気持ちはありましたが、それをぐっと我慢してあたし達は元着た道を急いで戻りました。

 道中出会ったモンスターは、キリトさんとアリスさんが事も無げにばったばった切り倒し、道を開けてくれます。その後ろを、コハルさんに手を引かれながらあたしは来たときよりも数倍速い速度で丘を駆け下りていきました。

 

 思えば、アリスさん達の強さは不思議でした。《迷いの森》でドランクエイプを一息で屠っているのを見て、その強さを認識したと思っていましたが、それよりも十二層も上に来ているのに彼女達は難なくモンスターを倒しています。それほどのハイレベルプレイヤーであるなら、なぜ三十五層でうろついていたのでしょう。アリスさんは何か目的があったような風に言っていましたが……。

 

 宿屋に戻ったら聞いてみようと、道を駆け下りながら考えていると、ついに麓までたどり着きました。

 

 あと一時間くらい歩くだけで、ピナに会える――

 

 弾む胸を抑えながら、小川にかかる橋を渡ろうとした時。前を行くアリスさんがすっと手を出して静止しました。そしてちらりとキリトさんを見ると、キリトさんは軽く頷き、前に進み出ます。

 

「――そこで待ち伏せてる奴、出てこいよ」

「え…………!?」

 

 慌てて木立に目を凝らしますが、人影は一つも見えません。ぴりぴりとした緊張感が張り詰める中、不意にがさりと木の葉が動きました。

 現れたのは一人のプレイヤーで、カーソルは緑色。そして、あたしの知る顔でした。

 炎のように真っ赤な髪、同じく艶かしいほどの赤い唇。エナメル質に輝く黒いレザーアーマーを装備し、細身の十字槍を手にしたその人の名前は

 

「ろ……ロザリア……さん!? なんでこんなところに……!?」

 

 あたしの問いには答えず、ロザリアさんは口の端を吊り上げ笑いました。

 

「アタシのハイディングスキルを見破るなんて、なかなか高い索敵スキルね、黒い剣士サン。あなどってたかしら?」

 

 そしてあたしに視線を戻すと

 

「その様子だと、首尾よく《プネウマの花》をゲットできたみたいね。おめでと、シリカちゃん」

 

 ぱちぱちぱち、と軽く手を叩きながら言うロザリアさんの意図がつかめず、アリスさんの背に縮こまり隠れます。なにがとは言えませんが、いやな予感がしました。そしてその予感は的中します。

 

「じゃ、さっそくその花を渡してちょうだい」

「……!? な……何を言ってるの……」

 

 絶句する、とはまさにこのことでした。言葉の端から端までまったく意味が分かりません。

 その時、困惑するあたしをかばうように、アリスさんが前に進み出て口を開きました。

 

「そうは行かないよ。ロザリアさん。――いや、犯罪者(オレンジ)ギルド《タイタンズハンド》のリーダーさんの方がいいかな?」

 

 ロザリアさんの顔から笑みが消えました。

 SAOでは、システム上の犯罪行為――盗みや傷害。あるいはPKを行うとプレイヤーカーソルの色がオレンジ色に変わります。オレンジ色のプレイヤーカーソルは全てがそうではありませんが、殆どがイコールで犯罪者で、その集団を犯罪者ギルドと呼称します。

 と、いう事は知識では知っていましたが、実際に目にした事はありませんでした。しかし、ロザリアさんが犯罪者ギルドのリーダーであるのであれば、おかしい点があります。

 

「え……でも……だってロザリアさんのカーソルは緑色ですよ……?」

 

 あたしの疑問に答えたのは、コハルさんでした。

 

「犯罪者ギルドって言っても、全員がオレンジカーソルじゃない場合もあるんだ。グリーンのメンバーが獲物をみつくろって、パーティに紛れ込んで待ち伏せポイントに誘導したり、とか」

「昨日の夜、俺達の話を盗聴してたのもあいつの仲間だよ」

 

 続くキリトさんの言葉に、再び言葉を失いました。

 

「じゃ……じゃあ、この二週間、一緒のパーティに居たのは……」

 

 ロザリアさんは、にたりとした毒々しい笑みを浮かべ、言いました。

 

「そうよォ。あのパーティの戦力を評価すんのと同時に、冒険でたっぷりお金が貯まっておいしくなるのを待ってたの。本当なら今日にもヤッちゃう予定だったんだけどー」

 

 あたしの顔を見ながら、ちろりと舌を唇で舐めとり続けます。

 

「一番楽しみな獲物だったあんたが抜けちゃうから、どうしようかと思ってたら、なんかレアアイテム取りに行くって言うじゃない。《プネウマの花》は使い魔の蘇生以外にも使い道があって、とっても高く売れるのよね。やっぱり情報収集って大事だわぁ」

 

 そこで言葉を区切ってから、今度はアリスさん達に目を向けました。

 

「でもあんたたち、そこまで解ってながらノコノコその子に付き合うなんて、馬鹿なの? それとも、可愛い可愛いシリカちゃんが哀れに思えちゃった? アハハ、だとしたらとんだ偽善者よねぇ」

 

 アリスさん達への侮辱に、あたしはこらえ切れない憤りを覚えました。衝動のまま、短剣を抜き切りかかろうと腕を動かしかけたところで、肩をぐっとつかまれました。

 

「いいや、どっちでもないよ」

 

 あたしの前に立つキリトさんの表情はうかがえませんが、その声はあくまでも冷静でした。

 

「俺達もあんたを探してたのさ、ロザリアさん」

「……どういうことかしら」

「あんた、十日前に、三十八層で《シルバーフラグス》ってギルドを襲ったな。メンバー四人が殺されて、リーダーだけが脱出した」

「……ああ、あの貧乏な連中ね」

 

 眉をぴくりとも動かす事無く、ロザリアさんは首肯しました。それを見たアリスさんが口を開きます。

 

「リーダーだった男の人はね、それから寝ずに朝から晩まで、最前線のゲート広場で泣きながら仇討ちをしてくれる人を探してたんだよ」

 

 そう言ったアリスさんの声は、ゾクリとするような冷気が篭っていました。そこにあるのは、怒り。静謐な怒り。静かに、冷たく研ぎ澄まされた刃のような声でした。

 

「でもその男の人はね、依頼を引き受けたあたし達に向かって、あなたたちを殺してくれだなんて言わなかったんだよ。黒鉄宮の牢獄に入れてくれって、そう言ったんだ。――あなたに、あの人の気持ちが解る?」

「解んないわよ」

 

 面倒そうに、ロザリアさんは即答します。

 

「何よ、マジんなっちゃって、馬鹿みたい。ここで人を殺したって、ホントにその人が死ぬ証拠ないし。そんなんで、現実に戻ったとき罪になるわけないわよ。だいたい戻れるかどうかも解んないのにさ。正義とか法律とか、笑っちゃうわよね。アタシそういう奴が一番嫌い。この世界に妙な理屈持ち込む奴がね」

 

 そう言ったロザリアさんの目が、凶悪そうな光を帯びました。獲物を前に舌なめずりをする、爬虫類にも似た視線です。

 

「で、あんたらはその死に損ないの言う事真に受けて、アタシらを探してたわけだ。ヒマな人だねー。ま、あんたらの撒いた餌にまんまと釣られちゃったのは認めるけど……でもさぁ、たった四人でどうにかなるとでも思ってんの……?」

 

 嗜虐的な笑みを浮かべたロザリアさんは、右手を掲げると――何かのサインでしょうか。揃えた指先が二回、素早く宙を扇ぎました。

 その途端、向こう岸へ伸びる道の両脇の木立が激しく揺れ、次々と人影を吐き出しました。禍々しいオレンジ色のカーソルが次々と現れます。――その数、実に十人。待ち伏せに気づかず、まっすぐ橋を渡っていれば完全に囲まれていたでしょう。

 新たに出現した十人の盗賊達は、全員が派手な恰好をした男性プレイヤーでした。にたにたとした嫌らしい笑みを浮かべながら、アリスさんやコハルさん、そしてあたしの体に粘つくような視線を投げかけてきました。

 気持ち悪い……。あたしはぎゅっとアリスさんのコートを掴む手に力を込め、嫌悪感に抗おうとしました。

 

「あ、アリスさん……人数が多すぎます。脱出しないと……!」

「だいじょうぶ。私が逃げてって言うまでは、結晶を用意してそこで見てて」

 

 穏やかな声で答えると、アリスさんはあたしの頭にぽんと手を置きました。そしてキリトさんに向かって声を掛けます。

 

「ねえキリト、手伝おっか?」

「いいや、俺一人で十分だ」

 

 答えたキリトさんは、ニッと笑みを浮かべました。

 

「キリト……?」

 

 不意に、盗賊の内一人が呟きました。

 

「全身黒ずくめ……盾なしの片手剣……――《黒の剣士》……?」

 

 キリトさんの正体に思い当たる節があったのか、急激に顔を蒼白にしながら数歩後ずさりました。

 

「や、やばいよ、ロザリアさん。こいつ……ベータテスト参加者(ビーター)の、こ、攻略組だ……」

 

 その言葉を聞いた残りのメンバーの顔が、一様に強張りました。驚いたのは、あたしも同じです。

 今までの戦いぶりから、アリスさん達が相当な高レベルプレイヤーであることは予想していました。が、まさか最前線で未踏破の迷宮に挑んで、ボスモンスターをすら次々と屠り続ける《攻略組》……SAO内のトッププレイヤーだとは思いもよりませんでした。

 

 ぽかんと口を開けていたロザリアさんが、我に返ったように甲高い声で喚きました。

 

「こ、攻略組がこんなとこをウロウロしてるわけないじゃない! どうせ、名前を騙ってびびらせようってコスプレ野郎に決まってる。それに――もし本当に《黒の剣士》だとしても、この人数でかかればたった一人くらい余裕だわよ!!」

「こ、コスプレ野郎……」

 

 当のキリトさんは、コスプレという言葉に反応してがっくりと肩を落としていました。

 

「ぷ……ぷふっ……コスプレ野郎だって……」

「お前はどっちの味方だよ!!」

 

 何がおかしかったのか、必死に笑いを堪えているアリスさんに、キリトさんは声を荒げました。そしてやれやれと頭を掻きながら、前に――ロザリアさんたちに近づいていきました。

 

「こっちは俺一人。そっちは十人。どっからでもかかってこいよ」

 

 にやり、と不適な笑みを浮かべたキリトさんはそう言い放ちました。

 瞬間、盗賊達は一斉に武器を抜き放ち怒号を上げます。

 

「舐めやがって!!」

「オラァァァ!!」

「死ねやァァァ!!」

 

 ロザリアさんともう一人のグリーンカーソルの人を除いた九人の男性たちが武器を構え、憤怒の表情を浮かべ一斉にキリトさんへと切りかかりました。剣、槍、斧……取り囲み繰り出された、九発もの斬撃を受けたキリトさんの体がぐらぐらと揺れました。

 

「アリスさん! 助けないと! キリトさんが、し……死んじゃう!」

 

 半ば狂乱しながら、アリスさんの身体を揺さぶります。しかしアリスさんは「だいじょうぶだから」と言うだけでその場から動きません。

 暴力に酔ったように、多数でたった一人を嬲ります。哄笑、罵声が響き、間断なくキリトさんに向かって武器を振るい続けました。こちらを伺うロザリアさんも、抑え切れない愉悦の色を顔に滲ませ、右手の指を舐めながら食い入るようにして惨劇をみつめていました。

 

 ですが、あたしは気づいてしまいました。これは本当に惨劇なのだろうかということに。

 

 キリトさんのHPバーが減っていません。いえ、正確には攻撃を受けるごとにほんの少しずつ、微々たる量が減少してはいるのですが、数秒たつと元通りに回復してしまうのです。

 やがて、男性プレイヤー達も目の前のキリトさんが一向に倒れる様子が無い事に気づいたのか、戸惑うような素振りを見せました。

 

「あんたら何やってんだ!! さっさと殺しな!!」

 

 苛立ちを含んだロザリアさんの命令に、再び斬りかかりましたが、状況は変わりませんでした。

 

「お……おい、どうなってんだよコイツ……」

 

 一人が、異常なものを見るように顔を歪めながら、腕を止めて数歩さがりました。それを皮切りに、残った八人も攻撃を止め、距離を取ります。

 沈黙に包まれる中、キリトさんがゆっくりと口を開きました。

 

「――十秒あたり四〇〇、ってとこか。それがあんたら九人が俺に与えるダメージの総量だ。俺のヒットポイントは一四五○○。さらに《戦闘時回復》スキルによる自動回復が十秒で六○○ポイントある。つまるとこ、あんたらが何時間攻撃してこようが俺は倒せないよ」

 

 男性プレイヤー達は、愕然としたように口を開け、立ち尽くしました。やがて、一際大柄な両手剣士の人が掠れ声で言いました。

 

「そんなの……そんなのアリかよ……。ムチャクチャじゃねえかよ……」

「怯むんじゃないよ! そいつが駄目なら後ろの女をやりな!」

 

 再び荒げられたロザリアさんの声に、盗賊達はハッとするとこちらに向けて走りだしました。

 

「アリスさんッ!」

「ん、こっちにきたか。 じゃあシリカちゃん。ちょっと離れててね」

 

 アリスさんは全く気負った様子も無く腰から片手剣を抜き放つと、一歩前に進み出ました。そして――

 

 紅い閃光が、駆け抜けました。

 

 あたしがかろうじて認識できたのは、アリスさんがなんらかのソードスキルを立ち上げたのであろう光と、盗賊達の間をすり抜けるようにして駆け抜けた姿と――音を立てて弾け消える、盗賊達の装備していた武器のポリゴン片でした。

 

「悪いけど――そっちの紅いのは、俺より強いよ」

「それは言いすぎだよ。キリト」

 

 キリトさんの隣に立つように並んだアリスさんの背を見て、あたしはやっと、アリスさんの正体を思い出しました。

 紅いコート、腰まで届くような長髪、小柄な体躯の攻略組の女性プレイヤー……!

 

「アリスって……まさか、《紅の戦姫》!? じゃあそっちの女は《蒼の聖女》かよ!!?」

 

 盗賊達は、膝を付き崩れ落ちました。《紅の戦姫》に《蒼の聖女》は中層プレイヤーであり最前線に疎いあたしでも何度も耳にした事がある名前です。

 なぜ、今まで気づかなかったのでしょう。きっと、最前線を切り開き続ける彼女達が、こんな場所に訪れるはずがないと思い込んでいたのかもしれません。

 《紅の戦姫》に《蒼の聖女》……あたしたち女性プレイヤーの憧れの的が目の前に居る事実に驚きを通り越して笑いすらこみ上げてきました。

 

「あ、あはは……」

「転移――」

 

 いつの間に用意していたのでしょう。あたしが呆気に取られている間に、ロザリアさんは転移結晶を取り出していました。しかし、その鍵言が紡がれることはありませんでした。

 

「ひっ」

「っと、させないよ」

 

 空気が震える音がしたかと思った瞬間、ロザリアさんの目の前にまで移動していたアリスさんが、その手から転移結晶を奪い取りました。そしてそのまま襟首を掴むとずるずると橋のこちら側に引き摺ってきます。

 無言のまま、棒立ちの盗賊達の間にロザリアさんの身体を乱暴に投げると、後ろから付いてきたキリトさんは腰のポーチを探り、青い結晶アイテムを取り出しました。

 

「これは、俺達に依頼した男が全財産をはたいて買った回廊結晶だ。黒鉄宮の監獄エリアが出口に設定してある。あんたら全員これで牢屋に跳んで貰う。あとは《軍》の連中が面倒見てくれるさ」

 

 地面に投げ出されたまま唇を噛んだロザリアさんは、数秒押し黙った後、紅い唇に強気な笑いを浮かべて言いました。

 

「――もし、嫌だといったら?」

「全員殺す」

 

 即答したのは、アリスさんでした。その万物も凍り付いてしまうような底冷えする声に、ロザリアさんの笑みも凍てつき固まりました。

 

「と、言いたいとこなんだけどね。……あなたたちと同類にはなりたくないし、その時は全員麻痺毒で動きを止めさせてもらうよ。自分での足で入るか、痺れたまま投げ込まれるか。好きなほうを選ばせてあげる」

 

 アリスさんは、どこまでも無表情で淡々と言い放ちます。もう、誰も強がりを言う人はいませんでした。武器も失い、自分達より遥かに強いプレイヤー三人に囲まれ、戦意が喪失したようでした。

 その様子を見たキリトさんが、濃紺の結晶を掲げて叫びました。

 

「コリドー・オープン!」

 

 結晶が砕け、その前の空間に青い光の渦が出現しました。

 

「畜生……」

 

 長身の斧使いの男性が、毒づきながらその中に飛び込みました。残る人達も、次々に光の中に消えていきます。しかし、ロザリアさん一人だけはけして動こうとはしませんでした。地面にあぐらをかき、挑戦的な視線でアリスさんを見上げています。

 

「……やりたきゃ、やってみなよ。グリーンのあたしに傷をつけたら、今度はあんたがオレンジに……」

 

 言葉が終わらないうちに、アリスさんはいつのまにか手にしていた短剣を抜きロザリアさんの喉元に突きつけました。

 

「知らないみたいだから教えてあげるよ。たとえオレンジに落ちたとしても、カルマ回復クエストをこなせば私はまたグリーンに戻れるんだよ。なんのデメリットもなしにね。クエストは、あなたたちには到底クリアできない難度だけど――私はちょっと手間なだけ。あなたをこれで傷つける事に躊躇う必要なんて、ない」

「ヒッ……やめて、やめてよ! 許してよ! ねえ! ……そ、そうだ、あんたたち、アタシと組まない? あんたたちが居れば、どんなギルドだって……」

 

 台詞はまたしても最後までは続きませんでした。アリスさんは襟首を掴むと力任せにロザリアさんを青い光の中へと投げ込みました。その姿が消えた後、回廊そのものも一瞬だけ眩く光って消滅しました。

 

 静寂。

 暖かな陽光に、ちょろちょろと流れる小川のせせらぎだけが聞こえる草原は、数分前の喧騒が嘘のようにうららかでした。

 全てが終わったというのに、あたしは動けませんでした。アリスさん達の正体に対する驚きや、犯罪者達が消えた事による安堵。色々な感情がぐるぐるとして、口を開くことも出来ません。

 アリスさんはあたしを見ると囁くように言いました。

 

「ごめんね、シリカちゃん。囮にするようなことしちゃって……。その、やっぱり許せない……よね」

 

 悲しそうな顔をして俯いたアリスさんに、あたしは必死に首を振ることしか出来ませんでした。

 

「ち、違うんです。その……腰が、抜けちゃって」

 

 申し訳無さそうに言葉が尻すぼんでいくあたしに、アリスさんは一瞬ぽかんとした後、くすりと破顔しました。

 

 

 

 

 

 

 《風見鶏亭》に戻るまで、腰が抜けてしまい動けなくなったあたしをアリスさんはおぶってくれました。言いたいこと、聞きたいことはたくさんあるはずなのに、どうしてかあたしの喉は言葉を発することが出来ませんでした。

 ようやく口を開くことが出来たのは、アリスさんの部屋について、ベッドに降ろされた後でした。キリトさんは街に着くなり早々にパーティを抜け、今はあたしとアリスさん、そしてコハルさんの三人だけです。

 

「アリスさん……行っちゃうんですか……?」

 

 少しの沈黙。アリスさんはゆっくりと頷きました。

 

「うん。……五日も前線から離れちゃったし、あいつに置いてかれる前にすぐに攻略に戻らないと……」

 

 あいつ、というのはキリトさんの事でしょう。パーティを抜ける直前に「また機会があったらよろしく」と言った黒髪の剣士の顔がちらつきます。

 本当は、アリスさん達に連れてって欲しかった。けど、言えませんでした。最前線にあたしを連れて行っても、お荷物になってしまうことは想像に容易いからです。

 

 俯き、項垂れるあたしの両肩に暖かい手が置かれました。見上げると、そこには優しく微笑んだアリスさんの顔があります。

 

「確かに今は離れちゃうかもしれない。けど、私はシリカちゃんの事を絶対に忘れないよ。だから、今度は現実に帰ったら会おう? それで、いっぱいおしゃべりして、いっぱい遊ぶの。ね? 約束」

「はい。絶対――約束、です」

 

 ゆびきりげんまん、嘘ついたら針千本、のーます。

 声を揃えて指きりをするあたし達を、コハルさんはにこにこと暖かな笑みを浮かべながら見つめていました。

 

「さ! ピナちゃんを呼び戻してあげよ? きっと待ってるよ」

「はい!」

 

 頷き、アイテムウィンドウから《ピナの心》を実体化させました。浮かび上がった水色の羽根をテーブルに横たえ、次いで《プネウマの花》も呼び出しました。

 真珠色に光る花を手に取り、アリスさんを見上げます。

 

「その花の中に溜まってる雫を、羽根に振り掛けて。そしたら、ピナちゃんは生き返るよ」

 

 羽根を見つめながら、あたしは心の中でピナに囁きかけました。

 ピナ……いっぱい、いっぱいお話してあげるからね。今日あった、凄い冒険の話を。

 親戚のお兄ちゃんみたいに、優しく接してくれたキリトさん。

 お姉ちゃんのように、色々な事を教えてくれたコハルさん。

 

そして――アリスさん。

 

 ピナとあたしの命を助けてくれた、優しい優しい、あたしのたった一日だけの、お姉ちゃんの話を――




・原作とのシリカの違い
原作ではSAOシステムにやたら詳しいような描写だったので、少しでも年相応になるよう大人しめに改変。

・コハル合流の理由
 アリスがシリカが短剣使いであることを知り、同じ短剣使いであるコハルから何か教えてあげられないかと連絡を取っていた。合流が一日遅れたのは、シリカに渡すアイテムを調達するため。尚、コハルに送ったメールの行頭が「今日は帰れない」だったため、コハルはすわ朝帰りかと戦慄したという。

・コハルの装備 白いフードつきローブ
名称《ヒーラー・レプカ》 裁縫職人プレイヤー謹製の布防具。回復系、バフ系のアイテムの効果にプラス修正がつく優れもの。これを着ることでコハルの聖女としての名声は確固たるものに。

・アリスの戦闘
《武器破壊》を全員に対して連撃ソードスキルで行った。全員が比較的武器破壊しやすい長物装備だったことと、アリスの超人的な動体視力によって成し遂げられた絶技。

お待たせしました。今度こそ終章を進めます。電波が降りてこなければ
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