SAOif 紅の戦姫と蒼の聖女   作:百合好きの獣

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コハルの水遊びスキルレコード、欲しかったのですが手に入らず……
また石をためてコハルの誕生日記念を待つことにします


名月深藍はもっと知りたい

 某日、時刻は時計の短針が天を突いてまもない頃。

 深藍はある人物に話を聞く為電車に揺られていた。

 今年は暖かくなるのがずいぶんと早かった為、平年よりもずいぶんと早く咲いた桜を、ドアにもたれ掛かりながら横目で確認する。

 

 日本人には馴染み深い薄桃色の花弁はまさしく春の到来を予感させるものであり、深藍の脳裏には連想ゲームのようにこれから会う人物の姿が浮かんでいた。

 

 若葉色の髪と瞳を湛えた少女、コハル。

 その本名は《本多小春》というらしい。

 

 春ときいて真っ先に思い浮かべる、眼前を過ぎ去っていく桜。その花言葉は『精神的な美』。『優美な女性』。

 なるほど美少女であるコハルにぴったりだ、と深藍は苦笑した。

 

 ぼうっと思案にふけていると、やがて目的地を告げるアナウンスが耳朶を叩いた。

 深藍はゆっくりと身体を離すと、なんの気はなしに車内案内表示装置を見上げた。

 

 そこには《秋葉原》と表示されていた

 

 

 

 

 

 

 深藍の産まれは北海道である。都心部で育ったこともあり、建ち並ぶビル群は気圧されないと言えば嘘になるが、それほど目を引く事柄でもなかった。

 だが、その人の多さに深藍は圧倒された。

 総人口だけでいうならば、およそ30倍ほど深藍の生まれ育った街の方が多い。が、一キロあたりの人口密度で考えてみると比べるまでもなかった。

 見渡す限りの人、人、人。

 深藍は春休みに突入しているとはいえ、平日の昼間だ。それにも関わらず視界を埋め尽くす程多くの往来があった。

 

 この中から見つけ出すのは骨が折れるのかもしれない。

 げんなりと嘆息を吐いた深藍は、ちらりと左腕に巻かれた腕時計を見やる。

 待ち合わせ時間まで、あと10分程。

 辺りを見回すと、同じように誰かと待ち合わせをしているような雰囲気の人達が大勢いた。この中に、コハルがいるのかもしれないと思うと自然、ごくりと喉が鳴った。

 

 ひとまず、到着したことを知らせようとメッセージを送ると、あまり間をおかずに返事が来た。

 どうやら彼女は既に到着していたらしい。居る場所と、自身がどんな服を着ているかという情報が記載されていた。曰く、白いスカートに薄紫色のブラウス。その上にベージュのジャケットを羽織っているらしい。

 教えてくれた付近に視線を巡らせると――居た。向こうもこちらを探していたようで、丁度目が合った。

 

「コハルさん、こんにちわ。遅れてしまってすみません」

 

 小走りに駆け寄り、開口一番に挨拶と謝罪を告げると、彼女はとんでもないと首を振った。

 

「ううん。私はこの辺に住んでるから気にしないで。こっちこそ、わざわざ遠出させちゃってごめんね? 道中大丈夫だった?」

「いえ、秋葉原には一度来てみたかったですし……」

 

 心配するように優しく笑いかけるコハルに、深藍は表面では平静を装いながらも内心動揺を抑えるのに必死だった。

 美少女過ぎるのだ。あまりにも。

 ALOでは若葉色だった髪色や瞳は、日本人らしく黒髪に黒目と特筆すべき点ではない。

 テレビで見たアイドルに勝るとも劣らない整った容姿も、確かに美少女であると断言できるほどのものだったが、それもそこまで驚くような事ではない。

 雰囲気が、その容姿を更に一際美少女たらしめているというのだろうか。その身に纏う、ともすれば消えてしまいそうな儚さがどこか浮世離れした印象を受けるのだ。

 

 思えば、姉からも時折そういった雰囲気を感じる事があった。

 それは生死を賭けたゲームを生き延びた、SAO生還者と呼ばれる人物たちに共通するものなのかもしれないと深藍は思った。

 

「えっと、それで……姉のお話を聞きたいんですけど、どこかゆっくり喋れる場所って心辺りありませんか?」

「うん、そうだったよね。うーん……」

 

 コハルは何かを考え込むように呻った。が、それはどこで話すかというよりも、その内容を本当に話すのかという葛藤のように感じられた。

 姉もそうだったのだ。コハルも向こうでの話をする事を渋ってしまうということは想定していた。そして、それに対応する術も。

 

「コハルさん、これを聞いてください」

「え?」

 

 深藍は懐からスマートフォンを取り出すと、録音アプリを立ち上げ再生ボタンを押した。

 コハルの耳元に近づけると、ざあざあというノイズの後に録音された声が再生される。

 

『あ、お姉ちゃん。最後に一つだけ』

『何?』

『コハルさんの事、好き?』

 

 僅かな間の後、多幸感に満ちた姉の声が再び聞こえる。

 

『うん、大好きだよ』

 

 録音はそこで終わっている。

 スマホを手元に戻すと、コハルは目を見開きわなわなと震えていた。

 

「……深藍ちゃん、これは?」

「先日、姉の病室を訪れたときに録った音声データです。コハルさんが姉との思い出を話してくれたら、このデータと、姉がいかにしてコハルさんを好きになったかのエピソードを――」

 

 深藍が最後まで言いきる前に、肩をがしりと掴まれた。

 コハルの目は獲物を前にした肉食獣のように、爛々と輝いている。

 

「いい場所を知ってるの。……そこでゆっくり、お話を聞かせて?」

 

 どうやら、深藍の持ってきた取引材料は効果覿面だったようだった。

 

 

 

 

 

 

 コハルに連れて来られたのは、秋葉原から少し歩き、御徒町にある小さな喫茶店。名前を『ダイシー・カフェ』というらしい。

 サイコロのあしらわれた看板の下げられた、木製のドアを押し開けるとからんころんと鈴を鳴らす音が聞こえた。

 

「おう、いらっしゃい。……ん? コハルじゃねえか。どうしたんだ今日は。っと、そっちのお嬢ちゃんは……?」

 

 出迎えてくれた店員は、浅黒い肌をした巨漢の男性だった。

 深藍は思わず気圧されたが、コハルは親しげに挨拶を交わし始めた。

 

「こんにちは、エギルさん。この子は、アリスの妹で……」

 

 コハルが深藍に目配せしてきた。緊張しながらも慌てて名乗る。

 

「深藍、です。はじめまして」

「へえ……なるほど。確かにあいつにそっくりだな」

 

 エギルと呼ばれた男性はしげしげと深藍の事を眺めると、得心が行ったと頷いた。

 どうやら姉の事を知っている様子だが、関係性があまり見えてこず困惑する。

 その様子を察したのか、コハルは苦笑しながら補足をしてくれた。

 

「この人はエギルさん。向こうでアリスと何度もお世話になった人だよ」

「よろしくな、嬢ちゃん。まあ、適当に掛けてくれ」

 

 にかりと笑うエギルに会釈しながら、コハルと共にカウンター席へと腰掛ける。飲み物のオーダーを聞かれたので、コハルと同じ水出しアイスコーヒーを頼むことにした。

 

「このお店は、キリトさんに教えてもらったんだ。向こうで知り合ったエギルさんがやってる喫茶店だって。来るお客さんは大体SAOを知ってる人だし、あの中での話をするならここがうってつけかなって」

 

 自宅から近いから、前に一度来たことがあったんだ。とコハルは言った。

 《ダイシー・カフェ》は床や壁は暗色系の木材で出来ており、電球色の明かりがぼんやりと、けれど暗くなりすぎない程度に店内を照らしている。

 深藍たちが座っているカウンター席の他にもいくつかのテーブル席が用意されているが、客らしき姿は見えなかった。

 

「ウチは昼間は暇でな。この時間帯は滅多に客が来ねえから安心してくれ」

 

 エギルはコーヒーを二つ、コハルと深藍の前に置くと、自嘲気味に笑った。

 カウンターの奥には酒類のボトルが様々並んでいる事から、夜はバーとして営業しているのだろうか。むしろ、そっちが本業なのかもしれないと、深藍はコーヒーを一口飲みつつ考えた。

 

「……あ、美味しい」

 

 水出しコーヒーは、専用のドリッパーで長い時間を掛けて抽出するコーヒーだ。麦茶のようにピッチャーに水とコーヒー豆を包んだ袋を入れて作る事も出来るが、手間を掛けた分ドリッパーで抽出したものの方がはるかに美味しい。

 雑みの無い、軽やかで透明感のある口当たりは、恐らく前者だろうと深藍は思った。

 深藍が思わず呟いた感想に、エギルはにんまりと笑った。

 

「嬉しいこと言ってくれるじゃねえか。そのコーヒーは俺の奢りにしておくから、今度は姉ちゃん連れて遊びに来てくれ」

 

 それじゃ、ごゆっくり。とエギルは深藍たちの前から離れグラスを拭き始めた。

 エギルの言うとおり、姉が回復したらここに一緒に来ようと思う。向こうで世話になったという彼と会わせたいというのあるが、深藍はこのコーヒーの味が一口飲んだだけで気に入ってしまった。

 まあ、割と子供舌な姉のことだから、このコーヒーの良さが分からず砂糖やミルクをたっぷり入れて甘くしてしまいそうだが。

 その事を想像してくすりと笑うと、頬に突き刺さるような視線が気になった。

 視線を辿ると、隣に座ったコハルがまじまじと深藍の顔を凝視している。

 

「あの……」

 

 深藍が声を掛けると、コハルは慌てたように首を振った。

 

「ご、ごめんね。今の深藍ちゃんが笑う姿がアリスにそっくりだったから。やっぱり、姉妹なんだね……」

 

 そう言ったコハルは、どこか懐かしそうに微笑んだ。そして改めて、居住まいを正すように深藍に向き直る。

 

「それで、アリスの話が聞きたいって言ってたよね。どんな話が聞きたいの?」

 

 本音としては、姉の可愛い姿を聞きたい。恋人として向こうで過ごしてきたのであれば、その手の話には事欠かないだろう。

 だが、姉との惚気話を……というのは流石に時期尚早過ぎて気が引けたので、当たり障りの無い話題を選ぶことにした。

 

「じゃあ、まず……コハルさんから見た、姉の印象といいますか……コハルさんにとって、姉はどんな人だったんですか?」

 

 深藍の質問に、コハルは腕を組み思案する。やがて一つ一つ思い出すようにして語り始めた。

 

「えっと……最初は、頼りになる先輩……だったかな。私はゲーム自体やった事がなくて、戦い方も全然分からなくって。ベータテストの最終日に、偶然会ったアリスに色々教わったんだ」

 

 その話は姉からも聞いていた。偶然出会った相手と最終的に結ばれるというのは、なにやら運命的な物を感じる話だ。

 

「そういえば、これは本人から聞いたかな? アリス、最初は男性アバターだったんだよ」

 

 だから、女の子だって知ったときは本当にびっくりしちゃった。とコハルはさらりと言ってのけた。

 深藍は、驚愕にあんぐりと口を開けた。

 

「え、姉は男性プレイヤーとしてログインしてたんですか!?」

「うん。ALOでは出来ないけど、ベータテストの時はアバターを作るときに男性か女性かで選べたんだよ。アリスは殆どキャラメイクをしないで始めたって言ってたかな」

 

 初耳だった。

 姉があの世界で最前線で戦う姿というのも想像できないが、それと同じ位に男性プレイヤーとして活動する姉の姿もぴんとこない。

 が、少しだけなるほどと思う事もあった。

 姉があのゲームに囚われる前。丁度ベータテスト期間の後半から、正式サービス開始までの間頃に何度か姉が自分の事を『ぼく』と呼んでいた。

 あの時の姉は寝ても覚めてもSAOの事ばかりだったから、ついにゲームのやりすぎでおかしくなったかと当時は怪訝に思ったが、そういうことだったのかと納得する。

 姉は人一倍他人の視線というものを気にする性格だし、男性の姿の人物が『わたし』と自分を呼んでいたら変に思われるだろう。そしてVRMMOの没入間は時に現実に影響を与える。姉がうっかり自分を『ぼく』と呼んでしまった気持ちも、ALOをプレイしている今の深藍としては分からない事ではなかった。

 

「……あれ? 最初は、ってことは姉は向こうで女性にキャラメイクし直したりしたんですか?」

 

 少し引っかかった部分を質問すると、コハルは違う違うと苦笑しながら答えた。

 

「正式サービスが始まってすぐに、皆現実の姿に変えられたんだよ。ほら、ナーヴギアって顔全体を覆ってるでしょう? あれで顔のパーツとかをスキャンしてたみたい」

「なるほど……」

「隣に居た頼りになる先輩が、気づけばちっちゃな可愛らしい女の子だったの。本当、すごくびっくりしたよ」

 

 つい数分前まで男だと思っていたら、正体は小柄な美少女だった。それはもう狐につままれたような気分にもなるだろう。実際に、化かされているようなものだ。

 

「デスゲームが始まって、帰れないんだって知ったときは……絶望したな。脚に力も入らなくって、地面に座り込んじゃうくらいに」

「コハルさん……」

 

 コハルは過去の事として語っているが、その時の事は未だに傷として心に残っているのだろう。嫌な事を思い出すように、その表情に影が差していた。

 だがコハルは、けどねと表情を柔らかく崩して続けた。

 

「アリスがね、わたしが守る。絶対に死なせないって言ってくれたんだ。会って間もない私の事を、真剣な表情で。そのおかげで、前に進もうって、絶対に生き延びてやるって気持ちになったんだ」

 

 優しく、愛おしい気持ちを抱きしめるように。コハルは胸に両手を置いて語った。

 一枚の絵画のような美しい姿に、深藍は息を呑んだ。

 

「それからは、私にとってアリスは大事なパートナーでもあって……ヒーローだったんだ。暗い絶望の淵から、颯爽と救い出してくれる英雄」

 

 うっとりと、陶酔しているようにコハルは頬を朱に染めた。

 

「姉が……ヒーロー……」

 

 現実での姿を知っているから。むしろ、知りすぎているからこそ、その人物像は深藍にとって想像し難いものだった。

 一体、あの世界での姉はどんな風だったのだろうと思いを巡らせていると、意外な所から声が掛かった。

 

「実際に、あいつは英雄にまで登り詰めたわけだからな。《英雄之剣》なんていう武器を携えて、あのラスボスを倒しちまってよ」

 

 グラスを磨く、エギルのバリトンボイスが深藍を現実に引き戻した。

 深藍はエギルに視線を向けると、気になった事を反芻して聞き直した。

 

「《英雄之剣》……? それに、ラスボス……ですか……?」

 

 エギルは磨き終えたグラスを眺め、満足そうに頷くとまた新たにグラスを手に取り、磨きながら答えた。

 

「ああ、あの世界に一つしか存在しない……少なくとも、あの時点ではあいつしか持ってなかった力だ。それで、七十五層のボス戦直後、キリトの野郎と一緒にプレイヤーに紛れ込んでいた茅場を見つけ出して……倒したんだ」

 

 キリトというのは、あの世界での和人の名前の事だったはずだ。

 あの二人が、ラスボスを倒してゲームをクリアし、囚われた人達を解放した。

 それは以前菊岡から聞いていたものの、こうして当事者から聞くことで改めて実感する。

 姉は、あの世界では確かに《英雄》だったのだと。

 

「姉は、凄い人だったんですね……」

「うん。深藍ちゃんのお姉さんは、間違いなく英雄だったよ」

 

 コハルは我がことのように、嬉しそうに姉の事を誇らしく語った。

 その事を深藍は少し悔しいと感じた。その姿を、自分の目で見たかったと。

 そして同時に、もっと知りたいとも。

 だから深藍はついに、一番聞きたかったことをコハルに質問した。

 

「そんな英雄だった姉と、あの世界で結婚したコハルさん。実際のところ、どうして好きになったんですか?」

「えっ……?」

 

 突然の変化球に、コハルは面食らったように固まった。

 エギルもカウンターの奥で思わずといったように噴出し震えている。

 

「姉は、向こうでコハルさんが自分を庇って怒ってくれた事が意識する切欠だったと言ってました。コハルさんは、そういうのは無いんですか? こう、胸がキュンとしちゃったような――」

「ちょ、ちょっと。ちょっと待ってね?」

 

 コハルは腕を組み、頬を赤くしながら悩み始めた。

 

「そういう話なら、俺はあまり聞かねえ方がいいな。ちょっと奥に引っ込んでるから、終わったら呼んでくれ」

 

 苦笑いしながらエギルが店の奥に消えると、コハルは困ったように眉をハの字に下げながらゆっくりと口を開いた。

 

「えーっと……そうだなぁ……多分、最初から好きだったと思うんだけど……切欠、切欠かぁ……」

 

 記憶を探るように、思い出を辿るようにコハルは視線を左斜め上へと向かった。

 そして

 

「切欠っていうと、あの時かな」

 

 エピソードへとたどり着いたらしいコハルが、コーヒーで喉を潤した。

 深藍はどんなことが語られるのか、わくわくとした気持ちを抑えきれないようにやや前のめりになりながら語られるのを待つ。

 そんな深藍の姿を見て、コハルは苦笑しながら話し始めた。コハルが、姉――アリスを意識するようになった切欠を。

 

 

 

 

 

 

 最初に言っておくと、私はアリスの事が最初から好きだったよ。

 けど、それに気づいたのは少し後だったんだ。

 

 あれは、第一層を攻略した後だから……ゲーム開始から一ヶ月ちょっとの頃だったかなぁ。

 二層が解放されて、主街区でのクエストを大体やりつくして、次の街に行こうって話になったの。

 

 あの頃の私は、アリスの役に立たなきゃって思いで必死でね。張り切りすぎてたっていうか……周りがあんまり見えてなかったのかも。

 二層の主街区はそこそこ入り組んでて、路地裏とか迷路みたいになってたんだ。だから出発する前、見落としがないか私は路地裏に入っていったの。

 その時、後を何人かの男の人に着けられてたみたいなんだけど……私は気づかなかった。

 

 路地裏に入って、たどり着いたところが行き止まりで何も無い場所でね。引き返そうとしたんだ。そしたら、男の人達に囲まれてて……。

 あの世界では、プレイヤーがプレイヤーを無理矢理移動させるっていうのは出来なかったんだ。それを利用して複数人で囲んで逃げられなくするっていうスクラムって嫌がらせがベータの時からあったの。

 周りは壁が高くて逃げられないし、声を上げて人を呼ぼうとしても、私たちがクエストやってる内に最前線の人達は次の街に既に行っちゃってて、あまりプレイヤーも見かけなかったし……。

 怖かったよ。何をされるか分からないし。倫理コードがあるとはいえ、その抜け道もあるかもしれなかったし……。

 

 ……ふふ、怒ってくれてありがとう。

 きっと、あの頃は一層が攻略されて、クリアできる希望が見えて、プレイヤーの人達に少しずつ余裕が出てきたんだと思う。色々な事を考える余裕が。

 それで、ああいうことされるのは凄く迷惑だったけどね……。

 

 どうしようって思ったよ。怖くて、泣きそうだった。男の人達もにやにやしながらゆっくり近づいて来て……。

 

 その時ね、アリスが颯爽と空から降ってきたの。

 

 うん。空から。正確には、屋根の上からなんだけど。

 

 アリスは何も言わずに剣を抜いて、男の人達に向けて言ったんだ。

 コハルに何かしようとしたら、ただじゃおかないよって。

 

 あの時のアリス、すっごく怒ってたよ。声も低くて、威圧するみたいに。

 男の人達は最初ぽかんとしてたけど、向こうも怒り出して、戦闘になったんだ。

 

 あ、大丈夫だよ? 圏内……えっと、街の中だとダメージは与えられないようになってるから。システムの障壁に守られてるんだ。

 けど、衝撃までは流石に防げなくて。ソードスキルを当てるとすっごい大きな音と、障壁に当たった爆発でよろめいちゃうくらい。

 

 アリスは本当に強くてね。男の人が複数相手でも一歩も引かなかったんだ。むしろ、一方的に叩きのめしちゃってた。

 あはは。前にも言ったでしょ? アリスは私の中で一番強いって。

 

 結局勝てないって思った男の人達は逃げ出して、その場はなんとかなったんだけど……。

 ありがとうってアリスに言おうとしたんだ。けど、怖かったから震えてて、何も言えなくて……。

 

 そんな私を、アリスは優しく抱きしめてくれたんだ。

 心配したんだよって。泣きながら。

 

 あれはときめいたなぁ……。

 

 あの時、アリスに抱きしめられたとき思ったんだ。

 

 私、この人の事が好きになりそうだって。

 

 けど違うって思った。なんか違和感があったんだ。

 その違和感の正体は直に分かったよ。

 簡単な話だったんだ。

 

 私は、アリスの事を、出会ったときからずっと――

 

 

 

 

 

 

 その日の帰り道、深藍は聞いた話をずっと反芻していた。

 

 はじまりは、唯一人にとっての英雄。

 そして、次第に成長して、ついには六千人もの命を救った英雄に。

 

 姉がそんなはるか雲の上の存在だったなど、思いもしなかった。

 それは誇らしい事であったが、幾許かの寂寥感が深藍の胸中をさらっていった。

 

 ふと、着信音が鳴った。

 

 誰だろうとスマホの画面を確認すると、驚くことに相手は姉だった。

 

「もしもし、お姉ちゃん?」

『あ、深藍。今大丈夫だった?』

 

 大丈夫だと伝えると、電話の向こうからよかったと安堵の息を漏らす音が聞こえた。

 

「どうしたの?」

『今日コハルと会うって行ってたから、どうだったかなーって……』

 

 恐る恐るといった風に聞いてくる姉の声に、つい噴出してしまった。

 

『あ、酷い。なんで笑うのさ』

「ごめんごめん。愛しのコハルさんが自分の事どう思ってたか気になるんだなーって」

 

 そう言うと、姉がふぐぅと物がつっかえたような声を上げた。図星だったようだ。

 

『ちが、べつ、その……』

「あははは。何言ってるのか全然わかんない」

 

 恥ずかしかったのだろう、何かを弁解しようとしてるのは伝わってきたのだが、動揺しすぎて言葉になっていなかった。

 

 やはり、姉は姉だ。英雄であろうと、雲の上の存在などではなく、等身大の深藍の姉だった。

 

「……英雄だってさ」

『え?』

 

 深藍が突然切り出すと、姉は驚きの声を上げていた。

 

「コハルさんにとって、お姉ちゃんはヒーローだったんだって。……すごいよね。六千人もの命を救った英雄。私も妹として鼻が高いよ」

『……』

 

 少しだけ茶化すように言うと、姉は何かを考えているらしく無反応だった。

 ただ静かに、姉の小さな呼吸音だけがスマホを通して耳に入ってくる。

 やがて姉の口から出たのは、否定の言葉だった。

 

『それは違うよ、深藍』

 

 今度は、深藍が驚く番だった。

 

『わたしは皆を救った英雄じゃない。あの世界で前に進もうと戦った皆が、英雄だったんだよ』

 

 姉は謙遜でも何でもなく、大真面目な口調で、事実をただ話すように語った。

 

『わたしはたまたま、キリト――和人お兄ちゃんと一緒に茅場を倒しただけ。けど、そこにたどり着くためには、沢山の人達の想いが合った。だからわたしは戦えたし、茅場に勝つことが出来た』

 

 姉の言葉のひとつひとつに、熱が篭っていた。

 一万人の想い。願い。それがあのゲームを解放せしめたんだと。

 

『それに、わたしは皆の英雄なんて柄じゃないよ。わたしは、一人だけでいい。その人の為の、英雄になりたいと思ってた』

 

 その一人というのは、きっとあの人の事だろうと深藍は推測するまでもなく確信していた。

 そして思ったままの言葉を、姉に告げる。

 

「よかったね、お姉ちゃん。その願いが叶ってて」

『う、うん……』

 

 あれだけ格好良く断言していたのに、急に自分が恥ずかしいことを言っていたと感じたらしい姉は消え入りそうな声で肯定した。

 その様子が可愛らしく、そして姉らしく、笑みが零れる。

 

「でもちょっと妬けちゃうなぁ。コハルさんだけの英雄――特別だなんて」

 

 コハルが少し羨ましいと深藍は感じた。

 あの世界で共に戦い続けた者の特権とはいえ、姉にとって唯一の特別であるという事が。

 しかし姉は少しきょとんとした声で言った。

 

『そうかな? 深藍もそうだと思うけど』

 

 どういう意味だろうか。意図を図りかねていると姉はなんでもないという風にあっけらかんと告げた。

 

『深藍だって、わたしの妹じゃん』

「……ぁ……」

『血の繋がった妹は、深藍だけだよ。深藍一人だけ』

 

 そうだ。名月深紅と、名月深藍は姉妹だ。

 この世でただ一人、血を分けた姉妹。

 深藍は産まれたころから、姉――深紅にとってたった一人の特別な存在だったのだ。

 

「ふ、ふふ……あはは……」

『どうしたの? 急に笑って……変な深藍』

 

 姉は自分が何を言ったのか、その意味を理解していないようで不思議がっている。

 実に姉らしい。

 随分とちっぽけな事で寂しさや嫉妬を抱えていたものだと、深藍は先程までの自分が馬鹿らしく思えて仕方が無かった。

 

「そうだったね。お姉ちゃんは、たったひとり。私だけのお姉ちゃんなんだものね」

『そうだよー。お姉ちゃんはいつまでも、深藍のお姉ちゃんなんだよぉ』

 

 おどけて、二人、自然とくすくすと笑いあう。

 

 仲の良い姉妹は、そのまま満足の行くまで面白そうに、楽しそうに笑い続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところでお姉ちゃん、”血の繋がった”妹は私だけって、血の繋がってない妹がいるような言い方だったけど……?」

『……ぁ…………えっと……えへへ…………向こうでわたしをお姉ちゃんって呼ぶ子が一人、いや、二人……?』

 

 どうやら、話を聞かなければならない相手はまだ他にもいるようだった。




 GGO編を始めておきながら申し訳ないのですが、デート×3の後編と、もうひとつ閑話を挟んでから続きを書きたいと思います
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