ガールズ&パンツァー 恋愛戦車道   作:肉球小隊

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アンツィオ編もいよいよ終わり6連戦最後の黒森峰編に突入しますが、
その前に今回と次回はその間にちょっとしたお話が挟み込まれます。


第六十話   優しき魔女の城

「行っちゃいましたね」

 

「ああ、そうだな……」

 

 

 夜の清水港、学園艦専用の桟橋にはアンツィオ高校戦車隊の隊員達が今も時折手を振りながら徐々に遠ざかる笠女学園艦を見送っている。

 つい先程までアンツィオの学園艦と轡を並べていた笠女の学園艦は、一度離岸してしまうと凡そ学園艦とは思えぬ加速でみるみるうちに出港し、陸地の灯りから遠ざかりその白亜の巨体も夜の闇に溶け込み始め、今は甲板上に広がる都市部のみが不夜城のように闇の中に浮かんで見えるのだった。

 

 

「しかしまあ改めてとんでもない学園艦だな…将来的にはあれが標準になるのか…いや、あれはコスト的に厳島だから出来る事か……」

 

 

 夜風にツインテとリボンを靡かせながら、驚くべきスピードで遠ざかりつつある巨体をアンチョビは若干呆れ気味に見送っていた

 

 

『あの事はやっぱりドゥーチェには伝えなくて良かったのかも……』

 

「ん?何だ、何か言ったかカルパッチョ?」

 

「え?あ…いえ、ラブ先輩と愛さん上手く行くといいなと思って……」

 

「うん?あぁそうだな……どうなんだ?オマエの見立てじゃそう悪い事にはならなそうなんだろ?」

 

「ええ、後は自分達で何とかと凜々子さん達も言ってましたし……」

 

「そうか、それならば大丈夫だろう。それよりも問題なのは例の件だ…あいつらにどう伝えたものかと考えると頭が痛いぞぉ……」

 

 

 目下色恋沙汰より扱いの難しい厄介な問題を抱えるアンチョビは、その件をどのタイミングでどのように仲間達に伝えるのが最適かで頭を悩ませていた。

 伝え方次第ではメンタル面が一番ナーバスなまほが狼狽えて大騒ぎになりかねないので、話の持って行き方には慎重を期さねばならぬとアンチョビは考えていた。

 あの忌まわしい事故から三年、ラブが自分達の下へと帰って来てこうして再び砲弾を交える事が出来るようになったのは、何ものにも代えがたい喜びであった。

 しかし戻って来た彼女が抱える闇はあまりに深く、自分達の卒業までの残り時間を考えると、それまでの間に果たしてどれだけの事を彼女の為にしてやれるか考えると、焦る気持ちばかりが先に立ってしまうのであった。

 そしてその度に冷静になるよう自分に言い聞かせねばならず、それがまた焦りを呼びアンチョビは若干の悪循環に陥っていたのだ。

 

 

「とにかく今ここでこうしていても始まらんか……少し落ち着いてから考えた方が良さそうだな」

 

 

 徐々に闇に溶け込んで行く笠女学園艦に背を向けると、アンチョビはアンツィオの学園艦に戻るべく歩を進め始めていた。

 

 

「取り敢えず明日から暫くは戦車の修理作業に集中しないとなぁ…何だかんだで全車ボコボコだからそれから何とかせにゃならんがまたお金が掛かるなぁ……」

 

「それなんですけどね、何とかなるみたいですよドゥーチェ」

 

「なんだそりゃ?一体どういう意味だ?」

 

「ねえぺパロニ!」

 

 

 カルパッチョに呼ばれてやって来たぺパロニに、カルパッチョが何やら耳打ちすると彼女は得意気な笑顔を浮かべ腰の両側に手を当て嬉しそうに説明を始めた。

 

 

「いやあビックリっスよアンチョビ姐さん。この練習試合の期間中だけで、今回の修理代処か残りのCV33の分のL3 cc改造キットを購入してもお釣りが来る位の売り上げがあったんっスよ~♪やっぱ母港開催でAP-Girlsとの対戦ってのが大きかったっスねぇ」

 

「はぁ!?そりゃあ確かに客がやけに多いなとは思ったが……」

 

「なんつっても久能山のイチゴを使ったジェラートの人気が只事じゃなかったみたいっスねぇ、笠女の給養員学科の連中が地方にも発送で販売すればいい収入源になるって言ってたらしいっスよ」

 

「マジか……?」

 

 

 驚愕の表情を浮かべたアンチョビは再びクルリと振り返ると、既に闇の中に消えつつある笠女学園艦の方へと向かい、柏手を打ち合掌すると深々と首を垂れるのであった。

 

 

「う゛お゛ぉ゛…あ゛り゛が゛どぉ゛~!ラブぅ~!」

 

 

 夜更けの清水港にアンチョビの感謝の雄叫び響き渡り、ここにアンツィオ対三笠女子学園の練習試合は無事全日程を終了したのであった。

 そしてそれから暫く後、清水港からは完全に笠女学園艦の姿が見えなくなった頃、その艦上のヘリデッキに1機の独特のシルエットの機体が発艦前の最終点検を受ける姿があった。

 Bell Boeing V-22 Osprey、Itsukushima Oneのコールサインを与えられ厳島の社用機としてイメージカラーのマリンブルーを纏ったその機体は、世界で初めて民間機として登録され航空機マニアの間でも注目の的となっている機体であった。

 

 

「それじゃあ留守をお願いね…って言っても戦車もまだ整備中で出来る事はないか。それに明日のお昼頃には戻って来るつもりだからそれまではのんびりしてて頂戴よ」

 

 

 点検を終えエンジンを始動しアンチコリジョンを明滅させる機体に搭乗する直前、ラブは見送りに来ているAP-Girlsメンバー達にそう言うと軽く手を振った。

 

 

「ちょっとラブ姉…本当に顔色悪いわよ、やっぱり行くの止めておいた方がいいんじゃないの?」

 

 

 言っても聞かないのは解ってはいるが一応は言っておくといった雰囲気で凜々子がラブに声を掛けたが、案の定ラブは凜々子の言う通り顔色が相当悪いにも拘らず全くそれに応じる気配はない。

 

 

「大丈夫よ、凜々子も大袈裟ねぇ」

 

 

 やはり凜々子の予想通りラブはのんきな態度で応じるだけで、予定を変えるつもりはないらしく時間が惜しいと云わんばかりにもう一度手を振りオスプレイに向かって歩き出した。

 

 

「全く頑固なんだから…こっちの頑固者も何とかしないとね……」

 

 

 面倒そうな表情になった凜々子は面白くなさそうにひとつ鼻を鳴らすと、スッと素早く愛の背後に移動すると結構な力で自分より大分小柄な彼女の背中を叩くように押した。

 完全に虚を突かれ数歩飛ぶように進み出た愛が、振り返り凜々子に怒りの感情をぶつけようとしたが、凜々子はその隙を与える事なく愛に向かい命令を下した。

 

 

「何をのんびりしてるのよ?サッサと行く!ラブ姉を独りにしない!あれだけしてくれたカルパッチョ先輩の気持ちを無にするな!さあ早く!」

 

 

 有無を言わさぬ勢いと高圧的な態度であるが凜々子の表情には厳しさはなく、それを見た愛の表情からも憑き物が落ちたように険しさが消えた。

 

 

「自分の気持ちをもっと大事にするの…カルパッチョ先輩にも言われたでしょう?あなたの気持ちは何処にあるの?って……さあ行きなさい」

 

 

 一瞬の躊躇、幼子の表情を見せた愛に凜々子はひとつ大きく頷いて見せた。

 それが後押しとなったのか愛は軽いステップで走り出すと、ラブが乗り込んだそのすぐ後にオスプレイの機内に飛び込んで行った。

 

 

「わ!?え?何よ愛、どうしたのよ!?」

 

 

 飛び込んで来た愛に驚いたラブの声が聴こえて来たが、そんな事は大した事ではないといった感じでパーサーがハッチを閉じてしまった。

 それから1分とかからずに管制が発艦許可を出したらしく、ローター音が高まると直ぐに機体が浮き上がり夜の駿河湾の空にあっと言う間に飛び去っていった。

 

 

「あ~、ほんっとメンドクサイ……」

 

 凜々子は清々したと云わんばかりにそう言い放つと、頭を左右に振り首を鳴らしている。

 

 

「何よ、随分と優しいじゃない?」

 

「うるさいわよ鈴鹿、大体面倒事全部私に押し付けたクセに!」

 

 

 ニヤニヤ笑いの鈴鹿に凜々子が牙を剥いたが、それでも鈴鹿はニヤニヤ笑いを崩さない。

 更にイエロー・ハーツのお気楽コンビの林檎と緋色が凜々子の様子にケラケラと無責任に笑っており、カチンと来たらしい凜々子はサディスティックにドSな事を言い放った。

 

 

「林檎、それに緋色…あなた達明日の朝のロードワークは倍走って貰おうかしら?」

 

 

 こめかみに怒りのバッテン皺を浮かべた凜々子が、にこやかに二人にそう告げた。

 

 

「何の権限があって凜々子がそんな事勝手に決めんのよ~!?」

 

「そうだそうだ~!」

 

 

 林檎と緋色が連携して抗議の声を上げるが、凜々子も至ってクールにそれをいなす。

 

 

「あら?ラブ姉不在時の指揮権は早い者勝ちよ?」

 

「そりゃあ戦車乗ってる時の話でしょうが!」

 

「ふざけんな~!」

 

「まあ二人共言葉使いがお下品でしてよ?」

 

 

 再度の連携しての抗議も難なく躱した凜々子は、爆音だけを残し夜の闇に溶け込んでもう姿の見えぬオスプレイの飛び去った方向に目を向けた。

 

 

『頑張りなさい愛、自分の想いに真っ直ぐにね……』

 

 

 凜々子の視線の先で微かに明滅を繰り返すのが見えていたオスプレイのアンチコリジョンも、やがて夜の闇の中完全に見えなくなって行った。

 

 

「も~、ホントしょうがないな~。一緒に行ったってやる事なんて何もないのよ~?」

 

 

 発艦直前にいきなり機内に飛び込んで来た愛と並んで国際線ファーストクラスと同等のシートに収まるラブは、少し困ったような表情を見せるが決して怒った様子はなく、言葉通りしょうがないなといった感じの顔をしていた。

 清水沖から横須賀までは直線距離で約100㎞、オスプレイの足の速さであれば15分程のフライト時間で到達してしまう距離ではあるが、巡航速度までの加速時間とその逆の減速や着陸に要する時間を考えれば、トータルで30分程と見るのが妥当であろう。

 

 

「ホントやる事何もないよ?家に着いても待ってて貰うだけだし私の用が済んだらもう寝るだけなのよ?それでもいいの?」

 

 

 ラブの問いに愛は答える事も頷く事もなく、ただいつも通りの無表情のままやや俯きがちに隣に座ったままでいる。

 しかしそれでもラブは、それを了承の印と受け留めシートに身を預けるのだった。

 そしてそんなやり取りをしているうちにもオスプレイは横須賀の上空に辿り着き、東京湾に臨む走水(はしりみず)の山の上に聳える厳島家の本拠である城のヘリポートに向け高度を下げ始めていた。

 

 

「う~ん、敷島さんはまだ辿り着いてないだろうなぁ…何か悪い事しちゃったわねぇ……」

 

 

 先に清水を車で発った英子の事を考えると、少し申し訳ない気持ちになったラブがそんな事を呟いているうちに着陸態勢に入ったオスプレイは、ヘリポート上空でホバリングを始めていた。

 

 

『これが恋の家……』

 

 

 滅多な事では表情も変えず言葉も発する事のない愛が、呆然とした顔でやっとそれだけ言うと通されたエントランスホールとでも云うべき広大な空間で天を見上げている。

 天井は高く正面にある大階段は何十段か登った処から左右両翼に広がり、華美ではないがその装飾や壁画は天井画などと共に殆どお伽話の世界であった。

 

 

「お帰りなさいませ恋お嬢様」

 

『恋お嬢様……』

 

雪緒(ゆきお)ママただいま~♪』

 

 濃紺のワンピースと白のエプロンのエプロンドレスに身を包み、シニヨンに纏めた艶やかな黒髪をやはり濃紺のリボンバレッタでカバーした、これぞ正真正銘のメイドといった雰囲気の美しい女性が腰を落としラブと愛を出迎えた。

 

 

「えっとね、紹介するね、この子は──」

 

「存じ上げておりますわ、愛お嬢様でいらっしゃいますね」

 

『愛お嬢様……』

 

「初めまして愛お嬢様、私当家のメイド長を務めさせて頂いております藤代雪緒(ふじしろゆきお)と申します。ご滞在中は私に何なりとお申し付け下さい」

 

 

 微笑と共に優雅に挨拶をした雪緒なる女性は一見して年齢がどれ位なのか見当が付かず、ラブとの接し方を見ると相当に付き合いが長い感じがするのだが、ラブの姉と言っても通用しそうな若々しさに対し、ベテランのメイドの風格も併せ持っているので、愛は雪緒にどのように対応すればよいのか解らず、彼女にしては珍しく少々間の抜けた表情で佇んでいた。

 

 

「如何なさいましたか愛お嬢様?」

 

 

 ぼ~っとしてすっかり気の抜けていた処に名を呼ばれた愛は、これまた更に珍しく短く悲鳴のような変な声を上げてしまった。

 

 

「ちょっとぉ、どうしちゃったのよぉ?」

 

 

 如何にも珍しいものを見たという風に、ラブが目を丸くしながら愛の顔を覗き込む。

 

 

「な、なんでもない!」

 

 

 ラブの美しいエメラルドの瞳を間近で見てしまった愛は、慌ててラブから距離を取った。

 

 

「あら?恋お嬢様もしかして……?」

 

 

 ラブと一緒に愛に近付きかけた雪緒は、ラブがフェロモンを発している事に気付いたようだ。

 

 

「う゛……」

 

「あらまあやっぱり……それでは愛お嬢様がお疲れになっていらっしゃるのも無理は御座いませんわ、直ぐにお部屋の方を御用意致しましょう」

 

 

 少々違った方向へ勘違いした雪緒が愛を部屋へと案内しようとする。

 

 

「ち…違います、大丈夫です!」

 

「へ?」

 

 

 少し裏返った大声を愛が出した事に、驚いたラブは間の抜けた声を上げてしまった。

 

 

「あ、あの…あまりに広くて綺麗だから驚いていただけです……だから…大丈夫だから恋は早く話し合いに行って来て!」

 

 

 恥ずかしそうに頬を赤くした愛の様子に、ラブの口元が何やら嬉しそうにムニュムニュし始めた。

 

 

「可愛い♡愛のそんな可愛い処は始めて見たわ!」

 

 

 我を忘れたラブが愛を抱き締めようとしたが、寸での処で雪緒が間に割って入り暴走し掛けたラブを巧みに押し止めた。

 

 

「いけませんよ恋お嬢様、今そんな事をしたら大変な事になってしまいます」

 

「あ゛ぅ゛……」

 

 

 雪緒の言葉で固まったラブは、渋々といった表情で愛から離れるのであった。

 

 

「…ありがとうございます……」

 

 

 少しホッとした表情になった愛が小さな声で礼を言った。

 

 

「さあ恋お嬢様、あまりのんびりとしている時間は御座いませんよ?」

 

「解ってる……」

 

 

 雪緒に促されたラブが彼女が用意していた古い鍵の束を受け取る。

 

 

「……?」

 

 

 愛がそれを見て不思議そうに首を捻った。

 

 

「ごめんね愛、悪いけど暫く待っててくれる?あまり遅くならないようにするから……雪緒ママ、愛に何か温かい物を用意してくれる?大分冷えて来たわ」

 

「はい、直ぐにご用意させて頂きます。恋お嬢様もこちらをお召しになられて下さい」

 

 

 雪緒はラブに淡いピンクのダウンベンチコートを差し出した。

 

 

「ありがとう雪緒ママ、それじゃあ行って来るわ」

 

「はい、お気を付けて行ってらっしゃいませ」

 

 

 深々と頭を下げた雪緒と、何か言いたげな様子の愛に見送られ、ラブは一切躊躇する事なく城の奥へと進んで行った。

 

 

「あの……」

 

「さあ、愛お嬢様はこちらへどうぞ」

 

「…はい……」

 

 

 愛が招き入れられた部屋は城の規模からすればさして広くはないものの、趣味の良い調度品と手入れが良く行き届いている感じから、入った者をホッとさせるような雰囲気のある部屋であった。

 

 

「暫くこちらでお待ち下さい、今温かい物を御用意致しますので」

 

 

 雪緒が手招きする先には暖炉があり、赤々と燃え上がる炎が部屋全体を程良く暖めていた。

 

 

「あの…どうかお構いなく……」

 

 

 姉のような母のような不思議な雰囲気を醸す雪緒を前にすると、何故か胸がドキドキして愛はいつも以上に上手く言葉を口にする事が出来なかった。

 愛を残し雪緒が一旦部屋から退出すると、愛は何もする事がなくなり仕方なく暖炉の傍に設えられたソファーに腰を下ろした。

 所在なさ気に室内を見回す愛の耳には時折暖炉の中で薪の爆ぜる音が聴こえて来るが、それ以外の音はなく驚く程に静かな空間であった。

 そんな場所に独りでいるとつい数時間前まで熱狂のステージ上いた事が嘘のように思えてくる。

 

 

「恋……」

 

 

 静かな室内にまたひとつ薪の爆ぜる音が鳴り響いた。

 

 

「はぁ~、やっぱ無駄に広いわよねぇ~」

 

 

 迷路のような城内を独り進むラブの口からは、白い息と共に愚痴ともボヤキともつかぬ言葉がたて続けにダダ漏れで零れ続けていた。

 

 

「階段の上下移動がなければ電動アシスト自転車でも欲しい処よねぇ…でもそんなモノ持ち込んだら雪緒ママに死ぬ程怒られるに決まってるわよねぇ……」

 

 

 下らない事を思い付いたのはよいが、それを実行した場合に予想される結果を考えたラブは、何か封印していた記憶を思い出したのかゲンナリとした表情になった。

 

 

「っと、ここだわ…久し振りだから見過ごすトコだった……ホント、子供が迷子になる自宅って一体どんな家なのよ……」

 

 

 その広さに辟易としているラブのボヤキは止まらない。

 

 

「ええと…ここか……」

 

 

 長い廊下の途中の壁を手探りで何かを探していたラブは、どうにかお目当ての物を見付けたらしく今度は雪緒から渡された鍵の束をジャラジャラいわせながら鍵を選び始めた。

 

 

「これかな…これ違う……これも…これじゃない……ああもう!表示位付けといてよ!」

 

 

 イライラしながら何本かの鍵を試しやっと正しい物に当ったらしく、ラブが捻ると壁の中から鈍く重い何かの作動音が響いて来た。

 

 

「何で扉ひとつ開けるだけでこんな苦労しなきゃいけないのよぅ?」

 

 

 不満たらたらなラブの目の前で石壁が左右に分かれて開き始めると、中庭のような空間に出る為の石段が足元からせり上がって来た。

 

 

「ホント、何回見ても下らないわ…こんな無駄な仕掛けばっか大量に造って……」

 

 

 ブツクサ言いながらその石段を降りたラブは、懐からミニマグライトを取り出すと捻って灯りを灯し一度周囲を照らした後に中庭へと足を踏み入れるのであった。

 足元を照らしながら暫く進んで行くとやがて目の前に凝った意匠に緑青の吹いた門扉が現れた。

 しかしこの門扉に鍵はなく簡単に開き、ラブは中庭から外庭へと進んで行く。

 それから石畳の小路を進む事暫し、ラブが外庭から裏庭へと回った辺りで彼女を追うように高速で近付く爪音が聴こえて来た。

 

 

「ん~?」

 

 

 ラブが振り返った瞬間、黒い影が一斉に彼女目掛け飛び掛かる。

 

 

「うわ!何よ!?」

 

 

 飛び掛かられたラブが思わず尻もちをつくと、黒い影たちは次々と彼女に圧し掛かって行った。

 

 

「ちょ!?ヤメ!うひゃひゃくすぐったい!やめて~!」

 

 

 悲鳴を上げるラブの顔を甘えるように鼻を鳴らしながら代わる代わる舐める黒い影達は、止まる事なくラブにじゃれついている。

 

 

「も~!お願いだからや~め~て~!」

 

 

 引っ繰り返っていたラブがどうにか起き上がると、黒い影達は揃って彼女の前へと座り込んだ。

 その黒い影達の正体は何かと云えば、厳島の城を守る屈強な衛士である5頭のジャーマン・シェパード達であった。

 

 

「んも~!この腕白坊主どもめ~!でも私の事をちゃんと覚えてるのねぇ…さあおいで……」

 

 

 ラブが膝を突き両腕を広げると、5頭のジャーマン・シェパード達が一斉にその腕の中に飛び込んで来ようとする。

 

 

「だから順番だってば~!うわぁ!もう子供じゃないんだから~!」

 

 

 我先にラブに甘えようとするその姿には番犬としての威厳は欠片もなく、今はただ嬉しくてしっぽをブンブン振るただのワンコにしか見えない。

 

 

「あ~も~時間ないんだってば!また今度帰って来た時にいっぱい遊んであげるから!ね!?」

 

 

 やっと満足したのか取り敢えずそれでやっと解放されたラブであったが、その後も裏庭を進む彼女の後を5頭はゾロゾロと付いて行く。

 

 

「アンタ達一体何処まで付いて来る気なのよ~?遊びに来たんじゃないのよ~?」

 

 

 ラブの言った事が通じているのかいないのか、護衛宜しく5頭の忠犬は付かず離れず彼女の後ろを付いて来るが、相変わらずしっぽブンブンなので護衛には見えずどこからどう見てもそれはただの散歩にしか見えないのであった。

 

 

「しょうがないなぁ……」

 

 

 急遽増えたお供を引き連れラブが裏庭を進んで行くと、やがて一見古びたレンガ造りの倉庫のような建物の前に辿り着いた。

 

 

「は~い、アナタ達はここまで!もういいから遊びに行きなさいよ」

 

 

 しかし5頭のジャーマン・シェパード達はその場から動く事はなく、伏せの体勢になると思い思いにのんびりと寛ぎ始めてしまった。

 

 

「…もう好きにしなさい……」

 

 

 彼らに何かを言うのを諦めたラブは倉庫の小さな通用扉に近付くと、扉の横のパネルにまた何度か鍵を抜き差しをして開いたパネルの中のスイッチを押した。

 するとレンガ積みにしか見えなかった壁の一部がスライドし、中から銀行のキャッシュディスペンサーのような機会が姿を現した。

 そのせり出した機械のタッチパネルにラブが軽く手を触れると、液晶モニターに灯が入りそこに厳島のグループのCIらしいエンブレムが浮かび上がった。

 

 

「えっと……」

 

 

 エンブレムが消えその後モニターにテンキーが浮かび上がると、ラブは10桁程の暗証番号を打ち込んで行き、次に現れたキーボードにパスワードを入力した。

 しかしそれで終わりかというと話はそう簡単ではなく、モニターが暗転し今度は指紋照合装置らしきセンサーとカメラレンズのような物とマイクが揃って顔を出した。

 まずラブは右手をセンサーに当て指紋認証を行なうと、次いでカメラレンズが作動しラブの左目をスキャンして彼女の虹彩パターンを読み取って行く。

 そして最後にラブは、彼女のパーソナルパスワードをマイクに向かい読み上げて行った。

 

 

「Love Sing Panzer」

 

 

 それでやっと全ての手順が終わったらしく、セキュリティーシステムは無事にグリーンランプが点灯し、いくつかの機械音の後に小さな通用扉のロックが解除されたのであった。

 だが三段階もの最新の生体認証システムを用いてまで、厳重な警備態勢が敷かれたこの倉庫の中には一体何があるというのであろうか?

 

 

「みんなそうやって待ってるつもり?いつになるか解らないのよ?」

 

 

 扉を潜る直前に振り返ったラブが5頭の忠犬達にそう語り掛けたが、お構いなしに全員揃ってその場で寛いでいる。

 

 

「風邪ひかないかしら?」

 

 

 肩を竦めたラブは開いた扉に向き直ると、躊躇う事なくその中に消えて行った。

 

 

「お待たせ致しました愛お嬢様、お口に合うと宜しいのですが」

 

 

 突然聴こえた優しい響きの声に愛はハッとして顔を上げた。

 程良く暖まった室温と暖炉の炎の優しい温もりと、座り心地の良いソファーに腰を下ろした事で、ここ数日の疲れもありどうやらウトウトとしていたようであった。

 慌てて居ずまいを正した愛は雪緒が目の前に用意してくれたカップを手に取ると、軽く湯気を吹いた後にそっと中身に口を付けた。

 

 

「…美味しい……」

 

 

 よく温められたカップの中身はハチミツがたっぷりと注がれたハニーミルクであった。

 愛は疲れが蓄積した自分の体内に、甘めに作られたハニーミルクがじんわりと浸透して行くような感覚に囚われていたが、それは不快なものではなく寧ろ極めて心地の良い感覚であった。

 

 

「甘過ぎましたでしょうか?」

 

「いえ…とても美味しいです……」

 

「それはよう御座いました、大分お疲れのご様子でしたので甘めの方が宜しいかと思いましたので」

 

「ありがとうございます……」

 

「もし宜しければお部屋の方のお仕度も整っておりますので、先にお休みになられては如何でしょうか?恋お嬢様も何時になるか解らない事ですし」

 

「いえ!…その、出来ればこのまま待たせて頂く訳にはいかないでしょうか?」

 

「それは構いませんが宜しいのですか?」

 

「はい!お願いします!」

 

「畏まりました、でもお休みになられたい時はいつでもお申し付け下さいませ」

 

「は、はい!ありがとうございます……」

 

 

 今までに誰も見た事ないであろうすっかり畏まった様子の愛が雪緒に向かって頭を下げ、雪緒もまた一礼して部屋から退出しようとしたその時、愛が道中からずっと気になっていながらも聞く事が出来ずにいた質問を、彼女はラブにではなく雪緒に投げ掛けるのであった。

 

 

「あ、あの……」

 

「はい?何で御座いましょう愛お嬢様?」

 

「え、えっと…恋は…恋姉様は何故急にここに来たのでしょうか……?」

 

 

 雪緒は愛の質問に少し面食らったようであったが、瞬きひとつの間の後にほんの少し悲しみの色が混じった笑みを浮かべ、優しい声で答え始めた。

 

 

「久し振りの親子の対面とでも云いましょうか……お母様に会いにいらっしゃったのですわ」

 

「え……!?」

 

 

 予想だにしない唐突な雪緒の返答に、愛は訳が解らずその顔に困惑の色を浮かべる。

 今夜の横須賀は眠りに付くまでに今少し時間が必要なようだ。

 

 

 




例によって思わせぶりなラストですが、
ずっとお読み頂いている方には解っちゃうかな?

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