『これはさすがに予想しなかった……』
呆然とするラブの目の前で、AP-Girlsのメンバー達が激しい口論を繰り広げている。
ラブを除く24人のメンバーがグループに分かれるとかではなく、全員がそれぞれてんでんばらばらに言い争い、その激しさは掴み合いにならないのが不思議な程のものであった。
『ここでやめて私の為に…とか言ったら火に油で私に飛び火するわよねぇ……』
呆然としながらも内心そんな下らない事を考えるラブであったが、彼女達の口論の内容がもう既にその原因となった話からかけ離れたものになりつつあり、落とし処が全く見当たらなかった。
『なんかもう私の目の手術は関係ない展開になってる気がするけど…ドウシテコウナッタ……?』
何処か虚ろな表情なラブは、疲れてあまりよく回らぬ頭で事の発端について思い返し始めた。
「恋……」
「愛♡」
亜梨亜のオフィスにAP-Girlsが姿を現すとやはりそこはバカップル真っ盛りな二人の事、あっと言う間に周りが見えなくなり、辺り憚る事なく熱い視線を絡ませ始めていた。
『もげろこのバカップルが……』
自分達でそうなるよう仕向けておきながらも、いざそうなった二人が顔を合わせるなり盛りの付いたケダモノ状態になっている事に、残りの者達は全員見事に目が死んでいた。
『さぁ先生こちらへ……』
「先生?」
彼女達が入室するのと入れ違いで亜梨亜に促され退室して行くブロンドの長身美人を目で追っていた鈴鹿は、彼女が
「恋、私はまだ仕事がありますからね、後は自分で何とかするように」
「え……?あ!亜梨亜ママ逃げた…チ……」
愛と視線を絡ませ脳みそを蕩かしているうちに亜梨亜はさっさと撤退し、気が付いた時には亜梨亜のオフィスにはAP-Girlsと自分しか残されておらず、ラブは思わず舌打ちしそうになった。
「え?えぇと……あ!アンタ達よくも私を売ってくれたわね!お蔭で大変だったのよ?ダージリン達まで来ちゃうしさぁ……」
一応怒ったふりをするラブがダージリンの名を出した事で、訳が解らないといった顔をした鈴鹿だったが直ぐに何かに思い当ったようであっという顔になった。
「あぁ、あのスーパーギャラクシーはそういう事か……」
「ホント暇人ばっかでイヤんなるわ……」
熊本港で並んで停泊中、黒森峰の学園艦にスーパーギャラクシーが着艦するのをAP-Girlsのメンバー達も目撃していたので今のラブの愚痴と合わせてそれが何を意味するのかを察しはしたが、実はUD-Girlsを呼び寄せた原因がラブである事までは彼女が意図的に誤魔化したので気付かなかった。
「それはともかくさ、直ぐにこっちに来るかと思ったのに……探したわよ?」
自分を抜きにしたAP-Girlsのメンバーの中で最も勘が鋭く策士である鈴鹿の何かを探るような視線に、ラブは何とも居心地の悪さを覚える。
「ごめんね携帯が機内モードのままで、亜梨亜ママがヘリデッキまで直接迎えに来たからさ……」
「ふぅん……それはさっき私達と入れ違いで出て行かれた女性と何か関係があるのかしら?」
『全くこの子は…こういう時は特に勘が働くんだから……』
ラブをしてAP-Girlsのメンバーの中で最も油断のならない相手と評される鈴鹿が早速持ち前の勘の鋭さを発揮し、ラブは内心で顔をしかめていた。
「もしかして亜梨亜様のいい人なのか?」
「夏妃!」
いきなりおバカ発言をかます夏妃の後頭部を、すかさず凜々子が引っ叩く。
「いてぇっ!凜々子何しやがる!?」
「黙りなさい!この下品女!」
「んだとこのヤロっ!」
「二人共止めなさい」
例によって始まった夏妃と凜々子のドツキ漫才に煩そうに鈴鹿が釘を刺し、いつもの展開に他の者達からも失笑が漏れ、二人は恥ずかしそうに口をつぐんだ。
しかしそれだけで終わる鈴鹿ではなく、目線でラブに対し先程の疑問の解答を求めていた。
「…Dr.ルシア・キンバー……ニューヨークにある星条旗記念病院の眼科医で、三年前の事故の後に渡米した私の右目の主治医よ」
三年前の事故というキーワードにAP-Girlsのメンバー全員が息を飲んだが、その直前、ラブが眼科医と言った瞬間凜々子がビクッとしたのを鈴鹿は見逃していなかった。
「凜々子、どうかした……?」
「何でもないわ……」
彼女を見透かすようにスッと目を細めた鈴鹿に、凜々子は必死にさり気なさを装い背を向ける。
「それでそのDr.キンバーがなぜ今になって日本に……?」
ラブと凜々子の様子から何かがあると確信したらしい鈴鹿は追及の手を緩める事はなく、メンバーの中で最もラブの健康面の問題に関してナーバスな愛は、不安気な表情でラブの腕に縋るように抱き付き身を硬くしていた。
「ま、元々その予定だったけどさ……いいわ、説明するから聞いて頂戴」
ラブの腕に縋り付く愛の髪を安心させるように撫でながら微笑んで見せたラブは、オフィスに詰め掛けたAP-Girlsのメンバー全員の顔を見回しながら肩を竦めた。
「みんなも知っての通り私の右目は殆ど見えないわ。これが原因で大洗では勝てる試合を落としてしまった……そして残念ながら今後もこれと同じような事が起きる確率は結構高いはずよ」
ここまで話した処で改めてメンバー達の顔を見ると既に全員が泣きそうな顔をしており、腕に縋り付いている愛も袖を握る手にぎゅっと力が籠っていた。
「当時はね、手術は難しいと言われたし正直私も完全に失明するのが怖かった。でもね、この先私があなた達の先頭に立って戦って行くにはこのままではダメなの、大洗ではそれを嫌という程痛感させられたわ。だから私は決めたの、右目の手術を受けるってね……ルシア先生もずっと私の視力回復の道を模索してして下さっていたの、そし今はあの頃不可能だった手術も出来るようになったのよ。これから先のスケジュールを考えたら手術を受けられる時間は今をおいて他にはないわね…そう、もう時間はあまりない……そして私が勝ち抜く為の選択肢も他にないのよ」
そこまで話したラブの声に悲壮感は感じられず、表情もまた同様であった。
しかし彼女を慕う24人の少女達はそうも行かず、全員が言葉を失い硬直している。
「ちょ、ちょっと待ってよラブ姉…いきなり目の手術受けるなんて言われても……っていうかその前に私さっきからずっと気になってたんだけどさ……ねぇ凜々子、アンタもしかしてこの事を最初から知ってたんじゃないの?」
他の少女達と同様に青ざめた顔で日頃冷静な彼女らしからぬ動揺した姿を見せていた鈴鹿であったが、それでも凜々子が張りつめていた緊張の糸が途切れたようにフッと小さく息を吐いた瞬間を見逃しておらず、それまでに感じた違和感と合わせてその事に付いて言及する辺り、やはり鈴鹿は他のメンバーに比べ頭一つ抜きん出た存在といえるだろう。
その一方鈴鹿から指摘を受けた凜々子は更に身を硬くしており、何か言おうにも上手く言葉にならないのかアウアウと口籠り冷や汗すら浮かべていた。
「鈴鹿…そりゃ一体どういう意味だ?おい……おい凜々子!今鈴鹿が言ったのは本当か!?」
鈴鹿の口から出た思いもしなかった言葉に即座に夏妃が沸騰する。
そこに至ってやっと凜々子も何か言いかけたがやはり上手く言葉に出来ずにいる。
「わ、私…私は……」
「なんだよ!?もっとハッキリ言いやがれ!」
勢いで更に口調が荒っぽくなる夏妃に押しの強さに、気圧された凜々子の目尻に涙が浮かぶ。
「いけない……!夏妃止めなさい!まだ何も決まらない段階でうっかり凜々子に話を聞かせてしまってきつく口止めしていたのはこの私よ!凜々子は何も悪くないの、だからそれ以上責めるのは止めなさい!鈴鹿もそんな目で凜々子を見るのは止しなさい、こんな事で仲間割れとかは絶対ダメよ!」
今にも凜々子に掴みかからん勢いの夏妃の前に立ちはだかると、背後で泣き出す寸前の凜々子がその身を小さくしているのが伝わって来る。
「な!?だって…大体ラブ姉がいきなり……!だぁ──っ!どういう事だよ!?」
遂に癇癪を起した夏妃が怒声を上げると、それまで言葉を失い口をつぐんでいた他の少女達もそれぞれ意見を言い始め、それが個別の口論に発展するのにそう大して時間は掛からなかった。
「どうしてこうなるのよ……」
既に誰が何を言っているのか解らぬ程激しく飛び交う言葉に、ラブも只呆然としていた。
AP-Girlsのメンバー達にラブが目の手術を受ける事を伝えた結果、何故かそれがメンバー同士の口論の元となり、収拾の付かぬ状況にラブが頭を悩ませる事になった。
そしてそれより少し前の事、遠く九州は熊本の地でもラブに頼まれたしほがまほにラブが目の手術を受ける事を伝えると、想定していた以上の事態が発生し、こちらではしほが頭を抱える事になっていたのだった。
「あれ?お母様、いつお戻りに?今日はまた何か?」
家元会議出席後までのスケジュールはさすがにまほも聞いておらず、隊長執務室で新隊長のエリカに事務的な引き継ぎの説明をしていた彼女は突如現れた母の姿に目を丸くしていた。
「コーヒーでもお淹れしましょうか?」
「あ?あぁ、済まないが頼む……」
つい先日までまほが座っていた隊長の執務用デスクの椅子に腰を下ろして書類に目を通していたエリカが、横から覗き込みながらアレコレ説明していたまほを見上げて問い掛ければ、しほから彼女の方に向き直りつい今までのクセで新隊長に雑用を依頼してしまうのだった。
「……っと、もう隊長になったエリカにこんな事をやらせるのは失礼だな」
「た、たい…まほね……まほ先輩!」
「ははは、これ位自分でやるさ…いや、やらせてくれ……お母様もそちらに掛けていて下さい」
照れるエリカを余所にまほは身振りでしほに執務室の片隅にあるソファーを勧め、自身はミニキッチンへと向い薬缶を火に掛けコーヒーを淹れる準備を始めていた。
「それでお母様、家元会議の方……ラブの様子は如何でしたか?」
「…えぇ、特に問題なく無事に終わったわ……」
カップを用意して並べながら、まほはミニキッチンからしほに気になっていたラブの家元会議デビューの様子がどんなであったか質問したが、返って来た答えは何処か心此処に在らずであった。
「それでは私は席を外します……」
しほの様子から空気を読んだエリカが執務室から退出しようとする。
「おい、エリカの分も淹れたんだ、気にせず一息入れてくれ」
「そうね…これは
「ん?それはどういう意味でしょう?」
妙に改まったもの言いをするしほの声に、湯気と深い香りを立ち昇らせるカップを並べていたまほの手が止まり怪訝な顔をしほに向けた。
「あの……」
何とも言いようのない居心地の悪さに、エリカがおずおずとしほに何故自分もと問い掛けようとしたが、しほは存外穏やかな表情で改めて同席するよう身振りで促すのだった。
「失礼致します……」
まほと共にエリカがソファーに腰を下ろすと、並んだ二人の顔を交互に見比べたしほは、まほの淹れたコーヒーで喉を湿らせた後に漸く話の本題に入った。
「恋からあなた達に言付かった事があります……二人も知る通り恋は三年前の事故が原因でほぼ右目が見えない状態にありますが、あの子は近日中に右目の視力回復手術を受けるそうです」
回りくどい事を言っても結局は伝えなければならない事なので、しほも余計な事は一切言わずにまずは必要な事だけを単刀直入に伝えたが、しほがそうなるだろうと事前に予想した通り二人は彼女が言った事を直ぐには理解出来ず置物のように固まっていた。
「は……?」
「え……?」
「お母様今なんと……?」
やっと口を開いた二人だがそれでもまだ頭が追い付いていないらしく、まほが辛うじて母に対して短い言葉で再度確認するのがやっとだった。
「…私も昨夜寝しなにあの子から聞かされたばかりなのよ……熊本へ戻るオスプレイの機内で詳しい事を聞こうとしたけれど、決まっているのは手術を受けるという事とその為にお医者様がアメリカから来日しているという事ぐらいでそれ以上は私にも解らないわ」
しほの表情からしても、それは彼女達にとって朗報というより凶報に近いのかもしれない。
再会以降ぽつりぽつりと聞き出した話を総合すれば、彼女の右目の手術はもしやるとすれば大変困難なものになるはずであり、もし失敗すれば完全に失明するであろう事はまほ達にも想像が付く事でこの件に関しては彼女達の間でも非常にナーバスな話題となっていた。
「ま、待って下さいお母様!さっきから一体何を…え?目の手術って……ラブが?だって確かアイツの右目の状態は……」
やっとしほの言った事が呑み込めて来たまほは、それが何を意味するかを理解すると共に見る見るその顔色が青ざめて行くのだった。
「お、お母様!ラブが右目の手術ですって!?アイツの右目は手術出来ない状態なはずなんですよ!お母様もそれは解ってるはずでしょう?何故止めなかったんですか!?」
どうにかラブが目の手術を受けるという事が理解出来たまほであったが、その『ラブが手術を受ける』という事自体が彼女にとってはトラウマになっており、あの時の恐怖が一気にまほの心の中を黒い染みとなって侵食して行くのだった。
「まほ……」
ほぼ予想通りの反応であったが、例え予想は出来ていてもそれを諌められるかどうかは別問題であり、それがしほが最も面倒であると考える処であった。
しかしここで状況は彼女が想定していたものとは全く違う方向へ転がり始め、それまでに一度も見せた事がなかったまほの一面にしほも打つ手がなくなるのだった。
「だ、駄目ですよ…そんな……手術なんて……ま、またラブが何処かに行ってしまったら…ど、何処かに行く……?ラブが?だ、ダメだよぅ……またラブがいなくなっちゃうじゃないかぁ!」
「ま、まほ?」
うわ言のように呟いていたまほは何やら恐ろしい結論に行き当たったのか、突然大きく見開いたその瞳から堰を切ったようにポロポロと大粒の涙を零し始めた。
「え……?」
「まほ姉……!?」
驚く二人の前でまほは幼子のように泣きじゃくり始めた。
まほ、まさかの大泣き。
幼い頃より強くあれと厳しく育てて来たまほが、これ程までに大泣きした事は母親であるしほにも経験がなく、まさかの事態に頭が追い付かない彼女はポロポロと涙を零す娘の前で思わず頭を抱えてしまうのだった。
そう、さすがに彼女も事態を告げるまでこれは想像していなかったのだ。
「恋…これは私にもどうする事も出来ません……」
「えぇと、家元……?」
結局この後二人掛かりで慰めるもまほが泣き止むまでに一時間を要し、更にはまほに縋るように依頼されたエリカの代打ちによるメールがグループに一斉送信され、それから数分後には仲間達全員がラブが右目の手術を受ける事を知る処となった。
『いつになったら終わるんだろコレ……?』
エリカからのメールで仲間達に情報が流れそれぞれがメールを
最初はラブの腕にしがみ付いて青い顔をしていた愛も掛かる火の粉にカッとなり、今は他のメンバーと同様に激しい舌戦を繰り広げていた。
『亜梨亜ママは絶対今頃ルシア先生とラウンジ辺りでお茶でも飲んでるわよね……』
AP-Girlsの少女達が現れると、ルシアを引き連れ自らが主であるオフィスから早々に逃げ出した亜梨亜は、ラブの予想通り艦橋上層部にある眺めの良いラウンジで談笑している姿が目撃されていた。
この一件でラブからのご指名で貧乏くじを引かされたしほと、要領よく逃げ出した亜梨亜とでは明暗がくっきりと分かれていたが、亜梨亜も後日しほ相手にきっちりと諸々のツケを払う事になったのだがそれはまた別の話だ。
『下手に口を挟めば確実にヤブヘビだしど~すっかねぇ…泣きマネが通用するする連中じゃないし、ここは本当に涙の一つも見せるのが一番効果的か……』
自分が目の手術を受けると言っただけでこの事態となり、長旅の後で疲れ切った頭のラブはその解決策を模索するうちに、実に下らない手口にその思考は辿り着いていた。
『ん~、あんまポロポロ涙流しても嘘くさいわよね…涙がひと筋位が丁度いいかな……?問題はそれがどの程度の悲しみかって事よねぇ……』
自分の思考を悟らせぬよう少し悲しげな表情でオロオロするフリを始めたラブは、その演技に見合う涙を流すべく、彼女は記憶の中の悲しい思い出の検索を始めていた。
『ええと…あ、あれね……ヤキマに行ってた時にコンビニスイーツが壊滅したのは堪えたわ……うん、これならちょうど……あ、来たわ……』
当時の事を詳細に思い出したラブは目頭が熱くなる感覚を自覚すると、皆の注目が集まり易い場所にさり気なく移動しタイミングを計って悲しげな声で呼びかけた。
「みんな……」
やはり天性で人を引き付ける才があるのか、それほど大きな声を出した訳ではないにも拘らず、彼女の悲しげな声に口論を続けていた少女達が一斉に注目した。
そして充分に皆の意識が集中した処で、彼女は満を持して破壊力抜群な涙をひと筋零して見せる。
「え……?」
「あっ!」
「ちょ、ちょっと!?」
「ラ、ラブ姉!?」
「うあぁぁぁっ!」
あらゆる芸術賞を総なめしそうなラブの迫真の演技とひと筋の涙に、一気にトーンダウンして狼狽えた少女達が一斉にラブの下へと集まっている。
その完璧な演技にはあの鈴鹿さえコロッと騙されており、ラブもそれ以上の事は何も言わず俯いているので、全員見事に良心の呵責に襲われその事で反を唱えられなくなっていた。
『まだまだこの子達もチョロいわね……』
そんな内心をおくびにも出さず、ラブはその場を乗り切りどうにか最初の関門を突破していた。
しかしAP-Girlsのメンバー達も単にラブが目の手術をする事に対して反対意見を言い難くなっただけで、誰一人それに納得している訳ではなかった。
「話し合いは終わりましたか?」
どこかでその様子をモニターしていたのかと思う程ピッタリのタイミングでオフィスに戻って来た亜梨亜は、何か言いたげなAP-Girlsのメンバーをスルーして穏やかながらも有無を言わせぬ口調でその場にいる者達に解散を促すのだった。
「さすがに恋も慣れない会議に出席して疲れているでしょうし、クリスマスイベントも控えているのですから今日の処はこれ位にしておきなさい」
『やっぱこの人私の母親なだけの事はあるわ……』
AP-Girlsのメンバー達には見えない位置から亜梨亜にジトっと視線を送ったラブであったが、亜梨亜はそれすらも余裕でスルーして何事もなかったように話を続けた。
「さ、解ったらもうお帰りなさい。ステージに差支えが出るようではプロとは云えませんよ?休める時にしっかりと休むのも大事な事ですからね」
言うだけ言うと退室を促す亜梨亜だがラブだけは残るように言い、退室して行く愛が後ろ髪引かれるようにラブに視線を贈れば、それに気付いたラブもまた熱っぽい視線でそれに応え空中で二人の視線が熱く交錯していた。
『この子達も親の前で堂々と……』
呆れつつもそれを口には出さず、亜梨亜も見て見ぬふりで少女達が退室するのを待った。
「先生にはもう宿舎に入って頂きました……それで恋、改めて確認しますが本当にいいんですね?」
「ええ、当然よ答えは変わらないわ」
「解りました、それならもうこれ以上は何も言いません……ただ先程ここに戻る途中しほちゃんからメールが届きました、あの子らしくない嫌味たっぷりな長文メールが……」
「あう……」
亜梨亜の溜め息に状況を察したラブが言葉に詰まる。
しほも厄介事の意趣返しという訳ではないが、ラブの手術の件をまほに伝えた事を敢えて亜梨亜にメールで連絡する辺り、如何にそれが難業であるかを物語っていた。
「…まほちゃんが大泣きしたそうよ……」
「は?」
亜梨亜の言った事が俄かには理解出来ず、ラブは思わず間の抜けた声を上げる。
「エリカさんと一緒に宥めるのに一時間掛かったそうよ…だからそんな状態のまほちゃんはとてもじゃないけど自分一人じゃどうにも出来ないってしほちゃん言ってたわ……」
「あ~そう……」
ラブは自分の目論見が脆くも頓挫した事を何となくではあるが感じ取っていた。
そしてこの時が仲間達の間を飛び交うメールの量もピークに達しており、気が急いた者達は直ぐにも彼女の下へと駆け付けようとしたが、さすがにそれぞれが抱えた事情がそれを許さず全員がもどかしくやきもきした想いで職務を果たしているのだった。
「…疲れたから私も帰るね……」
「荷物が車に積んだままですから寮まで送りましょう」
「うん……」
結局は手術前に仲間達が自分の下へと詰め掛けるであろう事を予測し、疲れた表情のラブは力なくゆっくりと左右に首を振るのだった。
「例え疲れているとしても夕食はちゃんと取るのですよ、そして今夜は早めに休むように」
「はい……」
亜梨亜のマルニターボが寮であるマンションの車寄せに止められ、ラブがトランクと後部座席から旅の荷物を降ろしていると、亜梨亜に実に母親らしい事を言われラブはそれに力なく答えた。
「ラブ姉……」
最後に購入したばかりのMUSIC MANのハードケースを降ろし、後部座席のドアを閉めて亜梨亜を見送った処で背後から名を呼ばれ、振り返るとそこには湯上りらしい凜々子の姿があった。
どうやら一階のエントランスにある販売機に飲み物でも買いに来たらしく、ちょうどそのタイミングでラブが帰り着いたようであった。
「お帰り……」
「うん…ただいま……ごめん、凜々子に迷惑掛けた……その……あの後何か言われてない?」
亜梨亜のオフィスで騒ぎになった時、凜々子だけが事前に手術の事を知っていた事が露見してしまい、自分のミスで彼女の立場を悪くしてしまったのがラブには一番の気がかりだった。
「大丈夫よ、みんなもう頭も冷えてるから……」
「そう……」
結束も堅いがぶつかり合いもよくあるAP-Girlsは、決してそれを長く引き摺らないようにするのが暗黙の了解となっており、その分ぶつかった時は全てをその場で吐き出そうとするので、ぶつかり合いは非常に激しくなるのが常であった。
「荷物多いね、運ぶの手伝うわ」
「ありがと凜々子」
「ん?これは?」
見覚えのないギターケースの存在に気付いた凜々子は、それを手に取り首を傾げる。
「あぁソレ?家元会議に出た後たまたま通りかかった御茶ノ水で偶然見つけたのよ……見る?」
「ええ、是非……」
エントランスホールのソファーにケースを置いたラブが慎重な手付きで蓋を開いて見せると、中を検めた凜々子はその存在に驚き大きく目を見開いていた。
「ウソ…MUSIC MANのEVHのレフティですって……?」
「私も最初は目を疑ったわよ…一体誰がオーダーしたのか知らないけど、さすがにこれは他には一本も存在しないと思うわ……」
「そりゃそうでしょう…でもワンオフなんて一体いくらしたのよ……?」
「あ~、それでしほママにも叱られたのよねぇ──」
別に誰もいないしAP-Girlsのメンバーでそれを聞いて怒り出す者など誰もいないが、それでもラブは何となく声を潜めてそっと凜々子に耳打ちするのだった。
「マジ…そりゃ怒るのも無理ないわ……」
聞かされた金額に厳島の庇護の下AP-Girlsのメンバーとして活動し、その辺の感覚がマヒしつつある凜々子もさすがにちょっと呆れたようであった。
「で、弾いた感じはどうなのよ?」
「いい声で鳴くわ♡ステージで使うのが楽しみよ♪」
「それはいいわね…さ、部屋に行きましょ、愛も待ち草臥れてるんじゃないかしら?」
凜々子に手伝って貰いエレベーターで荷物と共に最上階の自室へと向かうと、確かに愛が訓練の汗をシャワーで流した後、ベッドの端に腰を下ろしぼ~っとしている姿があった。
「ありがとう凜々子、後は自分で出来るから」
「そう?夕食はどうする?」
「いつも通りみんなで一緒に食べましょ、それが一番楽しいし美味しく食べられるもの♪」
「解った、他の子達には私が連絡しておくからラブ姉は仕度してて」
「了解よ」
凜々子は二本指で敬礼すると自室へと戻って行き、ラブも荷物を部屋へと運び込んだ。
「恋……」
ゆっくりとラブの方へと振り向いた愛は、まだシャワーを浴びて間もないらしく薄っすらと上気した頬が何とも云えない色気を放っており、ラブも思わずドキリとして脚を止めるのだった。
「愛…ご飯食べに行くわよ!話はその後……ね?」
「うん…解った……」
身支度を整えた愛と共にエントランスに降りてみれば、既に凜々子から連絡が回っており全員が集合しラブ達がやって来るのを待ち構えていた。
それから夕食を何処で取るか少し迷ったものの、結局はいつも通り学食へ向かい女子高生らしく他愛もない話に花を咲かせ夕食を楽しみ、全員が示し合わせたようにラブの目に関する話題を口にはしなかった。
そしてその賑やかさのまま寮に戻り、いつものように各自の部屋へと散って行った。
「ふ…ねぇ愛、私もお風呂に入りたいんだけどいいかな……?」
「えぇ、手伝うわ……」
自力では入浴にも難があるラブを介助する愛が、泡風呂の中でラブの髪を洗いラブもまた至福の笑みを浮かべ愛に全てを委ねている。
入浴後も愛がラブの髪を高価な最上級の絹糸でも扱うように緩く三つ編みに編み上げれば、そのお礼をするかのようにラブもまた愛の髪を編んで行く。
その様は何処かつがいの鳥の羽繕いを想わせるが、何とも妖艶な光景であった。
「恋……」
「ごめんね愛…私だって怖いの……でもお願い、今夜だけはその事を忘れさせて……」
ラブがリモコンにタッチすると、すっと部屋の照明が落ち光源は常夜灯のみとなった。
その薄闇の中、肩に羽織っていただけのラブのバスローブがするりと足元に落ちると、一糸纏わぬ彼女の下に同様の姿の愛が歩み寄りゆっくりと距離を詰めた二人の唇が重なった。
口付けを交わす度に濡れた淫靡な音が室内に響き、寄り添った二人のシルエットが艶めかしく互いを求めて蠢き続けやがてそのままベッドへと倒れ込む。
二人の長い夜はまだ始まったばかりだ。
ラブは涙流すにしても結構酷い事やってますねぇw
果して彼女はすんなり手術を受ける事が出来るかどうか。
どう考えてもその前にひと悶着ありそうです……。