ガールズ&パンツァー 恋愛戦車道   作:肉球小隊

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久し振りに闇が……。


第八話   I'm running out of time.(もう私には時間がない)

『なんでこの二人が真っ先に来たんだろ……』

 

 

 ベッドの上で艶めかしい生脚が露わになるのも構わずに、患者用ガウンのまま腕組みをして胡坐を掻いたラブは渋い表情を崩す事なく、目の前にいる二人の少女を見つめながらも内心ではそんな事を考えていた。

 その一方で目の前の二人の金髪コンビは鈴鹿に伴われ現れた当初こそ鼻息が荒かったものの、いざラブを前にすると何からどう話すか迷っているらしく最初の勢いは何処へやらであった。

 

 

「ねぇ…何で来たのよ……?」

 

「ブ、ブルーライン(横浜市営地下鉄)で関内から上大岡に出て、京急の快特で中央まで来たに決まってますわ!こんな年末押し迫ったらその方が確実に速いんですもの!後は中央駅まで鈴鹿さんに迎えに来て頂きました、一緒ならゲストパスで簡単にベースにも入れますからね!」

 

「だからそういう事を聞いてるんじゃなくてさぁ……」

 

 

 虚勢を張るように胸を反らし、聖グロの母港である横浜港から横須賀までの交通手段を偉そうに語ったダージリンの隣では、眉間にしわを寄せたアッサムがこめかみに指を当てヤレヤレといった感じでゆるゆると左右に首を振り、案内して来た鈴鹿もどう反応していいか口元を引き攣らせていた。

 二人が現れるより少し前、ヘリデッキに黒森峰のドラッヘが降下したのに続き空港に空母連絡機であるC-2Aグレイハウンドが降り立ち、これは恐らくケイとナオミのサンダースの物と思われた。

 そしてそれから暫くしてヘリデッキ目掛けてロシア製の超大型ヘリMi-26が降下しており、これはプラウダのカチューシャとノンナに間違いないが、その校章とロシア製の機体の飛来は冷戦時代の横須賀であれば確実に騒動になっていただろう。

 その3機が現れた事で順番的に真っ先にまほが乗り込んで来るとラブは思っていたが、それより遥か前に公共交通機関で早々と横須賀入りしていた聖グロコンビが最初に彼女の前に現れ、完全に意表を突かれたラブも取り敢えずは渋面で対処するしか出来なかったのだ。

 まほからの第一報の後、次々と舞い込むAP-Girlsの少女達からのメールに一刻も早く横須賀に来たかった二人であったが、クリスマスともなると聖グロは掛かるお座敷の数も多く、結局全ての公務を片付けて艦を発ち横須賀に来られたのは、他の者達が到着するのと大して変わりのないタイミングであった。

 しかしダージリンとしてはギリギリとはいえ一番乗りを果たし、なんとかその体面を保っていた。

 

 

「大体何があったかは見当付いてるけどね~」

 

 

 向けられた視線から鈴鹿は目を逸らし、溜め息と共に吐き出されたセリフにダージリンは何か反論しようとしたが、その機先を制するかのようにラブが胡坐に組んでいた長い脚を組み替え、ダージリンとアッサムの目はその脚線美に釘付けになり何も言えずにいた。

 三年前の悪夢の榴弾暴発事故により全身を無残に切り刻まれたラブの身体には、今も尚消える事のない惨たらしい傷痕が残されている。

 二人の目が釘付けになっている彼女の美しく長い脚もまたその例に漏れず無数の傷痕が刻み付けられているのだが、そのせいでその美しさが損なわれているとダージリンには思えなかった。

 彼女自身もそれは不謹慎な考えであり絶対口には出来ない事であったが、その惨たらしい傷痕でさえラブの真の美しさを引き立てるアクセントなのでは思ったのだ。

 だが思わずそんな事を考えてしまう程に、ラブの生脚は美しく扇情的だったのだ。

 

 

「またいやらしい事考えてる……」

 

「な!?それはあなたが!」

 

「冗談よ……」

 

「くっ……!」

 

 

 そう言いながらも渋い表情を崩さぬラブに、ダージリンも悔しそうに唇を噛んだ。

 

 

「もうそれ位でダージリンをからかうのは止めて下さる?」

 

 

 援護射撃なのか背中を撃っているのかよく解らない事を言うアッサムを、ダージリンは思わず反射的にキッと睨み付けていた。

 

 

「ホント…何しに来たのよ……」

 

 

 つい思ったままの事をぼそりとラブが呟けば、ダージリンはアッサムに向けていた鋭い視線を今度はそのままラブに突き付けていたが、それはあっさりと受け流されていた。

 しかしそうこうしているうちに病室の外が何やら騒がしくなり、これはどうやら他の連中も詰め掛けて来たらしく、暫くすると看護師に先導され残りのAP-Girlsのメンバーと共にゾロゾロと病室へと列をなして()()()()が入室して来るのだった。

 

 

「なによこの部屋……」

 

 

 部屋に入るなり第一声を放ったのはカチューシャであったが、その声は凡そ病室には見えぬ室内を見回した上での呆然とした声であった。

 

 

「結局全員来たか……」

 

 

 病室に勢揃いした顔ぶれを端から順に見たラブが呟くと、まず最初にエリカが申し訳なさそうに小さくなり、彼女に向けては気にせぬようにと優しい表情で頷いてみせた。

 

 

「千代美……?」

 

 

 まほの隣でエリカ以上に気まずそうな表情をしているアンチョビに目を止めると、完全にテンパった様子のまほが口を挟んで来た。

 

 

「あ、安斎は私が迎えに行ったんだ……」

 

 

 弁護するように勢いよく言いかけたまほだったが、ラブの視線に最後は尻すぼみになっていた。

 

 

「ミホーシャは私が連れて来たのよ!」

 

「ふぇっ!?」

 

 

 まほに続いてカチューシャが得意げに宣言したが、まほと同様ラブに冷めきった目を向けられるとその場で硬直し、余波を喰らったみほ共々青い顔で今にも倒れそうになっていた。

 

 

「あなた達、ここに来る時目立つような事はしていませんね?」

 

 

 それまでソファーに腰掛け涼しい顔で仕事のものらしい書類片手にコーヒーを口にしていた亜梨亜が確認するように問い掛けると、ダージリンの隣で困った顔をしていた鈴鹿が慌てて返答をした。

 

 

「は、はい!先に来た私達も後続も、ぜ…全員学校の無印のマイクロバスに分乗して地下の専用駐車場まで送って貰いましたので……」

 

「そう、なら結構」

 

 

 亜梨亜相手ともなると日頃クールな鈴鹿でも相当緊張するのか、らしくなく声が上ずっていた。

 実は鼻息荒く乗り込んで来たダージリン達が早々にしどろもどろになっていたもう一つの要因は、病室に亜梨亜がいたからであった。

 やはり巨大な厳島のグループを束ねる女帝の前とあっては、いくらダージリンであっても到底太刀打ち出来る相手ではなく、例え彼女がその存在を全く気にも留めていないとしても掛かるプレッシャーは高校生風情ではどうこう出来るものではなかった。

 

 

「ノンナが一緒にいて何やってんのよ……」

 

「そ、それは……」

 

 

 何事もなかったように亜梨亜が書類に目を戻すと、ラブは涙目のカチューシャを気遣うノンナに矛先を変え冷たく言い放ったが、そこに今度はケイが嘴を突っ込もうとした。

 

 

「Come, come──」

 

「ナニまぁまぁとか纏めようとしてんのよ?アンタそういうキャラじゃないでしょ?」

 

「What's !?」

 

 

 機先を制されたケイは目を白黒させているが、ラブはそのまま強気の態度で押し切るつもりらしく返す刀でそのままナオミに斬り掛かった。

 

 

「ナオミもナオミよ、こういう時にアンタがケイを押えなくてどうすんのよ?」

 

「ぐっ……!」

 

 

 そんな中に在ってアンチョビにだけ一切何も言わなかったのは、彼女の表情からどちらかと云えば中立だが反対する意思もない事を読み取っていたからであった。

 それが解っているからだろう、ラブとずっと一緒にいたせいもあるが唯一誰にもメールを送っていなかった愛はいつの間にかアンチョビの傍に立ち尽くしており、そんな彼女の事を察したエリカが背後から愛の肩を支えるように抱いていた。

 

 

「あのさ、始めに言っておくけど私手術受けるのは撤回しないわよ?」

 

 

 その一言に一斉に声にならない声が上がるが、ラブは構わずに話を続けた。

 

 

「病院で騒ぐな…全くしょうがないわねぇ……改めて言うけど、それを決めるのは私であってあなた達じゃないのよ?子供じゃないんだからそれ位解らない訳じゃないでしょ?」

 

「だ、だが──」

 

 

 なおも何かを言い募ろうとしたまほであったが、それもひと睨みで制したラブはそこでやっと語気を緩め全員を見回して困った顔で微笑んで見せた。

 

 

「心配してくれるのは有難いけどさ…って云うか私は別に手術を受けた後にいなくなったりしないわよ……大方みんなそっちの方が心配でこうして詰め掛けて来たんでしょ?」

 

「いやだって!私はオマエが…またオマエが何処かにっ!う──」

 

「西住…ゆっくり息をするんだ、まず落ち着こう?そしてラブの話を最後まで聞いてやれ……」

 

 

 感情が高ぶってまた暴発しそうになったまほを抱き止めたアンチョビは、子供をあやすように軽く背中を叩いてやりながらその耳元で落ち着くよう語り掛けた。

 

 

「千代美はまほに甘いなぁ…とにかく手術の結果がどうなろうと私は何処にも行かないわよ……それにそうは言ったけど手術は絶対成功するわ、私はそう確信してるの」

 

「ですがラブ、そもそもその手術の成功率はどれ位なのですか……?」

 

 

 胸の前で心配げに手を組むノンナはやや顔色が青ざめている。

 全員が怖くて中々聞けなかった事を口にしたノンナは、その直後貧血でも起こしたようにふら付いて咄嗟に駆け寄ったナオミがそれを支えていた。

 再会して暫くしてから語られた情報から判断して、ラブの目はほぼ手術が不可能な状態にあるというのが共通の認識となっていた。

 それを聞かれるであろう事は想定済みな様子だが、それでもさすがに一瞬嫌な事を聞きやがると言った感じで顔をしかめたラブはそれでも躊躇する事なく答えるのだった。

 

 

「事故後渡米してからも何度となく精密検査を受けたけど、当時は手術の成功率は1%にも満たなかったわ。でもね、主治医のルシア先生はずっと私の視力回復の道を模索し続けていて下さったのよ。その結果成功率は大幅に上って30%程に達しているわ。更には手術の為の機器の開発にも参加して、今回来日するに当りそれも持ち込んで万全の態勢を敷いてくれているの。今日の検査でもね、予想以上に私の目の状態が良いらしくて当初の見込みより成功率は上がっているんだって」

 

 

 あくまでも楽観的に話すラブであったが、その話を聞いていた者達にとって成功率30%という数字は彼女のように楽観的になれるものではなく、逆に絶望しか見い出せず全員が言葉を失っていた。

 カチューシャなどはその数字を聞いただけで卒倒し掛け、ノンナを右腕で支えていたナオミがついでのように空いていた左腕で抱えていた。

 

 

「it's a nightmare…そんな確率で何でそうも楽観的になれるのよ……」

 

 

 やっとといった感じで口を開いたケイであったが、これには逆にラブが不思議そうな顔をする。

 

 

「何でってゼロから30%よ?凄い進歩じゃない、それに私は決して悪い数字じゃないと思ってるわ。何よりルシア先生はとても腕の良い事で有名な先生なのよ?その先生がGoサインを出したんだからこれはもう成功したも同然だわ♪」

 

 

 しかしラブがここまで言った処で、遂に堪り兼ねたように集まった者達が口々に反対を唱え始め、彼女はうんざりしたように天を仰ぐのだった。

 何しろオロオロするだけであろうと予想したみほまでもが流され始め、今ではまほと一緒に考え直すようラブに詰め寄り始めていたのだからそれも無理のない事だろう。

 だがその後方ではどうしたらよいか解らないといった感じで愛が顔を両手で覆い泣き始め、エリカがそれを慰めているのが見えさすがにラブが声を荒げそうになった時、それに先んじてアンチョビが片手で自分の髪をワシャワシャしながら騒ぐ者達の間に割って入って来た。

 

 

「お前ら少し落ち着け…特に西住、お前は昔病院で騒いでこっ酷く怒られたのを忘れたのか……?」

 

「うっ……!」

 

 

 自身の人生最大のトラウマとも云える三年前の一件を、その被害者であるアンチョビに持ち出されたまほは、彼女の背後に英子の幻影でも見たのかそこで言葉に詰まった。

 

 

「あのな…決めるのはラブであって、私らにそれに関してどうこう言う資格はないんだよ……」

 

 

 反論し掛けた者達も、アンチョビの表情と顔色にハッとして口を噤む。

 当時の状況を知らぬAP-Girlsはともかく、あの場に居合わせた者達にとってアンチョビの存在は強力な抑止力となっていた。

 

 

「ありがと千代美…ねぇみんな、私は夢を見ちゃいけないのかな……?」

 

 

 唐突なラブの言葉にその意味が読めず、一同思わず顔を見合わせてしまう。

 

 

「それは…どういう意味かしら……?」

 

 

 聞くのが怖いといった表情のダージリンが、他の者達の気持ちを代弁するように質問した。

 

 

「私にはあまり時間がないのよ……?」

 

「えっ!?」

 

 

 その一言に全員がドキリとして硬直するが、ラブは構わずに話を続けた。

 

 

「このまま行けば私がこの先戦う事が出来る時間はもうあまり長くはなわ…非公式なものはともかく公式戦となると現状のままではその舞台に立てなくなる可能性も高いわ……自分の身体の事だもの、それは私が一番よく解ってるつもりよ」

 

『やはり自分で解っていたか……』

 

 

 アンチョビは胸を締め付けられる思いであったが、自分で言い出した以上は口を挟む事なく静聴の姿勢を貫く事に徹していた。

 

 

「大洗ではね、みほには勝ったと思ったわ…でも現実に敗れたのはこの私、そして敗北の原因もこの私……だけど今その原因を何とかする事が出来るチャンスが巡って来たの。私はね、AP-Girls(この子達)に未来を示したいのよ、その為の時間が稼げるなら私は何だってやるわ」

 

「そ、それは…だけど……」

 

 

 ラブの壮絶な決意に圧倒される一同ではあったが、それでも尚大き過ぎる不安が圧し掛かり、それに抗おうと必死なまほは何か言おうとするが言葉にならなかった。

 

 

「心配してくれるのは解るし嬉しいわ…でも私も正直かなり辛いのよ……」

 

 

 それまでとラブの様子が違う事に皆が怪訝な顔をする。

 

 

「ねぇ夏妃、そこにある冬休みの課題の入ったバッグ、持って来てくれる?」

 

「え?あ…コレか……?」

 

「そうソレ…ありがと……ねぇ亜梨亜ママ、お昼に使った紙皿ってまだある?」

 

 

 無言で頷いた亜梨亜がダイニングテーブルに目を向けると、気を利かせた凜々子が飛んで行きそれを持ってラブの下へとやって来た。

 

 

「凜々子もありがと…さてえ~っと……」

 

「ねぇ、一体何を……?」

 

「まぁちょっと待ってくれる?」

 

 

 ラブの行動意図が読めずアッサムの表情が険しくなるが、ラブは構わず作業を続けた。

 用意した物を持ったラブが亜梨亜の隣に移動すると、他の者達もゾロゾロと付いて行きその人数故ソファーの周りに人垣が出来上がった。

 

 

「え~っとね…あ、ごめん誰かクローゼットの化粧台に置いてある私のメイクボックスから、新しいパフ取って来てくれない?」

 

「アタイが行ってくらぁ……って、クローゼットってここか?」

 

「そう、そこよ~」

 

 

 人垣から抜け出た夏妃の問いにラブが頷きながら答え、彼女はドアに手を掛けた。

 

 

「うわっ!何だよコレ!?軽く四畳半はあるじゃねぇか!」

 

 

 クローゼットの中から響く夏妃の素っ頓狂な声に何事かと覗き込んだ数名も、その広さに驚き思わず呻き声を上げる中、夏妃がパフ片手に何やらぶつくさ言いながら戻って来た。

 

 

「ったく…一体どうなってやがるんだこの病院はよぉ……ってかここ本当に病院かよ?」

 

 

 ソファーの近くまで戻って来た夏妃はパフを手渡ししようとはせず、ラブ目掛けて投げ付けた。

 

 

「ホラよラブ姉」

 

「んも~、夏妃ったらぁ……」

 

 

 掴み損ない顔に当って膝の上に落ちたパフを摘み上げたラブは、口を尖らせ軽く文句を言った。

 そして投げ付けられたパフをソファーの前のローテブルに置くと、バッグから冬休みの課題のテキストなどと一緒に入っていたA5サイズ程の小さなスケッチブックと、元はキャンディーか何かが入っていたと思しき可愛いデザインの缶を取り出した。

 

 

「な、なあラブ…一体何を──」

 

「まぁ暫く黙って見ててよ……」

 

 

 何か恐ろしい事が起こるのではといった感じでオドオドしたまほが質問しかけたが、ラブは顔を上げる事もなく言葉だけでそれを制し、手にした缶の中身をローテーブルの上にぶちまけた。

 ローテーブルの上に転がり出たのはシャーペンやボールペンの他サインペンなどの筆記具で、どうやらその缶は彼女のペンケース替わりらしかった。

 

 

「え~っと…コレとコレね……」

 

 

 ラブは転がり出た中から黒と灰色の水性らしいサインペンを取り上げると、用意して貰った紙皿にその二色をグリグリと塗り付けて行くが、表面のコーティングに弾かれたインクは紙皿に染みる事なく表面で水滴になるのみであった。

 彼女はそれを見て一つ頷くと、今度はスケッチブックを開き先程のパフを手に取った。

 

 

「よし……あ、亜梨亜ママそのペットボトル取ってくれる?」

 

 

 手渡されたミネラルウォーターのペットボトルは彼女の飲みさしの物らしく、受け取ってキャップを空けると一口飲んで喉を潤したラブは、その次に飲み口をパフに押し付けては水を含ませ始めた。

 

 

「こんな感じかな~?」

 

 

 その場にいる者達が口を噤み注視する中、ラブはその静寂を気にする事なくたっぷりと水を含んだパフでスケッチブックの画用紙の表面に万遍無く水を塗り付けて行く。

 

 

「ん、いい感じ…今度はこっちね……」

 

 

 その作業が終わると再びパフに水を含ませて、先程サインペンでグリグリやっていた紙皿に水滴を落とし薄墨のような色水を作り始めた。

 

 

『……』

 

 

 全く意図が読めずその場にいる者達が戸惑う前で、ラブは黙々と作業を続けていた。

 

 

「うん、準備完了……さて、今からあなた達に私の右目の世界を見せてあげるわ」

 

「お、おい……」

 

 

 息を吹き返したようにまほが何か言いかけるも、今度は可愛らしい笑みと共に右手の人差し指を唇の前に立ててそれを封じたラブは、手にしたパフをインクを溶かした水に浸してはスケッチブックにポンポンと軽く叩き付け始めた。

 先に水気を含まされた画用紙に付着したインクはじわじわと滲んで広がって行く。

 ラブは黒と灰色の二色と、時には水のみを浸したパフで画用紙に彩色を施し続けている。

 それは水彩画などで使われる滲みやぼかしの技法であったが、使われる色が実質黒のみでありそれはどちらかというと水墨画に近いかもしれなかった。

 

 

「はい、出来たわよ~♪」

 

 

 お気楽な調子で歌うように言ったラブが、掲げるように一同にスケッチブックを向けた。

 向けられたスケッチブックに描かれた物を見せられた者達を、更に重く苦しい沈黙が支配する。

 雨雲、いや暗雲と云った方が正しいかもしれない。

 まるで光など一切見えぬ暗雲の一部をズームして切り取ったようなその世界に全員が言葉を失い、よく見れば恐ろしさのあまり震えているように見えた。

 

 

「見て見て♪まずここにいるのがまほでぇ、その隣にいるのが千代美……そしてこれがダージリンでこの小っちゃくて可愛いのがカチューシャよ──」

 

 

 嬉々とした表情で尚も説明を続けるラブであったが、もう誰の耳にもそれは届いてはいなかった。

 闇の底から救い出せたと思っていたラブの中に今も尚潜んでいた狂気に全員が戦慄し、まるで奈落の底に叩き込まれたような絶望感を味わっていた。

 折れかけた心で闇からの出口を探すように視線を彷徨わせたアンチョビだが、その視界にそれまでと何も変わらぬ涼しい表情でそこにいる亜梨亜の姿を捉えた瞬間、彼女は更なる恐ろしい考えに囚われ脚の震えが止まらなくなっていた。

 この目の前にいるラブと生き写しの美しい人物は、もしかしたらラブと同様の闇と狂気の世界の住人なのではないかという思いが彼女の中で鎌首を擡げ始めていたのだ。

 まるで絞め技を掛けられたように彼女の意識が遠のき掛けたその時、疑いの目を向けてしまった人物が溜め息と共に窘めるような声を発したのであった。

 

 

「恋、いい加減にお止めなさい」

 

「う゛……」

 

 

 その声を聞くと同時に、まるで紙芝居でもやるようにスケッチブック掲げそこに彼女が描いたものの説明を続けていたラブの動きがピタリと止まった。

 

 

「全く…悪趣味な悪ふざけも大概になさい……」

 

「べ、別にふざけてなんかないわよ…私の右目がどう見えているか説明しただけじゃない……」

 

 

 その親子の掛け合いに呼吸するのを思い出したように我に返った一同だが、それでもまだ言葉を発する事が出来ずただ二人のやり取りをぼうっと眺めるのみだった。

 

 

「アンタ達なんて顔してんのよ……?」

 

 

 母にお小言を言われ些か面白くなさそうな顔のラブの声で、やっと意識まで覚醒したのか口々に何かを言いかけたが、それでもやはりラブの描いた彼女の右目で見た世界のインパクトは強く明確な言葉を発する事が出来る者は誰一人としていなかった。

 

 

「悪かったわよ……でも本当に今の私の右目にはあなた達の事はこういう風にしか見えないの」

 

 

 掲げていたスケッチブックをローテーブルの上に無造作に放ったラブは、右目とその美しい顔に無残に刻み付けられた傷痕を覆い隠す前髪を耳に掛けると、生気溢れるエメラルドの左目を閉じ鉛の右目を立ち尽くす少女達に向けた。

 

 

「勿論みんなが私の事を心配してくれるのは嬉しいわ…でもね現実的な事を言うと私も我慢の限界なのよ……あなた達だって私がかなりの数の薬を服用しているのは知ってるでしょ?」

 

 

 彼女達に向けられる何も見ていない鉛の瞳に睨め付けられるような感覚に、再び息苦しさを覚えた一同は黙って頷く事しか出来なかった。

 

 

「この状態になってから三年、私はずっと眼精疲労に悩まされているの。服用している薬の中にはその眼精疲労から来る頭痛を抑える薬もあるわ…だけど薬も同じ物をずっと服用していると効きが悪くなったりしてこれまでにも何度となく薬を変更して来たわ……今の私の身体の中では常に薬と薬が喧嘩をしているの……私だってこんなに沢山の薬を飲みたくはないのよ、視力回復の手術を受けて成功すればそんな薬を減らす事も出来る。私は好き好んで苦しい思いをしている訳じゃないわ…ねぇ、私が少しでも楽になりたいと思うのは許されない事なのかしら?私が未来を求めるのは認められないの?もしこの問いの答えがイエスならもういいわ、私はもう二度と戦車にも乗らないし歌う事もしない……だって疲れるだけだもの、それなら私はもう何もいらないわ……」

 

 

 解ったつもりになって実は何も解っていなかったラブが抱える闇の深さに、全員がその場に崩れ落ちそうになるのを辛うじて堪えていた。

 

 

「わ…わたし……私また…ご、ごめんなさい……」

 

 

 身体同様に震える声でまほが謝罪の言葉を口にしかけたその時、閉じていた左の目も開いたラブがそれまでの能面のような表情を一変させ人の悪い笑みを浮かべ、声の調子と喋り口調をいつもの間延びしたものに戻しヘラヘラと言い放った。

 

 

「っとまぁそんな事を思う事もないでもないわね~」

 

 

 その意味不明な彼女のふざけた言い回しに、全員が完璧な不意討ちで膝カックンでも喰らったように今度こそその場に崩れ落ちた。

 

 

「あっ…あなたねぇっ……!」

 

 

 ダージリンがラブに指を突き付け何かを言おうとするが、怒りのあまり言葉にならないらしい。

 だがしかし、一緒に引っ繰り返りはしたがアンチョビは気付いていた。

 上げて落すようなやりようでふざけた方向に持って行ったが、ラブが言った事は全てが真実であり彼女の偽らざる気持ちであるという事を。

 些か悪趣味ながら彼女なりのやり方で事の深刻さを伝えつつも、その濃過ぎる毒を自分が浴びる事で周りには極力薄めてダメージを最小限に留めたのだと。

 

 

「でも今言った事は本当よ?」

 

「なっ……!?」

 

 

 更に何か言い募ろうとするダージリンを牽制したラブは、先程とは一転して務めて普通の口調で改めて自分の置かれた状況を説明するのだった。

 

 

「実際こんな状況だと今ぐらいの時間には一日の疲れが出て頭痛が始まるし、目の方も結構キリキリ痛んで目薬が欠かせないわ。でも手術を受ける事でこの苦しみから解放されるなら、それに伴うリスクなんて私からしたら取るに足らないものなのよ……もしこのままなら私の将来の選択肢は確実に狭まるわ。私だって未来が欲しいの、だからあなた達にも解って欲しいのよ」

 

 

 さすがにここまで言われれば、誰もラブに対して異議を唱えられる者はいなかった。

 

 

『疲れた…ここまで面倒だとは思わなかったわ……何でこうも毎度毎度大騒ぎ出来るワケ……?』

 

 

 面には出さぬが心中盛大に溜め息を吐くラブであった。

 とにもかくにもやっとの事で手術を受ける事を納得させたものの、彼女はこの時程自分の非常に濃い人間関係を煩わしく思った事はなかった。

 

 

「話は終わりましたか?」

 

「亜梨亜ママ……」

 

 

 ここまで一切助け船を出さなかった母に対し疲れ気味に不満気な視線を向けるラブであったが、その程度の事で動じる亜梨亜ではない。

 

 

「店を予約しておきましたから夕食にしましょう、人数が人数ですが幸い全員が制服を着用していますからね、基地指令にお願いしてオフィサーズクラブの席を押えて頂きました。そしてその席には基地指令と連絡将校のガーネット中尉、それにルシア先生も御同席頂きますから皆さんも失礼のないようにして下さいね」

 

「アリスタのおじ様とアビー中尉♪ルシア先生も?」

 

「ええそうよ」

 

 

 アリスタ・キャンベル少将こそベースの最高権力者であり、ラブ達がヤキマで訓練を行なえるよう取り計らうなど、笠女に何かと便宜を図る最強の後ろ盾と云える人物であった。

 そして連絡将校のアビゲイル・ガーネット中尉はラブ達にとっては頼れるお姉さんであり、亜梨亜の計らいにラブが嬉しそうにしていると、そこに若干戸惑い気味に声を上げる者がいた。 

 

 

「あの、制服……ですか?」

 

「あぁ、オフィサーズクラブのKosano Dining Room(コサノダイニングルーム)はねぇ、士官用のクラブだからドレスコードがあるのよ。制服は学生の正装だから問題ないって事よ」

 

 

 質問したダージリンにラブが説明してやると、彼女も合点が行ったようであった。

 

 

「って考えたら、私は制服なんか持って来てないわよ?」

 

「クローゼットに着替えは用意してありますから問題ありません」

 

「いつの間に…てかなんの為に……」

 

 

 何かと桁違いなラブも、まだまだ亜梨亜の足元には遠く及ばないようであった。

 

 

「凜々子さん、マイクロバスの方はどうなっていますか?」

 

「あ、はい!私達の用が済むまで地下駐車場で待機してくれています」

 

「そう、なら丁度いいですね。オフィサーズクラブまではそれに分乗して行きましょう」

 

 

 一切合切抜かりのない亜梨亜に皆ポカンとしているが、時計を確認した彼女はソファーから立ち上がるとラブを急き立てるのであった。

 

 

「のんびりしていると予約に遅れてしまいます。さ、着替えますよ?」

 

「え?あぁ、うん……」

 

 

 何処か納得いかない感じのラブが曖昧に返事をしたが、その段になって漸く頭の冷えた一同はラブがノーブラで患者用ガウンを身に着けている事に気が付き、ぱっつんぱっつんなたわわの先っちょの浮き出たぽっちに視線は釘付けだった。

 

 

「何よ…揃いも揃ってその猥褻極まりない目つきは……?」

 

 

 座った目付きのラブに睨み付けられても、誰一人先っちょから目を逸らす事は出来なかった。

 

 

「だから何よ…揃いも揃ってその猥褻極まりない目つきは……?」

 

 

 ウォークインクローゼットで着替えた二人が姿を現すと、その親子の艶姿に全員が括目する。

 親子の瞳と同色のエメラルドの輝きを放つシルクサテンのイブニングドレスは、それぞれ微妙にデザインを変えてあり、着こなすのはやはりそれなりのプロポーションが必要とされるものであった。

 

 

「ね、ねぇ…この二人やっぱり本当は姉妹なんじゃないの……?」

 

「あ、亜梨亜おば様は昔から何も変わってないんだ……」

 

「だからノンナ!直ぐに私に目隠しするクセ何とかしなさいよ!」

 

『ぶっ!』

 

 

 お約束の展開を経て一同はベースに向かいKosano Dining Roomにて、キャンベル少将とガーネット中尉にDr.ルシアを交え晩餐のひと時を過ごした後学園艦に帰投したが、亜梨亜の手配でいつもの宿舎に泊まる事になった一同は、結局翌日ラブの手術が終わるまでそのまま留まる事に決まっていた。

 ラブとしてはそのつもりはなかったのだが、それも拒絶するとまたひと騒動起こしそうな顔が並び、仕方なく彼女もそれを受け入れる事にしたのであった。

 いよいよ夜が明ければその時がやって来る、果たしてラブの右目は美しいエメラルドの輝きを取り戻す事が出来るのであろうか?

 

 

 




作中で登場するベースのKosano Dining Roomも、
近年ではドレスコードなどが大分緩くなっているようです。
年に何度かお呼ばれで食事に行きますが、
私はあそこのニューヨークステーキが結構好きです。


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