ガールズ&パンツァー 恋愛戦車道   作:肉球小隊

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所々におかしなセリフが……。


第九話   夢見る眠り姫

『あぁ…始まるのね……』

 

 

 沈む沈むゆっくりと沈む、薄れゆく意識は溶け込むように光の底へと潜って行く。

 

 

『皆さんよろしくお願いします……それでは始めましょう』

 

 

 手術に影響を及ぼす影が出来ぬように作られた無影灯の光の下、手術台に横たわり全身麻酔を施されたラブの右目の視力回復手術が今まさに始まろうとしていた。

 執刀医であるDr.ルシア・キンバーはニューヨークにある星条旗記念病院に勤務する眼科医であり、榴弾暴発事故後に渡米したラブの右目の治療を担当した主治医であった。

 ラブが帰国後もその右目の視力回復の道を模索し続けており、今回の彼女からの手術の依頼を受けて自身も開発に係わった最新の医療機器と共に来日していたのだ。

 

 

When the going gets tough,(タフなヤツはどんなに困難でも) the tough get going(決して諦めないわ)……さあ恋、私達の闘いの始まりよ』

 

 

 全身麻酔が効き、今は規則正しく胸のたわわを微かに上下させるだけのラブを前に、Dr.ルシアはマスクの下で挑戦的とも云える程に頼もしい笑みを浮かべ、そう呟くとメスを手にするのであった。

 

 

「もう始まったかな……?」

 

 

 ゴツい上に傷だらけのミリタリーウォッチに目を落としたまほが、どこか落ち着かなげに呟く。

 前夜ベースのオフィサーズクラブで夕食を共にした後亜梨亜が手配していた宿舎で一夜を明かしたまほ達は、ラブの手術が終了するまでそのまま宿舎で待機する事になっていた。

 これはラブの手術があくまでも極秘裏に行われるもので、何かと目立つ彼女達が例えほぼ厳島の関係者のみで構成されている笠女学園艦内であっても、それが()()からであれ何度も病院に出入りしては目立つ事と病院内では大人数で待機出来る場所がない為の措置であった。

 そして現在病院の控室ではラブの母である亜梨亜とAP-Girlsの()()として愛だけが詰めており、彼女を病院まで送ったAP-Girlsも間もなく宿舎に来るはずであった。

 

 

「そうですわね……」

 

 

 宿舎最上階のラウンジの大窓から外を眺めながら何処か心此処に在らずな感じで答えたダージリンも、懐から取り出した懐中時計で時間を確認していた。

 

 

「予定では約7時間掛かるんだっけ……」

 

「はい…それ故に疲労等を考慮して全身麻酔という事でした……」

 

 

 少し青い顔をしているカチューシャを気遣うような感じでノンナが後に続く。

 

 

「Phew…まだまだ先が長いわね……」

 

「今からそんな調子じゃ持たないぞ?」

 

 

 溜め息交じりのケイにナオミがつっけんどんに言うが、彼女も決して落ち着けてはいなかった。

 

 

「そういえばみほさん、今回角谷会長は来ていらっしゃらないのね。あの二人は近頃じゃすっかり仲が良い様子でしたけど?」

 

「えぇと…ラブがそう決めたなら勝算があっての事だろうからわたしゃここ(大洗)で成功の知らせを待ってるって……」

 

「角谷のヤツが一番大人だったな……」

 

「アンジー……」

 

 

 アッサムの問いにみほがそう答えると、今回は明らかにブレーキ役として来ていたアンチョビがぼそりと呟けば杏のパートナーであるケイがしゅんとなり、勢いで突っ走った者達か気まずそうにしていた。

 

 

「済まないエリカ…また色々と迷惑を掛けた……」

 

「いえ……」

 

 

 それを聞いたまほが何とも形容し難い表情でエリカに頭を下げたが、エリカも思わず口から出そうになった『慣れてます』の一言を寸での処で飲み込んでいた。

 

 

「それにね…本当は秋に生徒会長選が予定されてたんですけど、それまでのドタバタに加えてラブお姉ちゃんが帰って来て更にドタバタして……えっとこれ言っていいのかな……?」

 

 

 そこまで言った処で言い淀んだみほに怪訝そうな視線が集中したが、少し考え込んだみほは特に口止めされていない事を思い出し話を再開した。

 

 

「会長さん…だけじゃなくて私達もだけど廃校騒動の事で文科省や警察……検察の人かな?とにかくその事で事情聴取っていうか何度も話を聞かれて時間を取られたから、選挙が出来なくて未だに会長さんのままなんだ……」

 

「なんだと……?」

 

 

 みほの()()()だけに反応したまほが瞬時に猛虎の顔になったが、すかさずエリカが猫をじゃらすようにそれを鎮静化させ、まほの扱いに関しては凄まじいエキスパートぶりを発揮した彼女に一同感嘆の声を上げていた。

 

 

「あ…あのね、聴取っていうか聞きに来た人達はみんな物凄い低姿勢だったんだよ?ちょっとお茶を零した文科省の人なんてジャンピング土下座してたし……なんか腫れ物って感じ……?」

 

 

 既に関係者の間では大洗は地雷と化しており、迂闊に関わり対応を誤ればキャリアに大きなダメージを受ける為、出来れば極力この案件は担当になりたくないというのが官僚達の本音なのだが、官民合わせ三桁に上る人間が摘発されていればそれも無理からぬ事だろう。

 

 

『まぁ()()角谷を相手にするんじゃ無理もあるまい……』

 

 

 付き合いはまだ浅いが充分にその人となりを知る者達は、ぼんやりとそんな事を考えた。

 

 

「あ、話がそれちゃった…それでね、年明け早々に生徒会長選をやるからその準備で物凄く忙しくて今は艦を離れられないんだ……本当は凄く来たかったんだと思うんだけど……」

 

 

 最後は少しトーンダウンしてしまったみほの声に、遠く大洗で独りその小さな胸を痛めているであろうロリ会長を思うと何故か急にドキドキし始めるケダモノ達であった。

 

 

「お、大洗だけの問題ではありませんわ…あの廃校騒動の影響で何処の学園艦も色々とスケジュールが変わって大変な思いをしていますもの……そう、生徒会長選ね……あの角谷会長の後任となるのは一体どんな方なのかしら?案外みほさんアナタとか?」

 

「ふぇっ!?」

 

 

 話の最後にダージリンにすっと細めた青い目を向けられたみほは、変な声を上げて硬直した。

 

 

「あら?図星だったのかしら?」

 

「ち、違います!」

 

 

 即座に否定したものの、ヘビに睨まれたカエルのように固まったみほはダラダラと脂汗を流し始め、その様子にダージリンは彼女が大洗の生徒会長の後任人事に関し何かを知っている事を確信した。

 

 

「おいダージリン、もうその辺にしておけよ」

 

「み、みほっ!?」

 

 

 明らかに面白がっているダージリンをアンチョビが制すると、金縛りの解けたみほがポテッと隣に座るエリカの膝に倒れ込み、驚いてはいるが彼女にとってそれは思わぬご褒美だった。

 

 

「全員揃っていていい機会だな…ちょっと聞いて貰いたい事があるんだがいいか……?この事に彼女達が気付いている可能性も高いんだが、これはまだちょっとAP-Girlsには聞かせない方がいい気がする話だから彼女等が来る前に話しておきたいんだ……」

 

 

 ダージリンを諌めたアンチョビはその場に自分達しかいない事に気付き、ずっと話す機会を窺っていた案件を仲間達に伝える事を決意した。

 

 

「何よ?また何か嬉しくない話をするようにしか聞こえないんだけど!?」

 

 

 カチューシャの指摘にアンチョビが少し困った笑みを浮かべると、カチューシャもまたいきなり地雷を踏んだらしい事に気付き長い溜め息を吐いていた。

 

 

「自分でもこんな時にどうかとは思うのだが、みんな忙しい身だからこの先こんな風に全員揃う機会も中々ないと思うんでな…本当は黒森峰戦が終わった段階で話そうとも思ったんだが、何しろなし崩しで黒森峰に短期留学したりしていたからな……あ、エリカ!お前を責めてるんじゃないぞ?お前のお蔭でいい経験させて貰ったし感謝してるんだからな」

 

 

 話の流れでしゅんとしかけたエリカをすかさずフォローする辺りはさすがアンチョビという感じだが、話が逸れかけた彼女は一つ咳払いをすると話の本題へと入るのだった。

 

 

「これはアンツィオ(ウチ)とAP-Girlsの一戦の直前の事なんだが──」

 

 

 アンチョビは試合前日三保の水族館での一件を、無用にまほ刺激せぬよう一部オブラートに包んでぼかしながら何があったかを語って聞かせ、今回こうして話す事も事前に亜梨亜には了承済みである事も付け加えていた。

 なお余談ではあるがその話の途中でアンチョビが慎重に言葉を選びぼかそうとした話を、嬉々とした表情で突いてオブラートに穴を空けようとしていたダージリンだが、彼女は本気で指揮用鞭でその浮ついたお尻を引っ叩いてやりたい衝動に駆られていた。

 

 

「記憶に蓋か……」

 

 

 アンチョビが全てを話終えた処で頭を抱え込んでいたまほが呻くように呟き、その声から伝わる息苦しさに全員が窒息しそうな表情を浮かべていた。

 

 

「おば様…亜梨亜様もその旅行から一週間後にラブのご両親が事故に遭われて亡くなられた事は、私から聞くまでご存じなかった位だからな……恐らくはそれがラブにとって、ご両親との最後の楽しい想い出になったんだと思う……」

 

「もっと早く言ってくれればよかったのに……」

 

 

 顔を上げたまほがアンチョビにそう言いはしたが、それは彼女を責めての事ではなくアンチョビがまた独りで重たいものを抱えていた事への労りの言葉であった。

 

 

「いや…西住が対戦前にそれを知れば少なからず試合に影響が出るだろうと思ってな、話をするなら6連戦が終わってからがいいだろうと亜梨亜様とそう決めていたんだよ……」

 

 

 皆もまたまほ同様かなり重い気持ちになりかけていたが、アンツィオ戦から今日まで時間があった分アンチョビは彼女なりにこの件にどう対応するか考え続けていたらしく、沈黙する一同を前に再び口を開き自分の考えを語り始めた。

 

 

「私だって一介の高校生で専門家ではないから詳しい事が解る訳じゃない…ただ三保の水族館の一件は事故以前の問題、幼少期にまで遡っての事なんだと思う。ラブの抱えた闇は私なんかが考えるより遥かに深いものなんだろう。それに関しての医学的なケアは、母親である亜梨亜様にお任せするしか手はないし私達に出来る事などないと思った方がいいだろうな……」

 

 

 それでもやはり気持ちの問題でそれぞれが思う処があり、何か言おうと微かに口を開き掛けるが上手く言葉に出来ず揃って言い淀んでいる。

 

 

「皆の気持ちは解るよ…でもな、シロウトが迂闊に口出ししていい事ではないし、何より焦りは禁物なんだよ……そう、焦っちゃいけないんだ……これから先私達は、今回みたいに慌てて行動に出る事をまず控えなきゃな。何かあった時は情報を共有して冷静に対応する事を心掛けよう、そしてそれらの事は亜梨亜様にも報告するんだ。それが一番ラブの為になると思うんだがどうだろう?」

 

 

 このアンチョビの提案に異論は何も出ず、皆が無言で頷いた事に彼女も胸を撫で下ろすのだった。

 

 

「お茶でも淹れましょう……」

 

 

 どうにか話が纏った処で緊張を解くべくダージリンがそんな事を言いながら立ち上がり、自分達以外誰もいないラウンジのキッチンへと向かい、アッサムもまたそれに倣い勝手知ったる何とやらで物色を始めると、お目当ての物を見付け満面の笑みを浮かべた。

 

 

「やはりありましたわ♪」

 

 

 観閲式の後に笠女学園艦に滞在した際提供されて以来、二人がすっかり虜になっている祁門紅茶場(キームンティファクトリー)の特貢グレードの茶葉を見つけ出したアッサムは、ダージリンと共にいそいそとお茶を入れる仕度を始めていた。

 

 

「またコイツらは勝手に…ホント紅茶が絡むと途端に手癖が悪くなるな……」

 

「あら?人聞きの悪い事を言わないで頂けます?宿舎内の物は好きに使ってよいと亜梨亜様から昨夜のうちに許可は頂いていますわ」

 

 

 言っている傍から背後のコンロに並ぶ洒落たデザインのケトル達が湯気を上げ始め、二人は紅茶を淹れる作業に没頭し始め誰も口を挟めなくなった。

 しかし彼女達の淹れる紅茶の香気は、それまでの重い話ですっかり硬くなっていた皆の心を徐々に解き解して行くのだった。

 

 

「ん?どうやらAP-Girlsが来たようだぞ」

 

 

 ラウンジから見える位置にあるエレベーターの階数を示すランプが一斉に動き始め、それに気付いたまほが指差すのと同時に次々到着を知らせるチャイムの音が響き、私服姿のAP-Girlsのメンバー達がゾロゾロと姿を現すのであった。

 

 

「え?」

 

「あら?」

 

「Wow!」

 

「ハラショー♪」

 

「まぁ、これは新鮮ですわ」

 

「おぉ…可愛い……って、痛い!なにすんだ安斎!?」

 

「フン……」

 

 

 初めて見るAP-Girlsの私服姿に感嘆の声を上げる一同であったが、その中でもその性格とは正反対なロリ系の美少女ぶりを誇る夏妃の、どハマりな黒基調のゴスファッションに反応してしまったまほのお尻のほっぺのお肉をアンチョビが力任せに抓り上げていた。

 

 

「あ、あの…アタイら私服もある程度コーディネートされてるから……」

 

 

 まほのせいで注目を浴びてしまった夏妃は恥しそうにモジモジするが、その姿はまほならずとも悶々とさせられる可愛らしさで、仲間であるAP-Girlsのメンバー達はニヤニヤが止まらなかった。

 

 

「あぁ痛かった…全くなんなんだ……」

 

 

 相変わらずなまほに面白くなさそうなアンチョビはプイっとそっぽを向き、まほの方はといえば周囲から冷ややかな視線を浴びていた。

 

 

『コイツ朴念仁過ぎるだろ……』

 

 

 しかし今はいつまでもそんな事に構ってはいられず、ダージリンとアッサムは増えた人数分のティーカップの用意を始め、ケイとカチューシャがAP-Girlsをラウンジへと招き寄せていた。

 

 

「それで手術の方は……?」

 

「はい、私達があまり病院内をうろつく訳には行かないので病室で見送りましたが、予定時刻の少し前に迎えが来て、自分で歩いて手術室に向かいました」

 

 

 ラウンジの一角に可能な限り寄り添うようにソファーを並べ互いの距離をつめているのは、やはり彼女達の内心の不安感の表れなのだろう。

 

 

「そうか…それでラブの様子はどうだ?さすがに手術前だ、多少は緊張していたか?」

 

「それが……」

 

 

 AP-Girlsの中でも頭一つ抜きん出た存在であり、他のメンバーたちからの信望も篤く姉御肌な鈴鹿だが、アンチョビにラブの様子を問われた途端その言葉の歯切れが悪くなった。

 

 

「その…なんでも今朝は大分早くに目が覚めてその時良いイメージが湧いたとかで、私達が行った時には凄い勢いでキーボードで曲作りをしてました……夕べも帰ってから消灯まで時間を持て余して、冬休みの数学の課題のテキストを終わらせてしまったそうで……」

 

「なんだそりゃ……」

 

 

 さすがに手術前ともなれば如何にラブといえどもナーバスになっているかと思えばさにあらず、いつもと変わらぬ宇宙人ぶりを発揮している事にすっかり呆れた顔をするアンチョビであった。

 

 

「まぁ…なんと言ってもラブ姉ですから……」

 

 

 すでに麻酔で眠らされ手術中であるラブのことを想うと気が重くなりがちな者達も、今の話で一斉に脱力し同時に長い溜め息を吐いていた。

 

 

「長い一日になりそうだな……」

 

 

 アンチョビの呟きには早くもどこか疲れの色が滲んでいるのだった。

 

 

 

 

 

『お姉しゃんはだぁれ?』

 

『あなたがまほちゃんね?』

 

 

 

 

 

 手術室近くにあるその小部屋は、手術を受ける患者の家族が待機する為の控え室であった。

 その六畳に満たぬ小部屋のソファーには、ラブの母である亜梨亜と笠女戦車隊の副長にしてラブ最愛のパートナーである愛が並んで座っていた。

 

 

「昨夜は眠れませんでしたか?」

 

「…はい……」

 

 

 亜梨亜の問いに短く答えた愛の顔色は紙のように白く、不安で昨夜一晩咽び泣いたかの如くその目は赤くなっていた。

 実の処、ベッドを共にするようになって以降も何度となく別々に眠る機会もあったのだが、昨夜程ベッドを広く感じたことはなくそれが一層彼女を不安にさせていたのであった。

 

 

「こちらにいらっしゃい。手術はまだ始まったばかり、今のうちに少しでも休んでおきなさい」

 

「…はい……」

 

 

 僅かにその距離を詰めた愛の事を、腕を伸ばした亜梨亜は極自然に抱き寄せると彼女の小さな顔を自分の膝の上に乗せるのであった。

 

 

「あ、亜梨亜様!?」

 

 

 突然の事に驚き跳ね起きようとした愛だったが、亜梨亜は大した力を入れた様子も見せずに愛を軽くあしらいそのまま膝枕の上に留まらせていた。

 

 

「え…あの……?」

 

「恋ならば大丈夫、必ず手術は成功します。だから今は安心してお休みなさい……トップアイドルがそんな顔をしていてはいけませんよ?」

 

 

 特に咎める風ではなくあくまでも優しく語り聞かせるように言いながら、亜梨亜は愛の髪をそっと撫で付けてやるのであった。

 

 

『…恋と同じ匂い……』

 

 

 それは亜梨亜がラブと同じフレグランスを使用しているからという事だけではなく、敢えて言うなら本物の親子以上に親子である二人特有のもの、厳島の匂いとでもいったものであろうか。

 髪を撫でるその手付きといいラブに撫でられていると錯覚しそうな程心地良く、優しさに包まれた愛はゆっくりと眠りの中に落ちて行くのであった。

 

 

 

 

 

『アナタはダレ?』

 

『私は恋、厳島恋よ』

 

 

 

 

 

 聖グロコンビの淹れた紅茶の香り漂うラウンジでは、その香りの効果もあってか集まった者達の表情も幾分和らぎ始めていた。

 

 

「ちょっと待ちなさいよ!それは普通に高校生としてどうなのよ!?」

 

「はぁ…でも私達もすっかりそれに慣れてしまいましたので……」

 

 

 重たい話ばかりでは身が持たぬのでお茶請け代わりに他愛のない会話も交わされ始め、今も凜々子がラブが購入したばかりのエレキギターMUSIC MAN EVHモデルに纏わる話の顛末を暴露すると、その耳を疑う価格とそれをポンッと現金一括で購入してしまうラブの非常識さにカチューシャが悲鳴のように声を上げたが、厳島の庇護の下日常の全てが桁外れな生活をするうちに色々と感覚が麻痺しているらしい凜々子は力なくそう答えるしかなかった。

 

 

「アイツは昔からそうなんだよ…金銭感覚の桁が常にゼロが三つか四つ違う感じなんだよ……」

 

「まほさん、ソレあなたが言う?」

 

 

 子供の頃からのアレやコレやを思い出しながら語るまほに、ダージリンがそれとなく突っ込む。

 

 

「ソレはどういう意味だ?」

 

「ご自分の胸に手を当ててよく考えてご覧なさい」

 

 

 しれっと突き放すダージリンにまほは口を尖らすが、アンチョビを含め昔から西住姉妹をよく知る者達は一様に腕を組みウンウンと頷いているのだった。

 規模はそれこそ桁違いだが、それでも戦車道の国内最大流派の西住流本家のお嬢様であるまほとみほは、本人達は気付いていないが言動の端々にお嬢様っぽさが出ていたのだ。

 

 

「Hey!さっきから気になってたんだけどさ、ナッキー(夏妃)のバッグから見えてるのってもしかして笠女の教科書なワケ?よかったらちょっと見せて貰えない?」

 

「え…?あぁ、いいっスけどコレは冬休みの課題のテキストで教科書じゃねぇんスよ……待ってる間に少しでもやろうと思って持って来たけど、なんかやっぱりその気にはなれなくて……」

 

 

 見れば全員そのつもりで仕度をして来たらしいが、夏妃と同様らしくバッグから出す素振りも見せなかったものの、夏妃が化粧ポーチを取り出しそのまま開きっぱなしにしていた為にそれがずっとケイは気になっていたようであった。

 

 

「そっか…まぁそうよね……」

 

「でもアタイら一年生だしケイ先輩が見てもしょうがないんじゃ……?」

 

「そこはまぁ好奇心ってヤツよ、ラブが寝る前に片付けちゃったっていうテキストがどんなもんかちょっと気になるじゃない?」

 

「はぁ……」

 

 

 お気楽に笑ったケイに夏妃が自分の数学のテキストを手渡すと、受け取ったケイは適当に真ん中の辺りでページを開くと問題を目で追い始めた。

 

 

「ふ~ん、どれどれ…え……」

 

 

 最初は一年生の課題と聞いて明らかに舐めて掛かっていたケイの目の動きが止まり、一点を凝視して固まった彼女の頬を一筋の汗が伝い落ちていた。

 

 

「何だどうした?急に黙りこくって…げ……」

 

 

 笑顔のまま固まったケイを不審に思い、その手元を覗き込んだナオミもそのテキストに並ぶ問題を見た瞬間妙な呻き声を上げてケイと同じように固まっていた。

 

 

「ちょっとあなた達どうしましたの?」

 

 

 テキストを覗き込んだまま地蔵のように固まって反応がない二人を妙な顔で見ていたダージリンは、隣に座っていた凜々子に向き直ると自分にもテキストを見せてくれるよう頼むのだった。

 

 

「えぇ?ちょっとお待ちになって……」

 

「ダージリン、どうしましたの?…こ、これは……」

 

 

 テキストの中身を見た途端困惑の表情を浮かべ先の二人と同様に固まってしまったダージリンに、アッサムもナオミのようにその手元を覗き込み、驚愕に言葉を失っていた。

 

 

「おい、オマエらどうした?」

 

 

 立て続けに固まった四人に呼び掛けるも応答がなくアンチョビさすがにおかしいと思い始めた頃、漸くダージリンが息を吹き返したように口を開いた。

 

 

「こ、これのどこが高校一年の数学のテキストですの!?」

 

「はぁ?ダージリン、お前一体何言ってんだ?」

 

「ちょっと、あなた達テキストをみんなに見せてあげて」

 

 

 眉を吊り上げ険しい表情になったダージリンに捲し立てられるように言われたAP-Girlsのメンバー達は、慌ててバッグから数学のテキストを取り出すと手近にいる者に見せ始めた。

 

 

「ふぇっ!?」

 

「な、ナニよこれは!?」

 

「これはどういう事でしょう……?」

 

「う~む、さすがにこれは……」

 

「この問題…つい最近かなり苦労させられた範囲のような気がするのだが……」

 

 

 どう控えめに見ても受験校の三年生辺りが苦労しそうなレベルのテキストの内容に、反応は様々ながらも揃って顔色が変わっている。

 

 

「こ、こんな高難度のテキストを、どうやったら就寝前の僅かな時間で全て終わらせるなんて事が出来るというのです!?」

 

 

 最初に目にした一問目から解けなかったとは口が裂けても言えぬダージリンは、ラブが飛び抜けた頭脳の持ち主ある事は理解していても、その現実を俄かには受け入れられないのであった。

 

 

「いや…まぁアイツならやるだろうなぁ……」

 

「あぁ、確かにな…だがアレは生で見ないと理解出来んだろう……私は小学生の時から見てるから抵抗がないというか、ラブの場合はこんなもんだって感じだがなぁ……」

 

 

 テストの時などに全ての問題を並列で全て同時に解いてしまうというラブの変態技は生で見ても直ぐに理解出来るものではなく、熊本の西住家滞在時に目撃したみほとエリカはアレをやったのかと青い顔になり、同じく西住家の時と黒森峰短期留学中に体験したアンチョビもラブのやる事だから何でもアリだろうと開き直ったように肩を竦めていた。

 小学生の頃一時的にクラスメイトとして過ごした経験のあるまほに至っては、既に頭の中でラブの場合はそれが普通だという認識になりつつあるようだった。

 

 

「まぁあれだ、こればっかりは口で言っても直ぐには理解出来んだろうから、ラブが退院してからでも実演してもらうといいさ……」

 

 

 完全に座った目でテキストを睨み付ける者達に、まほまでもが肩を竦めて見せるのだった。

 

 

 

 

 

『私に何の用……?』

 

『私と一緒に行こう♪』

 

 

 

 

 

 手術室に近い控室内のソファーでは亜梨亜の膝枕の上で愛が静かな寝息を立てていた。

 最近ではラブとの関係が大きく進展し以前より表情が大分柔らかくなりはしたが、それでも基本的に無表情な彼女が、今は亜梨亜の膝の上で無防備で穏やかな寝顔を晒していた。

 

 

『れ…ん……』

 

 

 如何なる夢を見ているのか愛の唇から微かに漏れた言の葉が、愛娘の名である事に気付いた亜梨亜は柔らかな笑みを浮かべそっと膝の上の少女の髪を撫でてやるのであった。

 

 

 

 

 

『恋お姉しゃん……?』

 

『そうよ、私がまほちゃんのお姉さんよ♪』

 

 

 

 

 

 AP-Girlsが持ち込んでいた数学の冬休みの課題が宿舎のラウンジに集っていた者達に衝撃を与え、正真正銘の一年生であるAP-Girlsを前にそれらの問題が直ぐに解けぬとは言えない三年生達と、二名の二年生の間を微妙に重たい沈黙が支配していた。

 

 

『Jesus……よかった…解らない所があったら教えてあげようかとか、カッコつけて余計な事を言わなくて本当に良かった……』

 

 

 若干涙目でテキストに並ぶ問題を凝視しているケイの横で、彼女の事をジトッと見ているナオミにはその付き合いの長さ故何を考えているのか手に取るように解っているようであった。

 

 

「こ、紅茶のお代わりは如何かしら……?」

 

 

 不自然な笑みを浮かべ話題を変えようとするかのようにダージリンが言ったものの、いきなり噛んでいるのでその目論見はいまいち成功しているとは言い難かったが、言いだしっぺでありながらもその状況から一刻も早く逃げ出したかったケイが真っ先に手を上げて、どうにかなし崩しにAP-Girlsの冬休みの課題から逃れる事が出来た。

 

 

「あの…西住隊長……」

 

「ん?私はもう隊長ではないぞ?」

 

 

 夏妃にそう呼び掛けられて、まほはエリカを指差しながら笑って応じた。

 

 

「あ、いえその…ラブ姉の子供の頃ってどんなだったんかなって……」

 

 

 ここに大洗の歴女チームがいれば『それだ!』とでも言いそうな質問に、ハッとした表情になったAP-Girlsのメンバー達の視線が集中しまほも一瞬たじろいだが、何を思い出したのからしくない程にだらしなく口元が緩み蕩けた表情になった。

 

 

「オイぃにしずみぃ……オマエ何かキモいぞぉ」

 

 

 実際アンチョビの言うとおりで、突然キモいにやけた顔になったまほに全員ドン引きしている。

 

 

「え?あ…これはその……あ、安斎……お前だってウチでラブの子供の頃の写真は見ただろう?」

 

「そりゃあ見たけどなぁ……」

 

「なら解るだろう、あの可愛さを思い出しただけで……」

 

「う゛……」

 

 

 だらしなく歪んだ口の端から垂れかけた涎を慌てて袖口で拭ってしまったまほは、それを誤魔化そうとするかのようにアンチョビも見た幼い頃のラブの写真について言及すると、さすがに彼女もそこで言葉に詰まってしまった。

 

 

「ちょっと二人共?聞き捨てなりませんわね…ラブの子供の頃の写真ですって?それを何故あなたが見たことがあるんですの?」

 

「あの…済みません、私も見ました……」

 

 

 おずおずとエリカが手を挙げると思いもよらない人物の発言にダージリンも口をパクパクさせ、これ以上ややこしい事態になる前に熊本でのことを説明し、後日他の者達にもロリロリなラブのアルバムを見せる事で納得させるのだった。

 

 

「全く…私だって小学戦車道時代にツーショット写真ぐらい撮ってますわ……」

 

 

 それでもまだ悔しそうに負け惜しみのような事を言うダージリンに、いつになく意地の悪い顔でまほは追い討ちをかけるのだった。

 

 

「だが小学校低学年のロリロリなラブと、机を並べる素晴らしさを知っているのは私だけだな♪」

 

「ぐっ…まほさんアナタねぇ……!?」

 

「だから西住よ、お前もそうやって燃料ぶっ込むんじゃない……」

 

 

 あまりにも幼稚な争いに、さすがのアンチョビも突っ込むのが面倒になっていた。

 しかしこの後も暫くの間ラブの事が絡みはするがどちらかといえば下らない話に終始するのは、やはり心の中で燻る不安感を払拭したいという想いの現われなのかもしれなかった。

 だがまだ手術は始まったばかり、彼女達の不安な時間は今暫く続く事になる。

 

 

 




果たしてラブが見ているのは良い夢なのか悪夢なのか……。
あの全身麻酔の感覚はあまり経験したいものではないですね。

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