「旅か…旅ねぇ……確かにずっと世界中飛び回るような生活してたラブは旅慣れてるかもしれんが、私が旅慣れてるかと聞かれてもとてもそうは思えないんだがなぁ……」
黒森峰戦車道チームの隊長室、年季の入ったソファーに腰を下ろした前隊長のまほは後任のエリカ相手に幾つか職務に関して伝達した後、下校するまでの時間で二人にとって共通の思い出話を中心とした雑談に興じていた。
「ですが私達だってこうして学園艦に乗り込んでいるんですから、それこそ毎日が旅のようなものじゃないんですか?」
「それなんだがな、住処ごとというか住んでる街ごと移動してるから旅をしてるって実感が湧かないんだよ…そもそもがこの学園艦ってのがデカ過ぎて海の上にいるって気が全然しないしな……」
卒業し退艦する自分の引っ越しに関する話題に端を発し、幼い頃に両親を失って以降亜梨亜と共に世界中を飛び回っていたラブの荷造りの上手さなどアレコレ話し込んでいたまほは、エリカにまほ自身も旅慣れている方なのではと言われ思わず首を傾げていたのだった。
「まぁ確かにそうですね…この図体じゃ滅多な事で揺れを感じる事もないですから、船旅をしている実感は乏しいかもしれません……そういえば以前聞いた事があるのですが、退艦後暫くするといわゆる陸酔いで苦しむ人が少なからずいるらしいですよ?例えどれだけ大きくても海に浮いてる以上、体感し難いけど学園艦も揺れてるんでしょうね」
「その話は私も聞いた事があるな…けど暇さえあれば戦車に乗ってガタガタ揺られてる私らには、あまりそれも関係ないんじゃないかって気がするなぁ……」
「また何を言い出すかと思えばこの人は……」
普通に考えればオマエ頭大丈夫かと言われそうな事を、真面目くさった顔で時々言い出す癖があるまほを、エリカはまた始まったかと呆れた目で見ていた。
「何だ?私は何かおかしな事を言ったか?」
しかしその視線の意味を理解出来ないまほは、何故そんな目で私を見るのだと訝しむのだった。
「あーもういいです、何でもありません」
まほ相手に時々感じる徒労感に色々どうでもよくなったエリカ適当に返事をすれば、増々まほは面白くなさそうに不満を口にしていた。
「何だよ?余計気になるじゃないか、言いたい事があるならハッキリと……ん?」
明後日の方を見ながら適当な相槌を打つエリカ相手にむきになるまほだったが、その途中聞き覚えのある音が急接近して来るのに気付くと、口を噤んで音の主の正体を特定しようと聞き耳を立てたのであった。
「この音は…あれ?定期便は今日だったか……?」
バタバタと大気を暴力的に叩きながら急接近するその爆音は、やがて隊長室のある学内でも最も古い木造校舎を揺さぶる振動となり、窓枠を上下にスライドさせるハング窓にはめ込まれたガラスをビリビリと鳴動させていた。
黒森峰に飛来した爆音の正体の名はCH-53E スーパースタリオン、10t程度の軽戦車であれば楽々吊り上げ空輸する事が可能な超巨大輸送ヘリコプターだ。
直径24mに達する巨大なローターが生み出す桁外れな揚力で、全長30mに及ぶ巨体を縦横無尽に振り回す事が可能なその機体は目にも鮮やかなマリンブルーに染め抜かれ、側面には校章である風に靡くZ旗と共にMikasa Girls High Schoolと校名が記されていた。
私立三笠女子学園が所有するスーパースタリオンは全部で六機、
「違いますよ、何言ってんですか……どっかの誰かが買い占めたんで購買の在庫が空になって、急遽オーダーした分を運んで来た追加の特別便ですよ?」
「クッ……!」
「冗談ですよ…でも卒業生の皆さんが実家へ帰る際の手土産にと、こぞって購買部に学園艦カレーを買いに走ったのは事実ですからね、あっという間に在庫が底を突いて特急で追加の発注を掛けたみたいですよ……」
「それは……」
黒森峰に限らず、ラブと縁のある者の在校する学園艦には少し前に正式な契約がなされ、月に二回の割合でレトルトの学園艦カレーがスーパースタリオンによって空輸されるようになっていた。
通常であればそれで品切れになるような事態は起こらなかったが、エリカが言ったように卒業生達が一斉にお土産用として購入した結果、急遽お替り発注する事態を招いたのであったが、実はこの現象は他校でも発生し、笠女のスーパースタリオンは学園艦カレーを満載して東西南北日本の空を忙しく飛び回っていたのだった。
「う~む…私以外にもそんなに纏め買いしている者がいたとは……」
『やっぱり買い占めてたんじゃない…もしかして引っ越しの荷物が多かったのってそれが原因なんじゃないの……?』
予定外の学園艦カレーの出前ヘリが飛来した理由を知ったまほは考え込んだ表情になると、馬鹿正直に買い占め行動をしていた事を自白していたが、どうやら本人はその事には気が付いていないように見えた。
「どうしようかな…追加が来たならもう少し買い足しておこうかなぁ……?」
「いい加減にして下さい、また顔をカレー色にしてカレー臭を発生させる気ですか?大体ラブ姉から定期的に送って貰ってるのに追加まで買うとか何考えてんですか…まさか禁止した三食分一気食いとかまたやってるんじゃないでしょうね……?返答次第じゃ卒業式当日までまた重営倉に入って貰う事になりますよ?」
「やってないよ!私だってそこまで馬鹿じゃないさ!実家のお土産用と、引っ越した後暫くはバタバタするだろうからその為にと思ってだなぁ!」
何だかんだ言ってまほに甘いラブは彼女の為に毎月学園艦カレーを送ってくれていたが、更に購買で追加購入しようとするまほに、また懲りずに隠れてドカ食いしているのではないかと疑いの目を向けるエリカであった。
突き刺さる無遠慮な疑惑の視線に、堪り兼ねたまほは気色ばんで言い訳をする。
「お土産ってご実家にも当然定期的に届いてるんじゃないですか?それに引っ越し後いくらバタバタしてたって、あのドゥーチェがその辺疎かにするはずはないと思うんですけど?」
「それは……」
「もう何でもいいですけどね、あんま調子に乗ってまたカレー顔になっても私は知りませんよ?」
「カレー顔って何だよ……?」
途中いよいよどうでもよくなったのかエリカが投げやりな口調で突き放すような事を言うと、面白くなさそうなまほは不満げに口を尖らせていた。
だがエリカはそんなまほには目もくれず、前日に焼いたばかりのシュペクラティウスという名のジンジャービスケットを口に放り込むと、やや冷めてしまったコーヒーと共に飲み干したのだった。
「全く子供ですか…そんな事より例の件、一体どうなったのですか?引っ越しの前に何とかするとか仰ってませんでした……?もうあまり時間もないですよね?」
「え…あぁ、あの件か……結局お母様が、安斎のご両親に熊本に来て頂く事になると亜梨亜おば様のお礼が相当大袈裟な事になると半ば脅し文句のようなセリフを口にしてな……それで安斎のヤツが恐れをなして相談して来たご両親を説得したらしい……」
「あぁ、成程です……」
亜梨亜がヘタレてしほに丸投げしラブも相当気にしていた問題は、その亜梨亜の名を使う事でしほが無理矢理解決を図ったのだった。
まほとしては当人から気に病むなと再三言われても尚、年数を経ても未だにアンチョビに暴力を振るってしまった事への罪悪感を拭えずにいた。
そしてラブもまた自分が引き起こした事故と、その後逃げ出した事が全ての元凶であると責任を感じ続けていたし、母である亜梨亜も問題を先送りにした事で彼女と似たような考えであった。
「う~ん…でもあれだけの深手を負った訳ですしそれで逃げたと言われても……もし私があの状況に追い込まれたとしたらまず耐えられないと思います……」
改めて事故当時の事に話が及ぶとエリカは寒気を感じたように両の肩を抱き、心持青い顔で小さくその身を震わせる。
「多分それは私もだな……」
とても口にする事は出来ないしする事自体が恐ろしかったが、まほもラブが幼少期からの辛い体験に加え、あの事故で確実に精神を病み今もそれを引き摺っている事は解ってはいた。
「確かに元々感情の振れ幅が大きな人だとは思いましたが、再会してからその傾向は一層大きくなっているように感じられました……」
エリカもまたある程度その事には気付いていたらしく、そう話す彼女の表情は硬かった。
「そうか……」
「はい…ですが最近はその波も少しづつ穏やかになりつつあるあるように感じます……まぁこれは愛の存在が大きいのだと思いますが……」
「愛君の存在……」
「はい、そうです」
まだ愛との接点が少なく彼女の事を今ひとつ理解出来ていないまほと比べ、ラブの黒森峰短期留学に際し裏工作の為に協力したエリカは、その生き方の不器用さで彼女と互いに共感する点が多いらしく、ラブも知らぬ処で頻繁に連絡を取り合っていた。
故にエリカは部外者の中で唯一の愛の理解者であり、彼女こそがラブにとって一番の良薬である事を理解していたのだった。
『なんだろう…最後はやけにハッキリと言い切った気がするんだが……』
エリカと愛がそんな関係にある事を知らぬまほは彼女の態度に疑問を感じたが、彼女のその思考は思いもよらぬ形で中断させられる事になった。
扉を閉めていてもはっきりと解る荒々しい足音が廊下に響き、その足音が迷う事なく一直線に隊長室目指して接近して来たのだ。
『あれ?ラブ姉…今日は一体……?』
ドタドタと響く足音にまほが気付くと、それとほぼ同じタイミングで小梅の声が有り得ない名を呼び、まほとエリカは何事かと思わず顔を見合わせるのだった。
『ラブ……?』
何故、どうしてと頭の中を疑問符が飛び交い混乱する二人が見つめ合ううちに、荒い足音は隊長室の前へと辿り着いていた。
「は…え?今の小梅の声だよな……?私の聞き間違えでなければラブが来たって、うわ!?」
まだ状況が呑み込めていないが、それでもどうやらラブが来ているらしい事だけは理解出来たまほであったが、訳が解らない事に変わりはなくどういう事だと目をパチクリさせていた。
しかしそうこうしているうちに、ノックもなしに蹴破ったかと思う程の激しさで隊長室の扉がドカンと勢いよく開かれ、驚いたまほは些か間の抜けた声を上げてしまったのだった。
「ら、ラブ!?オマエが何でここに──」
何ら躊躇する事なく力任せに扉を開いた勢いもそのままに、大股で肩を怒らせズカズカと隊長室に乱入したラブは、驚いて立ち上がり突然の来訪の理由を問おうとするまほを突き飛ばすようにその場で回れ右させると、背を向けたまほを後ろから抱き抱えてドサリとソファーに腰を下ろしていた。
「うわぁ!オイ!何なんだ急に!?」
突然の浮遊感とそれに続く急降下に全く訳が解らないまほが再び悲鳴を上げたが、そんな声などお構いなしなラブは、怒っているのか泣いているのか形容し難い顔でただムスッと押し黙り、その仏頂面の鼻から下を抱き抱えたまほの後頭部に埋めるように押し付けていたのだった。
「お、オイ…ラブ……?」
自分を絡め捕るラブの腕から逃れる事も出来ず、背中に密着するボリューム感あふれるプルンプルンな徹甲弾の感触にドキドキするまほであったが、その密着したたわわ越しに伝わって来る不機嫌そうなマイナス感情も彼女は同時に感じ取っていた。
そしてさすがの彼女もその只ならぬ様子を心配し、如何にも恐る恐るといった感じながらも背後のラブに声を掛けたのであった。
しかし残念ながら彼女を抱え込んだラブはその声に一切応える事はなく、代わりに一層力強くまほの事を抱き締めるだけだった。
『あー…これはもしかして……』
ラブの乱入後、まほと同様事態を呑み込めず一連の展開を傍観していたエリカであったが、不意についさっき聞いたばかりの過去のエピソードを思い出し、おぼろげながら事態が見えて来た彼女は目の前の痛々しい光景にそっと溜息を吐いたのだった。
それはまだラブとまほが幼い子供であった頃の事、自分の思い通りにならずそれが気に入らなかったラブは不貞腐れ、お気に入りの大きなクマのヌイグルミを抱き抱え誰が何を言っても耳を貸さず、クマの後頭部に顔半分を埋めて拗ねていたという幼い子供ならではな昔話。
後ろから抱き抱えられたまほには知る由もなかったが、エリカはたった今自分が見ている光景がクマのヌイグルミのエピソードの再現である事を確信していた。
『さて何があった…愛から何も言って来ないという事は多分突発的な事なんだろうけど……』
実に分かり易いラブの拗ねた顔にエリカは彼女がここまで拗ねる理由を考えてはみたが、さすがに何も情報がないのでその原因を特定し兼ねていた。
『う~ん…どうやら自分の感情を持て余しているような気はするんだけど、この人がここまで突飛な行動に出る理由って一体何かしら……?』
逃げる事も出来ず困り果てた顔でまほも必死にアイコンタクトで助けを求めていたが、迂闊に関わればヤブヘビ確定なので、エリカも露骨に視線を逸らしてまほの救援要請を無視していた。
そうしている間もラブは彫像と化したように身動き一つせず、ただ無言でまほを膝の上に抱き抱えたまま腰を降ろし続けていたのだった。
陸上戦艦ラーテよりヘビーな空気が満ちた隊長室で、ラブが拗ねている理由が解らず打つ手がないエリカは、どうしたものかと難しい顔で考え込んでいた。
『参ったわねぇ…卒業式までにその準備やらでやっておかなきゃいけない事も山積みなのに……』
まほ達卒業生を送り出す側のエリカは在校生代表として送辞を読む大任も抱えていたので、出来る事ならなるたけ早めにラブを帰らせたかったが、この様子ではどうやらそれも望み薄に思えて困り果てた彼女は天を仰ぎ何度目かの溜息を吐くのだった。
『ん?ちょっと待って…卒業式……卒業……あぁそうか、そういう事か……』
ラブが居座る事でスケジュールが押せ押せになる事を恐れたエリカだったが、逆にそれがヒントとなり何かに気付いたようだった。
『成程ね…そう考えるとあの表情もなんとなく理解出来るわ……この様子だと多分自分でも気持ちを持て余しているというか、どうしたらいいか解らなくなっているんじゃないかしら?けどこういう子供じみた行動に出る辺り、そう深刻に捉えなくても大丈夫かもしれないわね……』
まほ達の卒業イベントスケージュール自体は最初から解っていた事で、再会以降紆余曲折あったがラブもその現実は受け入れていたはずであった。
しかし実際まほ達の卒業が目前に迫ると、例え頭ではそれが解っていても彼女の気持ちがその現実を受け止める事が出来ず、自分でもどうしたらいいか解らなくなった彼女は発作的に黒森峰行きの臨時便に飛び乗り押しかけて来たのだ。
『う~ん、となるとやっぱりここは下手に刺激しない方が良さそうよねぇ…うん、そうしよう……多分だけど、このまま放っておけばラブ姉もそのうち諦めて帰るだろうし……ま、まほ姉には悪いけどその方が犠牲も最小限に済みそうだからここは放置しておくのが吉でしょ』
あくまでも自分の仮説でしかないが、それが当たりだろうとエリカが立てた推論はほぼ正解であり、その推論を元に彼女が導き出した結論は何もしないという極めてシンプルな消極策だった。
非情というか薄情というか実に容赦のない判断だが、エリカは自分の判断を信じて一切迷う事なく行動を起こしていた。
『さて、そうと決まったら私は残ってる仕事を片付けるとしましょうかね…けどその前に……』
ラブを刺激せぬようそっとソファーから立ち上がったエリカは、まほがラブの
だがその途中ふとその足を止めたエリカは懐から携帯を取り出すと、振り向きざまにまほを抱えて拗ねるラブの姿を写メに収めたのだった。
『これでよし…後で愛にメールで送ってやらないとね……』
幸い拗ねて自分の殻に閉じ籠ったラブはシャッター音に気付かなかったらしく、ホッとしたエリカは撮ったばかりの画像を確認すると、ラブに気付かれぬよう背を向けてニンマリと満足げにほくそ笑んでいたのであった。
もしそんな写メを撮った理由をラブが知れば、一層彼女は機嫌を損ねエリカもとばっちりを喰らうのは確実だったが、それでもエリカは滅多にないお宝画像をゲットするチャンスをふいにする気にはなれなかったのだ。
『ふふ♪申し訳ないけどラブ姉のこういう表情って凄く可愛いのよね♡』
机に就き書類を確認するフリをしながらもう一度写メの画像を確認したエリカは、撮影に成功した画像の価値を再確認すると今度こそ本当に書類仕事を始めようとしていた。
「お、おいエリカ……」
「ん……?」
しかし彼女が一枚目の書類の内容に目を通し署名欄にサインを入れたタイミングで、彼女の耳にまほの蚊の鳴くような声が届き妙な顔で書類から顔を上げたのだった。
そして顔を上げたエリカが声のした方へと目を向けると、そこにはラブに抱き抱えられて情けない顔をしたまほが何か言いたげにしている姿があった。
『…またなんて顔してんだか……』
まほの表情のあまりの情けなさに溜息を吐いたエリカだったが、彼女が顔を上げた事に安堵した様子で口パクのみで救援を要請していた。
しかしラブの気持ちを酌んだエリカは実にあっさりとハンドサインでそれを拒否すると、少し考えて容赦ない一言を付け足したのだった。
『もう少しそこでクマのヌイグルミやってて下さい』
助けを求めたにも拘わらずそれを拒否された上に、クマのヌイグルミをやっていろなどと言われたまほは、ラブの膝の上で訳も解らず途方に暮れ呆然としていた。
『クマのヌイグルミって何だよ……?』
二人のやり取りなど全く眼中にないラブは相変わらず拗ねた顔のまま、まほを抱えて腰を下ろしたソファーからいつまで経っても動こうとはしなかった。
ラブがこういう行動に出る相手はまほだけ……。
そういう意味では唯一甘えられる相手なんでしょうね。