「う~ん…やっぱり私の髪色にこの青は似合わないんじゃないか……?」
「そんな事ないわ、とてもよく似っているわよ」
座らされた三面鏡の前で厳島の青で焼かれた七宝の髪留めを試着したアンチョビは、少し横を向いて鏡に映った髪留めの様子を確認すると、大きく首を傾げ束ねられた髪を揺らしていた。
「そうかぁ……?」
「本当よ、こんな事で嘘を吐く必要なんてないでしょ?」
髪留めで結い上げる前、念入りに彼女の髪を梳かした本柘植の櫛を鏡台の引き出しに戻したラブは、まだ何処か遠慮した様子のアンチョビに素っ気なく返していた。
「別にラブが嘘を言っているとは思っちゃいないが、自分的に合わない気がしてな……」
「だから何もおかしくないってば、千代美の髪色にも問題なくマッチしてるわ」
鏡に映る自分を見直しながら考え込むアンチョビの両肩に、背後に立つラブはそっと手を添え彼女を説得するようにダメを押した。
そしてその背後の床の上で反省の正座を続行中のまほも、その通りだとまるで赤べこのように何度も大きく首を上下にブンブンと振っていた。
「しっかしコレ本当に貰っちゃっていいのかぁ……?」
「も~、過剰在庫なんだから好きなだけ持ってっていいって何回も言ってるでしょ~?」
アンチョビの髪を髪留めリングでポニーに結い上げた後、庭を見たいという彼女の希望を聞き入れたラブの案内で、三人は季節の花が咲き乱れる城内の庭園を散策していた。
「いや、いくらなんだってそんな沢山貰ったってそれこそ使い切れないだろ……?」
手入れの行き届いた庭園に咲き誇る花々に目を見張りながらも、ラブに付けて貰った髪留めの感触にまだ慣れないアンチョビは、時折しっぽの付け根の辺りを気にしながらラブに押し付けられた元はお菓子が入っていたらしい空き缶の事を思い出していた。
「けど使い勝手はいいでしょ?」
「それは…まぁな……」
「なら取り敢えずさっき渡した分くらいは持って帰りなさいよ、私だってこれまでに何個も試合中に壊したりしてるんだから、千代美も気にしないで使い倒せばいいのよ」
「使い倒せってオマエな……」
いくら大量にあるとはいえ、彼女の二人の母親の誕生を祝って作られた記念の品を気にせず使い倒せと言うのは乱暴に過ぎると、アンチョビは眉を顰めた。
「ゴメン、言い方が悪かったのは認めるわ…けど実際数が多過ぎてこのままじゃ一度も使う事なくダメになっちゃうのは確実よ、そうなったらそれこそもったいない話だと思わない……?」
「…まぁそういう事なら……」
ラブが口で言う程に物を雑に扱うような性格ではないのはよく知っていたのと、こういう事を言い出したら絶対引かないのも身に染みる程に彼女は解っていた。
「…けどな、この髪留めは受け取るがあの空き缶は返すぞ……なんかさっき見てて思ったんだが、オマエ中身の髪留めより空き缶の方を大事そうにしてたからな」
「あら、気が付いてた……?」
「そりゃオマエ、如何にも舶来物の古そうな空き缶を後生大事に使ってりゃ気が付くだろ……」
舶来物などと些か古めかしい表現を使うアンチョビであったが、実際ラブが髪留めを入れていた空き缶はその絵柄と色褪せ具合から相当に古い物である事が窺えた。
そしてそれを扱うラブの所作からアンチョビも彼女がその空き缶を大事にしていた事を見抜き、中身である髪留めのみを受け取る事に決めたようだった。
「ん~、ダブついてる髪留めを引き取ってもらうし、そのお礼のつもりだったんだけどな~」
「いや、そんな大事な物ならそれこそ受け取れん、髪留めだけで充分だ……しかしアレだ、確か目の手術で入院した時も空き缶をペンケース代わりにしてたよな?もしかしてオマエって箱とか空き缶の類が捨てられないタイプなのかぁ?」
ラブがほぼ失明状態にあった右目の手術を受けた際、彼女が入院した病院での顛末を思い出したアンチョビは、薄々ラブが箱の類が好きな事に気が付いていた。
「だってあんなに可愛いのに捨てるなんて勿体ないじゃない」
「まぁ気持ちは解らんでもないがなぁ……」
やっぱりかと思う反面、内心では彼女のこういう庶民的な一面を好ましく思うアンチョビは、それを悟られぬよう敢えて気のない素振りで受け流していた。
『成程…ラブが小さい頃誕生日にトランクを欲しがったりしたのはそういう事だったのか……』
庭園を散策しながら二人が交わす会話を直ぐ後ろで聞いていたまほは、卒業直前エリカ相手にラブが愛用する旅行用トランクに関するエピソードを語って聞かせた事を思い出し、今まで気が付かなかった彼女の趣味嗜好の一端を見た気がしたのだった。
髪留めの入れられていた空き缶が切っ掛けで、幼いラブが何故旅行用トランクを欲しがったのかその理由が解った気がしたまほは、ぼんやりと前を行く二人のポニーに結い上げた長い髪が、吹き抜ける穏やかな春の風に揺れるのを眺めていた。
「私も髪伸ばそうかな……」
妹であるみほと共に幼少の頃より基本的に髪型を変えていないまほは、髪色以外で唯一みほと違う跳ねの部分に指を絡めると、誰に言うともなしにそんな呟きを洩らしていた。
「あらいいじゃない、是非まほも伸ばすべきよ♪前にも言ったけどまほの髪質は私に近いから、おそらく伸ばすと私みたいに緩いウェーブが掛かるはずよ?しほママの黒髪ストレートも美しいけど、多分あの髪質はみほが受け継いでるんじゃないかしら……あ、髪色に関しては二人共常夫パパの色が強く出たのかもね~」
「そ、そうかな……?」
ラブの悪ふざけが原因とはいえ煩悩の赴くままに暴走し、その後反省の正座から解放されても気まずくてずっと口を閉ざしていたまほであったが、前を行くラブも決して彼女を無視している訳ではなく、まほの女の子らしい呟きを聞き逃さず、ニッコリと微笑みながら振りむきその呟きに賛同し髪を伸ばす事を勧めたのだった。
すると幼い頃より憧れであったラブの美しく波打つ長い髪と、自分の髪質が近い事を改めて指摘されたまほの頬がほんのりと朱に染まる。
「ま、取り敢えず伸ばすなら日常の面倒は千代美ヨロシク~♪」
「投げっぱかよ!?」
「え~?だってこの先二人は同居するんだし、千代美は長い髪の扱いに慣れてるじゃない……大丈夫、伸びるのに合わせてそれ用のコンディショナーとか送るから世話は任せるわ」
「そういう問題じゃない!」
つい口から零れた呟きが元で思いもよらぬ方向へ話が転がってしまい、それに付いて行けないまほがポカンとする目の前で、二人はああでもないこうでもないと勝手に話を進めていた。
「大体世話は任せるとか
「あら?似たようなもんよ、あれこれ手間が掛かる辺りはデカわんこそのものじゃない」
「オマエが言うな……」
ああ言えばこう言うでこういう時にラブが人の言う事など聞かないのは毎度の事だが、自分事を棚に上げているのがアンチョビにとっては何より腹立たしかった。
「おいラブ、あの大きな鳥籠みたいな建物はなんだ……?」
下らない話から戦車道の話まで取り留めのない話をしながら庭園を散策する途中、城に戻るルート上に現れたトラス構造でガラス張りの建物にアンチョビは興味を示す。
「ああアレ?あれはハーブ専用の温室よ、ウチで食事やらに使うハーブの類は全てあの温室で育ててるわ…興味があるなら覗いてみる?この時間は誰か温室にいるかしら……?」
「あの大きな鳥籠がハーブ専用の温室だってぇ?凄いな……見学出来るなら是非頼む!」
「見学って千代美…折角ハーブの温室行くんだもの、何か摘んで帰ってフレッシュハーブティーでも淹れて一息吐きましょうよ……」
「え?いいのかそんな事して……?」
「その為に栽培してるんだからいいに決まってるじゃない……」
ハーブを栽培する温室に行って見学だけするつもりかと呆れるラブに、アンチョビは摘み取りまでしていいのかと驚き目を丸くして一層彼女を呆れさせる。
「フレッシュハーブティーか…あれは香りも良くて美味しいんだよな、昔は散々遊んで帰って来ると雪緒さんがおやつのお菓子と一緒に用意しておいてくれたっけ……」
「今思えばさぁ、大はしゃぎで遊び回ってハイテンションなまま帰って来た私達を落ち着かせるのにね、ハーブティーの鎮静効果とかがとっても役立ってたんじゃないかしら……?」
フレッシュハーブティーと聞きまほが懐かしそうに子供の頃の思い出を語れば、ラブもまた後になって知った効能を思い出し苦笑いしている。
「フム…ハーブティーにそんな効果があったのか……けれど確かにあの良い香りをかぐだけでも、何だか気持ちが落ち着いたのは覚えてるよ」
「そうね、
「あ、もしかしてさっきのおやつタイムも……?」
アンチョビのリクエストに応え温室に向かう途中、二人の思い出話から転じてAP-Girlsも自家製のハーブティーを愛飲していると聞いて、おやつのパンを食べた時に彼女達が良い香りのお茶を飲んでいた事を思い出したのだった。
「ええ、全員じゃないけど好みのハーブ組み合わせて飲んでたわよ……って、さあ着いたわ」
「凄い……」
温室を囲むような植え込みを抜けて目の前に佇む大きな鳥籠を見上げたアンチョビは、時代を感じさせる凝った造りのガラスの宮殿の存在感に息を呑んだ。
「どうしたの千代美?こっちよ」
「あ、ああ今行く……」
温室の扉の前で立ち止まり振り返ったラブに手招きしながらその名を呼ばれたアンチョビは、まだ少し驚いた様子で慌てて先を行く二人の後を追って温室に入って行った。
「…温室で驚いた次はこれか……」
ラブの先導で温室内を見学したアンチョビは、そこで栽培されるハーブの種類の多さに感嘆の声を上げ、次いでこれだけ種類があればどんな料理でも困る事はないと彼女らしい事を言ってラブ達を笑わせていた。
そしてたまたま夕食の準備で必要なハーブを摘みに来ていたメイドの手を借りて、三人はリラックス効果の高いハーブを摘み取ると、再びラブの先導で近道をして城へと戻ったのだった。
だがラブの後を追うアンチョビが連れて来られたのは庭園に出る時とは違う裏口のような場所で、近付くにつれ聞こえて来た水音とその正体に彼女はまたしても驚いていた。
「これって水道水じゃなくて本当の湧き水だよな……?」
アンチョビが在籍したアンツィオ高校の学園艦はローマの街並みを再現していたので、目の前にあるような水場は彼女にとって馴染み深い物であった。
しかしながら学園艦という人工の環境故に湧き出る水も天然の水ではなく、汲み上げた海水を艦内のプラントで濾過した水だったのだ。
「そう、水源は走水よ…千代美も覚えてるでしょ?昔走水の海水浴場で遊んだ帰りに寄った水汲み場の事は……ウチの水は全てこの走水の湧き水で賄ってるわ……まぁ今は昔と違って役所の指導の下、濾過装置を通してからこうして噴出させてるけどね~」
「いや、それでもやっぱ凄いぞ…あ、水の湧き出し口は獅子じゃなくて豹なんだな……」
ラブの説明を聞きながら水場を観察していたアンチョビは、水の湧き出し口がアンツィオにもあった獅子の頭の物と違い、厳島流の代名詞である
「あ~それね~、それはさすがに私も子供の頃からやり過ぎじゃね?って思ってたわ~」
やっぱり千代美はよく見てるなぁなどと思いつつ、ラブは彼女が検分を続ける豹の頭の形をした水の湧き出し口に苦笑していた。
「ここも懐かしいな…夏休みはここで冷やしたスイカが楽しみだったよなぁ……」
「そうね、あの頃はまほとみほと私の三人で海で遊んで帰って来ると、ここで雪緒ママに冷やしておいたスイカを切って貰うのが恒例だったわね…懐かしいわ……」
「う~ん…昔は井戸水で野菜や果物を冷やしてたなんて話は聞いた事があるが、こんな水量の豊富な湧き水でスイカ冷やすとか今の時代逆に贅沢だよな……というより自宅でこれだけ水が湧いてる事自体が既に相当な贅沢な気がするぞ……」
湧き水に纏わる二人の思い出話を聞いていたアンチョビだったが、話を聞くうちに改めてラブの生まれ育った環境が浮世離れしている事を思い知らされていた。
「え~?元々城を建てる前から水源があるのは解ってた事よ?それに贅沢って言ったらまほの実家の温泉の方が遥かに贅沢だと思うけど?」
「あれは別に掘った訳じゃなくて偶然湧き出しただけなんだが……」
西住家の本宅と道場には演習場に源泉を持つ温泉があったが、その源泉は西住流の現家元であるしほがまだ黒森峰の学生だった頃に偶然掘り当てたものだった。
それは長期休暇の帰省中の事、自主トレに勤しむ彼女が放った一発の徹甲弾が跳弾し演習場内の林に飛び込むと、恐ろしい確率ながら見事一撃で大地を貫き源泉を掘り当てていたのだ。
「いや、どっちも普通の家にはそうそうあるもんじゃないから…ま、それはともかく何でまた私をここに連れて来たんだ?ここって見たところ裏庭というかお勝手口か何かって感じなんだが……?」
二人のやり取りにラブもまほもやはり育ちが只事ではない事を実感しつつも、アンチョビは今一番疑問に感じている事を質問してみた。
「さすがいい勘してるわ千代美、この水場は丁度厨房の裏にあって菜園で収穫した野菜なんかを洗うのに使ってるのよ」
「成程そういう事か…けど菜園まであるとなると、もしかしたらこの城は自給自足で暮らしてるとかそういう話になるんじゃないだろうな……?」
「それはさすがに無理だってば…この急傾斜地でそこまでやる余裕はないわよ……作ってるのはせいぜい付け合わせや副菜に使う程度の野菜ぐらいね」
「そっか…言われてみれば確かにな……」
迎えに来てもらった時シュビムワーゲンで延々と迂回するように登った坂道と、城からの浦賀水道を一望する眺めを思い出したアンチョビは、それで漸く納得したように頷いたのだった。
「よ~し、それじゃ摘んで来たハーブでお茶を入れる準備しよっか♪」
「おお、それじゃやるとするか」
摘み取ったハーブでミニブーケのようになった小さな籠を掲げたラブに手招きされ、アンチョビも腕を捲って滾々と湧き出る水でハーブを洗い始めた。
「おぉ…なんと立派な石窯だ……これ程の物はアンツィオにもないぞぉ……」
ラブとまほに続いて勝手口から城の厨房へと足を踏み入れたアンチョビは、目の前の彼女が理想とする光景に感動の溜息を洩らしていた。
「築年数だけはそれなりだから単に古いだけなんだけど……」
まほとアンチョビを迎えての晩餐に向けて料理人やメイド達が仕込みに勤しむ片隅で、目を輝かせてキョロキョロと落ち着きのないアンチョビにラブも戸惑い気味にだ。
「うん、ここも昔から何も変わってないな」
「あのなぁ西住ぃ…ここまで設備の整った厨房は世界中探したってそうはないはずだぞ……それにラブも古いだけと言うが今も当時のままの姿で現役って事は、如何に元がしっかり造られているという証明なんだがなぁ……」
その価値が解っているのは自分だけなのかとアンチョビはガックリと肩を落とすが、その環境に慣れきっているせいかラブとまほはピンと来ない様子で顔を見合わせている。
「そうは言われてもさぁ…私にとってはあくまでも自分の家のキッチンだし……」
「まぁそれはそうかもしれんが……」
何処か釈然としないものもあったが、ラブにそう言われてしまうとアンチョビもそれ以上この件に関しては何も言えなかった。
「お待たせ致しましたお嬢様、もうお飲みになられても宜しいかと思いますよ」
「あ、雪緒ママありがとう♪」
ラブにこれ以上何か言っても無駄だと判断したアンチョビであったが、それでも歴史ある城の厨房への興味は尽きず、好奇心のままにキョロキョロと周囲を見回し続けていた。
すると城のメイド達を束ねる立場にあるメイド長の雪緒が、たった今摘んで来たばかりのハーブで淹れたハーブティーが満たされたガラスポット掲げ彼女達の下へとやって来たのだった。
「如何なされますかお嬢様、
「ん~っとそうねぇ…もし邪魔じゃなければここで頂いてっちゃおうかな~?なんかさっきから千代美がこの厨房に興味津々みたいだからさ……ダメ?」
「おいラブ!それは幾らなんでもご迷惑だろう!?」
「我々は一向に構いませんがそれで宜しいのですか?」
例えどれだけ広い厨房であっても、仕込みの最中となれば戦場と化すのはアンチョビが一番よく知っているので、ラブの提案は彼女からすれば迷惑以外の何ものでもなかった。
「え?いいんですかそれで……?」
「はい、全く問題御座いません千代美お嬢様…恋お嬢様がまだ幼い頃、城に使用人以外いない時はよく私達と一緒に昼食やおやつをこの厨房で召し上がっていらっしゃいましたので……」
しかし雪緒は毛程も迷惑そうな素振りを見せず、却って懐かしそうに微笑みながらラブが幼かった頃の思い出を語り始めた。
「や~懐かしい話ねぇ…でもあの頃からみんな忙しかったし、トータルで見れば家族より雪緒ママ達と過ごした時間の方が長かったんじゃないかしら……?」
「あ~それで思い出したぞ…夏場遊びに来た時は、風通しのいい勝手口の傍でそうめん食べたりしたよな……けどウチの実家でも結構似たような事はやってたな、何しろ人の出入りも多かったしお父様もお母様も忙しかったからなぁ……」
「……」
どんな家にもそれぞれ家庭の事情というものはあるだろうとアンチョビも解ってはいたが、それでもラブとまほが育った環境を考えると、幼い子供にとってそれは少々寂しいものであったのではと考えずにはいられないのだった。
個人的にまほは絶対ロングヘアも似合うと思ってます♪
彼女がこの先どの程度髪を伸ばすかも、お楽しみの一つになるかな~?