最初は名も無い一刑事のはずだった敷島刑事。
更に作者の想像を超えた存在になりました。
「まずいわね…」
病院の敷地に近付くと敷島さんがそう呟いた。
「あの、何がまずいんですか?」
そう問い掛けると敷島さんが少し難しそうな顔をして答える。
「マスコミよ、もう嗅ぎ付けて集まり始めてるわ、事件担当で何人か知ってる顔が居るわ」
「え?マスコミ…ですか?」
「ええ、現場の演習場にかなりの数の消防の車両が入ったし、当然今も封鎖中ですからね」
頤に拳にした右手の人差し指を当て考え込む敷島刑事。
「遅かれ早かれマスコミが来るのは分かっていたけれど…いいわ、伊藤君、車を裏手の職員通用口に回してちょうだい」
敷島刑事は千代美の方に向き直り言う。
「マスコミもあなたの存在に気が付けば、取材に殺到するのは目に見えているから、何としてもそれは避けなければならないわ」
「…すみません」
図らずも蝶野が危惧していた事が現実味をおびて来ている事を実感させられる。
そうこうするうちに車は裏門から病院敷地内に滑り込み職員通用口に辿り着く。
「ちょっと待っててね、ここから入れるよう手配してくるから」
そう言うと敷島刑事は入り口にある守衛室に向かう。
「いいわ、許可は貰ったから行きましょう、伊藤君はひと足先に署の方に戻っててくれる?」
「伊藤刑事ありがとうございました」
千代美は礼を述べ足早に通用口から病院内に隠れる様に滑り込んだ。
病院特有の臭いを嗅ぐと否が応でも緊張感が高まってしまう。
手術室近くのベンチに腰掛けるとそれを吹き払うが如くひとつ小さく溜め息を吐く。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
敷島刑事がミネラルウォーターのペットボトルを差し出して来る。
今になって気が付いてみれば口の中がカラカラだ。
「厳島さんの手術はまだ続いてるそうです、そして後どれ位掛かるかも、まだ全く見通しが立たない状態だそうよ」
「そうですか……」
また目頭に熱いものが込み上げて来る。
「ラブ…」
左隣に座った敷島刑事が千代美の小さな肩をそっと優しく抱き寄せ言う。
「本当に大事なお友達なのね」
「…!う、うあぁぁぁーっ!!!」
遂に堪え切れなくなり泣き声を上げる千代美。
その大きな瞳から流れ出る大粒の涙の雫が大きな丸眼鏡のレンズを濡らす。
「ごめんなさい、余計な事を言ってしまったわね」
「いえ…すみませんでした…」
少し落ち着いたのを見計らって声を掛ける敷島刑事。
千代美も時々しゃくり上げつつも答える。
「それでね、安斎さん、本来なら署の方で話を聴くべきなんだけど、まだあなたもここを離れたくないでしょうからここで少し事故発生時の状況を教えて貰えないかしら?」
「ええと…」
千代美は覚えている限りの事を、時々考え込みつつも敷島刑事に伝えた。
「そう、解りました…ただね、暴発の瞬間というかその直前の事をもう一度確認したいの」
手早く手帳に書き込む手を止めそう問うて来る敷島刑事。
「安斎さんは会話の後ろで装填音を聴いているのね?」
「はい、音だけでの判断ですが、おそらく榴弾を押し込み閉鎖機が閉まるか閉まらないかのタイミングで暴発したのではないかと私は考えます…」
「それでか…いえね、爆発の規模に比べて砲塔内の被害はあまり大きくないの、もっとも閉鎖機は吹き飛んでいたんだけど…」
ひとつ息をつき敷島刑事は話を続ける。
「私は今日たまたま当直明けで自宅で休んでいて、うちの署に戦車に詳しい者が私しか居ないものだから直接現場に向かったのよ。そして簡単にだけど砲塔内部を確認して現段階での検証の中止を決定したの。何故ならまだ十数発の砲弾が残ってるの、あれが誘爆を起こさなかったのが不思議な位だわ」
そこまで話すと自分もミネラルウォーターで喉を潤し更に話を続ける。
「残念ながら警察の力では残ってる砲弾の処理は出来ないの、それで陸自に連絡して今は処理班待ちという状況よ。おそらく作業は明日になってからになると思うの、だから今夜一晩は現場周辺に非常線を張って現状維持というのが精いっぱい」
敷島刑事の表情には少し忸怩たる思いが滲み出ている。
「それにしてもあの状況下で救助作業に従事したハイパーレスキューの隊員には頭が下がるわ、それに引き替えうちの署の男どもと来たら、私が現状確認した時まだ砲弾が残ってる事を伝えたら腰が引けて遠巻きに見てるだけなんだもの。これが知波単なら鉄拳制裁モノよ」
それはさすがにと思ったが千代美もそこは敢えて口には出さない。
「そうなんですか、それではラブのパンターは演習場にそのまま…」
「ええ、マスコミのヘリの事もあるから一応ブルーシートで覆ってはいるけれど」
「…あのパンターは、ラブのパンターはお母さんの形見なんです……」
「え?どういう事?」
「厳島流ってご存知ですか?物凄く人数の少ない流派でラブはその家元の家系でも直系なんだそうです。尤も殆ど身内だけで受け継いで来た様な流派と言ってましたけど、その厳島流で代々受け継いで来た物だそうです。それでラブの両親は彼女が幼い時に亡くなっていてラブはよくママのパンターって呼んでいたんです」
「いえ、そういう事ではなくて彼女のお母様とはあなたに電話する少し前に連絡がついているわよ。何でも今は仕事でアメリカに居るそうで直ぐに社用機で日本に戻ると仰ってらしたわ」
「それはいったい……?」
ちょっと訳が解らない……。
「まあこれに関してはお戻りになられれば解る事でしょう。それより安斎さん、あなた今夜の宿のあてはあるのかしら?こちらに来た経緯を考えるとそうとは思えないんだけど」
「それは…今夜は病院に詰めて長くなるなら改めて考えようかと……」
「やっぱり…」
敷島刑事は溜め息をひとつ吐くと呆れた顔をしつつこう続けた。
「いくらなんでも中学生の女の子一人にそんな事させられないわ。決めた、安斎さん、あなた今夜は私の部屋にいらっしゃい、独り者の部屋でたかが知れてるけれどあなた一人位なら何とでもなるわ」
「いや!そこまでご迷惑を掛ける訳には!」
「知波単の元隊長、戦車道の先輩として言わせてもらうわ。駄目」
「そんなぁ…」
「気持ちは解るけど駄目よ。手術もいつ終わるとも解らないし、第一そんな疲れた顔をしていてあなたまで倒れたらどうするの?私は一度署の方に戻らなければいけないし、警備が居るとはいえいつマスコミの連中が院内に潜り込むか解らない。そんな場所にあなた一人を置いておく訳にはいかないわ。もうこれは命令よ、私の部屋に泊まりなさい、病院の方には何かあった場合時間に関係無く私の方にまず連絡を貰えるよう手配しておくから」
「はい…解りました…それではお言葉に甘えさせて頂きます」
「ヨシ!」
敷島刑事は笑顔になってそう言うと夜間救急受付窓口に向かって行った。
「お待たせ、ついでに署にも連絡しておいたから迎えも直ぐ来るわ」
「それではそれまでに私も家の方に連絡して来ます」
「あぁ、それは大丈夫、私の方から署に掛けるついでにしておいたから」
「え?家の番号解るのですか?」
「少し説明が足りなかったわね、あなた自宅から通報したでしょう?だから最初お家に電話して出られたお母様にあなたの携帯番号頂いたのよ。尤もこちらに向かってるのまでは聞いてなかったから私も驚いたけどね」
「何から何まですみません」
「そんな気にしなくていいわ、さあ、もう迎えも着くから通用口に行きましょう」
そして警察署に戻った敷島刑事は簡単な報告を済ませると私を連れ駐車場へ向かった。
「さあ、乗って頂戴」
「コレって…」
敷島刑事が示した車は赤のフィアットのチンクエチェント。
こう言っては失礼だけどちょっと刑事さんが乗る車には思えない。
「ふふっ、横須賀って狭い街でしょ?小回りの利く車の方が便利なのよ、って言うのは言い訳でこれはまあ私の趣味なのよね」
正直これは意外だったけどよく見れば颯爽とした敷島刑事に良く似合った車だった。
「さて、これで帰る訳だけどその前に何か簡単に食べられる食料を調達した方がいいか」
そう言うと赤いチンクエチェントは市街地に向け走り出す。
途中車内では着替え等あるか聞かれたが簡単な物は持って来たと言うと、それはそれでまたやる事がどうにも少しチグハグだと呆れられた。
そして途中のお弁当屋さんでお弁当を買った後、車は敷島刑事のマンションに辿り着く。
「さあ、狭いトコだけど遠慮しないで入って頂戴」
「はい、お邪魔致します」
「そんな堅苦しい挨拶はしなくていいわよ」
敷島刑事の部屋は手入れの行き届いた落ち着いた雰囲気の大人の女性の部屋だった。
本棚はきちんと収納され小説も随分と並んでいる。
「あら?何か気になる本でもあるのかしら?」
「い、いえ、その、私趣味で小説を書いているのでつい…」
「へえ!凄いわね!一度読んでみたいわ」
「そんな!恥ずかしいです!」
「それでどんな小説を書いているの?」
「そ、そのぅ…れ、恋愛小説とか…」
「まあ!可愛いわね~♪」
恥ずかしくて顔が赤くなっているのが自分でも分かる。
「さあ、取り敢えずお話しはこれ位にしてまずは腹ごしらえをしましょ」
食べている間は敢えて特に話もせず食べる事に専念した。
今日は色々あり過ぎて食べ切れないかとも思ったけど、やはり体が消耗していたのか買って来た親子丼はしっかり完食してしまった。
「うん、ちょっと心配だったけど食べられたようで良かったわ」
「はい…」
「人間食べられれば何とかなるわ、さあ仕度してあげるからお風呂に入りなさい、疲れているだろうから面倒かもしれないけど湯船に浸かって少しでも疲れを取るの。そして明日に備えて休みましょう、明日は私は非番だしちょっと署に顔を出すけど、さっき署で聞いた話だと陸自も明日はまだ準備段階で残りの砲弾の取り出しも出来ないらしいわ。だから明日は概ねあなたに合わせて動いてあげられるから」
「そこまでして頂いて本当に……」
「ほら、もう泣かない、さあお風呂お風呂!」
その後交代で入浴し用意して頂いたお布団に潜り込むと部屋の灯りが消される。
「千代美さん」
「はい?」
「あなたは本当によく頑張ったわ、あなたのその頑張りを私達も決して無駄にしないよう捜査にあたります。これは警察官としての私の偽らざる気持ちです」
敷島刑事から蝶野教官と同様の労いの言葉を掛けられる。
「ハイ…ハイ……」
千代美の頬をまたひと筋の涙が伝い落ちる。
そしてこの悪夢の一日がようやく終焉を迎えた。
ついに厳島流の名が登場致しました。