今回はね、チョビ子にとりあえずパスタを茹でさせたかったんです♪
あと改めて実感したのはダー様のネタの女王っぷりでしょうか?
「え……?」
「えぇ……?」
「は……?」
「はいぃ……?」
カルパッチョの口から飛び出た疑問に暫く間の抜けたオウム返しの応酬が続く。
「え…何でってそれはアンチョビ隊長がラブ姉の初恋の人だからであって──」
「ちょっと待って!」
一番最初に我に返った鈴鹿が補足するように説明を始めたが、それを遮るように声を上げたカルパッチョの右手は実際鈴鹿を制するように上げているが、反対の左手で口元を覆いその表情は驚愕に目を見開き何かを必死に思い出そうとしているように見えた。
その様子に真っ白になって使い物にならない夏妃を脇に除けた鈴鹿が話を続けようとしているが、彼女の表情もまた『まさか』といったものになっている。
意外に思われるかもしれないが、中学時代のラブは特定の誰が好きという感情や素振りを一切人に悟らせる事なくここまで来ていたのであった。
まず肝心のアンチョビに対しては実質一目惚れであったらしい事は後に判明するが、その頃には先に出会っていた『まほチョビ』が無意識のうちに互いに意識し合っているのをラブは即座に見抜き、云わば独り誰に知られる事もなく身を引いていたというのが真相なようだ。
だが肝心の二人が戦車道馬鹿で驚異の朴念仁まほと、恋愛小説好きが高じ自身も小説を書くようになって知識ばかり先行していた耳年増チョビ子であった為、当時のラブが出したさり気ない助け船は全て不発に終わり、その度にラブは夜になると脱力しベットに突っ伏すのが常であったらしい。
ただ、その飛び抜けた美貌故当時のラブに関しては色々と噂もあったのも事実であり、血縁のあるまほとみほを除き付き合いの深かった者達との仲が取沙汰される事も多かった。
特にダージリンとの間柄に関してはかなりエグイ噂話も多く、当事者であるダージリンもその性格上おふざけが過ぎる傾向が強いので、話に付く尾ひれも大きかったのだが当の二人がそれを面白がっていたので近しい者達は完全にネタとしてそれを見ていた。
そしてこれはラブにとって最大の不幸であるのだが、やはり厳島のお嬢様である事は周知である為に日常付き合う上でも何処か無意識に一線を引き高嶺の花として接しており、本人もまたそれが幼少期から常であったので周囲もラブのそういった感情に気付き難くなっていた。
「御存じ…なかったんですね……」
「え…ええ……」
呆然と尋ねる鈴鹿に呆然と答えるカルパッチョ。
状況が自分のキャパシティを越えたらしい夏妃は呆けたような顔をしており、その隣で凜々子は頭を抱えたままテーブルに突っ伏している。
「ドゥーチェがラブ先輩の初恋の相手……」
言葉にする事で何とも言えない気恥ずかしさを覚えたらしく、カルパッチョの顔が温度計の温度が上がるように真っ赤になって行く。
「初恋……」
その甘酸っぱい言葉の響きが年頃の少女にはやはり特有の刺激があるらしく、復唱するように言った日頃はクールビューティーで鳴らす鈴鹿の顔もまたカルパッチョ同様に赤くなって行く。
見れば他の者達も同じく真っ赤になっており、突っ伏している凜々子の耳まで赤くなっている処を見るとその表情は見えぬが他の者と同じであろう。
「ご…ごめんね……ちょっと頭の回転が直ぐには追い付かないわ……」
「で…ですよね……」
鈴鹿らしからぬ歯切れの悪さにAP-Girlsのメンバー達も驚いてはいるが、それ以上に『ラブの初恋』というキーワードは途轍もない破壊力を有しており、口にしたら最後頭が沸騰して何も考えられなくなることは目の前のカルパッチョと鈴鹿が立証済みだ。
誰からも好かれ憧れられるラブとそんな関係になる、彼女を知る者が一度は夢見る事ではあるが、それはもう憧れの芸能人などの恋人になるとかそんな妄想と同じレベルの発想であると皆思い込んでいる部分があり、その彼女が誰かを好きになるという考えは見事に欠落しているのであった。
戦車道という狭いコミュニュケーションの中で、アンチョビとラブの関係も噂になった事は何度となくあったがそれは他の者達も同様であったので、当時のカルパッチョも憧れのラブ先輩の定番のネタと捉えアレコレ妄想しつつもそう認識していた。
他校の後輩でありながら戦車道に行き詰った時には熱心に相談相手になってくれ、その際に自分もそういうネタの対象として噂された時には、逆にドキドキ感とかはなく遂に自分もと笑ってしまった程であったので、今もカルパッチョが若干現実味が欠ける気もしていたのは無理もない。
「ええと…そのね、ラブ先輩がドゥーチェにそういう気持ちを抱いていたのは間違いないのね?」
「はい…それはもう確実に……」
果たしてこれを話していいものかと鈴鹿も少し迷ったが、観閲式の後笠女学園艦にアンチョビ達が滞在した際、まほチョビが大失態を演じた影で起きた非常階段での顛末を語って聞かせるとカルパッチョもいよいよ納得したようであるがその表情はとても複雑そうであった。
「う~ん…どうやら間違いないようだけど、う~ん……問題は果たしてそれをドゥーチェに伝えるべきかどうかなのよね…って言うより絶対伝えない方がいいわ、もし事実を知ったら最後テンパっちゃって絶対に収拾が付かなくなるに決まってるもの……」
カルパッチョの的確且つ容赦のない分析に全員固まっているが、彼女が言うのであれば間違いない気がしてその判断に従う事にした。
「でもそうなるとあの二人の事どうしてやるのが一番いいでしょうね…実際ラブ姉をいつまでもあのままにしておく訳にも行かないですし……」
考え込んでしまう鈴鹿であったが、これには直ぐにカルパッチョが救済策を示してくれた。
「あ、その辺は私が上手くぼかしてドゥーチェに話しておくわ。意外とアイディアは悪くないと思うのよね、やきもち云々はともかくちょっとした刺激にはなると思うのよ」
何だかんだで最近はたかちゃんといい関係が続いているからか言う事には何処か信憑性があり、その笑顔に全員この人なら任せて大丈夫と全幅の信頼を寄せるのであった。
「宜しくお願い致します…ってねえ夏妃!アンタが言いだしっぺのクセに結局私が仕切っちゃったじゃない!これホント言い出したのは私じゃなくてアンタなんだから何かあっても責任は夏妃、アンタが取りなさいよね?解った!?」
「うぅ…面目ねぇ……」
かくして笠女対アンツィオの交流一日目は、双方衝撃の事実に戸惑い波乱含みの幕開けとなった。
「あ~やっと来た~!」
アンチョビに艦内を案内された後、両校の交流イベントが行われるP40のお披露目とドゥーチェコールでお馴染みのコロッセオに先に到着していたラブは、カルパッチョに引率され現れたAP-Girlsをブンブンと大きく手を振り手招きしている。
「やっと来たじゃ…愛のヤツいつのまに……」
能天気に手を振るラブの傍には、いつの間にか姿を晦ませていた愛が当たり前のように影の如く佇んでおり、口を尖らせ文句を言いかけていた夏妃の声がそれに気付き瞬間的にイラっとした声に変わったのが皆にも解った。
「まあまあ、ここはお姉さん達に任せてくれる?」
「う…はい……」
日頃血の気の多いアンツィオの隊員達の相手をしているカルパッチョは、夏妃のようなタイプをあしらうのが実に巧くそう言う意味でも今回の一件は適任といえるだろう。
『で?どうだ、何か解ったか?』
『まあ大筋は大体……』
カルパッチョが戻るなりスッと近寄るとアンチョビは小声で様子を聞いて来た。
だがカルパッチョもまだ方針を決め兼ねているのと、ラブの直ぐ傍に愛がいるのでアンチョビに目配せだけでその話は後でといった風に伝えると、アンチョビもそれに無言で頷いた。
そして始まった交流イベントではメンバー間に微妙な不協和音を生じさせつつもそこはプロ、いざステージに立てばそんな事など微塵も感じさせず挨拶代わりに数曲を完璧に歌い上げその後のアンツィオ主催のランチパーティーに華を添えた。
「フム…成る程なぁ……」
パーティー終了後は両校の学園艦が生徒と関係者のみに解放され、現在は互いに忙しく生徒達が互いの艦を行き来し関係が良好な両校なのでかなり賑やかに盛り上がっている。
そんな中カルパッチョからの状況報告を受ける為一度隊長執務室に戻ったアンチョビは、ラブのアンチョビに対する想いは伏せた上で今のラブと愛の微妙な状況を聞かされ難しい顔をしていた。
「愛さんもラブ先輩の事が本当に好きなはずなのに、自分ではラブ先輩に釣り合わないって思い込んじゃってるみたいですね。例えラブ先輩からとても大事にされている事が解っていても……」
「お相手があの厳島のお姫さまじゃ解らんでもないがなぁ…しかしそれで思い付いたのがやきもち作戦というのが随分と古典的というかなんというか。それはまあいいとしてだな、その相手役が何で私なんだ?AP-Girlsのメンバー同士でやった方がよかないか?鈴鹿とか瑠伽や言いだしっぺの夏妃とかだったらラブのヤツだって完全にヒャッホゥだろうに?」
隊長のデスクの向こう、年季の入った革張りの椅子の上で、胡坐で腕組みしたアンチョビは首を捻りながらカルパッチョから聞かされた作戦に対し疑問を呈した。
このアンチョビの発言からも解るようにやはりラブの想いには全く気付いておらず、まほならいざ知らず人の感情の動きに滅法鋭いアンチョビや、こういう場面で妖怪じみた嗅覚を発揮するダージリンなどの目を欺ききったのを果たして見事と言っていいものかどうか。
ラブが徹底的に自分の恋愛感情を隠していたから仕方がないとはいえ、いくら何でも当時周りにいた者達は鈍過ぎやしないかとカルパッチョは思い、ラブが不憫に思えてならなかった。
「いえ、そこは同じAP-Girlsのメンバー同士だと、後々禍根を残してグループの活動に支障をきたす可能性もあるので避けた方が良いと結論を出したんです」
「そうかぁ、それにしてもなぁ……とりあえずパスタを茹でてから考えていいか?」
「ドゥーチェ!」
「いや冗談だ……ただなぁ、もしこれがダージリンなんかに知れたら、抜け駆けだのなんだの言われて何されるか解ったもんじゃなくて怖いんだが……なあ?せめて西住だけでも知らせちゃまずいか?アイツに事情を知らせておかないと、もし知れた場合間違いなく今にも死にそうな顔になるからいやなんだよなぁ……」
「う~ん…まほさん知ってても知らなくても反応同じな気がするの私だけですかぁ?」
「う゛…否定出来ない……」
カルパッチョの指摘が真理を突いており、今はアンチョビが死にそうな顔をしている。
「う゛~、話は解るんだが…なあカルパッチョ、いっそオマエが代わりにどうだぁ?」
「ダメです」
「そんな即座に否定するなよ~」
「私とラブ先輩じゃ欠片もリアリティーがありませんよ。付き合いが長くて仲が良くて、何より一番大事なポイントなのがドゥーチェはラブ先輩の命の恩人である事、これに勝るリアリティはありません。この役目、ドゥーチェ以外に勤まる者はおりません」
「ほ、ホントにそうかぁ?なんか騙されてるような気がするんだがなぁ……?」
まほを気にしてか躊躇するアンチョビに対し、ここが勝負所とみたカルパッチョが一気に畳み掛けるべく攻勢に出た。
「もしこの役目を他の方に振ったらどうなります?例えばあのダージリン
アンチョビの脳内に煩悩の重戦車ダージリンが暴走してラブを蹂躙するさまがリアルに思い浮かび、表情がフリーズしたアンチョビは首を左右にブンブンと振ってそのイメージを強制的に頭から追い出すと、声を大にしてそれを否定する。
「ダメだダメだダメだ!アイツだけは絶対にダメだぁ!解った…そういう事なら仕方がない、私がひと肌脱ごう!作戦の詳細を説明しろ!」
アンチョビの下その薫陶を十二分に受けて来たカルパッチョは、今や優秀な策士として成長を遂げており、来年のアンツィオも侮れない存在である事を感じさせた。
「今回の対戦で交戦エリアとして使用するのはこの三保半島全域という事になっている、まあお互い使用車両が大してデカくないからそれで充分だと思うのだがな」
「みほ!みほ全体が交戦エリアなのね♡」
「アホウ!そっちのみほじゃない!三保だ三保!絶対言うと思ったよ!」
「ちょ、ちょっと言ってみたかっただけよぅ……」
ラブは今アンチョビの操るアンツィオ所有の
カルパッチョの立案した作戦の下に、翌日の試合会場となる三保半島へ下見と称してラブをカルロ・ヴェローチェに乗せ連れ出したアンチョビは、カルパッチョに引率され尾行するAP-Girlsの視線を意識しつつ、実際試合でポイントとなりそうな場所をラブに見せて回っていた。
尚、誰が何を言っても頑なに拒んでいた愛であったが、どんな手品を使ったのかカルパッチョが何かを言うと顔には不承不承と書いてはあるが、割と素直に指示に従いフィアット508CMの助手席に収まっていて、これにはAP-Girlsの他のメンバー達は大いに驚いていた。
「全くオマエというやつは…とにかくだ、何ヵ所か発砲禁止の区画もあるがそれ以外は好きに使えるよう許可は取りつけてある」
「それで発砲禁止エリアって?」
「まず三保の松原だ…まあこっちは日本三大松原って事で国の名勝に指定されてたりするから仕方ないな。それと海洋科学博物館周辺も禁止になっているな……こちらは大学の研究施設だし結構歴史のある水族館でもあるから迂闊に壊せんわなぁ」
「大学の水族館?」
「ああそうだ」
三保半島の突端にあるこの博物館はとある大学の研究施設であると同時に、一般市民に対する海洋科学の知識を知らしめる目的で解放されており、世界で初めてカクレクマノミの繁殖に成功するなど様々な実績も誇っている施設であった。
「ホラあれだ、見えて来たぞ」
カルロ・ベローチェを操りつつ、アンチョビが顎で示した先に見えて来た何処か懐かしい佇まいのその施設は、こじんまりとした落ち着いた雰囲気でそこに存在していた。
「え?…私…ここ知ってる……」
「ん?なんだって?」
呟くように言ったラブの言葉は、エンジン音のせいでアンチョビにはよく聞こえなかった。
「…めて…止めて!」
「うわ!何だいきなり!?」
「千代美お願いよ!止めて!今すぐ!」
ラブのただならぬ雰囲気にアンチョビはタンケッテを急停車させる。
既に水族館の入り口は目の前にありハッチに箱乗りしていたラブは、タンケッテから飛び降りるとフラフラと覚束ない足取りでそちらに向かって歩いて行く。
「オイ!ラブ!何処に行く気だ!?」
同じくタンケッテを飛び下りたアンチョビが小走りで後を追うと、ラブは何やらうわ言のようにブツブツと呟きながら歩き続けている。
「…パパ…ママ……」
「ラブ!どうしたんだオイ!?しっかりしろ!」
追い付いたアンチョビがラブの手を取ると、その手を軽く引いただけでユラリとラブは簡単に振り向いたが、その顔は幽霊でも見たような表情をしておりよく見れば瞳いっぱいに涙を溜めている。
「…ってオイ!オマエ……」
見上げたその表情と潤む瞳にアンチョビが言葉を失い戸惑っていると、遂に頬を涙がひと筋伝い落ちラブはその場に膝を突き両の手で顔を覆うと声を殺して泣き始めた。
指の間からは涙の雫が零れ落ち、その姿に一時的にアンチョビの思考も停止してしまう。
それはアンツィオに出して貰った車に分乗し尾行していた者達も同様で、距離がある為声も聴こえず状況も読めないのでただその様子を見ているしか出来る事はない。
『泣き出したぁ……!?』
『何?何事よ!?』
『まさかコクって玉砕!?』
『……』
聞こえるとまずいので小声ながらも、物陰で様子を窺っていたAP-Girlsのメンバー達は口々に好き勝手な事を言いだして、カルパッチョは困ったように笑いながら隣の愛に視線を向けると、愛は俯いたまま顔も上げずその手は膝の上で力強く握りしめられている。
『これはちょっと劇薬かなぁ……?ドゥーチェ、一体何がどうなっているんですか?』
カルパッチョは声には出さず心の中だけで呟いた。
「ラブ…ラブ!おいラブ!」
「…千代美……?」
ラブの前に自身も膝を突き、ラブを正気に戻そうと揺さぶるアンチョビにやっと気付いたようだ。
「正気に戻ったか──」
「私…ここに来た事があるわ……」
「えぇ?」
「子供の頃…パパとママ……
「一体何の話を?子供の頃って…それは何時頃の話だ?パパとママ…樹パパと麻梨亜ママ……あ!」
ラブの両親が事故で亡くなった事は以前何度か聞かされており、突然出たその名にアンチョビがハッとしてラブの顔を覗き込むと、信じられないといった表情で呆然としている。
「小学生の頃……そう…ここに来た一週間後にパパとママは事故に遭った……」
「……!」
突然呼び覚まされた記憶に戸惑うラブ、今は一種の記憶の混乱状態にあるようだ。
アンチョビもラブの口から零れ落ちた言葉に、88㎜の直撃でも喰らったような衝撃を受け言葉を失いラブを支える姿勢で硬直している。
「私…何でこんなに大事な事を忘れていたの……?」
両親との日常以外での最後の楽しい記憶、それが切り取られたように頭から抜け落ちていた事に衝撃を受けたラブはその身を震わせ真っ青になっていた。
その様子にアンチョビも堪らずラブを抱き締め落ち着かせようと必死に声を掛ける。
「大丈夫だ、辛い事があったんだから忘れていたとしても無理はないさ」
抱き締めたラブの背中を何度も軽く叩きながら、幼子をあやすように優しく接している。
それからは少しの間その状態が続き、アンチョビも放っておけば頽れそうなラブを支えながら辛抱強く待つ事暫し、漸く落ち着いたらしいラブがしゃくり上げながらも口を開いた。
「ごめんなさい…千代美…もう…大丈夫だから……」
「……立てるか?」
「うん…大丈夫……」
そうは答えたがよろめくラブの手をアンチョビがそっと支えてやり、どうにか立ち上がったがまだその瞳からは涙の粒が零れ落ち続けていた。
「ほら、しっかりと私の手に掴まるんだ」
「ありがとう千代美……」
身長156㎝のアンチョビが180㎝台半ば以上あるラブを支えてやるのは些か骨のいる事であったが、アンチョビは何一つ文句を言わずにラブを支え続けた。
「…確か何かのテレビ番組だったと思うわ……ここの水族館でクマノミの繁殖の特集をやっていて、大きな水槽の中を小っちゃくて可愛いクマノミの赤ちゃんがいっぱい泳いでいるのを見たの…それで私が自分の目で直接見たいって言ったのよ、そしたらね……次の週末に樹パパの車で連れて来てくれたの…樹パパも麻梨亜ママも忙しかったはずなのに……クマノミの赤ちゃんはとっても可愛くて…その日の夜は温泉に入って三人並んで眠ったの……そしてその一週間後だったわ……」
「もういい!もういいんだ!無理して思い出さなくていい!」
「こんなに…こんなに大事な事を何故私は今まで忘れていたの……?」
「幼かったお前には無理もない事だったんだよ、仕方のない事なんだよ……」
「…ありがとう千代美、ここに連れて来てくれたお蔭でとても大事な事を思い出す事が出来たわ」
「……ラブ」
アンチョビに支えられたまま水族館を見つめるラブの目は、懐かしいものを見つめる目だ。
「……中に入ってみるか?」
「え?でも……」
「それ位の時間はあるさ、尤も閉館時間も近いからそう長いは出来ないだろうがな」
そう言うとアンチョビはラブの手を引きチケット売り場に向かう。
しかしそのチケット売り場で明日の試合の為に封鎖線を張る作業があるので、今日はいつもより閉館時間が早くなっていて、既にチケット販売も終了しているとの事だった。
「う~ん、こんな事ならもっと早く来るべきだったぁ!」
「いいわ千代美、思い出せただけでも充分なんだから」
「いや、しかしなぁ……」
無念そうなアンチョビを今度はラブが慰めていると、内線電話で何処かと話していた売り場の職員がにこやかに声を掛けて来た。
「アンチョビ隊長、上の者が1階の展示だけで良ければどうぞとの事です」
「へ?」
思わず間の抜けた返答をしてしまったアンチョビに対しニッコリと笑う職員は、ラブにチラリと視線を向けた後付け加えるように言うのだった。
「アンツィオのドゥーチェ・アンチョビと、AP-Girlsの厳島恋さんが来ていると伝えたらそれは是非にとの事でしたよ。あまり時間がなくて申し訳ないですがどうぞご覧になって行って下さい」
慌てて礼を言ったアンチョビが財布を取り出し料金を払おうとすると、短時間で1階のみでは料金は取れないと職員が言い、これは上の指示でもあるとも言っていた。
改めて二人揃って礼を述べると、手を繋いで水族館の建屋へと入って行った。
「水族館に入っちゃったわね……」
「ガチでデートじゃん」
「さっき泣いてたのに何で……?」
「自然に手を繋いでたわね」
「さすがアンツィオのドゥーチェ・アンチョビ!完璧なエスコートだわ♪」
「あなた達……」
もうカルパッチョにはAP-Girlsのメンバー達が完全に楽しんでいるようにしか見えず、下がり眉毛の困り顔で見ているがそれを気にした様子はない。
隣の愛も先程と変わらず俯いたまま顔を上げる事はなかった。
「居たわ…うふふ♪なんて愛らしいのかしら……」
閉館間際、特別に入れてもらった館内には既に他の見学者の姿はなく、水族館特有の薄暗さと循環する水音の中を、あまり長居も出来ないので二人は少し足早に順路を巡り、お目当てのクマノミの展示スペースに辿り着いていた。
「本当だ、可愛いもんだなぁ……」
当時とはレイアウトなども変わっているはずであるが、全体の雰囲気は変わらないのかラブは懐かしげな表情で目の前の水槽の中、くるくると泳ぎ回る無数のクマノミ達を見ている。
「千代美はここに来た事がなかったの?」
「あぁ、恥ずかしながら忙しさに感けて一度も来た事がなかったんだ…母港としてお世話になっていたのに申し訳ない限りだなぁ……」
「千代美が仲間内で一番忙しかったのは間違いないもの、仕方ないわ……」
ラブが少し寂しげな表情をするので、アンチョビも解っているさと云った風に軽く微笑んで見せ、それでラブの表情も少し和らいだのであった。
「ほら千代美、クマノミの赤ちゃんはこんなに可愛いのよ♡」
「うひゃあ♪こんなに小っちゃいのかぁ!」
さすがのアンチョビも目をキラキラさせて水槽を覗き込んでいる。
「ここが世界で初めてカクレクマノミの繁殖に成功した水族館なのよ」
「え?そうだったのか!?なんか色々知らな過ぎて増々恥ずかしくなって来たなぁ……ちょっと卒業までに時間が出来たらお世話になった清水の街も回らなきゃいかんな~」
「それだけアンツィオの為に頑張ってたって証拠よ……あの時テレビでそれを見て行きたいって大騒ぎしたのよ…そうしたら直ぐに連れて来てくれたのよ……本当に嬉しかったわ」
「そうか……」
「そしてそれが最後の思い出…そんな大事な思い出を私は忘れていた……千代美、本当に感謝しているわ…思い出させてくれてありがとう」
目は水槽の中を忙しなく泳ぎ回るクマノミの赤ちゃんを追いながらも、アンチョビへの感謝の気持ちをラブは言葉で表し、繋いだ手にも僅かにだが力がこもる。
アンチョビは敢えて何も言わず、ラブ同様に僅かに手に力をこめそれを意思表示とした。
それから暫くの間二人は無言でクマノミの赤ちゃんが泳ぎ回る姿を並んで見ていたが、やがてどちらが言い出すでもなく水槽の前を離れ職員に礼を述べ海洋科学博物館を後にした。
そしてそれぞれ胸中に様々な想いを抱きながら学園艦に帰艦すると、夕食は再びアンツィオ主催で晩餐会が催され、本格的なイタリアンのコース料理が振る舞われた。
清水で水揚げされた新鮮な海産物をふんだんに使い、前菜であるアンティパストに始まり食後のエスプレッソに至るまで飽きさせる事なく充実した時間を過し、皆大いに満足した様子だった。
明日に備え晩餐会終了後は早々に解散したがアンチョビだけは寮に戻る事なく、今は独り隊長執務室のデスクの前で腕を組み苦悶の表情を浮かべていた。
「伝えるべきか…いや伝えなければいかんのだろうが……ふむ、どうしたものか……」
悩むアンチョビのデスクの上には携帯が所在なげに置かれている。
今日の出来事をまほに伝えるべきかどうか、そしてまほだけに止まらず他の仲間達にも伝えた方が良いのではないかと頭を悩ませていた。
これが当初のラブの色恋沙汰だけなら問題もないかもしれないが、水族館での一件はそれとは大きくかけ離れた問題であり、これを伝えないのは後々再び禍根を残すのではと危惧しているのだ。
それは3年前の苦い経験がアンチョビにその思いを一層強くさせていた。
3年前のあの日、事情が事情故に仕方がなかったとはいえ、起こった出来事でまほは今もアンチョビに対して一種の引け目のようなものを感じ続けているのは事実であった。
もう二度とそのような事態に陥るのはアンチョビとしても避けたかったが、今このタイミングで話すのは得策ではない気がしていた。
何故なら周囲の者が知る以上に繊細なまほが、今この事実を知ればラブとの対戦に影響が出るのは必至でありやはりそれだけはアンチョビとしても避けたかったのだ。
「やはり話すのは黒森峰戦の後の方が良さそうだなぁ…だがあの人にだけは知らせないと……」
アンチョビはデスクも上の携帯を手にすると、アドレスからお目当ての番号を呼び出し躊躇する事なく発信ボタンを押し、隊長執務室には意外な程大きな音で呼び出し音が鳴り響いている。
三保の松原を抜けた風が清水の港を駆け抜ける、長い夜はまだ始まったばかりだ。
「アレ…?なんか凄く大事な事を忘れてるような……」
結構ひなちゃんはドゥーチェを巧い事操ってますね~♪
しかし我ながらなんでこう闇を発生させるんだろう……。
う~んチョビ子は一体何を忘れてるのか?