「奥様、大分冷えてまいりました。お嬢様達に何か温かい物を用意した方が宜しいかと」
「そうですね…菊代、頼めますか?」
「はい、早速手配してまいります」
清水港に面したマリンパークに築かれた特設観戦スタンド上にあって、現役高校戦車道選手達に混じりアンツィオ高校対三笠女子各園の試合を観戦していた西住流家元西住しほは、同行していた西住家女中頭である菊代の進言に点頭すると、菊代は軽い身のこなしでスタンドを降りて行った。
「どうしたのですかお母様難しい顔をして?」
「そう見えますか?」
「ええ、まあ……」
菊代とのやり取りが耳に入りふと母の顔に目を向けたまほは、怒った時などとは違うもののやや険しい表情をしており、その表情がどちらかと云えば何かを危惧する時のものである事に気付き声を掛けてはみたが、しほは隠しもしないが答える気もないった雰囲気を醸し出しておりまほとしてもそれ以上の事を聞く事が出来なかった。
そのしほの視線の先、試合の様子を映す大型のモニターの映像も、夕暮れ時となり物陰などは暗く見辛い場所も出始めていた。
映像の場合はカメラにより多少補正されているが、実際の現場で走り回る戦車の上からではそれ以上に暗く識別も困難になり始めているだろう。
気が付けば観戦エリアの各種照明にも火が燈り始め、冬の寒さのせいかそれは何処か独特の寂しさを感じさせている。
「どちらが勝つにしても早く決着が付くと良いのだけど……」
隣に座っているまほにも聞こえぬ程の小さな呟き。
どうやらしほだけはラブの抱える問題に気付いているようであった。
「各車個々の判断で迎撃!夏妃の援護をするよ!」
財政面で苦労の絶えないアンチョビが、P40を壊したくない一心でとった運用方法が思わぬ形で功を奏し、試合全般を通してラブ達は中々姿を見せぬこのイタリア唯一の重戦車に振り回されていた。
やむを得ず別行動となった夏妃のブルー・ハーツはそのP40撃破を目指し、単騎で直前まで砲撃を行なっていたであろうポイントを目指していた。
ラブは敢えて自分達に向け撃たせる事が夏妃のP40発見の一助になると考えて、砲撃し易いであろう開けた場所として三保空港滑走路を選び出していた。
個々での戦闘の目的はあくまでも夏妃を間接的に援護する事であり、攻撃を回避しつつその目的を悟られぬようにせねばならぬので、求められるオーダーの難易度も自然と高いものになる。
「適当な場所から撃ってる訳じゃねぇ、予め幾つかトレンチは設定してあるはずなんだ。この三保半島は競技場の類が多いからな、砲撃ポジションの修正幅を考えれば絶対そういう場所を選んでるはずなんだ。だからその辺りに的を絞って観測してくれ!」
「それはいいけどやっぱりセモヴェンテがうっとおしいな、撃破出来ないまでもちょっと足止めして距離を稼ごうぜ」
「だな……」
サイドハッチを開け放ちそこから身を乗り出し監視に当っていたブルー・ハーツ装填手の
「砲塔回すぞ!信号の一本も倒せばいいだろう!夏妃、タイミング計ってくれ!」
「解った!栞、榴弾装填!」
背後の3両のセモヴェンテからの砲撃を、操縦手の
既にブルーハーツの足回りは一般的な戦車道選手の操縦レベルであれば問題はないが、厳島流に学んだAP-Girlsの機動には耐えられない領域に達しつつあった。
不規則な機動で揺れる車上にありながらも夏妃は動じる事なくタイミングを計っている。
「次の次の交差点で行くぞ…砲を左にチョイ振れ…よ~し、まだよまだよ……撃てぇ!」
夕闇が訪れ始めた市街地に火球が開き、撃ち出された榴弾が交差点の信号の支柱の根元を抉る。
絶妙のタイミングで倒れ始めた信号機に気付いた3両のセモヴェンテは、履帯から火花を散らしながら急制動を掛けたが、密集隊形が災いし3両纏めて倒れた支柱に突っ込んでしまった。
「よし!スモーク!」
足止めの成功を確信した夏妃はダメ押しのスモークを散布すると、そのまま一気に3両のセモヴェンテを振り切り夕闇に姿を消して行った。
「うん、良い手際だ、さすが夏妃君だ♪」
お気に入りの夏妃が鮮やかに追撃を振り切ったのを見て、以前アンチョビの前でやらかしたのも忘れてはしゃいでしまうまほを、しほはまたお尻を抓り上げた方がいいか思案したが、隣りのエリカとみほがその様子を動画に撮っている事に気付き、二人に任せておけば後で痛い目を見るだろうとそのまま放置しておく事に決めたようだ。
「それにしても合流する気配がないですわね」
「大分機動性が落ちているから足を引っ張らぬよう配慮しての事でしょうか?」
ダージリンとアッサムがブルー・ハーツ状態を推測していると温かい飲み物を調達に行っていた菊代が戻って来たのだが、人数分の大量のカップを乗せたトレーを出前持ちのように何段も重ね、只の一滴も零す事なく急な観戦スタンドの階段を登って来た事実に全員が驚愕の表情を浮かべている。
「さあお嬢様方、冷めないうちにお召し上がり下さい」
菊代は手際よくあっと言う間に全員にカップを配って行く。
受け取ったカップの蓋を空ければ熱々のココアが盛大に湯気を上げ一切冷めた様子はなかった。
「ご苦労様でした」
「いえいえ、ささ、奥様もどうぞ」
「ええ、頂きましょう」
『この人は一体何者だろう……?』
ここまでの一連の様子にしほはともかくまほとみほも驚いた素振りは見えず、どうやら二人共菊代の見せた曲芸には慣れっこなようだ。
菊代自身も湯気の上がるココアを啜り始めた姿を見た一同は、この家元を陰で操るような謎多き西住家の女中頭の正体について頭を悩ませていた。
「ウム、そうか…まあ仕方ない、我々は三保空港でラブ達と交戦中だから合流してくれ!」
夏妃を取り逃がしたセモヴェンテからの連絡を受けたアンチョビは、さすがに豆戦車だけではAP-Girlsの相手はきついので、即自分達と合流するよう命令を下した。
「セモヴェンテが合流すれば攻撃に厚みが出てまたP40を使う事が出来るな、それまでは何としても粘ってラブを逃がさないようにしないとダメだ」
3両のL3 ccを軸にCV33を牽制役にしてどうにかAP-Girlsを押えているが、やはりライフルと重機関銃だけでは限界があり早急にセモヴェンテが来援が望まれていた。
「何で豆戦車しかいないのにこれだけやっても一両も撃破出来ないんだろ……?」
だが一方のラブも豆戦車が全車健在な事に真剣に悩み始めていた。
そうしているうちにもどんどん陽は沈んで行き、ラブにとって状況は不利になる一方だ。
アンチョビもまた豆戦車だけではAP-Girlsを押し止める事が出来ずP40を使う事が出来ない。
かといってラブもP40に撃たせる為に迂闊に脚を止めれば、目論みをアンチョビに見抜かれかねないので下手を打てず、双方若干手詰まり気味になっていた。
「撃て!」
ラブの号令と共に撃ち出された徹甲弾は完全に狙いが逸れ、アンチョビの駆るL3 ccに掠る事もなく遥か前方の路面で跳弾し明後日の方向に飛んで言った。
遂にラブに限界が訪れ、彼女自身も一瞬言葉を失い次の指示が出せなくなる。
それを見た凜々子が即座に指揮権を自分が引き継ぐ事を宣言し、鈴鹿がLove Gunのバックアップに回り愛も凜々子の指示に従い戦闘を続けている。
アンチョビもLove Gunからの砲撃が大きく外れた瞬間違和感を感じたのだが、そのタイミングでセモヴェンテが合流を果たした為にその違和感の正体の追及をそれ以上する事はなかった。
「ラブ姉は攻撃目標だけ決めて!後は私達がフォローするから!」
砲手の瑠伽がラブに気にするなとばかりに力強く言った。
他の者達も同意とばかりに大きく頷きそれまで以上に自分の役割に集中している。
「ありがとう…みんな……」
それでもやはりラブの表情には悔しさが浮かんでいた。
中学時代は仲間内でも抜群の目の良さを誇り、その視力は大戦中のパイロット並と云われていただけに、彼女にとって今の状況は屈辱以外の何ものでもないだろう。
「よ~しここからだぞぉ~!AP-Girlsを逃げ場のない波打ち際に追い込んで、もう一度P40の砲撃をおみまいしてやる!」
待望のセモヴェンテが合流した事でアンチョビはすっかり勢いを取り戻していた。
追い詰めた上で水平方向からと頭上からの攻撃で決着を付ける、この場合P40は決定打にはなり難いが、L3 ccに搭載されているゾロターン製の20mm対戦車ライフルは使い方次第で打撃を与える事が出来るのは、充分実証済みであるし駆け付けたセモヴェンテの火力も期待出来る。
消耗しているのはお互い様だが、アンツィオにとって重要な勢いは確実に我が手にあると確信したアンチョビは、ここが勝負処と全軍に檄を飛ばす。
「行けぇ!AP-Girlsを追い込むぞぉ!勝利のパスタは目の前だぁ!」
アンチョビが叫び指揮用の鞭を振りかざすと共に、豆戦車達は更に激しく走り回りAP-Girlsを波打ち際へと追い込んで行く。
「まだ!?まだP40は撃って来ない?」
ラブの焦りと裏腹にまだP40は砲撃を行なっていない。
敢えて追い込まれて見せアンチョビにP40を使わせる事で、夏妃にその居場所を特定し易くさせる為にラブ達はそのお膳立ての演技を続けている。
ラブは攻撃目標を指定しつつ、上空から飛来するはずの砲弾を今や遅しと待ち侘びていた。
その想いは40を狩るべく捜索を続ける夏妃も同様であり、夜空と云っていい暗さになって来た空にブルー・ハーツの乗員達は鋭い視線を向けていた。
「夏妃アレ!9時方向!」
「見付けたか!?」
「いや、違うけどホラ!まただ、アレはあの辺りでラブ姉達が交戦中なんじゃない?」
サイドハッチから監視を続けていた装填手の栞が指差す方向に夏妃が目を向けると、時々空が赤くなり耳を澄ませば砲撃音も聴こえて来た。
「ありゃあ三保空港の辺りだな…まただ、移動せずにやり合ってるって事か。ならそろそろP40が撃つ可能性があるな…もし自分で撃つとしたら最適なトレンチは……稲穂!松前球場に向かってくれ!今の交戦エリアならそこからが最適なトレンチのはずだ!」
「あいよ!」
操縦手の稲穂が操縦桿を倒し込みブルー・ハーツを球場に向け転進する。
サイドハッチから身を乗り出す栞と奏音も一層集中して空に監視の目を向ける。
「攻撃命令来たぞ!」
「砲塔回せ!」
「装填準備!」
薄暗闇の中身を潜めその時を待っていたP40の車内が俄かに慌しくなる。
指定された座標に砲撃を行なう為砲塔を旋回し砲身を振り上げると、装填手が砲弾を装填し車長兼任の砲手が最終的な微調整を行ない最後の指示を聞き漏らさぬよう無線に耳を傾ける。
闇の中火球が花開き鋭い発射音が冷え込んだ空気を震わせる。
アンチョビの命令と共に撃ち出された砲弾は、夕闇に一閃鮮やかな火線を引き矢のように飛び去り、その後も続けて二の矢三の矢が放たれた。
「撃った!」
「どっちだ!?」
「あれは夏妃の予想通り松前球場だ!方向と距離的に間違いない!」
一撃目の発射音の後、その方向を注視していた奏音は闇の中に奔る火線を見逃さなかった。
「よし、これよりP40に対し奇襲攻撃を敢行する!何としても仕留めるぞ!」
P40が砲撃する際の火線を見逃す事のないよう監視の目を強めていたブルー・ハーツは、夏妃の予想したポイントから砲撃が行なわれたのを確認すると、即球場に向け全速で走り出した。
ブルー・ハーツが行動を起こすその直前松前球場に潜伏するP40が砲撃を開始するまさにその時、波打ち際までAP-Girlsを追い詰め足止めの近接戦闘を繰り返していた豆戦車が一斉に引き始めた。
「……!来るよ!滞空警戒!」
ラブの叫びに合わせ一拍の呼吸の後、見切った様なタイミングで4両のⅢ号J型が一斉意に回避行動に移ると、それまでいた場所に爆音と共に水柱が上がった。
「始まったわね……頼んだわよ夏妃!」
その後にたて続けに飛来した砲弾も何とか回避したラブは、暗い夕空を見上げ祈るように呟いた。
「よし、一旦止めろ!前照灯も消すんだ!」
松並木沿いの道は街灯もなく既に深夜のように暗い。
夏妃は球場近くまで来た処で操縦手の稲穂に停車を命じた。
「もう球場は目の前なのにどうしたんだよ?」
振り向いた稲穂が訝しむ様な声を上げる。
そうしている間にも球場からは炎の槍が空に向かい伸びて行く。
「バレる前に球場に突入したいから無灯火で行くぞ、稲穂は闇に眼を慣らしておいてくれ」
稲穂がスイッチを切るとボッシュライトから伸びていた細く絞られた光が消え、たったそれだけで辺りは途端に更に暗くなった。
「結衣、済まねぇが偵察に出てくれ。球場にはアンツィオが作った突入口があるはずだ、効率優先で我々もそこを使わせてもらおう」
「おっけ~!」
サイドハッチからするりと抜け出した通信手の
「って、アレ?えれぇ速えぇな……?」
舞い戻った結衣その勢いを活かし高くジャンプをすると、そのままブルー・ハーツに飛び乗った。
「おいもう見付かったのか?」
「いやもう大胆つ~か、アンツィオさんらしいっつ~かさ、道路に面したスコアボードのすぐ横に突入口が作ってあったわ」
「マジか……?」
「ただな、無理矢理乗り越えて行ってるから足元グズグズだったわ」
「そうか……」
夏妃は頭の中で結衣の報告した状況とブルー・ハーツの足回りの状態を計りに掛けていた。
「一発勝負だな……」
「もう大丈夫だ、バッチリ眼も慣れたぜ」
夏妃が腹を括り掛けた処に稲穂がGOサインを出し、夏妃もハッとして指揮を再開する。
「それじゃあ行こうか、突入後の一撃は目晦まし替わりに榴弾をぶち込む。そして相手が驚いてるうちに距離を詰めて徹甲弾で勝負を掛ける。小細工はいらねぇ、一気に決めるぞ!」
闇の中全員が力強く頷くと、それを合図に夏妃が突撃命令を下した。
「Tank move forward!叩きのめせ!」
道しるべとなる灯りの一つもない闇を切り裂きブルー・ハーツが雄叫びを上げる。
例え眼を慣らしたとはいえ、視覚情報が極端に少ない状態で全速で戦車を操る稲穂のその度胸と操縦技術も只事ではなかった。
「次!左に二度、仰角そのまま……なんだぁ?」
P40の車長がアンチョビの指示に従い次の砲撃に向け修正を指示し掛けたその時、闇の中に響く自車とは異なるエンジン音に気付いた。
だがそれに気付いた時、既にブルー・ハーツは履帯から火花を散らし宙を舞い突入口からグラウンドに飛び込んで来ていた。
「撃てぇ!」
着地と同時に下された夏妃の命令に従い撃ち出された榴弾がP40に襲い掛かる。
晒していた側面ギリギリに弾着し、開いた火球がP40の車長の視界を奪う。
「うわぁ!何!?」
そしてその間に肉薄するブルー・ハーツの砲塔内では、栞の手により電光の速度で徹甲弾が再装填されており、ほぼゼロ射程まで接近した瞬間再び夏妃の砲撃命令が下された。
「今だ撃て!」
発砲と同時に爆発したと感じる程の至近距離から放たれた徹甲弾がP40の右側の駆動輪を撃ち砕き、転進を掛けブルー・ハーツに対し正対しようとしていたP40は動かなくなった右転輪を軸にくるりと半回転を喫した為、ゼロ距離射程での砲撃を敢行したブルー・ハーツにフルスイングで激突した。
重量21.5tのⅢ号J型に対しP40は26.0tあり、その重量差プラス回転運動が掛かった衝撃は非常に大きく、右側面を殴打される形となったブルー・ハーツはトップスピードで突撃していた運動エネルギーも合わさりコマのように回転しながら吹き飛ばされてしまった。
「チッ!やっぱり足回りがもたなかったか…P40はどうだ!?」
何回転したか解らぬスピンが収まり夏妃が周囲を見渡すと、ブルー・ハーツが回転しながら滑走した冬枯れの芝の上には、点々と千切れた履帯のコマが散らばっておりその中には午前中に攻撃を受け交換したばかりの転輪も転がっていた。
「あそこか……白旗が揚がってないだと!?」
闇の中目を凝らして見たP40は駆動輪が砕け履帯も切れているが、白旗は揚がっていなかった。
「だが……ありゃあもうダメだな」
ブルー・ハーツを弾き飛ばしたもののP40も直ぐに止まる事が出来ず、車体を球場のフェンスに激突する形でやっと静止したようであった。
これでは例え白旗が揚がっていなくとも、動く事も砲塔を旋回させて砲撃する事も儘ならず行動不能で白旗が揚がったも同然だった。
だがここでもう一つ驚くべきはブルー・ハーツもまた白旗が揚がっておらず、それに気付いた夏妃は半ば呆れたような表情で白旗装置のキャップを眺めていた。
「コレほんとに故障してるんじゃねぇのか?」
思わず呟きながらキャップを小突いてみるが、その程度で白旗が揚がる訳もなかった。
「っと、いけねぇ、ラブ姉にP40黙らせたの知らせねぇとな」
夏妃は咽頭マイクに手を当て、通信手の結衣にラブに繋ぐよう指示を出した。
「誰も怪我してないのね!?でも本当によくやってくれたわ!」
「誰も怪我しておらんだろうな!?それで…P40は…そうかぁ……」
その第一報が入った瞬間のラブとアンチョビの反応は喜びと落胆と対極にあったが、双方ともまず最初に隊員の身を案じていたのは隊長として実に素晴らしいものであった。
「よし今よ!包囲網を突破して市街地戦に持ち込め!」
ラブと夏妃の無線でのやり取りが終わった瞬間に、指揮権を自らに強制委譲させた凜々子が号令を発しAP-Girlsは一気にアンツィオの包囲網を食い破り、三保空港の交戦エリアを離脱して行った。
「くっそぉ~、ラブのヤツめ、コレを狙っていたのか…完全に一杯喰わされたな……」
交錯する瞬間例によってピンクのスモークをぶちまけて行ったAP-Girlsに、まんまとしてやられたアンチョビはまたしてもラブを仕留められず悔しそうではあるが、連絡の様子から幸いP40も酷いダメージを受けていないようでそれ程落ち込んではいなかった。
「カルパッチョ!部隊を纏めろ、追撃戦に移るぞ!なに、ダメージは確実に蓄積させたんだからな、後もう一押しだぞ!」
ともすればモチベーションが下がりかねない場面だが、アンチョビは言葉巧みに隊員達の士気を保つとまだ自分達が有利だと全員に印象付けた。
「う~ん、こう暗いと手持ちの照明だけじゃどうにもなんねぇな……」
「この球場照明設備ねぇのな……」
「あっても戦車道の試合中じゃ使えねぇだろ?」
夏妃達はランタンなどを掻き集めブルーハーツの被害状況を確認したが、既に陽も完全に没し球場と云う周囲から隔離された環境故に周辺からの光も届かずその暗さは一層深く感じられた。
「でもパッと見でもその場でどうこう出来るレベル越えてんじゃん?大体千切れた履帯がいくら予備繋いでも全然足りねぇと思うんだけどよ?」
激しい衝突とスピンの結果ブルー・ハーツの両側の履帯は細かく千切れ辺りに散乱しており、稲穂の指摘する通りその場での修理が可能な状況はとうに超えているのであった。
「これはもう完全に回収待ちだろ?あちらさんはどうなんだ?多分似たような状況だと思うんだが」
手にしていたランタンを車体の上にほっぽりだした奏音が腕組みしてP40の方を顎で指した。
実際フェンスに張り付いたP40周辺でも懐中電灯らしき光が揺れているが、修理を始めるような気配はなくブルー・ハーツ同様にお手上げな雰囲気が漂っていた。
両校から同時に実質的に行動不能の車両が出ているのにも拘わらず、結局白旗が揚がっていない事に一般の観客達もこの試合の特異性に気付いたのかどよめきが起こっている。
「ホント呆れたわ!何でアレで白旗揚がんないのよ!?白旗装置壊れてんじゃないの!?」
「逆にこの程度で?って時もあるしなぁ……」
やっと結果らしい結果が出たかと思えば結局白旗は揚がらず、やはりここでもカチューシャから白旗装置に付いての言及がなされたが、その後にまほが言った通り皆一度は似たような経験があるらしく苦笑するしかなかった。
戦況が映し出されるモニターも闇が訪れ高感度カメラと暗視カメラの映像に切り替わり、それまでに比べるとかなり画質が落ち瞬時に判別が付き難くなって来ている。
「気を付けないとフレンドリーファイアのリスクも高くなって来ましたわ」
「それより燃料の方が限界に近いかもしれません。特に一番走り回っているCV33が……」
ダージリンの指摘に続き、暗くなったのでノートPCの液晶の輝度を落とす設定をしていたアッサムが、その作業の片手間に一番さし迫っているであろう問題を口にした。
朝から偵察に威嚇に忙しく走り回っていたCV33は、アッサムの指摘通りもう間もなく燃料タンクがスッカラカンになる寸前まで来ていた。
アンチョビとて全くそれに気付いていないはずもなく、彼女もまた決着を付ける最後の一手を繰り出すタイミングを模索しているのだった。
『あそこでP40をやられたのは痛かったけど、それは私の読みが甘かったって事だよなぁ……』
冷たい夜風にツインテを躍らせながら豆戦車で疾走するアンチョビは、ここまでラブを追い詰めながらも決め手に欠き長丁場になったのは、P40を大事に使い過ぎたのが原因かと考えていた。
『でもここまで来れたのもみんなが頑張ってくれたお蔭だしな、後もう一押し頑張ろう!』
マイナス思考になり掛けた処でアンチョビは頭をひと振りしてその考えを追い出すと、ここまで付いて来た部下達の頑張りを無にしない為にも前向きに考えるよう自分を戒めた。
「しかしラブのヤツは何処に行ったんだ……?」
逃走方向から考えて三保街道まで出ては見たものの、AP-Girlsは影も形もなくアンチョビは豆戦車の上に立ち上がりキョロキョロと辺りを見回し始めた。
燃料も残り少なくこれ以上無駄に走ってはガス欠で敗北を喫しかねないので、もう偵察を出す余裕もないアンチョビは迂闊に動く事を避けていた。
「ドゥーチェあれを見て下さい!」
隣に停車し同様に周辺を見回していたカルパッチョが、突然大声でアンチョビを呼んだ。
「何だどうした?」
「ホラ!アレです!」
カルパッチョの指差す先の夜空には、まさに今スイッチを入れたばかりのような光が燈り始め徐々に周囲を明るく照らし始めていた。
「んん?あれはサッカーグラウンドの照明塔か!?」
その照明塔に火が燈っているのは、アンチョビが最初に長距離砲撃を行なうのに使った地元サッカーチームのグラウンドの物であり、最初は何が起こったのか解らなかったアンチョビだが一瞬後にはそれが何を意味するのか理解し、鋭い目つきになると口角を釣り上げ不敵な笑みになった。
「そうか、そういう事か……そこで決着を付けようというのだな?」
アンチョビは徐々に明るくなる照明塔から視線を落とすと、周囲を見回し自分に集中している視線に応えるように大きく頷いて見せた。
「諸君!今日はよくぞここまで頑張ってくれた!長くハードな戦いであったがいよいよ決着を付ける時が来たぞ!後もう一息だ、勝利のパスタはその目の前にある!最後の力を振り絞れ!」
アンチョビの檄に続き隊員達が口々に『Forza Anzio!』の鬨の声を上げ、煤と汗にまみれ疲労にの極にあった少女達の目付きが変わって行く。
その様子に満足気に頷いたアンチョビが、指揮用鞭を振りかざし突撃命令を下した。
「それでは行くぞぉ!Avante!」
燃料も弾薬ももうギリギリの処まで来ているが、それで諦めモードになるような者は一人もおらず士気の高さは最高潮に達しているようだ。
「ありゃ?オイ、何か明るくなって来たと思ったらあれ見ろよ」
お手上げ状態になったブルー・ハーツとP40の乗員は、合流して球場のスタンドに上がり、回収車が来るまで持ちよった食料で即席のお茶会を開いていた。
「誰だ照明塔何か点けたのは?」
「あ~、ああいう目立つ事するのは
夏妃が少し恥ずかしそうに頭を掻いた。
「成る程ね…って事はあそこで決着付けるつもりかな?」
「だと思うんすけどねぇ…ちょっと近くで見たいけどさすがになぁ……」
「さすがに戦車なしじゃヤバくて近付けないよね~」
「ですよねぇ……」
「ま、しかたない。迎えが来るまでのんびり待ってればいいさ、さすがに今日は疲れたわ」
皆その言葉に頷くと、ぼんやりと燈り始めた照明塔を見上げるのであった
「よく電源見付けたわね、お手柄よ、愛♪」
ラブは満面の笑みで愛を褒め称えている。
三保空港離脱後にラブもまた次の接触が最終局面になるであろう事は解っていた。
彼女達もまた燃料と弾薬が限界に達しつつあり、ここまでに蓄積したダメージも無視出来ない処まで来ているのだった。
そして少しでも条件の良い場所で戦うべく決戦の地となる場所を模索していたが、先行偵察に出ていた愛がサッカーグラウンドの照明塔の電源を見付け、ラブはその知らせに即決でここで決着を付けると声高に宣言したのだ。
ここ最近ラブに対しいつも以上に素っ気ない態度を取り続けて来た愛だったが、彼女とてラブ嫌いになったなどという事はなく、ラブを愛するが故に彼女から注がれる愛情の受け止め方が解らず一種の感情のオーバーフローを起こしているに過ぎなかったのだ。
それはそれまでの彼女の生い立ちに起因する処であり、これ程の愛情が自身に向けられた経験がなくどう対処したらいいか解らず結果としてあのような態度を取り続けていたのだ。
そんな彼女だからこそ、ラブの役に立ちたいという想いはAP-Girlsのメンバーの中でも人一倍強く、その想いの強さが照明塔の電源を見つけ出す原動力になったのかもしれなかった。
「来たよラブ姉!」
接近するエンジン音と履帯がアスファルトを削る音に気付いた凜々子が警戒の声を上げた。
「凜々子、これで最後だと思うから指揮権を戻してくれる?この位明るければ充分にやれるし、千代美とやり合う最後のチャンスを逃したくはないの」
「…解った、悔いの残らないように全力でやるといいわ……」
「ありがと凜々子……」
照明塔は既に目一杯に明るくグラウンドを照らしているようであった。
「この目立ちたがりめ!どんな時でもスポットが当たらないと気が済まなくなったかぁ!?」
グラウンドに先頭で乗り込んで来たアンチョビは、ラブに見得を切るように指揮用鞭を突き付け挑発のセリフを投げつける。
だがそのセリフを聞いたラブは実に嬉しそうに笑みを浮かべているが、その表情は恋する少女が待ち侘びた恋人と出会った瞬間に見せるそれであり、モニターにその表情が大写しになった瞬間、観戦エリアはこの日最大のため息に包まれていた。
「あ、あの子は何て表情してるんですの!?」
完全に不意打ちを喰らいダージリンが素っ頓狂な声を上げたが、その顔は真っ赤でありハンカチで口元を覆って鼻血を押えている。
ダージリンは辛うじてその程度で済んでいたが、カチューシャは一撃で撃破されノンナはここぞとばかりに介抱と云う名の頬擦りに勤しんでいた。
「やっぱり間違いないですわ……」
「あなたは何かご存じなのね?」
ダージリンの様子に何かを察したしほが問い掛けるが、その顔も上気しており確実にラブフェロモンに中てられているようだ。
少し言い淀んだダージリンはしほの傍にやって来るとそっと何かを耳打ちしている。
「そう…そういう事でしたか……」
「ハイ……」
「何事ですかお母様?」
「大っぴらに話す事ではありません…これからはまほも少しは女を磨きなさい……」
「は!?お母様?」
母の口から出た言葉に唖然とした表情でまほは自分の耳を疑う。
「それと鼻血を拭きなさい…全くだらしのない……」
「え?あ、これは……」
咄嗟に袖口で鼻血を拭こうとしたまほに、エリカが慌てて自分のハンカチを差し出す。
「あ、イヤ、すまん…大丈夫だ」
それでまほも自分のやろうとした事に気付き、ポケットを弄りティッシュを取り出し鼻に詰めたのだが、ふと周りを見れば皆既に鼻にティッシュが詰まっていた。
試合会場から離れて尚これ程の威力があるラブフェロモンに、至近距離で晒される者達には果してどれ程の影響を及ぼすかは、考えるだけでも恐ろしいとダージリンは独り肝を冷やしていた。
『うわぁ…これはヤバいわ……大分免疫が付いてる私達でもこれだけ身体の芯が疼くんだからアンツィオの皆さんはどれだけ影響受けるやら……』
Love Gun砲手である瑠伽は一番近くでラブフェロモンを浴びながら周囲の状況を観察していた。
アンチョビと接触した瞬間ラブのフェロモンの放出量がこの日最大となり、AP-Girls結成以降常にラブと一緒にいる為にそれなりに免疫が付いて来た彼女達ですらちょっとヤバい感じになっていた。
サイドハッチを開き乗り込んで来たアンチョビ達の様子を見ているとみるみるうちにラブフェロモンに中てられ悶々とした瘴気を放出しているのが解った。
「あぁ……」
それ以上の言葉が出て来なくなった瑠伽がふと視線を上げてみれば、隣に並ぶブラック・ハーツのコマンダーキューポラに収まる鈴鹿が目に入ったが、彼女もまたこれまでに見た事がない程にそのクールに整った顔を引き攣らせていた。
「うそ……」
信じられないものを見たといった感じで瑠伽は完全に絶句してしまった。
「なんだなんだなんだぁ!?また急にドキドキして来たぞぉ!?」
それがラブフェロモンの影響だとまだ気付かぬアンチョビが、頬を赤らめ内股になってキュンキュンしていると、またしてもぺパロニがTV中継で流れれば完全に放送事故になるNGなワードを口走りかけてアンチョビは真っ青になった。
「姐さ~ん!またなんか急に●▽Ω×──」
「うわぁ────!止めんかこの大バカモノ──────!」
大慌てでそれを打ち消そうとアンチョビは声を限りに絶叫した。
「オマエ今日はもう何もしゃべるなぁ!」
肩で息をしながらアンチョビはぺパロニをどやし付けた。
そしてこれ以上こうしているのは非常に危険であると彼女の勘が警鐘を鳴らし、アンチョビは即座にそれに従い攻撃命令を下した。
「ええい、こんな事をしている場合ではないわぁ!ラブを倒して決着を付けるぞぉ!assalto!」
再びアンチョビが指揮用鞭振るうと、アンツィオの戦車達の今日最後の突撃が始まった。
「千代美来てぇ!」
フェロモン全開で実に淫靡な表情のラブが、アンチョビを抱き締めようとするかの如く腕を開く。
「だからいやらしい言い方をするなぁ!」
あまりの恥かしさに真っ赤な顔で涙目になったアンチョビが、怒鳴り返しながら突撃する。
迎え撃つAP-Girlsもまたその表情はかなり恥ずかしそうにしていた。
そしてここに砲撃音さえ聴こえなければ、ちょっとエッチな動画を見ているような最終決戦の幕が切って落とされたのであった。
「私達今日で終わりかも……」
戦闘指揮をしながらもイエローハーツ上の凜々子の目は完全に虚ろになっている。
アンチョビとの格闘戦に突入したラブが最早歯止めの効かなくなったフェロモンの放出と共に、事ある毎に色っぽい声で際どいセリフを連発する為に、その戦闘に参加した者達全員がまるでAVにでも出演しているような気分になり、気が付けば洩れなく内股で戦っていたのだ。
「いやん♡」
「あぁん♡」
「後ろからぁ?」
「そんな激しい……♡」
「千代美最高ぉ……♡」
「だからそんな声で誤解を招くような事を言うのはヤメろぉぉぉ!」
涙目でアンチョビが20mm対戦車ライフルをぶっ放すがはっきり言って手遅れだった。
砲撃音の合間にマイクが拾うラブの声が観戦エリアに鳴り響き、既に観戦エリアにいる者達全てが内股で俯きモジモジとする以外何も出来なくなっていた。
「これ早く決着付けないとマジでヤバいわ……クッ!」
鈴鹿がフェロモン無双状態に突入したラブをこれ以上野放しにすると危険過ぎると判断し、何とか二人の戦いに介入し決着を付けようと動いたその瞬間、一斉にブラック・ハーツ目掛け全てのCV33が襲い掛かり、体当たりで周囲を取り囲むとその動きを封じ込んでしまった。
「な、一体何のつもり!?」
「ワリぃな、おめぇは危険過ぎんだよ」
ハッチから顔を出した一人が鈴鹿に向かい不敵に笑う。
「この……!どけぇ!」
何とか脱出しようとブラック・ハーツが足掻くうちに、次々とCV33のエンジンが停止し始めた。
ここまで暴れ回って来た豆戦車達が遂にガス欠の時を迎えたのである。
「これがアタイら
豆戦車が集団でブラック・ハーツを憑り付くその様は、スズメバチに巣を襲われたミツバチが仲間と協力し相討ち覚悟で集団で立ち向かう姿に酷似していた。
「…!やられたわ……」
取り囲まれがっちり喰い込まれ身動きが一切出来なくなった鈴鹿は、力なく項垂れるのだった。
「鈴鹿!?」
豆戦車捨て身の攻撃で封じ込められた鈴鹿を救出しようと動いた凜々子だが、その凜々子のイエロー・ハーツにもそれを許すまじと3両のセモヴェンテが襲い掛かった。
「えぇい邪魔よ!」
連携して立ち塞がるセモヴェンテに封じられ、凜々子はブラック・ハーツに近付く事も叶わない。
そして愛もまた同様に動こうとしたが、愛のピンク・ハーツにはぺパロニとカルパッチョのL3 ccが絡み付き凜々子と同じ状況に陥っていた。
「愛!これ以上先には行かせねぇぜ!」
ぺパロニの叫びと共に対戦車ライフルが浴びせられピンク・ハーツもその勢いを失った。
「決着を付けよう!ラブ!」
「ええ、私はいつでもいいわよ♪」
戦車戦の最終局面に高揚してのセリフだが、二人のその表情は官能に溺れたものだった。
『エロい……』
モニターの分割画面に大写しになる二人の顔に、一同ただ赤面するしかない。
しかしその表情とは真逆の闘志を剥き出しにしたラブとアンチョビは、真正面から一切視線を逸らす事なく一直線に突き進む。
激しく火花を散らしすれ違った2両は、その後も何度となく正面から突き進んではすれ違う事を繰り返しその隙を窺っているが、その様は騎士同士の馬上試合に酷似していた。
この状況が燃料が尽きるまで続くのかと観戦する者達が思い始めたその時、睨み合う双方がそれまで以上の気迫で突撃を開始した。
「これで決まる……」
戦いの場に身を置き続けて来た者の勘か、まほが小さく呟いた。
「ラブ!」
「千代美!」
二人の絶叫と共に両者が急接近して行き、すれ違うその直前アンチョビのL3 ccがカニ走りに移行するとLove Gunの右側面をゾロターンの20㎜を乱射しながら滑り抜けて行った。
次々と大口径のライフル弾を浴び、転輪と履帯が砕け弾け飛ぶがラブは微動だにせずすれ違う。
「今よ!」
ラブの号令と共に足元が砕けたにも拘わらず操縦手の香子は臆する事なく振り回し、ピタリと鮮やかにLove Gunを180度スピンさせた。
「撃てぇ!」
長砲身50㎜から撃ち出された徹甲弾が、狙い違わずアンチョビの豆戦車を真後ろから貫く。
激しい爆発と共に吹き飛んだ豆戦車は激しい縦転がりの後完全に引っ繰り返って停止した。
だがもう一方のLove Gunもまた砲撃後も勢いが止まらずに、砕けた脚元のせいでバランスを崩し激しく暴れた後に横転を喫した。
『ラブ姉!』
『
その叫びと共にそれまで続いていた激しい鍔迫り合いもピタリと止んだ。
全員が固唾を飲んで見守る中、黒煙が吹き抜けた風に流され引っ繰り返った双方の隊長車でありフラッグ車でもある2両の姿が露わになった。
この日此処まで全く上がる事のなかった白旗が2本、吹き抜ける風に靡いている。
あまりに長く、あまりに激しかった戦いもここに今、やっと終焉を迎えたのであった。
う~ん、勝ったのはどっちでしょう?
そこだけちょっと引っ張りますw