廃棄されたかのような低層ビルのワンフロアに、隠れ家的なバーがある。さびれた場所だが酒の種類は豊富、物静かなマスターは人外じみて謎に包まれ、フロア全体にセンスの光るクラシックが流れている。何故こんなところにあるのか、彼は何者なのか、常連客も謎に包まれたまさに秘密空間。訪れた客はそこにわずかに漂う秘密の空気と、それを独り占めしているという錯覚から生まれる優越感にひたり、そこを去っていく。
そうまさにそこは大人のバー――――などではまったくない。
茶番に付き合ってくれてありがとう。でもそんなことでもやらないと本当にやってられない。
バーなのは確かだ。だがそこは営利目的で経営しているバーではないし、『隠れ家的なバー』ではなく正真正銘とある犯罪集団の隠れ家である。
マスターは黒霧という男で、常連客じみて椅子に腰かけている顔面手男――何を言っているかわからないかもしれないがそうとしか表現したくない――の名は
どうしてこうなった。
黒霧が出してくれたノンアルコールカクテルにうつる死んだ自分の眼と見つめあうと、
「起きてますか?」と黒霧が心配してくれた。親切か。ヴィランの癖に。本当にやってられない。
別に今俺が国民的某週刊誌で連載されていた漫画にいることは驚くことではない。
簡単だ。転生した。トラックで跳ね飛ばされた次の瞬間にはガキに成り代わり、当たり前のように超人が闊歩し、ヒーローと呼ばれる職業がもてはやされるのを見て、俺はいろいろと諦めた。一回死んでその記憶を引き継いだまま新しい世界にインプットされてしまったことは遺憾であるが、記憶があるから助かったことも何度もある。すでに。強くてニューゲーム、素晴らしいことじゃないか。一応大体の漫画のあらすじも覚えているし。面倒ごとにはかかわらずフツーの人生歩んで、次はトラックに跳ね飛ばされるなんて痛い死に方じゃなくて、こう、眠るように死にたい。
ところが、それを一気に完璧にひっくり返し、俺のささやかな野望をバッキバキに壊したやつがいた。それがこの世界における悪役というかすべての元凶だったりするんだが、もうそれはいい。思い出したくない黒歴史というやつだ。
重要なのは、その悪役により俺はヴィランとして、死柄木さんの部下になったことである。なんだこの人生、ハードモードか。強くてニューゲームはどこへ失踪した。黒霧さんだけならよかった。なぜなら、
「おいゼロ。聞いてんのか」
「聞いてるから」
機嫌悪そうな声音で死柄木さんが手を伸ばしてくる。伸ばしてくる、というかひゅっと殺気を帯びて俺の首元を直接狙ってきた。それをとっさに自分の『個性』で回避すればますます不機嫌そうになる死柄木さん。
……まるで何事もなかったかのようにふるまっているが、今俺殺されかけたからな?
ちっと舌打ちしているけど、何自分の部下あっさり殺そうとしてるの? まるで聞いてないみたいな態度とられたから殺そうとするって本当にありえなくないか?
五本指全部で触れたモノをボロボロに崩す個性、『崩壊』。近距離戦闘の個性しか持ってないやつには驚きの無双っぷりを発揮できる個性だ。自分の個性が守りに適したもので本当によかった。本当に。でなければここにきてその日に死柄木さんに殺されてた。ますます目が死んでいく気がする。
「というか、そっちで呼ぶなよ」
ゼロという名前。俺の本名はそんなどこぞの漫画の主人公みたいな名前ではない。俺はどっかから放り込まれたらしいこの世界の異物なんだから、もっと普通の名前であっていいはずだ。佐藤だとたしか同じ読みのキャラクターが主人公のクラスにいたから、木村とか、鈴木とかでいいだろ。
だが死柄木さんもまさかの黒霧さんも、二人してそれはさすがにない、と答えるのだ。
「お前はゼロでいい」
「本名の少し呼び方が変わっただけじゃないですか。大して気にするようなことでもないでしょう」
「呼びやすいしな。ゲームで言えば使い捨ての盾役。いくらでもわいてくるタイプ」
「……」
残念なことに俺は一人しかいないのだが。死んだらそこまで、コンテニューなんて二度目はないだろう。
「それで、ゼロ」
わかってはいたが直す気まったくないふざけた連中である。
だがこれ以上機嫌を損ねるのは得策ではないので、「何?」と返事をする。
「お前いくつだっけ?」
「……十六」
「……チッ、思ったよりガキじゃねえか……俺の嫌いなやつ……」
ガキ嫌いを公言する死柄木さんだ、でも連れて来たのは『先生』なんだから勘弁してほしい。
「それで?」
「ああ?」
「なんで急に年齢なんか?」
「……やっぱお前話聞いてなかっただろ」
ひゅっと再び伸ばされた左手を個性で回避。この世は理不尽ばかりか? というか死柄木さんが理不尽。
「礼儀知らずだしよ……避けやがるし」
避けないと死んでしまうのですが。
「今に始まったことではないでしょう。ゼロ、いいですか。あなたは見た目だけで言えばヴィランには見えないでしょう?」
「ああ……まあ」
髪の毛が真っ白なことを除けば、俺は目の前の二人のようにおかしな生態系をしていない。黒霧さんみたいに黒い靄ではないし、死柄木さんみたいに顔に手をくっつけているわけでもない。道を行けば自然に人混みに紛れ込む、平凡な顔立ちだ。
「私たちの目的のためには、
「なんで?」
「必要なコマはなるべく多い方がいいでしょう? 察しが悪いですね。今はまだ潜伏期間、情報を集めるのは陰に潜む必要がある。それは私の方でもいろいろと探っていますが……所詮一部に過ぎない」
「ふうん」
「そこで君です」
なんでだ。黒霧さんはあっさりと言い切り、死柄木さんが「バカだな」とでも言いたげに指を俺に向けた。
「端的に言えば、スパイみたいなもんだ。ファンにでも装ってプロヒーローやその親族、あるいはヒーロー候補生の個性の情報調べてこい。一般人になりきって」
「……なるほど。いざとなれば家族を人質にとるってことか」
ヒーロー候補生はそのまま未来のヒーローの芽を摘んでおくという意味。用意周到なことだ。だけどこれ原作にあったか?
「……」
「? なんだよ」
「生意気な奴。わかったんなら調べてこい」
「嫌だ」
「………即答かよ殺していいか?」
「……俺には向いてない。プロヒーローのファンを装う? ストレスでハゲる」
やってられねぇよそんなこと。ヴィランの俺が自らプロヒーローに近づくなんて爆死間違いないわ。いくら今のところヴィラン連合が表に出ず、俺自身大した犯罪をしていないとしても、どこからどうなってヒーローに捕まるとも限らないのだから。家族に不用意に近づけばそれすら怪しすぎる。
個性を発動しつつ、ぱたりとテーブルに突っ伏したら、黒霧があからさまに溜息をついた。
「このガキ……」
「やめましょう、死柄木弔。やはり彼はこういうことに向いていない」
「わかってくれて助かる。……ちょっと出てくる」
カクテルを飲み干し、ベルの壊れた扉を開く。廃ビルのここも居心地はいいが、それは死柄木さんや黒霧さんがおとなしくしている時だ。そんな時間は限りなくゼロに近いが。
それより腹減った。気分が悪くなるし、そうそうと退散させてもらおう。
まあ、腹ごしらえしたらまたここに戻ってくるのだが。
「おい!」
悪いな死柄木さん。三十六計逃げるにしかず。
* * *
なんだかんだ、一人でいるときが一番落ち着く。
季節は冬。今の俺みたいに、テイクアウトしたハンバーガーとホットコーヒー片手に日が寒々しい公園にいるもの好きはいない。治安の悪い地区にあり、なおかつ事故があったとかで遊具が全面禁止されたせいで、冬休み中であるはずの小学生もいない。まあ、これだけ寒かったら誰でも家に引きこもるかもしれないが。とにかく、とっても人気はなかった。
二つあるベンチのうち一つを一人で占領し、ハンバーガーをもぎゅもぎゅと胃袋に収める。コートのポケットに片手を突っ込み、ホットコーヒーをすすりながらぼんやりと風にゆれる木々を眺めていれば、眠りたくもなってくる。
振り返っておくが今は冬である。俺が『先生』に会ったのは今から二年前くらい前のことで、やはりそれも冬である。ちなみに死柄木さんの部下になったのは今から半年くらい前だ。
今死柄木さんと黒霧さんしかいないことを考えれば、今が『原作前』であることはわかる。問題は、いつ原作が始まるのか、だ。
これから死柄木さんの部下として原作にかかわっていく必要があるのだとすれば、見えていることがある。
―――負けるだろ? これ、絶対負けるだろ? 死にはしないかもしれないがたぶん少なくとも逮捕はされるだろ?
少年漫画だ、主人公の勝利は約束されていて、
正直に言えば、身の振り方を悩んでいる。ヴィラン連合から抜け出すのは『先生』のせいで少し面倒臭くなっているし、ヒーローたちにぼこぼこにされるのは普通にごめんこうむりたい。オールマイトとかマジで怖い。ワンパンで死亡する未来しか見えない。本当に怖い。犯罪の抑止力としての力本当にわかる。
原作開始は春で、死柄木さんたちの登場はその一年後。主人公が雄英高校に入学した後。
もし次の春が原作の開始であれば、自分がどう行動するかはこの一年ちょっとで決めなければならないのだ。
「やってらんねえなあ……」
しばしの現実逃避だ。腹もみちたし、少しばかり眠ることにする。
―――――考えれば、このときにそうそうとこの公園から立ち去ってしまえばよかったのだ。それに、好奇心につられて余計なことに首を突っ込まなければよかった。
BOOM———!
「!?」
何、なんだ今の音?
驚きすぎて体が自然とびくっと動いた。というか、その自分の体の動きで目が覚めた。
「チッ―――」
軽い舌打ちが聞こえて、というかその爆音がした方向に視線をやれば、一人の少年が息を荒げて立っていた。爆発は彼によるものであったらしい。冬だというのにわりと薄着で、うっすらと汗をかいている。
爆風によって砂塵が舞い、視界がけぶっている。砂をまとった風が顔面に吹きつけ、砂が入りそうで目を細める。
爆発の個性をもった少年か。……ものすごく覚えがあるな。
じっと汗をぬぐう彼を見れば、視線に気づいたのか彼もこちらを見た。
「———見てんじゃねえよ。ああ?」
―――
まさか出会ってしまうとは。
なんにせよ、
めちゃくちゃヴィランみたいだな。