プロローグA 【雑技王】
□【雑技王】
舞台の上で少女が踊る。
舞台裏で数人の幻術士たちが織り成す深山幽谷の幻影背景。
音楽家たちが息を揃えて演奏するオリエンタルな旋律に合わせ、数多の黒子を従えて縦横無尽に舞っていた。
黄河の伝統芸能である雑技は極めて高度な技術を要するパフォーマンスである。
常人からかけ離れた身体のしなり。頭頂から爪先に至るまで余すことなく統制するためのセンス。
薄皮を少しずつ重ねるような地道な鍛錬を経て磨き上げた肉体を、衆人環視に臆さず舞台で観客を魅了することを要求される。
誰が呼んだか「魅せるための武」とはよく言ったもので、武仙の国黄河において雑技とは、連綿と続く武術の歴史とも因縁浅からぬ親密な間柄にあった。
多くの武門がそうするように、雑技を志すものは幼い頃からその修練に明け暮れる。
軽業師系統で習得可能なスキルはそのほとんどがセンススキルであり、単純にレベルを上げるだけでは決してその真価を発揮し得ない。
日常そのものを過酷な訓練とした上で、長い年月を重ねなければ決して大成できないとされる、極少数の限られた才人にのみ栄光が許される狭き門であった。
しかしここにひとつの例外が存在する。
今壇上で黒子と舞う少女こそがその証左である。
およそ二年前から爆発的にその数を増した、伝説に語られる<マスター>という超常存在たち。
その中で幼い童女の姿をしたある<マスター>は、幼い頃からの修練も無く、長い年月に磨かれた経験も無く、ただ純粋な天稟によってのみ雑技を極め観客の視線を釘付けにしていた。
「♪――――」
幻影と旋律に合わせ少女が踊る。
その顔は天真爛漫そのもので、観客の存在など無いかのように自儘に舞う。
深山幽谷に遊ぶ天女を盗み見たかのように、少女は自在に天を泳ぎ、地を走り、天地自在に戯れる。
重力の軛を忘れて舞うその演技は、およそ既存の雑技とはかけ離れた超常の光景。
それを助けるのは天女に侍る黒子――否、目まぐるしく形を変えるそれは決して人ではない。
尋常の軽業師が数多の共演と協力し演目を果たすのに対し、少女は独力で超常の光景を描いていた。
それを可能とするのは、少女が特別だからだ。
少女こそは軽業師の頂点に立つ【雑技王】であり。
この世に一〇〇といない真の超越者――<超級>であり。
そしてそれらとは全くの無関係に生来のセンスで雑技を極めた、
囁かれし異名を"
皇帝陛下の天覧するこの舞台において舞遊ぶ、<黄龍雑技団>の秘蔵っ子。
すなわちこの天覧公演こそはかつての伝説を襲名した幼き王の、一世一代の晴れ舞台であった。
「すごい……今まで見た雑技とは全然違います……! 自由自在に天を舞えるのはどうしてでしょう、それに次々に形を変える影も……あれが彼女の<エンブリオ>なのでしょうか?」
演舞の数々に感嘆の声を漏らしたのは、貴賓室から舞台を見下ろす龍人。
被った龍面の下で呟いた言葉は、その厳しい姿からは似つかわしくないほど幼い。
「いや、あれは特典武具だナ。《鑑定眼》だと【立体影像 シェイドプリンター】って出た。効果は……非実体を物理干渉可能な実像に変えるってとこカ。大元がアイツの<エンブリオ>ってのは間違いなさそうだガ」
興味津々な龍人に答えたのは、その隣に座った
異様に手足の長い道服を着込み、その顔には符。覗く手足は鋭利な刃をした、紛うことなき怪人である。
龍面を被った龍人と、僵尸のような風体の怪人。奇妙な組み合わせだが、二人は親しげに感想を述べていた。
「特典武具、ですか? 【雑技王】は非戦闘職だったはずですが……」
「アイツの<エンブリオ>はジョブとは関係ネェからナ。もっと言えば、アイツの<エンブリオ>は間違っても見世物に使えるような可愛げのある代物じゃネェ」
「迅羽さまは彼女と親しいのですね」
「ただの知り合いだゼ、ツァン。別に仲良しこよしってわけじゃないサ」
「もっとも、特典武具の効果で随分とナリを潜めているらしいが」、と怪人――迅羽は続けた。
その迅羽にツァンと呼ばれた龍人――黄河帝国第三皇子である蒼龍は興味深そうに傍らの迅羽と壇上の少女を見比べる。
成程、毛色は違うが<超級>と呼ばれる者にもいろいろいるのだなと得心して、ジロリとこちらを睨みつけた皇帝の視線に気付き居住まいを正した。
その様子を見て彼の友人たる迅羽は、やりきれないように小さく嘆息する。
国家機密とはいえこの程度の気の緩みも許されない彼の身上に内心で同情を示すが、それを口には出さなかった。
代わりにおどけるようにツァンの脇腹をつついて舞台を指差す。
「でもまぁ、たまにはこういう見物もいいもんだロ。普段のお硬い祭事よりは気が楽ってもんダ」
「……そうですね。こんなにも楽しい催しが決闘以外にもあるなんて、知りませんでした」
それが彼女なりの慰めであることをツァンは察して、消沈していた気分を浮き上がらせる。
そしてその後も演目は続き、幼い【雑技王】は最後まで観客の目を捉えて離さないまま大歓声に終わる。
『――以上を持ちまして此度の公演を終わらせていただきます。偉大なる皇帝陛下及び皇族の方々の天覧、多くのお客様にご高覧賜りまして光栄至極に存じ上げます――』
壇上では一座の長たる黄刃華が堂々と謝辞を述べていた。
貴賓室から見下ろす皇族一同に深々と拝礼し、次いでその他の観客に頭を下げていく。
熱狂冷めやらぬ天幕の中、彼は毅然とした態度でスピーチを続ける。
『我が一座の歴史は六十年前、先代【雑技王】黄刃烏にまで遡ります。御来賓頂きました方々の中には覚えのある方もいらっしゃることかと存じます。彼こそは時の帝に天覧賜り、畏れ多くも"龍"の字を格別の思し召しによって許された天稟でありました。それを以て一座は<黄龍雑技団>と名を改め、当代【雑技王】のもと偉大なる黄河帝国文化の一つとして努力を重ねて参りました』
『その最たる舞台は当代【雑技王】の最終公演、『大悟悦楽羽化昇天』でありましょう。三日三晩に渡って雑技の全てを演じ果たし、その末に雲間に昇り消えたことは、当時の観客から語り継がれ、知り置かれる方々も多いでしょう。まさしく【雑技王】にのみ演じられた、空前絶後の大雑技でありました』
『しかしながら、その後長きに渡り【雑技王】の座は空位に置かれ、彼の伝説を継承する逸材は不明のままでありました。時には栄えある"龍"の一字を返上すべきかとも思い悩みました。彼の血を継ぐ我々黄一族、ひいては一座に籍を置く【軽業師】の誰もが皆、先代の技巧に辿り着くこと能わず、不甲斐ないばかりの日々を過ごしていたことは、我ら一同汗顔の至りであります』
『しかしここに一人の逸材が現れました。長らく不在だった【雑技王】の座を継承する、我が一座史上最大の麒麟児がここに存在します』
『改めて御紹介させていただきます。彼女の名は、
座長の熱の籠もった紹介に合わせ、天に身を置いた【雑技王】が仰々しく頭を垂れる。
そしてそれと全く同じ格好をした、濃淡で陰影を表した黒猫の影が、観客一人ひとりの前に現れ握手を求め、皇族の前には恭しく跪礼した。
旧知である迅羽にも同様に挨拶し、呆れたように鉤爪で小突かれると同時に陽炎のように霧消する。
「ハッ、格好つけやがっテ」
「本当にすごい……」
皮肉げに言いながら笑う迅羽と、感嘆に震えるツァン。
厳格な父までもが表情を崩して小さく破顔し、兄姉も拍手を送って讃えている。
まさしく芸の極みを魅せつけられ、観客の心はひとつとなって熱に沸いていた。
万雷の喝采を浴びる黒猫は涼しい顔で平然とし、刃華は何度も頭を下げて観客に応える。
鳴り止まぬ拍手が続く中、刃華は居住まいを正し再び口を開いて続けた。
『そしてこの場を以て告知致します。これより我が一座は総動員して黄河各地を回り、主要都市で興行いたします。黄河を股にかけた大巡業を、これより一ヶ月をかけて執り行う所存です』
その言葉に真っ先に身を乗り出したのは、商いに身を置く商人たちだった。
彼が告知したビッグイベントは、彼らにとってまたとない商機である。
黄河に名高い【雑技王】が執り行う一大巡業ならば、それに動員される人と金とは莫大なものとなる。
ありとあらゆる利益が見込める絶好の機会に、目敏い商人たちは早くも鼻息を荒くしていた。
『――以上を持ちまして閉幕とさせていただきます。此度は御来賓賜りまして、深く御礼申し上げます!!』
かくして【雑技王】を筆頭とする<黄龍雑技団>一大巡業の速報は全国を駆け巡り、黄河に熱狂を招く運びとなった。
――そしてそれは、恐るべき
To be continued
○【立体影像 シェイドプリンター】
非実体を物理干渉可能な実像に変換する力を持つイヤリング。
黒猫の<エンブリオ>が展開する闇を実体化させて使う。
強度は高くなく下級の前衛職でも破壊可能な程度で、ドレイン能力も失うため実戦には向かない。
代わりに消費コストがほぼ無視可能なレベルで低く、黒猫の領域操作能力と合わさって汎用性が非常に高い便利な特典武具。黒猫の一番のお気に入り。
生前は逸話級<UBM>、【虚影巨映 シェイドプリンター】。
あらゆる影を実体化させ、ゴーレムのように運用するエレメンタル系モンスターだった。
が、広域殲滅型の黒猫との相性が悪く雑に討伐された。