□カルディナ
カルディナの東端、黄河帝国の国境に程近い交易要衝地。
波打つ砂海を乗り越えた先、一面に広がる荒野に簡素な建屋が疎らに点在するだけの町並みは、さながら西部劇の開拓地のようなある種のロマンある殺風景を描いている。
しかしながらそこに息衝く熱気はそうした寂寥とは無縁の騒々しさを昼夜問わず吐き出し、東西を行き交う人々を幾度となく見送り、または迎え入れていた。
交易によって富を得ようとする東西の商人。
そんな彼らを目的地まで案内することで生計を立てる案内人。
あるいはそれらを獲物にせんとする賊の斥候。
いずれもどこの馬の骨ともしれない中、ただ
そんな町にいくつかある酒場の一つ。
腕自慢の荒くれ者が盃を酌み交わす一等危険なその店。
いつもなら酔客の喧騒がこだまする店内は、今は張り詰めたように沈黙している。
そしてその沈黙の中、最奥のカウンター席に腰掛ける場違いな影。
「……ご注文は?」
「そちらのボトルを。おすすめは?」
「無論、ストレート」
「では、それで」
緊張した面持ちの店主に答え、琥珀色の酒精をグラスに受け取ったのは女。
男所帯の酒場には似つかわしくない、楚々とした気配を纏う淑女の如き佳人だった。
編み上げた黄金の髪。憂いに潤むような碧眼。
全身を彩る衣服は深窓の令嬢のそれでありながらどこか尋常ならざる気配を放つ。
ドレスグローブで包まれた細い指先でグラスを傾ける様は、それだけで一枚の絵画の如く美貌を演出していた。
その喉の動きに合わせて店主も思わず息を呑む麗人である。
しかしその緊張には単なる美しさからのみならず、触れ得ざる危険物への警戒も含まれていた。
物静かに酒を嗜む彼女の一挙一動を店主のみならず、彼女の素性を知る客が固唾を呑んで見守る。
まるで人食いの獣を見るような視線を、しかし彼女は一顧だにせずグラスを空け、何をするでもなく静かな時間を過ごしていた。
「いつになく東へ向かう動きが強いようですね」
しばらくそうしていた女がぽつりと尋ねた。
店主は普段酔客に向ける粗野な言動を慎みながら、よく躾けられたバーテンダーのように恭しく答える。
「黄河で大きなイベントがあるようで。なんでも新たな【雑技王】が生まれたとか」
「【雑技王】……?」
「【軽業師】の頂点です。連中の雑技は黄河の伝統芸能ですが、そのトップは長いこと不在だったそうで。なんでも先代は名にし負う有名人だったそうで、一部の芸能好きが供回りを引き連れて見物に向かってるそうです」
店主は大した興味も無さそうに、伝聞をそのまま語った。
対して女は表情を大きく変えると、視線をグラスから店主に移して問うた。
「その【雑技王】の素性は?」
「え? えぇ……なんでも年端もいかない子供だとか。とはいえ<マスター>らしいですから、見た目通りの歳ってわけでもないでしょうな」
「子供……なるほど」
思わぬ食いつきを見せた女にたじろぎながら答えると、彼女はそこで初めて笑みを見せる。
男なら誰もが見惚れるような微笑みだった。再び息を呑む店主に、女は上機嫌でリルを投げ寄越す。
「それはいいことを聞きました」
「発たれるんで?」
「ええ、当面の路銀は稼げましたから。そろそろ御暇しましょう」
その言葉にほっと安堵したのは店主だけではなかった。
二人を見守っていた客の誰もがため息を吐いて、長い沈黙を破るように日頃の喧騒を取り戻していく。
さながら猛獣の視線からようやく逃れたように、冷え切った熱を取り戻そうと乾杯していって――
「身なりのいい金髪碧眼の女はお前か!!」
――怒号と共に扉を蹴破った闖入者に、またも肝を冷やすことになった。
再び空気を凍てつかせ、肩を怒らせ女の背後に回ったのは、この場の客よりも数段上回る気配を放つ男だった。
荒事を日常とする客達と比べてなお高い力量を示す男の名を、客の幾人かは承知していた。
"人喰い虎"のガガランダ。
カルディナに蔓延る盗賊団の中でも一目置かれる一団の頭目として知られる、一際悪名高い破落戸である。
無論、あくまでティアンとしては、という但し書きはつくが……それでもこの場に居合わすティアンにとってはリスクの高い強敵と言えた。
剣呑な気配を滲ませる周囲には目もくれず、未だ腰掛けたままの女の細首に刃を添えガガランダは殺気を昂ぶらせる。
言葉一つ誤れば即座にその首を刎ね飛ばさんことは誰の目にも明らかで――しかし周囲は、女の危険にではなく、
最も近い店主などは、既に顔を蒼白にして呼吸を失っている。
「俺の留守によくも好き勝手してくれたなァ……おかげで手下は全滅、お宝は根こそぎ、拠点は木っ端微塵だ! この落とし前、つけてもらうぜ……」
「…………」
血眼になって殺気立つ男の言葉に対し、女は振り向きもせずグラスに残った酒を飲み干した。
ガガランダがほんの指先一つ動かせば動脈引き裂かれ血が吹き出す間合いにも関わらず、まるで気にも留めず悠々と寛いでいる。
ちらりと店主を見て、これ以上の酌は無いことを悟ると、そこでようやく男に向けて言葉を発した。
「――それは
「あぁん?」
「生憎、この手の諍いは心当たりが多すぎて……なかなか思い当たらず」
「テメェ……!!」
間違いなく挑発だった。ガガランダは即座に血が昇り、怒髪天を衝く勢いでざんばらな髪が逆立つかのよう。
女の口ぶりが平静そのものなこともそれに拍車をかける。
ガガランダは目の前の女を甚振り尽くす算段も忘れ、激昂に駆られるまま添えた刃を引き切ろうとして――
「まぁ、だからといって対応に変わりはありませんが。そちらがそのつもりなら、そうしましょう」
――女が席から立ったことで初めて、その動きが叶わないことを思い知る。
振り向き、相対した女は男とくらべて頭一つ分も小さい。背格好通りの令嬢然とした姿かたちである。
しかし彼は、彼女の碧い双眸に認められた瞬間、人喰いの獣の眼に射抜かれたように硬直する。
あるいは蛇に睨まれた蛙のように、全身を金縛りが襲っていた。
「しかし驚きです。徒党を組むならともかく、単身乗り込んで誰何されるとは……久しくなかった出来事です。過日の未熟を思い出します」
「あっ……が……」
「ここらの賊徒は粗方潰し終えましたから、いい加減身元も知れていると思っていたのですが。伝聞や噂などそんなものでしょうか。自ら喧伝するつもりもありませんが、ままなりませんね。とはいえ取り零しが自ら出向いてくれたのなら、対処するのが筋というものでしょう」
そう締めくくって、女が右手を伸ばす。
ドレスグローブに包まれた細い人差し指を、幼子を諭すように男の額に添える。
「今はいつになく良い気分ですから、小綺麗に片付けます。店主、後始末はお任せします。お代は迷惑料も含めてそちらに」
「あ、あぁ……」
「よしなに」
言い放ったそのときには、既にガガランダは事切れていた。
女の細指を額に添えられたそのときに、頭蓋の中の脳髄をぐちゃぐちゃにかき混ぜられて。
ティアンとしては破格の才を持ち、
残された客達はそそくさと死体を【アイテムボックス】に仕舞うと、怖気を拭い去るように酒を浴びた。
そして、知らずとはいえ猛獣に手を出した愚か者の末路を口々に囁き合う。
「馬鹿なやつだ、"人間台風"に手を出すなんて」
「"人喰い虎"も台風の前じゃただの子猫ってこった。あいつには知り合いが何人もブチ殺されてたんだがなぁ……あっけねぇあっけねぇ」
「とんだ間の悪い男もいたもんだな。留守決めて助かったんなら、そのまま命を大事にしてりゃよかったのに、無駄にしやがって」
男達は次第に笑みを、熱気を取り戻し、酔いも回った舌でガガランダの最期を囃し立てる。
これまで頭を低くして
「あの人が居座ったんじゃ俺達おまんまの食い上げだからな。出てってくれて清々したぜ」
「見た目は頗る付きで良かったから惜しいけどな。せめて一晩でもってのは……」
「よせよせ、怪物と人間が寝床を共にできっかよ。だがまぁ、羽振りがいいことだけには感謝するがな」
「ああそうだ。おい親父、奴さんの置き土産があるんだろ!? このままじゃまるで足りねぇぜ、どんどん持ってきてくれ!」
「やかましいんだよクソ野郎共! どうせ全部空けたって釣りが来るんだ、好きにしやがれ!!」
「恐ろしくも麗しき我らが女神様に乾杯!!」
喝采が喝采を呼び、店は普段以上の喧騒に包まれる。
それはさながら店を去った女へ送られる手向けの言葉のように、翌朝まで続いていった。
◇◇◇
上空。カルディナの荒野地帯から東の黄河へ向けて飛翔する影があった。
店を出た女はそのまま町から出ると、東に向けて跳躍しその勢いのまま亜音速で弾丸の如く飛び続けていた。
「ふふ……暫く見ないうちにご立派になられて」
女の顔には笑みが。
こちらの世界において長年来の腐れ縁が続く知己の現況に、否応なく顔が緩むのを自覚していた。
女が東に向けて飛ぶのは、彼女にとって無二の友たる少女の晴れ舞台を直接見るため。
あわよくばそのついでにまた喧嘩の一つや二つでもできればいいなと目論見ながら、砂漠を越え山河を越え、一直線に東へ向かっていた。
「これでようやくわたくしと同じ舞台に立たれたのですもの。今一度拳を突き合わせるのが友情というものでしょう。ええ、わたくしとしても非戦闘職に勝ち越されたままではいられませんから……」
思い募らせ、女の顔が獰猛な笑みに歪む。
佳人の皮を被った破壊の獣の後には逆巻く暴風が残され、やわな木石を薙ぎ倒していった。
男達が噂した"人間台風"の異名に違うことなく、荒れ狂う嵐を足跡に刻んで。
「待っていてくださいね、ヘイさん。わたくし、とっても楽しみです――!」
女の名は、ステラ。
【
――その名の如く激震を齎す、一等危険な人の形をした災害が東へ向けて直進した。
To be continued
三奇拳一物騒な女、ステラ・ザ・デストラクト再登場。