□【雑技王】黒猫
黄河の龍都と南方都市をを結ぶ主要街道を行列が進む。
大々的に告知された<黄龍雑技団>の大巡業、それに必要な人員と物資を詰めた竜車は大名行列のように街道を占拠しながら、最後の目的地に向けて進行している。
本来は五〇〇名前後しかいない一座の人間だけど、この行列に加わる人数は軽く一〇〇〇を超える大所帯。
その内訳は巡業についてきた熱心なおっかけだったり、それを相手にする商人や娼婦だったり、それらをまとめて護衛するティアンや<マスター>の腕利きだったり。
「壮観ぢゃろう? ヘイや」
「まーね」
隊列の中央に位置した竜車の屋根で黄昏れていると、のそのそ登ってきたワンじーちゃんが隣に座って言った。
じーちゃんは今回の巡業にあたって必要な資金を出してくれた一番のスポンサーだった。
あたしが【雑技王】に就いたことを報告した途端一も二もなく企画を立ち上げ、だんちょーに熱心に呼び掛けたのも他ならぬじーちゃんだ。
開催地の選定、移動ルートの構築、日取りや人員の確保、全部じーちゃんとだんちょーが中心になって、その結果がこの光景。
天覧公演の手筈を整えたのもこの二人で、それを大盛況で終えた今、あたしの名は不動の【雑技王】として全国に轟いている。
「我がことのように誇らしいのう。長らく不在だった【雑技王】をおぬしが継いでくれたこと。皇帝陛下の覚え目出度きこと。こうして大移動に数多の観客が着いてきてくれていること。全ておぬしの実力あってのことぢゃ」
「流石に褒めすぎじゃんね。そんなこと言ってるとあたしチョーシ乗りまくりよ?」
「何を言う。おぬし無くして今の光景はありえぬよ。最早誰も一座の名を嗤う者はおらん。時の帝に賜った龍の一字を疑う者などおりはせぬ。……あやつの忘れ形見は再び輝きを取り戻したのぢゃから、誰がなんと言おうと儂はそれを譲らぬよ」
じーちゃんは涙ぐみながら鼻を赤くして遠くを見ていた。
じーちゃんの言う
ワンじーちゃんと、だんちょーのじーちゃんと、もう一人別の街にいるじーちゃんの三人で旅した青春時代の話は、一座の各支部を巡る修行時代に同行したワンじーちゃんから思い出話として聞かされた。
先代じーちゃんの凄さはじーちゃんが残していた記録映像で見たことがあるけど、確かに桁違いだった。
具体的に何がどう凄いのかと言えば言葉に詰まるのだけど、惹き込まれるっていうのはまさにこういうことなんだと素直に納得したほど
記録媒体越しに観た演目でさえかぶりつきになるのだから、それを直で観たときの興奮はどれほどのものだろうと柄にもなく熱中した覚えがある。
先代じーちゃんに続く【雑技王】が現れなかったのも頷けるほどに、先代じーちゃんの雑技は神懸っていた。
あたしが【雑技王】の就職条件をだんちょーから教えられたのは、【名軽業師】のレベルをカンストさせたときだった。
その条件とは「自分が主演となる舞台の興行収入が一定額を超える」ことと、「【名軽業師】としての名声値を一定以上得る」こと。
前者の条件はある程度軽業師としてのキャリアを維持していれば達成することは難しくないけど、問題は後者。
名声値は具体的なパラメータとしては表示されないマスクデータで、どれくらい稼げば条件が満たされるのかが誰にもわからなかった。
名声と言うからには有名になればいいのだろうけど、一座の支部長のように長い活動で名が知れ渡っていても達成のアナウンスは通知されなかった。
ひょっとしたら今も先代が生きているから席が空かないのではないかと考える者もあったらしいが真偽は不明。
そのまま【雑技王】の不在が続き、かつての伝説と名門も過去の栄光と忘れ去られようとしていたところに、あたしのもとへ条件達成のアナウンスが通知された。
多くの超級職と同様に、【雑技王】への転職にも専用のクエストが用意されていた。
その内容はクエスト用の特殊空間で制限時間内を自由に演目を演じ、一定以上の評価を得ること。
転職条件があやふやなら、転職クエストの合格基準もあやふや。
だけど一応の基準とでも言うように舞台の上では幻影が雑技を披露していて……それは映像で観た先代じーちゃんの動きと瓜二つだった。
つまりそれは「先代に負けない雑技を披露してみろ」という激励に他ならず、それを見てあたしはこれまで誰も【雑技王】になれなかった理由がすとんと理解できた。
結局のところ単純な話で、先代じーちゃんが凄すぎるせいで跳ね上がったハードルを誰も越えられなかっただけのことだった。
転職条件にある名声値も、歴代【雑技王】が獲得してきた名声と比較して算出される相対的な指標に過ぎず、歴代の中に突出した才能の持ち主がいればいるほどにその達成難易度が上がってしまったのだろう。
経験と才能が物を言う芸能の世界、その職能のひとつに求められる条件としては至極納得行くものだった。
単純に金を稼ぐだけでは芸とは言えない。
観客が納得するだけの芸を修めなければ王位には就けない。
<
だけどそれは逆に、転職クエストが解放されたということは、十分に達成の可能性があるということにほかならない。
結論から言えばあたしは転職クエストに成功した。
時間いっぱいまで演じ切った瞬間、あたしは転職クリスタルの前に立っていて、ステータス画面には【雑技王】の名が表示されていて、一座の皆がそれを祝福してくれた。
だけどそれと同時にあたしのヒダルガミも<超級エンブリオ>に進化していて……あたしはなんとも言えない気分になった。
「浮かぬ顔じゃの。ヘイや、何をそんなにも思い悩む」
「そー見える?」
「わからいでか。こちとら人の顔色伺い続けてもう一〇〇年近いんじゃぞ」
「年の功ってやつ? さすがじーちゃんじゃんね。……ま、当たってるケド」
じーちゃんが本気で心配していることは、声のイントネーションでわかった。
だけどどう答えたものか考えて、言葉に詰まる。
あたしは雑技が好きだ。
でもそれは軽業師としての誇りとかじゃなくて、演じることで観客があたしに注目するのが堪らなく気持ちいいから。
あたしは自分の<エンブリオ>が苦手だ。
別に嫌いというわけでもないけど、振り切ったはずの過去が追い縋ってくる気がして……進化と同時に覚えた必殺スキルのせいで余計にそう思う。
あたしが<Infinite Dendrogram>をプレイしてるのは、あっちゃんに誘われたからで、あたし自身には大した動機は無い。
今もデンドロを遊んでるのは、単純に居心地がよかったからだ。あたしが軽業師として働けば働くほど、誰もがあたしに注目してくれる。
じーちゃんが甘やかしてくれるように。
だんちょーが叱ってくれるように。
観客が持て囃してくれるように。
可愛がってもらえる……それだけが、あたしが今を頑張る唯一の理由。
「ふぅむ……さてはおぬし、不安になっておるな?」
「不安? まっさかー」
柄にもなく落ち込みかけていたところに聞こえた声に、あたしは咄嗟にそう答えていた。
【雑技王】黒猫は世紀の大天才。かつての伝説をも超えた今を生きる伝説。
そんな触れ込みの中臨んだ巡業で、いくら身内でも弱音を吐くところを直接見せるのは憚られる。
……というのは建前で、単純にあたしが恥ずかしいだけだ。
「ま、ほれ。こっちゃこいこい」
「ん……」
だけどじーちゃんはそれを見透かしたようにやんわりと微笑み、ぽんぽんと膝の上を叩いた。
あたしはその誘いに乗ってじーちゃんの懐に収まる。
全身でその温もりを感じていると、じーちゃんはとつとつと口を開いた。
「ヘイや、おぬしが【雑技王】を継承したと聞いたとき、わしゃ心の底から嬉しかった。目にかけた若者が見込んだ通りに……いやさ期待以上の才気を見せて悲願の座を復活させたのじゃからな」
「…………」
「おぬしは天才じゃ。これほどの幼さでこの力量、先代でさえ持ち得なかった天稟よ。誰もが生涯をかけて極める道を一足飛びに駆け抜けたのじゃ。これを天才と言わずして何という」
じーちゃんの言う通り、あたしは天才だ。
特に体を動かすことにかけては誰にも負けるつもりはない。
だからあたしが【雑技王】になったことに殊更の努力は必要なかったし、目指すだけの情熱も実を言うと無い。
あたしが軽業師として活躍することで皆がちやほやしてくれるから、おだてられるままここまで続けてきただけのことだ。
「しかしおぬしは、それを天賦の才と言われることが不服のようじゃな」
「……よく見てんね、じーちゃん」
「言ったろう、年の功じゃと」
だからそれを天才と持て囃されることに対して、あたしは大した感慨を見出だせない。
極端なことを言ってしまえば……原始人の前で肉を上手く焼けたからといって何が凄いのか。
そんな傲岸不遜が心のなかに巣食っていることを、あたしは決して否定できない。
つまるところあたしにとって、【雑技王】というジョブ自体に価値は無いも同然だった。
「ほほほ……若い若い。いや、幼いのか。ほんに<マスター>とは不思議なものよ、おぬしのような年端も行かぬ子供までもが、超常の存在として君臨する。儂らティアンの理解の外じゃ。しかしの、ひとつだけわかることがある」
「それは?」
「おぬしが子供だということじゃ」
じーちゃんは優しい声で言い切った。
「おぬしは子供じゃよヘイや。ありもしない不安に怯える、まだまだ物を知らぬただの子供じゃ。なぁヘイよ、さてはおぬし、自分には【雑技王】としての価値しかないと勘違いしてはおらんか?」
鋭い指摘に、思わずあたしの全身が跳ねた。
考えないようにしていた不安を言い当てられ、あたしは返事も出来ずに縮こまる。
だけどそんなあたしの頭をじーちゃんは優しく撫でて、諭すようにゆっくりと言った。
「まったくの杞憂だとは言わぬ。芸事もまた人の営みなれば、それによって得る絆と柵に打算は付きものじゃ。しかしの、ヘイや。だからといってそれのみに縛られることも無いのじゃよ」
「…………」
「おぬしが辿り着いた頂きは、数ある道のひとつでしかない。そして道に果ては無いが、引き返して別の道を選ぶ自由がおぬしにはある。人生とは無数の岐路の連続じゃ。やがて歩く力を失ったとき、その道程を振り返って初めて、人は己の生の真意を知る……」
「ヘイにはちと難しい話じゃったかの?」、と言ってじーちゃんは笑った。
じーちゃんの言う通り、その言葉の意味はあたしにはまだ難しくて、じーちゃんが本当に言いたいことを今のあたしはまだ飲み込めそうにない。
だけど肯定するでもなく、否定するでもなく、寄り添うように投げかけられたじーちゃんの言葉に、あたしは例えようのない安心感を覚えていた。
「……薄々察してはおったが。おぬし、殊更愛情に飢えておるの」
「……そー見える?」
「親の愛を知らぬかはたまた……おぬしは時折、傷ついた野良猫のような表情を見せる。それでも歪んでおらぬのは、良き人間関係に恵まれたからかの」
「そこまでセンチメンタルじゃないけど、まー間違っちゃいないよ。血は繋がっていないけどパパとママもいるし、仲の良い友だちもいるしね」
だけど生みの親なんて知らない。いらない。
こっちの世界で大切なものは、
「…………」
ふと屋根下を見やれば、視線があった同行者の誰かがあたしに向けて手を振った。
それにあたしは【シェイドプリンター】で実体化させたヒダルガミの闇で会釈して応えてやる。
そいつはどうやらあたしのファンだったようで、目の前に現れたあたしと同じ形をした影の手を両手で握って舞い上がっていた。
触れれば命を失うあたしの闇に嬉しそうに触れる姿を見て、心の片隅で安心してしまう。
あたしがこの特典武具を愛用するのも、単純に便利だからということもあるが、
本当は【軽業師】とはシナジーするはずもない奪うだけの<エンブリオ>。
それが誰の命を奪うでもなく、喝采を得る助けとなることに、なぜか無性に嬉しくなる。
「それが答えじゃよ、ヘイや」
「答え?」
「おぬしの<マスター>としての力は確かに傷つけることしかできぬかもしれんが、紆余曲折を経てこうして触れ合うこともできた。それは特典武具の力によるものじゃろうが、その力を望んだのはおぬしの心魂そのもの」
「…………」
「おぬしは優しい子じゃ。儂にとっても目に入れても痛くない、可愛い可愛い孫娘じゃて」
撫でられながらあたしは、言葉を返そうにも口を開けず、ただ撫でられるままになっていた。
無理して口を開こうとすれば、声が震えるのを堪えきれないのがわかっていたから。
じーちゃんは優しい。だんちょーも優しい。あたしと親しくしてくれるこの世界の人たちは皆優しい。
一番大事なものはリアルのパパとママ、そしてあっちゃんだけど、じーちゃんたちもそれに負けないくらい、今のあたしには大切になっていた。
三年前にこのゲームを始めたときは高性能なNPCとしか考えていなかったティアン。
だけど今ではもうただのNPCなんかじゃない。血と情の通った一個の人間で、この世界はもうひとつの世界。
リアルよりずっと濃密な人間関係を経て得た今の自分と、そんなあたしに親身にしてくれるじーちゃんたち。
その信頼に応えたいと考えた瞬間、あたしの中で急速に【雑技王】の名が輝きだした。
「あのさ、じーちゃん」
「うむ」
「あたし、公演頑張るじゃんよ。きっちり四箇所大成功させて、大手を振って皆を龍都に凱旋させる。そんでさ……」
「うむ、それで?」
「そのあとまた一座でたくさん活躍したら、旅に出るじゃんよ。身一つで大道芸でもしながら小銭稼いで、レジェンダリアまで友達迎えにいってさ。そんで次にこっち戻ってくるときは、あたしの一番の親友をじーちゃんたちに紹介するよ」
じーちゃんに言われてみて、ふと思い浮かんだやりたいことがそれだった。
具体的な中身はまだ追いついてないけれど、なんとなくそうしたいと思ったのがこうだった。
その気持ちをそのままじーちゃんに伝えると、じーちゃんはあたしの髪をくしゃくしゃにして撫で回して、とっても嬉しそうにはにかんで見せた。
「そうかそうか、そうしたいか。なら、それでええ。それがええんじゃ、ヘイや。おぬしの心ゆくままに旅しなさい。可愛い子には旅をさせよとも言うしの。それに、なに、おぬしが一時抜けたとて屋台骨は揺るがぬ。むしろおぬしの居ぬ間に見返してやろうと発奮するじゃろうて」
「そーかな。……へへっ、そうだといいじゃんね。そうなってくれたほうが、あたしも張り合いがあるじゃんよ」
「ほほほ……ほんに、老いらくの今になってますます長生きしたい理由ができたわい。おぬしはまっこと、この老いぼれを飽きさせんのう……ほっほっほっ!」
それからあたしたちは日が落ちるまで屋根の上、二人で他愛のない話で語り明かした。
次に日が昇る頃には第一の開催地に到着する。それに向けてあたしは、早くも最高潮に達していた。
絶対にこの巡業を成功させて、皆を大満足させてみせる。
そう固く決心しながら、あたしはやがて眠りについた。
To be continued
(・3・)<……
(・3・)<むせ返るほどのフラグ臭