□【雑技王】黒猫
道場から一歩出れば、そこはもうすっかりお祭り騒ぎ。
無数の屋台と人が混在する風景は大盛況を極めているけど、ここはカルディナにも程近いからかこれまで興行してきた南・東・北の大都市以上に活気が満ち溢れてるように見えんね。
他所じゃ見なかった人種もちらほら見かけるし、見るからに身なりがいいのはカルディナの大富豪かな? 黄河では珍しい亜人とかも少数だけど見かけて、まるで人種のバーゲンセールだ。
「こうして見ると
「あ、やっぱガル兄のクニってあっちなんだ? まー見たまんまじゃんね」
「わたくしの故郷はやや辺境ですので、こうした人種入り交じる風景は新鮮ですね。とはいえ、カルディナほどではありませんか」
「カルディナかー。向こうはどんなもん? しょーじき碌でもない噂しか聞かないんだけど」
「実際碌でもないですよ、『金があらずんば人にあらず』は事実ですから。とはいえある程度の腕が金銭があれば過ごしやすい場所ではあるでしょう。お二人なら然程苦労も無いのでは?」
「絶対ヤダ。あたし金に汚い連中とか大嫌いだし」
浅ましい淫売の母も、卑しい紐の父も、どっちも金には碌でもなかった。
ワンじーちゃんのように金の使い方を心得てる大人とは違う、心底金に汚い連中のやることなんて関わるだけ百害あって一利なしってよーく思い知ってる。
で、そういう連中の餌食になるのは力のない弱者で……大抵の場合それは、他に身寄りのない子供だったりする。
……まぁそんなことを考えていても仕方ないので、話題を変えるか。
せっかくのハレの日に野暮な話もアレだしな。
「んで、そんなとこでお前は何してたんだよ? 一年くらい前から顔見てなかったケド」
「西方諸国を巡っていました。最初はカルディナ、次にレジェンダリア、アルター王国と旅をしまして……ドライフ皇国に差し掛かる頃には<超級>へ進化していたのもあり興味本位で【獣王】へ挑戦など。所謂武者修行の旅というやつでしょうか、実りある日々でしたよ」
適当に屋台で買い食いしながら聞いてみると、思った以上に脳筋な答えが返ってきた。
つーかなにしてんだコイツ、【獣王】ってリアル側のフォーラムでも超有名なヤベーヤツじゃん。
いくら物理相手には無敵だからって"物理最強"相手に戦いを挑むかフツー?
「相変わらずお嬢様っぽい顔してやること蛮族じゃんね。見た目はガル兄のほうがそれっぽいのに」
「黒猫くん、僕は至って平和主義的な男だぞ!」
ガル兄の抗議の声。
そうは言うけど人間見た目の第一印象が九割だし、そう思われても仕方ないかなって。
そういう意味ではステラが本当に見た目詐欺じゃんね、見た目だけなら本当にお嬢様だし。
「しかし旅か……僕も興味がないとは言えないなぁ。いつか黄河の外に出てみたいとは思ってるんだけどね」
「是非ともおすすめしますよ。他国にしかないジョブも少なからずありますし、それ抜きにしても純粋に楽しめます。各国の実力者との手合わせも大変有意義です」
「うーん、もうしばらくは道場の運営に掛かりきりになるだろうから、出るにしても結構先だろうけどね、前向きに考えておこうかな。せっかくだからステラくんとは逆に東に行ってみるのもいいかもしれないね」
「東というと天地ですか。あそこも黄河以上に武術の盛んな修羅の国と聞きますね。地球でいう日本に近い国風らしいですが……」
「いやーなんかちらほら聞く話だと大分違うっぽいぜ? 日本は日本でもフィクションに出る方らしいし」
あたしも実際に見たことはないから詳しくはしらねーけど、外国人が想像するようなトンデモ日本観に近いらしいね。
情勢としては戦国時代真っ只中って感じで物騒だけど、その分他国よりも戦闘面での自由はかなり利くそうだし、有力大名の麾下に入って武将プレイも人気があるって聞いたことある。
でもあたし日本史にそんなキョーミないし、日本人としても好みはどっちかってーとファンタジー寄りだからあんま食指は動かないかなー。
そもそもからして黄河スタートなのも勘違いとすれ違いからのイレギュラーだし、それがこうして長々と居着くことになるのも奇縁ってやつじゃんね。
「あたしもそのうち旅に出てーじゃんね。てかそのつもりだけど、早くても巡業が終わってからかな」
「おや、そうなのですか? なら、わたくしで良ければ案内致しますよ」
「ジョーダン。お前と一緒だとぜってートラブル巻き込まれるっつーか巻き込む側じゃんよ、そんなのはゴメンだね」
「心外です。わたくしも勧んでそうしてるわけではありません。ただわたくしの目に余る悪党が多いのと、興味深い強者が多いだけです」
「とか言ってるけど?」
「まぁ最低限相手の都合を考えるつもりはあるみたいだし、いいんじゃないかな! せめて罪のないティアンには迷惑をかけないように気をつけてくれればいいよ」
「当然です。わたくしとしても<監獄>送りは御免ですから」
<監獄>ね……あっちゃんとか大丈夫かな?
あっちゃんってば趣味が趣味だから割とグレーゾーンすれすれっぽいけど、今のとこは無事みたいだし大丈夫かな。
リアルにいるときはほとんど毎日顔を合わせてるけど、最近はデンドロ内での出来事はお互いあんまり話してないし。
なんつーか、サービス開始からデンドロ時間で何年も経ってるから、いろんな人間関係やしがらみが出来たせいでそうホイホイとしゃべるのも憚られる感じなんよね、実際。
あっちゃんの方も色々あったみたいで最近は忙しいみたいだし、今何をしてるのかも聞いてないや。
第一なんでもかんでも共有するような間柄じゃないしね、あたしら。親愛とプライベートはまた別の話じゃんよ。
「ま、それでもいい加減こっちでも会いに行かないとなー」
「はて?」
「んにゃ、こっちの話。ちょっと旅に出たときの算段でもね……っと」
そうあれこれ考えながら歩いてると、目の前に人が立っていたことに気づくのに遅れてぶつかった。
幸い手元にはもう食いもんはなかったから相手の服を汚すことはなかったけど、それにしたって注意力散漫だった。
「わりーね、前見てなかったじゃんよ」
「いやいや、こちらこそ道を塞いでてごめんね? 初めての他国だからつい目移りしちゃってね」
――そいつを一目見ての第一印象は
シルクハットに燕尾服、顔にはモノクル、片手にはステッキ。そして傍らには白い美女。
身を包む衣服は全て見るからに最上級で、そして目が痛くなりそうなほどに赤い。赤一色の紳士装束。
見たまんまのジェントルマンだけど、男女の判別が付かない見た目と声音に、コテコテすぎるコーディネートとカラーリングのせいで胡散臭いを通り越して怪しさ満点。でも左手には紋章(小悪魔っぽい?)もあるから、派手好きな<マスター>ならやりそうな格好ではあるかも。
傍のねーちゃんには紋章は無いから、たまにいる綺麗所を引っ掛けたナンパな<マスター>かな。女性を連れてるから便宜上にーちゃんとしておこう
「驚いた……"人間台風"に"武仙"、二人もビッグネームにお目にかかれるなんてね。だとするとキミは……"遊天娘々"かな? うん、聞いてた人相に一致するね。これは思わぬラッキーだよ」
「間違っちゃないけど、にーちゃんは誰じゃんよ?」
そのねーちゃんだかにーちゃんだかよくわかんないエセ紳士は、あたしら三人を見比べると驚いたように表情を変えて、何度か視線を通わせたあと納得したように頷いた。
通り名を語ったにーちゃんを警戒して二人が視線を向けると、にーちゃんはオーバーアクションで疑念を否定する。
「おっと失礼。僕は怪しい者じゃない……とは言えないよねぇ、この見た目だもの!」
「あ、自覚はあるんだ?」
「好きでやってるファッションなんだけどね! っと申し遅れたね。僕はMr.ハートレス、しがない<マスター>さ。所属はカルディナ、ここへは妻と一緒に観光に来てね。目当ては当然キミの公演さ、【雑技王】クン。お会いできて光栄だよ」
そう言って恭しく一礼したにーちゃんことMr.ハートレスは、その見た目に違わぬ堂々とした優雅な所作だった。
その彼と一緒に傍のねーちゃんも綺麗に一礼する。(カーテシーって言うんだったかな)
カルディナ所属との発言が事実なら、随分と上流階級に位置しているようだった。
「そー言われて悪い気はしないじゃんね。あたしの芸を観に来たんなら無碍にはできないじゃんよ。ま、よろしくね」
「いやぁ嬉しいなぁ、有名人にはいつ会っても気分が高揚するよ。ああそうだ、サインをお願いしてもいいかな? 良ければ後ろの御二方も。お察しの通り僕はミーハー気質でね、有名人のサインが大好きなんだ!」
「いーよいーよ、そんくらい。……ほい、これでいい?」
サインを求められるのは今回が初めてじゃないし、拒否する理由も特に無いので了承する。
常備している色紙にさらさらとサインを書いて手渡すと、にーちゃんは喜色満面で【アイテムボックス】に仕舞った。
ちなみに二人はサインは書かなかったらしい。不審人物相手に警戒を解かないあたり、ちゃんと護衛としての務めは果たしてくれてるっぽいね。ここは好評価じゃんよ。
「いやぁありがとう、たまには出歩いてみるものだね。こっちでの宝物がまた一つ増えたよ。ほら、妻も喜んでる」
「え、そう?」
見てみるけど、にーちゃんの嫁さんだというねーちゃんはぼんやりとした表情で何を考えてるのかわかんなかった。
なんつーか綺麗だけどお人形みたいというか、深窓の令嬢と言えば聞こえはいいけど妙な怖気を感じて、見てるとなんだかあっちゃんを思い出す変な感覚だ。
……なんか、背中がムズムズする。ティアンだって言ってたけど、なんか違和感。
はしゃぐ旦那とは正反対に、自分は無関係とばかりにあたしにも目をくれないし、でもまぁそういうもんなのかな。
本人は特に興味は無いけど旦那が言うから着いてきた、みたいな。それならそれでしゃーないけど、人気商売の身としては、ちょっとフクザツ。
「あっははは。まぁ妻は人付き合いが得意ではないからね、気分を害したならごめんよ。キミの公演を楽しみにしてるのは本当さ。特等席からじっくり見物させてもらうとも」
ほーん? お高い特等席のチケットまで確保してるとか、これは上客じゃんね。
なら余計に無様は見せらんないね、あたしとしても俄然身が入るってもんじゃんよ。
だからあたしは自信満々に笑みを浮かべて、見下ろすにーちゃんに宣言した。
「期待していーよ、ばっちり魅せてやっから楽しみにしてるじゃんよ」
「ンッフフ……流石は神童、物怖じしないね! ますます気に入ったよ、黄河まで来てよかった」
「公演もまだなのに気が早いぜ?」
「それもそうだ! いやはや、有名人と思わぬお喋りができて舞い上がってたみたいだ。明日の公演が楽しみだよ、今夜は眠れるかなぁ!」
あたしが言うのもなんだけど、子供のように待ち侘びるにーちゃんはどこからどう見ても金持ちのボンボンにしか見えなかった。
嫁さんがおとなしいのも、そんな旦那の手綱を握るためにそうしてるのだとしたら、案外苦労人なのかもしんないね。
やっぱりあたしの目では何を考えてるのかわかんねーけど、おかしすぎて逆にお似合いなカップルにも思えてきた。
「ヘイさん、そろそろ……」
「ん? あ、そっか。先を急がないとじゃんね」
思わず話が弾んで話し込んでると、横からステラが口を挟んできた。
言われてみれば結構な時間が立ってるし、あまりのんびりしてると打ち合わせに間に合わなくなるじゃんね。
そうなるとまただんちょーに痛いゲンコツもらっちゃうし、それは勘弁。
「わりーねにーちゃん、あたしもう行かなくちゃ」
「ん? ああそっか、キミは今からが大変だものね。それは悪いことをしたね」
「いいって別に、気晴らしにはなったしね。それよりも公演楽しみにしといてよ、怪我して観に来れなくなったとか勘弁だぜ?」
「おや、なにか物騒ごとでも?」
「なんか小悪党クランが紛れてるらしーよ? えっと、なんつったっけ、<レブ……」
「<レブナント・ネスト>だね」
ああ、それだそれだ。
昨日道場に寝泊まりしたときに一応の注意事項として伝えられたんだった。
「どうもカルディナから一部が流れてきたようで、小競り合いを起こしてるみたいです。Mr.ハートレス、奥方共々十分に注意してください。何かありましたらすぐ最寄りの詰め所までご連絡ください、すぐに対応させていただきます」
リアルと比べて暴力沙汰の頻度が比較にならないこっちの世界だと、いくら安全を期していてもそういう輩はどうしても沸いて出てくるらしいかんね。
ガル兄とその門下一同もそいつら含めた与太者の対応に追われてるらしいし、こうした注意喚起も務めの内ってわけ。
「へえ……あの連中、こんなとこまでやってきてたのか。ああヤダヤダ、せっかくのバカンスなのに台無しだ。食事中に害虫を見かけたような気分だよ!」
「にーちゃんは連中のこと知ってんの?」
ガル兄の忠告を聞いたにーちゃんは、さっきまでの上機嫌が嘘のように苦虫を噛み潰したような表情をして吐き捨てた。
連中のことをあまり知らないあたしが気になって尋ねると、にーちゃんは大袈裟に肩をすくめると長々と溜息を吐いて答える。
「カルディナじゃ有名な悪党集団だよ。といっても小悪党の集まりでチンピラ紛いのことしか出来てないんだけど……とにかく数が多くて、どこにでもいて始末が付かない。まるでゴキブリみたいな連中さ」
「チンピラ程度ならどーとでもなりそうなもんだけど?」
黄河にも似たような山賊や盗賊集団はいる。
そいつらも大抵は徒党を組んでいて、悪事のキャリアが長い親分に率いられているのが基本だ。
逆に単独でそういう真似をする奴ってのは余程のバカか、もしくは規格外の大悪党のどちらかじゃんね。
龍都や大都市近辺は官憲の目もあるから比較的安全だけど、辺境への旅路なんかではほぼ確実にそいつらの斥候が潜んでると言ってもいい。
まぁ黄河に限らずこの世界で都市を離れて旅するなんて、そういう脅威が付きものなんだけどね。
リアルみたいに女子供が単独で旅するなんてありえない、ちゃんと相応の備えが無いとあっという間に命を落とすのがこちらの世界の旅事情じゃんよ。
「さぁてねぇ……一掃したと思えばまったく別のところから名乗りを上げる連中が現れて、それを潰してもまた然り。窃盗強盗、恐喝に強姦、人攫い……これが大悪党にでも率いられているのならそいつを潰せばいいんだろうけど、そんなヤツは影も形も見えてない。おかげで規模の小さい商人ほど戦々恐々としてるのが実情さ」
聞けば聞くほどろくでもねー連中じゃんね、そいつら。
もしあたしの公演中にそいつら見かけたらソッコーで駆除しねーと。
あたしの晴れ舞台、んなつまんねー連中に邪魔されて堪るかってーの!
「とりあえず、忠告には素直に従っておくよ。僕はともかく妻が危険だからね。ああ、詰め所の地図を貰ってもいいかな? 念の為確認しておかないとね」
「ええ、これです。どうぞ」
「ありがとうGA.LVERクン。……ああそうだ、これにサインはいただけないかな?」
「申し訳ありません、仕事中ですので……」
「そっかぁ……そりゃ残念。まぁ仕方ないね、お仕事の邪魔は良くないもの」
ほんとにミーハーなにーちゃんだ。
心なしか嫁さんも若干呆れたような目に……いや気の所為かな? やっぱわかんねーや。
「っとつまんない話で長々とごめんね。いい加減お暇しないとマズイね……それじゃあ【雑技王】クン、楽しみにしてるよ」
「ん、まー気をつけるじゃんよ。あとあたしの名前は黒猫ってんだ、覚えとくじゃんよ」
「OK、ヘイマオ。……それじゃあね、バァイ♪」
そう別れを告げると、にーちゃんは嫁さんと腕を組んで去っていった。
その背中を見送って二人を振り返ると……二人は剣呑な顔をしてにーちゃんが消えるまでその背中を追っていた。
「……
「《真偽判定》に反応はありませんでした。一言一句、嘘はありません……それがまた匂いますが」
どうやら二人は、にーちゃんを本気で怪しんでるようだった。
だけどステラが言った通り、あたしの《真偽判定》も欠片も反応していない。
《真偽判定》に反応が無ければそれは真実というこの世界の常識から考えれば、何も怪しむところのなかったはずだけど……。
「やっぱりキミも臭いと思ったかい?」
「わたくしの勘だけならよかったのですけど、GA.LVERさんまで同意見となると捨て置けませんね。とはいえ証拠も無しには動けませんから、注意しておくに留まりますが」
「杞憂だといいんだけどね、もしものときは頼むよ」
……まぁいっか。なにかあればそんときはそんときだ。
ここは二人の警備を信じておくことにするじゃんよ。
そしてあたし達は思いがけず長引いてしまった道中を急ぎ、時間ギリギリで天幕に到着した。
◆◆◆
■某所・路地裏
「二人には勘付かれたかな? まぁだからといって証拠は無いから僕にリスクは無いけどね」
「…………」
思いがけず遭遇した有名人三人組と別れ、伴侶を連れ添いながら歩いていた赤い男が呟く。
否、厳密には男ではなく――さりとて女でもない。その実どちらでもある男女定かならぬその<マスター>は、声に愉悦を滲ませてクツクツと笑った。
白い夫人は、何を語るでもなく黙して侍るばかり。
夫の不審な言動も、彼を警戒していた実力者二人の視線も、楽しげに話し込んでいた少女のことも何一つ無かったように表情一つ変えず茫洋としていた。
「バカンスというのは本当だもの。ただまぁ、あの連中がこんなとこまで来てたのは予想外だったけどね。長いこと放置してたから現況は把握してなかったんだけど、まさかカルディナを離れるなんて。嬉しい誤算……いや、面白い誤算というやつかな。成程、只人の悪意というものは一所に収まらないものらしい」
「…………」
「まだ眠ってるのかい? フラウ・ノーバディ。
そんな伴侶の腕を愛しげに絡ませて寄り添う二人は、一見すれば仲睦まじい若夫婦そのもの。
しかし赤と白一色の豪奢な装いで人気の無い路地裏を歩けば、それは一転して異様な光景となる。
「しかし……七大国中格段に治安が良い黄河でも、一つ裏を覗けば腐臭が立ち昇るものだね。ご覧よフラウ、揃いも揃って掃き溜めの中のゴミだ。とても惨めな……人間の本質の一面さ。といってもキミは、見ちゃいないんだろうけど……」
路地裏は静寂に満ちて、しかしその気配は濃密そのもの。
道行く二人を静かに観察し、如何にその身包みを剥ごうか、あるいは身柄を直接攫ってやろうかと考える悪意の視線があちこちから突き刺さる。
それはこの世界では決して珍しくはなく、そして彼の所属国ではごくありふれた風景にすぎない。
寧ろ彼はそれらを楽しげに見遣りながら、論うように傍らの伴侶へ語り聞かせていた。
その言葉が気に障ったのか、静観していた浮浪者の一人が立ち上がる。
他のものは彼が不死身の<マスター>であることを察して関わろうとしなかったが、その若者は己の境遇を土足で踏みにじられた怒りで顔を歪め、ボロ布から腕を伸ばして掴みかかろうとして……
「おっと、汚い手で触れないでくれるかな? この服は僕のお気に入りなんだ」
赤い男――Mr.ハートレスが手にしたステッキに打たれて止まる。
腕を伸ばした姿勢のまま、金縛りにあったかのようにそのまま硬直して表情一つすら変えられない。
そうして露わになった男の腕を見て、ハートレスは面白そうに目を丸くする。
嘲笑う悪魔の刺青――<レブナント・ネスト>の一員であることを示す証を目にして、心底愉しげに目を細めた。
「ワオ、本当にいたんだ。驚いたなぁ、どういう経路でここまで
「……ッ! ……!?」
「ああごめんよ、キミには訳のわからない話だよね。……うーん、そうだなぁ。あの二人の目もあるし、ここはおとなしくしておこうか」
ハートレスは一方的に考えてそう判断を下すと、その腕に手を添えて。
「――《烙印》、解除」
そうスキルを宣言して、刺青を消し去った。
同時に男は意識を失い倒れ込む。
一部始終を目撃していた浮浪者達に動揺が奔り、俄に空気がざわつくのをハートレスは感じ取ると、ふむと暫し思案して。
「態々通報するとも思えないけど、念には念を入れておこうか。周囲に<マスター>は……うん、いないね。
ステッキを一回転させて突き立てた。
突き立てた地面から黒い靄が立ち昇ると、それは瞬く間に無数の小さな……まさに小悪魔のようなモンスターの形を取り、四方八方に飛んでいく。
その目標が路地裏に潜む
小悪魔に寄生されたティアンがその場で硬直すれば、やがて路地裏には人気のない静寂が満ちた。
それを確認してハートレスは言葉を続ける。
「
口頭でそう指示すると、彼らは一度ビクリと身体を跳ねさせたのちそのまま沈黙した。
役目を終えた小悪魔達が浮浪者の身体に傷一つ残さず抜け出すと、それはハートレスの下に集まって消えた。
「……やれやれ、一度整理しておくべきかな。最近は見るべきものもない小物ばかりが続いていたし、河岸を変えるべきか……ああでもカルディナ程の好条件もなかなか無いんだよねぇ、……ん?」
一仕事を終えたハートレスが独り言を呟いていると、それまで沈黙を保っていた伴侶が不意に視線を動かした。
キョロキョロと辺りを見回し、やがてハートレスの姿を認めると、結んだままだった唇を開いて尋ねる。
「どういう状況かしら?」
その声は美貌に相応しい可憐なものだったが、まるで感情が乗っていない冷たいものだった。
そんな彼女に対しハートレスは、綻ぶような慈愛の笑みを見せて答える。
「おはよう、フラウ。ここは黄河、目当ては【雑技王】の公演だよ。いつものような悪巧みじゃなくて純粋なバカンスさ。……って、カルディナを出る前にも言ったのだけどね」
「……そうだったかしら。覚えてないわ。随分と長く
「お気に召したようで何よりだよ。どうだい、その
「ええ、そうね。悪くなかったわ。カルディナ上流令嬢の没落ストーリー……筋書きはありきたりだけど個性があって、ボリュームもあったから――」
言って、フラウと呼ばれた女性の身体から力が抜けようとするのを遮ってハートレスが抱き止める。
「おっと
「……そういうこと。わかったわ、ならこの街にいる間はこのままでいましょう」
「助かるよ、フラウ。キミにとってはもう価値の無いものでも、僕にとってはまだ飽きが来ていない可愛い奥さんなんだから……」
そう二人で言葉を交わして、今度は女性――フラウの方からハートレスへ身を寄せる。
仲睦まじく腕を絡めて歩みを同じくする二人の姿は、まさに幸福な若夫婦そのものだったが――その背後に伸びる影は、まるで悪魔が嗤っているようにさえ錯覚できた。
◆
かくして夕闇に消えた二人だが、これは全くの偶然だ。
有象無象が行き交う雑踏に、物見遊山の悪意が紛れていた――それだけの話。
――この後に空から襲来する脅威には、何ら関係のない余録である。
To be continued
(・3・)<意味深に登場して退場していった二人ですが
(・3・)<本番は本エピソードではありません
(・3・)<……更に言うと本作でもない