軽い少女   作:ふーじん

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流石に次話は早くとも週末になる見込みです。


災い、来たれり

 □■公演日前日 某所・大衆食堂

 

「これぞ大衆の味なのだわ! 特別美味でもなく、殊更不味いわけでもない日常の味!」

「あの、お嬢さん? そういうことは大声で言わないでくれますかね……ほら、食堂のおばちゃんめっちゃ睨んできてる」

 

 とある大衆食堂で食事を取る二人組があった。

 うだつの上がらない風体の中年男と大いに健啖を振りまく美少女、カフカとパンドーラである。

 

 褒めてるのか貶しているのかわからないパンドーラのグルメリポートに冷や汗を流すカフカ。

 そう言うのであれば少食で済ませばいいのにと思いつつも、卓の上にはいくつも積み重なった皿。

 他者から奢られたものしか食べない奇癖に辟易としながら、彼はパンドーラの発言のせいで肩身の狭い思いでいた。

 

「あの……そのへんにしていただけるとおじさん助かるんですけどね? 最近スッてばかりだったから懐が寂しくて……」

「だらしないダーリンなのだわ! でもいいわ、そういうのなら腹八分目にしといてあげる。わたしは弁えのあるレディですもの!」

「……うん、聞き分けのいいお嬢様でおじさん助かるよ」

 

 「懐が寂しい理由のもう半分はお前の贅沢三昧なんだけどな……」とは口に出さず、下手に出て事なきを得るカフカ。

 この街に到着してから高級宿のスイートルームに寝泊まりしていた彼らが何故こんな大衆食堂で朝食をとっているのかと言えば、案の定パンドーラの思いつきによる。

 

 公演が翌日に迫った今日までの数日、お祭り騒ぎを心ゆくまで堪能したパンドーラのせいで、今やすっかり彼の懐はお寒いものになっていた。

 適当な賭場で一発稼ごうにも、ホームタウンであるヘルマイネの高額レートに慣れきったカフカでは、場末の寂れ賭場では思うような稼ぎが得られなかった。

 

 賭博と長く付き合うには勝ちすぎず負けすぎないことが肝要と考える彼は、無理を通して場を荒らしたくなかったのもある。

 おかげで彼の<エンブリオ>とは対照的に、彼のここ数日の暮らしぶりは慎ましいものだった。

 ……お寒い懐事情で迎える高級宿での一夜ほど、心休まらない時は無い。

 

「なぁパンドーラ、そろそろスキルを使わせちゃくんねぇか? このままじゃ俺達、帰りの路銀すらありゃしねぇよ。それかお前さんが節制を覚えでもしてくれりゃマシなんだがね」

「いやよ! たとえダーリンがひもじい思いをしていても、わたしの贅沢は何にも替えられないのだわ!」

 

 ――こいつ、真っ直ぐな目でなんてことを……!

 

 己の<エンブリオ>の鬼畜発言に戦慄するカフカ。

 漏れ聞こえる会話を聞いていた客の何人かが憐れむような目で彼を見遣る。

 とかく彼の<エンブリオ>であるパンドーラはワガママ放題で、碌に主の言うことも聞きやしないお姫様であった。

 

 そんなこんな言い合っているうちにパンドーラも料理を平らげ、先程の発言はどこへやら楽しげにカフカの腕に絡みつく。

 ワガママ放題の贅沢三昧なパンドーラだが、<エンブリオ>、そしてメイデンとして己の<マスター>へ向ける愛情は高い。……それがわかっているからカフカも強くは言えないのだが。

 一転して周囲の男客が妬心を向けるのを他所に勘定を済ませ、ここ数日で一番の賑わいを見せる大通りに出た。

 

「いよいよ明日なのだわ! 午前からパレードを開始して、午後になったら公演開始よダーリン!」

「ああ、それで……えっ、ひょっとして早出する?」

「当然なのだわ! 最前列でパレードを見送って、特等席で公演を見物するの! 当然食べ物も飲み物も盛りだくさん! 明日は休む暇なんてないのだわ、ダーリン!」

「ええぇ……」

 

 生来出不精の気質であるカフカは、それを聞いて早々にげんなりしていた。

 そもそも彼にとって最高のホームタウンから離れるだけでも相当の労苦であるのに、出先で一日出ずっぱりでイベントを見送るなど正気の沙汰ではない。

 叶うことなら今すぐにでもヘルマイネに戻って、目眩くギャンブルの日々に陶酔していたい。

 

 つまるところ彼は根っからのギャンブル中毒であり、ダメ人間の典型であった。

 TYPE:メイデンを発現していることから世界派には違いないが、それはそれとしてギャンブルが第一という有り体に言って人間の屑である。

 そんな彼から生まれたからこそ、反動でパンドーラは活動的なのかもしれないが、それはさておき。

 

「んもう! ダーリンったらいつもそうやって不平不満ばかり! わたしが一緒なのにそんな態度は許されないのだわ! 可愛い可愛いパンドーラとのデートの何が不満なのかしら!」

「おじさんにはそのハイテンションが辛いのよ……ほら、小遣いあげるから好きにして……」

「ダメよ! そんなのわたし絶対許さないのだわ!!」

 

 目に見えて困憊するカフカと、とかく姦しいパンドーラ。

 まったく乗り気でない己がマスターに、彼女はぷくうと頬を膨らませて抗議する。

 傍から見ればカップルの痴話喧嘩にしか見えない光景で、道行く人々から好奇の視線を集めるのにもすっかり慣れてしまっていた。

 

 やがてこれは重症だと悟ったパンドーラ。

 ローテンションを極めるカフカの気を引くために、「仕方がないのだわ」と長々と溜息を吐いてから口を開いた。

 なお、常日頃から「仕方がねぇな……」と諦め顔で言っているのもカフカである。

 実際のところとても似た者同士のお似合いな二人であった。

 

「グズるダーリンにとっておきの朗報よ! 今朝、()()()()()()()()()()()()()したのだわ!!」

「え……、マジ?」

「わたしはダーリンに嘘は吐かないのだわ、大マジなのよ!」

 

 必殺スキルのチャージ完了――その一言にカフカの目の色が変わる。

 その言葉は彼にとって一月に一度の大チャンスを示すもの。

 最早それのためにこの<Infinite Dendrogram>をプレイしていると言っても過言では無い程、彼にとってその言葉は重い。

 同時に彼が己の<エンブリオ>に頭が上がらない最大の理由でもあった。

 

「明日ちゃーんとわたしをエスコートするなら、必殺スキルを使用させるのも吝かではないのだわ! ふふん、少しはやる気が出たかしら?」

「お、おお……出た出た、めっちゃ出た! 朝のションベン並みに出たよマジで!」

「はしたない言葉はNGよ! まったくフケツでデリカシーが無いんだから!!」

「すまんすまん、悪かったよお姫様。……ほら、あっちにタピオカミルクティーがあるぜ。一番大きいサイズを買ってやろう……、な? だから、ほら……そうむくれるなって」

「ほんとはその程度でごまかされてあげるほど安い女じゃないのだけど、仕方がないから勘弁してあげるのだわ!」

 

 必死に女の機嫌を取る男の姿はみっともなかったが、彼にとってはそんなもの知ったことではない。

 今重要なのは必殺スキルの発動許可。その決定権を握るパンドーラに平身低頭しながら、ご所望のタピオカミルクティー(LLサイズ)を買い与える。

 揉み手して付き従う男と貢がれる少女。奇妙な男女二人組は揶揄するような周囲の視線を突っ切って、街の外に向けて歩いていったのだった。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「――おや、彼は……」

「どうかした?」

「……ンフフ、いいやなんでもないさ。少し知った顔がね……これはひょっとすると、面白いことになりそうかなぁ?」

 

 ――その背中を、赤い男は見送り嗤っていた。

 

 

 ◇◇◇

 

 □公演日前夜 <黄龍雑技団>・天幕

 

 会場の設営を終え公演を翌日に控えた<黄龍雑技団>の天幕。

 本番に向けて過熱していた稽古も一段落がつき、その日の活動を各々が終えようとしている中、座長・黄刃華も瓶と盃を乗せた盆を手に自室へ戻っていた。

 

「いよいよ本番ぢゃの、刃華や」

「いらしていたのですか、王大人。それに……」

「おう、邪魔してるぜ」

「虎老師まで」

 

 戻った彼を迎えたのは、卓を挟んでソファに沈んでいた王宝満に虎頂道。

 卓の上にはいくつかの肴と空になった盃が並び、二人とも既にいくらか出来上がっているようだった。

 

「ま、こっちゃ座りんさい。まだツマミもあるでな」

「酒の追加もあるたぁ嬉しいねぇ」

「まったく……先に断っておきますが、私は一杯だけですよ」

 

 宝満が頬赤く染めた顔を刃華に向け手招きする。

 刃華の持ち寄った酒瓶を目敏く認め上機嫌に笑う頂道にそう牽制し、刃華も観念して同席した。

 二人とも刃華にとって偉大なる祖父に親しい旧知である。ともすれば実の孫子のようにも互いに想い、故に頭の上がらない相手でもあった。

 

「どうぢゃ、仕上がりは。上々かの?」

「問題ありません。先の三箇所で自信を付けたのか意気軒昂そのものですよ。当初は萎縮するかと思いましたが……嬉しい誤算です。私の知らぬ間にも、皆成長しております」

「善き哉、善き哉。やはり試練こそが人を磨くもの、ここにいたり一皮剥けたのならそれは素晴らしいことぢゃて」

 

 盃を片手に問うた宝満が刃華の答えを聞いて満足そうに頷く。

 波打つ古酒の水面を見つめ、穏やかに微笑んだ。

 

「改めて王大人には感謝しております。これほどの規模の興行、大人の助力無くしては成り立ちませんでした」

「よいよい。そう水臭いことを申すものではないぞい、刃華や。長らく見守ってきた一座の新たなる飛躍の時……それを助けんではあやつに顔向けできんでな」

 

 遠い懐旧に想いを馳せて目を細める宝満に、刃華はただ深く頭を下げた。

 彼の言う()()()――先代【雑技王】黄刃烏と宝満、そして頂道は、若かりし頃徒党を組んで黄河の全土を行脚し冒険を繰り広げた過去がある。

 

 宝満は立身出世を夢見る商人として。

 頂道は最強に至らんとした練体士として。

 刃烏は技芸で名を馳せんとした軽業師として。

 

 男三匹、波乱万丈な黄河旅情。

 時に怒り、時に笑い。富むこともあれば貧することもあり。

 嬉しい出会いもあれば、悲しい別れもある――それを幾度となく共に味わってきた昵懇の仲だ。

 

 やがて三者三様に身を立てて道を別つとも、その縁は決して耐えざるものとして今日にまで続いている。

 中でも宝満は、私人としては特に隙の多かった刃烏を支え、一座を創始・存続させる上での最大の出資者でもあったのだから、刃華にとってはある意味祖父以上に尊敬すべき大恩人である。

 

「しかしの、あやつへの義理が無くとも儂のやることは変わらなんだよ。今や老い先短い儂にとって一座は我が子も同然。金しか取り柄のない儂がそれで助けるのに何を惜しむことがあろうか。のう?」

「身に余るお言葉です。まさしく氏無くして今の我々はありませんでした」

 

 たとえ刎頸の友の形見であろうとも、数十年に渡り莫大な額を数十年に渡り出資するなど尋常のことではない。

 先代亡きあとその栄光に翳りを見せ、名門としての名も傾きつつあったのを一度として見放さず支え続けたのは、偏に宝満の慈愛と誠心あってのことだ。

 故に刃華は下心の一切無く謝辞を述べ只々敬服した。

 

「"金狸"がよく言ったもんだぜ。一リルすら負からず金に執心してたお前が、……変われば変わるもんだなぁ、おい」

「ほほほ、あの世にリルは持っていけんでな」

 

 そんな大器を見せた宝満を頂道が茶化す。

 若かりし頃は今とは正反対の守銭奴振りを見せていた旧友の角がない姿をからかい……そうも変わる程の年月の重さを思い知る。

 自らもまた最強の二文字に熱意を燃やし、しかし老いゆく中で次代に託すことを選択したために心から共感せざるを得なかった。

 

「しかし……なぁ? 俺達の中で一番悪運が強かったアイツが、まさか一番にくたばっちまうとはねぇ……。最終公演で行方を晦ましたまではアイツが死んだなんてこれっぽっちも思っちゃいなかったが、こうして次代が生まれたからにはアイツぁ本当にくたばっちまったんだよなぁ」

「あやつらしいとも言えるが、の。間違っても床の上で往生するようなおとなしいタマではなかったゆえ。とはいえ身内への配慮くらいはもうちとなんとかならんかったのか……おぬしの父には結局苦労を掛けっぱなしぢゃったな」

「ふっ……」

 

 刃華の父は【軽業師】としての才は無く、文筆に秀でた内気な男だった。

 故に専ら事務仕事に掛かりきりで現場の運営は得意ではなく、当時最高の【名軽業師】として名を馳せていた母の辣腕が無ければ、一座はそのまま解体していたに違いない。

 その二人の間に生まれた刃華は、文筆家としても軽業師としても両者に迫るほどの才は持ち合わせなかったが……両者によく通じていたからこそ、橋渡し役として小器用に立ち回れ、結果として一座を維持する上ではこれ以上無い人材として長の責務を果たせたと言える。

 

「苦労はありましたが……今となっては思い出話にできるのですから不思議なものです。そして臥薪嘗胆ばかりではなく、黒猫という天与の才を迎えることもできた。報われるには余りある吉事でしょう」

「……古の伝説に伝わる<マスター>の一人が、【軽業師】として頭角を現そうなどと、果たして誰が予想し得たかの? ほっほっ、まさにこの世は神妙不可思議ぢゃて」

 

 過去の苦労話に華を咲かせていると、やがて当然のように少女の話題に行き当たった。

 ある日を境に急増した伝説の<マスター>。

 まるで<UBM>のように特異なスキルを有しながら不老不死をも宿す彼らの多くは戦いを好む。

 黄河でもまたそうした手合が増え空前の武術ブームが巻き起こる中、その少女はそうした流行とはまったく無関係に刃華の前に現れた。

 

 見た目は年端も行かない幼子。

 たまに街の子供達がそうするように稽古を覗き見にきたのかと思って声をかけ、興味本位で遊ばせてみれば披露したのは才気煥発。

 ジョブにも就いていない子供が長年の演者も顔負けな雑技を魅せて、刃華は思わず一座に引き込んだものだった。

 

「思えばあれこそが転機だったのでしょう。あの日あの時、私とあの子を引き合わせてくれた天運に感謝しなかったことはありません。……それを口にすれば天狗になるのが目に見えていますから、面と向かっては言えませんが」

「ありゃあい~い跳ねっ返りだァ。わけぇ頃の刃烏を思い出すぜ。あいつも終始自信満々で、謙るということを知らないやつだった。血を継いでないのが信じられん、それくらい似てらぁ」

「あやつと違ってあの子は女子、可愛げでは比べるべくもないがのう。……ほほほっ、儂も男孫ばかりぢゃて、娘っ子だととにかく愛しゅうてならんの」

「大人は些かあれを甘やかしすぎかと。……とはいえ、ああも懐いているのでは」

「ほほ、わかっていても甘やかしてしまうものぢゃ。女孫とはそういうものぢゃて」

 

 この三年余り、最もと長く時間を共にした宝満が顔を緩めて呟く。

 最早彼にとって少女――黒猫は実の孫娘も同じ。商いの実権を息子に譲って久しい楽隠居の今、彼女の存在こそが最大の楽しみだった。

 

「移ろいやすい<マスター>で無ければ養子に迎えたいとこぢゃて。のう、それはおぬしも同じではないかの?」

「……考えたことが無いと言えば、嘘になります。家内に先立たれ子もおらぬ身の上で、あの子を子として愛せたならどれほどよかっただろうと。……しかし……」

 

 それは叶わぬ夢である。

 正体の知れぬ<マスター>という存在。彼らをティアンが推し量ることはできない。

 彼らは知るよしもないが、前提があまりに次元を異にするが故に、決して彼らを自分達と同等に接することはできない。

 

 現実(リアル)遊戯(ゲーム)――途方もなく埋め難い断絶が横たわる。

 

「おぬしがそう思えておるなら、何も心配はいらぬよ。あの子に必要なものを、おぬしはちゃあんと具えておる」

 

 そんな刃華の懊悩を宝満は優しく見守り、やがてそう述べた。

 

「あの子が【雑技王】に至るまで一座と共にあり続けたのも、間違いなくおぬしの存在あってのことじゃ。儂はついついあの子を甘やかしてしまうが、おぬしはきちんとあの子を叱ってやれていた。ただ軽業が達者だからではなく、あの子が真実子供であることを踏まえた上で接しておる。ならば、何も心配はいらぬよ」

「そう、でしょうか……」

「まるで親子じゃて。無論あの子には本当の()が本来の世界におるじゃろうが……この世界での親は紛うことなくおぬしじゃ。たとえ血の繋がりがなくとも、親と子の絆は繋がるもの……そうは思わんかえ?」

「いつになく舌が回るじゃねぇか、パオ。もう酔いが回っちまったかァ?」

 

 頂道の揶揄に、「かもしれんの」と微笑みのまま答える宝満。

 随分と子煩悩を晒す旧友に、頂道もまた遠い過去から続く今に想いを馳せていた。

 

「ったく、久々に会って一杯やってみりゃ湿っぽい話なんだからよォ。こんなもんは畢竟、なるようになってんだ。それよりもホレ、明日の成功を祈願でもしてみりゃどうだい。こんな話、わけぇモンには退屈だし、俺らみたいなジジイにはむず痒いばかりでよ」

「はは……まさしく、その通りでしょうな。なに、私があれこれ思い悩まずとも、それとは無関係に強かに生きるのがあの子でしょう。ならば、精々明日の舞台で躓かぬよう見張っておくだけです」

「それでいい、それでいい。ホレ、お前も一杯いっとけ。本当なら潰れるまで離さねぇが、今夜だけは勘弁してやらァ」

「一献、頂戴します。老師」

「おう、飲め飲め。んで俺の弟子の話も聞いてくれよ。なぁに心配すんな、くだらねぇ笑い話ばっかだ!」

「ほほほ、あの益荒男の話も気になるのう! 似合わぬ弟子なんて取りおって、洗いざらい白状せい!」

 

 ――斯くして男達の夜は更けていく。

 

 

 ◇◆◇

 

 □公演日午前 大通り

 

 街は熱気と興奮に包まれていた。

 ついに迎えたイベント当日。公演の前座となる大パレードが通過する大通り沿いには無数の人々が詰め掛け並び、一座の到来を今か今かと待ち侘びていた。

 この数日、日夜ともなくお祭り騒ぎに沸いていたこの街だが、その本命がようやく衆目の前に披露されるとあってはその活気たるや前日までとは比べ物にならない。

 年に数度訪れるカルディナからの大キャラバンでさえこれほどの熱気には至らず、公演に向ける彼らの期待が如何程のものかが察せられるというものだろう。

 

 イベントとあれば場の雰囲気でその気になるのが若者というものだが、此度に限っては若者以上に年嵩の人々こそが最も熱中していると言っても過言ではない。

 特に数十年の昔に世を席巻した先代【雑技王】・黄刃烏の演目を目に焼き付けた思い出のある者ほど、パレードもまだ見えていないというのに熱狂し、あるいは興奮の余り卒倒しかける始末だった。

 

「凄まじいものですね。祭事の類は大小様々見物してきましたが、これほどの熱気は過去に無い……」

「黄河の人々は愛国心がとても強いからね。その歴史に根ざす伝統芸能、その頂点のお披露目となれば感慨深いのだろうね!」

 

 人混みに紛れてそう呟いたステラの背中にGA.LVERの声がかかった。

 

「おはようございます、GA.LVERさん。首尾は順調ですか?」

「もちろん! 門弟達も所定の場所について目を光らせているところだよ。今の所不審人物は無し、懸念していた<レブナント・ネスト>の連中もつい先日から姿を見せなくなってね」

「それは重畳。まぁ所詮はチンピラ紛いの連中ですから何をしでかせるとも思いませんが……さりとて無視するには目に余る輩です。姿を見せなくなったのは僥倖と言えるでしょう」

「無論油断は大敵だけどね! 裏通りの方にも人は向けてあるとも。……しかし辛辣だねぇ、それほどかい?」

「幾度となく粉砕してきましたが、ああも無尽蔵に沸いてはいい加減辟易するというものです」

 

 事実彼らが巣食うカルディナでは事あるごとに討伐依頼が貼り出され、最早モンスターを狩るのと同様に殲滅されるのが日常茶飯事である。

 ステラも拠点と目される場所を地形諸共何度も殲滅してきたが、それでも大勢に変化は無いのだから呆れ返る始末だった。

 

 閑話休題。

 ともあれ、姿を見せなくなった木っ端のことなど今のステラにはどうでもよかった。

 彼女が人混みに紛れて注視していたのは、対岸の人波に紛れて尚真っ赤な洋装で姿の目立つ<マスター>、Mr.ハートレスだった。

 傍らに妻だという白いティアンを伴い、パレードのやってくる方向を興味津々で見守っている彼は、格好はともかくただの見物客にしか見えない。

 

(…………)

 

 にも関わらずステラは警戒し続けていた。それもあの道端で偶然出会ったときから、ずっと。

 本番に向けて準備を整える一座を警護する傍ら、彼の動向も常に気にしていた。

 本格的に見張りだしたのは遭遇から一夜明けてのことだが、今の所不審な動きは見ていない。

 だがそうした状況証拠とは無関係に、ステラの直感は彼への警戒を打ち鳴らしていた。

 

「……それほどかい?」

「根拠はありませんが。しかしわたくしの勘働きは悪くないとも自負しておりますので」

 

 ハートレスを注視するステラに気づいてGA.LVERが神妙に問うも、彼女は視線を外さない。

 カルディナを始めとした西方諸国で数え切れないほどの悪党を仕留めてきた彼女の勘が、「ヤツは間違いなく黒だ」と告げている。

 何がか、はわからないが……粘りつくような悪寒を一目見たときから覚えていた。

 

「……僕も怪しいとは思う。けれど犯行現場を見たでもなく、あらゆる証拠も無い現状、キミの直感だけを素直に信じるわけにもいかない。それよりも全体を警戒してほしい。……言うまでもないだろうけどね」

「ええ……わたくしとしても自覚しているのですが……、いえ、現状では何を言っても妄言ですね。お騒がせしました」

「構わないとも。得てしてそういう直感が何よりも頼りになるものだしね。……それじゃあ僕は行くよ。キミも気をつけてね」

「ええ、そちらこそ」

 

 そう言って屋根の上にひとっ飛びで乗ったGA.LVERを見送ってステラは視線を動かした。

 その間際、こちらの視線に気づいたように手を振るハートレスに不快感を覚えながらも……やがてパレードは始まる。

 

「来たぞっ、あっちに見えてる!」

「<黄龍雑技団>のパレードだ!」

「【雑技王】ってまだ小さな子どもなんでしょう? ちゃんと演じられるのかしら……」

「まさかもう一度【雑技王】の舞台が見れるなんてなぁ……、グスッ」

 

 沸き上がる若者。

 年端も行かない今代【雑技王】を心配する声。

 あるいは往年の思い出を振り返り涙ぐむ老人。

 様々な想いを歓声に乗せて観衆が声を張り上げる。

 

 その大歓声をかき分けるように――その一団は現れた。

 

 先鋒を彩るは二列に別れて並び舞う男女の一団。

 引き締まった肉体からすらりと伸びる四肢をくねらせ、常人には到底及ばない柔軟さでうねるように踊り笑顔を振りまいている。

 引き連れた音楽はその後に続く巨大な山車に雛壇で並んだ【音楽家】達の大合奏で、その音に合わせて【幻術師】達の操作する幻影が色とりどりを放って大いに目と耳を楽しませていく。

 その周囲にも大勢の【軽業師】達が軽妙にして精緻な雑技でアピールし、一時足りとも集客の目を飽きさせない。

 

 まるで幻想が迷い込んてきたような、あるいはそれに招かれたような非日常の光景。

 長きに渡り観客の関心を惹き付けることだけを追求してきた黄河の伝統芸能。

 復活せし王座を擁する名門の徒達が魅せる一挙一動が周囲の目を捉えて離さず、そのまま心まで鷲掴みに練り歩いていった。

 

「すっげー……、俺こういうの初めて見たよ。動画撮ってあとで上げなきゃ!」

「サーカスっていうの? ふつーはなかなか見る機会無いもんな」

「ばっかこれは雑技だっての。サーカスとは別物なんだって!」

「違うって……何が?」

「それは……、わかんないけど」

「そんなことよりさ、噂の【雑技王】ってどこよ? 趣味ジョブの超級職なんてすっげーレアじゃん! 早く見たいんだけど!!」

 

 この場に集った<マスター>もまた思い思いの感想を口に本命を待ち侘びていた。

 そう……これらの演出はあくまで前座に過ぎない。本命は広告で何度も通知された【雑技王】である。

 わざわざ軽業師系統に就いてそれを極めた一等物好きな彼らの同類を一目見ようと撮影用マジックアイテムを手に待ち構え……やがてそれを目撃する。

 

「なんだあれ、黒子?」

「あれだけ動きのレベルちげーぞ。ベテラン集団かな」

「いやでも黒ずくめって舞台衣装としては地味じゃ……ってあれ、あそこ!」

「一人だけカラフルなちっせーのがいる! ……もしかしてあれが?」

「今《看破》した……間違いない、あの子供が【雑技王】だ!!」

 

 大行列の中央に位置した一際巨大で飾り付けられた山車。

 その天辺には平皿のような広い舞台が設けられ、その上で無数の黒子と戯れる、極彩色の衣装を纏った小さな影。

 両端に大きな鈴を一つずつ垂れ下げた道士帽に、舞って切る風を孕んで波打つ袂を具えた道士服。

 爪先の大きく湾曲した鈴付き靴でステップを踏み、その動きの最中にチラつく生身には厚い舞台化粧。

 さながら中華風ピエロとも例えられるような装いに猫面を被ったその影は、素人目にも次元違いと分かる極まった動きで雑技を披露し、代わる代わる相手となる黒子を代えて、舞台の上で華麗に舞い続けていた。

 

 《看破》でステータスを覗き見た幾人かが、それが正真正銘【雑技王】であることを確信し、そしてそれが噂通りの幼子であることに驚く。

 愕然とする彼らの前で舞い続ける【雑技王】――黒猫は、その動きのまま衆人環視の中ふわりと()()()()()――

 

「うわ、浮いた! えっ、あれどうなってんの!?」

「なんかのスキルか……? でもそれっぽい魔法も使ってないように見えるぞ」

「おお……ガキの頃に見たのと同じだ……! 先代と同じ、宙を舞ってるぞ! 長生きはしてみるもんだなぁ……!!」

 

 見上げる彼らの頭上で天を遊び、回遊魚の如く黒子を引き連れ泳いだ。

 そしてその最中に猫面を投げ捨て素顔を露わにし、猫のように笑って愛想を振り撒く。

 投げ捨てられた猫面に殺到する観客の上に舞い降りてそれを見守り、立ち並ぶ観客達のほんの少し頭上をアイススケートのように踊り滑る。

 

 さながらピーターパンかティンカーベルのように、"遊天娘々"の異名の如く天を自在に舞い遊ぶ黒猫に、観客はより一層熱狂しその背中を追っていた。

 

「すっっっっげぇ……、すごすぎてわけがわからん。なんだあれ、いくらゲームでも動きヤバいっしょ!」

「リアルのサーカスでもこんなのねーよ。ファンタジーここに極まれり、だな」

「つーかめっちゃ可愛い……え、ガチでロリっ子? そういうアバターとかじゃなくて?」

「リアル側のフォーラムに情報載ってたっけな……趣味ジョブの情報なんて普段見てないからなぁ」

「SS撮っとけ撮っとけ、動画もな! これSNS載せたら爆釣れだぜマジで!」

(……本当に、すごいですね。ヘイさんは……)

 

 ティアンも<マスター>も区別なく熱狂し喝采を上げる中、ステラは目を伏せて感慨に耽っていた。

 公演の前座に過ぎないパレードで尚こうも熱狂せしめるその御業。

 戦いに明け暮れる自分に(相性差とはいえ)力量で凌駕しながら、決して届かぬ技芸の領分で頂点を極める好敵手の姿に、ステラは只々感嘆の吐息を漏らす。

 決して悔しくはない。ただ純粋な敬意の念が湧き上がってくるのを抑えられず、彼女は熱っぽく呼吸した。

 

 場の警備に意識を割かねばならない中の、僅かな気の緩み。

 一呼吸の後には意識を切り替え視線を鋭くさせるまでの、ほんの一息。

 

 しかし、だからこそだろうか。

 得てしてそうした間の悪さを突くように凶事というものはどこからともなく訪うもので――

 

(この熱気に浸りたいところですが、そうもしてられないのが――、……!?)

「ッ――、《危険察知》に反応!?」

 

 ――徐に反応を示した《危険察知》に空を仰いだその彼方から。

 

「えっ、……う、うわぁあああああああ!?」

「な、なんだァ……!!?」

 

 

 ――無数の隕石が祭事に沸く街目掛けて降り注がんとしていた。

 

 

 To be continued

 





(・3・)<やっとボス戦だよ!

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