大胆な過去回想シーンは作者の特権(
□ある少女の半生
齢十にも満たない少女の前半生は、常に飢えが付き纏っていた。
それは食欲的にも愛情的にも満たされることのない空虚な日々。
空っぽの器が満たされない理由は単純で……つまるところ生みの親が
母は若く美貌こそあれど淫蕩で、金で簡単に身体を売り渡す淫売だった。
父はそんな母を口八丁手八丁でまるめこんだ極め付きの紐で、定職にも就かず方々から借りた金で遊び呆ける屑だった。
そして明日をも知れぬその日暮らしを続ける男女に真っ当な責任感などあろうはずもなく、不慮の事故のように生まれた少女……音子はその存在を厭われ専ら押入れの中に押し込められていた。
暗く狭い押入れの中で、碌に食事も与えられず父母の放蕩を見せつけられる毎日。
行きずりの男を連れ込んで快楽に上げる母の嬌声や、猫なで声で金を無心する父の卑しい声。
一方で快楽に溺れていないときの母は酷く鬱に陥って塞ぎ込み、酒に呑まれた父は屑の本性を露わにして暴れ回る。時としてその暴力は母のみならず音子にまで及んでいた。
音子が物心つく四歳まで無事に生き延びられたのは奇跡としか言いようがない。
そして物心がついてからの音子は、そんな父母を極めて冷静に
利発にしても早熟に過ぎる思考は、生存本能が導き出した最低限の防衛手段か。
泣いても笑っても勘気を買う日々の中で音子は助けを求める声すら上げられず、生まれて一度も家の外へ出ることを許されないまま、じっとその暮らしに耐え続けていた。
当時の音子に"地獄"という概念は無かったが、もしあるとしたらその暮らしこそが音子にとっての地獄だっただろう。
絵に描いたような崩壊家庭に児童虐待。きっと探せばどこにでもあるありふれたことなのかもしれないが、自分以外のことなど知る由もない音子にとって、生家こそが満たされることのない
◇
そんな地獄にも、一握りの救いはあった。
どこぞへ出歩いていた父がふらりと帰宅したときに持ち込んだ、一匹の金魚。
覚えのない色香を纏わせていたことから、母も知らないどこぞの女と縁日にでも繰り出していたのだろうが、そこで手に入れた一匹一〇〇円にも満たない小さな命。
いつになく上機嫌だった父は目を丸くする音子に構わず適当な空き瓶に水を汲み、一緒に買ってきたのだろう金魚の餌も与えると、「大事にしろよー」と無責任に言い放った後にそのまま寝た。
――何かを与えられたのはそれが初めてだった。
必要最低限の食事すらも両親の目を盗んでこそこそとつまみ食いするしかなかった音子が、初めて真正面から直々に与えられた唯一のモノ。
骨と皮ばかりの痩せた両腕には重い水瓶の中を泳ぐソレを覗き込み、音子は生まれて初めて笑みを浮かべた。
それからの音子の生活には金魚の世話が加わった。
案の定次の日には金魚を買い与えたことなどほとんど忘れていた父から金魚を隠し、許された唯一の領域である押し入れに匿ってこっそりと餌を与え続けた。
最初に渡された金魚の餌が尽きれば、自分の命を繋ぐための盗み食いに加えて父母が気づかぬ程度のパン屑をくすねそれを与えた。
水が濁れば両親の寝静まった頃に音を立てないようにしながら慎重に替え、また押し入れに隠す。
恐らく音子が両親にそうされる以上に、音子によって甲斐甲斐しく世話された金魚は、半年もするうちには当初の可愛げなど嘘のように大きくなっていた。
これには音子も驚き目を丸くするも、自分と違って丸々と肥え太った金魚に……素直な喜びをを覚えた。
音子は性根の優しい子供だった、ということだろう。両親の前では顔を覗かせるはずもない本質が、自分以上に無力な金魚を世話することで萌芽の兆しを見せていた。
最早音子にとって金魚の世話は生き甲斐にまでなっていた。
そうすることでいつ終わるともしれない地獄の日々を耐え抜く気力を保てていた。
何よりも自分の庇護によってすくすくと育つ金魚の姿は、自分には無い幸せに満ちているようで……それが誇らしく、救いになっていた。
安い幸福と救済だが、音子にはそれで充分だった。
空っぽの器に初めて水が注がれ、消えることのない飢えを一時忘れられればそれでよかった。
◇
だが、僅かな幸福で一時の地獄を忘れられれど、棲まうのが地獄であることには変わりない。
音子が五歳に(といっても彼女の誕生日など音子本人は知らないし、両親も覚えていなかったが)なった頃、生活は急速に悪化していった。
元々最低限だった音子の暮らし振りに変化はなかったが、両親から明らかに余裕が失われていた。
淫蕩に耽っていても母の顔には不安が拭えず、放蕩三昧の父は焦燥していた。そして事あるごとに鳴らされるインターホン。
それらを冷静に観察していた音子は、とうとう彼らにも因果が応報してきたのだと悟った。
後に知ったことだが、どうやら父はタチの悪い金融に莫大な借金を抱え込んでしまっていたらしい。
その理由は定かではないが、どうせ碌でもないことだろう。定職にも就かず稼ぎも無いくせに欲望だけは人一倍肥大させた父だから、目先の金目当てに無謀な借金をしてしまったに違いなかった。
だがそれまでと違ったのは、膨れ上がった借金にいよいよ返済の手段が無く、口先で丸め込み頼っていた友人知人からも、尽きることのない金の無心にいよいよ愛想を尽かされ縁切りされていたのが致命的だった。
放蕩三昧に浮かれきっていた父の顔は青ざめ、事あるごとに借金取りの恫喝が響く中では母も男を連れ込めない。
日を重ねるごとに憔悴していく両親を目にして、音子は昏い愉悦を覚えていた。
自分にとっての地獄を作り出した元凶が、自業自得で作り出した地獄に追い詰められ行き場を失っていく様が心底滑稽で、音子はそれが堪らなく痛快だった。
両親への愛情などあるはずもなく、音子にとって大事だったのは己と、己が庇護する丸々と太った名もなき金魚だけ。
来たるべき両親の破滅をしかと目に焼き付けんと、音子は暗い押入れの中から幽鬼のような瞳を覗かせていた。
◇
ある日音子が目を覚ますと、部屋はしんと静まり返っていた。
築二〇年の安アパートの三階部屋。親子三人がギリギリ収まる程度の1DKは、まるで人気が無く閑散としていた。
父がいないのは今に始まったことではないが、借金取りの目がある最近では縮こまって引き篭もっていただけに不穏ではある。
母に至っては家を出る姿など片手で数えるほどしか見たことがない。連れ込む男はSNSで知り合った相手ばかりで本人は頑として外に出ようとせず、まるで外を恐怖しているかのようだったから。
その両親が揃って姿を消したことに、音子は遂に彼らがお縄に掛かったのかもしれないと喜んだ。
自分が放置されていたのは、両親の勘気に障らないよう努めて気配を殺し、必要最低限以外は押入れから出ないようにしていたから気づかなかったのかもしれない。
学のない子供の浅い思慮だが、そうと考えたときの喜びは一入だった。
ようやく地獄から解放されるのかと喜び勇み、金魚の入った水瓶を担いで初めて外に出ようとして……、
◇
それから二週間、音子は未だアパートの一室にいた。
否、
何のことはない、両親は全てに蓋をして逃げ出したのだ。
一向に返済できそうにない借金。それを理由に身柄を抑えようとする借金取り。
いよいよ首が回らなくなった両親は、黒猫を置いて夜逃げを図っていた。
閉じた鍵穴を接着剤で塞ぎ。
窓も同様にした上でカーテンを縫い付け中を覗けないようにして。
しかしそれは外部からの発覚を遅らせるためというよりは……音子を外に出させないためのものだった。
両親にとって音子の存在は邪魔者以外の何者でもなかった。
生まれてしまったものは仕方がないから置いてはいたが、存在を知覚することすら億劫な負債でしかなかった。
放逐すれば周囲の目に留まって面倒事を呼び込むし、かといって殺してしまえば始末に困る。
だから見ない振りをした。
気まぐれに存在を認知して構うことはあれど、日を跨げばそれも忘れた。
そしていよいよ住処にいられなくなったとき……臭いものは丸ごと蓋をして逃げ出した。
娘を連れて行くという選択肢は彼らにはなかった。
連れて行ったところで邪魔にしかならないし、そもそもそれを厭うて見て見ぬ振りを続けてきたのだ。
一欠片の愛着も愛情も持たないまま、彼らは至極あっさりと音子を
……この父母なる男女は心底まで腐り果てていたらしい。
音子とて愛情など知り得るはずもない身の上だが、それでも金魚の存在で愛着は心得ていた。
別に一緒に逃げるつもりなど毛頭ないが、だからといって何の躊躇もなく捨てられるとも思っておらず、音子は父母なる者の浅ましさを見誤っていた。
剰え最後の最期まで一切の自由を許さず閉じ込めるなど……音子の理解の外だった。
満足な食事も運動も与えられなかった音子は非力で、脱出の手段などあるはずもなかった。
潰された鍵穴はどう足掻いても解除できず、窓ガラスを割るだけの体力すらない。
幸いにして電気と水は動いていたが食糧は無い。元々備蓄の少ない冷蔵庫の中身だが、最後の買い出しも無いまま両親は蒸発していた。
残されたのはとっくに賞味期限の切れた食パンのみ。
飲水には困らないから致命には陥らなかったが、音子は僅かな食パンを切り詰めながら金魚と二人、身動きもなくただ命を繋ぐだけの時間を紡いでいった。
◇
更に二週間。
僅かな食パンもとうに切れ、水で飢えを誤魔化すだけの日々が続いていた。
電気も水もまだ保っているから命を繋げていたが、最早身動きひとつする体力すらないまま、金魚の泳ぐ水瓶を抱えて蹲っていた。
かける言葉も無く金魚を見守りながら、失せた時間感覚で昼夜を見送る日々。
しかし分け与えるだけの僅かなパン屑さえ尽きて久しい今、金魚もどこか無気力に漂うことが多くなっている。
動くだけの体力も無いから水も替えられず濁るままになり、僅かな異臭が鼻を衝き始めてもいた。
だけどそんな金魚の様が可哀想になって、音子は無理を押して立ち上がり、よろよろとキッチンに近づいて水を替えようとした。
だが……、
「あっ……」
極限まで衰弱した体力が祟って、水瓶を落としてしまった。
割れたガラスの破片と、飛び散る中身。
水浸しになった床の上で弱々しく跳ねる金魚……以前ほど福々しくはないが、それでも太った唯一の友達を見下ろして――
◇
更に一週間。
最早物音ひとつすら立たない密室を、けたたましく鳴らされたインターホンが打ち破った。
鍵穴を潰されチェーンまで掛けられたドアを何度も開こうとする物音が響き、外からは大勢の大人の声が聞こえてくる。
「おい、裏に回れ! ベランダから中に――」
「もう一ヶ月以上も――」
大人達の声には焦燥が混じり、そんな会話のしばらく後に今度はベランダ側から音がした。
掛けられた梯子から乗り込んできた大人達が窓ガラスを打ち破って部屋を捜索する。
そんな騒々しさにも何の反応を示さず、音子はキッチンの前で力無く横たわるまま、やがて彼らに発見される。
発見されたのは音子ひとりだった。
割れたガラスの上、傷つき薄汚れたまま横たわる彼女の傍に
ただその口元、激しく嘔吐したのだろう痕跡のすぐそばに……腐り果てた肉片があった。
◇
乗り込んできた大人達は地元の警察官と救命士だった。
両親は結局夜逃げした先で敢えなく借金取りの御用となり、彼らが取り調べる中で娘が独り取り残されていることが発覚したのをきっかけに通報があり、事態を重く見た警察が救助に乗り出したことで音子は命拾いした。
しかし経緯が経緯なだけに親戚筋は音子を持て余し、両親は児童虐待の悪質さから重い罪で投獄されたために音子は身寄りを失った。
遠からず孤児として児童養護施設に送られるはずだった音子だったが、その直前になって彼女を引き受ける声が上がった。
名乗りを上げたのは父の妹だという女性だった。
軽薄な父とは違って如何にも気の強そうな面構えをしたその女は、周囲の反対を押し切って音子を引き取ると自分と同じ黒沢の姓を与えて養子とした。
女の夫だという福々とした体型の男は当初こそ寝耳に水と驚いていたようだが、音子の事情を知ると一も二もなく賛成して迎え入れてくれた。人情深く涙脆い性格だったのかもしれない。
音子にとって最大の奇跡は、引取先の夫婦が実の両親とは似ても似つかない人格者であったことだろう。
母は厳しくも優しく、残酷な背景を持つ音子をさりとて憐れむでもなく、我が子のように褒め、叱りながら正面から接していた。
父は母とは正反対に終始甘く、それこそ目に入れても痛くないほどに可愛がった。趣味だという漫画のコレクションを収めた部屋に音子を招いては一緒になって読み耽り、夜更しするなと母と一緒に叱られた。
早熟だった音子は新しい両親の献身が本物であり、過去の不幸と現在の幸福が別物であることを理解しており、父母の確かな愛に支えられて少しずつ更生していった。
そうでなければ今も大人を信じられず自分のみを頼りとして……歪んだまま暗い未来を送っていたに違いなかった。
毎日腹一杯に食事をして、息を潜めることなく大いに眠り、オタク趣味だが学力も本物だった父のもとで読み書きを習い、六歳になれば満を持して小学校にも入学させてもらえた。
そんな当たり前の生活を当たり前のものと教えられたことこそが、音子にとって何よりの救いだったことを果たしてどれほどの人間が知り得るだろう。
最早生気のない人形のようだった少女の姿はどこにもなく、元気溌剌というには過剰すぎるほどに見違えて奔放になった黒沢音子の姿がそこにあった。
◇
その黒沢少女がとある事件で知り合い、紆余曲折を経て無二の親友となった少女の勧めで始めた<Infinite Dendrogram>というゲーム。
ひょんなことからすれ違い、武仙の国黄河帝国でプレイを始めて行きずりで【軽業師】に就き、間もなく孵化した<エンブリオ>――【奪命神咒 ヒダルガミ】。
黒沢音子――黒猫のパーソナルから生まれたその<エンブリオ>は、かつての地獄を思わせる
もし今の両親のもとで更生していなければ。
あるいは先に【軽業師】に就いて一座の団長である黄刃華に目をかけられていなければ。
忘れていた地獄を突きつけられ悪しき衝動に身を浸していたかもしれない出来事だったが、早熟にして聡明な黒猫はそれを笑い話にできた。
この<Infinite Dendrogram>での黒猫は、雑技の名門で将来を期待された【軽業師】の卵。
それこそが自分の選んだ自由と認め、<エンブリオ>はその添え物に過ぎないと考えていた黒猫は、ヒダルガミが生まれたパーソナルとは別に芸人としての道を極めていく。
無論それに思うところが無いわけでもなく、時として物思いに耽り、周囲の励ましを貰うこともあったが……それらも乗り越え遂に【雑技王】の座へと辿り着いた。
そうして就いた【雑技王】の座。
それを記念して執り行われた天覧公演、続く四方での大巡業。
その裏でヒダルガミも<超級エンブリオ>へと進化を果たし……同時に覚えた必殺スキルこそ《鬼哭餓鬼道地獄絵図》。
確かな幸福の内にあった黒猫に突きつけられた、割り切れど決して忘れられざる地獄の名。
否、幸福な今があるからこそ決して忘れてはならない過去として、無意識のパーソナルからようやく生まれた【奪命神咒 ヒダルガミ】の集大成にして原風景に他ならない。
即ちその効果とは――
◇◇◇
□不可侵領域
黒猫の必殺スキルの宣言と同時、振りかざされた袖から
それは巨大な腕の形を取って【グランドバァン】へと手を伸ばし、さながら抱き竦めるようにしてその全体包み込むと黒一色に染め上げる。
『KYUUUUUUUUUUU!?』
正体不明の闇に包まれ狼狽する【グランドバァン】。
それはいっそ不気味なほどに静まりながら、日蝕のように己の全身を蝕みながらも何の痛痒も与えない。
それがひたすら恐ろしい。これだけで終わるはずがないと分かりきっていながらも、《過重圧殺領域》を展開し続けるしかない【グランドバァン】には打つ手が無いままそれを見守って……、
【ステラ、ガル兄。触れるなよ。……触れたら死ぬぜ】
黒猫がそう念話で注意を飛ばした直後、
『KYUA!? KYUUUUUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――――!!!!!!???』
三人には伝わらない、【大怪遊星 グランドバァン】の生涯最大の絶叫が不可侵領域に響き渡った。
狂乱の余り《過重圧殺領域》の展開も忘れ、覆い隠す闇の向こうで表層の斑模様を千々に掻き乱しながら、【グランドバァン】だけを襲うこの世の地獄に阿鼻叫喚を騒ぎ立てる。
――喰われる
――喰われてしまう!!
――何もかも……いや、この恐ろしいまでの飢えはなんだ!?
――知らない……こんな感情、こんな恐怖、こんな喪失は知るはずもない!!
敢えて人語に訳すならばそうした絶叫だろうか。
己の存在を構成する全ての
(なるほどなー……こういう必殺スキルかよ。……ハッ、あたしにはお似合いじゃんね)
鬼哭とは、浮かばれない亡魂の泣声の意。
餓鬼道とは仏教世界における六つの地獄の一つ、常に飢えと渇きに苦しむ亡者の世界。
そして地獄絵図とは文字通り……それら飢餓に喘ぐ亡者がのたうち苦しむ様そのものを指す。
即ちその名を冠する必殺スキルの効果とは、
餓鬼道の如くあらゆる慈悲は燃え尽き枯れ果て己の糧にできず、蓄えたそれらも瞬く間に飢えていく。
そうして苦しみにのたうち回る獲物の絶叫は鬼哭啾々たる爪痕を刻み、その全光景を以て地獄絵図とする。
対象が巨大極まる【グランドバァン】だからこそただ一匹が苦しむに留まっているが、これをもし群れにでも行使したならば、その群れは飢餓と喪失のあまり本来の統率を離れ、決して救われないことを知ることもなく
この必殺スキルの恐るべきところは、対象は生物に限らないところだ。
<Infinite Dendrogram>の世界が根本的にはリソースという概念に支えられている以上、命持たないオブジェクトすらも保有リソースを枯らされ無為に帰す。
発動したが最期、領域内は一切廃滅の無と化し、再びリソースが得られるまでは草木ひとつすら芽生えぬ荒涼の地となる。
またそうして枯れ果てる一方である以上、他の固有スキルのように黒猫へ還元されることも一切無い。
まさしく飢餓で苛み殺すだけの地獄。
黒猫――音子にあり得た最悪の可能性の一端の顕現。
(ああでもそっか……デカブツ一個相手にはあんま相性良くないじゃんね。もうちょっと常識的なサイズならこれでトドメだったんだけど……残念、時間切れか)
しかし、救いは存在する。
その効果があまりに致命的であるが故か、それとも黒猫がリアルでは地獄に命を落とさず救助されたことを反映してかはわからないが、この必殺スキルにはセーフティが存在した。
必殺スキルの発動後しばらくした後、【奪命神咒 ヒダルガミ】は
ヒダルガミの自壊を以て地獄は終わり、復活を果たすまでは再び地獄が訪れることはない。
それをリソースの都合と見るか参考元となった黒猫の精神的な枷と見るかは勝手だが、とにかくも【グランドバァン】はギリギリで命を繋いだ。
無形の魔力炉は霧散し。
半径二キロメートルの球体は虫食いのように歪に欠け。
最早反抗の余地も無いほどに虫の息という絶体絶命ではあったが……生き延びてしまっている。
【ステラ、ガル兄】
路傍の石よりもみすぼらしい形となった【グランドバァン】を前に、黒猫は二人の名を呼び。
【――あとは頼むぜ】
既に時間切れ間もないバフを前にこれ以上の交戦を断念し、後を託して大気圏へと落下していった。
そして空気摩擦で全身を燃え上がらせ……そのままデスペナルティとなる。
【……ああ、勿論】
【きっちりと仕留めてみせましょう――!!】
そんな黒猫の死に様を見送って、二人は応えた。
共に超重力の防護を失った【グランドバァン】の表層へ取り付き、獰猛な顔をして屈強極まる四肢に力を込める。
【征くぞ、【グランドバァン】!!】
【これを末期の光景と知りなさい】
そう殺意を宣言した後、二人は蹂躙を開始した。
これまで耐えに耐え抜いてきた【グランドバァン】の猛攻。
反撃のカタルシスを解放するように全能力を発揮して、その四肢で星を殴る。
GA.LVERは【超練体士】の奥義により跳ね上がったステータスの暴力で一撃ごとに【グランドバァン】へクレーターを穿ち、ステラは全運動エネルギーを攻撃に回して一撃ごとに地割れを刻む。
さながらキツツキのように【グランドバァン】を挟んだ対角線上からその五体で【グランドバァン】を砕き進み、この巨体のどこかにある【グランドバァン】のコアを目指して星の内海を泳ぐ。
『KYUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!? KYUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――!!?』
【グランドバァン】はただ絶叫するしかなかった。
およそこれまであり得たはずのない窮地。この不可侵領域に居を移してからここまで辿り着いた敵などいるはずもなく、まして己を直接砕こうとする輩などあり得るはずもない。
想定するのも難しい天文学的確率の窮地に、【グランドバァン】は己の身体を砕いて食い荒らし回る恐るべき寄生虫二匹に恐怖した。
【無駄に図体が大きいのが鬱陶しいですね。自前の重力で余程に圧縮していたのか、わたくしの全力を以てしても
【こんなに硬い相手は初めてだよ! 黒猫くんの一撃が無ければ、とてもじゃないけど打つ手が無かった!】
【あの超重力に耐えながらでは、そうですね。……まったく、柄にもない真似をされては、応えないわけにはいかないではないですか】
【グランドバァン】の声が二人に届かないように、二人の声も【グランドバァン】に届くはずもない。
しかし直感として己を砕きまわる敵ふたつが何かを考えていることなどソレには容易に察せて、それが己を滅ぼす算段であると推測してますます恐怖に慄いた。
しかし、それでも。
臆病さと勤勉さ、そして
最早再び同じ力量を得られるかどうかすらも未知数で、それはきっと遥か遠い小数点以下の確率かもしれないが、可能性があるのならばそれを選ばない選択肢は無い。
【グランドバァン】は一縷の望みに賭けて、
【――
敵が砕こうとしている
本体――半径二キロメートルの
それが砕け飛ぶ瓦礫に紛れて大気圏に突入しようとしていたのを、予測していたステラが掴み取っていた。
【これまでの様子を見るに、随分と慎重で臆病な貴方のことです。たとえ分が悪くとも緊急脱出できるだけの備えはあると思っていましたよ。無論、飛躍的に過ぎる推測だとは自覚していますが――】
『――――――――――――――――!!!!!』
「何分、勘は良い方ですので」と、ステラは嘯く。
その思念の声は【グランドバァン】には伝わらない。
【グランドバァン】の主観ではあまりに理不尽な詰みの一手。
文字通り
【実のところ、わたくしはとても怒っています。大事な友人の折角の晴れ舞台を台無しにし、剰え彼女が大事に思う人々を傷つけたその罪、万死に値します】
ぐぐ、と己を捕らえる指先に込められた力が強くなる。
【ヘイさんに涙を流させるなど、許せるものではありません。これでもわたくしは、相応に彼女を買っていますので。決闘の勝敗に悔し涙を流させるのでもなく、ただ悲しませるなど……わたくしの容赦の外です】
ステラはその見た目や振る舞いで勘違いされやすいが、その実親しい人間には非常に親身だ。
ガキ大将気質と言ってもいい。黒猫というかけがえのない喧嘩友達が流した悲しみの涙に、誰よりも怒りを覚えていたのは他ならぬステラである。
令嬢の外面を取り繕った上辺のステラではなく、その暴力性を目の当たりにしながらも、口では悪ぶれど態度の変わらない黒猫は、ステラにとって無二の友だった。
【念には念を入れて、全力で貴方を
故にステラは、この石ころを欠片も残さず滅ぼすことを決めていた。
【グランドバァン】を捕らえた右拳を握り締め、鋼の腕が軋んで亀裂を生む程に万力を込めると、それを大気圏に向けて伸ばし……、
【――
ほぼ全ての運動エネルギーを右腕に集中させて自ら切り離し、握り締めたままの拳を大気圏へ射出した。
まさしくロケットパンチを【グランドバァン】を握り締めたまま地上に向けて放ち、それは超々音速で大気圏を突き抜け――
『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――!! KYUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――――!!???!??』
【グランドバァン】の絶叫など文字通り聞く耳も持たず、地上三キロメートルで
込められた全運動エネルギーを手中の【グランドバァン】ただ一点に向けて炸裂させた、恐るべき爆発。
切り離した右腕の自壊も厭わず炸裂したエネルギーは周辺大気を吹き飛ばし、一〇〇の雷鳴よりも恐ろしい咆哮を轟かせ、超広範囲に渡って衝撃波を伝播させた。
『――――――――――――――――』
そうして【大怪遊星 グランドバァン】は恐るべき巨体など見る影もなく、雑多な隕石の如く大気圏で消滅した。
To be continued
□余談
・黒猫の過去
(・3・)<お察しの方もいたかと思いますが、元虐待児童でした。
(・3・)<割とゲロ重いんだけど、周囲の尽力や本人の強かさもあって更生。
(・3・)<生みの親はほんとに救いようのない屑だったけど、今の親はほんとに人格者
(・3・)<特に母親の手腕がデカい。女傑。黒猫の気の強さは母親の影響。
(・3・)<父親の方はぶっちゃけ王宝満に似てて、それもあってすぐ懐いたり
(・3・)<二人ともデンドロはやってません
(・3・)<ちなみにですがもし黒猫がカルディナスタートだった場合
(・3・)<今とは似ても似つかないダークサイドを突っ走っていた可能性極大
(・3・)<コルタナは黒猫の闇をつつく要素が多すぎる(
(・3・)<魚嫌いな理由はお察しください
・《鬼哭餓鬼道地獄絵図》
(・3・)<ぶっちゃけると枯渇庭園(型月ネタ)
(・3・)<黒猫のトラウマというか黒歴史そのものな必殺スキル
(・3・)<更生した今だからこそ微妙そうにしながらも使うことができるとも言える
(・3・)<余談ですがアリスの必殺スキルにも地獄のワードが含まれます
(・3・)<地獄姉妹(ライダーネタ)
・あっちゃん関連
(・3・)<アリスこと本名有栖川志乃との出会いはちょっと特殊で
(・3・)<言ってみれば現代異能力バトル漫画の一幕みたいな事件に巻き込まれて
(・3・)<そこで共闘してわちゃわちゃして、一緒に生き延びた結果マブになった感じ
(・3・)<完全に別作品になる
・ステラ
(・3・)<黒猫大好き
(・3・)<元はガキ大将気質だったけど、事故で手足を失って大人しくなった
(・3・)<お嬢様の振る舞いはそうなってから身につけたもの
(・3・)<が、デンドロで見事にはっちゃけました
(・3・)<黒猫に負けたせいでライバル意識とほんの少しの恋っぽいものが目覚めたり
(・3・)<夕暮れの河原で殴り合って好感度上げる系女子
・【グランドバァン】
(・3・)<つよい(と作者は考えて作った)
(・3・)<でも絶対無敵ではない(と思う)
(・3・)<仮にここで仕留めてなかったらとんでもない大災害を引き起こしてました
(・3・)<それでも結局は倒されたあたり、デンドロ世界は広い
(・3・)<メタ的にはシナリオの都合だけど
(・3・)<……こいつデザインしてて思ったのは
(・3・)<こいつと同じ地属性特化で、こいつ以上の馬鹿魔力を誇る某魔法最強さんは
(・3・)<こいつができたことなら片手間にできそうだよなぁ……という恐怖
(・3・)<絶対四大魔法に隕石系とか重力系あるでしょ(
(・3・)<あ、特典武具の詳細は次回エピローグをお楽しみに
(・3・)<作中描写から言うまでもないことですが、黒猫はMVPではありません
(・3・)<イレギュラーの特典武具をオリ主に持たせる勇気は作者にはなかった
(・3・)<裏コンセプトから外れるしね(特典武具は一個まで)
(・3・)<ちなみに裏コンセプトを設けた理由は
(・3・)<別作主人公が雑にあれこれ持ってたから(ほとんどエンブリオの餌になったけど)
長くなりましたがこれにて決着です。
次回、エピローグをお待ち下さい。