――そのメイドを一目見て、恋に落ちた。初恋だった。
当時13歳だった俺の前に突然現れたその天使はなんと王城付き女中――今はメイドか。メイドだという。聞けば同い年だというその少女、名をオフィーリアという平民上がりの女に、俺は心を奪われ、必死に接点を作ろうと努力してきた。
彼女はなんでも出来た。知識も戦闘も、政治に関することでさえ俺は敵わなかった。恐ろしいまでの完全さ。なるほど神童とはよく言ったものだ。だが――俺は諦められなかった。今出来ないからと言ってそのまま諦める必要は無い。彼女だってよく言っていることだ。『進歩が無ければ衰退していくだけです』と。つまり進歩しなければ彼女との差はどんどん広がり、果てはどこの誰とも知れない男に奪われ――!
「あぁ嫌だ嫌だ! ちくしょう、あの子の身体に他の奴が触るなんて!」
「煩いですよ殿下。今なんの時間だと思ってんですか」
「ああ? 鍛錬だよ、剣のな! でもお前、俺が剣を振るう事態とかもう末期だから諦めたほうがいいと思うんだよ!」
「何ほざいてんですか殿下。口に【ロック】ぶち込まれたくなかったら腕を動かしてください」
「お前さっきから酷過ぎない!? 俺が真剣に悩んでるって時に! しかも主君、俺!」
「大体いつものことなんで慣れました。ついでに俺は殿下に忠誠は誓ってるとはいえなんでもかんでも従う訳じゃないですし」
くっそなんだよコイツ。でもコイツはやるって言ったらマジでやる男だから大人しく腕を動かす。ただひたすら、理想の軌道を描くように剣を振るう。こんなことが役に立つのか、と思う。こんなことよりもっと勉強して知識をつけたい。確かに彼女は何でもできるが、どちらかというと戦闘寄りだ。だからといって頭脳面で敵うわけではないが。
ちら、と隣で一心に剣を振る男を見る。名をロイという、これまた平民だ。いつからか王城には平民が増えた。まあ俺は貴族だの平民だの気にしないが。重要なのは
その点ロイは平民生まれだが異様に剣の腕が立つ。どうやら師匠がいたらしい。どんな奴だったのかは教えてくれないが、師匠のことになると、いつもむっつりとしているコイツが笑顔になってちょっと気持ち悪い。
「……はぁ。そんなに好きなら好きだと言えばいいじゃないですか。殿下なら大抵の女性が受け入れてくれると思いますよ」
「おまっ、それが出来たら苦労しねぇっつの! あの子は今の俺なんかじゃ全然届かない高みに居んだよ! せめて何か一つでも同じくらいのレベルに達してないと怖くて告白出来んわ!」
「なんですかそれ気持ち悪い。ビビってるだけじゃないですか」
「ああん!? じゃあお前『師匠』とやらに告白できんのかよ!」
「ぶっ! なんでそんな話になるんですか! あんたが告白するのと俺が告白するのとは別の話でしょう!」
段々俺たちの剣筋が雑になっていく。剣先はぶれ、重心がずれ、力が抜けていく。
「はっ、どうせ出来ないだろ。お前が告白したら俺だって告白してやる!」
「子供ですかあんた!」
「うっせ、ほっとけ!」
あーもう。だめだなこりゃ。今日は集中できそうにない。一度汗を流してから執務をやることにしよう。……別に執務室の窓から見えることを期待してるわけじゃない。
「はぁ、はぁ……ロイ。今日はもう終わりだ。こんなんじゃもう出来ないだろ」
「誰のせいだと……しかし、そうですね。これ以上はやっても意味が無さそうだ」
「それでは、こちらをお使いください。湯浴みの準備は出来ておりますが、道中で風邪をひかれてしまわれては大変ですから」
「ああ、ありがとよ」
「すまない、助かる」
背後から差し出されたタオルを受け取って汗をあらかた拭き取っていく。
……お?
ちょっと待て。今タオルを差し出したのは誰だ。この訓練場にそんな気が利く奴なんているはずないし、そもそもさっき聞こえた声はとても聞き心地のいい――それこそずっと聞いていたいと思うようなアルテミシアの調とでもいうべき――可憐な声だった。
ゆっくりと、ぎこちない動きで振り向くと――
「きゃあぁぁぁぁ!!!?」
「ほあァァァァ!!!?」
何故君がここに――!?
蜂蜜のような金髪。エメラルドのような瞳。雪のように白い肌。そして暴力的なまでの――いや駄目だ! まだ嫁入り前の女性の身体を無遠慮に眺めるなど! お、おお、俺は欲には負けんぞ!
いやいやいや、そもそもなんでここに君がいるんだ……オフィーリア!
「はて。そこまで驚くようなことがありましたでしょうか」
「なっ、なな、何故ここにィッ!? 君の担当場所は違うはずだろう!?」
「あっ、ああ! どうしてここにししょ――オフィーリア嬢がいるんだ!?」
こてん、と首を傾げ、本気で分からなさそうにするオフィーリア。いや――彼女にしてみれば仕事をしたらいきなり驚かれたという形になるのか、これは。
しかし担当場所の話を振ったところ、得心がいったようにぽん、と手を叩く。可愛い。
「国王陛下から何も聞かれてはいらっしゃらないのですね。
えっ……と、つまり。どういうことなんだ?
「おや、今のご説明では不足のご様子。……とはいえ先程申し上げたことが全てでございます。先日国王陛下からのご命令でアルフリード様の家庭教師をするように、と。私も人に教えることが出来るほどの知識を持っているわけではありませんし、一度はお断りしたのですが、どうしてもと仰られまして」
「……いや、それは分かったがどうしてここにいるんだ? 部屋で待っていれば良かったではないか」
「いえ、国王陛下からのご指示では『一瞬たりとも気を抜かないように一日中ついてやってほしい。何をしても構わないからあやつを男にしてやってくれ』とのことでしたし、私も本来の業務をしないというのは些か心が痛みますから、メイド業務も並行して行います。ですので、家庭教師兼専属メイド、とでもお考え下さい」
「専属メイド!?」
「はい。殿下のおはようからおやすみまでお側でお仕えする、専属メイドです。なんなりとお申し付けくださいませ」
「おはようからおやすみまで!?」
……おっ、親父ぃぃぃぃ!!!! ありがとう親父! でもいきなり過ぎるしハードすぎるよ親父! そっ、そんな、オフィーリアが常に俺の側で控えていて、常にあの身体が側にあるだなんて……かっ、考えただけでもう!
「ちなみに湯浴みの際もご一緒させていただきます」
「ううっ……! そういうことなら、分かった。この国でも一番と噂される頭脳を持っているオフィーリアにご教授願えるなんて、またとない機会だ。俺からもよろしくお願いする」
俺たちが話していると隣で蒼白になっていたロイが割り込んでくる。今いい感じだっただろロイ! 向こうに行ってろよ! ……いや、やっぱりここにいてくれロイ! 俺一人じゃ緊張してうまく喋れない!
「……いや、それでは貴女の負担が大きすぎるだろう。国王陛下も酷なことをする。特に貴女は嫁入り前の若い娘なのだし、いくら殿下が世の男たちと違うとはいえ、一日中側に控えさせるなど襲わせようとしているとしか思えない」
「おいちょっと待て! この俺がオフィーリアを襲うとでも思っているのか!?」
「そうは言っていませんが、殿下だって男です。何かの間違いが起こるかもしれない」
そんなことは……いや、正直あるかも、しれない。今の自分の下着の状況を考えれば反論できないのは事実だ。だが、ここで退いたら折角オフィーリアと仲良くなる(そしてあわよくばその先へと至れる)チャンスを逃してしまう――!
「ふっ……言うじゃないかロイ。なら俺にも考えがある。知識を吸収するこのまたとない機会を逃したくないのでな。俺はこの一週間――オフィーリアに手を触れないと宣言する!」
「正直に申し上げますと、私殿下よりも強いので。襲われた際は全力で抵抗いたしますからそのような心配はございませんよ?」
「オフィーリア嬢……そういう問題ではないでしょう! 貴女はもっと警戒心を持つべきだ! 大体前だって……っ、いえ、なんでもありません」
「いや、もう宣言したからな。俺はこの一週間オフィーリアには触れない。オフィーリアも俺には触れないでくれ!」
まあロイのやつの危惧も分かる。あいつは良い奴だから、純粋に嫁入り前のオフィーリアが傷付けられるようなことがあってはならないと思っているんだろう。いくら俺が継承権第一位っていったって平民出のオフィーリアを正妻にすることは出来ないわけだし。
彼女からすれば王族のお手付きになっても、口封じに小金を渡されて辞めさせられ、不幸な人生を送ることになるだけだ。あれ? そう考えたら俺が彼女と仲良くなってもその先へは絶対進めないんじゃね?
……嘘だろ?
「分かりました。殿下がそう仰るのであれば、私も決して触れませんし、触れそうになったら離れます」
「オフィーリア嬢……いいのかそれで」
「いいも悪いもありませんよ、ロイ様。仕事ですから」
――いや。ずっと、執務室の窓から働いている彼女を見るだけしか出来なかった俺が、すぐ近くで言葉を交わして、笑いあえるんだ。どれだけ願っても触れられなかったのが、望めば触れられる距離にくる。まだまだ彼女には何も追い付いていない、差だって縮まるどころか開いているような有り様だが……これはまたとないチャンスだ。
……親父。俺、頑張るよ。この一週間で俺は――男になる!
感想くれてもいいのよ?
剣を振るう事態:国が滅びかけとかでない限り彼が剣を振るうことはない
ロック:手のひらサイズの岩石を生成する魔法。結構大きいので口に突っ込まれると大変。なんにせよ王族にやることじゃない
戦闘寄り:ゴリラってわけではない
ロイ:なにやら秘密のありそうな平民出身の青年。剣の扱いがべらぼうに巧い。どうやら「師匠」とやらに懸想をしているご様子
訓練場:兵たちの訓練場。いつもはむさくるしい筋肉で埋まっているが現在は兵たちが出払っていたため三人しかいなかった
アルテミシア:美の神。とにかく美しいらしい。あと声が綺麗らしい。綺麗な音や旋律のことをアルテミシアの調~という慣用句で表現することがある。別に覚える必要は無い。
専属メイド:エロい。響きがエロい。何をやっても許されそうな気がする。気がするだけで実際にやったら翌日不審死を遂げることになる
おはようからおやすみまで:朝起こしてくれて夜は寝付くまで子守唄を歌ってくれます
ううっ……!:ついにやってしまった。
下着:早く洗いましょう
その先:ABCでいうとA+くらい
小金:ほんとに小金。生活していくにはとてもじゃないが足りない。
男になる:どのようにしてなるのかは不明