その一滴を極めるまで 作:恋塚灰羅
▽月∞日 京都は雨
新幹線で東京からはるか500km、昔懐かしの面影を残す古都京都。少し歩いてみれば幾多の寺社が旅人を出迎えて、あたかも時代すら越えたような錯覚を与えてくる。瞳を閉じればほら目の前には平安の都の風景が……、なんて書いてみたけど、なんか私には似合わない。こういった文章の才能は無いのだ。
今日はのんびり観光しようと思って、なぜか食べ歩き三昧になった。たくさん寺社見るぞーって思っていたのに、結局私が見たのはいつも通り味ばかりだった。いや、だいぶ勉強にもなったけどね。いつだったか先輩に教えてもらった名店は一通り回れたし、十分十分。
……やっぱり金閣寺とか見に行くべきだったかなあ。
▽月¢日 雨
今日は朝ごはんを控えめにして、しっかりと禊も済ませてから旅館を出た。今日この日のために京都まで来たのだから、真剣に全力で向き合わなくちゃいけないと感じていた。そう、今日は霧のやでご馳走してもらう日だった。
霧のやは少し奥まったところにある。中心部から離れていて立地に恵まれているとは言いづらいけど、そのぶん広いスペースを使って来客を楽しませる工夫がいっぱいあった。美しい日本庭園もその一つだ。あの空間すべてが霧のやの世界を作り上げ、それはすべて料理のためのものなのだ。あそこでのんびりと過ごせるだけでもとても贅沢なことだと思う。
今日のコースは一番簡素なものだった。飯と汁と向付から始まり、煮物、焼き物、八寸と続き湯の子で〆る懐石だ。いわゆる会席料理のような豪勢さは無いけど一つ一つが芸術作品のような美しさを持ち、乾先輩の顔が目の前に浮かぶ料理だった。少し口に入れただけでも全身に食材の旨味が響いて、気がつくと身体いっぱいに溶けて消えていった。衝撃的な美味しさだった。合宿最後のフルコースのことを悪く言うわけじゃないけど、それ以上に強く訴えかける美味しさがあった。
食後は少し乾先輩と話してから厨房に上がらせてもらえた。料理を食べさせてもらっただけじゃなくて教えてもらえた、すごい一日だった。
▽月@日 東京は晴れてた
遠月に戻ってきた。久しぶりに研究会に顔出してこれまでの成果を纏めてきた。それから家に戻って少し試作してみた。乾先輩から教えてもらった技術はしっかり身につけたいし、インスピレーションを形にもしたかった。まだまだ全然って感じだけどね。
それと最近の食戟に関する資料も調べることにした。今までは興味のある分野のレシピしか見てなかったけど、少しくらい頑張ってみたいと思う。あの乾先輩に直々に教えてもらえたのだから、ただの石コロのままなのは不義理というものだ。自分が宝石だなんて自惚れてはいないけれど、せめて一歩でも近づかなくちゃ先輩たちに悪い。
美作くんとの一回しか食戟やってなかったけど、ちょっと頑張ってみよう。
⬛月∴日 晴れ
食戟は順調だ。成長していく実感があって楽しい。
って、そんなことよりも。選抜の出場が決まった!
私なんかでいいのかなとも思ったけど、やっぱり嬉しい。先輩たちに恥じないくらいには成長できたと見てもいいんじゃないかな、うん!
⬛月∈日 晴れ
選抜出場決まってからもずっと食戟してた。だってなんか楽しいもん。食戟のおかげで、試作品だから~っていう生ぬるい意識が消えて、一つ一つに今まで以上に真剣に取り組めるようになった。相手と料理の刃を合わせてする一進一退の攻防、力任せの鎚に潰されることもあったし細く鋭いレイピアに貫かれたこともあった。玉に違いないあの先輩はこういった場ですべてを斬り伏せたんだろうと思うと、やっぱり自分はまだまだだなあって思う。
今日の食戟で一先ず食戟漬けの日々は終わり。最後の記念の料理は和風キッシュだ。干し椎茸と昆布から取ったオーソドックスな出汁の旨味を野菜に詰め込んで口いっぱいにぶつける渾身の一品。野菜から溢れる旨味を受け止める生地はあえて淡白にほんのり香る程度の味付けだ。中々上手く出来たと思うし、審査員の皆にも褒められて嬉しかった。
今日で食戟巡りが終わりなのは他でもない、選抜のお題がつい二日前に決まったからだ。私はともかくタクミくんに悪いと思って取り止めようと言ったんだけれど、気にしなくていいと言ってくれたからなんとか今日の食戟はやれた。感謝、感謝だ。
さて、お題はカレー料理と来た。スパイスをどう使うかが問題だ。単なるカレーライスでもいいんだけれど、それじゃあつまらない料理しか出来ない。どうしようか。
⬛月∋日 そろそろ暑さが厳しい
一先ずスパイスの組合わせを色々と試してみた。途方もない作業は大変だ。舌がバカにならないうちに何か見えるといいのだけど。
⬛月⊂日 暑い
カレーばっかりやってて私の料理を見失わないようにするために、出張料理サービスに登録してみた。普通なら料理人見習いの私がなれるはずもないけれど、そこは遠月ブランド、遠月学園生だと伝えると顔色を変えて受け入れてくれた。遠月学園からは無様を晒すようなことがあれば退学とだけ宣告されたけど、つまりそうならなければ問題ないらしい。
出張料理サービスの業者さんとの話し合いで、二週間に一回程度の頻度で依頼を受けて料理をしに行くことになった。
⬛月∪日 暑い
ずっとスパイスと向き合ってた。終わり
⬛月⊇日 暑い
ずっとスパイスと向き合ってた。終わり
⬛月⊆日 暑い
少しずつ満足のいくスパイスの組合わせが増えてきた。これでまだスパイスの入口なのだから途方もない。そろそろカレー料理に固めていくべきか、もう少し試行錯誤するべきか。
あ、そういえば出張料理の予約が入った。そっちの方も少しずつ取り組んでいこう。
⬛月∧日 ちょっと風があって凉しめ
スパイスと向き合ってた。終わり。
じゃなくて、今日は午後の時間は出張料理のメニューを少し練習した。上手くいけるといいな。
⬛月∩日 曇ってくれた。暑さはマシ
記念すべき最初の出張料理は無事に終わった。息子さんの誕生日ということで少し贅沢なフルコースを食べたいという依頼だった。
四日前にお母様と打ち合わせした時は私の年齢に不安がっていた。まだまだ高校生の私に任せて大丈夫なのかって口にはしてなかったけど、顔にしっかりと映っていた。確かに不安になるのも仕方ない。出張費や食材費など諸々込みで今回の出張料理はお父様とお母様と息子さんの三人分、二万円を超すほどの値段である。中々の御値段だと私も思うのだけれど、これくらいで値段設定してほしいと言われたから仕方ない。
だけどまあそれだけの力は尽くした。これまでの授業で習ったことを余すことなく生かしてフレンチのフルコースを仕上げてみた。自家製オイルサーディンと旬の野菜のガトー仕立てから始まり、海の香漂うヴィシソワーズ、イサキのポワレ 特製ハーブソース、うずらのロースト オレンジソースを添えて、レモンのフロマージュケーキの五品に、遠月学園の珈琲研究会から教わったオリジナルブレンドの珈琲。高級料理店で出してもあまり遜色はないラインナップにお父様とお母様はもちろん今回のお祝いのメインである息子さんもご満悦で一安心。ちなみに息子さんには珈琲じゃなくてカフェラテにしておいた。まだ10歳ということだから、珈琲は苦手だろう。
後片付けを終えて帰ろうかなって思った時にお母様と息子さんから料理を少し教えてほしいとお願いされた。まだまだ若輩者の私がなんて思ったけど断る理由もなし、今日の料理の余った食材で軽く一品作ることにした。三人ともお腹いっぱいだろうし、明日に食べてもあまり味が落ちないものってことで、煮凝りにした。この暑い時期にもぴったりだ。
⬛月≪日 晴れ、暑い
いくつか満足のいく組合わせが出来た。これでルウの基幹部分は完成ということにしよう。あとはこれに合う具材と食べ方を探そう。香辛料の組合わせが数パターン残っているのは、具材との食い合わせを見てみたいからだ。
★月Γ日 暑い
鶏肉、豚肉、牛肉、羊肉。どれも美味しいのだけれど、それだけって感じ。これでも十分恥ずかしくない出来ではあるのだけれど、たぶん駄目だ。あの葉山くんを筆頭に今年はごろごろと玉の料理人がいるからこれで満足してたら勝てない。せめてあともう少し。
★月Δ日 晴れ。風のおかげで快適
試作を重ねている時に呼び鈴が鳴った。誰かと思えば先輩だった。鍛錬に励む後輩を覗きに来たとのこと。せっかくだから先輩にどうして私なんかが選抜に選ばれたのか聞いてみた。普段から頑張っているつもりだけれど、私よりも成績のいい人はいるし食戟で勝ちばかりなんてこともないもの。
そうしたら先輩は、「確かに勝ててはおらぬが、完全に負けたわけでもないのだろう」と言った。ぽかんとしてたら呵呵と笑い言葉を濁してしまった。どういう意味か教えてくれてもいいのに。
試作中のカレーの味見をしてもらって(勝手に食べられたとも言う)、それだけじゃ申し訳ないから簡単な料理を振る舞った。用件は本当に何も無かったみたいで、先輩はすぐに帰っていった。帰り際に「お主らしさが見えぬありきたりなカレーだったな」と言われた。
★月Θ日 やっぱり晴れ
むむむ、私らしさが分からぬ……。普通に香辛料をブレンドして軽く焙煎した後に水で煮込んで香辛料の香りを鮮烈にする。うん、これでいいはず。むう、いいはずなのに先輩の言葉が気にかかる。
スープストックを使ったら香辛料の香りが薄れるってのは知っている。一番最初に私も試してみたのだ。それで水から煮出すときに最も強い香りをぶつけられるブレンドも考えた。ルウはこれでいいはずなのに、なんだかモヤモヤする。具材が駄目なの? それともルウが問題あるの?