その一滴を極めるまで 作:恋塚灰羅
早坂美海という料理人①
真似をしてやればいい。ひたすらに真似て真似て真似て、相手の一歩先を進みさえすれば絶対に負けやしねえ。相手の強みを研究し、相手の弱みを研究し、すべてを少し上回る一品を作るだけだ。別物を作って生真面目に自分をぶつける必要はない。全く同じ品で所々上回ればそれで勝てる。
遠月学園に入ってからずっと俺は戦い続けてきた。誰も勝てなかった。誰にも負けなかった。ただの真似事でしかない俺の料理に、誰もが膝を着いた。
なんだ、この程度か。所詮はこの程度、真似事に勝てない本物なんてあるはずもない。どいつもこいつも偽物だ。
中等部の三年間だけで勝ち星は八十に達した。中等部二年から本格的に食戟を始めていたのだから、ほぼ一週間に一度食戟をやっていると言うのはハイペースだろうが、美作昴という男は簡単にやってのけた。
美作昴を虜にしたのは勝利の味ではなかった。勝利に起因するものではあるだろうが、そんな清々しい綺麗なものではなかった。
全く同じ料理で一歩上回られた時に料理人が見せる絶望の表情がたまらなかった。美作昴はその表情が見たいがために食戟を続けてきた。毎回毎回命に等しい包丁を賭けさせ、毎回毎回勝利を重ね続けた。
高等部に上がった美作は新しい獲物を見つけていた。
早坂美海、16歳。中等部からの内部進学で、成績は中の上か上の下。調理技術に関して目を見張るものは無いが、研究会では一目置かれた存在である。彼女の食戟の記録は中等部二年の時に一度きり。相手は高等部一年で、成績はゼロ対五と圧倒的な敗北を喫している。これはまあ火を見るより明らかな結果と言えよう。この相手とは今でも交流があるというが、その点については詳しく調査出来ていない。これだという得意料理は無く、というよりも多くの料理のベースの部分が彼女の得意なものだからこそ、彼女の得意は広範に渡ると言うべきだろうか。
一見すると彼女の料理への熱意は薄いようにも思える。最低限の料理人としての――自らの技術を鍛えよう、美味しい料理を作ろうという――熱意はあるのだけれど、普段の授業で一番を取ろうという餓えにも似た強い向上心が見られなかった。それは同世代に薙切えりなのような優れた人物がいたからかもしれない。
それだからこそ彼女の怒りの琴線が美作には分からなかった。もう少し調査していれば分かったのかもしれない。しかしそうしなかったのは、彼女に食戟を受けさせる方法が明確に浮かんだからだ。美海という人物は一番になろうという意思はないものの、自らの料理への向上心はある。加えて彼女は真面目な性格であった。同級生の頼みを殆ど断ることは無かった。食戟のような大きな舞台ではないが、普段の授業での同級生との小さな勝負事――どっちの方が評価が高いかという小さなもの――を正々堂々受けていた。であればそれに準じて進めていけば食戟を挑めるに違いないだろう。
美作は授業で美海に近づいた。同じペアとなって一緒の課題に取り組み、授業の終わりに食戟の約束を"正々堂々"取り付けた。
あとはトレースだ。美海の購入した食材をリサーチし、彼女の普段の会話の端々から彼女の作る料理を推測し、彼女の料理の研究から調理手順を辿っていく。いつもと同じことである。
だから――
「何を使うのか、何を作るのか、どうやって作るのか、すべてすべて調査済みだ。その上で至る所に俺なりのアレンジを加えさせてもらったぜ。メインの海老を引き立たせるために舌平目の上品な味がほんのり香るフュメ・ド・ポワソンを事前に米に浸透させた。同じ出汁につけることで野菜にも異物感を与えずに自然な調和を奏でさせた。メインの海老は事前にマリネしてあるから、噛み締めた瞬間にハーブの香りを含んだエキスが口いっぱいに広がって爽やかに通り抜けていくはずだ」
負ける要素は無い勝負だ。すべてにおいて上位互換である美作の料理に美海という料理人は打ち砕かれるのは必然だ。そして結果が出る。美海の料理は奮闘むなしく美作に敵わず、美海は約定通り彼女が誇りとして賭けた包丁と自信作を差し出すことになった。
当然結果にショックを受けるのは美海で、余裕の笑みで見下すのは美作のはずだ。至当な結末を迎えていればそうなっていたのかもしれない。しかし実際には違った。美海は一切取り乱さず、美作が結果に慌てふためいていた。
二対一。美作の料理に一票入らなかったのだ。それはすべてにおいて一歩先んじる美作にとってみれば敗北のようなものだろう。しかし二票入っているのだから確かにパーフェクトトレースが出来ているのは間違いない。
「――私の負け、かあ。うん、約束通り……」
「どうしてだっ! 確かに俺は完全にトレースしたはずだ。そして勿論アレンジも微に入り細を穿ってミスなくこなした! にもかかわらずなぜおまえの方に票が入っている!?」
本来ならば勝者が言うべきではないセリフ、さながら自身が敗北したかのような叫びに美海は首を傾げるばかりだった。それに応えるように立ち上がったのは、美海に票を投じた審査員の男だった。
「先に断っておくが、私は勿論誓って目の前の皿だけで判断させてもらった。君がこうして同じ料理を出して見せたことに思うところはあるけれど、この評価にそれは一切関係していない」
「なら、どこが――」
「君の皿は非常に素晴らしかった。メインの海老を引き立てるための細かな工夫、丁寧な仕事ぶりは力強く伝わってきた。けれども私には、こちらの早坂氏の皿の方がより
美作は美海の出したリゾットを口にした。そして気づいた。この料理、この深い味は未だ玉とも石とも分からぬ未鑑定の原石だ。それは確かに内に輝きを秘めている。しかし削り方を間違えてしまえば当然無価値な代物となるだろう。いや、そもそも輝き自体が砂金のようなごく僅かなものか、巨大な宝石かも分からない。言ってしまえば可能性の化け物か。
何はともあれ美作は食戟に勝った。美海から包丁と彼女曰くの"秘蔵っ子"を受け取った。
美作はこの食戟を経て美海への認識を改めることになった。これまでの獲物とは違う存在だ。だが本物かどうかまだ判別できない。『得体の知れないもの』。それが彼女への評価だ。
他のキャラ視点の話はスローペースで書き進めていきます。