真打「鉄(くろがね)」
倶俐伽羅峠は加賀への難所。
龍王の名を冠した自然の関所。
百万石の領地を護るため。
兵共(つわものども)を迎えるため。
龍王は海を見下ろし佇んでいる。
この頃江戸では辻斬りの話題で持ちきりだ。
子の刻から丑の刻にかけて襲い、なんでも闇夜では全く見えない漆黒の刀で斬りつけるため、遭遇すれば命がないとか。
物騒な話題と幕府の文句ほど盛り上がる話題もなく、この漆黒の辻斬りも例外ではなかった。
とある加賀へ旅に出る浪人が日本橋辺りでこの辻斬りの話をたまたま聞いた。
加賀には久しぶりに会う旧友がいる。
同じ道場で腕を研いた友と辻斬りの持つ漆黒の刀の話を肴に一杯やろうかと、のんきにそんなことを考えていた。
彼はそのまま日本橋から
中山道から甲斐国で裏道に入り倶俐伽羅峠を経由して加賀にはいる。
通常使わない経路だが距離はずっと近くなる。
難所であるこの峠さえ越えられれば…だが。
彼にはある程度自信があった。
何を隠そう彼が習っていた道場は天下にその名をとどろかせる柳生宗矩の生家、大和国の新陰流の宗家による道場だ。
もっとも高弟と呼べる立ち位置ではなくせいぜいが切り紙(現代の初段相当)を授与されたに過ぎないが江戸の道場の参段よりもよほど価値がある。
彼も彼の加賀の友人もそれで仕官先が見つかったぐらいで彼は運悪く仕官先の殿様が御取潰しに遭い(謀略で取潰されたのだからまさしく「遭う」だった。)、この数ヵ月はぶらぶらと浪人生活をしていた。
実のところ今回の加賀訪問は仕官先の宛を探すためだ。
この峠を越えたとなれば仕官先も見つかったようなもの。
それぐらいの難所だが、別の危険が潜んでいた。
黒部の山々を遠くに眺めながら
集落なのだが人気がない。
この集落で峠の案内人を探そうかと思っていた彼にはいささか期待はずれな状況だった。
距離のいまいちよくわからない昔ながらの地図を片手に全国屈指の難所に挑む覚悟をし、適当な廃屋を一晩の宿にして明朝発つことに決めた。
満月に少し足りぬ十六夜月がすやすや眠る彼の顔を映す。
その彼に怪しげな吐息で近づく者がいた。
彼はその怪しげな者に気づいているのかいないのかわからないが寝言をポツリと呟いた。
「
どうやら厠の夢だろうか…妙な夢を見るやつだと怪しいこの者でさえあきれて去っていった。
翌朝、身支度を整え彼は出発する。
螺旋状の道と急勾配の続く倶俐伽羅峠に向かう。
禿鷲が山入端にフッと消えては現れてを繰り返している。
あまりの急な勾配に心臓は張り裂けそうだ。
峠の登山口に入ってから一里半歩いただろうか。
道が急に開けてさっきまでの急勾配が嘘のような平らな場所にたどり着いた。
平らな場所といってもそれほど広い訳ではない。
せいぜい
こんなところで襲われたらたまんないんだろうなと頭をポリポリかきながら彼は考えた。
ここから下り。
下りからもこんな急勾配なら…仕掛けてくるとすれば下りに入ってからか。
ならむしろ二間四方でも平らなところで仕掛けた方が無難か…。
彼はおもむろに礫を拾い無造作に後ろへ放り投げた。
こつん。
ガサゴソドサ!
なんだか真っ黒い浪人が落ちてきた。
もっとも石を投げた彼も黒づくめの服を来ているのだが…。
「まさか尾行がばれちまってるとはなぁ!」
開き直ったドジな浪人は何故か威張り散らしている。
「あんた何がしたいんだ?」
彼は怪人の様子に引きつつそう問いかけてみた。
「なあに…江戸での仕事の帰りに斬り甲斐のあるやつを見つけたからね。一丁斬りたくなったのよ。」
「ああ、あんたか…江戸で噂の辻斬り。」
「へへへ…ご名答!
幾百人もの人を斬りつくし、血の色が刀に染み付いて赤黒くなったこの『赤鉄(あかがね)』!
貴様もこの刀の色に染まるがいい!」
雄叫びあげて高笑いする辻斬り。
やれやれといった様子で彼は辻斬りに語りかけた。
「悪いがそいつは無理な話だ。
なぜなら…俺の刀は…。」
彼は腰に差した刀をゆっくりと抜いた。
「っ!!!なんだそれはっ!!!」
辻斬りは彼の刀に驚愕した。
昼間だと言うのにその刀の黒さは辺りを闇に染め上げる。
「悪いな。俺の刀は何者にも染まらぬ完全で純粋な黒。
血染めで赤黒いとかそんな半端なものじゃないんだ。
鉄の意思をもつ刀、『鉄(くろがね)』。
ま、しゃべっててもらちあかないし、さっさとしようか。」
言い終わる刹那、辻斬りは大上段から彼に斬りかかってきた。
音もなく刃渡りが半分になる辻斬りの刀「赤鉄」。
「あばよ。」
斬り上げた刀を斬り返しそのまま銅を払い打ち下ろしで首を払う。
「噂ほど大した奴じゃなかったな。
魑魅魍魎の方がよほど手強いな。
ま、あいつへの土産話にはちょうどいいか。」
懐紙で刀をぬぐい明日にでも会う久方ぶりの友人に思いを馳せた。