天まで焦がせ   作:うみ

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勢いで書いてるので後で修正祭りすることもありますが、まあその辺は適当にお見逃しくだせえ。


一章・女狐に侍る魄
試合


 封神演義とは…

 『西遊記』『三国志演義』『水滸伝』と並ぶ中国四大怪奇小説の一つである。

 3千年以上前の古代――――紀元前11世紀中国、殷の時代末期。

 仙人・道士や妖怪が入り乱れる混沌とした世界が、物語の舞台となる…。

 

 

 

 

 

 封神計画。

 それは、崑崙山脈の教主である元始天尊が、直弟子の太公望に修行の一環として申し付けた課題である。

 仙界の敵である妲己をはじめ、邪魔な365人の肉体を滅ぼし、その魂魄を封神フィールドに封じこめることで、仙界と人間界、双方の秩序を取り戻そうというものだ。

 弟子一人だけに任すには荷が勝ちすぎる感もあるが、太公望としては師の言いつけに従うほかなく。破門への恐れや自分の因縁もあり、諸々の事情から引き受けて崑崙を出て来たは良いが――

 

「封神計画のう……」

 

 結果、殷の広大な空の下で、途方に暮れる太公望の姿があった。

 風を操る宝貝『打神鞭(だしんべん)』を授かったことは喜ばしい。霊獣『四不象(スープーシャン)』だってありがたい贈り物だ。それにこの霊獣、飛べば風の如く速く、気性も気さくで親しみやすそうなやつである。旅の連れ合いとしては申し分ない。

 しかし、いきなり封神計画を遂行せよと言われても雲を掴むような話である。何百人もの仙道を配下にしている妲己を倒すというのは、どう考えても道士一人に任せてよい計画ではない。

 そんなわけで、朝歌への道行でうーむうーむと唸っているのだった。

 

「そういえば御主人、封神のリストに目は通したっスか?」

「おお、そうだ」

 

 相槌を打ちつつ、太公望は自分の焦りに苦笑した。四不象に言われるまで、肝心要の封神リストすら見ていなかったとは。計画を遂行する以前の問題である。

 なるほど霊獣の相棒がいると助かるのう、と心中で独り言ち、うむと頷く。

 

「朝歌に着く前に呼んでおこう。止めてくれ四不象」

「了解っス!」

 

 緩やかな減速を経て停止したところで、いざリストを開く。

 最初に記された名は申公豹(しんこうひょう)。太公望はあまり仙界の情報に通じていないので誰かわからないが、ぽろっと口にすると四不象は慌て始めた。

 

「彼は三大仙人より強いと言われてるっス! 最強の道士で、最強の霊獣『黒点虎(こくてんこ)』に乗り、最強の宝貝『雷公鞭(らいこうべん)』を持ってるっスよ!」

「な……なんと! そんなのとは戦ってもムダだ」

「そうっスよ! 触らぬ神にたたりなしっス!」

 

 ――本人も最強、相棒も最強、武器も最強、最強が三つときた。なんだそのインチキは。ええかげんにせんかい元始天尊サマ!

 心中にて悲鳴を上げた太公望、続いてリストに目を通していく。

 しかし、名前の頭が申公豹ということは。

 

「もしやこのリスト、強い順で載っておるな?」

 

 二番は聞仲(ぶんちゅう)――言うまでもなく殷の太師だ。申公豹の次に名前があるということは強いのであろう。三代に渡って太師を務めていることから、司令官としての腕も格上かもしれない。

 三番は妲己(だっき)――敵の首魁。聞仲より弱いと見るべきか、三番目の強さと見るべきか。太公望の力量で正面からぶつかれば負けは必定であるので、さして考える必要はないかもしれないが。聞仲とぶつけ合えぬであろうかとも考えたが、なにせ聞仲のこともなにもわからない状態ではなんとも言えず、保留。

 四番からは知らぬ名前が並んでいる。趙公明(ちょうこうめい)、陸圧、雲霄(うんしょう)瓊霄(けいしょう)碧霄(へきしょう)――

 

「――では、一番弱いやつは誰か……」

 

 リストをつらつらとめくる内、ふと気にかかることが。

 なにやら風を切る音がする。

 とても嫌な感じと気配も一緒に――振り返ると、虎に乗った道化がいた。

 

「のおー!?」

 

 悲鳴を上げてのけぞる太公望。なんの因果か、旅立って最初の敵は、噂したばかりの申公豹であった――

 

 

 

 

 

 武成王府は、殷の首都、朝歌の一角に、ひっそりと建っている。

 武成王府とは、その名の通り、武成王の司る場所であり、現代風に言えば防衛省と軍事基地を合体させたようなものか。

 殷における軍事面の権力というと、統帥権こそは皇帝たる紂王にあるが、実質の差配は太師(軍師)である聞仲が握っている。三代に渡る治世で太師を務めてきた実績に加え、皇帝の教育係でもある聞仲にしごかれてきた歴代皇帝は、どうにも聞仲に頭が上がらないからだ。幼少の自分の尻を引っ叩いた人間の意向を無視するというのは、皇帝であっても難しいことであるらしい。

 では太師の立案に基づき、皇帝の命によって軍の出動が決まったとする。司令官はというと、その最高司令官こそが武成王である。これまた現代で例えれば、元帥といったところだ。

 特に殷が成ってより歴代の武成王は『鎮国』武成王の名を贈られ、護国と武力の象徴であった。また、当代の武成王を務める黄家は、殷王家に仕えて7代の名家であり、当主の人柄は質実剛健にして清廉潔白、民衆の人気も高かった。

 さらに言えば、当代武成王にして黄家当主、黄飛虎(こうひこ)の武力は尋常ではない。彼は仙人骨を持ちながら仙道を歩まなかった者、天然道士であった。天然道士とは、仙道となるために必要な力の源、仙人骨を持ちながらも仙道を歩まなかった者のことで、その力を宝貝や仙術でなく、生来の膂力や敏捷さに発揮する。黄飛虎もその例にもれず、戦場では一騎当千、素手で岩を砕き、鉄棒をねじ切り、暴れ馬をなんなく乗りこなす力の持ち主であった。

 まして、黄家は代々の武門である。黄飛虎の練達は、天然道士であることを除いても一族の中で長じたもので、武術だけとっても、仙界で修行した聞仲に引けを取らない。熊を超える馬鹿力の持ち主が、国一番の武術の使い手であるというのは、敵からすれば悪夢であろう。

 そんなわけで、当世の鎮国武成王、黄飛虎は、殷における最強の男であると認められていた。

 だから、その黄飛虎が圧倒される光景を目の当たりにした兵士たちが、動揺を隠せないのは無理からぬことであった。

 敵手が押しているわけではなく、その逆だ。およそ五分、天下無双の黄飛虎が好きに攻勢をかけているにも関わらず、その全てが通用しない。これは圧倒と言って差し支えなかろう。

 頭、肩、背、腕、拳、脚、足、五体全て――あらゆる場所を活用し、正当から搦め手まであらゆる術を使い、それでも一撃も与えられない。

 

「……陸圧殿が、ここまでやるとはな」

「そうかい。で、次はなんだ? 早く来いよ」

 

 妲己の付き人、名を陸圧。

 それは黄飛虎にとって、生涯初めて出会う、武において超えられない壁であった。

 

 攻めあぐね、にらみ合う両者。いや、攻めない陸圧と、攻められない黄飛虎では、心境に雲泥の差がある。

 打開策を、隙を探す黄飛虎であるが、無情にもそんなものはなく――

 

 

 巨大な雷光が、轟音と共に空を横切った。

 

 

「これは、雷公――」

「噴ッ!」

 

 気を取られた陸圧とは対照的に陸圧だけを見据えていた黄飛虎、弾かれたように気合一喝のボディーブローを繰り出す。人食い熊の体を文字通り背中まで貫いた、大槍の如き一撃だ。

 

「覇ッ!」

 

 隙をついたはずが難なく横にかわされた、と見るや薙ぎ払いの手刀に転ずる。かつて猛虎の頸椎を一振りでへし折った逸話、殷の武術家で知らぬ者はない。

 

「蛇ッ!」

 

 上方に受け流されるも動じず、体ごと踏み込んで間合いを殺し、ほぼ密着状態からショルダータックル。今はまだ八極拳が生まれる前の時代であるが、後世では鉄山靠(てつざんこう)と呼ばれている。これで治水工事の邪魔だった巨岩を粉砕したのは一月ほど前のことである。

 

 だが、いずれも足りぬ。

 

 大質量の鉄を打ち合わせたような、硬質で骨の髄まで震わす響きが、観戦する一兵卒たちを震わせる。

 技の残心にある黄飛虎と全く同じ体勢の陸圧が、にこりと笑った。

 

「良い武だ。俺に届かすにゃ足りねえが」

 

 岩をも砕く鉄山靠、というだけでは彼にとって役不足も良いところである。仙界に並ぶ者なき武人に手傷を負わすには、全てが足りない。

 直にぶつかり合う黄飛虎は、総身に走る怖気を奥歯で噛み殺した。恐るべし技量、という陳腐な形容の他になにができよう。まさか鉄山靠に同威力の鉄山靠をぶつけて相殺――を、黄飛虎の身体に痛みすら与えずにやってのけるとは。

 赤子と遊ぶ大人ですらもう少し苦戦するというものだ。

 戦慄のあまり動けない黄飛虎の様子に、それと察したのか、陸圧が優しく語り掛ける。

 

「落ち込みなさんな。お前さんの武は確かだよ。力は申し分ない、速度も人間にしちゃ上出来だ。動きの端々からは確かな鍛錬と才能が伺える。まず人間で、黄飛虎という男を超えうる奴は百年に一人もいねえだろう。だから、これは単純な話なんだが――ほっ」

「ぬおおっ!?」

 

 その時の現象が、いかなる術理によって行われたものか、黄飛虎にはさっぱりわからない。

 ただ、鉄山靠の体勢からほんの少し力を加えられたかと思うと、自分の身体が宙を浮いて無様にすっ飛んだことだけがわかった。

 すかさず起き上がった鼻先に、陸圧の足刀が突きつけられる。これ以上ない決着である。

 

「積み重ねた功夫(クンフー)の違いだ。あと百年頑張れば良い勝負ができるかも、ってとこか」

「……どこの仙道だ、アホ抜かせ。俺ぁあと二十年も戦えりゃ上出来だぜ」

 

 完敗だ。黄飛虎は苦笑して両手を上げるしかなかった。

 少し遅れて、武成王府に驚愕と興奮の歓声が満ちた――

 

 

 

 

 

 事の始まりは数日前の朝見まで遡る。

 

「手合わせ? 武成王と妲己の付き人が?」

 

 素っ頓狂な紂王の声が、朝見の場に落ちた。集う臣下一同も騒然となる。

 それを受けて武成王、間違いございませんと首肯する。

 

「それがしの見るところ、先日お見かけした妲己様の付き人殿は、練達の武人とお見受けしました。一介の武人として、ぜひとも腕試しの機会を頂きたく存じます」

「ふむ、しかし……」

 

 紂王の返事は重い。それも当然というもので、猛獣をも一撃で打倒す武成王の相手は、並の男では務まらない。紂王とて殷で最強の男は武成王、黄飛虎と信じて疑わぬ。大事な妲己を守る腕利きといえど、太刀打ちできるのか。武成王が力加減を間違って、打ち殺してしまうやも。

 しかし、そこに妲己がしなだれかかる。

 

「紂王サマ、わらわはよくってよ♡」

「む? そうか?」

 

 意外な展開である。しかし妲己の美貌が目を楽しませ、その吐息が耳朶を撫でると、紂王の心胆はとろけた。妲己が言うならよろしかろう。そのような感じであっさりと認可する。

 ただ、朝見の終わり際に妲己がこう言ったのは、その場にいた全員を驚かせた。

 

「陸圧ちゃんはわらわの付き人でも一番――武成王に稽古を()()()()()()のも楽しそうだわ

 

 ()()()()()()()()()()。これほどの妄言がいまだかつてあったであろうか。

 カチンと来た様子の武成王は、しかし何も言わずに場を退いた。

 しかしながら、噂は瞬く間に朝歌中に広がり、手合わせの当日には武成王府に一兵卒までもが詰めかけ――彼らは、新たな伝説を見ることとなった。

 

「しかし、わからねぇな」

「ん? なにがだ?」

 

 所変わって、武成王府は黄飛虎の私室。手合わせも終わり、向かい合って食事を取る二人はもはや旧知の仲の如しである。少なくとも、互いに武人として認めあっているのは確実だ。黄飛虎からすれば陸圧は偉大なる先達、陸圧からすれば黄飛虎は可愛い後輩と言える。

 問いを投げる黄飛虎は麺をすすり、受ける陸圧は質素な精進料理を口に運ぶ。

 

「オメーは誇り高い武人だってこと、あんだけ拳を合わせりゃわかるぜ。そんな男が、なんで妲己に味方する?」

 

 黄飛虎が紂王に願い出て陸圧との手合わせを行ったのは、この問いを投げるためであった。

 ある日、紂王の側室としてやってきた蘇妲己なる女。あの悪女が来てから殷は狂い始めた。賢君であった紂王は暗君に堕落し、民には怨嗟の声が満ちている。逆らう者、諫める者は処断される。

 まだ処断されるなら良い方で、妲己の妖術――彼女が発する不思議な香りに心乱され、人が変わったように妲己の悪行に加担する者も多い。

 妖術に耐える鋼の精神力を持ち、妲己の一存で処断できるレベルを超えた地位に着いており、暗殺者は自力で退けることができる黄飛虎なればこそ、今まで朝歌で孤軍奮闘できている。が、殷の今と未来を思うと暗澹たる心になるのは避けがたい。

 そんな中、妲己の傍に侍る妖しげな仙道の中で、ひとりだけ目に光を宿した男がいた。よくよく見れば鍛えこまれた肉体、妲己の傍にいても媚びるわけではなく沈黙を保つ姿勢。それが陸圧だった。

 気になって手合わせを希望してみると、意外にも妲己は快諾。もちろん紂王も了承。そんなわけで今日の仕儀に至ったわけだが――

 

 黄飛虎の疑問を余所に、陸圧は菜っ葉を美味そうに飲み込む。

 

「む……まずお前さんが気になってるだろうことを教えとくが、俺はあくまで食客だ。妲己の命で誰かを殺したり、傷つけたりってのは基本的にねえ。まあ妲己よりの中立と思っててくれ」

 

 妲己よりの中立。なるほど、黄飛虎は腑に落ちた。たしかに陸圧の姿勢は、妲己の勢力というには消極的すぎる。なんというか、どうでもいいから好きにやってろ、という空気である。

 しかし、黄飛虎は少なからず落胆を覚えた。妲己よりとなると――味方に引き込むことはできまい。

 

「俺が妲己に飼われてるのは、あいつに助けられた恩義と……まあ、やることもなく暇してる間に、妹の方と情を通じて、情が移ったからだ」

 

 黄飛虎の鼻から麺が逆流した。

 妲己の妹。黄飛虎の脳裏に二人の女性が思い出される。確か、胡喜媚(こきび)王貴人(おうきじん)とかいったか。

 どっちなんだ。まさか胡喜媚――いやいや待て。

 

「げっほげっほごほっ! ……情だぁ!? 妲己の妹に!? おい、そいつぁまさか、あの妙な喋り方の嬢ちゃんじゃ」

「そっちじゃねえよ、流石に。王貴人の方だよ。妙に好かれちまってな。無下にもできねえ、妖怪のよしみで相手してる内に――まあ、そういうわけだ。情を通じちまったら、情も移る。男としてほっとけめえよ」

「ま、まぁ。そりゃそうだけどよ……ん?」

 

 何気ない単語が、黄飛虎の耳に引っかかった。

 妖怪のよしみ――ということは、妲己の配下はもちろん、陸圧ももしや。

 

「陸圧殿。やはり、オメーらは仙道なのか?」

「ああ、そうだぜ。妲己も俺も胡喜媚も王貴人も、みんな仙道だ」

 

 あっさりと肯定されてしまい、黄飛虎は目まいがする思いだった。それはつまり、人の天下が妖怪どもに差配されているということではないか!

 しかし陸圧が悪い男でないことも重々わかっている手前、妖怪だからと一概に拒否する気持ちはなかった。仙道云々を言うならば、太師の聞仲だって仙人である。

 しばしの沈黙の後、黄飛虎は恐る恐る口を開く。

 

「その……妖怪相手でも()()()()()()できるのか」

 

 アホか俺は。

 黄飛虎は問うた自分を恥じた。なにをガキみたいな質問をしているのか。

 妖怪なぞ、元が下等な動物なのだから、そりゃやることもやれるだろう。いやまあ、気になるのは確かなのだが。

 案の定、陸圧は不思議な顔をした。

 

「そりゃお前さん、妖怪仙人が人形を取るのはなんのためだと思ってるんだ? 原型が動物のやつはもちろん、変化さえできりゃ食う、寝る、ヤるってのはできるさ」

「はー……どうもピンと来ねえなあ」

「まあ、そうだろうな。人間が人間以外にそういうことを考えるのは難しい。お前さんには本質を見極める力があるから、尚更な。誘惑の術(テンプテーション)にかかってないのも、案外そこらへんが理由かもしれん」

 

 陸圧の言い様は、いちいち尤もだった。黄飛虎は妲己やその一党を見て、なるほど絶世の美女であるとは思う。しかし、その姿に劣情、よからぬ心を覚えたことがあるかというと、不思議とないのである。陸圧は、それは黄飛虎が妖怪の原型、本質を捉えているからだという。その理屈にのっとれば、誘惑の術(テンプテーション)というのは本質を誤魔化す最たるものであり、黄飛虎がそれに動じる理由もない。

 黄飛虎が汁の一滴まで飲み干し、陸圧も皿の上を綺麗に食べつくしたところで、ふと陸圧の目が変わった。

 なぜなのか黄飛虎にはわからないが、そこに込められているのは明確な哀れみだ。思いもよらない展開に、黄飛虎はなんとなく居心地が悪くなった。

 

「……人間。これは俺からの忠告だが、一族連れて逃げるのもアリだ。その方が身のためかもな」

「……なに?」

 

 言われたこともまた、思いがけない。

 黄飛虎とて殷が腐りゆく国であることは知っている。だが、それは妲己の悪行によるもの。彼女を排せば、また少しずつ、昨日より良い明日を作っていける。黄飛虎はそう信じている。

 だから、殷を捨てるというのは慮外だし、論外であった。

 ただ、陸圧の目は殷を貶めたり、人間をあざ笑うものではなかった。ただ、哀れみと心配から来るものだ。それがわかったから、黄飛虎の心に怒りはなかった。

 黄飛虎は立ち上がり、力強く拳を握って己が胸に打ち付ける。覚悟を示すように。

 

「陸圧殿。オメーがなにを思ってそう言ってくれたかは知らねぇ。でも、俺は逃げねぇ。いつの日か、かつての殷を取り戻すさ!」

「そうかよ。まあ頑張れや。守るも退くもそれぞれ苦労がある……」

 

 陸圧はそう呟いて、なにか遠くのものを見るような、曖昧な目つきになった。

 なにに思いを馳せているのか黄飛虎にはわからないが、とりあえず陸圧は悪い男ではないと確信できた。

 やはり手合わせしてみてよかったと、黄飛虎は思った。

 

 

 

 

 

 黄飛虎と別れ、陸圧は朝歌の市街を歩く。懐も心も貧しくなった哀れな人々がそこら中にいるが、それらについては思うところもない。なんとなれば、これは人の世の常であろう。

 それよりも、柄でもないことを黄飛虎に言ってしまった自分に対する、もやもやとした気持ちを飲み下すので精一杯だった。

 自覚している。あんまり気持ちの良い拳を持つ男だったからか、肩入れしすぎたのだと。

 燃燈を失い、崑崙に幽閉され、妲己に救われてから今に至るまで、陸圧には生きる目的がない。元始天尊を恨み切ることもできず、さりとて崑崙に戻ろうとも思えず、竜吉にもどのツラを下げて会いに行けばよいのか――気づけば行き場所もなくなっていた。

 王貴人との関係がなければ、どこかで野垂れ死にしたかもしれない。そんな風に惰性で生きているから、黄飛虎のような眩しい男のことは好きになる。積極的に救おうとは思わずとも、つい一言多くなる。

 何故ならば、ああいう信念を持つ男は、無二の友を思い出させるから――

 

「ここにいたのね。探したわよ」

 

 涼やかな声が聞こえた。

 いや、声をかけられる前から気付いてはいたが、どうも自分から声をかける気にはならなかった。

 こうして関わりに来てくれるのが、こういう時は特にありがたく感じる。

 

「貴人か。どしたよ」

 

 内心をおくびにも出さず、あっけらかんと振り返る。

 美しい黒髪を短く切りそろえ、大胆な装束に身を包んだ美女――王貴人は、呆れたと息をついた。

 

「どうしたもなにも、あの雷よ。あれは間違いなく宝貝じゃないの。それなのに、姉さまの護衛のあなたが、どこほっつき歩いてるのかと思ったら……」

「だーいじょうぶだっての。ありゃ申公豹の雷公鞭だ。ちょっと遊びたくなっただけだろ」

「らっ、雷公鞭? あれが……」

 

 王貴人は身震いした。無理もねえな、と陸圧は思う。

 陸圧はこの世で初めて雷公鞭を撃たれた男だが、その時の自分も似たような反応をしたものだ。

 その時は九死に一生を得たが、次もかわせるかとなると自信はない。

 

「――もう戦うこともねえけどな」

 

 ――あなた、つまらない目になりましたね。残念ですよ。

 

 妲己に拾われ、申公豹に会って最初にそう言われた。

 彼が言うならば、きっとそうなのだろう。陸圧の目は死に、申公豹は陸圧への興味を完全に失った。

 だからなんだ、というわけでもないが。

 

「ねえ、どうしたの?」

「いんや、なんでもねえよ。帰ろう」

 

 そのあたりの説明も面倒だ。陸圧は誤魔化しもこめ、訝し気な王貴人の肩を抱き寄せる。

 王貴人は少し抵抗する素振りを見せたが、仕方ないわねと呟いて身を寄せる。

 

「ずるい男よ、あなた」

「バカな女だよ、お前も」

 

 それっきり二人は黙って、禁城を目指す。

 

 

 

 崑崙を去った武仙、陸圧道人。

 形式上は妲己の臣下として、紂王の御代にその姿を現す。

 その知らせが崑崙に入るのは、まだ先のことである。

 




例によって用語解説


・四番目以降の封神リスト
なんかあれ、途中から作中でも息してませんよね。だから勝手に設定。オリ主と雲霄三姉妹をそれっぽくぶち込んだ。


・黄飛虎
強そうな逸話を追加。あと、「棒術の達人」「7代続く武門」の割りに、どうも武術に精通してるような場面が原作になかったんで、それっぽい描写つけました。イメージは『はじめの一歩』の鷹村の超強化版。人間を撲殺する技術を持つ熊。鉄山靠を使えるのも黄飛虎の武術センスで、系統だった武術の賜物ではありません。だから黄飛虎一代で失われる技術になるでしょう。本人も術理を言語化できないしね。

・そういうこと
安納版の原作だとヤりまくってるからへーきへーき。大体、王貴人ちゃんを見てそういうこと考えない方が失礼。

・雷公鞭
安納版原作だと、雲中子から「決して使うな、もし使ったら太上老君じきじきにお前から没収しなきゃいけなくなるから」って言われてるし、実際に一度も使われません。
本作では初使用が陸圧、二回目で太公望です。ちょっとくらい俺TUEEEEらしきナニカしてみようって脳内の王天君が囁いたので。
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