Fate/Φ's Order   作:うろまる

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第十節「Start Up!」

 時は少し遡る。

 

 バーサーカーを瓦礫の下に封じ込めた後、最終的な目的地である柳桐寺の近場までバジンを走らせてから、僅かでも休息を摂る為、すぐ傍にあった廃墟へと巧達は身を隠していた。

 人気の途絶えた武家屋敷に着いた途端、キャスターとオルガマリーは魔力を断絶する為の結界を、忙しげに周囲に張り巡らせ始める。なんでもバーサーカーから身を隠す為だそうだが、巧にしてはほとんど他人事に近い。置いていかれた瞬間、ここぞとばかりに大きな欠伸をかまし、すぐ傍で座っているマシュは傷ついた身体を癒しながら、少し身体を動かせばすぐにでも点けれたのに、やけに手馴れた手つきで強引に熾された焚き火を、穏やかな目で見つめていた。

 

 ――あたたかい。

 

 雑に投げ掛けられた砂色のコートを軽く引き寄せる。ざらついた布の厚い感触が、剥き出しの部分を包み込み、焚火の温度もあいまって血の気を失っていた身体には有難かった。

 すぐ傍にある、優しく動く火を見ていると、マシュは不意に、少年と言葉を交わしたくなった。

 これが最後に、なるかもしれないから。

 それでも長年来の友人のごとく、軽々しく話しかけられるほど、仲が深まっているわけではない事は重々承知している。というわけで、控え目に目を動かして、ぼうっとした横顔を捉えるのみに留めた。責めないで欲しい。マシュ本人はこれでも、かなりギリギリのラインを攻めているつもりだった。

 常に顰められている眉と、不貞腐れた唇の引き締めさえ無視すれば、少年の容姿はどこにでもいる十代半ばの平凡な顔つき――ほんの少し童顔だが――のように見える。だが、その深い海を湛えているかのように蒼い瞳の奥で、果ての無い荒野を彷徨い続けたような、乾き切った光が時折ちらつく事をマシュは知っていた。

 今もそうだ。独りで物思いに耽る時、変形機能を持つ銀色の車体を見る時、摩訶不思議な力を宿すベルトを触る時。決まって彼は、あの例えようの無い眼つきをしている。

 その瞬間だけ、マシュには目の前の少年が、カルデアが爆破される以前に、自販機の前でわずかながらでも言葉を交わした少年と同じ人間だとは、どうしても思えなくなるのだ。

 似つかわしくない、と思う。これが素なのだと言われればそれまでだが、それにしたって度が過ぎているとも思う。注意深く観察してみれば、身体の動かし方も、立ち昇る気配も、全てがレイシフト前とは百八十度異なっているのが、サーヴァントと化した今になってようやくわかった。

 気の所為かもしれない。ほとんど妄想に近い、確証の無いくだらない思考。それでもマシュはこう考えてしまうのだ。

 

 今、藤丸立香という人間の中には、まるで――そう、まるで。

 

 全く別の人間が、乗り移っているかのような、気がして――

 

「――おい」

 

 そして気づいた瞬間には既に、吸い込まれるように蒼い瞳が、触れられそうなほど間近にあった。

 特に何の意図も無く、鼻と鼻がくっつかんばかりの距離で、二人は見つめあう形になっていた。

 数秒固まり、我を取り戻し、そして指先まで一瞬で鮮やかな朱に染まったマシュの口から、

 

「あ、う――」

 

 と、心細げな声が漏れる。それを見た巧、何のてらいもなく少女に話しかけた。

 

「どうした」

 

 無論、至近距離のままである。

 少年のやけに落ち着いた息遣いが、鮮明に響いた。その距離の近さに、先ほどまで浮かべていた妄想は綺麗に吹き飛んだ。今はただ、気恥ずかしくてたまらない。

 

「え、その、先輩――」

 

「なんか変だぞ、お前」

 

 訝しげに首を傾けた巧に、マシュの頭はますます混沌と化していく。このままでは、何を口滑らすか分かったものではない。どうにか取り繕おうと口を開くが、喉に何かがへばりついてしまったかのように、もごもごと言い淀む事しか出来なかった。

 

 ――正直なところ、穴があったらそこに閉じ籠りたかった。

 

「――あ、そ、そのっ、ええっとですね」

 

 変わらないその様子に、すっかり関心を失ったのか。巧は、マシュから視線を逸らすと、筋張った指先で積み上げた枝を掴み上げると、弱まりかけている焚き火の中心部へと乱雑に放り込んだ。音を立てて膨れ上がる火を見ながら、特に何を言うわけでもなく、黙り込む。

 このまま放置しておけば、見境なく他人に近づく変な女だと思われたままになる。それはよくなかった。マシュは勇気を振り絞って、おずおずと拙い弁解を始めた。

 

「あの……別に先輩に近づきたくて近づいたわけじゃ、無いんです。気がついたら、この距離だったというか」

 

「それで」

 

「……それで、ええと、その。いや、別に先輩のことが嫌いだとか、近寄りがたいとかそういうわけではなくてですねっ」

 

 言い訳を重ねるたびに、どんどん自分が追い込まれていっているような気がしてきた。うろたえるマシュを後目にして、巧はつまらなそうに呟いた。

 

「話終わったんなら、離れろ。暑い」

 

 言葉の響きは、ひどくそっけなかった。

 それでも、応じない訳にもいかない。マシュは、はいっ、と食い気味に答えて、そそくさと元の位置に座る。

 そこから、身動きどころか瞬き一つすさえしなかったが、生まれて初めての男性との至近距離に、少女の体温は限りなく上昇したままだった。すぐ傍で燃え続けている焚き火のせいかと思ったが、それが違う事は自分が一番よくわかる。心臓は上下左右あちこちを動き回り、頭の中は蒸されてしまったかのように汗ばんでいる。

 この感覚の正体を、少女はよく知らない。

 マシュは、すぐ傍にあった少年の瞳と息遣いをふたたび思い出してしまい、ますます赤らんでいく頬を抑えた。こんなの、絶対ヘンだ。勿論、恐竜並みに鈍感な巧は、そんな少女の様子に対して不思議そうに顔を歪めるのみである。何やってんだ、こいつ。そんな視線に気づいたのだろうか。マシュは頬を赤らめながら、小さな咳払いを繰り出して、新たな会話の接ぎ穂を無理やり作った。

 

「――あの、先輩」

 

「何だ」

 

 先ほどのやり取りに何も感じていないかのように、巧は投げやりに答えた。実際、何も感じてはいないのだろう。いつか、所長が唐変木だと言っていたが、かなり的を得た言葉だったのだと今さらになって気づいた。なんとなく納得しながら、マシュはおそるおそる口を開いた。

 

「――ほんの、少しで良いんです。なにか、話しませんか?」

 

「話?」

 

 上目遣いで見上げてくるマシュに、巧は怪訝そうに問うた。

 

「はい。何でも良いんです。先輩の事なら、何でも。……ダメですか?」

 

「ダメもクソも、いきなりどうした。やっぱ、お前おかしいぞ。さっき頭でも打ったのか?」

 

 そこまでいう事も無い。

 とはいえ、巧の反応もあまり責める事は出来なかった。何せ、ついさっきまで黙り込んでいた隣人――それも大人しい女――が、いきなり至近距離まで詰め寄り、更に自分の事を話せと催促してきたのだ。女に関しては、あまりロクな思い出が無い巧にとって、マシュの奇々怪々な言動は充分な警戒に値していた。

 巧の訝しそうな様子と、唐突な提案をしてしまった事により、マシュの身体に、形容しがたい不安がじわじわと襲いかかってきた。本当にこの言葉で良かったのだろうか。今さら人付き合いをあまりしてこなかった事が悔やまれる。もっと上手く不自然でない、相手を不快な気分にさせない誘い方もあったんじゃないか――

 

「……いえ、やっぱり何でもありません。さっきの言葉は、忘れてください」

 

 儚げな笑みを浮かべる裏で、得体の知れない煩悶に苦しむマシュ。それを見て、巧はふと気の無さげに呟いた。

 

「……ま、内容によるな」

 

 まさか、返答――それも、了承が戻ってくるとは思ってはいなかったのだろう。

 驚きに大きく見開かれた瞳が突き刺さっていることに気づき、巧はなんだよ、と居心地悪そうに問いかける。我に返ったマシュは、あたふたと手を忙しなく答えた。

 

「いえ、その。まさか、……先輩から返事が返ってくるとは、予想していなかったので」

 

「お前は俺を何だと思ってんだ」

 

「所長の言によれば、唐変木の鈍感猫舌バカと」

 

「……これからあいつの言う事は全部無視しろ」

 

 ふて腐れた顔つきのまま、ふたたび火勢の弱くなった焚き火の中に枯れ木を放り込んで、巧はひどく心外そうな目を向けてくるマシュから顔を逸らした。

 逡巡が少女の顔を過ぎる。やがて、ぽつりと躊躇うように、

 

「――カルデアに来る前、先輩はどんな生活をされていたんですか?」

 

 巧はその問いに動きを止めると、何をどう話せば良いのかを真剣に考えた。

 

 この身体の元の持ち主――藤丸立香という少年が過ごしていた日々の詳細を、もちろん乾巧が記憶しているという都合の良い事はない。元々、彼が他人だけでなく自分に対しても淡白である事も関係していたが、そもそも見ず知らずな人間の中に唐突に放り込まれ、見知らぬ街でトラウマを刺激されながら否応なしに戦いの渦に飛び込む事になって、そのいの一番で、身体の持ち主の日常生活を知ろうとする方がどうかしているだろう。かと言って、無視して黙り込む訳にもいかない。だから巧は、自分がかつて過ごしていた日々を、限りなく簡潔に話す事を決めた。

 

「――別に、普通に暮らしてた。起きて、洗濯物して、飯食って、風呂入って、寝て」

 

 言っておいて、我ながらつまらない生活をしているなと、心底から思った。啓太郎のように夢を叶える為に人助けに精を出す事もなければ、真理のように夢に向かって着々と走り続けている訳でもない。ここまで人間的につまらなければ、いっそ笑えてきた。

 にも関わらず、巧の話を少女は興味深そうに聞いていた。きらきらと目を光らせて、見た事のないおもちゃを差し出された時の子供のように、再び身を大きく乗り出した。

 

「もっと、聞かせてください。先輩の話」

 

 少女の瞳、さらに輝きを増す。

 その光に耐えられなくなって目を逸らし、それでも頭をばりばり掻いてから、渋々と巧は答えた。

 

「――期待すんなよ」

 

 ぱちり、と焚かれて枯れ木が、軽い産声を上げた。

 

 ○

 

 炎の廃都市に似つかわしくない空気を二人がしばらく享受していると、結界を張り終わったらしいキャスターとオルガマリーが、何事かをぼやきながら夜闇の中から歩いてきた。

 

「あー疲れた疲れた。ったく、無駄に広いんだよここは」

 

「アンタが選んだんでしょうがっ。……ったく、大体ね、少し休憩したらすぐ出て行っちゃうんだから、こんな厳重に結界を張る必要は無かったんじゃないの」

 

「分かってねえなあ。ここは敵の本拠地のお膝元なんだぜ? もしかすれば、アーチャーの野郎がのこのこ降りてくるかもしれねえじゃねえか。ま、アイツは今の所立てこんでるらしいから、目下の敵はバーサーカーのみだがな……おっ、嬢ちゃんが淹れたのか、それ」 

 

 興味深げに覗き込んでくるキャスターに、マシュは申し訳なさそうに呟いた。

 

「はい。支援物資が乏しいため、簡単な物しか作れませんでしたが……」

 

「なあに気にすんなって。男ってのはな、良い女が手ェ付けたモンなら何だって喜ぶんだ。な、坊主?」

 

「俺に振んな」

 

「ツレねえなあ。お前だってほんとは喜んでんだろ? 素直になれよ」

 

「だから、一々寄っかかってくんな! 暑いんだよ!」

 

「あーあ、男ってほんっと単純ね。……そうよ。藤丸立香。貴方には、私が直々に淹れてあげます。さあっ、泣いて喜んで跪いて、今まで舐め腐った対応を取っててごめんなさいこれからは心を入れ換えてオルガマリー所長様に一生ついていきますと叫びなさいっ! さあっ」

 

「絶対、いらねえ」

 

「その態度は無いんじゃねえの」

 

「所長……それはさすがにどうかと」

 

「何でなのよっ! ずっと思ってたんだけど、ちょっと私の扱いが雑なんじゃないっ!?」

 

 途端に湧きだした喧噪が、周囲を厚く取り囲んでいた暗い静寂を切り払っていく。巧はあまり騒がしいのは好きではなかったが、暗闇と炎と静寂だけが渦巻くこの世界では、たぶん必要な事なのだと思う。最も、飛び交う話題といったら、如何にして残存している敵サーヴァントの脅威を乗り切るかが主だったが。

 ずぶの素人どころか、全く無縁の生活を送っていた巧に、魔術だのサーヴァントだのといった話題が理解できるわけもない。話す三人もまた、構っている暇は無いとばかりに意見を頻繁に交わし合っている。どこか異国に独り取り残されてしまったかのような心地のまま、巧はふうふうと湯気立っているコーヒーの表面を吹いた。

 ――暇だ。

 眠たくなってきた。

 ここまで他人事になれる人間もいまい。暇を持て余した巧が、本気で寝る態勢に入ろうとした瞬その間、不意に、肩に軽い感触が連続して響いた。

 気だるげに首を動かして振り向く。するとそこには、オルガマリーが何かを噛み締めているような表情のまま、巧の肩をつんつんと執拗に突っついてきていた。やめろ、と振り払っても、また突っ突き続ける。放っておけば、ずっとやっていそうだと、巧は思った。

 何だこいつ。

 

「なんだよ。言っとくが、俺に聞いても無駄だからな」

 

「そんな事、誰だって知ってるわよ」

 

 分かり切った事を聞くなと、冷たいオルガマリーの声が響く。少女の言動の意図がまったく読めず、苛立ちかけたところで、奥歯に物が挟まったような少女の表情に気づく。そうか。巧はぽんと拳で掌を叩いて、納得の意を示した。

 

「もしかして、お前……」

 

「……そうよ。私は」

 

「トイレか」

 

「――ぜんぜん、違うっ! このバカっ! いい? わたしが聞きたいのは……」

 

 どことなく物問いたげな雰囲気を醸し出しつつ、オルガマリーはさも重大な機密を聞き出すかのような姿勢を作った。

 

「……わたし達がいない間、マシュと何話してたの?」

 

 そんな事かと思う。それでも説明するのが面倒くさくて、巧は顔を背けた。

 

「別に。何でもいいだろ」

 

「何でもよく、ないっ! 今の私はカルデア所長で、貴方達はその部下なのよ? 情報の共有は組織に所属する者として当然の義務なんですっ」

 

 出た。

 露骨に顔を歪めても、オルガマリーは少しも気勢を緩めない。隙あらば噛みつかんばかりの勢いで、ぎゃあぎゃあと吼えている。この女、喋らせるとロクな事を言わない。巧はうんざりしながら、すっかり冷めきった液体を飲みほして、苦味に顔を渋くさせたまま話し出した。

 

「別に、普通に話しただけだ」

 

「普通って、どんな」

 

「だから、普通のこったよ。どんな生活してたかとか、食べ物は何が好きだとか、それだけだ」

 

「…………ふーん。あっそ。ま、私は別に、貴方とマシュが何を話してどう仲良くなろうが、どうでもいいんだけどね」

 

 別に興味なんかないとでも言いたげな顔をして、オルガマリーはつんとそっぽを向いた。もちろん、巧は置いてけぼりにされてひどく頭に来ている。一発文句でも叩きつけてやろうかと一瞬思ったが、また馬鹿げた言い争いに発展するのは目に見えていたので、諦めてうんざりとした視線を送りつけた。

 

「……なによ、その目」

 

 巧はしばらく黄金色の瞳を眺めた後、感慨深げに呟いた。

 

「お前って、ほんとに変な奴だな」

 

「あんたにだけは言われたくないっ!」

 

 ○

 

「まずだ。お前ら囮になれ」

 

 作戦を頭の中で纏め切ったキャスターが、真顔でそう最初にそう発言した瞬間、巧の隣に座っていたオルガマリーは年頃の乙女が見せてはならない表情をしてみせた。爆発する。そう思った瞬間にはすでに、堪え切れない激昂の叫びが放たれようとした少女の口を、巧の手が防いでいた。もごもごと苦しげに呻く少女を無視して、巧はやたら軽快な笑みを浮かべるキャスターを見つめた。

 

「どういう意味だ」

 

「なに。簡単な話だよ。奴――バーサーカーは一見すりゃ、オレ達を執拗につけ狙っている、風に見える。だが、それは大きな勘違いだ。泥まみれで理性も無くなったあいつに、いちいち敵が誰かを識別する脳味噌なんざ、もう残ってねえよ。奴が追いかけてくるワケは、魔力だ。今の奴は近距離にある、より強い魔力に反応を示して追いかけてくる。蛍光灯に群がる羽虫みてえなもんだよ。最終的には聖杯の元へ辿り着くんだが、極限まで腹ァ空かしてる時になって、目と鼻先に獲物が二匹もうろつき始めたんだ。飛び付く以外他にねえよな。もし捕まりゃ全部おじゃんだ。アンタらの旅も、オレの目的も潰える。それはオレも困るし、アンタらも困る。そこで取る最善策が、お前らを囮にする作戦だって事だ」

 

「――っれが! なっとくできな――――っ!」

 

 どうにか拘束を引き剥がし、抗議の声を上げかけたオルガマリーの口を、今度は両手で塞いだ。むがががが――! こいつが話し出すと、ロクな事にならない。巧は掌に張りつき始めた湿り気に顔を顰めながら、顔を振って続きを促した。

 

「――しかし。何故バーサーカーは、他のサーヴァント達のように冬木市内を活動していなかったのでしょうか?」

 

 控え目に手を上げて、マシュがそろそろと問いかける。しかし、キャスターは歯の奥に物が挟まったような、形容しがたい表情を浮かべるのみだった。

 

「嬢ちゃんには悪いが、詳しい所はオレも分からねえ。……アンタらが来る前の奴は、冬木市内の最奥にあるデケえ城の真ん前で、ずっと木偶の坊みてえに陣取ってたんがな」

 

「……わたし達カルデアの介入が、ある種のトリガーのような物になってしまった、という事でしょうか?」

 

「さあな。ま、障害になるんならなるで、叩き潰すまでだ。そうすりゃ全部解決する」

 

「――っの!」

 

 なおも抑え続けていた巧の手をかなりの勢いではたき落すと、裾で口元をがしがし拭いながら、オルガマリーが勢いよく吼えた。

 

「じゃあ、何でわたしとこいつが囮にならなきゃなんないのよ。大体、バーサーカーはより強い魔力を道しるべにして追い掛けて来てるんでしょ? だったら、二手になんか分かれないで、四人で行動する方がまだマシに決まってんじゃない」

 

「相手がバーサーカーだけだったら、それがベストなんだがな。オレらの目標は、聖杯だ。それで、聖杯の前にある障害はうざってえ事に二つもありやがる。アーチャーと、セイバーだ」

 

 セイバー。

 このグランドオーダーにおける最終目標である聖杯――その前に立ち塞がる、無敵の騎士王。泥に墜ちた聖剣使い。暴虐の剣士。理想を果たす者。その真名は――

 

「アルトリア・ペンドラゴン――」

 

 何らかの複雑な感情を含んだマシュは呟いた。オルガマリーは瞼を閉じ、目頭を押さえて陰鬱に唸る。

 

「貴方の言う事が本当に正しいのなら、確かにセイバーとその宝具が並の英霊とは比べ物にならないぐらい強力なのは確かね。何せ、人類史上最も有名な英霊の一人なんだから。……こっちも、宝具が使えれば良かったんだけど」

 

 巧とマシュに視線をよこしたオルガマリーが、深いため息を吐いた。マシュは、申し訳なさそうに目を伏せたが、巧は、露骨に不愉快さを示した。

 

「何だよその態度。大体、宝具ってのはなんなんだ」

 

「マシュ」

 

「わかりました」

 

 心底めんどくさそうに手を振ったオルガマリーに従って、マシュは、未だ不機嫌な巧に対し、拗ねている子供に菓子を与えて懐柔させる時のような態度と口調で話し始めたところで、「……ちょっと待った」と、オルガマリーが唐突に遮った。

 

「なんですか?」

 

「やっぱり、私が話すわ」

 

「……はあ、所長がそう言うのなら」

 

「早くしろよな」

 

 この男、教えてもらう分際で態度が大層デカい。それに多少のイラつきを感じながらも、オルガマリーは話し始めた。

 

「良い? 藤丸。宝具ってのは、サーヴァントを象徴する道具――まあ言ってしまえば、最後の切り札とか、必殺技みたいな物なの。それ自体も強力なんだけど、その真価を最高に発揮するのは、『真名』を解放した時――つまり、正体を明かした時なのよ。

 勝負を決める奥の手の宝具を最大限に発揮する為には、相手に対して長所も短所も、ぜんぶ曝け出さなきゃならないの。それって不利でしょ?」

 

「それをギリギリまで隠しておく為に、オレはキャスターって偽名を与えられてるわけだ。ま、真名はもうバラしてんだがな」

 

「サーヴァントの存在価値は、ほとんどが宝具に依存してるって言っても過言じゃないわ。――だからね、キリエライトが宝具を使えない今は、物凄く危機的な状況ってわけ」

 

「そうなのか」

 

 あまりにも気の無い巧の返事に、オルガマリーは眉を顰めた。

 

「――あんた、本当に分かってんでしょうね」

 

 巧は、こくりと神妙に頷いたが、表情はやけにぼんやりとしている。オルガマリーは自分の行動の無為さを悟り、年齢に似つかわしくない妙な無常感に駆られた。

 

「――で、もう一度聞くけど、どうしてこいつとわたしが囮なのよ。そんな暴論を振りかざせるんだもの、納得させるだけの理屈はあるんでしょうね」

 

「ある」

 

 キャスターの思わぬ力強い断定に、オルガマリーはぱちぱちと金色の瞳を開閉させた。そのまま話題の中心の一人でもある巧にも視線を送ったが、少年はどこ吹く風かと言わんばかりに、湯気立つ液体を吹いていた。

 このバカは、本当に――

 憤るオルガマリーを余所に、キャスターは話を続ける。

 

「盾の嬢ちゃんが持つそれは、おそらく、セイバーの野郎にかなり縁深い宝具だ。それさえありゃ、誰がやったか知らねえが、途方も無いほど巨大な結界で隠蔽されてる奴の根城――つまり、聖杯の居所も見つかる。だが、それをするには嬢ちゃんとオレの魔力を大量に使わなきゃならねえし、そん時にバーサーカーの野郎の邪魔が入る事は、ほとんど確定って言ってもいい。奴の妨害を受けながらやり遂げられるほど、オレはオレを過信しちゃいない。

 だからな――」

 

 

 ○

 

 

 ――オレらが隠れて結界をぶち破ってる間、お前らがアーチャーの場所まで奴を惹きつけろ。

 

 キャスターの作戦は、間違ってはいない。バーサーカーがより強大な魔力の方に惹かれるという考察は的を得ているし、いくら泥に埋もれてしまったとはいえ、魔術師を遥かに上回る魔力を有しているサーヴァントにまで辿り着けば、バーサーカーはそちらに集中するという作戦も、本来ならば上手くいく筈だった。

 彼の唯一の誤算は、本来は藤丸立香である筈の人間の中身が、「乾巧」だったという事だけだった。

 無論、それを知る由もない巧は、自分だけに圧倒的な殺意が集中している事を、強く感じていた。

 それはいい。敵意や殺意を向けられる事には、嫌というほど慣れている。慣れざるを得ない。そういう生き方をしてきた。

 だが、その巻き添えになる人間がいるという事を、乾巧は決して許しはしない。

 そして、覚悟を決めた。

 戦わなければ生き残れないのなら、戦うだけだ。元より自分に、退路など残されていないという事は分かっている。ならばせめて、誰かを守る事ぐらいは、成し遂げたい。いや、

 必ず、成し遂げてみせる。

 

 ――『Complete』

 

 光を伴って、超加速形態へと変身したファイズ――アクセル・フォームの前では、有限の十秒は、無限の刹那へと裁断される。

 しかし、変身したからとはいえ、生身の傷が修復するわけではない。無理に身体を動かしたせいで、神経を食い破りかねない痛みが、背筋を喰い破り出そうとしていた。生じ続ける痛みは、熱を伴って脊椎を這いずり脳まで浸食し、視界は次第に赤く燃えていく。小刻みに震える指先は、決して武者震いしているわけではないだろう。零れる吐息、たまらなく熱かった。散り散りに裂けては、記憶の海へと消えていく意識の欠片。

 時折、思考の間に挟まる空白が、もはや一刻の猶予も無い事を、冷酷に告げていた。

 だからこそ、

 なればこそ、

 

「――十秒あれば、充分だ」

 

 それは、動かし難い真実だった。

 首をごきごきと鳴らし、手を軽くスナップさせる。

 絶大な出力のフォトンブラッドが、ファイズエッジの刀身を通り抜けていき、無慈悲な叫びを伴って大気を震わせる。

 スタータースイッチを、叩き潰すように押した。

 

 ――『Start Up』

 

 そして、オルガマリーが瞬きすると同時に、ファイズは地を揺るがさんばかりの勢いで大地を蹴りつけた。加速する。世界が流線状へ融け、ファイズは独り、時の刹那へ放り込まれた。全てを斬り裂く紅蓮の光を携えた銀色の騎士が、敵を殲滅せんと迫る。アーチャーの背後に投影された夥しい刃が、一瞬遅れて飛来。世界を埋め尽くさんばかりの鈍い刀光が、冴え渡った音を立てて迫る。だが、何もかもが、遅すぎた。地を蹴って、更なる加速。光を乗せた剣が、眼前に突き出された無数の切っ先を、払い除けた。それでも、無傷ではいられない。弾けなかった白刃がソルメタル製の装甲を削り取り、激痛が足に絡みついた。

 それでも、奔る。

 無限に引き延ばされた一瞬。強い覚悟と意志だけが、この身を動かしている。たまらず飛び出した咆哮に呼応するかのように、剣に宿った真紅のフォトンブラッドが大きな唸りを上げた。

 二秒。

 瓦礫の突き立った刀剣の墓標を背後にして、懐に飛び込んだファイズの横薙ぎの斬撃が、泥まみれの身体を深く引き裂いた。穢れた飛沫が宙を舞う直前に、呼吸すら忘れて、一撃。一撃。また一撃と、光を超えた速度で、アーチャーの身体が斬り刻まれていく。

 最早留まる事を知らず叩きこまれた無数の剣閃が、絶殺の檻を形作る。

 それでも動いてみせたのは、泥に塗れても消えぬ、戦士としての意地だったのか。

 神速の襲来に反応を見せたアーチャーが、生み出した双刃を首に向かって振り抜くその寸前で、

 

「おおおおおおっ!!」

 

 渾身の刺突が胸を貫き、サーヴァント・アーチャーは今度こそ確固たる終わりを迎えた。

 崩れ去る泥の山を見届けず、ファイズはファイズエッジを投げ捨てると、オルガマリーの頭蓋を叩き潰さんと斧剣を振り被ったバーサーカー目掛けて強く跳躍した。同時にバーサーカーも白銀の火線に気づいたのか、標的を一瞬で変えると、世界を揺るがす咆哮を捻り出し、大地を深々と抉りながら突撃を開始した。

 四秒。

 横薙ぎの爆風。ファイズは足を止めず、凄まじい速度のまま首を刈り取ろうとする刃をかいくぐり、斧剣を握り締めている右手を勢いよく蹴り上げた。担い手を失った斧剣が、中天を舞い、深々と石畳に突き刺さる。大きく呻いたバーサーカーは、皮膚から骨の飛び出た右腕を捨て、残った左腕で騎士を叩き潰さんと鉄槌を振り下ろす。加速。ファイズは颶風と化して一気に巨体の懐に飛び込むと同時に鳩尾に神速の連撃を叩きこむ。千を超える拳撃が突き刺さり、僅かに仰け反った敵の姿を視認。身を深く沈めると、脛を外側から払った。体勢を崩した巨躯が前のめりに倒れた。

 好機。

 渾身の力。右足に溜められたフォトンブラッドが唸りを上げ、絶大なる破壊の光を解き放とうとした瞬間。

 忍び寄る破滅が、とうとう開花した。

 背中を喰い破って飛び出した激痛が、断末魔を上げた。

 

「――――ぐ、が」

 

 五秒。

 動きを止めてしまった刹那、拳。倒れざまに放った狂戦士の一撃がファイズの側頭部を薙ぎ払う。ひび割れる仮面、迸るノイズ、歪みゆく世界をこらえて跳ぶ。だがその直前に、起き上がったバーサーカーの捨て身の突進がまともに入った。分厚い鉄を叩くような音が響き渡る。全身に罅が入ったような感覚。バーサーカーは、枯れ葉のように力無く舞い上がったファイズを、愉悦の瞳で捉えて跳躍。虚空の檻に囚われた騎士へと一直線に迫る。来る。耳元に風切音。ファイズは全力を振り絞って回避。拳が、脇腹を掠めて音を立てた。どうにか着地すると同時に上を見上げる。

 巨人は、世界を覆い尽くす殺意を纏って、豪雨のように降り注いで来た。

 咆哮。

 七秒。

 最早、一刻の猶予も無い。

 意志が髪を逆立たせ、決意が戦意を奮わせた。

 シルバーストリームが危うい白銀の輝きを放ち、足裏に刻印されたφの記号が、力強い閃光を宿す。

 そして、跳躍。

 千分の一に裁断された刹那の狭間を、銀色の流星が、時をも越えて駆け抜ける。

 

 ――『Exceed Charge』

 

 鳴り響くは、断罪の晩鐘。

 振り下ろされるは、破神の鉄槌。 

 虚空に突き立つ、無窮なる紅の穂先。狙うは直上、暗黒の化身。僅かな一瞬も、逃しはしない。

 ブチ殺す。

 

 ――『Three』

 

 飛来する巨躯に向けて、豪雨のように降り注ぐのは、決して揺るがぬ意思が込められた神速の蹴撃。

 

 ――『Two』

 

 落雷の如き速度で放たれる、ファイズ決殺の一撃。

 

 ――『One』

 

 ――アクセル・クリムゾンスマッシュ。

 

 ――『Time Out』 ーー『Reformation』

 

 そして、魔法は解けた。

 フルメタルラングが畳み込まれ、元の姿に戻ったファイズが静かに地面へと降り立った直後、無数の衝撃を存分に受けたバーサーカーの巨体にφの紋章が浮かび、蒼白い輝きと共に泥の塊と化して、ざらざらと地面の上に積み重なった。

 

「な、あ――」

 

 思わず、絶句した。

 オルガマリーにしてみれば、何がどうなったのか分からない。傷だらけの少年があの理解できないベルトを使って、鋼鉄の騎士へと変化したまではどうにか理解できる。だがその直後、仮面の騎士が腕に装着された奇妙な道具を行使してからは全てが範疇外だった。瞬きを二、三度繰り返している間に、全ては終わりを告げていたのだから。

 背中を向けた少年が、震える手つきで変身を解いた。そして、ゆっくりと自分に向かって歩み寄って来る。顔は疲労の色が濃いが、ひとまず五体無事で済んだ事に、少女はたまらなく安堵した。ふと湧き出たそんな気持ちを隠すように、憎まれ口を叩きかけたオルガマリーの目の前で、巧はぷっつりと糸が切れた人形のように、唐突に倒れ込んだ。

 どさり、とゴミ袋が落ちたような、鈍い音が響き渡った。

 あまりにも唐突に起きたそれに一瞬、オルガマリーは何が起きたのか理解できず、呆気に取られる。

 

「ちょっ――ふ、藤丸っ! ちょっとっ! 大丈夫っ!?」

 

 呆けてる場合ではない。

 すぐさま正気を取り戻し、かなりの勢いで俯けに倒れた少年に駆け寄る。むしろあの状態で、今まで動けていた方がおかしいのだと、今さらになって気づいた。もし、息が途絶えていたとしたら――そんな事はさせない、と力強く思う。決して。借りを押しつけておいて、後は知らんぷりだなんて、絶対に許さない。

 仰向けにすると、少年の苦悶にゆがんだ顔が真っ先に目に入った。次いで、全身に広がる無数の裂傷。見た目は派手だが、そこまで深いわけではない。オルガマリーは、全身が血塗れになるのも躊躇わず、掌に魔力を込めて治癒の魔法陣を描き出した。碧色の淡い光が、巧の身体を包み込む。幸い、アーチャーとバーサーカーに、ランサーのような治癒無効の能力は無かったらしい。少年に刻み込まれていた傷が、じわじわと塞がっていく。すうすう、と微かに聞こえる吐息と血色の戻った顔に、ようやくオルガマリーは全身の力を抜いた。そのまま、服が汚れるのも構わず地べたにへたりこむ。

 

「――この、バカ。余計な心配かけさせんじゃないっての」

 

 暢気に寝息を立てている少年の、やけに安らかな寝顔に目を向けた。起きている時は、視界に入る全てが気に喰わないとでも言うような顰めっ面をしているくせに、今は年相応――ほんの少し、童顔だが――の素直な顔つきをしている。ほんの気の迷いから頬に手を置くと、思いのほか柔らかな感触が返ってきた。

 ――こいつ、寝てる時はまあまあ良いじゃない。

 オルガマリーは今までの仕返しのように指を連打させ、やがて大きく息を吸うと、その細身の身体からは予想もできない力で、巧を背負い上げた。

 力の抜けた少年の体重が、まともに圧し掛かって来る。ついさっきに激しく魔力と体力を消費した為か、たちまち額から汗が湧き出て、顎を滴っていく。構うものか。半ば意固地になって、オルガマリーはゆっくりと、闇に向かって歩き出した。

 小さく上下する胸板に、そういえば、あの時とは立場が逆だなと、ふと思い出す。 

 

「……これで目ぇ覚めなかったら、ほんっとに承知しないんだからね。藤丸」

 

 答えは、当たり前のように返ってこない。

 それでもオルガマリーの耳には、相も変わらない憎まれ口が響いたような、気がした。

 

 

 ○

 

 

 セイバーは、唐突に目を見開いた。

 鴉羽色の仮面を透かして、大空洞の広大な景観が視界に移る。超抜級の魔術回路である聖杯から漏れ出した、膨大な量の魔力が、明確な形を為して、煙霧のように辺りに立ち込めていた。冬木市を突然覆った異変の元凶が座し、今回の特異点修復における最後の門番が立ち塞がる、暗黒の玉座。そこに訪れる者は、この間違った世界を糺す為に、彼方から来訪した異邦者しかいない、筈だった。

 だが、

 

「――貴様は」

  

「やあ……麗しの騎士王。身体の具合は、如何かな?」

 

 霧の隙間を縫うようにして、何らの気配も感じさせず姿を現した男の名は――レフ・ライノ―ル。

 この異変の、本当の首謀者。

 

「少し、話があるんだが――どうか、ご傾聴頂けないかね?」

 

 歯軋りのような笑い声が、暗闇の中で甲高く響いた。

 

 

 

 

 

 

 


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