Fate/Φ's Order   作:うろまる

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第十一節「クライマックスF」

 

 

 

 

 夢を見ている。

 

 

 

 上下は無く、左右も無い。呆けていれば、あっという間にバランスを崩してしまいそうなほど、ひたすら黒一色の視界。ただただ茫漠と広がっている暗黒の中を、巧はたった一人で歩いていた。

 足は粘ついた泥濘を掻き分けているかのように重く、歩を進めるたびに身体に纏わりついてくる漆黒は、次第に四肢を抗いようの無い重苦しさの海へと沈めていこうと画策している。何処かで嗅いだ覚えのある異臭がうねりながら鼻先を漂い、耳に痛いほどの静寂が、しんしんと周囲に降り積もっていく。

 確かに足は地をしっかりと踏みしめているはずなのに、靴音は全く響かなかった。というより、まるきり地を噛む感触を感じられない。まるで、足先が腐り果てたような気持ち。歩いているというより、泳いでいる感覚に近い。そんな違和感を周囲から絶え間なく感じながらも、巧はひたすら歩き続けた。理由は無かった。ただ、何となくそうしたかっただけだ。

 視線を感じるくせに、誰の姿も見当たらない。まるで、夜の中に閉じ込められてしまったようだと、ぼんやりとした頭でそう考えた。

 

 ――やはり夢を、見ているのだと思う。

 

 だから、歩き続ける。それ以外にできることなど、巧の頭では思いつかない。しかし、出口を指し示す明かりは、どれだけ経っても見えてこなかった。それどころか、周囲はますますその暗さを増しているようにも思える。かすんだ目に移る、次第に闇へと飲み込まれていく下肢の様相は、決して気の所為ではないだろう。

 

 それでも、巧は歩き続けた。

 

 別に、この先に必ず出口があるという確信を持っているわけでも、いずれ救いの手が伸ばされると期待しているわけでもない。いつか覚める夢だと理解しているから、というわけでもなかった。何故進むのか。巧は自分に問いかけて、辞めた。分かるわけがない。だが、この先に自分の求める何かがあるということだけは、誰にも否定出来ないぐらい確かな事だと、不思議と確信できた。

 元より、負けるのが嫌いだった。

 何もかもを諦め、見捨て、腐り果てるのは驚くほど簡単だ。

 それが嫌だから、意地を張って、弱音を封じ込め、ただ前へ進むことだけを考えた。

 誰かの命を奪って、このちっぽけな掌の上に灰をこびりつかせた瞬間から――乾巧という存在に、退がるという行為は二度と許されなくなったのだ。

 

 人間として、生きていたい。

 それは、自分の意志で決めた。

 少なくとも、巧はそのつもりだった。

 

 そこに、後悔は少しもない――と断言することは出来ない。両手の指では数え切れないほど迷ったし、苦しんだ。いっそ、何もかもを放り出してしまえばどれだけ楽かと、思わず足を止めようとした事だって幾度となくある。

 だが、人ではない自分が、人として生きたいと望むのなら、往く道はたった一つしかなかったのだ。

 

 かつては同じ人間だった、同胞の血肉と灰で、全身を染め上げようとも。

 人間の為に――誰かの夢を守る為に、誰かの命を踏みにじることを選び続ける。

 それが嘘偽りの無い、乾巧が選んだ道だった。

 

 振り返る事など出来ないし、悔やむ事など絶対に許されない。

 いつか自分は、どうしようもないほど惨たらしく死ぬだろうという確信が、巧にはある。背負い続けた罪過の重さに耐え切れず潰れるか、背後に忍び寄りつつある無数の灰色の腕が、首を捩子切ってしまうか。どちらにしても、ロクな最期を迎える事は出来ないだろう。

 当ても無く歩いている内に、いつしか下半身は完全に闇の中に埋没していた。途切れがちな意識が、二度と覚めはしない休息を無理やり押しつけてくる。なおも無視して進もうとする巧の足首に、冷たい五指が引き止めるように絡みついた。だが、振り払った。

 そうだ、と強く思う。こんな所で止まってられない。俺にはまだ、やるべき事があって、会わなければならない人がいるのだから――

 しつこくまとわりつく泥を振り払うように、力強く腕を伸ばした。

 その瞬間、何もあるはずのない泥の中に、冷たい鉄の感触を朧げながら感じ取った。指先に微かに触れたそれは、確固たる形を取り戻して、巧の意識を過剰なまでに刺激する。

 

 これだ、と思う。

 これが、俺の探していた物。

 

 砕けるほどに握り締めていたそれを開き、導かれるようにコードを入力する。いつの間にか腰に巻かれていたベルトに、それを装填しようとして――

 

 

 

 ○

 

 

 

 目覚めた先は、見知らぬ天井だった。

 必死に伸ばした腕はベルトではなく、湿った空気が籠もる虚無を、無謀にも掴もうとしていた。閉鎖された空間独特のじめついた臭いが鼻につく。しばらく呆然として、ようやく巧は、自分が今まで夢を見ていたことに気づいた。

 

「――は」

 

 ここは、何処だ。

 

 そう言葉を吐き出そうとして、掠れた喘ぎだけが弱々しく飛び出し、喉がひどく乾いていることに気づいた。それに、なぜか鈍い痛みが身体中に所狭しとへばりついている。

 汗でびっしょりと濡れそぼった襟に不快感を覚えながらも、苦痛と疲労感に軋む身体を叱咤して、巧はゆっくりと上体を起こした。どうやら、横に寝かされていたらしい。身体の下には長年使い古された証が残る、青色の厚いローブが敷かれている。

 いまいち状況を把握できていない巧に、突如大きな影が覆い被さった。唐突なそれに思わず固まった巧を他所に、明朗な調子の声が次いで降り注いできた。

 

「――よ、起きたか坊主?」

 

 見上げると、蒼い痩身の男が薄い笑みを浮かべて、こちらを見下ろしていた。ぼやけていた意識が、男の顔と記憶の焦点をゆっくりと合わせていく。獣のような相貌。紅く燃える瞳。尋常ならざる者の気配。

 

「――キャス、ター」

 

 ひどく乾いた声色で巧がそう名を呼ぶと、キャスターは、片手に持った長大な杖を肩にかけて、ようやく肩の荷が下りたと言わんばかりに溜め息を吐いてみせた。

 

「ったくよお、敵地で堂々と眠りこけやがって。え? 良い夢見れたかよ?」

 

「ほっ、とけ」

 

 放りなげられた水を受け取ると、獣のように一気に飲み干す。水分を失っていた喉に潤いが取り戻され、冷えた液体が全体に心地よく沁み渡っていく。

 濡れた口元を裾で拭うと、薄まった赤色がひっついてきた。おもわず訝しんだが、臭いを嗅いだ瞬間、それが自分の血だということが分かった。

 そして蘇る、血みどろの記憶と闘争の生臭い感覚。

 

「俺は、確か――」

 

 頭をおさえた巧に、キャスターは気遣わしげな様子で、

 

「なんだ、覚えてねえのか? バーサーカーとアーチャーの野郎とやり合って、ズタボロになったお前を、あの気の強い嬢ちゃんが運んできたんだよ」

 

「――俺が?」

 

 キャスターの頷きを見て、巧は自分の身に起きた出来事をどうにか思い出そうと試みたが、戦っている間の記憶は綺麗に抜け落ちていた。

 ベルトを巻いて、変身した瞬間までは、確かに記憶に刻み込まれている。だが、そこから先は、鮮血と暗闇に塗れていて、何も見えはしなかった。まるで、その部分だけ虫食いされてしまったように。

 頭の中にぽつんと取り残されていたのは、津波のように押し寄せる殺意に必死に抗ったことと、血塗れになってふらつく自分を、安堵の視線で見つめる少女の姿だけ。

 

 ――俺はあいつを、ちゃんと守れたのだろうか。

 

 巧は、傍らに白髪の少女の姿がない事に気づくと、キャスターに言葉を投げかけた。

 

「あいつは――オルガマリーは」

 

 キャスターはにやり、と頭の後ろで両手を組みながら、

 

「生きてるから、安心しとけ。お前をここまで運んだ後、いつも通りぐちぐち文句言ってたよ。寝てるお前の下に、オレのローブを敷いたのも嬢ちゃんだ。

 有無も言わさずあっという間にひん剥かれちまってな。ったく、つくづく良い女になるだろうよ。アイツは」

 

「そう、か」

 

 人間を守ると、強く誓った。けれど、少しの不安もなかったと言えば、嘘になる。何度も打ち勝ち、何度も守れたとしても、必ず取りこぼしという物は存在する。必ずという言葉ほど、信じられない物はない。だから自分に出来るのは、例え命を賭けてでも、それを未然に防ぎきることだけだった。

 いつ落ちるか分からない綱渡りを、永遠と繰り返しているようなもの。

 

 だがしかし、守れたのだ。このちっぽけな手でも。

 

 巧は、無言でかさついた自分の掌を見つめた後、辺りの景色に見覚えがないことに気づいて顔をめぐらせた。

 仄暗い黒がたっぷり塗りこめられた壁が、上下左右見渡す限りどこまでも広がっていた。わずかに鼻を動かせば、雨の予感にも似た湿った臭いが漂っってくる。人気どころか、生物の気配すらひとかけらも感じられない異様な雰囲気。間違いなく、常人ならば立ち寄らない場所だと、判断できた。

 

「――ここは、何処なんだ?」

 

「あ? ああ、大空洞だ。つまり、敵の本拠地真っ只中ってわけだな。喜べよ。この異変の解決まで、あと一歩だ」

 

「そうか」

 

 極めて簡潔に答えた巧に、キャスターは不満そうに眉根を寄せた。

 

「んだよ、ツレねえな。そんな老けた反応してないで、大人しくガキみてえに飛び跳ねたらどうだ?」

 

「そんなガラかよ。……大体、俺はガキって歳じゃない」

 

「はあ?」

 

 言ってから、今の自分が自分ではない事に気づき、舌打ちした。いくら時間が経っても、慣れない物はとことん慣れない。ましてや、他人の身体などという未知数の相手では。

 ばりばりと頭を掻き毟って、訂正する。

 

「忘れろ」

 

「……」

 

 妙に生暖かい目線が、背中に突き刺さっている。巧はなんとなく、壮絶な誤解をされているような気がしてならなかった。そして巧の予想は一ミリも違わず、キャスターは少年の言動を、思春期に差し掛かった男ならば、誰にでも訪れるであろう影響のせいだと考えていた。そして、触れないことこそが最大の気遣いなのだと、にこやかな笑みを浮かべるに留めていた。

 まったく余計なお世話である。

 立ち上がろうとした巧の足が、ぐらりと大きく揺れた。思わず声が漏れる。傷は綺麗さっぱり消えていても、熾烈な戦いが残した疲労感は残り続けている。こればかりは仕方がなかった。

 

「おいおい、あんま無理すんなって。最低限は治癒されてても、ひでえ怪我だったらしいからな。今倒れられちゃかなわねえ」

 

「余計な、お世話だ」

 

 ふらつく姿を見兼ねたキャスターは手を差し伸べたが、巧はつんとそっぽを向いて、痛みに顔を顰めながらも身体を持ち上げた。キャスターはそういった、無意味な意固地が嫌いではない。だから大人しく手を引っ込めて、素直に事の推移を見守った。

 

「――っふう……」

 

 やがて立ち上がった巧は、地面に転がっていたベルトを手に取ると、先ほどの夢を連想させる暗闇が満ちた、深い眼窩のような穴をじっと見据えた。

 粘ついた瘴気をたっぷりと詰め込み、真っ黒な口臭を始終漂わせている闇。一寸でも踏み込めば、瞬きする暇もなく飲み込まれそうなその空間の先には、こちらを見定める怪物の眼球が居座っているような気がしてならない。漂ってきた生温い風が、皮膚を蚯蚓のように這いずりまわってきた。

 思わず手を固く握りしめていると、隣まで歩いてきたキャスターが、冗談めいた口調で問いかけてきた。

 

「怖いか?」

 

 その問いを尋ねようとキャスターが考えたのは、暗闇に包まれた巧の心の水面に、とうとう隠しきることの出来なかった、熾火のようにちらつく小さな怖気の気泡が、浮かび上がったからなのかもしれない。

 いつの間にか、行き場を無くしたように震えている掌を、巧はじっと見つめた。

 自分のことは、自分が一番よくわかっている。目の前に迫る脅威を前にして、何を考えているのか。火を見るよりも明らかだ。

 しかし。

 キャスターの問い掛けに答えるのは、ひどく簡単なことだった。

 

「怖いさ、いつだって」

 

 ――君は、死ぬのが怖くないのか?

 

 あの時の自分は怖い、と答えた。だから、一生懸命生きるのだと。だから、人間を守るのだと。きっと、今の自分の答えも、何一つ変わらないと確信していた。

 死ぬのが怖くない奴なんて何処にもいない。積み重ねてきた人生も、大事に育んできた夢も、抱いてきた信念も、すべてが一瞬で砕け散り、空虚な灰と化していく。それはひどく度し難い。けれど、背を向けられても、誰にも逃がれることはできないのだ。一度死を乗り越えたオルフェノクですら、いつかは灰となって、朽ちてゆく定めにある。人間も、オルフェノクも、死ねば何もかもが終わってしまうことに変わりはない。

 

 だからこそ、一生懸命生きていかなければならないのだと思う。

 ただ死んで終わるのではなく、命ある限り、後の誰かに繋がる尊いなにかを残していく。人間にはそれが出来たから、ここまで生きてこられたのだ。

 

 ――燃え盛る炎のなかで、ひたすら他人の身を案じていたあの少女のように。

 

 だから、俺は人間を守りたいと思った。

 そうした自分の考えを上手く言葉にすることが出来ない。俺は口下手だ。だから巧は、頭をばりばりと掻き毟って、ひと言だけ告げた。

 

「けど、行くしかないんだ。そういう時って、あるだろ。だから俺は行く。それだけだ」

 

 巧の言葉に、キャスターは大きく目を見開いて、それから今までにないほど、快活に笑った。

 

 

 ○

 

 

 ぶん、と間抜けた音が響くと、お人好しの雰囲気を全身から醸し出した、胡散臭い男の顔が空中に映し出された。

 いつ見てもどういう仕組みで成り立ってるのかさっぱり分からない。巧はわたわたと騒ぐ男――ロマニ・アーキマンの面をぼんやりと眺めながら、すっかり冷め切った蜂蜜茶を口に含んだ。

 

『もしもし! こちらカルデア管制室のロマニ・アーキマンだ! 頼むから、応答してくれ! もしも――』

 

「こちら、オルガマリー。とっくに聞こえてるから、そう何度も呼ばないで。鬱陶しくてかなわないわ」

 

 疎ましげな声を聴いたロマニは、信じられないものを見るような目でオルガマリーを見た。そして、おそるおそる、口を開く。

 

『しょ、所長ですか? ほんとに?』

 

「そうよ」

 

『生きてるんですか? それとも、もうとっくに所長は死んじゃってて、溜まりに溜まった僕への怨みやら鬱憤やらを晴らす為に、ジャパニーズ・オンリョーとかそういうカンジになっちゃってませんかっ!?』

 

「――っ! 誰がなるかそんなモノっ! あんたね、帰ってたら覚えてなさいよっ」

 

『しまった余計なこと言わなきゃ――って、そうだ! それよりもマシュはっ!? 藤丸くんはっ!?』

 

 オルガマリーとの漫才をそこそこに、ロマニの焦り顔が画面いっぱいに広がった。それを諫めるために、巧の隣に座ったマシュが控えめに手をあげた。

 

「私も先輩も、どうにか無事です。ドクター」

 

『ほ……ほんとうに、無事なんだね? 五体は全部揃ってるかい? 悪い奴らに悪いことされてないかいっ?』

 

「はい。心配しないでください」

 

『――よ、よかったぁぁああ』

 

 そしてロマニは、電子のため息を深々と吐きつけながら、ずるずると全身を脱力させていった。よほど焦っていたのかもしれない。男の額に浮かんでいた汗は、ざらついたノイズ混じりでも分かるほど、尋常ではない量だった。

 すっかり安心したのだろう。顔を緩ませてずず、とみっともなく鼻を啜りながら、ロマニは話を続ける。

 

『――どういうわけか、外部と連絡が繋がらないし、君たちにも今までコンタクトが出来なかったから、もしもの可能性もあると思ってて――本当に無事でよかったよ……』

 

「あのね。たとえ一時的でもカルデアの総責任者を担っているんだから、そんなみっともない顔しないでくれるかしら、ロマニ。貴方がわたし達の上司って考えると、心の底から不安になるの」

 

『はは……所長の憎まれ口も、なんだか懐かしく感じられる。ええっと……それで所長達は、今どこに?』

 

 きょろきょろとあたりを見回す仕草をするロマニに、オルガマリーは呆れたような口調で、

 

「もう、大聖杯の近くまで来てるわよ。貴方たちがあたふたしてる間にね」

 

 どことなく誇らしげに胸を張る少女を、巧は呆れた目で見つめた。鼻水まで垂らしてたくせに、よくもまあここまで自信満々に振る舞うことができる。そのツラの皮の分厚さだけが、手放しで褒められる唯一の部分だった。

 ただ、それを口に出せば面倒事に発展するのは間違いなかったので、巧は黙って注ぎ足された茶を啜るのみに留めた。

 もちろん、これまでのオルガマリーの醜態をまるで知らないロマニは、暢気に喜びの歓声をあげた。

 

『おおっ! ついにやったじゃないですか所長! これで今まで降り積もってきた汚名を、ようやく返上できますねっ!』

 

「おめ……っ、ちょっとどういう意味なのよ、それはっ! ……いえ、それは後でたっぷり聞かせてもらうとして。

 ――それより、ロマニ。ちょっと話したいことがあるんだけど」

 

『はい? 何ですか?』

 

 オルガマリーはしばらく躊躇った後、バカみたいに欠伸を洩らしている少年に視線をやった。

 ベルトのこと、あの謎の怪物のこと――他人の感情に対して、鋭敏にならざるを得ない環境に置かれていた彼女にとって、少年と怪物との間に何らかの因縁があるのだということは、それとなく知ることができた。

 だから、話してもいいのか、迷っていた。普段のオルガマリーならば絶対にあり得ない行動だったが、この涙と鼻水と血に塗れた数時間を共に過ごすうちに、目の前の無愛想な少年に対して、少女の頑なな心は少なからず開かれつつあった。

 おそるおそる、尋ねてみる。

 

「――ねえ、藤丸?」

 

「ん」

 

「……いまから話すの、貴方のことなんだけど」

 

「別に、いいぞ」

 

 視線に込められた意味を察しているのか、それとも察していないのか。恐らく察していないだろう。眼差しにぼやけた光を詰め込みながら、巧は簡単にうなずいてみせた。

 どうやら気にいったらしい。蜂蜜茶が注がれたコップを、子供のように両手で大事に抱えたその様は、重大な機密をバラしてもいいと許可を出しているようには、とても思えないし、思いたくもなかった。

 コイツに機微を求めたわたしがバカだった。

 ひそかに肩を落とすオルガマリーをよそに、巧は蜂蜜茶を飲んで、帰ってから作らせてみるのもいいかもしれない――なんてことを考えていた。

 

 

 〇 

 

 

 そして、オルガマリーは少しずつではあるが、これまでの出来事を話し始めた。もちろん、自分の醜態は徹底的に省いて。

 ある人物にとって実に都合よく整頓された話を聞くロマニの表情には、次第に驚愕が刻まれ、それは好奇心へと早変わりし、しまいにはきらきらと輝く視線が巧に突きつけられた。

 

「……」

 

 ひどく、居心地が悪かった。逃げるように、巧はマシュの後ろに隠れる。それでも、マシュを透かして、男の視線がまだこちらを見据えているような気がした。

 

『――へえ、へええ、へええっ! 謎の怪物も驚きだけど、まさか藤丸君に、そんな奥の手があったとは……。確かアンダーソンの話じゃ、素性は本当にただの一般人らしいけど。しかし……変身かあ……良いなあ。僕も見てみたかったなぁ』

 

 話をひと通り聞き終えたロマニが、好奇心を丸出しにしながら、嬉々とした声をあげた。それがなんとなく気に喰わず、オルガマリーはそっぽを向きながらぶつぶつと文句を垂れた。

 

「――フン。なによガキみたいに喜んじゃって。大体ね、ちょっと不思議な力を持ってるからって、こんなっ、協調性のかけらもない、無愛想猫舌バカが何だってのよ! こんなベルトを使えるのも、単なるまぐれよ、ま・ぐ・れ!」

 

『所長はロマンがないなあ。もっと夢持たないと、そのうち老けますよ? あ、はは! 僕としたことが。元から老け顔でしたっけ』

 

「ふっ……」

 

 これで無自覚なのだから、末恐ろしい。オルガマリーの地雷を踏み抜いた直後にもかかわらず、ロマニは言葉にできない怒りに震える少女を無視して、巧の方を向いた。

 

『藤丸くん』

 

「なんだ」

 

 気の無い巧の返事にも構わず、ロマニは深く頭を下げた。

 

『所長を、そしてマシュを救ってくれてありがとう、藤丸くん。カルデア医療部門の総責任者として――いや、ひとりの大人として、心から君に礼を』

 

「よせよ。堅苦しいのは嫌いなんだ」

 

 うざったそうに手を振る巧に、それでもロマニは感謝の笑みを向け続けた。

 

『それでも、僕が言いたいんだ――本当に、ありがとう。君が彼女たちの傍にいてくれて、よかった』

 

 その瞬間、電波の悪くなったラジオのように、一瞬だけ男に大きなノイズが奔る。やがて蛍光灯に群がる羽虫のようにノイズは増えていき、砂嵐が画面を覆い尽くしたころには、通信はすっかり途絶えていた。

 

「……」

  

 巧は、別れ際に放たれたあけすけな感謝をどう呑み込んでいいか分からず、がしがしと頭を掻きながら乱暴に顔を背ける。

 そむけた先には、キャスターが相好を崩して、いやらしくにやけていた。

 

「ニヤニヤ、すんな」

 

「ええ? べつに笑ってねえよ?」

 

 いっそわざとらしいまでに、キャスターは身体を震わせながら、なおも笑いを崩さない。巧は不愉快だと言わんばかりに、思い切り顔を顰めた。だが、その頬はわずかに赤らんでいる。

 それを見て、遊び道具を手に入れた子供のように、オルガマリーは表情を喜悦に歪ませた。完全にさっきの憂さ晴らしにする腹である。

 

「藤丸ってば。一匹狼気取ってるけど、なんだかんだ言って人に褒められたら照れちゃうのね」

 

「お前……」

 

「いい加減、素直になったらどうなの? わざとつっけんどんな態度を取る男なんて、今時流行らないわよ」

 

「しょ、所長。そのへんにしてあげてください。また先輩が拗ねちゃいますから」

 

「イヤよ。大体ね、マシュは甘すぎなの。こういう輩には、一回ガツンと言ってやったほうが本人の為にもなるもんなの。ね? 好意に慣れてない藤丸クン?」

 

 オルガマリーは、ぷくく、と笑いを噛み殺しつつ、照れている巧を徹底的にからかい続けた。容赦を見せないその姿勢に、しかし黙り込むしかできない巧の脳に映ったオルガマリーの顔には、いくつかの文章が書きこまれる。嫌な女。高慢ちき。性格悪し。泣き虫。腹が立つ。ぴーぴーうるさい。いつか絶対ぶっ飛ばす。

 そうとも知らず、オルガマリーは未だに、巧を嘲笑っている。

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 一時の休息を終え、ふたたび歩き出した巧達は、広々とした空間に辿り着いた。

 

 ひどく閉塞的だった通路とは打って変わって、街一つは収まりそうなほど広大な景観がそこには広がっている。ただし、漂っているのは穏やかな都市の雰囲気ではなく、間違っても常人には到底耐えきれないであろう現世から逸脱した気候。濛々と立ち込める霧には、周囲の暗闇に勝るとも劣らない陰鬱さがこめられている。

 そして、離れていてもすぐ傍に感じられる、膨大な陰の気を、ヘドロの如く垂れ流し続けている光の柱。

 その前に立ち塞がる、一筋の雄々しき影。

 それを視認したオルガマリーは、忌々しげに舌打ちを漏らした。

 

「なんて、ひどいザマ……あれが噂の聖杯ね。――それで、あの前にいるのが」

 

「セイバー――ア―サー王、なのでしょうか……いえ、そうとしか考えられませんが。それにしては……」

 

 何かが、違う。

 この場に足を踏み入れた時から、何か得体の知れない違和感を、マシュは感じていた。

 漆黒の甲冑、鴉羽色の長剣、静謐の内に暴威を秘めた佇まい――それらもあるが、何よりも、英霊として重大な何かが、ズレているようにしか思えない。

 だが、それはあえて言うならカンのようなもので、誰かに説明してみろと言われればマシュは押し黙るしかなかっただろう。

 ひとり重苦しい思索に耽るマシュを尻目に、オルガマリーは光の柱を見つめる。あれを止めれば、全てが終わる。そうすれば晴れて自分はカルデアの所長に返り咲き、この生意気で気に入らない同行者たちと、共に歩むことはなくなる――それは、本来ならば喜ぶべきはずなのに、なぜかオルガマリーは無性に寂しさを覚えた。

 

「――おい、セイバーっ! 相変わらず暇そうにしやがって、来てやったんだからもてなしの一つぐらいしてみたらどうだ!」

 

 そんな二人を放って、キャスターは声を張り上げた。しかし男の大音声は、空しくも虚空に響くのみに終わった。

 反応が返ってこないことは、予想済みだったのだろう。キャスターは舌打ちを繰り出すと、仕方なさそうに頬をかいた。

 

「いっつもアレだ。話しかけても何も答えやしねえ。ずいぶんつまらねえ女になっちまったもんだ……」

 

「――あの」

 

 禍々しい空気は、留まる気配すら見せずに膨らみ続けている。じわじわと蝕まれていく嫌な感覚に我慢ならず、マシュはとうとう違和感を口に出す事に決めた。

 

「何か……おかしくありませんか?」

 

「何か?」

 

「彼女が……アーサー王がおかしくなっていることは、わかるんです。でも――説明はうまく出来ないのですが、その、雰囲気とか容姿ではなくて、もっと深い何かが違ってしまっているように思えて……」

 

「なんだそりゃ――と言いたいところだが、その宝具を持ってる嬢ちゃんの言葉だ。そう無碍にできやしねえな」

 

 顎に手を添えて考え出したキャスターに、オルガマリーは抗議の声を上げる。

 

「何言ってんのよ。貴方が言ってたこよが嘘じゃないとしたら、あれはアーサー王以外の何者でも無いんでしょう?」

 

「つってもよ。アイツに縁深い嬢ちゃんがこう言ってるんだ。それに、聖杯の泥とやらが、オレたちサーヴァントにどんな変質をもたらすのかも定かじゃねえ……ここは一端退いて、状況を考え直すって手もある」

 

「はあ!? ここまで来ておいてそれはないでしょうっ」

 

 議論が始まりかけたそのとき、それまで黙っていた巧が、なにかに気づいた様子を見せた。そして、オルガマリーの背中をついた。

 

「――おい」

 

「ちょっと、後にして」

 

「おいって」

 

 つんつん、とひたすら突いてくる巧の指を払って、オルガマリーは苛立たしげに叫んだ。

 

「何よっ! こっちは今忙しくて、あんたに構ってらんないのっ!」

 

「あいつ、無いぞ」

 

「無いって、何がっ!?」

 

「だから、顔が」

 

 無い。

 巧の呟きと同時に、深い暗闇の奥で、それはゆっくりと蠢き始めた。

 オルフェノクゆえの視覚だからこそ見ることができた、それ。

 顔の無い、騎士王。

 

「ありゃ、一体―――!」

 

 キャスターの、驚愕の声。

 背後の光の柱が産み出した影が顔面を覆っているのかと思えば、違った。

 空洞なのだ、どこまでも。

 鼻も、眉も、目も、唇も、全てが光の届かない深淵の中に吸い込まれてしまっている。

 セイバーは、不意に俯かせていた顔をゆっくりと上げると、巧達を視界に捉えた。目なんてないくせに、それは確かに、満面の笑顔を浮かべたように見えた。

 そして、高らかに、哄笑。

 聞くに堪えない、この世の物とは思えぬ笑い声が響き、

 マシュが、叫んだ。

 

「――あれは、

 ――もうアーサー王では、いえ、サーヴァントですらありませんっ!!」

 

 同時に、

 悲鳴とも叫びともつかない奇異なる唸り声を捻り出しながら、断崖から走り出した無貌の騎士は、巧達に向かって一直線に飛翔した。

 逸脱した騎士王が、深い暗渠を引き連れて、砲弾のように飛来する。遅れて風を切り開く音が低く冴え渡り、一瞬で音速を超えたことによって生じた真空の膜が、次々と刻まれていく。途方もないほどの威圧感を伴った、回避不能の岩石が落ちてきた感覚。巧はベルトを腰に巻きつけたが、どう考えても間に合わない距離まで、漆黒の殺意は来ていた。

 

「――Ausuz!」

 

 キャスターが杖を構え、先端から無数の炎弾を放つ。しかし、セイバーは止まらない。避けずにむしろ、自ら進んで炎の群れへと突撃していく様子は、狂気に身を浸しきった獣のそれだ。

 まともに標的へと着弾した炎が、大量の火花と黒煙を空に咲かせる。轟音と生じた眩光により、大空洞の禍々しい様相が明らかになった。強引に剥がされた闇が降り注ぐ中、黒雲を突き破って、漆黒の脅威が轟々と音を立て空間を荒々しく引き裂きながら迫る。

 

「――構えろよっ!」

 

 キャスターの怒号を切り裂くように、セイバーは人知を超えた速度で飛来した。

 着地の衝撃で足元の分厚い岩盤が破砕し、砕けた破片が四方に散らばり、土褐色の柱が轟と音を立てて闇の中に天高く屹立した。衝撃に震える空洞が、苦しげな呻きを零す。

 褐色の噴煙の中から、オルガマリーを小脇に抱えた巧が飛び出し、それを追って、セイバーがその姿を見せた。背筋に強烈な殺気。這い寄るすんでの所でオルガマリーを突き飛ばし、振り向いた。見える、暗い剣閃。俺はここで死ぬのか。巧が闇色の光を睨みつけ、セイバーが上段に振り被った剣を、立ち尽くす獲物の頭蓋に冷徹に叩き下ろそうとした瞬間。密かに接近していたマシュの渾身の薙ぎ払いが、騎士の脇腹に直撃した。

 一切の手加減なしで施行された一撃はしかし、姿勢をたじろがせるのみに終わった。ぎょろりと、セイバーの意識が標的を切り替え、一瞬動きが止まる。

 

 今はそれだけで、充分だった。

 

 巧は、とっくにコードを入力していたファイズフォンを、トランスホルダーに叩きこむ。

 『Complete』の電子音と共に、巧は紅い閃光を纏った仮面の騎士――ファイズに変身すると、すかさずファイズギア・クレードルに装備されたファイズショットを右拳に装着。流れるようにエンターキーを押し、腰を極限まで捻って拳に力を溜めた。

 

 ――『Exceed Charge』

 

 真紅のフォトンストリームが、一層強い輝きを放つ。

 耳鳴りにも似た音が、闘志を大きく駆り立てた。

 瞬時に力を解き放ち、渾身の拳撃――グラン・インパクトが、セイバーの胸部を真っ直ぐに捉える。間違いなく、直撃だった。

 だが、

 

 ――硬ぇ!!

 

 想像を絶する鎧の硬度に、超金属で包まれているはずの拳が、原型も留めぬほど粉々に砕け散った気さえした。腕全体に亀裂が入ったかのような衝撃が神経を伝わって、脳を揺るがせる。それでも、ここで退くわけにはいかない。

 ファイズは、迸る痛みを無理やり飲み込むと、雄叫びを上げながら音を立てて唸る拳を、前のめりになりながらも振り抜いた。鈍い音と共に吹き飛んだ敵影が土煙の中にふたたび姿を消す。

 まだ、終わりではない。ファイズはオルガマリーを立ち上がると、庇う位置に移動した。

 

「――あれは、なんなのっ!」

 

「さあな。――伏せてろっ!!」

 

 背中に奔った怖気よりも先にファイズは腕を交差。瞬間、轟音。粉塵を切り裂いたセイバーが、獣のように宙を駆け抜ける音。遅れて衝撃。擦れ違いざまに斬られたのだと知覚するより先に、背後を襲わんと、騎士はふたたび跳躍の姿勢を取った。セイバーの足裏に、膨大な魔力が凝縮される。

 

「させる、かよ――っ!」

 

 煙のなかからキャスターの声が高らかに響いたと同時に、地中から飛び出した無数の蔦がセイバーの下半身を一瞬で覆い尽くした。

 間を置かず、詠唱。蔦がセイバーの首元まで巻きついた瞬間、煙を突っ切って飛び出した巨大な火球が、内部に熾烈な破壊を宿しつつ、吸い込まれるようにしてセイバーに殺到した。

 着弾。

 ファイズの視界で、黒い甲冑が拡散した光の内に飲み込まれ、生じた轟音と共に世界が爆散した。

 荒れ狂う爆風が同心円状に周囲を嬲り、たちまち上がった巨大な火柱が、救いを求める腕のようにあがきながら天を目指して煌々と伸びていく。

 煙を振り払いながら、確かめるようにファイズは独りごちた。

 

「――やった、か?」

 

 しかし、その隣で盾を構えるマシュは、叫んだ。

 

「い、え――まだです。まだ、あの人は終わりません……これで終わるはずが、ありません……!」

 

 まだ終わりではないと。少女の胸の内に宿った、顔の見えない誰かがそう警告している。素性も明らかではないその人物が吐く、確固たる確証もないその言葉を無条件に信じていることに対して、なぜか違和感を覚えなかった。本能が理解していた。きっと、自分の中にいる誰かは、あの騎士を止めて欲しいと願っている――

 そして、マシュの呟きに呼応するかのように、黒煙の中から低い遠吠えが反響した。

 並び立ったキャスターが、立ち昇る煙を見、そして手に握り締めた杖を苛立たしげに見てから、叫んだ。

 

「――ああくそっ! だから、槍の方が良いっつったんだよっ!!」

  

 飛び出した、一条の影。

 キャスターが瞬時に張り巡らせた障壁をいとも簡単に打ち破ったセイバーは、泥に塗れた左腕を歪な鞭と化してキャスターを縛り付けると、息吐く間も与えずに虚空へと投げ放った。遠くにみえる岩盤に高速で叩きつけられた男の姿が、粉塵に塗れて消える。すかさずマシュが、盾を振り上げた、刹那。下段。跳ね上がった刺突が、紫紺の鎧を透かして白い生身を穿った。白く瞬く視界。マシュが崩れようとする膝を必死に支えている間に、セイバーはとどめを刺さんと、返しの斬撃を少女の首に目掛けて放つ。

 させはしない。

 ファイズ、餓狼の如く疾走。その途中で見つけた瓦礫を、躊躇なく蹴り飛ばした。飛来物に反応したセイバーが、振り向いて迎撃する。高速で飛んだ瓦礫が一瞬で微細に砕かれ煙霧と化す。土色の隙間を縫うようにして、ファイズが飛び出した。横に寝かせた刀身が飛来。呼吸を合わせ、手の甲で刃を逸らし、更に一歩踏み込んだ。互いの吐息さえ交わせる距離に到達。比較的装甲の薄い脇腹を狙って、ボディを放った。直撃。敵の呼気が乱れた、気がした。表情が無いから分かる訳がない。気にせず、腹を幾度となく殴りつけ、小刻みに震えている背中に肘を叩きこんだ。鼻っ柱に拳を打ちこまんと、手近にあった色素の抜けた髪を掴み上げる。

 そして目に映った、顔全体を占める、ひたすらの虚無。

 瞬間、異常なまでの脅威を感じ、ファイズは全身の筋肉を瞬時に緊張させた。だが、遅い。セイバーは不可視の愉悦を零しながら、内側でとぐろを巻いていたドス黒い魔力を、剥き出しの空洞から解き放った。

 

「ぐ――――っ!!」

 

 魔力の波濤にあっけなく吹き飛んだファイズを追って、セイバーが虚空を駆け抜ける。重力という檻に囚われて、身動きのとれなくなったファイズの上に、影が覆い被さった。

 瞬間、意趣返しのように、鉄塊のごとき蹴りが、腹部に叩きこまれた。

 

「が―――――あ゛っ!!」

 

 内臓を滅茶苦茶に撹拌されたような感覚の後、神経を巨大な電撃が貫いた。粘ついた血液が、喉奥から一挙に押し寄せてくる。鼻腔に溢れ変える濃厚な血臭。四肢が千切れ飛ぶような苦痛の嵐に見舞われているのが嫌でも分かる。

 地面に身体をめり込ませて喘ぐファイズの視界に、無造作に振り下ろされる剣が目に入った。死に物狂いで避ける。ずぶりと豆腐でも突き刺すように切っ先が厚い地盤を貫いた。そのまま斬り上げて、地面が爆ぜ、大量の礫が舞う。散弾。全身を滝のように打たれながらも距離を取る。だがセイバーは流れるように残像を残しつつ、急速に接近。噛み切るような力強い連撃を次々と見舞う。近づく空洞は、夢で見た闇にそっくりだった。捌けるか。捌かなければ、死ぬ。

 踏み込んだ、セイバー。雪白のような髪が波打ち、闇に飲まれた相貌がファイズに近づく。手を伸ばせば抱き締められるような至近距離で、騎士王は一陣の刃風となって踊り狂う。一歩間違えば自分ごと斬り付けかねない距離だったが、泥に染まった彼女は既に、目の前に立ち塞がる障害を退けるだけの戦闘機械と化していた。

 逃げた先に勝機は無い。その言葉をなぞるように、ソルメタル製の装甲に修復不可能な傷が着々と刻み込まれていく。飛沫いた泥が火花と混じって陰陽のコントラストを生みだす。鮮烈な痛み。頭蓋を狙う一撃を肘で受け止めるが、予想以上の力に堪え切れなかった。腕ごしに伝わった莫大な振動に、不意に脳の箍が大きく弛む。瞬間、軌道を変えた剣閃が胸部を深く抉った。苦悶の声。膝を崩したファイズを、巻き上がる烈風が薙いだ。天を目指すように駆け上がった刃先が、大量の火花を闇に撒き散らす。

 

「――ああッ!」

 

 苛立ちに塗れた大振りの右をかます。セイバー、全身の関節が一気に外れたような崩れ方で避けた。自分の頭の構造を疑いたくなるような軌道から、鈍く光る剣が袈裟掛けに飛来する。地面に映る少女の影は、もはや人の原型をとどめてはいない。驚愕する思考とは逆に、反射神経はきわめて冷静に間合いを詰めた。スローモーションになったかのように、ゆっくりと迫りくる剣。

 やがて、激突。

 鉄と鉄が激しくぶつかり合った音が、甲高く鳴り響き、地面に紅い飛沫が点々と散った。

 

「せん、ぱ――」

 

 噎せ返るほど濃厚な血の臭いが、あたりに漂い始めた。少女の脳裏に、両断された少年の血だらけの姿が否が応でも克明に連想され、心の底からどす黒い絶望が百足のように這いあがってきた。じわじわと胸が焼けるように痛む。アーチャー、バーサーカー、ライダー、そしてセイバー――あらゆる強者達が与えた苦痛にも耐えてみせた膝が、自分でも驚くぐらい、簡単に崩れ落ちた。

 相貌にへばりついた深淵を喜悦に歪ませたセイバーは、次なる獲物を狩らんと剣を引いたが、巨大な巌に喰い込んだようにびくともしない切っ先に、わずかな困惑の色を見せた。

 

「――よくも、やってくれやがったな」

 

 膨れ上がった戦気に、セイバーは自らに生じた致命的な隙の存在を認めた。

 ファイズは肩で、剣の根元を受け止めていた。当然、無傷などではいられない。ソルメタル製の装甲は無残に砕け、破けた黒い生地がその下から覗いていた。すでに左半身の感覚はない。衝撃の走った身体は溶かされた鉛を浴びせかけられたように熱い。それでも、喰いとめていた。

 唇を噛み千切って無理やりに感覚を取り戻した。痛みを堪え、身体と身体の間に片足をねじり込む。咆哮。そして、思い切り蹴り飛ばした。吹き飛ぶセイバー。

 その中心部には、赤く光る円錐が、深々と突き刺さっていた。

 

 ――『Exceed Charge』

 

「倍返しに、してやる――!」

 

 疾走。

 そして舞い上がったファイズの足先に装着されたファイズポインターが、高圧力のエネルギーを内包する可視の煌めきを放った。身体中に張り巡らされたフォトンストリームを高速で駆け巡るフォトンブラッドが、徐々に鋭く収束する。胎動するソルテックレンズ。

 極まった、潮合い。

 セイバー。剣を振り上げるが、もう遅い。

 深い闇を遮るように、ファイズの身体が大きく宙転する。

 そして、渾身の咆哮と共に、必殺キックであるクリムゾンスマッシュが撃ち放たれた。

 ぶつかり合った瞬間、凄まじいまでの衝撃が生じ、鎧に弾かれたフォトンブラッドが火花を散らしながら空中で燃え上がった。手応えがない。硬過ぎる。まるで、際限なく膨張し続ける鉄の城壁に拳を叩きこんでいるような。構わなかった。目の前に立ちはだかるのなら、打ち破るまで。

 時間にしてわずか数秒の膠着。しかしファイズにとって、それは無限に続く苦難のように思えた。

 始まりには、必ず終わりが待ち受けている。

 そして、それは訪れた。

 とうとう貫くことの叶わなかった蹴撃が威力を弱めた隙を見逃さず、殆ど掬い上げるようにして、セイバーは剣を下段から斬り上げた。硝子の割れる音が儚く響き、ファイズごと打ち据えられたポインタが、地表に紅い雪片をぽつぽつと降らせる。重力の檻へと囚われた標的を、セイバーが迎え撃とうと飛び上がった瞬間、

 

「避けてっ、くださ――――いっ!!」

 

 反応できたのは、偶然に近い。

 首を捻る。それと同時に、マシュが全力で投げ放った円盾が轟音をあげながらファイズを掠めて、宙に浮くセイバーの脊椎を容赦なく叩いた。

 

 ごぎっ、と思わず耳を塞ぎたくなるような鈍い音が響き、セイバーの身体が石のように固まる。その一瞬を見逃さず、ファイズは宙に留まった円卓を手に取った。鉄特有の、重く冷めた感触が掌に力強く伝わる。それ以上に伝わる、そこに宿った何者かの強い意志が、ボロボロになった巧の身体を動かした。

 スローモーションになる世界。標的は、すでに定まっている。

 回復したセイバーが回避行動を取ろうと、身動ぎをしたその刹那。

 渾身の力が込められた殴打が、セイバーの身体を深く穿った。

 

「――――!」

 

 セイバーの身体が、木の葉が吹き上げられたような速度で虚空に放り出される。遅れて地面に落ちる音が鳴り響いた。

 危機は去った。

 だが、心臓は断崖絶壁へと追い詰められているかのように、強い拍動を繰り返していた。これ以上無いまでの恐怖を自分が覚えている事を、巧は正直に認める。あれだけの勢いで――しかも顔面のすぐ傍を――盾を投げてこられたら、当たり前の話だ。

 

「先輩っ!」

 

 心配そうに走り寄ってきたマシュを見て、巧は仮面越しに声を張り上げた。

 

「危ねえだろっ! 俺に当たったら、どうするつもりだったんだっ!」

 

 理不尽以外の何物でもない。

 まさか、怒鳴られるとは思ってもいなかったのだろう。出鼻をくじかれた形になったマシュは、納得のいかない表情を見せながらも、おずおずと頭を下げた。

 

「す、すみません……。ですが、間に合わない以上、ああするしか手立てはっ」

 

「知るかっ! もうちょっと考えろっ!! このバカっ!」

 

 あまりにも理不尽な少年の物言いに、マシュの頬が不満で大きく膨らむ。

 

「――さすがに言い過ぎですっ。私は、私にいま出来る最善を、実行しただけですっ。あそこで盾を投げなければ、先輩は死んでいたかもしれないんですよっ。ここまで文句を言われる筋合いは無いはずですっ」

 

「うるせえバーカ! バカバカバーカっ!」

 

 ここまで子供じみてるといっそ笑えてくる。

 言い争う二人の隙間に割って入るように、キャスターが姿を見せた。

 

「――痴話喧嘩はそこまでにしとけ、お二人さん。まだ、終わっちゃいないぜ。あいつ」

 

 空気を震わせながら、やがて一点に収束する、絶大な魔力。

 そして、

 すべてを解き放った漆黒の聖剣が、世界その物を震わせるような唸りを上げて、落雷にも似た光を刀身に宿した。

 急激な魔力放出に全身を着々と崩壊させながらも、騎士王はそこにいる。

 輝き過ぎてむしろ黒く見える聖剣を振りかざし、敵対者を捻り潰さんと、大上段の構えを見せた。

 オルガマリーは、今にも泣き出しそうな表情でそれを見ながら、ぼそりと呟いた。

 

「あれ――どうするつもりなの」

 

「真っ向勝負するしかねえよ。どうせ、避けられねえのは決まってんだ。はは、上等じゃねえか。なあ」

 

「俺に聞くな」

 

 平然と普段通りのやり取りを交わし合う巧とキャスターの姿に、オルガマリーの精神は今度こそ崩壊しかけた。

 

「あ――バカ!? あんな、莫大な魔力の塊、受け切れるわけないじゃないっ」

 

「受け止めるさ、いや、受け止めなきゃなんねえ――是が非でもな。じゃなきゃ、英霊の名が廃るってもんだ。そうだろ? 嬢ちゃん」

 

 向けられたキャスターの視線に応えるように、マシュは力強く頷いてみせた。

 

「はい。あの人の今の在り方は、間違っています――だから、絶対に、終わらせなければいけません」

 

「その意気だ。良いか、時間が無いから手短に説明する。宝具ってのはつまるところ英霊の本能に近い。ごちゃごちゃ考える前に、まずは全部捨てろ。何も考えんな。理性を無くせ。柵を乗り越えろ――そうすりゃ、自ずと見えてくるだろうよ」

 

「――はいっ」

 

「……良い返事だ。つくづく将来が楽しみだな、全く」

 

 その時、五体の芯まで響くエグゾーストノイズを吐き出す塊が背後に降り立った。一斉に振り向く。そこには、ずいぶん見慣れた機械人形の姿があった。

 ――バトルモードに変形していたオ―トバジンは、無機質な瞳をファイズに向けると、手に持つトランクボックス型ツールを無造作に投げ渡した。

 受け取る。冷たい鉄の質感が、装甲越しからでもありありと伝わってきた。

 赤と銀と黒が入り混じった、ひどく無機質な装飾。

 それは、ファイズ最後の強化形態への進化を可能とする――ファイズブラスターだった。

 

「お前、これ……」

 

「何これ――どうやってこんな物騒な代物送られてくるの?」

 

「宅配便、らしいぜ」

 

 覗きこんでくる少女を無視して、オ―トバジンに目をやる。こくりと、無言の頷きだけが戻り、オ―トバジンはセイバーに向かって飛翔した。

 ファイズは黄金色の瞳を輝かせながら、しばらく手の中のファイズブラスターを見つめた。紅く身体を巡るフォトンブラッド。青く揺らぐ炎。木場の最期の姿。仮面の下で目を瞑る。やがて覚悟を決めたように、バックルからファイズフォンを抜き取つ。

 

 そして、

 振り下ろされた聖剣によって、

 

「――来ますっ!!」

 

 特異点F最後の決戦の幕が、開かれた。

 

 

 

 ○

 

 

 

 衝撃は、一瞬後に来た。

 

「―――ふ、ぐ、ぐぅぅぅぅあああ―――――あああああああああっ―――!!」

 

 とっくに腕の感覚は無くなっていた。意識が切断と接続を激しく繰り返す。ぷつ、と何かが切れる音が聞こえた瞬間、突っ張った皮膚から血液が勢いよく流れ出すのが見えた。それを察知したのか、禍々しく輝く死を詰め込んだ濁流がさらに勢いを増して、すべてを飲み込もうと押し寄せてくる。ざり、と踏みしめた足が下がるのを必死にこらえた。

 歯を食い縛り、渾身の力を腕にこめる。ここで諦めれば、全員が死んでしまう。何もかもが、無為に終わってしまう。それだけは、絶対許さない。斬撃に込められた憎悪、無念、妄執を、穢れ無き円卓で死に物狂いで喰いとめる。

 

 更に、勢いが増した。

 

 最早、敵はセイバー一人ではなくなっていた。かつて聖杯に託されていた、人々の夢や憧れや願いが、無残な屍となって積み重なり、腐り果てた無限の怨嗟と化して、いまを生きている者たちを引き摺りこもうとしているのがわかる。

 脳が激しく点滅を繰り返し、どす黒いイメージを刻みつける。根元から削ぎ落とされるようにばさりと流れ落ちる前髪。斑に剥げ落ちた皮膚。薄黄緑色の膿から溢れ出る粘ついた体液。爛れた歯茎。傷口から這い出す白濁した蛆の群れ。反吐のように全身に降りかかる悪感情。まるで、世界その物が押し潰そうとしてきているような感覚。

 

 それでも、立った。

 

 戦いは怖かった。一歩間違えば、すぐそばに死が転がっているという事実に、目を向けることはとても恐ろしい。だから逃げ出したい――そう思う気持ちは、今でも変わらない。いくら英霊の力を得たとはいえ、瞬間瞬間をやり過ごすことに精一杯だった。ここまで生きてこられたのは、ほとんど奇跡に近い。

 それでも、負けるわけには、いかなかった。

 後ろに感じる少年の気配。

 顔は見えない。だがきっと、いつもの不貞腐れた表情ではなく、強い意志を宿した表情をしているはずだった。

 

 覚えている――炎の中で、手を握ってくれた事を。

 覚えている――薄れゆく意識の中で、必死に声をかけてくれた事を。

 

 

「だか、ら―――」

 

 

 そうだ、と思う。こんなところで、膝を折ってはいられない。

 立ち向かえ。

 立ち上がれ。

 このちっぽけな身が、彼のサーヴァントである限りは――――!

 

 

「宝具、展、開―――――――――――っ!!」

 

 

 淡く澄み切った白亜の輝きが、今度こそ、正真正銘の奇跡を成す。

 

 

 盾に秘められた膨大な力が瞬時に解き放たれ、大挙する光の濁流をまとめて薙ぎ払った。

 魔法のように煌めいた輝きが、大空洞を照らし出し、立ち込める暗鬱な霧を振り払っていく。

 盾を中心に生じた光の波は、やがてセイバーへと到達すると、爆発したかのように騎士の身体を凄まじい勢いで吹き飛ばした。対悪宝具。邪悪なる者を退ける、聖なる光。

 

「あっ、つ、は――――」

 

 力を一気に解放したことにより、マシュの神経はついに限界に達した。焼き爛れたようなありさまの魔術回路がひときわ大きく疼く。たえがたい痛みに呻きながら、自分の身体が地面に落ちていくのを感じた。

 それを、誰かが優しく受け止めてくれた。

 ほのかな驚きに瞬いていたマシュの眼が、受け止めてくれた誰かを――巧を捉えた瞬間、まなじりに緩やかな孤が描かれた。

 

「せんぱい――わたし、やりました」

 

「ああ」

 

 掠れた声が、虚ろに響く。巧は頷いて、震える少女の手を取った。

 

「わたし、わたし。ちゃんと、みんなを守れました、よね」

 

「ああ。守ったんだ、お前は」

 

「よかっ、た―――」

 

 少女の、心底安堵した声。それが宙に溶けた時には、少女の意識は途絶えていた。

 巧は、無言のまま、少女をそろそろと地面に置く。

 そして、ファイズフォンを、ファイズブラスターに装填する。

 

 ――『Awakening』

 

 鳴り響く、電子音。

 

 同時に、キャスターは杖を振り上げて、詠唱を開始した。

 

「――我が魔術は炎の檻、茨の如き緑の巨人。因果応報、人事の厄を清める社―――」

 

 セイバー側に片寄っていた魔力が、じわじわとキャスターに収束する気配を見せる。大気その物が凍りつくような、圧倒的なまでの密度。やがてそれが胸の内で明確な形を成した瞬間、キャスターは己が身に宿る唯一無二の宝具への使用を淀みなく宣誓した。

 

「倒壊するは、焼き尽くす炎の檻(ウィッカーマン)―――!」

 

 地響きと共に飛び出した、炎を纏った樹木の巨掌が、セイバーを握り締めた。凄まじい勢いで地面を抉って飛び出した手はやがて無数の枝が絡まる太腕へと続き、太腕は牢屋めいた様相の胸元へと続いた。救いを求める亡者の如く伸ばされた腕。やがて、全身から土煙をあげて立ちはだかった、藁人形めいた姿の火炎の巨人。かつてドルイドの儀式において、神への供物を捧げる為に製造された人型の檻――それこそが、クー・フーリンが持つ宝具――焼き尽くす炎の檻(ウィッカーマン)である。

 掌で蠢く、神に捧げられる運命に陥った生贄を見て、ウィッカーマンは狂人のごとき歓喜の雄叫びを上げる。そして永遠に封じ込めようと、胸元に収まった牢屋に、高速で腕を叩きこんだ。まとわりつく紅蓮が、ウィッカーマンを包み込み、

 その中で一際輝く、黒い流星。

 解放されたセイバーの聖剣が、キャスターの宝具を粉々に打ち砕いた。

 

「ぐ―――ッ!」

 

 フィードバック。瞬間、キャスターの魔術回路を耐え難い痛みが奔り抜けた。聖杯からの莫大な魔力供給を得ているが故にできる、完全な力業。このバケモンが――! 再起不能なまでに切り裂かれた回路で、即座に立て直すことはできない。積み重なった木々を吹き飛ばして、セイバーが迫る。

 回避不能。聖杯戦争における最後の勝者が、淡々と裁決されようとした刹那だった。

 

 

 ついに、

 

 

 ――『Standing By』

 

 

 真紅の救世主が、舞い降りた。

 

 

 

 〇

 

 

 

 煙から飛び出した赤色の拳が、セイバーの装甲を粉砕した。

 唐突に胸に突き刺さった今までに無いほど巨大な衝撃に、セイバーは思わずたたらを踏む。反撃を繰り出そうと試みるが、砂塵を透かして伝わる莫大な威圧感に、騎士王は思わず足を止めた。泥を被って使い物にならなくなったはずの直感が、息を吹き返したように早鐘を打つ。目の前にいるのは、自分を滅ぼし得るナニカだと──

 

 そして、ゆっくりと、それは姿を現した。

 

 眩く光るアブソリュートラング。全身を覆い尽くすのは高密度のフォトンブラッド。身体を駆け巡るフォトンストリームは、完全遮断を意味する漆黒の血脈――ブラックアウトストリームへと変化している。

 超金属の仮面の騎士、ファイズの強化最終形態――ブラスターフォームが、ここに降臨した。

 

「■■■■―――!」

 

 はじめて、セイバーが声を出した。聞くだけで神経が腐っていくおぞましい声色に、巧は欠片も怯まなかった。

 最初から、返す言葉は決まっていた。

 

「――行くぞ」

 

 地を蹴って加速。一瞬にして距離を詰める。先ほどまでとは段違いの速度に、セイバーの反応が遅れた。その隙をついて、抉り込むような拳が、胸に放たれた。そして間を置かず、右。左。右。轟音を纏う怒りの拳が唸りを上げて、セイバーの身体を所構わず破壊していく。だが、無傷で終わるとは思っていない。降らせた拳の数に勝るとも劣らない、斬撃の豪雨が飛来する。避けられない。いや、避けるつもりなど、端からありはしない―――!

 フォトンを込めた紅蓮の拳が、泥の甲冑を打ち据え、呼応するように邪悪な魔力がこめられた泥色の剣が白銀の装甲を切り裂く。

 

「づぅ、あああぁ――――ッ!」

 

 ファイズは雄叫びをあげて肩口に飛来した聖剣を受け止めると、至近距離にある、幾度となく狙い続けた鳩尾に、渾身のアッパーを叩きこんだ。

 めキめキめキと肋骨を砕いた感触が、鎧越しに伝わって来る。だが、痛覚はやはり存在しないのか、セイバーは無視してファイズの顔面に強烈な殴打を加えた。アルティメットファインダーにヒビが入る。しかしその時には既に、ファイズの足がセイバーの鳩尾に減り込んでいた。お互いに距離をとった形。顔を上げ、拳を構えた瞬間には既に、相手も同じ行動を取っていた。

 咆哮。

 紅と黒の拳が空中で衝突し、フォトンと泥の衝撃波が辺りに舞い踊った。クロスカウンター。仮面越しに鼻血を拭って、思う。上等だ。手首を軽く振る。そして、右足を一歩出す。フェイント。敵も釣られるように接近。わずかな沈黙。それから地を蹴った。蹴りながら、横へ跳んだ。すれ違いざま、敵の腹に膝をぶち込む。セイバーの身体がくの字に折れた瞬間、無防備に露呈した右脇腹に、殆ど全身で殴りつけるが如き、大振りの右フックがまともに直撃した。

 

「―――――ッ!!」

 

 拳が、完全に砕け切った音。

 苦悶の叫びは、どちらのものか。いや、どちらでも良かった。俺が、こいつが苦しもうが、そんな事はどうでもいい。

 だが、と思う。

 こんなところで、あいつは死んではいけない。

 なけなしの勇気を振り絞り、一歩間違えば死ぬかもしれないという恐怖を抑え込んで、巧たちをその身一つで守り切ってくれた、少女。

 強く、思う。

 この俺が、アイツのマスターだというのなら。

 サーヴァントに報いず、どのツラさげて生きていけるというのか――――!

 

「おおおおおおおおお――――!!」

 

 もう一度、倒れるような超低空姿勢で、地面からを斥力をあまねく貪り尽くす。見える、拳の軌道。重ねた。直撃が確定。意志に呼応したブラックアウトストリームが、大きな唸りを上げる。

 叫びながら、拳眼に全身の力を集中させた。

 とどめだ。 

 抉り込むように放たれたそれは、鎧を完全に砕いて、セイバーを遥か上空に打ち上げた。

 転がっていたファイズブラスターにコードを入力する。5246。

 

 ――『Faiz Blaster Take Off!』

 

 瞬間、左右四門のフォトンフィールドジェネレーターにより、フォトンフィールドが発現。ファイズブラスターは、高く飛翔した。

 狙いは、とっくに決まっていた。迷うはずがなかった。視線の先に、敵がいる。虚空を切り裂きながら、更にコードを入力した。5532。

 

 ――『Faiz Pointer Exceed Charge!』

 

 足に装着されたファイズポインターに莫大な量のフォトンブラッドが流し込まれる。用が済んだファイズブラスターを投げ捨てると、ファイズは紅い閃光を纏いながら、一直線にセイバーへ進んだ。

 荒れ狂う烈火の輝きが、闇を切り裂き、光をもたらす。

 間近に迫る、漆黒の甲冑。

 迸る赤色の落雷。

 全てを右足に注ぎ込み。

 そして、

 

 

 

 朝焼けにも似た暖かな光が、辺りを一瞬で埋め尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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