Fate/Φ's Order   作:うろまる

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まだまだ平成は続くので初投稿です。そして序章がようやく完結…CMの後は、序章を完結させるのに一年ぐらい掛けたおバカなうろまるにみんなでフォトンブラッドを打ち込もう!

前回までの簡単なあらすじ:泥セイバーをボコボコにした

所長の最期をちょっとだけ変更しました。よろしくお願いします


第十二節「生誕」

 

 

 分厚い岩盤が幾重にも重なった大空洞の天井を、いとも容易く貫いてみせた真紅のフォトンブラッドは、深く昏い闇に包まれた柳洞寺一帯を、赤く眩く照らし出した。

 

「──」

 

 その輝きを、見つめる不吉な影が一つ。

 中天に座した月と淡い夜に染まった空を隅々まで覆い隠す黒雲と同じ高さにある影は、闘争の気配が満ちるこの都市にいながらも、世界への悪意と害意を欠片とも隠そうとはしていない。それも当然だった。彼の影──視界に映る全てを見下すかのように空に立つその男こそ、この世界の理から最も外れた存在であり、時と空間を越えた玉座に座した王が送り込んだ尖兵なのだから。

 通りすがりに踏み潰した蟻の心身をいちいち斟酌しないように、男──レフ・ライノール・フラウロスにとって、この短くも長い夜に起きた惨劇は、たった瞬き一つで忘れてしまえる程度でしかなかった。そこにどんな決意が、苦痛が、信念が、絶望が、希望があろうとも、どうせ最期にはすべて燃え尽きてしまう物に、一体どう価値を見出せばいいと言うのか──?

 ゆえにレフは、この特異点における虎の子であり、唯一の懸念材料でもあったセイバーの巨大な気配が、跡形もなく消滅したことにも揺らがず、鼻歌交じりにゆっくりと地上に降り立った。そして、古ぼけた時の臭いが染みついた柳洞寺への石段を、一歩一歩踏み締めるように登っていく。

 盤面の終局は近い。残る英霊は、あと一騎。そして、この歪な聖杯戦争において、唯一の勝者となり得る資格をついに手に入れた異形が──

 知らず、哄笑の形に頰が歪んだ。どうにか抑えようと口元に手をやるが、とうとう堪え切れなかった笑いが口の端から漏れ出してしまった。漣めいた笑い声は次第に、辺りを覆い尽くさんばかりの大音声へと変わる。脳髄を掻き毟るかのような響きを持って、声はどこまでも低く、どこまでも不吉に、あたりを震わせ続けた。

 

 

 ○

 

 

 雨が降っている。

 乾巧は、その雨が誰かの涙だということに、口の中に入った瞬間に広がった、微妙な塩辛さで気づいた。

 

「つ──う」

 

 意識を取り戻した途端、鈍い痛みが慌ただしく走り回り始めて、眉間に深いシワが寄った。情けない呻きを漏らしつつ、のろのろと実体を取り戻していく世界を、ぼうっと眺めた。雲の代わりに岩を敷き詰めた暗い空、鼻腔を舐める錆臭い血の香り、手を伸ばせば届く距離にある、金色のぼやけた二つの月──それが自分を見下ろす誰かの瞳だと気づき、巧はようやく、自分と取り巻いている状況を思い出した。

 カルデア、サーヴァント、特異点、聖杯戦争。

 燃える都市、瓦礫に潰された少女、自分ではない自分。

 全部、夢ではなかった。

 

「──ふじ、まる?」

 

 巧の目に光が戻ったことに気づいても、まだその光景を信じることができないとばかりに、オルガマリーはぱちぱちと瞬きを繰り返している。それがとんでもなく間抜けに見えて、巧は思わず笑顔を浮かべた。頰の深い切り傷が痛んだが、それでも笑った。

 

「なに、泣いてんだ、お前。バカみたいに」

 

「……っる、さいっ! それにっ、バカって、あ、あなたの方がっ、バカみたいなことばっかりして……心配かけさせてばっかりで……!」

 

 感情が昂り過ぎたのだろう。オルガマリーは、取り繕っていた外面もへったくれも無くして、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら巧の胸を叩いてくる。死ぬほどみっともないが、出会った頃に張りついていた、常に急き立てられているような顔よりはよっぽどマシだと、巧は思った。

 それでも涙と鼻水で濡れたシャツの感触と少女の体重がかかって痺れてきた胸で、さすがに鬱陶しくなってきた。巧は地面にへばりついて怠けている腕をどうにか叩き起こし、少女をどけようと試みる。しかし、接着剤で貼りついているかのように、オルガマリーは動かなかった。

 

「おい……」

 

「な゛に゛よ゛っ゛!!」

 

 露わになった般若の如き形相に若干引きつつ、巧は淡々とした調子で要望を伝える。

 

「いい加減、どけって。重いんだよ」

 

「うる、さいっ! どうせいま動いたってお荷物にしかならないんだからっ、しばらくわたしのハンカチ代わりにでもなってなさいよこのバカっ!」

 

 言ってることが無茶苦茶だ。

 多少乱暴にでも引き剥がすか──と一瞬思案したが、ヒステリックに陥った目の前の少女が、死ぬほど面倒な生き物へ変わることを重々承知していた巧は、とうとう諦めたかのように力を抜いた。大きなため息を空中に吐き散らかしながら、もう一度目をつぶる。心地のいい暗闇が、ゆっくりと脳に染み渡っていく。

 

「──疲れた」

 

 今はただ、それだけが全てだった。

 

 

 

 女に肩を貸される趣味はない。

 そう駄々を捏ねて頑なに動こうとしなかった巧であったが、焦れた挙句の果てに簡易な身体強化の魔術を行使したオルガマリーに片腕で担ぎ上げられた瞬間に、ぽっきり折れてしまったのだろう。不満を垂れ流しつつ、巧は大人しくオルガマリーの肩を借りて歩いていた。

 

「……ちょっと、藤丸。肩を借りるにしても、もうちょっとちゃんと歩けるんじゃないの? まさか、足の骨が全部砕けてる訳じゃないでしょうに」

 

「寄り掛かれっつったのはお前だろうが」

 

「それにも限度があるって言ってるのっ! ……もうやだ、あなたと話してると無駄に体力使うわ」

 

 そうやって不機嫌さを露わにしても、オルガマリーは決して自分の肩に置かれた巧の腕を手放そうとはしなかった。激しい憤りが、巧の脳を赤く染めていく。

 巧の今の身体は、かつての身長よりもいくらか低い。

 だが、巧のすぐそばにある少女は、それよりもずっと小さく、細かった。その奥に隠されている内面も、決して強くはないだろう。

 血塗れた打算と欲望が周囲を取り囲む中で、見下されないために、侮られないために、臆病で泣き虫で弱々しい自分を押し殺すために、全身だけでなく心の中にも敵意の棘を生やしながら、必死になってかき集めた意地を張りながら生きてきた──オルガマリー・アニムスフィアがこの十数年の間に辿ってきたそんな道筋のにおいを、無意識のうちに巧は嗅ぎ取っていた。ゆえに、腹が立った。そんな存在を杖にして縋りつかなければ立てないほど弱った自分が、ひどく腹立たしかった。

 裡に蔓延る、どうすることも出来ないそんな苛立ちを前に巧は黙ることしかできない。男のそんな様子をどう捉えたのだろうか、オルガマリーは気に喰わなさそうに小さく鼻を鳴らした。

 

「──まだ文句を言うようなら、もう一度持ち上げてあげるから。なんなら、お手玉でもやってあげましょうか?」

 

「……」

 

「……何よ、すっかり静かになっちゃって。そうやって殊勝に反省の意を示せば、許されるとでも思ってるわけ? はっ! さすが一般人は精神の緩み具合がずば抜けてるわね」

 

「……なあ」

 

「な、なに」

 

 さすがに言い過ぎたという自覚があるのか、びくりと肩を震わせながら、オルガマリーは巧の横顔を恐る恐ると窺う。しかし巧は一切気にすることなく、いつもの乾き切った声で少女に尋ねた。

 

「これが終わったら、お前はどうするんだ」

 

 罵声の一つでもぶつけられると覚悟していたのだろう。安堵よりもむしろ拍子抜けしたかのような声色で、オルガマリーは答えた。

 

「……別に、あなた如きに心配されるようなことなんて無いわよ。そりゃあ、凍結保存やら内部犯行やら問題が山積みだけど……どうせ、誰も助けてくれないんだもの。だったら、せめてわたしだけは引き下がるわけにはいかないわ。アニムスフィア家の当主として、父さんの遺志を受け継ぐ者として、なによりも、一介の魔術師として──自分の不始末は、自分でつける」

 

 少女の堅く引き締められた唇が開き、そんな言葉が漏れ落ちた。一見気丈そうに見えるそれに、強がりが混じっていると分かったのは、回した腕に微かな震えを感じたからだ。巧は、とうとう我慢ならなくなって、普段は硬く封じ込めている心の声を、つい溢してしまった。

 

「死ぬなよ」

 

「は?」

 

 唐突なそれに、珍妙な生き物を発見したかの如き視線が深々と刺さる。しかし、ここまで来て撤回するわけにもいかない。巧はほとんどヤケクソで、自分の内心をゆっくりと吐露していく。

 

「今、思い出した。お前には、橋ん時に借りを作ったまんまだ──だから、死ぬな」

 

「……あのね。あなた、心配する方向が、まるっきり見当違い過ぎるのよ。とっ捕まえられて拷問されたりなんてしないわ。精々が査問か、監査官をつけられるか……確かにキツいっちゃキツいけど、藤丸みたいな大馬鹿に付き合わされたあれこれに比べれば、なんてことないわ」

 

「……馬鹿って、言うな」

 

「ふん。この先、何度でも言ってやるから。ばか、ばか、ばーか」

 

 自分から言い出したくせにひどく照れ臭そうにする男の姿がどうにもおかしくて、オルガマリーは半笑いながら軽い痛罵を繰り返していたが、しばらくすると片掌で自分の口を隠した。なぜか緩みが止まらない。ひくひく、と痙攣し続ける頬を必死に抑える。触れた肌は、焼けたように熱っぽい。寒さに凍えた身体のすぐそばで火を灯されたように、落ち着く暖かさが染み渡る感覚が波紋のように広がっていく。

 

 ──ああもう、なんだってのよ!

 

 ぎゃあぎゃあと言い合っている内に、いつの間にか抜け出したそれは、虚空に溶けて消え去ってしまったが、出来ることならもう少しだけ感じていたかったと、オルガマリーは密かに思った。

 

「なにニヤついてんだ……気持ち悪ぃ」

 

「うるっさいこのバカ藤丸っ!」

 

 台無しである。

 

 

 〇

 

 

「──先輩っ!」

 

「──よお、坊主。まさか生きてるたぁ驚きだ」

 

 面白いほど息の合わない二人三脚をしながら、どうにか合流を果たそうとしている巧とオルガマリーに気づいたマシュとキャスターは、一方は気遣いと微かな怒気を、もう一方は深い驚嘆とあからさまな愉悦をもって彼らを出迎えた。

 キャスターに断り、慌ててこちらに駆け寄ってきたマシュを見たオルガマリーは巧の腕をゆっくり外すと、肩を解すように回しながらキャスターの元へ向かっていく。交替するように巧の前に辿り着いたマシュは、荒れた息を数秒で整えると、開口一番虎のように吠えた。

 

「──先輩の、あんぽんたんっ!!」

 

「……」

 

「とんちんかんっ、唐変木っ、ぶきっちょっ、おたんこなすっ、ええと……猫舌っ、ツンデレっ、むっつりっ、えとえと……先輩っ、先輩先輩先輩せんぱいっ」

 

 先輩は悪口じゃない。

 それからしばらくの間、マシュは自分の思いつく限りの悪態を舌足らずに吐き出し続けていたが、数秒と経たない内に悪口のボキャブラリーが尽きた為だろう。罵倒のばの字も保てていない有様に、巧は途中で止めようかと思ったが、口を出すと余計にややこしくなりそうなので黙って見届けた。

 

「気は済んだか」

 

「……本当は、まだまだ言いたいことがたくさんあります。けれど、それよりもわたしは、先輩が生きていてくれたことの方がどうしようもなく嬉しく思ってしまうのです──改めて、言わせてください。お帰りなさい、先輩」

 

 恥ずかしくないのか、と思う。

 だが巧は、マシュの言動をいつものように笑い飛ばせなかった。ここまで明け透けに物を告げられてしまうと、逆に自分の方がむず痒さを覚えてしまうらしい。

 いっそ無遠慮と取れるほど真っ直ぐに刺さってくる、真摯な光に濡れた視線がやけに眩しくて、巧は視線を逸らしながら開きにくそうにモゴモゴと動かしていた口を開けた。

 

「世話、掛けたな」

 

 少女ははにかみながら、男の言葉に頷いてみせた。

 

「……わたしは、先輩のサーヴァントですから、これぐらい何ともありませんっ。──いえ、あのような無茶をされると、さすがに怒りますが。というか、まだ怒ってるんですからねっ」

 

「謝ったんだから、もう良いだろ」

 

「それとこれとは話が違うんです! いくら先輩が強いと言っても、あんな戦い方ではどれだけ命があっても足りないように僭越ながら思いますっ! 大体、」

 

 人差し指を立て、クドクドと立て板に水を流すようなお小言が、巧の耳へと入り込んではサラサラと流れていく。

 あーうるせぇ。こいつやっぱ面倒くさいなと、心底から思った。

 

 

「──痴話喧嘩は済んだかよ?」

 

 ニヤつきながら杖で肩を小突き回してくるキャスターに肘を入れた──当然の如く避けられたが──巧は、光る粒子をあたりに撒き散らしながら、ゆっくりと宙に身体を溶かしていくセイバーを見下ろした。

 顔を包み隠していた泥はフォトンブラッドの余波で一滴残らず蒸発しており、暴君の道を選んだ騎士王は、少年と少女の狭間にある中世的な容姿を曝け出していた。陶器のように白い肌はまさしく死人のそれである。硬く閉じられた目蓋から伸びた睫毛と同様、色素の抜けた淡い蜂蜜色をした髪は、闇の中にあってなお薄い輝きを放ち続けていた。

 鴉羽色の甲冑は、聖杯の泥による半強制的な魔力解放と巧たちの決死の猛攻によって、目に映る範囲全てに細やかな罅が刻まれていた。その胸部が微かに上下したのを見て取った巧の手が、ファイズフォンを握り締めたまま、電撃を流されたように跳ね上がりかけ──それをキャスターが容易に抑えつけた。

 

「よせ。仕留め切った獲物に脅えて追撃するなんざ、素人のやることだぜ」

 

「……」

 

「安心しろ。コイツに立ち上がる力はもう残ってねえよ──なにせ、ついさっきまで泥人形も同然だったんだからな。作り主に飽きられたら地面に還る定めってやつだ。誇りを失った英霊にしちゃあ、随分と上等な末路じゃねぇか──ええ? セイバーさんよ」

 

「……ふ。キャスターになって、少しはマシな口を利けるようになったのか。アイルランドの光の御子よ」

 

 憑き物が落ちたかのように整然とした目つきのまま喋り出したセイバーに、キャスターは驚きを隠せなかった。どんな事態に陥ろうと常に一定の静けさだけは保っていた男の目が、一瞬揺らぐ。それで少しは鬱憤を晴らせたらしく、セイバーは鉄面皮に指摘されなければ気づかないほど小さく笑った。

 

「んだよ……喋れるんなら先に言えっての」

 

「不愉快だが、何を語っても見られている。ならば、案山子に徹した方がよかった……のだが、それも最早、無意味か」

 

 警戒するような響きに、キャスターは訝しむ。しかしセイバーはそれ以上を語ることなく、どこか自嘲するような響きのまま、淡々と話し続けた。

 

「防人である私は打ち倒された。ゆえに、この特異点は崩壊し、そして聖杯は、いずれ最後の勝者となる貴方たちの手に渡るだろう……ふふ。己が執着に傾き続けた結果が、これか。結局、どう運命が変わろうと、私ひとりでは同じ末路を迎えるという訳だ」

 

「なあオイ、セイバー。テメェ、何を言っていやがる? いや──()()()()()()()()?」

 

 粒子化が進み輪郭がぼやけ始めた少女に、キャスターは躊躇なく杖を突きつける。しかしセイバーは欠片も怯まず、むしろ問い返すように、黄金の瞳をキャスターに刺した。

 

「いずれ、貴方も知る。グランドオーダー──聖杯を巡る戦いは、まだ始まったばかりだという事を」

 

 そこで言葉を切ると、セイバーは並び立つ巧とマシュを見やった。目が合った事に気づいたマシュは唇を決意の形に噛み締めると、決して逸らすことなく真っ正面から、騎士王の視線を受け止めた。

 

「──生き恥を晒してしまう機会を無くしてくれたようで、感謝します。名も知らぬサーヴァントとマスターよ」

 

「──セイバー、さん」

 

 セイバーの表情が、ふと緩む。まるで、故郷にようやく帰り着けたような旅人のようだと、マシュは思った。

 

「貴方たちの旅路が、どのように終わるのか──私は推し量れません。ですが……その宝具を持つ貴女ならば、きっと、追い求めた物を必ず手にできるでしょう」

 

「わたしは……わたしはきっと、一人ではこの宝具を使いこなせませんでした。先輩や、所長、キャスターさんが一緒にいてくれたから──それに、貴方が立ち塞がってくれたから、わたしは、守るべき物を、ちゃんと見つける事ができました……ありがとう、ございます」

 

 マシュは、傷だらけの身体をおして、頭を深く下げた。セイバーは呆気に取られていたが、やがてクスクスと、可笑しそうに声を上げた。そして、澄み切った瞳を天井へ向ける。

 

「ああ──貴女が、最期の相手で良かった。本当に、本当に──」

 

 決して届くはずがない星を追い求めるように、空に手を伸ばしたまま、

 サーヴァント・セイバーはようやく、辿りつくべき結末を迎えた。

 

 

 〇

 

 

 セイバーとの別れを経て、巧たちは、ついに聖杯の元へと辿り着いた。

 聖杯は、禍々しくも昂然たる絶大な魔力を宿した光を湛えて、血みどろの闘争の果てに生き残った最後の一人を待ち望んでいたかのように深く聳え立っていた。超抜級の魔力を、際限なく垂れ流し続けるそれに改めて驚嘆を示す少女たちを尻目に、巧は一人、気に喰わない、と舌打ちしかけて口の中に押し留めた。

 オルガマリーから又聞きした、聖杯戦争という響きが、そもそも嫌いだった。己の願いを叶えるためにまったく見ず知らずの人間と――あるいは顔見知りと――殺し合うなど、はっきり言って頭がどうかしているとしか巧には思えない。

 オルガマリーの話を、思い出し続ける。もし魔術と名のつく全てが、本当に等価交換の法則で成り立っているというのならば、何の対価もなく一方的に呼び出された聖杯が、一方的に願いを叶えてくれるなどさすがに都合が良すぎる。

 だから恐らく、喰らうのだろうと思う。

 何を喰らうのかは、事情を知らない巧にはよく分からない。ひょっとすれば、ただの考えすぎなのかもしれない。

 だが、破壊と殺戮を前提に願いを叶える怪物が望むモノには、嫌というほど心当たりがあった。

 

「先輩? ……どうかしましたか? 具合でも悪いのですか?」

 

 顰め面で黙ったままでいる巧の顔を、マシュが心配そうに覗き込んでくる。なんでもねぇよ、とおざなりに手を振りながら答えると、いまいち納得がいかないような顔をしながらも、少女は大人しく引き下がった。

 

「で……どうすんだ、これから」

 

 光を見上げるオルガマリーに問いを投げかける。顎に手を当てて何がしかを考えていたオルガマリーは我に返ると、そうね、と一端前置きして、

 

「取り合えず、聖杯を回収するわよ。そうすれば、この異変は解決する――でしょ、キャスター」

 

「ああ。それはこのオレも、例外じゃねえ。本当なら、セイバーの野郎をブチのめした時点で消えてなきゃおかしいんだが……お前らの旅を最後まで見届けられるってことで、ま、役得だな」

 

「ほんっとうにアバウトね……けど、一応、お礼は言っておくわ。色々、あ……ありがと」

 

「……クッ」

 

「――ニヤニヤ、すんなあっ!! マシュも笑わないっ! そこっ! 藤丸もっ、なに口押さえてんのよムカツクわねアンタってやつは本当にっ!!」

 

 あまりの羞恥にぎゃあぎゃあと理不尽に喚き出したオルガマリーと、それを面白がって揶揄うキャスターからそろそろと距離を離しつつ、巧は促すかのように首を横に振った。

 

「さっさと行けよ」

 

「え……わたしが、ですか」

 

「お前以外に、誰がいるってんだ」

 

「で、ですが……クー・フーリンさんが……その、適任なのではないかと。この都市で起きた異変に最初に立ち上がったのは、私たちではなく、彼ですから」

 

 マシュは戸惑いながらキャスターを見やる。獲物を見つけた女豹が如く追いかけ回してくるオルガマリーから逃げ続けていたキャスターは、不意に足を止めると、不敵に笑いながらしっかと頷き返した。

 

「いいや。今回の功労者は、文句なしに嬢ちゃんだ。セイバーの野郎が正気を失っていたとはいえ、あの聖剣の一撃を真っ向から受けきった……誰がどっからどう見ても、一人前の立派なサーヴァントさ」

 

 立ち止まったキャスターの肩に鼻をぶつけたオルガマリーも、我に帰った様子で、いまいましそうにキャスターを押し退けながら答える。

 

「不要な謙遜は辞めなさい、マシュ。あなたとあなたの宝具は、わたしたちをあのセイバーの宝具から最後まで護り抜いた。それは誰にも否定できない事実――だったら、誰よりもあなた自身が、その価値を認めてやらなきゃならないのよ。そうでなきゃ、守られたわたしたちの立場が無いでしょう」

 

「ほんっと素直じゃないな、お前」

 

「アンタはまだこれから先わたしの下について馬車馬のように働くって自覚が足りてないようね……!」

 

 三人の後押しを受け、それでもマシュは少しだけ躊躇った。自分ひとりだけでは、きっと今の状況には至れなかったと心の底から思う。自分はいわゆる未熟者で、キャスターがいなければ抗う術を、オルガマリーがいなければ目指す先を、マスターが――藤丸立香がいなければ、戦う導を見つけられなかったままだった。

 それはこの先も、きっと変わらないだろう。

 迷って、躓いて、膝を折ってしまうこともあるかもしれない。

 けれど。

 

『貴女が、最期の相手で良かった――』

 

 消えゆくセイバーが言い残した言葉が、頭の中でわんわんと反響を繰り返す。

 だからこそ、大切な物を守っていくために。

 この先の道を、立って歩いていくために。

 受け継ごうと、思った。かの騎士王が遺した物を。

 

「分かりました。わたしが、この特異点を……終わらせます」

 

 覚悟を決めて、そっと光に手を伸ばして――

 

「――いいや、まだ終わっていないさ」

 

 背後から響いた声が、全てを絶望に叩き落とし、何もかもを無為に終わらせる為の、悲劇の幕を開けた。

 

 

 

 ●

 

 

 

「こ――!」

 

 一番最初に反応を示したのは、キャスターだった。決して近づけてはいけない「ナニカ」がこちらを――正確には聖杯を目指して――近づきつつある。ある程度の距離が残った時点で気づけたのは僥倖か。後ろ手で残り少ない魔力を編みながら、全速力でルーン文字を刻んでいく。発現すべきは死を司る師匠より授けられた、18の原初のルーンを全て使用する絶技――大神刻印。総身から絶大な魔力が立ち上り始める。15まで刻んだ時点で全身の魔術回路を焼き切らんばかりの苦痛が走ったが一切無視。内蔵から溢れ出ようとする粘ついた血を死ぬ気で嚥下し、17個目のルーンを描こうとした次の瞬間だった。

 

 暗闇から這いより出た触手が、キャスターの霊核を正確無比に貫いた。

 

「ぐ――が、げ、えぇ」

 

 激痛に思わず情けない声が漏れる。史実によると、彼は生前に彼自身の武器によって命を落とし、その際に傷口から飛び出た臓物を体内に戻した後に、石柱に己の身体を縛りつけてから死んだ――という壮絶な伝承が残されている。しかし、今なお全身を貫く痛みを前に、クー・フーリンの精神は半ば発狂しかけていた。白い点滅を繰り返す視界。痛みには、慣れているつもりだった。少なくとも、それだけでは決して足を止めないつもりだった。だが、この存在その物を揺さぶられるような痛みは、何だ――!?

 疑問と狂気と憤怒が思考の回廊を絶え間なく行き来する中で、それでもクー・フーリンは血塗れの指を震わせながら動かしていく。目的はたったひとつ、最後に残った原初のルーンを刻み、この短時間の間にできた目の前の連れ合いを、最後まで守り抜くため――キャスターの隠し名を持って現界した自分に、死に体でも戦闘を続行できるような技術は生憎と備わっていない。しかし立ち続けた理由は恐らく、ひとえにクー・フーリンという男が生前も死後も永遠に持ち続けるであろう、英霊としての意地に違いなかった。

 だが、

 

「下らない――実に下らないな、クー・フーリン。凡百の英霊が、今際の際に張る意地など……眠りにつく幼子の駄々にも等しいよ」

 

 見下すように、蔑むように、心底つまらなそうにそう呟いた影は、手のひらを緩く握り締める。

 たったそれだけで、

 

「――ク、ソ」

 

 サーヴァント・キャスターの霊核は完全に砕け、同時にキャスターの存在も、この特異点から一瞬で完膚なきまでに消え去った。

 

「な――」

 

 突然の呻き声に訝しんで振り向くが、いつの間にか姿を消していたキャスターに呆気に取られるオルガマリーのすぐ横を、影は音もなくすり抜けた。オルガマリーにつられるようにして後ろを見た巧たちも、やはり気づかず。

 デミ・サーヴァントとオルフェノクの超感覚ですら感知できないその影は、聖杯の前に陣取るや否や、ぱち、ぱち、ぱちと、耳障りな拍手を打ち鳴らし始めた。

 

「おめでとう、カルデアの諸君――君たちは見事、この特異点の攻略を果たした。いやはや、全く計画の想定外で――同時に私の許容外だ」

 

 世界を軋ませるような声だった。

 常人ならば、耳にするだけで精神を擦り潰しかねない声は、そこまでの声量ではないにも関わらず、大空洞全体を容易く覆う。最初に顔を戻したのも、やはりオルガマリーだった。

 

「――」

 

 光の柱の前に立ち尽くしていたのは、深い緑を基調とした服装で全身を整えた、柔和な笑みを浮かべた男だ。その一見温和そうに見える物腰の奥には、一個人を規律で正し集団へとまとめあげる為の力強さを隠していて、閉じた目蓋の下には理知的な双眸が穏やかに佇んでいる事を、オルガマリー・アニムスフィアはよく知っていた。

 知らない訳が、なかった。

 

「――レ、フ?」

 

「やあ、オルガ。相も変わらず息災そうで何よりだ」

 

『レフ――レフだってっ!? まさか、あのレフ・ライノールかいっ!?』

 

 元凶であるセイバーを倒した事により、通信機能が復活したのだろうか。しかし、そんな事を欠片も気にせず、言葉の端々に大きな焦りと戦慄を滲ませながら通信機越しに叫んだロマニに、オルガマリーは歓喜を抑えきれない様子で叫び返した。

 

「ええっ! そうよっ、レフよっ! ああ、きっと彼も生身のままでレイシフトしたんだわ……っ! そしてわたし達を、助けに来てくれた……っ!」

 

「待ってください所長っ! アレはわたし達の知っている教授とは何か……っ」

 

 駆け寄るオルガマリーをどうにか止めようとしたマシュの手は、届かなかった。オルガマリーは目端に涙を滲ませながら、レフの元へ近づいていく。

 

『そんな馬鹿な……あり得ない……そんな事が、そんな事があり得る筈がない……っ!』

 

「なにバカなこと言っているのよっ!! あんたには、今ここにレフがいるのが見えてないのっ!?」

 

『僕にも見えているからこそ、言っているんですよ……! だって、彼は――レフ・ライノールは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「え――」

 

 ロマニの言葉に少女は足を止め、男は嘲笑を吐き出した。

 

「その通り。カルデアで君たちと長いあいだ苦楽を共にしたレフ・ライノールは、爆発に巻き込まれて死んだ。その果てに、今の私が生まれたのさ――レフ・ライノール・フラウロスが」

 

 大きな拍手が、高らかに鳴り渡る。そして、あと一歩の所で男に触れられる距離にいたオルガマリーが、唐突に宙へと浮かび上がった。

 

「やっ――なに、これ。レフ、ねえ、レフってば! ちょっとっ! ねえっ!!」

 

 自分の身に何が起きようとしているのか把握できず、ひたすら藻掻く事しかできないオルガマリーは、眼下のレフに向かって白い手を伸ばし続ける。しかしレフは一瞬の一瞥をくれたのみで、それ以上の干渉をしなかった。

 人質を取られたような物だった。レフは、下手に身動きできず立ち止まるしかない巧とマシュを見ると、場違いな朗らかさを二人に向けた。

 

「いや、はや、カルデアの諸君。君たちがここまでやるとは――まさしく計画の想定外で、同時に私の許容外だ。どいつもこいつも、統率のなっていないクズばかり……いい加減に、耐え切れなくなってきたよ。その醜さに」

 

 レフは絡ませ合っていた両手を解くと、固まっていたマシュを指さし、ここにはいないロマニを指さし、そして最後に睨みを利かせている巧へと指をさす。

 

「マシュ、ロマニ、そして――48人目の適合者。君たちのような存在が湧き出すから、私は人間が大嫌いなんだ。定められた運命に従わず、敷かれたレールを外れようとする……何故だ? 何故なんだ? 私には理解できない――理解したくも、ない」

 

『――爆発の際に残されていた死体は、「自分は死んだ」という印象を僕たちに植えつけて、特異点内でもある程度の自由を得る為のフェイクだったのか。いや……そういえば、レイシフト実験を実施する直前に、一般職員が一人休暇届を出していた……まさか、君は彼を使って』

 

「相変わらず無駄な所で頭が回るなァ、ロマニ。私はね、君のそういう賢しらな所が、昔から大嫌いだったよ。殺せなかったのが、悔やまれる」

 

 レフは、過去への郷愁と現在への憎悪を両立させた表情で、くつくつ、と引き笑っている。誰もが黙り込む中、ふと思い出したかのように、レフは上空で足掻き続けているオルガマリーを見た。

 

「殺せなかったといえば――そうだね、オルガ。君もだ。なぜ君が生きている? そして、なぜ君如きがレイシフトをできている?」

 

「なぜ、って――そんなの、分かるわけないでしょっ!?」

 

 ほとんど泣き叫ぶように答えたオルガマリーの姿に、レフは一瞬眉を寄せたが、すぐさま納得したように手を合わせた。

 

「ああ、なんだ。いや、すまない。私とした事が、問いを間違えてしまったね。既に死した身である君に、どうして生きているのかという質問をしてしまうとは、些か酷だ」

 

「は――?」

 

 目の前の男が何を言っているのかまるで理解できず、オルガマリーは咄嗟に動きを止めた。それを見たレフは、少女の存在自体に憎悪と侮蔑をぶつけるかのように、凄絶な嗤いを漂わせながら言った。

 

「君はとっくに死んでいる。

 私が仕掛けた爆弾は、元々君のすぐ足元にあった――ゆえに、今の君はただの未練がましい残留思念なのさ。そして肉体を失い魂だけの存在と化したゆえに、君は夢にまで見たレイシフト適性を、ついに手に入れたんだ。喜ばしい事じゃないか! 本当に、おめでとう!」

 

 再び鳴り始めた万雷の拍手は、心を壊しつつあるオルガマリーの耳には、決して届かない。

 ――自分は、既に死んでいて。それは、レフのせいで。今の自分は、魂だけになっていて。やっと手に入れられたと思った適性は、泡みたいな物で。カルデアには、戻ることができなくて。

 二度と、自分は、両の足で立つ事さえできなく、て――

 

「よ……」

 

「ん?」

 

「うそ、うそうそうそ嘘嘘嘘よっ!! 全部っ、アンタの作ったデタラメでしょうっ! そうやってわたしを欺いて、ここで得た全部を、わたしのカルデアスを、自分の手柄にしてやろうって魂胆なんでしょうっ!? 違うっ!?」

 

 キャパシティを超えた事実を次々と突きつけられたオルガマリーは、置き去りにされた子供のように頭を抱えてうずくまると、悲痛な金切り声を上げた。

 レフはそれを見て耳を抑えながら、心底呆れたといった風に、深いため息を吐き出す。

 

「アレは、君の所有物ではない。本当に不愉快だよ……死んだことで、頭の回転も遅くなったのか? アニムスフィア。だが……ここで無常に殺してしまうのも、忍びない。せめてもの慈悲だ。君たちが必死の思いで受け継いできたカルデアを、存分に満喫してくるといい」

 

 レフはひとしきり嘲弄をぶつけ終わると、指を軽く鳴らす。同時に光の柱が一際輝き、やがて煌々と燃え盛る地球環境モデル――カルデアスの姿が、空中へ鮮明に映し出された。

 それを視界に入れた途端、オルガマリーは確かに、自分の中でかろうじて折れずにいたなにかが折れた音を聞いた。

 

「よく見たまえよ、アニムスフィアの末裔。人類の生存を示す青色は一片もなく、あるのは破滅を示す赤色だけ。実に美しいじゃないか、マリー。

 ――君の引き起こした結果が、愚行が、我々が終ぞ待ち望んでやまなかったこの景色を招いてくれたんだ。ありがとう、ありがとう。本当にありがとう……!」

 

 両手を大きく広げながら高笑い続けるレフに、オルガマリーは騙し続けられたことへの怒りも、親身に支えてくれたことが嘘だということへの悲しみも、父の理想の結実であったカルデアスを悪用したことへの怨みも、何も言えない。言う事ができない。自分の末路は既に決まってしまっている。高密度の情報体であるカルデアスは、次元の異なる領域であり、いわば一種のブラックホールに近い。そんな場所へと人間が放り込まれてしまえば、一体どうなるのか――赤子でも分かる事だった。

 

 間近にある「死」を認識した瞬間、オルガマリーの身体が壮絶な恐怖で総毛だった。こちらに向かって手を伸ばしている死からどうにかして逃れまいと、必死になって藻掻いたが、まるで地球から見放されたかのように、オルガマリーはいつまでも、空に浮き続けていた。

 

「や、だ――や、だ、やだやだやだあっ! ま、まだ、わた、しっ、しっ、しっ死にたく、死にたくないっ! だって、だってだってわたし――!」

 

 さっき、死なないって約束を、アイツとしたばかりなのに――!

 

 拒絶の言葉を周囲に撒き散らし、無様に泣き叫びながら、カルデアスへ徐々に近づいていくオルガマリーを、レフは軽蔑の眼差しで見ていた。本当に見苦しく目障りな小娘だった。だが、これで終わりだ。彼女は分子レベルに分解され、文字通りの生き地獄を永遠に味わい続ける。そのザマをこの目にできないのは残念だったが、今響いている苦しみの叫びだけで満足するとしよう。

 そう、悪辣に嗤い続けるレフの頭上を、

 

 ――一筋の影が、過ぎ去っていった。

 

「……なに?」

 

 そうして、かつての長田結花のように、生身のまま瞬間的にオルフェノクの力を行使した乾巧は、空中のオルガマリーを腕の中に抱きかかえて、レフの背後にそっと降り立った。

 せめて分解される瞬間だけは味わうまいと目を瞑っていたオルガマリーは、二度と触れる事ができない筈の人の体温を感じて、恐る恐る目を開く。

 そこには、未だ治らない傷がついた顔を、柔らかく緩めた男がいた。

 

「……これで、貸し借りナシ、だな」

 

「…………ふじ、まる……」

 

 非常事態も非常事態だというのに、オルガマリーはどうしようもなく、目の前の温もりに縋りつきそうになってしまった。その衝動をかろうじて堪えられたのは、目の前の男にだけは弱さを見せたくないという、不格好な意地のおかげだ。

 決して泣き出さないように口内を噛み締めている少女に、巧はため息を吐いた。

 

「お前、服に顔くっつけんなよ。濡れるの、イヤだからな」

 

「うっ……さいっ! ないてなんか、ないっ」

 

 嘘をつけ、と思う。だが口には出さず、ひと言だけ尋ねた。

 

「平気か」

 

 言っておきながら、平気な訳が無いと思った。すぐ近くにまで確実な死が迫っていて、平気でいられるはずがない。

 しかし、目の前の少女は、無言で首を縦に振った。

 本当にこいつは強い、と巧は思う。そして、手を出さずただ面白そうに観察の眼を向けてくるレフを真っ向から睨みつけた。

 レフはふむ、と興味深い物を見つけたように頷くと、

 

「48番……確か、名前は……なんだったか。まあ、いい。しかし、今のはどういう事だい? アンダーソンの調査では、君は魔術に何の関係もない、正真正銘の一般人だった筈だが……彼が身辺調査をしくじるとはとても思えないな。キャスターに魔術でも習ったのかい? だとすれば、虫唾が走るほど健気だが」

 

「好きにしろよ。あんたに教えてやる義理は、どこにも無い」

 

 そう吐き捨てて、巧は腰にベルトを巻き付けた。

 

「……まさか、彼女を助ける為に、私と相対するつもりか? 脅威に対して手立ても持たない君が? たった一人で? ……――は、ははは、はははははははっ!! 苛立ちも限界を超えると笑いに変わるらしい!」

 

 腹を抱えて笑い出したレフの様子は場違いなほど快活だったが、痩身から放たれる殺気は尋常ではなかった。物理的な重圧さえ感じさせるそれに、オルガマリーの身体が再度怯えの色を見せた。たちまち震え出した少女を、背で庇うように巧は立ち位置を変える。レフの眉が、訝し気に歪んだ。

 

「何だ? その間抜けな玩具は」

 

「さあ、な。当ててみろよ」

 

 挑発するように、ゆっくりとコードを入力していく。それを見て自分を取り戻したマシュが、挟み込むようにゆっくりと、レフの背後へ回り始めた。気づいた、レフ。笑顔を引っ込めて、極大の殺意を露わにした。

 ひりつく肌。細胞が、戦うなと叫んでいる。

 敵う筈がない事は、よく分かっていた。目の前の存在はきっと、オルフェノクやサーヴァントやらとは、全く別次元の何かだ。相対するどころか、こうして正面から向き合う事自体が、既に間違っている。本当なら何もかも放り出して、諦めてしまう事が正しい選択というやつなのだろう。

 だから、逃げる訳にはいかなかった。

 自分がやるべき事は、ただ一つだけだ。

 

 ――コイツを守る。人間を、守る。

 

 拳を握る。コードを入力し終える。あとは、いつものようにバックルに叩きこむだけ。

 

 ――それが、俺に出来る事だから――!

 

「変――!」

 

 ファイズフォンを天高く掲げた彼の心臓を、

 一筋の剣がそっと静かに刺し貫いた。

 

 

 

 ●

 

 

 

 全ては一瞬だった。

 自分を幾度となく守ってくれた「先輩」の胸から、細身の切っ先が飛び出している。

 それを認識した直後に、巧は糸の切れた人形のように顔面から地面に突っ伏し、そのままぴくりとも動かなくなった。

 まるで、死体のように。

 

「な、え、せん――ぱい?」

 

 あまりにも唐突過ぎる惨劇に、マシュの反射神経は大きく遅れた。数秒経ってから、ようやく身体が動いた。酩酊者めいた足取りで倒れ伏す巧の元へ向かうマシュをレフは止めず、息を荒げながらこちらへ歩いてくる異形――影山冴子が変異するロブスターオルフェノクの到着を、ただ待っていた。

 冴子はふらつく足をどうにか整えて、なんとかレフの元へ辿り着いた。

 

「貴方に言われた通り、漂流者を――マスターを始末したわ。サーヴァントは……彼らがやってくれたようね」

 

「ああ……ご苦労だったね。余計な苦労を省くことができて嬉しいよ」

 

「そんな事は、どうでも良い。それより聖杯を……聖杯を渡しなさい。貴方との約束は、果たしたでしょう」

 

 冴子は変異を解くと、血の海に沈みつつある少年に横目をやりながら、男に傷だらけの掌を差し出した。いずれ来る漂流者の始末と全てのサーヴァントの脱落――それが、レフ・ライノールが、影山冴子に望んだ事だった。

 そしてその約定は、たった今果たされた。

 

「聖杯――それさえあれば、彼を蘇らせる事ができるのよ。そうすれば、オルフェノクは救われる――」

 

「そうだ、そうだったね。確かそんな約束だった……さあ、受け取ってくれ。これが君への報酬だ」

 

 レフはしばらく考え込んでいたが、急に態度を急変させると、にこやかな様子で、光の中から取り出した聖杯を冴子に手渡した。

 疲労困憊で受け取った冴子の手の中で、無限の願望器が赤子のように唸る。何者も穢す事のできない金色の光を放つ聖杯は、街に異変が起こるより以前から、この時を待ち望んでいたかのように、輝きをより一層強くした。

 いよいよ、願いを叶える事ができる――全てのオルフェノクに幸福と生命を齎す王がこの世に再誕を果たし、蔓延り続ける旧人類を一匹残らず駆除して、新人類であるオルフェノクの王国を築く瞬間が、ついに訪れるのだ。

 夢想に浸る冴子に、

 

「──だが、君にそれは扱えまい」

 

 そんな冷めた声が、掛けられた。

 冴子がその言葉の意味を訪ねようとした次の瞬間。

 声を出す暇もなく、

 冴子の心臓に、聖杯ごとレフの貫手が突き込まれた。

 

「が―――――――――――――いぎ、ぎいいいいいぃ、ああいいぃいいい!!!!!!??????」

 

「君たちの存在は、我々にとって実に興味深かった。ゆえに、私は君たちをこの聖杯戦争に引き摺り込んだんだよ──オルフェノク。魂にもうひとつの遺伝子を宿し、生と死の輪廻を超えた、この星で唯一の存在。ガイアでもアラヤでもない、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――」

 

 粘土を捏ね回すように心臓に突っ込んだ手を絶え間なく動かしながら、レフは笑顔のまま淡々と話し続ける。その閉じた目には、目前で血反吐を吐きながら苦しみ続ける命など、塵ひとつさえ映ってはいない。ただ、新たな同胞の誕生を、そして、更なる進化の始まりを、全身全霊で祝福していた。

 

「ゆえに、私たちは決めたんだ。――君たちを、仲間として迎え入れてやろうと。喜びたまえ、進化の行き止まりを破った君たちは、我らが王の寵愛を見事受ける事ができたのだから」

 

 変成が、終わる。

 生誕が、始まる。

 

 冴子の体内で絶えずのたうち回っていたアークオルフェノクの遺伝子と、レフに植えつけられた聖杯と魔神柱の遺伝子が混ざり合っては反発し合い、反発し合っては混ざり合う。その衝撃によって、女性的な冴子の全身から大小問わず無数の腕が伸びては血を噴き出しながら折れていく。撒き散らされた血液が凝固し、気泡がぷつぷつと表面に浮かぶグロテスクな肉と化して冴子を徐々に覆っていく。彼女の意識は、既に亡い。灰色の腕と、暗褐色の血と、柘榴色の肉を無機質に生産するだけの機械となった影山冴子は、光を失った虚ろな瞳を最後まで空に向けたまま、その生涯をつつがなく終えた。

 際限なく肥大していく、血と灰に塗れた肉の山を見て、レフ・ライノール・フラウロスは、歓喜のままに新たなる仲間に祝福の祈りを捧げる。

 

「――――顕現せよ。牢記せよ。これに至るは七十二柱の魔神なり」

 

 その名を、

 

「七十二柱の魔神が一柱。魔神、ビフンロス――」

 

 

 

 ●

 

 

 

 特異点が、崩壊していく。

 異変の元凶であるセイバーの消滅に本来ならばあり得ない魔神柱の誕生が重なった事によって、特異点Fはその崩壊のペースを急激に速めていた。大地が揺れるたびに、立ち並んだ高層ビルが地面に生じた亀裂の中へ陥り、やがてその先で大口を開きながら待ち構えている時空の歪みに飲み込まれていく。歪みは冬木市だけに留まらず、世界全てを飲み干さんと、暗闇を深く大きく広げていく。

 

『魔神――魔神だって、レフ! 君は一体――!』

 

 ロマニは、窮地に陥っているマシュたちに対して、何ひとつ手助けしてやれない自分に強く歯噛みした。それでもせめて敵から有力な情報だけでも得んと、ノイズ混じりの画面に映るレフを睨みつけながら叫ぶ。ロマニの叫びに応じたレフの相貌に、もはや嘲弄はなかった。

 

「ドクター・ロマニ。旧友のよしみとして、教えてやる。未来は見えないだろう。外部とは通信が取れないだろう。職員はまだ戻って来ないだろう。

 ――ならば結末は確定した。人類はこの時点で滅んでいる。カルデアスが深紅に染まった時点で、既に貴様らの未来は燃え尽きた」

 

『――外部との連絡が通じないのは、そういう事だったんですね。僕らが無事なのは、カルデアスの磁場のおかげ……』

 

「だがそれも、もうじき無為に終わる。カルデア内の時間が2016年を過ぎた時点で、貴様らはカルデアごと完全に消滅するだろう。……その前に、やり残しがまだ残っていたね、オルガ」

 

「ひ、い――――」

 

 怯えながら後ずさるオルガマリーに、レフは迷いのない足取りで一歩一歩近づいていく。

 

「君に――アニムスフィアに、都合のいい結末は齎されない。君のその致命的なまでのいたらなさが、彼を殺したんだよ。それが分かるかい?」

 

「ぐっ……うっ」

 

「君はまた、大切な物を受け取り損ねた……父親の次は、人望、カルデアス、そしてお仲間。──果たしてこの次は、何を失ってくれるのかな?」

 

「――――だ、まれぇっ!!」

 

 喉を張り裂けさせんばかりの怒号と共に、オルガマリーはガンドを撃ち放った。殺す気しかなかった。命中すれば確実に人間一人の頭部を木端微塵に破裂させるだけの威力を持ったそれは、しかし蚊を振り払うような仕草一つで、あっけなく消え去った。

 

「君も、随分と諦めが悪くなったね……いや、しぶとくなった、と言うべきか。特異点に放り込まれて、少しは成長したらしい。

 ……ならば私も、成長した所を見せなければ、些か不公平という物だろう」

 

「──! 所長、わたしの後ろに下がってくだ──」

 

 少女の視線の先で、男の指が鞭のようなしなりを見せながら、ゆったりと伸び始めた。魔力を一つも感じられないそれになぜか根源的な恐怖を覚え、マシュは円卓を構えながらオルガマリーの前に立ち塞がった。祓うべき巨大な邪悪の気配を察知した円卓が、聖なる輝きを放たんと唸る。

 

「遅いよ、マシュ。何もかもが」

 

 次の瞬間。

 瞬きを一つした、その直後。盾をすり抜けるように虚空を泳いだ男の指が、オルガマリーの心臓を突き刺していた。

 

「え、あ──へ。え?」

 

 何が起きたのか理解できず、呆然と目を見開く少女の身体から、

 蒼く光る炎が、ぼっと音を立てて燃え出した。

 

「い――いや、いやいやいやぁっ!! やめてっ、助けて誰かっ!! マシュっ!! 藤丸っ!!!」

 

 そこで目覚めてしまったのは、守るべき物を守り通せなかった自分に課せられた、当然の罰だったのかもしれない。

 

 血と灰のにおいを漂わせた死神が、足音を立てて背後に忍び寄ろうとしている幻覚を見ながら、巧は意識を取り戻した。身体のあちこちから生きていく為に必要な何かがとくとくと溢れていく感覚がひどい。このまま目を閉じれば楽になれるだろうか、と一瞬考えた瞬間、視界に蒼い焔をあげて燃え続けるオルガマリーの姿が映った。

 

「────っ、ぁ」

 

「やだ……やだやだやだあ――――っ!!」

 

 漏れた呻き声をかき消す悲痛な少女の叫びが木霊する。それは、巧がかつて何度も見届けた光景と――二度と起こさせはしないと誓ったはずの光景と、まったく同じものだった。

 

「わたし、死にたくないっ、まだ、まだ死にたくないっ。死にたくないよぉっ!! だからっ、だれか、誰でも、いいからっ!! ―――わたしの手をっ、手を」

 

 握って。

 心の奥底に刻まれた傷痕が、灰色の膿を捻り出しながら開いていく。

 ぼろぼろと灰になって崩れ落ちていく少女を、世界に引き止めたい一心で、巧はひたすら血塗れの手を伸ばした。伸ばされた手に気づいたオルガマリーもまた、願うように巧に手を伸ばす。

 

「――おる、」

 

「あ、ああ。ふじま──」

 

 少女の唇から、懇願にも似た掠れ声が漏れる。

 そしてようやく、二人の指先が触れ合おうとした直前に、

 オルガマリー・アニムスフィアは、二度と還らぬ灰と化した。

 

 

 

 

 そこから先に起きたことを、巧はよく覚えていない。

 ただ、何もかもが限界だったのだと思う。

 

 

「──長……んな……先──!」

 

『──味……消失……可能──失敗』

 

「──輩、せ……い。先輩……しの手……握って……!!」

 

 

 脳の輪郭が薄れゆく中で、

 

 少女の声が最後に聞こえて、

 

 近くにある誰かの温もりに、縋りつき、

 

 そして、意識、が

 

 とだ、えて──

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――ブラックアウト。

 

 

 

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