Fate/Φ's Order   作:うろまる

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そんなわけでオルレアン編開始です。よろしくお願いします


A.D.1431 邪竜百年戦争 オルレアン
序節「灰と焔の影」


 

 

 ピエール・コーションの気分は、この十数時間のうちに激しい乱高下を繰り返していた。

 

 

 三日前。烏滸がましくも教会を差し置いて神の遣いを名乗り、厚かましくも偽りの聖女面を衆目に晒し続けた悪女──ジャンヌ・ダルクをついに火刑に処す事が叶い、ようやく心に平穏を取り戻せたかと思えば、お次は複数の街で謎の失踪事件が多発すると来た。自分たちも成す術が無いくせにぎゃあぎゃあと喚き続けるしか能が無い上層部の言によれば、他にも人を喰らう翼竜の群れや、異形となって甦る死者などの聞くに耐えない馬鹿馬鹿しい噂が、フランス全土で広まりつつあるらしく、教会への献金の額も日を追うごとに少なくなっているらしかった。曰く、祈るだけで助かるならば苦労はしないと。

 ピエールに言わせれば、どの厄介事もすべて、あの忌々しいジャンヌ・ダルクが死に際に産み落とした呪いの類に違いなく、聖なる炎に焼かれ続けていてもなお己の人生を阻み続ける少女に対して、聖職者にあるまじき邪心を彼は抱いた。

 

 いっそ呪う気すら起きないほど、徹底的に痛めつけてやれば良かったか──

 

 薄暗い牢屋の中で、知性と品性が著しく欠けた傭兵紛いの兵士たちに組み伏せられ、恥辱と苦痛が入り混じった実に情けない喘ぎをあげていた少女の姿を思い出す事で、ピエールは頭に渦巻いていた鬱憤を少し晴らした。

 額に浮いた脂っぽい汗を拭い、瀟洒な刺繍が入った厚手の絨毯の上を早歩きで移動しながら、彼は自室への道を急ぐ。等間隔に設置された窓から差し込む日差しの色は淡く、ピエールのこれから先に待っている人生を祝福してくれているかのように思えた。

 そうだ、と思う。自分は神に仕え、そして守られている。なにも恐れる物など、ありはしない。死した聖女擬きが遺した呪いなど、取るに足らない。

 纏わりついてくる怖気を振り払うかのように、漆喰の塗られた木製の扉に手をかけて、一気に開いた。そして視界に広がった闇に、ピエールは思わず立ち止まった。灯りを消して出て行ったため、当たり前だが何も見えない。だが、どうしようもなく分かってしまった。

 得体の知れない、何かがいる。

 人間としてではなく、生物としての本能が、これ以上先に進んではいけないと訴えかけてくる。蛇に睨まれた蛙のように硬直するピエールに、闇の奥から声が投げかけられた。

 

「──あぁ、いや、私の事は気にせず、さっさと椅子にかけてくれ。できれば無警戒のままでいてくれると、余計な手間が省けて、非常に助かるんだが」

 

 新たな友人を迎え入れるような、親しげな調子の声だった。思いのほか人間らしいそれにピエールは自分を取り戻すと、まず己のテリトリーを無断で踏み荒らされた事への怒りを湧き上がらせた。

 

「だ――誰だっ! この部屋は、私の……ピエール・コーションの部屋だぞっ。どんな立場の、どこの誰であろうとも、無断で入室する許可は出していないっ」

 

「そうか、それはすまなかった。次からは、きちんと許可を取るとしよう……きみに、次があればの話だが」

 

 そうして、影の中から抜け出してきたのは、闇を纏った女だった。

 見慣れない服装に包まれた、しなやかな肢体。凹凸のはっきりした身体には滴るような色気を備えており、死蝋のように生気の欠けた白い肌と、闇その物に浸し切った直後のような黒い長髪が見事な陰陽のコントラストを描き出している。いい意味でも悪い意味でも、造り物めいた見た目の女だった。

 

 だが、闇の中で一際輝く瞳が、その耽美な印象を一気に吹き飛ばしてしまっている。

 

 赤く染まった結膜に黒い菱形をした瞳孔。すべてを焼き尽くすまで燃え尽きない炎を、直に眼球に塗り込めたような――見ているだけで比喩抜きに吸い込まれてしまいそうな、そんな眼を女はしていた。

 

「とんでもない化物が出てくると思ったかい? ご期待に添う事は一応できるんだが……生憎、いまは具合がちょっとだけ悪いんだ。時間が経った後で、また聞いてみてくれ。たぶん、憶えてないと思うけど」

 

 困ったように笑う姿が、恐ろしかった。人間の皮を被ったナニカが、人間のフリをしている。だというのに、ふとした拍子に群衆の中に見失ってしまえそうに見える事が悍ましくて、ピエールは後ろ手に扉を触った。

 開かない。

 

「今きみに逃げてもらっては困るんだ。だから、閉めさせてもらった。……ああ、これも事前に言っておけばよかったね」

 

「私は、貴様に誰だと聞いているんだっ! 訊ねた質問だけに答えろ! 余計な口は一切叩くな! ジャンヌ・ダルクや貴様のような、頭のおかしい女は、私が言った事だけに従っていればいい!!」

 

 退路が絶たれてしまった事に、激しい焦燥を浮かべながら狼狽する男に、女は申し訳なさそうに眉根を寄せる。

 

「ごめんね。怒らせるつもりも、怯えさせるつもりもなかったんだ、本当に。きみが部屋に入って、いつものように大人しく座ってくれてさえいれば、すべては丸く済んだはずなんだよ。だからこれは、うん、余計に警戒させてしまった私の責任とも言える」

 

「何を頭のおかしな――!」

 

「だから、せめて優しくしてあげる」

 

 闇が、濃くなる。

 女の姿が、影にふたたび紛れる。そして陰惨な気配が、爆発したように膨れ上がり、部屋を覆う。

 得体の知れない、何か。人の皮を被った、異形。

 自分の推測は、決して間違ってはいなかった。女の細身から垂れ流される瘴気は尋常の物ではなく、確かにそれは人外と断じられる代物である。

 だが、

 それでもこの生き物を形容するには、まだ足りなかった。きっと、この世に存在するあらゆる言葉を以ってしても、この女を言い表す事は出来はしない。

 ピエールは胸に下げた十字架を血が滲む程に握り締め、生まれて初めて、心の底から神に祈った。それは、自分の欲望に塗れて道を見失った男が、それでも無意識のうちに残していた、清らかな信仰心の断片だったのかもしれない。

 しかし、何もかも、遅すぎた。

 

「神様に守られてるんだろ? だから大丈夫さ。きみは、きっと、生まれ変われるよ」

 

 女の唇が、童女の如き無邪気な笑みの形をとる。その狭間に、底知れない闇が生まれる。

 そして、化生の嗤いが、低く木霊する。

 暗鬱な灰の欠片が、世界を瞬く間に塗り潰す。

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

「――つまり簡単に言えば、僕たちが世界を救うためには、その七つの特異点を修復しなければならないって事だ」

 

 マシュから受け取ったお茶を一口飲んで、ロマニは話をそう締めくくった。

 怪我の事もあり、一日置いて再び集まった巧たちは、食堂でそのまま簡単なブリーフィングを行っていた。殆どの職員たちが集まっているせいで、喧噪が常に絶えない食堂の雑多とした雰囲気は、いつも三、四人程度でしか食卓を囲んでこなかった巧にとって新鮮だった。

 騒がしさや人混みはあまり好きではないが、自分たち以外の人類が滅んでいるという、おかしな状況下に置かれてしまったせいだろうか。胸の中にある寂しさや虚しさを滲ませた靄が、見る見るうちに蒸発していくのがわかる。むず痒いが、悪くない気分だった。口には出す筈もないが。

 ロマニとマシュが今後の詳しい方針を話し合っている傍で、まったく話の内容に興味を惹かれない巧は、久方ぶりのまともな食事をゆっくりと堪能し始めた。

 ひと口大にまで解体したキツネ色の焼き鯖を、醤油を数滴垂らしておいた大根おろしと一緒に口に含む。おろしのつんとくる爽やかな辛みとしっかりと火が通された肉身から溢れる濃厚な旨味が、少量の醤油とバランスよく溶け合って飯がよく進む。添え物であるほうれん草のごま和えは、甘さが控え目に抑えられているおかげか、合間合間に摘むにはちょうど良い一品だった。ひと通りおかずを堪能した仕上げに、ようやくぬるまった豆腐のすまし汁をそっと喉に流し込むと、思わず微睡みたくなるような心地いい暖かさが、胃の底に沈殿していくのを感じる。

 

「……うまい」

 

 病み上がりもあってか、子どものような無邪気さで朝食をかき込む巧の姿を、しかし恨めしそうに睨みつける女が対面に一人。言わずと知れた、レオナルド・ダ・ヴィンチである。

 

「……ねえ、本当に私の事知らないのかい?」

 

「知らない」

 

 にべもなく撥ねつける巧に、しかしダ・ヴィンチは執拗に食らいつく。

 

「そんなのあり得ないっ。だってあのっ! レオナルド・ダ・ヴィンチだよっ? ルネサンスに誉れの高い、万能の発明家にして天才芸術家だよ? 英霊ならともかく、まともな教育を受けて、今この時代を生きている君が知らない訳がないだろう! ――あ、ほら、この笑顔に見覚えとか、あったりしちゃわない?」

 

 己が最大にして最高の芸術を完璧に再現する為に、臍あたりで構えた左手の上に右手を重ねて、女神もかくやと言わんばかりに美しく微笑むダ・ヴィンチを見ても、巧にはまったく心当たる気配がなかった。

 

「だから、知らないって言ってんだろ。そろそろしつこいぞ」

 

「それがおかしいんだってもお~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」

 

 納豆をかき混ぜながら言われてもどうしようもない。

 それでもまだ諦めきれないのか、ダ・ヴィンチは大人げなくも自らの美貌を十全に生かした誘惑を、巧に仕掛け始めた。隣のロマニから突き刺さる果てしない呆れの視線を、徹底的に意識から遮断するその姿はいっそ清々しい。

 

「ね、ね。それじゃ、今からでも知る気はないかな? ――なんと今なら! レオナルド・ダ・ヴィンチ本人からレオナルド・ダ・ヴィンチの素晴らしさを聞けちゃう豪華プレゼントが」

 

「どうでもいい」

 

「そうそうどうでもいい……どっ…………えっ、どうでっ、なっ、え、えっ……」

 

 巧はさっさと残りを食べ終えると、ぬるいお茶をがぶりと飲み干して手を合わせた。そして悲痛な喘ぎを洩らし続ける対面を無視して、ロマニに問いかける。

 

「で、そのレイシフトってヤツはいつするんだ」

 

 鮮やかな色味の卵焼きを、噛み締めるように味わっていたロマニは、慌てて咀嚼し飲み下して答えようとした。その際に少々喉につまってしまったらしく、げほげほ、と激しく咳き込み出す。見かねたマシュが手渡したお茶を飲み干してようやくひと息ついた様子を見て、巧は本当に大丈夫かコイツ、と少し先行きが不安になった。

 息を落ち着けたロマニは、喉を擦りながら、冷静な口調で話し始める。

 

「……そうだね。食事が終わり次第、準備に取り掛かるよ。君の怪我の事もあるけど、残念ながら時間は有限だからね。連絡するから、マシュと一緒に待機しておいてくれ」

 

「そうか」

 

 素っ気なくはあるものの大人しく従う様子の巧を見て満足そうに頷いた後、ロマニは人差し指をピンと立てて、

 

「ああ、それと藤丸くんにもうひとつ、伝えておかなくちゃならない事があったんだ……レオナルド」

 

「なに」

 

 お手本のようなジト目をするダ・ヴィンチに、ロマニは仕方なさそうにため息を吐く。

 

「何を凹んでいるんだよ。ちょっと鬱陶しいぐらい自信満々ないつもの君はどこ行ったんだい」

 

「べつに…………凹んでなんかないし…………」

 

「良いじゃないか。藤丸くん一人に覚えられてなくたって、他に君を万能の天才だと知っている人はいっぱいいるんだから」

 

 何気ないロマニの言葉に、ダ・ヴィンチはとうとう耐え切れなくなったかのように爆発した。

 

「そういう問題じゃ、ないっ! いいか、彼の認識では、私は大した証拠もないくせに自分を万能だの天才だのほざき回ってる妄想狂としか捉えられてない、って事が気に喰わないんだっ! 見たまえ彼のこの冷たい目をっ! 完全にアブナイ人を見る目つきじゃないかっ!」

 

「そんな大袈裟な……」

 

「そうじゃないのか」

 

「ほらーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!!」

 

 ダ・ヴィンチは両手でわしゃわしゃと頭を掻きながら、机に勢いよく突っ伏した。勘弁してくれ、と言外に告げるように見てくるロマニから、巧はつんと顔を逸らす。

 

「あの、先輩が喋るとややこしくなりますから、黙っておくのが賢明かと」

 

「冗談だ」

 

「でしたらせめて真顔は辞めた方が……」

 

「次からそうする」

 

 控えめに進言してくるマシュへおざなりに返事し、巧はさっさと話すなら話せ、と言わんばかりに首を振った。ロマニは、用件を済ませるべく伏せるダ・ヴィンチの肩を遠慮なく揺するが、ダ・ヴィンチはとうとう顔を上げず、地獄の底から吹く風のようなか細い声で呟いた。

 

「ロマニが先に渡しといて……ちょっといま精神を安定させるのに忙しいから……」

 

「ええ……まあ、良いんだけどさ」

 

 ロマニは、ぶつぶつ呟きながらも、よれた白衣のポケットをごそごそと弄り出した。不審な仕草に顔を歪める巧の前に、年寄り臭いかけ声と共に差し出されたのは、巧がよく知っている物──ファイズフォンだった。

 

「君のだろ? コートのポケットに入ってたんだ。バッテリーが切れてたから、充電しておいたんだけど……」

 

「ベルトは」

 

 画面が点く事を確認しながら巧が問うと、ダ・ヴィンチはそろそろと顔を上げて、足元に用意しておいた一本のベルトを、机に置いた。ふたたび揃ったギア一式を手に取ろうと巧が腕を伸ばした瞬間、

 

「言っておくけど、使えないからね。それ」

 

 投げかけられた言葉に、思わず動きを止めた。

 

「……どういう事だ」

 

「そのまんま、言葉の通りだよ。君が眠ってる間に、ちょろっと解析したんだ。それでこのベルトの大体は、分かった。気になるところが、ちょっとあるけど」

 

「あの、僕、そんな許可出した覚えないんだけど……」

 

「そりゃ、取らなかったからね」

 

 困惑を露わにするロマニに、ダ・ヴィンチはあっけらかんと答えた。

 

「いや! そんな事はどうでもいいんだ。問題は、このベルトだよ。泥で受肉した状態に近くなっていたとはいえ、魔力を持たないただの人間が、神秘の塊であるサーヴァント相手に渡り合えるようになるなんて、実に興味深い……」

 

 ベルトを持ち上げ、とっておきの玩具を手に入れた子どものように目を輝かせるダ・ヴィンチに呆れつつも、ロマニもまた湧き出す好奇心を抑えられない様子だった。

 

「そういえば藤丸くん、これの扱い方を知っているみたいだけど、一体どこで覚えたんだい? それに、あの怪物……」

 

「オルフェノクか」

 

「そう! その、オルフェノクって怪物の存在も、気になる。あのレフがご執心だったからね。敵の情報は多いに越したことはない」

 

 向けられる視線を厭うかのように、巧は顔をしばし俯けた後、極めて簡潔に答えを紡ぎ出した。

 

「――あいつらは、人を襲う。だから俺は、それを止める為に、ファイズで戦ってきた。それだけだ」

 

「ファイズ……あの、姿の事ですか?」

 

 脳裏に白銀と紅の閃光を纏った仮面の騎士の姿を思い浮かべながら尋ねてきたマシュに、巧はこくり、と無言で頷く。

 

「戦ってきた……って事は、これまで、そうやって生きてきたのかいっ!? 確かに、それなら、サーヴァントたちと戦えたのも納得いくんだけど……そんな事、経歴には書いてなかったよね?」

 

「んな事、書けるか? 信じられるわけないだろ」

 

 それは、まあ……と渋々ながらも何とか事実を噛み砕けた様子のロマニとは対照的に、ダ・ヴィンチは、巧の固く閉ざされた表情を見て、目の前の少年がそれ以外にも何かを隠している事を、半ば直感的に見破っていた。

 何を隠しているのかは、分からない。だが、内に秘めた不屈の意志を他者に見破られぬよう徹底的に奥へ奥へと封じ込める、引き締められた唇の形には、面白いほど見覚えがある。そしてそれは大抵、どうしようもないぐらい不器用で、愚かなぐらい真っ直ぐなバカがするものだと、ダ・ヴィンチはよく知っていた。

 

 ――苦労が絶えないね、こりゃ。

 

「……まァ、とにかく、そのファイズってやつには、しばらくなれないって事だけは覚えておいてくれたまえ。単体でもいちおう機能が完結できている携帯とは違って、ベルトは本当に役立たずだ。多分、あと一つパーツが要る。それが揃うまでは、精々が腹巻き扱いだろうね、あったかかったし」

 

「巻いたのか君……」

 

「気になっちゃって」

 

 片目をつぶって舌をぺろり、と出しながら頭をこつんと叩いてみせたダ・ヴィンチに、ロマニはもう何も言えないようだった。それでも、気を取り直すように小さく咳払いをしてみせ、

 

「……けどまあ、藤丸くんが前線に出張らなくてもよくなったのは、良い事だ。いくら君が戦えると言っても、やっぱりサーヴァント相手に渡り合えるのは、サーヴァントしかいないからね。

 それに、君は人類最後のマスターだ。君が死ねば、僕らには文字通り、打つ手が無くなってしまう」

 

「大丈夫です。先輩は、わたしが必ずお守りいたします」

 

 頰にご飯粒をつけたまま、大義そうに胸を張るマシュに、巧は胡乱な目を向けた。女の背中にコソコソ隠れるなんて真似できるかよ──と言いかけた口を、咄嗟に塞ぐ。そうしたのは、今の自分が役立たずも同然の存在だと気づいたからだ。

 戦う手段──ベルトを失った今の自分は、本当にただの足手まといでしかない。サーヴァント相手に渡り合えるのは、サーヴァントしかいない──特異点にて、幾つもの死闘を経てきた巧には、その言葉が嘘ではない事がよく分かった。自分が今回生き残れた理由は、ひとえにマシュやキャスターといった協力者がついており、なおかつ敵が正常な判断力を完全に失っていたおかげだ。そして正気を失った相手にさえ、自分はあそこまで追い詰められた。この先に必ず立ち塞がるであろう、本来の力を発揮する難敵たちの姿を思わず想像してしまい、巧は顔を顰めた。

 そして、退きそうな足を必死に堪えて、逃げ出したくなる恐怖を必死に抑えて、盾を構える少女の姿を。

 自分を守る、ただそれだけの為に。

 

「……」

 

 巧は、苦虫を飲み込んでいる最中のような面をして席を立った。そのまま場を後にしようとする少年の背に、ロマニはどこへいくんだい、という問いかける。巧は振り返らず、ぼそりと答えた。

 

「部屋で、寝とく」

 

 

 ○

 

 

 自室に帰ろうと急ぐ巧の足を一瞬止めたのは、後ろにずっと付き纏ってくるぱたぱた、という軽い足音だった。それでも無視して歩き続けると、ついに裾を引っ張られる。いい加減にうざったくなって振り向くと、そこには頰を上気させたマシュの姿があった。

 

「なんだ」

 

「いえ、その、ええっと……」

 

 何か用があって追いかけて来たくせに、妙にもじもじし出した少女に、巧は怪訝そうに眉を寄せるが、すぐに興味を失ったような顔つきに変わる。

 

「なんでもないなら、行くぞ」

 

 裾をぱっと振り払って立ち去ろうとした巧に、マシュは慌てて声をかけた。

 

「それじゃあ、その、少し話を――したいの、ですが」

 

「……話?」

 

「あの、特異点から帰ってきてから、先輩はずっと眠っていましたから。話をするタイミングがあまり無くて」

 

「……俺、寝たいって言ったよな」

 

「いえっ、嫌なら良いんですっ。無理に付き合わせて、先輩の気分を害してまで、わたしの我儘を押し通すわけにはいきませんから……」

 

 何気ない仕草ながらも、振り払われた事が効いているのだろう。一歩どころか五歩以上引きがちな態度を見せるマシュに、巧はなぜか自分が責められているかのような気分になった。

 粗雑な見た目と性格をしていたがゆえに、大人しめの女にはまるで縁が無い人生を送ってきたため、どんな対応をすればいいのかまるで見当がつかない。真理やオルガマリーといった、強気で自分の我儘を押し通す事に躊躇の欠片もない女ならば、それなりに会話できるのだが。

 

「……」

 

 しばらく無言でいる。そして不安そうにこちらの様子を伺ってくるマシュをちらっと見やった後、巧は背を向けてゆっくりと歩き出した。やっぱり出過ぎた真似をだったかと、大きく落ち込むマシュに、ぶっきらぼうな声がかかった。

 

「――話、しないのか」

 

 言葉の意味を一瞬理解できず、少女は固まる。続く無言にどうなんだよ、とじれったそうにする巧にようやく我を取り戻し、マシュは慌てて大声をあげた。

 

「……し、しますっ。絶対しますっ! わたしの全身全霊を懸けて、話を聞いた誰もが拍手喝采してやまない会話役を成し遂げてみせますっ!! 必ずっ!!」

 

 そこまで求めてはいない。

 

 

 ○

 

 

 軽い道案内を受けたとはいえ、カルデアについて精通してる訳がないため、巧は先導するマシュの後ろを猫背気味にそろそろとついていく。数分ほど経ち、やがて二人の視界に、一際巨大な窓が見えた。雪で全身を白く染めあげた山脈を、広々と望むことができたはずのその窓の外は、今では底無しの闇が蔓延るばかりである。

 景色を眺めながら談笑できるよう設置された、こじんまりとしたテラスに座る。巧が、近くのぼやけた光を放ちながら佇む自販機をなんとなく見ていると、対面に座ったマシュがふと懐かしそうに呟いた。

 

「……こうして二人でいると、先輩と初めて会った時の事を思い出しますね」

 

「……会った事、あるのか」

 

「はい。……と言っても、ほんの二、三日前の事なんですが……覚えて、ないですか?」

 

 否定の意を込めて首を横に振る。マシュは残念そうな顔をしたが、すぐに明るさを取り戻すと、自分が藤丸立香という少年とどのような出会いを果たしたのかを、説明し始めた。

 

「霊子ダイブに慣れていなかった先輩は、シミュレートを受けてすぐ後に、廊下で眠ってしまわれたんです。それを偶々散歩していたフォウさんが見つけて、その後を追いかけていたわたしが声をかけて、そして先輩は目を覚ましました」

 

「……廊下で、寝てた」

 

「はい。それはもう、気持ちよさそうにスヤスヤと」

 

「凄いな、そりゃ」

 

 他人事丸出しの感想を思わず漏らしてしまった巧に、マシュはおかしそうに唇を曲げる。そして、どこか照れ臭げに続けた。

 

「わたし、変ですけど、それで思ったんです。ああ、この人は、本当に人間らしいんだなって」

 

「人間、らしい……」

 

「敵意も脅威も感じられず、悪意や害意を放たない──誰かはそれを情けないと、軟弱だと評するかもしれませんが、そんな先輩だからこそ、わたしはそう呼ぼうと思ったんです」

 

 仄かに頰を赤らめるマシュを見て、巧は少女には見えない角度で、密かな自嘲を顔に浮かべた。本当に人間らしいと言われた人間の中に、本当は人間ではない自分が入り込んでいる。ひどい、皮肉だった。

 気まずさに濡れた沈黙が、まったく唐突に訪れた。巧はともかく、詳しい事情が分からないマシュにとっては、自分が何か失言をしてしまったのではないかと気が気でない。両者とも次の言葉を繰り出すことができず、このままどうしようもない重苦しさが続くかと思われたその時、空気を打ち破るような男の声が、カルデア全体に響き渡った。

 

『──藤丸くん、マシュ。レイシフト準備がようやく整った。君たちも準備ができ次第、管制室に集まってくれ』

 

 男の声は、伝えるべき用件だけ告げて、鳴り響いた時と同様、断ち切られたように突然に途切れた。あまり話せませんでしたね、と黙り込んだ放送機器を残念そうに見上げるマシュを他所に、さっさと立ち上がろうとした巧は、視界の端に見える少女の手が微かに震えているのを見て取り、

 ついに我慢が、ならなくなった。

 

「なあ」

 

「はい?」

 

「何で、怖がるくせに戦うんだ」

 

 自然と問い詰めるような響きになってしまい、少し躊躇う。それでも、尋ねずにはいられなかった。

 男の真っ直ぐな視線に偽る事は不可能だと悟ったのだろう。マシュは少しだけ顔を俯けて、か細い声で巧に聞いた。

 

「……気づいていたん、ですか?」

 

「見りゃ、わかる」

 

 そこで初めて、片手の震えに気づいたマシュは、咄嗟に覆い隠すように、もう片方の手で包み込んだ。弱々しく笑う姿は、どこからどう見ても、戦いに向かうべき人間には見えない。だからこそ、どうしても聞いてみたくなってしまったのだと思う。確かめたくなってしまったのだと思う。

 ──恐怖を抑え込んでまで、戦う理由を。

 怖気付く心を奮い立たせるように、大きな深呼吸をひとつして、マシュは滔々と語り出した。

 

「……わたしは、先輩に命を救われました。だから、先輩を守る為だけに一度拾ったこの命を懸けようと、特異点に来た時はそう思っていました」

 

「……」

 

「でも……先輩がひとりでも戦える事を知って、わからなくなったんです。何を守る為に、盾を持てばいいのか」

 

 マシュは、震え続ける自らの白い手に、問いかけるかのような視線を向けた。守るべき対象と見ていた相手は、自分の手など借りなくともひとりで立つ事ができて。守るべき立場にある筈の自分は、逆に守られてばかりで。

 表にはさすがに出さなかったが、何度も何度も迷った。白状すれば、自分が盾を持つ必要など、どこにも無いのではないか──そう思った事さえある。

 けれど、

 

「──けれど、キャスターさんと出逢って、セイバーさんや他のサーヴァントたちと戦って……わたしの中に宿っていた、名前もわからないあの人が託してくれた力に、意味を持たせたいと思ったんです。見つからないで済ませてしまうのではなく、あの人から受け継いだ物を、ここで終わらせたくなかったんです。

 そしてようやく、見つけました。カルデア、それにドクターやダ・ヴィンチちゃん。職員の皆さんに、先輩──それがわたしの、守るべき物。それがわたしの、戦う理由です」

 

 少女の手から、既に震えは、無くなっていた。

 力強い決意の光を宿したマシュの眼差しに、巧は内心で嘆息する。守られてばかりなのは、むしろこちらの方だった。少女がいなければ、何度自分は死んでいた事か。ただ、それを告げようとする度、どうしても気恥ずかしさの方が勝ってしまう。だから巧は立ち上がり、マシュの髪をヤケクソのようにぐしゃぐしゃとかき混ぜた。

 突然の暴挙に目を白黒させるマシュに、巧は目を逸らしながら、それでも確かな声色で言った。

 

「強いよ」

 

「へ――」

 

「強いよ、おまえは」

 

「あの、それはどういう」

 

「行こうぜ、待ってんだろ」

 

 マシュは、妙にすっきりした足取りで歩き出した己がマスターの背中を呆然と眺めた後、曇りを拭い去った相貌のまま歯切れのよい返事を返した。

 

 

 ○

 

 

 管制室に入ってきた巧とマシュを見て、ロマニはひらひらと手を振った。控えめに手を振り返すマシュに対し、巧はつまらなそうにあたりの機材や忙しなく行きかう職員たちを見回している。対照的な二人の様子に苦笑しながらも、ロマニは目の前の二人に、今回の作戦の概要について話し始めた。

 

「今回レイシフトするのは、観測された七つの特異点の中で最も揺らぎが小さな時代だ。だからといって、油断しちゃいけない。君たちの前に立ちはだかるのは、歴史その物だ。必然的に、多くの英霊や伝説が敵になることだろう――」

 

 輝くカルデアスを見上げながら、ロマニは続ける。

 

「きっと、辛い旅路になる。それに、どんな結末が待っているのか、まったくわからない。それでも、僕らは足を止めてはいけないんだ。たとえそれが過去に弓を引く冒涜その物だとしても、僕らが僕ら自身の未来を取り戻す為には、そうする以外の道はない」

 

 試すようにそう問うたロマニに、巧はただ拳を握り締め、マシュはきゅっ、と唇を引き締める事で応えた。ロマニはそれを見て、安堵と心配が綯い交ぜになった複雑な笑みを浮かべる。そして湿っぽい空気を叩き出すかのように自分の頬を勢いよく叩くと、元気よく声を張り上げた。

 

「さあっ、いよいよ、君たちの旅の始まりだっ! 門出は盛大に祝ってやるべきなんだろうけど、生憎時間がない――から、帰りを楽しみにしておいてくれ。ご馳走をたっぷり用意しておくから」

 

「まずはなによりも、ベースキャンプとなる霊脈を探すようにね。じゃなきゃ、物資を遅れないから……ああ、それと、藤丸くん」

 

 ダ・ヴィンチは、思い出したかのように巧に近寄ると、胸元からファイズフォンを取り出した。どこから取り出してんだコイツ――と思い切り後ずさる巧の手を強引に取って、問答無用で携帯を握らせる。

 

「あんまり時間が無かったからちょっぴり機能するか不安だけど、カルデアと連絡が出来るようにしておいたから。よほどの異常が無ければ、いつでもどこでも通じるよ」

 

「……弄くったのか」

 

 手の中のファイズフォンが、途端に怪しげな壺か何かに見えてきた。顔を顰める巧とは正反対に、ダ・ヴィンチの顔は興奮と満足で色めき立っている。

 

「まぁね。ふふ、久々に骨のある仕事だったよ。並みの既製品を改造するのとはワケが違った」

 

 鋭く尖った左手の人差し指をふりふり振って喜びを示すダ・ヴィンチに、巧は何か言おうとして辞めた。段々と目の前の変人がどれだけ無茶苦茶な性格をしているのか、分かってきた気がする。だが、悪い奴ではないのだと、思う。巧が、躊躇いながらも、渋々とポケットにファイズフォンを仕舞うのを見届けて、ようやくダ・ヴィンチは巧たちからスキップで離れていった。

 荒らすだけ荒らして去った台風を見送るような視線をしていたロマニは、困ったような笑みを浮かべた。

 

「……まあ、その、カレはああいう人種だから。いや、悪い奴じゃないんだけどさ」

 

「それは、わかる」

 

 中心で巻き込まれてしまった本人である巧の顔に、濃い疲労が映っているのを見てとって、ロマニは同類を見つけたような親しさを表した。しかしマシュの咳払いを聞いて、すぐさま我に返る。

 

「……とにかくそういう事で。どうにも締まらないままだけど、頼んだよ。藤丸くん、マシュ。――君たちの健闘を祈る」

 

 ロマニの言葉を受け取り、そして巧は、案内された細長いカプセルめいた形をした、一基のコフィンに乗り込んだ。透明な扉が足元からせり上がり、完全に内部と外界が遮断された瞬間、うたた寝をしている最中のような、脳の奥から湧き出した霧のような眠気が、ゆっくりと意識を溶かしていく感覚が巧を襲った。

 視界を埋める暗闇、断続する白光、さらさらと灰が渦巻く音、拍動する心臓、

 穏やかな風、生暖かい陽射し、誰かの声、響いて

 やがてすべてを、厳かな静謐が支配し――――

 

 

 全工程 完了(クリア)

 グランドオーダー 実証を 開始 します。

 

 

 

 

 

 こうして、乾巧のグランドオーダーは、ついにその幕を開けた。

 あらゆる苦悩と煩悶を湛え、無数の希望と絶望を抱えて。

 何時か必ずやって来る、灰と蒼炎の異邦者を待ち望みながら。

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