Fate/Φ's Order   作:うろまる

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あけましておめでとうございます。
クソ遅すぎる新年初投稿ですがこれも乾巧ってやつの仕業なんだ……




第一節「穏やかな旅の始まり」

 

 

 

 ――――――夢を見ている。

 

 

 朦朧とした意識の中でまず浮かび上がってきたのは見知らぬ白い病室だった。無機質という文字を辞書から引っ張り出してきてそのまま形にしたような病室は雑音一つ存在しない。それゆえに自らの呼吸が大きく響くおかげで、部屋の中は逆に騒音が満ちているように感じた。

 ここは何処だ、とまず思い、次にここから早く抜け出さなくては、と思った。自分はこんな所で暢気に寝ているわけにはいかない事情がある。それが何なのかは思い出すことはできないが、必ず成し遂げなければいけないという確信だけはあった。

 だから、乾巧はベッドから立ち上がろうとして――驚いた。

 手足の細さに、白さに――その弱々しさに。

 同時にハッキリと意識が気づいた。この身体は自分の身体でも、ましてや乗り移ったあの身体でもない。呆然としながら自分の意思を持って動く自分のものではない手を見ていると、がちゃり、と扉が開く音が聞こえた。振り向くとそこには白衣を着た男がおおよそ歓迎する気にはなれない表情を浮かべて立っていた。

 

「――被検体番号■■、■■■・■■■■■■。これより第十八回目の戦闘実験を開始する。準備が整い次第、実験室に来るよう」

 

 男は手元のボードを見るばかりでこちらには少しも視線を送らないまま淡々とそんなことを告げた。そして巧の身体もまた抗うことをせず淡々と準備をし始める。まるで、逆らうという行為そのものを知らないかのようだった。そこには自分の意思というものが欠片も存在しない。

 生きた人形。 

 まさしくその言葉が似合う身体は準備を整え終えたらしくベッドから立ち上がると、とてとて、とつたない足取りで扉に向かって歩き出した。先ほどとは違いまったく制御が効かなくなったことに歯噛みしている最中、大きさを測るのもバカらしくなってしまうほどのサイズをした窓ガラスがふと目に入る。

 そこに映ったのは、無機質な虚無を張り付けた幼い少女の、伽藍洞の光を宿した紫紺の瞳――――

 合うはずのない視線が、合い、

 

「――――あなたは、誰?」 

 

 暗転。

 

 

 

 ○

 

 

 

 やがて。

 乾巧は、見知らぬベッドの上で目を覚ました。

 

「…………」

 

 またこの展開か、と思いながら、ゆっくりと身体を起こす。この身体に入ってからというもの、見知らぬ場所でいきなり目を覚ましてしまう頻度がかなり多くなってきたような気がしないでもない。

 もしかしたら、そういう星の元に生まれた身体なのかもしれない、と思う。巧は元々旅に慣れているため動揺する事は無くなってきたが、元の身体の少年は一体どのような感想を抱いたのだろうかと、ふとそんな事を考えた。

 寝ぼけ眼のまま、辺りを見回す。ベッドで寝かされていたことから、少なくとも外ではないだろうというあたりだけはついていたが、それでも警戒を怠るわけにはいかなかった。外だろうが中だろうが、ここはすでに巧の常識を遥かに超えた物――魔術が関与している事に、変わりはないのだから。

 部屋の外観をひと言で表すなら質素で、控えめだった。壁にぴったりとくっつく形で三個ほど立ち並んだタンスに、木材と埃が入り混じったにおいを漂わせながら佇む机と椅子のセットがひとつ。自分が今寝転がっているベッドも含めると、確認できる家具はその三つだけだ。

 自室によくある生活感といったものが欠片も感じられない……死んだ部屋、とでも言うべきだろうか。机の正面すこし上で開けっ放しにされたままの窓から差し込む陽の光は、温かい筈だというのに部屋の様子と相まってるせいでやけに薄ら寒い印象を巧に覚えさせた。

 そこで、何かが机の上でちらちら光っているのが見えた。まだ温もりが残っているベッドから、のそのそと立ち上がった巧が近づいて見てみると、そこには羽を括り付けたペンらしき何かが一本と、意味を全く理解できない文字列が数行ほど綴られた白い便箋が一枚あった。何を書いているのかはさっぱり分からないが、少なくとも日本語ではない事だけは確かだとわかった。

 ひょい、と摘み上げて、矯めつ眇めつしながら眺めてみる。視界の中で揺らぐ紙が陽光を受けて微かな輝きを放ち、黒い文字列が光を吸い込んでインクの色をさらに濃くしていく。

 

「……英語か?」

 

 フランス語である。

 だがその違いが、この男に判別できるはずもなかった。巧はしばらく摘み上げた紙をひらひらと縦横に動かしながら眺めていたが、やがて乱雑極まりない手つきでぱっと紙を放り捨てると、次いで開きっぱなしになった窓の外に目をやった。

 巧の視界に、爽やかな色の青を目いっぱい塗された広い空と、ぽつぽつと浮かぶ綿菓子のような雲の群れと、馬鹿みたいに広い草むらが一瞬で広がった。

 どうやら巧が今いるこの建物は小高い場所に建てられているらしく、少し離れた場所に、幾つかの屋根が集まった村らしき物を確認する事ができた。ふと髪を撫でた風の中には、草いきれと獣の匂いが複雑に入り混じっている。

 明らかに巧がかつて過ごしていた時代でも、恐らくこの身体の持ち主が過ごしていた時代の風景でもない。ましてや、巧の両親が生きていた頃よりも──ずっと前に違いないだろう。常識から大きく外れた理が支配する世界に、自分が置かれてしまった事を、巧は改めて実感した。

 

「……どうすっかな」

 

 がりがり、と頭を掻きながら考える。まず一番に実行すべきはやはりマシュとの――カルデアとの合流だろう。自分がこの場所に来たそもそもの理由を顧みれば当然だ。だが、そのためにはまず自分が置かれた現状を理解しなければならなくて。そしてその現状を理解するためにはここを抜け出さなくてはならなくて。だが何がどうなっているのか分からない状況で自分が迂闊な行動を起こしてしまえば、以前の炎の都市のように本来ならば協力し合う筈の仲間と争うという面倒事が起こるかもしれなくて。

 

 ――あー、面倒くせえ。

 

 そのうち考えるのが面倒になり、巧は纏わりついてくる思索を振り切るかのように、長く深い溜め息を吐いた。元々、自分ごときの頭でごちゃごちゃ考えたところで、事態が打破できるわけがなかったのだ。

 巧はポケットの中に入っていたファイズフォンを軽く握り締めると、自らを鼓舞するかの如く、いささか乱暴な勢いで扉を開いた。何があろうと絶対に立ち止まらないといまここで腹を決める。こういうのは怯んだ方が負けなのだ。どんな時でも強い態度を取るべきなのだ。

 そう決意を新たにした次の瞬間、

 

「うぎゃうっ!」

 

 無視できない音が二つ、厳かに鳴り響いた。

 一つ目の音の正体は勢いよく開かれたドアが誰かにぶち当たった音で、もう一つの音の正体は扉がぶち当たった誰かが気を失って床に思いっきりぶっ倒れた音だった。

 嫌な予感がする。

 

「……」

 

 ノブを握った掌に波のように伝わってきた鈍い感触に冷や汗を垂らしながら、巧は先ほどの勢いを完全に殺してゆっくりとドアを開いていく。

 そこにあったのは目を回しながらウンウンと呻く、大きなたんこぶを額にこさえた、まったく見知らぬ女の姿。

 

「……」

 

 そして、

 巧はまず最初に何も見なかったフリを実行するべく、そっと扉を閉じた。

 

 

 ○

 

 

 さすがにそのまま放置しておくというのはマズいと考えたらしい巧が、床に転がったまま動かない小柄な体躯を抱き上げてベッドに寝かせたほんの数分後に、寝込んでいた女は意識を取り戻した。あれほど大きく鈍い音がしたのだから、少なくとも数十分は付きっきりになるだろうな――と少しだけうんざりしていたのだが、意外と昔の人間は頑丈なのかもしれない。

 

「――ぅ、うん。あ、れ。ええっと、わたし――」

 

 呻きつつ、目を擦りながらゆっくりと上体を起こした女に、傍に持ってきた椅子に座っていた巧は、そのような状況に追いやった張本人であるにも関わらずひどく適当な調子で、

 

「大丈夫か」

 

 と、ひと言だけ尋ねた。

 問い掛けられた女は未だに意識に靄がかかっているらしく、しばらく朧気な目つきのまま意味のない曖昧な言葉をもごもごと口内で繰り返していたが、ふとした拍子で我に返ったらしく、やがて壮絶な勢いで取り乱し始めた。

 

「――――って、えっ! あ、ええっ? な、なんで私がっ。えっ、あっ、ええっ? どうしてっ、貴方じゃなくて私がベッドに寝て……えっ!?」

 

「……慌てんのは後にして、先に答えてもらってもいいか」

 

 巧がそう言うと、女は戸惑いながらも騒ぐのを止めて、赤くなった額を擦りながら話し始めた。

 

「……へ、あ、えっと、はい。おでこがなんでか凄く痛むんですけど……どうにか、はい。大丈夫です」

 

「そうか」

 

「……あの、もしかして私、倒れてました? この部屋を尋ねてからの記憶がさっぱり無くて……」

 

 女の申し訳なさそうな上目遣いから顔をそっと背けた巧は、扉に視線を向けながら

 

「そこに倒れてた。疲れてたんじゃないのか」

 

 とおざなりに答えた。ここまで嘘のつき方が堂々としているといっそ清々しささえ感じる。

 男の言葉が、真っ赤を通り越して煌々と燃え盛り続けている嘘だという事がわかっていない女は、恥ずかしさから白い肌を紅潮させると、花弁の重さに堪えかねて茎を折ってしまった花を思わせる角度に頭を垂れた。

 

「そうですか……その、ご迷惑をお掛けしてしまって、すみません。お恥ずかしい姿を見せてしまった上に、ベッドまでお借りしちゃって……」

 

「いや……何かあった方が迷惑だから、別に良い」

 

 巧はいちおうの本心を吐き出したあとで言葉を切ると、肩の荷が下りたと言わんばかりに、ほう、と大きなため息を吐いた。とても気絶させた張本人とは思えない態度だったが、そのような事情は露ほども知らない女は、そんな巧の姿にほわほわと心を暖かくしていた。

 何故かは知らないが、この見知らぬ人は自分に怪我がなかった事を心の底から安心してくれている。人の真心というやつはなんて暖かいものなのだろうかと、少女が見当違いな事を考えている傍で、巧はそれで、とひと言置いて、頭の中で渦巻いていた疑問を女に問いかけた。

 

「ここは何処だ。あんたは、誰だ」

 

 女はしばらくぱちぱちと目を瞬かせていたが、やがて凛と背筋を伸ばして、

 

「そうですね、まずは自己紹介から――クラスも真名も、本来ならば易々と明かすべきでは無いのでしょうが……貴方たち、というか人理についての大まかな事情は大体説明してもらいましたから、信頼に足る証という意味も込めて、遠慮なく名乗らせていただきます。

 ――私はサーヴァント・アサシン。真名をコルデー――シャルロット・コルデーと申します! どうぞ、お気軽にコルデーとお呼びくださいっ!」

 

 と、そんな名乗りを果たした女は――シャルロット・コルデーは、花が咲いたような笑みを浮かべた。

 

 

 ○

 

 

 シャルロット・コルデー。本名を、マリー=アンヌ・シャルロット・コルデー・ダルモンという。

 かのフランス革命で立法議会と国民公会の党派であったジロンド派を擁護し、当時の敵対勢力とされていたジャコバン派の中心人物である活動家のジャン=ポール・マラーを暗殺した女性である。

 マラー暗殺後、暗殺の動機や背後関係を探るべく数多くの裁判にかけられたが、ほとんど無計画に近い状態で暗殺を実行したということ以外は何もわからず、最終的には断頭台へと誘われてしまった。……だが、その際にこれからギロチンに首を撥ねられる人物とは思えない凛々しさや儚さ──そして美しさを見せたことから、後世において「暗殺の天使」と呼称された。

 聖杯戦争において、聖杯を獲得するために必要な戦闘手段である以前に、人類を守護するという使命をガイアから与えられたサーヴァントたちは、それゆえに生前も国士無双、一騎当千の英雄として名を馳せた者――それ以外も存在するが――が非常に多い。そして、英雄と評されるにふさわしい逸話や、常人には到底理解できない人間性を持った者もまた然りだ。

 しかし、彼女にマラー暗殺以外のこれといった目立つ逸話は特に無く、その人間性もまた読書を好む物静かな女性と、さして特異なものでは無かったらしい。しかし、そのように出生も人物もいたって普通だったからこそ、シャルロット・コルデーはその行為の特異性を人々――あるいは世界に認められたことによって、「暗殺の天使」の名を冠した暗殺者として人理に刻まれたのだろう――

 

『――とまあ、簡単に纏めると彼女はこういうサーヴァントなんだけど、どうだい? あんまり説明するのは得意じゃないんだけれど、大体はわかった?』

 

「ああ」

 

 ファイズフォン越しに聞こえてくるロマンの声にそんな返事を寄越した巧の顔を見てみると、ほとんど話を聞いていなかったことがよくわかる。しかし電話越しでそれに気づけというのは困難だろう。ロマンはそうかなぁわかりやすいかぁぼくの話術もまだまだ捨てたもんじゃないねえウフフ、と無邪気に喜んでいた。

 無常である。

 コルデーが起きたあと、巧は彼女に案内される形でマシュと合流することにした。どうやらレイシフトが成功した後でものんきに眠りこけている間に簡単な事情を説明していたらしく、ほぼ初対面の巧にコルデーが真名とクラスを易々と明かしたのも、そういった出来事があったからだそうである。

 面倒な手間が省けて助かる……というのが巧の正直な感想だったが、同時に不安な点もあった。

 果たしてこのサーヴァントは、本当に味方と断言できるのかどうか。

 アサシン、という言葉を聞いて巧が真っ先に思い出したのは、あの瘴気混じりの炎が群れを成した都市で出会った、黒外套に白い骸骨の仮面を顔面に張り付けた影だった。

 枯れ木のような痩身から放たれていた迷いも躊躇いも無さ過ぎる殺意は、今も身体に染みついている。だからこそ、自分のクラスをアサシンと名乗ったコルデーには、密かに警戒心を抱いていたのだが――

 

「するれーぽんと、あびにょーん、ろーにーだんす、ろーにーだんすっ」

 

 どこからか湧いて出た子供と手を握り合いながら一緒になって何かを歌っている様子を見ると、とても暗殺者の名を冠する英霊とは思えなかった。それどころか、サーヴァントにさえ見えない。キャスターやセイバー、マシュなどといった存在が必ず醸し出している人間離れした戦意を感じることができないのである。

 そんなことを言うと、ロマンはううん、と少し考え込んでから、

 

『アサシンはそういうクラスだからね……正攻法で相手を叩き潰すよりも、策を弄したり暗躍したりして勝つタイプだ。確か聖杯戦争におけるアサシンは、ハサン・サッバーハという中東の暗殺教団の頭首の中からしか選ばれないんだけど……まあ、何事にも例外はある。それに、泥に汚染されていたとはいえサーヴァントと戦った君にそうと思わせないのは、立派なアサシンの証拠だよ』

 

「……そういうもんか」

 

『それに彼女が敵なら、今頃きみはとっくにお陀仏してる筈だろ? 心配は……一応しておいた方がいいかもしれないけれど、とにかく今は大丈夫さ』

 

「……」

 

「どうかしました?」

 

「なんでもない」

 

 足を止めていることに気が付いたコルデ―が不思議そうに尋ねてきたが、巧はそう返事をしてファイズフォンを閉じた。とにかく、ロクに現状を把握できてもいない今は、目の前の女についていくしかない。仮にもし裏切られたのなら――その時は、その時で考えようと、巧は思った。

 流石に行き当たりばったりが過ぎるが、あれこれ考えてからようやく行動を起こすよりも、そちらの方が自分に似合っているように見えたし、多分、何よりも信じたかったのだと思う。

 

 ――あのな。勘違いしてるよーだからいちおう言っとくが俺様はな、ガキなんて大大大大大っ嫌いっだってんだよっ……あ? 照夫ォ? ば、ばか。なんでアイツを出してくんだよ。……アイツはその……あれだ、俺様が助けたんだから、俺様に育てる責任があるっちゅーか……それだけだよっ。クソっ。なに笑ってんだよ生意気なっ。

 

 子供と無邪気に笑い合える人間は、誰かを平気な顔して裏切れるような人間ではないのだと。

 やがて、コルデーの背をとぼとぼとスローペースで追いかける巧の視界の中に、こちらに向かって大きく手を振る、猫ともリスともつかない例の小動物をそばに付き従えた鎧姿の少女が入った。

 

「――――い、んぱ――――――いっ、せんぱ――――いっ! 起きられたんですね――――――っ! おはようございま――――――すっ!」

 

 わざわざ大声で言う必要ないだろ。

 そう叫び返したかったが、すぐ先を歩くコルデーが向けてくる微笑ましそうな視線に気力を失ってしまい、巧は気怠そうに片手を挙げてマシュに応えた。

 

 

 

 ○

 

 

 

「……それにしても、世界そのものが焼却されてしまうなんて……そんなに大変なことが起きてるんですねえ」

 

「話聞いてたんじゃなかったのかよ」

 

 目を驚きに瞬かせるコルデーに巧は呆れの視線を向ける。それを受けたコルデーはむすっと頬を膨らませると心外そうに、

 

「ちゃんと聞くのが初めてなんですっ。話を聞かないおっちょこちょいの天然を見るみたいな目で私を見るのはやめてくださいっ」

 

 と言った。その仕草がおっちょこちょいの天然に見える原因に繋がっていることに、果たして気づいているのかいないのか。おそらく気づいていないに違いない。だが巧はそれをわざわざ指摘することをせず、ちら、と開けっ放しにされた扉や窓から見える外の景色に意識を向けた。

 マシュと合流したあと、巧たちは改めてこれからの方針を話し合うべく、コルデーが現在仮住まいにしているというこじんまりとした家屋に案内されたのだが、村の中は雑多な音で溢れかえっており、家の中に入っていても様々な――大通りを通るたびに軋みを立てる馬車の車輪、荷物を売り歩く行商人が張り上げる枯れただみ声、大きな水車が上げる水しぶき、鍛冶屋が何度も振り下ろすハンマー――音が入り混じって聞こえてくる。喧噪と人ごみが嫌いな巧は、さっさと家の中に入ってしまいたかったのだが、マシュが目に入るすべてが珍しいとばかりにあちこちふらつき回るおかげで、余計な時間を食ってしまったことは記憶に新しい。

 話し合いにまったく興味を持てない巧と、話し合いよりもどうしても気になってしまうことがあまりにも周囲に多すぎるマシュが外の景色をちらちらと眺めている傍で、ロマンはコルデーとの会話を着々と進めていた。

 

『レフ・ライノール――いや、敵が人理を焼却することで何を企んでいるのかはまだ分からないけれど……とにかく、この時代を破壊しようとしているのだけは確かなんだ。それで改めて聞くんだけど、この時代で何か変わったところは見られなかったかい?』

 

「変わったこと?」

 

 こくり、と頷いたロマンに、コルデーは困り眉になりながら、

 

「そう言われても……この時代に呼ばれてからまだ数日しか経っていませんし、ここでの生活に馴染むのに精一杯だったので、あまり詳しくはありませんよ」

 

 と呟いた。しかしロマンは気にすることなく、

 

『本当に何でもいいんだ。たとえば、さっきマシュと藤丸くんから聞いた巨大な光の環みたいな大きな物から、小耳に挟んだ程度の小さな物まで。今はとにかく、情報を集めなきゃ始まらない。何がおかしくなっているのかさえわかっていないんだからね』

 

「はあ……異変、異変……」

 

 コルデーは手を顎に当ててしばらく考え込んでいたが、瞳の中に思い当たることが見つかったらしき光を灯すと、探るような口調で話し始めた。

 

「さっきも言った通り、私はこの世界に呼ばれてから日が浅いので、あまり正確なことまでは知らないんですけど……今から数日前、オルレアンに魔女の襲撃があった、という話なら少しだけ知っています」

 

「魔女、ですか?」

 

 聞き慣れない響きに、ようやく会話に集中し始めたマシュは怪訝に眉を曲げた。コルデーははい、と首肯を返して話を続ける。

 

「魔女はこの時代に――いいえ、この世界に存在するはずのない竜を無数に引き連れて、オルレアンにて戴冠を受けたシャルル七世を殺害したと。――あくまでも噂なんですが、魔女の正体はジャンヌ・ダルクと聞きました」

 

『――ジャンヌ・ダルクだって……!? そんな馬鹿なことが……』

 

 コルデーの言葉にロマンはよほどの衝撃を受けたらしく、虚空に映し出されたロマンの像が大きなブレを見せた。立ち上がったのかもしれない。巧は何が何だか理解できず、同じように驚きを隠せないでいるマシュに向かって、

 

「誰だそいつ」

 

 と尋ねた。マシュは信じられないものを見るような目で見てきたが、やがて噛んで含めるような説明を始めた。

 

「――ジャンヌ・ダルクは、百年戦争で追い詰められていたフランスを救った英雄です。彼女の初陣であり、そして初めての勝ち戦となったオルレアン包囲戦は、敗色が色濃かった当時のフランスにとって、ある種のターニングポイントになりました」

 

『彼女がオルレアンを解放したおかげで、行き詰まっていたフランスは勢いを取り戻し、シャルル七世が正式に国王の座に就いた事によって、彼女は名実共にフランスを救った聖女になった──これが本来の歴史の流れだ』

 

「……で、それのどこに驚く必要があるんだ」

 

 どうも腑に落ちない巧の問いかけにロマンは沈鬱そうな表情を浮かべると、重苦しさに塗れた言葉を吐き出した。

 

『そこで終われたら良かったんだろうけどね――彼女はその後、異端審問にかけられて、処刑されてしまったんだ。しかも、味方の筈だったフランスに見捨てられたことによってね』

 

「……裏切られたのか?」

 

『彼女が捕縛された過程はどうであれ、結果的にはそういう事になるね。――だから、別に不思議じゃないんだよ。サーヴァントとなって甦った彼女が、自らを見捨てたフランスに対して復讐に走ったとしても。それに今はちょうど1431年――つまり、彼女が処刑されて間もない時代だ。けど、まさか、実際に行動に起こすなんて……とても信じられないな』

 

 ロマンは参ったと言わんばかりにがしがしと頭を掻き毟った。

 守りたいと、救いたいと思った物に、手酷く裏切られる。それはひどく辛く、許せなく、そしてとてもやるせない筈だった。

 裏切られた少女は、何を考えたのだろうか。纏わりついて離れない無念に巻きつかれて沈んだのか、堪えようのない悲しみと共に堕ちたのか、それとも──潰える事のない憎しみを抱いて焼けたのか。

 かつての木場の台詞が鮮やかに蘇る。守る価値がない物を、守っても仕方がない──甦りを果たしたそのジャンヌという少女もまたそんな事を考えながら世界を滅ぼそうとしているのだろうか――

 そこで違和感を覚えて、ふたたび通りに目を向けた。そして巧は、自分が何に対して違和感を覚えているのかハッキリと理解した。

 

「……魔女が現れたにしちゃ、随分と暢気だな」 

 

「そういえば……皆さん、すごく活気がありますね。まるでそんな事なんて元から無かったみたいに……」

 

 マシュもつられて外を見る。喧噪を次々と生み出しながら通り過ぎていく人々の表情は、どこまでも明るい。無理やり装った寒々しい空元気などではない、明るさと暖かさに満ちた本物の活気がそこにはあった。

 語られた状況から推測できる光景と欠片も一致しない光景に巧たちが訝しんでいると、コルデーは引き結んでいた唇を開き、

 

「そして、これがもう一つの噂なんですが、これもちょっとおかしくて……オルレアンに自分を『救世主』と名乗る者が現れて、その『救世主』が邪悪な魔女を打ち倒した――と、そんな話がフランスに広がっているんです」

 

 これこそが本題だ――と主張するかのような口調で、彼女はそう告げた。

 

 

 

 

 

 

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