Fate/Φ's Order   作:うろまる

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第三節「魔女、強襲」

 

「貴女は、一体────」

 

 驚愕に表情を染め上げて、呆然と立ち尽くしたまま動かない金色の少女──ジャンヌ・ダルクへと、虚空に佇む黒き魔女が差し向けた長槍は、轟々と音を立てて燃え盛る暗褐色の炎をその細身に纏いながら、少女の心臓と霊核を貫く道を最速で駆け抜けようとしていた。

 

 真っ先に動いたのは、巧。

 

 石のように固まる少女の元へと駆け出し、半ば押し倒すかのような勢いで少女の細い腰に飛びついた。団子になって地面に転がった二人のすぐ傍を、槍は炎を灯しながら通り過ぎていく。巧の背に堪え難い熱を孕んだ──幾重にも積み重なった記憶の奥底に封印されていた──痛みが走る。漏れかけた情けない呻きを怒りをもって噛み砕き、巧は吠えた。

 

「──マシュ!」

 

 少年の怒号に、マシュの反射神経はコンマ一秒の遅れもなく反応する。

 少女、腰を捻ってその場で急速に旋転。暴風めいた勢いで回転するマシュの両手に握られた円卓は、人間の手では本来生み出せないほどの莫大な遠心力を引き連れて、間近にあった一本の木の根元を深く切り裂いた。

 硬い物を打ち砕いたかのような耳障りな炸裂音が轟然と響き、根元の半分以上を一瞬で抉り飛ばされた木は、即座に倒壊を開始した。葉と枝の重さも相まって、打たれた矢のようにどんどん速度を増しながら、地面へ吸い寄せられていく木の通り道には──魔女の姿。まともに喰らえば間違いなく負傷は避けられない大質量の到来に、しかし女は視線どころか意識すら寄越すことはなかった。

 

 女の周囲に、突如として爆炎が湧き上がった。

 

 湧き上がった炎は、女とその足元ではばたき続けている竜を球形に包み込むと、着実に迫って来ていた主幹の大半を焼き尽くした。その際に生じた熱風は巧達を容赦なく打ち据え、瞬く間に周りの木々を黒く染め上げていく。焼き尽くされた静寂が、灰となって地表に降り注ぐ。

 渦巻く炎を散らし、再び空に現れた女は、まるで最初から何事もなかったかのように、ただひたすらに巧を──より正確に言えば自分を見上げてくる聖女に視線をやっている。

 瓜二つの顔をした二人の女の、瓜二つの光を宿した視線が束の間交わり、僅かな沈黙が生まれる。

 殺意と決意が複雑怪奇に入り混じった火花が宙を舞う。

 一瞬の瞬きにも満たないそれはしかし、サーヴァントが次なる行動を起こすには、あまりにも充分すぎた。

 

 魔女はふたたび旗を振りかざし──

                 ──聖女は側の男の身体を横脇に抱え上げ、

 虚空に無数の黒い槍を産み出して──

                 ──脚に練り上げた魔力を詰め込んで、

 

 一気に、解き放った。

 

 爆発音が二つ、まったく同時に鳴り響いた。

 ひとつは、無数の槍が撃ち放たれた音。もうひとつは、地面が凄まじい勢いで蹴り抜かれた音だった。

 巧の視界に映る景色が瞬く間にクリーム状に融解し、意識が半分置き去りにされた。置き去りにされた半分の意識が慌てて追いつこうと足を踏み出したその瞬間、飛来した槍の雨によって細切れに引き裂かれた。

 全ては一瞬の出来事だった。

 

「─────────────────ッ!!!!」

 

「声を出さないでください舌を噛みますよっ!」

 

「無茶苦茶、言うなっ!お前の足は一体どうなってんだっ!!」

 

「無茶苦茶ではありませんしほんの少しだけスピードを出しただけですっ!!」

 

 無茶苦茶だろうが――!

 

 静止した状態から、いきなり豪速とも言えるスピードを出されてしまったおかげで、巧はひどい頭痛と耳鳴りに襲われていた。しかしそんな細かい事を気にしている場合ではないと、ジャンヌは更にギアを上げる。

 少女が踏み込み、駆け抜け、飛び越える度に、地面に積み重なった色も大きさもバラバラな葉や草や枝が渾然一体となって、世界さえもその形をぼやけさせていくのがわかった。いままで手加減を加えながら追いかけられていたことにようやく気づき、巧は、だったら最初からそうしてろ──と、無駄に体力を消耗させられたことに対する理不尽な怒りを覚える。話し合っていればそもそもお互い走らずに済んでいた、という考えは少年の頭には無い。

 次第にではあるが、速度に感覚が慣れていき、無限に続くのではないかと思われていた薄暗い森に、少しずつ光の隙間が増えつつあることに巧は気がついた。このまま逃げ切れるか──と、巧が淡い期待を抱いたその時、巨大な異形の影が、唐突に空から覆い被さってきた。

 金切り声にも似た咆哮が響く。迫る脅威にいち早く気づいたジャンヌは方向を変えようとするが、それよりも一足早く放たれた黒い槍は、少女の後ろ足を鋭く刺し貫いた。

 

「────っ」

 

 鎧と布と肉が削がれた鈍い音が響く。苦悶に顔を歪ませながら、ジャンヌは巧と共に地面に倒れ込んだ。相当スピードがついていたためか、数メートル転がっても勢いはまったく緩まず、即席のクッションとなった巧が、前をジャンヌに、背後を木に挟まれる形になって、ようやく二人は動きは止めた。

 

「っ──お、まえな」

 

 胴体を前後から挟み込まれた巧は勢いよく咽せながら、力無くもたれかかってくるジャンヌを退けようとして、惨状に息を呑んだ。少女の右脚には深く大きな穴が穿たれており、そこから垂れたぶつ切れの筋繊維が、生臭い血液をぽたぽたと滴らせていた。

 声を失う巧に気付いたジャンヌは、強張りながらも確かな気丈さを感じさせる声で、

 

「──へい、きです。この程度の痛み、で」

 

「ええ、ええ。ジャンヌ・ダルクは、そうでなくてはなりません。苦痛に屈さず、試練に折れず、苦難に抗う──反吐が出るほど、気高くなければ」

 

 森の奥から、女の言葉が響いた。

 粘度の高い悪意をたっぷりと染み込ませたその声は、蜘蛛の糸のように全身に絡みついてきた。命が惜しければ今すぐこの場から離れなければならないことを、頭ではわかっているというのに、声の重さに絡み取られた身体がいつまでも経っても動いてくれない。

 

 ふと闇の中に、歪に光る黄金が二つ浮かび、

 女は、何のてらいもなく、巧達の前に姿を現した。

 

「──ああ。ちょっと待って、ほんっとに頭がおかしくなりそう。なにか悪い冗談だと、誰か言ってくれない? ……こんな愚図に縋らなきゃ立てないぐらいこの国は──フランスは弱くて、醜かったの?」

 

 いつしか日は西へ沈み、重苦しい夜が、森に忍び寄ろうとしていた。頭上を覆う葉の傘の隙間から見える空は、血のような赤に染まり切っている。

 そんな中にあっても、女のどす黒い漆黒の鎧と、金色の瞳と、血管さえ見えそうなほど白い肌は、異物のように浮いて見えた。

 

「──初めまして、ジャンヌ・ダルク。哀れで惨めで救いようがない、救国の聖処女サマ?」

 

「貴女は……何者ですか」

 

「この顔を見ても、まだ察しがつかないのですか? ここまで鈍いと、呆れを通り越していっそ哀れに思えてきますね。それとも、わざと気づかないフリをしているのかしら?」

 

 くすくす、と童女のように無邪気に笑いながらも、その奥に隠し切れない悪意を押し込めてあるその顔は、とても自分と同じ物だとは思えなかった。ジャンヌは熱に浮かされた気分になりながらも、どうにか言葉を捻り出す。

 

「何者なのかと、訊いているんです」

 

「──ジャンヌ・ダルクですよ、『私』」

 

 艶かしい指つきで己の頬を撫で上げた女は、微かに自嘲の響きが入り混じった口調で、

 

「ドンレミに生まれ落ち、主の声を聴いたと嘯き、聖女を騙ってオルレアンを解放し、最期は祖国に裏切られて焼け死んだ──ジャンヌ・ダルクです」

 

 と、闇の中でも透けて見えるほどの嫌悪を浮かべながら、もう一人のジャンヌ・ダルク――ジャンヌ・ダルク・オルタはそう語ってみせた。

 

 

 

「……貴女が、私ですって?」

 

「信じたくありませんか? それは私も全く同じ意見ですよ。貴女のような、聖女気取りの薄汚い溝鼠と一緒だなんて、気持ち悪くって仕方がない」

 

「……私が聖女であったことなど、生前において一度もありません。これからも」

 

 決然としたジャンヌの物言いに、オルタは妖艶な赤に濡れた唇を三日月状に歪めて、

 

「──あら、あらあらあら。まだそんな馬鹿げた主張を掲げているのですか? 血を流し続けることを自分のみならず周囲にも強要し、救うに値しない下らない国と下らない人間どもを救い、この世の全てに裏切られて死んだ……ふふ、これを聖女と呼ばずして何と言うのです?」

 

 オルタはそこで言葉を切ると、何もかもが下らないと言わんばかりの、鮮やかな嘲弄を浮かべた。巧には、それが不自然さの欠片もない──その顔にひどくふさわしいものだと感じてしまった。この少女には、世界をそう憎むだけの資格があるのだと理解できてしまった。

 押し黙る巧をよそに、二人のジャンヌはさらに問答を続ける。

 

「彼を──シャルル7世を殺したのは、何故ですか」

 

「ここまで言ってもまだ分からないのですか? 裏切りに、報復は付き物でしょう」

 

「……彼は、彼がすべきことを為しただけです。彼だけではありません。この百年戦争を駆け抜けた全ての人間は、己の為すべきことを為そうと必死でした。そこに、敵も味方も、裏切った裏切られたもありません」

 

「そうでしょうとも! みんな、自分にできることを必死にやっただけ──では、牢屋で私達を凌辱し尽くした下卑た兵士共も、主に仕える身にも関わらず醜い虚飾に溺れた司祭共も、自分にできることを精一杯していただけだと、そう仰るのですね?」

 

「……それは」

 

「まあ、貴女がどう思っているのかなんて、理解するつもりなど最初からありません。どうぞお好きなように、聖女ぶってなさい──ですが、主の声はついに聞こえなくなった。ということは、主がこの国を見捨てたことに他ならない」

 

「……貴女の、目的は」

 

 動揺を押し殺しながら放たれた問いに、黒いジャンヌは知れたこと、と更に笑みを深めて、

 

「主の声すら届かなくなったこのフランスを、沈黙する死者の国に作り替えること──」

 

 と、吐き出した。しかし、女の怨嗟はそこで終わらない。それまで世界全体に向けられていた膨大な瘴気が、ジャンヌ・ダルクたった一人に収束していく。刃先のように尖った先端を持つそれは、旗を支えにすることでどうにか身体を立たせているジャンヌに向けて、容赦なく据えられる。

 

「だが、それも最早どうでもいい。私は、私はただ……お前を殺すこの瞬間を、この世界に生み落とされた日からずっと夢見ていた────!」

 

 みしり、という音がどこからか聞こえた。

 それは、膨れ上がりすぎた女の憎悪と魔力が、質量を持ったことによって空間を軋ませた音だった。

 

「────ッ!」

 

 蹴られた。

 巧が突然の衝撃に抗い切れず地面に投げ出された次の瞬間、いままで巧が寄りかかっていた木が、木っ端微塵に粉砕した。

 地面を転がる巧の視界に一瞬入ったのは、自分を蹴ったあとで飛びのいたらしきジャンヌの姿と、砕けた木の幹に突き刺さる無数の黒い剣だった。深く突き刺さったそれは木の中にずぶずぶと沈み込んでいくと、激しい炎を溶け込んだ木の内部から上げさせる。暗闇を散らす禍々しい炎には、明らかに致死の光が秘められていた。

 

「逃げてください――逃げてっ!!」

 

 少女の叫びに、巧は唇を強く噛み締めると、マシュを呼ぼうと右手で疼く令呪を光らせる。

 ――しかしその手は、地面に串刺しに縫いつけられた。

 

「づ、あ、ぐっう――――!」

 

 燃えるような痛みが神経をあっという間に焼き切った。じゅう、と皮膚が焦げて溶け落ちた音が遅れて響き、肉の焼ける香ばしい臭いが鼻先を掠める。度を越えた苦痛はいっそ快楽に近いものなのだと初めて知った。

 脳髄を責め立てる痛みを前に、即座に決断する。苦悶の叫びと舌を噛む危険性を、服の裾を噛むことで殺しながら、巧は己の掌を貫通した短剣を一気に引き抜いた。瞬間、ごぽごぽと不快な音を立てて鮮血が傷口からあふれ出した。垂れ落ちていく赤黒い血液は、いとも容易く背景に溶け込んでいく。手に力が入らない。血塗れになった令呪が、その輝きをじわじわと薄めていく。

 

「ゴミはゴミらしく、隅で大人しくしてなさい。それとも、そんなに早く死にたいのですか? だったらお望み通り、真っ先に殺してあげ――」

 

 魔女の声は、烈風と化したジャンヌによって遮られた。

 鉄と鉄が激しくぶつかり合い、火花が激しく宙を舞う。ジャンヌは不意の一撃が防がれたと知るや否や、躊躇なく武器を手放して、代わりに勢い良く拳をもう一人のジャンヌの腹に叩きつけた。デタラメな体勢で放たれた拳撃はしかし、サーヴァントの膂力によって絶大な一撃へと変わる。

 敵が高速で消えていくのを見届けたあと、ジャンヌは肩を上下させながら、巧の前に立った。

 

「逃げて……ください。その右手の負傷は、あとで幾らでも治癒できます。貴方もマスター──魔術師なら、治癒魔術のひとつぐらい、使えるでしょう」

 

 息も絶え絶えな背中に、巧はただひと言だけ問いかける。

 

「……お前はどうするつもりなんだ」

 

「私は、ここで彼女を喰い止めます。おそらく、彼女もまた──いいえ。彼女こそが、きっと、私がこの時代に呼ばれた理由なのです。それに……私が生み出した不始末は、他の誰でもない私で付けます。だから、早く」

 

 悲壮なまでの決意に満ちた横顔だった。伸ばしかけた手をぐっと握り締めて、巧は、森の奥へと全力で駆け出していった。

 徐々に遠ざかっていく少年の気配を背中で感じたジャンヌは、限界を迎えたようにその場に崩れ落ちた。

 右脚に空いた真っ黒な穴から脳髄まで上り詰めてきた痛みは、もはや正気で耐えられる強さではなくなっている。おそらく、何らかの呪詛が込められているのだと判断――しかし、対魔力を超えるとは、一体どれだけの呪いを詰め込んだのかと、ジャンヌがもう一人の己に背筋を震わせた瞬間、

 

 炎をまき散らしながら、オルタはゆっくりと闇から這いずり出てきた。

 

「――下らない、下らない、ああ、下らない。アンタと同じ顔してるってだけで、たまらなく吐き気がする」

 

 向けられる憎悪は酷く濃密で、息をするたびに肺の中に重苦しい空気が沈殿していくのが分かった。しかしジャンヌは目を背けず、もう一人の自分の目を正面から見据える。

 

「……貴女の目的は、私でしょう。彼を狙う必要など何処にも無いはずです」

 

「はあ? 貴女、視界の隅にちらつくゴミにも慈悲を掛けているのですか? それはまあ、何とも気合の入った聖女ぶりですこと」

 

 そう言うや否や、オルタは片膝を突くジャンヌの顔面を容赦なく蹴り飛ばした。苦痛の声を上げながら仰向けに転がったジャンヌの胸を更に踏みつけた魔女は、歪んだ恍惚の表情を浮かべる。

 

「冥土の旅の道連れを気にしているなら、安心なさい。彼らには特別な相手を差し向けておきましたから、すぐに寂しくなくなりますよ――貴女もどうせ、見たのでしょう? オルレアンのアレを」

 

「……まさか」

 

 思い当たりがあったのだろう。ジャンヌは脅威に顔を染め上げると、すぐさま立ち上がらんと全身に力を込めた。しかしオルタは立ち上がるよりも早く、ジャンヌの負傷した右脚を蹴りつけた。傷口の上で、磨り潰すように足を動かし始める。

 

「ぐ――――」

 

 抑えきれない苦悶がジャンヌの口の端から零れ落ちた瞬間、魔女は抑えきれなくなったかのように、高らかな哄笑を奏で始めた。

 

「くっ、くはっ、くはは――そうですよ、その顔が私は見たかったっ! 迫る危機に対して何もできない無力な自分を悔やむその顔がっ! アンタがそうやってすました面を苦痛と恐怖と絶望で歪ませる瞬間を、私はこの世界に生まれた時から、ずうっと待ってた……!」

 

「う、ぐ――」

 

「どうか、その表情のまま死んでちょうだいね。死ぬほど嫌いなアンタのことを、いまようやく好きになれそうな気がしてきたから」

 

 痛みで霞むジャンヌの視界の中に、振りかぶった穂先をこちらに突き付ける魔女の姿が映った。

 死ぬことは、恐ろしくはなかった。それよりも、為すべきことを為せないまま終わってしまうことが、何よりも恐ろしかった。痛みに一瞬でも屈してしまったせいで、地面に転がったまま拳を握り締めることしかできない自分が、たまらなく恥ずかしく、情けなかった。こんな無様を晒す女の、何が聖女なのかと思う。

 せめて、目を瞑ることだけはしないと誓った。心残りは数えきれないほどある。この世界に存在するべきではない城塞と化したオルレアンを破壊できなかったこと。己を庇ってくれたあの少年に礼を言えなかったこと。もう一人の自分に、打ち負けてしまったこと――だけど、目を背けて、何もかもから逃げ出すようなことだけは、どうしてもしたくなかった。

 やがて迫る、切っ先。頭蓋までの距離、瞬き一度で届きそうなほど近い。

 覚悟を決めて、大きく開かれた、ジャンヌの紺色の瞳の中に、

 

 

 ――――銀色の流星が通り過ぎた。

 

 

「え―――――――」

 

 沈黙の帳が降り、心の底から驚いたかのように、時が束の間動きを止める。

 その、滴り落ちた雨粒が地面に一つのシミを作り出すよりも短い刹那の中で、

 狼の遺伝子を配されたウルフオルフェノクは、駆ける勢いを殺さず跳ぶと、槍を振りかぶるジャンヌ・ダルク・オルタの脇腹を、渾身の力を込めた両足で蹴り飛ばした。

 

 

 ○

 

 未だ治りきらない右手の傷を見て、ジャンヌは目の前の異形の正体に気がついた。

 

「――貴方、は」

 

「──」

 

 巧は、伏したジャンヌと一瞬だけ視線を合わせた。それから怖気が立つような凄まじい雄叫びを上げて、吹き飛んだ魔女へと駆けていった。

 脇腹を抑えながら立ち上がったオルタは、迫りくる風の正体が何であるかを察した途端、先ほどまでジャンヌに向けていた物に勝るとも劣らない憎悪を身体から発し始めた。

 

「オル、フェノク――――――!!」

 

 放たれる、爆炎。

 

 巧は腕を交差して、迫る炎の渦を真っ正面から突き破った。がむしゃらに払い除けた炎の幕の先に見えた敵を確認した刹那、異様な光が一つ。炎を目晦ませにした刺突。しかし巧は退かず、更に一歩踏み込んだ。こちら側からの視界がまともではないということは、あちらも同じ条件にあるはずだ。巧のギャンブル混じりの予測通り、魔女が振るう旗の先端についた穂先は、巧の頬を浅く掠めるのみに留まった。

 目を見開くオルタに構わず接近し、すれ違いざまに片手で襟元を掴んだ。喚く声は一切無視して走り抜ける。暗闇が抜けた視界の中で捉えた手近な木に、巧は女の身体を思い切り叩きつけた。

 かっ、と呼吸が途切れた音が確かに聞こえた。だが緩めはしない。巧はその場で腰を捻り、鋭い横蹴りをオルタの側頭部に向けて放った。顔面に迫る高速の凶器を防がんと、オルタは鋼鉄の籠手を身につけた腕をぴくりと動かす。巧はそれを視認したと同時にわざと蹴りの軌道を外すと、さらに回転を加えて勢いを付けた後ろ蹴りを放った。

 直撃。

 タイミングを外されて、一撃をまともに食らい、地面に転がった女の無防備な横腹に向けて、巧が足を振りかぶった――瞬間だった。女の手から突如として伸びた旗の先端が、巧の脇腹を抉り取った。

 

「──っぐ」

 

 苦痛に思わず止まった巧の顎を、立ち上がったオルタの掌底が打ち抜く。頭蓋が揺れ、意識がシャボン玉のように脆くなる。よろめく身体を制御し切れない巧を突き放すかのように、オルタは巧の腹に前蹴りを見舞った。かろうじて右腕で防御が間に合う。しかしダメージは大きく、その上、距離まで取られてしまった。

 荒くなった呼吸をどうにか沈め、姿勢を低く屈めながら隙を伺っている巧に、オルタは嫌悪丸出しの表情で語りかけた。

 

「アンタ……アイツの差し金? それとも、なに。今頃になって手遅れの正義感に駆られて、この聖女サマを助けて、あんな事になったオルレアンを救ってもらおう……なんて思ったワケ? はッ、おめでたい頭してるわ、全く」

 

「……」

 

「だんまり、か。ああそう。心底興醒めしたけど、ま、いいわ。どうせ、殺すことには変わらないんだし。理由が無いならともかく、これって明らかな裏切りだもの。そうでしょ? だから裏切り者には、報復を――」

 

 旗を振り回しながら、オルタは世界に呪いを刻みつけていく。魔女の呪言が生み出されるたびに、空間に歪みが生まれ、黒々と燃える呪いを宿した槍が産み落とされていく。

 そして、

 

「――私は、裏切りを、決して許さない」

 

 射出。

 音速を超えた速度で飛来した槍をコンマの差で回避。だが逃げ道の一つは塞がれてしまった。巧は舌打ちを繰り出すと、揺さぶるような軌道で森の中を走り始めた。灰色の残像が葉と草が波打ち続ける夜の森の海を掻き分け、まったく唐突に消えた。

 

「――?」

 

 闇に紛れ込んだ灰影を探して視線を彷徨わせるオルタの後頭部に、死角から放たれた鋭い木の枝が迫った。しかし、枝は突如として湧いた炎に焼き飛ばされる。枝を放った巧はそれを確認すると、概ねの位置を把握したことによって射出を再開した槍をふたたび避け始めた。避けながら、思う。遠距離攻撃は無駄骨、こちらの体力も無限ではない。対してあちらの槍は、おそらく体力が続く限り、何処までも降り注ぎ続ける。いや、体力や魔力とやらが空っぽになるまで無くなったとしても、相手は間違いなく続けるだろう。命さえ賭けてでも。こちらの確実な死を見届けるまで、こいつは決して止まらない――

 

 ――やるしか、ない。

 

 決意を固めた巧は急制動をかけると、元であるオルタを叩くべく闇から抜け出して、槍の雨の中へと特攻し始めた。

 

「――――そこに、いたぁっ!」

 

 標的を確認した魔女が、喜悦を浮かべた。

 踏み込んだ、一歩。加速。音が消え、世界が消えた。白熱する視界の中で見えた、絶対に避けられない軌道に置かれた一本の黒い槍。来い。叫びながら、槌のように固めた左拳で迎え撃つ。瞬間、左腕が外骨格ごと焼き尽くされた。走り抜ける痛み。漂う悪臭。フラッシュバックする遠い過去の記憶。だが、怯まない。鋭い鋼の雨に次々と装甲を削がれながらも、巧はようやく懐まで辿り着く。敵の心臓、手を伸ばせばすぐ届く距離にある。渾身の力を右拳に込めて解き放とうとしたその刹那、微かに首を傾けた女が、低く嗤った。怖気。

 

 そして、それを巧は見た。

 

 タイミングを間違って放てば、自分の頭を刺し貫いてしまうかもしれないほどの至近距離に、女は密かに槍を生み出していた。それはそのまま、巧を貫く軌道にある。ヒトとしての直感が悲鳴をあげて、さっさと退けと巧の脳に命じる。だが止まらない。例え相討ちになったとしても構わないと、獣の本能が雄叫びを上げた。どちらに従うかなど、決めるまでもなかった。

 スローモーションになった世界で、槍がゆっくりと巧の頭に迫る。巧の思考から、自分が今どういう立場にあるかなどという事は、綺麗さっぱり抜け落ちていた。

 確実な死が振り下ろされようとしている巧の頭上を、

 一陣の風が凪いだ。

 

「お、前―――――!」

 

 怒声さえ薙ぎ払うかのように、その風は勢いを強くした。たちまち離れていく陰惨な気配にへたり込んだ巧が呆気に取られていると、すっと手が伸ばされてきた。鈍く光る鉄に包まれたその無骨な手を辿って見上げてみると、そこには傷だらけの聖女――ジャンヌ・ダルクが、負傷していることなど微塵も感じさせない、凛とした姿勢で立っていた。

 

「……これで、借りは返せましたね」

 

 巧に手を差し伸べながら、ジャンヌはこの状況には似つかわしくない、朗らかな笑みを浮かべた。それにどう対応していいのか分からず戸惑っている巧をとうとう見かねたのか、ジャンヌは刃物だらけのウルフオルフェノクの手を強引に掴んで立ち上がらせた。

 様々な感情が含まれた無言の視線を、ジャンヌは欠片も気にしない。しばらく躊躇ってから、巧は恐る恐るといった感じで少女に尋ねた。

 

「……お前、良いのか」

 

「何がですか。傷ならば、案ずることはありません。貴方が時間稼ぎしてくれたおかげで、戦闘続行に支障がない程度には治癒しました」

 

「そうじゃなくて、俺は――」

 

 化け物なんだぞ――と、言葉を続けようとした巧を、再び目の前に差し出されたジャンヌの手が遮った。

 

「……色々と聞きたいことはあります。ですが、貴方は私を助けてくれました――それだけで、信じるには充分です」

 

「……」

 

「……あの、何か反応していただけると助かるんですが」

 

 そう言って、ジャンヌは差し出した手をひらひらと振った。その行動が何を欲しているのか巧は気づいたが、あえて無視を貫いた。信頼の証の握手なんて、照れ臭すぎてやってられない。ドラマじゃねえんだからよ――と心の中で愚痴りながら、巧は身を低くして、戦闘態勢に入った。

 巧のそんな反応にはあ、としょうがなさそうに溜め息を吐きながら、ジャンヌは旗を手にして、巧の傍に並んだ。

 二人が相対するは、憎悪の業火をますます強めていく魔女。

 際限なく膨らみ続けるそれは、戦うどころか正面に立つ気すら失せてしまいそうなほど、強大だ。対してこちらは、どちらも傷を負った半端者――だというのに、なぜか不思議と、負ける気がしなかった。

 

「……足、引っ張んなよ」

 

「それは、こちらの台詞です」

 

「ふざけた、真似を――――!」

 

 咆哮と共に、槍の豪雨が放たれる。

 先手は、ジャンヌ。

 爆発的な踏み込みと同時に、オルタに向かって大加速で突撃した。応じるかのようにごう、と音を立てて放たれる無数の槍を、旗を振り回して薙ぎ払い、叩き落とし、弾き飛ばしていく。聖なる刻印を宿した旗が作り出す風が、邪悪な気配を灯す炎を一挙に吹き飛ばしていく。

 その僅かな隙間を縫うように、ウルフオルフェノクが時速300kmを超える灰色の矢と化して、ジャンヌの脇から飛び出した。

 たちまち極まった、潮合。オルタが反応するよりも早く巧は得物の旗を蹴り上げると、がら空きになった胴体に渾身の一発を入れた。しかしオルタは堪え、腰に提げた漆黒の長剣を抜きざまに払った。

 巧の頸動脈を狙ったその一振りはしかし、横合いから入り込んだジャンヌによって完全に阻止される。

 激怒が魔女を染め上げる。相手の掌にふと炎のちらつきを感じた巧は、姿勢を極限まで下げて、オルタの足を払った。一瞬姿勢が崩れ、あらぬ方向へと飛んだ爆炎をちらりとも見ず、ジャンヌは黒い鎧に包まれた鳩尾に石突を叩き込んだ。

 

「が―――っ!」

 

 後ずさったオルタの視界に、入ったもの。

 それは、灰と銀をそれぞれ纏いながら突き進む、左右の拳だった。

 直撃。

 吹き飛ぶ影。巧とジャンヌは自分達の拳に、確かな感触があったことを確認した。さらに攻勢をかけるべくオルタに近づこうとした巧の腕を、立ち止まったジャンヌが掴んだ。突然の制止と馬鹿力に、巧は鬱陶しそうに振り向いて、

 

「何だ」

 

「……少し、待ってください。いくらなんでもこれは、おかしすぎます」

 

「おかしいって、何が」

 

「弱すぎるんです。……いえ、魔力は確かに想像を絶する量なのですが、その、あまりこちらに集中していないというか」

 

「……手加減してる、ってことか?」

 

「恐らくは。――ですが、その理由がわかりません。貴方はともかく、あれだけ憎んでいる私のそうする理由が」

 

 その、刹那。

 

「――――これは、憎悪によって磨かれた、我が魂の咆哮――――」

 

 世界が、文字通り凍りついた。

 この現象が何を意味しているのか、何を引き起こそうとしているのかを、巧はよく知っていた。かつて幾つもの死闘を繰り広げた燃える炎の都市において、その最奥で待ち受けていた泥の騎士が放つどす黒い輝きを思い出した脳味噌が戦慄に震え出す。

 ジャンヌの声がやけに透き通って、巧の耳朶に響いた。

 

「――宝、具……! そのために、わざと。いえ、ですが、これは……自分ごと焼き尽くしているような物っ!」

 

「おいっ、どうするんだっ!」

 

「私の後ろに下がってください、早くっ! ――間に合うか……!」

 

 激しい焦燥を浮かべながらそう叫んだジャンヌの背後に巧が転がり込んだその直後だった。

 

 光が。

 

 弾けて。

 

 

「――――吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)――――!」

 

我が神は、ここにありて(リュミノジテ・エテルネッル)―――!」

 

 

 人類を超越した存在であるサーヴァント――その最大の神秘ともいえる宝具が現世に二つ顕現し、ぶつかり合った。二つの大いなる神秘は互いに互いを喰らい尽くさんと、際限なく己の魔力を増大させていく。ある時には相手のそれを虚空に蹴散らし、またある時は相手のそれを取り込んで、淡々と――しかし確実に膨れ上がり続けていく。もはや、世界を覆い尽くさんばかりの規模。だが、終わりのない始まりなどこの世には無く、やがて両者の衝突は限界を迎える。

 一瞬の沈黙。

 そして。

 轟音と共に、世界そのものが爆散した。

 吹き荒れた爆風によって森を構成していた無数の木々は根こそぎ消し飛び、幾億もの時を経て固められた大地は実に容易く崩壊した。土の飛沫が舞い上がり、その雨の中から黒々とした煙が月が浮かぶ清々しい夜空を目指して、その巨躯を瞬時に立ち上がらせた。

 成す術など、あるわけもなかった。ただ、そばにある温もりを手放さないようにするだけで必死だった。

 手繰り寄せる。やがて意識、掻き消えて。

 巧たちは、爆心地から外れた場所にある、夜闇に塗れた川の中へと吸い込まれていった。

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 サント・クロワ大聖堂。

 苦難に晒されながらも決して諦めず、ついには栄光を勝ち取ってみせたオルレアンという都市を象徴するかのような威容を誇っているかの大聖堂は、夜闇の中にあってもその神々しさを微塵も失ってはいなかった。

 手前の広場を居丈高に見下ろす二本の尖塔に、その間で一角獣のように突き立った青い屋根。ゴシック様式の瀟洒な意匠は、見るもの全てに荘厳さを感じさせる。その中に広がっている内部もまた、外観に勝るとも劣らない神聖さを湛えていた。

 そんな大聖堂の、誰もいない夜の内部に、いつの間にか一つの影がある。

 その影は、司祭の服を着ている。聖書を横脇に抱えている。十字架を左手に携えている。なにも持っていない右手には――血のように赤い、刻印がある。

 月光を透かしたステンドグラスが淡い光を放ち、祭壇に登った影を照らし出す。

 照らし出されたその影を、オルレアンに住まう人々は――ピエール・コーションと呼んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

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