Fate/Φ's Order   作:うろまる

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A.D.2004 炎上汚染都市 冬木
第一節「胎動」


 

 

 廃墟となった高層ビル群の一角。薄暗く、人の営みの痕跡すら消え去った一室。

 静寂と薄闇が充満し、床に積もった埃が、幾重にも膜を張り巡らせたリビング。かつて、新都の長閑な風景を一望できたベランダは、役目を無くし手持ち無沙汰に突っ立っている。割れた窓から入り込むのは、街が生み出す瘴気混じりの炎光。

 その明かりに照らされ、塵まみれの床に異様な陰影を映し出しているのは、およそ人の物ではない灰色の躯体。古代の彫刻を連想させるその身には、何らかの生命を示唆する、精巧な意匠が施されていた。

 

 ――オルフェノク。

 

 死の淵から這いずり出てきた、異形の魔物。

 もはや真っ当な生命が息づかぬ魔境。おぞましき十三の異形が並び立つ中心に、しかし妙齢の女が一人、平然とした様子で居座っていた。

 闇の中でも栄える紅唇は、恐ろしい程に艶めかしい。墨汁に融かし込んだように黒く、滑らかなウェーブのかかった長髪が、流れ込む温風に揺らぐ。怜悧な印象を与える切れ長の瞳の奥には、禍々しい情念がゆっくりと渦を巻いていた。 

 

「――随分、遅い到着ね」

 

 不意に、女が口を開いた。鈴の音が鳴るような声。続いて、かつ、と鳴り響いた靴音。

 その瞬間、密室に籠る悪意が、許容量を超えた。

 息苦しさを越えて、窒息死しかねない極限の悪意。得体の知れぬ「何か」がいると、そう判断した異形――スズメバチの特質を持つホーネットオルフェノクが、瞬時に装填された毒針を、紫電の如き速度をもって背後の闇へと向けた。決して狙いは外さない。視界に一ミリでも入り込んだ瞬間、撃ち殺す。出来ない事では無い。牽制で逃げ場を無くし、四肢を撃ち抜き、頭蓋を木っ端微塵にし、脳漿を散りばめるまで一秒も掛からない。満点の殺意が射線上に収束する。

 だが、その腕は、女によって遮られた。

 臆す事なくむしろ案じているかのように、女は怪物の腕を撫で、次に五体に絡みつき、そしてその手は背中にまで達し、女は怪物を躊躇なく抱き締めた。豊満な肢体から伝わる柔らかな感触が、ざらついた皮膚に染み込んでいく。乳房が胸板で軟体動物のように、ぐにゅりと形を変える。

 数秒の逡巡。やがて、ホーネットオルフェノクは渋々といった様子で腕を下げた。直後突き刺さる嫉妬と羨望の粘ついた視線。女は、ただ笑みを浮かべるだけだった。

 

「――飼い犬には、きちんと躾けをしておかなければね。後で痛い目を見る事になるよ」

 

 冷たい暗闇から、かつかつと耳障りな靴音を立て、痩身の男が両手を上げながらその姿を現した。初対面の人間を、無条件に安堵に導く柔和な笑み。しかし、理知的な眼差しには、虚無的なまでの暗闇が、濃く彩られていた。

 レフ・ライノール――かつて、カルデアの技術顧問として名を馳せ、爆破テロによって命を落としたと思われていたその男は、今やカルデア崩壊の原因を作り出した大罪人として、生きていた。

 異形から離れ、庇うように前に立ち、女はレフと向かい合った。その形相は、濃厚な侮蔑に歪んでいる。

 

「忠告には、感謝するわ。けれど、貴方の方こそ、配下の手綱は握っておいた方が良いんじゃないかしら。――人間、全滅させたそうね」

 

 女のヒールが、湧き上がる苛立ちを隠せずに、こつこつと床を叩く。瞳に宿る熱が、燃える勢いを増した。知らず、周囲の殺気がその厚さを増す。

 しかし、レフは気にせず、厭らしい笑みを浮かべた。

 

「何、大したことじゃない。どうせ、この時代の人間のほとんどは、君達のエネルギーに耐えられないだろうからね。言ってしまっては悪いが、無駄足を踏んでしまっていたわけだ、君達は」

 

「余計なお世話。けれど、貴方は一体どうするつもりなのかしら。貴方、失敗したんでしょう? カルデアの――」

 

「その名を、口に出すな」

 

 レフの纏う空気が、比喩抜きに変化した。

 あくまで人のカタチに留まっていた害意が、脆弱な器から溢れ出し密室を蹂躙していく。空を覆い尽くす黒雲が雷鳴の唸りを上げる。怯えから唸る異形の吐息が白く輝く。満ちていくどす黒い殺意。滲み出る底無しの邪悪。圧倒的なまでの力の奔流。脳味噌が理解を激しく拒む。女の眼には、背後に映った男の影が、まるで、まるで――

 

「不愉快だ」

 

 たったひと言に溢れ出る憎悪を全て詰め込み、心底蔑むように吐き捨てて、レフは黙り込んだ。女も男の力の一端を見た以上、沈黙を守るしかなかった。

 重苦しい空気が一室を満たす。吐息だけが刻々と満たされていく。一瞬の間、窓から見える分厚い黒雲の隙間に、青く輝く一条の流星が掠めた様な気がした。同時にレフが、大きな溜め息をついた。隠しきれない嫌悪がちらついている。

 

「どうしたの」

 

「……いやはや。ロマニが生き残ってしまった以上、何らかの介入があるだろうと予測してはいたが――どうやら、カルデアを買い被り過ぎていたらしい。笑い種だが、笑えない」

 

「わざわざ、関わるほどでは無いと?」

 

 女の疑問に男は、両手を広げて嘲笑った。

 

「無論。だが手抜きはしない。死に損なった彼らには、ちゃんと野垂れ死んで貰わなければならない義務がある。――しかし、あの被害状況では、ここで事切れて終わるだろう。私も鬼じゃあない。最期の一時ぐらい、自由に足掻かせてやろうと思ってね。いわゆる、慈悲という奴だよ。これは」

 

「そう――随分、悪趣味ね」

 

 それきり、女は興味を無くしたようだった。生白い手が、怪物の顎を撫でる。洞穴に響く風に似た、低い呻き声が漏れた。

 女――影山冴子にとって、周りにいる十三匹の怪物は、腹を痛めて産んだ我が子も同然だった。

 王に注入された、強大なオルフェノクエネルギー。男根の先端で時を待つ幾億の精子の如く、冴子の体内を這いずり回るそれに耐えられる人間は、決して多くはない。ほとんどが、因子に打ち負かされ、内部を食い荒らされ、全てを灰に帰してしまう。

 確固たる自我と強靭な肉体。その二つを兼ね備えた人間だけが、人類の進化における偉大な一歩に、貢献出来る権威を与えられる。だが――余りにも、少なすぎた。地球には、骨の髄まで腐り果てた肉袋が増え過ぎたのだ。

 裏切りが横行し、憎悪が連鎖し、殺意が充満する。貶め、蹴落として、蔑み、苦しめる事に一切の躊躇いが無い。他人の積み重なる不幸に蜜の味を覚え、あらゆる尊厳を傷つけてもなお飽きないと言わんばかりに、己の快楽だけを追い求める執念には、一種の感嘆すら覚えてしまう。

 こんな生命がいることに、今まで気づかなかったとは。そう思うと、冴子はかつて人間だった自分にすら耐え難い吐き気を覚えてしまう。

 しかし、いくら個で優っていても、戦争は数で決まる物と相場は決まっている。便所の片隅に潜むゴキブリ一匹を放置しておけば、いずれ数千匹に増えるように。このまま人間の増殖を放っておけば、オルフェノク――いや、この惑星は破滅を迎えてしまうだろうと、奇妙な確信が冴子の胸の内にはあった。

 

 ――「王」さえいれば。と冴子は思う。

 

 ――「王」はいない。と冴子が答える。

 

 無限に続く自問自答。ループ。ループ。

 自分達は何処に辿り着けば安穏を手に入れられるのかという煩悶、一刻も早く状況を改善させなければ滅びてしまうという焦燥。恒常的に襲い来るそれらに精神が壊れかけた時、冴子はある噂話を聞く事になる。

 聖杯戦争。

 極めつきの人非人である魔術師達が、万能の願望器である「聖杯」を巡り、血みどろの争いを繰り広げる儀式。

 曰く、聖杯を手に入れた者は、どのような願いでも叶える事が出来る、らしい。

 馬鹿らしい。一笑に付す価値もない、冗談の内にも入らない、奇跡。

 だから、縋った。

 到底信じ難い与太話であろうとも、そこに未来があると、信じたいと、思ってしまった。

 そうして、様々な紆余曲折を経て、影山冴子はこの暗闇にいる。

 未来を創るために、ここにいる。

 

「聖杯の寵愛――果たして、君達は、受けられるかな?」

 

 何気なく呟かれたひと言に、冴子は口端を強く噛み締めた。長細い血糸が、生白い肌に赤い道を彩る。

 眼前の男の言う、王の寵愛さえ受けられれば、「王」が復活する道を作る事が出来る。

 そうなれば、もはや人類に用は無い。

 オルフェノクだけの楽園が、産声を上げるのだ。

 ある筈も無い奇跡を探し求め、苦難の末に、ようやく掴む事が出来たか細い糸。離すわけにはいかない。何があっても。何としても。

 滅びゆく運命など、認めない。

 このままでは、終われない。

 終わるわけには、いかない――。

 未だ煌々と燃え続ける街を睨みつけ、冴子は決意と共に埃まみれの空気を飲み下した。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 目覚めは唐突に降って来た。

 硬く閉じ切った目蓋を押し開けば、どす黒い黒雲が立ち込めた夜空が視界いっぱいに広がった。背筋を覆う尖った感触。ちらちらと香るガソリンの臭い。まだ夢の続きを見ているのかと、寝惚けた頭で巧はそう考えた。

 起き上がり、がしがしと頭を掻き毟る。長い間寝転んでいたのか、大量の礫が次々と頭から転がり落ちていった。身体の節々が、鎖か何かで縛りつけられているように痛む。一体何があったのか。未だに記憶は不鮮明なままで、思い出せない。その事がひどく、不愉快だった。

 周りの景色にも、見覚えは無い。世界中の廃墟をかき集め、自由気ままにばら撒けばこういう街が出来上がるかもしれない、という他愛ない感想が湧くだけ。強いて言うならば、かつて住んでいた場所に似ている気がする。だが、あの優しく暖かい洗濯舗に相応しい街並みとは、とても思えなかった。

 やはり、まだ夢の中にいるのか。そこまで考えた巧の脳裏を、一人の少女が過った。

 ――手を、握って――

 

「あいつ――!」

 

 飛び起きた。すぐ傍にいた筈の、血塗れた少女の姿は無い。それどころか、あれだけ積み重なっていた大量の瓦礫さえ、その図体を忽然と消していた。

 何かが、おかしい。平均以上に鈍感な巧にも、自分がどれだけ異常な状況に放り込まれたのかが、ようやく理解出来たのか。全身を強い警戒が満たし、節くれ立った拳が強く握り締められた。もはや夢とは思うまい。そうさせないだけの「何か」が、この澱んだ街に渦巻いている。根拠も無く、そう思った。

 張り詰める緊張の糸、今にはちきれんとばかりに膨張し続ける圧迫感。知らず、足が退がった。冷や汗が背筋を流れ落ちる。呼吸を忘れ、喉がかさつく。

 

「――――」

 

 気配。

 左。

 角。

 光。

 何かが、いる。

 悟ると同時に地を蹴った。急激な運動に肺が焼けつく。逃げ出した巧の気配を察知したのか、得体の知れない気配が爆発的に膨れ上がった。今まで感じた事の無い、異様な感覚。逃げ切るしか無い。

 丁度よく転がっていた、折れかけの鉄パイプを手に取り、でたらめな方向に投げつける。瞬間、角から無数の光弾が、中空に放り込まれた鉄棒目掛けて射出された。つるべ打ちにされ、数秒と経たず穴だらけになったそれに、自分の未来を幻視した。

 相手を見る暇などあるわけが無い。たまたま目についた雑居ビルの木製ドアを蹴りつける。幸いにも蝶番が壊れていたらしく、扉は鈍い音を立てて倒れ込んだ。もうもうと立ち込めた埃の群れに咳き込みながら、階段を駆け上がる。二階。踊り場。三階。足音が、ついて来ている。心臓が早鐘を打ち、頭が割れんばかりに痛んだ。四階。視界は点滅を繰り返し、意識は遠くなりかけていた。呼吸がやけに大きく響く。次々と湧き上がる熱だけが、この身体を走らせている。疲労は限界を超え、自分が何処をどう動かしているのかさえ、見当がつかない。五階。行き止まりだった。足音、四階にいる。咄嗟に、部屋入口の凹みに身を隠した。

 しばらくして、足音が、止まった。正体の分からない荒れた呼吸が、白く長い廊下に反響している。

 思わず口に手をやった。漏れ出す吐息は灼熱だ。口を押さえている掌が即座に汗ばむ。吸って、吐く。ただそれだけの行為があまりにも遠く感じる。

 ――足音が一歩、近づいた。躊躇は出来ない。逃げ道が無くなった以上、先手を打つ以外に道はない。

 ――足音が二歩、近づいた。巧の身体が、臨戦態勢に入る。ひゅう、と細い呼吸が、小さく響いた。

 ――足音が、三歩。細い白魚のような指が、壁を突き出た瞬間。

 行った。

 前も見ずに、走り出た。驚愕の気配を感じる間も無く、巧は相手の懐に飛び込んだ。抱き寄せた腰は、想像以上に細く柔らかだった。そのまま、倒れ込み、圧し掛かる。脇に膝を詰め込み、腹に尻を乗せてマウントポジションを取った。甲高く黄色い悲鳴が耳をつんざく。状況を理解した敵が、荒々しく暴れ出す。だがマウントを取った以上、恐れる物は何も無い。殴って気絶させれば全てが終わる。一瞬の安堵を感じた巧の腹筋に、ぴたりと、華奢な手が添えられ、不可解な文言が呟かれたと同時に爆発した。

 

「がっ――!」

 

 その衝撃は内臓を撹拌し、脊椎を揺るがした。未知の攻撃。全身を貫いた熱波に、脳髄が焼き切れかけた。

 熱く燃える脳味噌に、穴ぼこになった鉄パイプの姿が今更過る。熱くなっていた自分を恥じた。だが反省したところで、事態が解決するわけが無い。

 吹き飛ぶ身体を押さえる術は結局見つからず、あえなく巧は壁に叩きつけられた。息が切れ、ぐわんと頭蓋が揺れる。

 手加減など、している暇など無い。目の前の敵が、自分を確実に殺す事が出来る存在だと、巧は確かな実感を持って理解した。

 まだ死ねない。死ぬわけにはいかない。自分にはまだ、会わなければならない人がいる。

 全身を、幾何学的な紋様が走り抜ける。蒼く収縮する光の波。魂の奥底で、どす黒い衝動が吠え立てる。床に積もった埃が、呼応するかのように虚空に浮かび上がった直後、巧の額に指が突き付けられた。息切れた叫びが、わんわんと響き渡る。

 

「――大人しくっ、しなさいっ!! もう、あんたに、勝ち目は無いわよ」

 

 その瞬間、濁った黒雲が白刃のような風に裂かれ、割れ目から差し込む月光に照らされた時間が、ゆっくりと動きを止めた。廊下にへばりついていた暗闇が、徐々に削ぎ落とされて行く。相手の表情。思わず笑ってしまうほど、呆気に取られていった。

 

「――あ、貴方……」

 

 目の前で下ろされた指が、力無く垂れ下がる。巧の紋様も、見られる事無く消えていく。その事に、僅かに安堵した。

 

「――四十八番」

 

 少女の顔。深い安堵が過った、気がした。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

「そ、それじゃあ、今いるのは貴方一人だけっ!? 他の適正者はどうしたの!?」

 

「俺が知るか」

 

「嘘でしょ……そんなの、冗談じゃないわよっ。何で私ばっかりこんな目に遭うのよっ!」

 

 俺もまさかこんな目に遭うとは思ってなかった。

 目の前でヒステリックを起こしかけている少女に、巧は思わず眉を顰めた。オルガマリー・アニムスフィア、と長ったらしい名乗りをあげた少女が長広舌でまくしたてた全てを、巧は半分も覚えていなかった。

 カルデア。魔術師。レイシフト。何とか理解出来たのはそこまでで、後は覚えていない。というより、話の三分の二を、レフとかいう奴の話題が占めていたせいなのもあると巧は思う。

 ふあ、と小さい欠伸が漏れた。

 眼前の男が、自分の話を全く聞く気が無いとそれで分かったのか。オルガマリーは、唸り声をあげつつ頭を抱えてうずくまった。深い溜め息をつき、巧をちらと見上げて、また溜め息。

 初対面であるにも関わらず、不躾極まりない態度に加えて、先程喰らったあの攻撃。腹と頭が痛くなり巧の機嫌はますます悪くなった。自然と、言動にも棘が入る。

 

「何だよ」

 

「……何でこんな奴が、レイシフト適正者に選ばれて。――ああ! そういえば貴方、さっきはよくも乱暴働いてくれたわね!? 一体、どう落とし前つけてくれるのかしらっ。一般人が魔術師の当主に歯向かうなんて、前代未聞ったらありゃしないっ」

 

 びしっ、と鼻頭に突きつけられた指を払い除ける。

 

「落とし前? 俺が何をした」

 

「何した? じゃないっ! 人の腰に抱きついて、挙句の果てに、押し倒してくれたじゃないっ! 何処をどう酌量しても、私を襲おうとした様にしか見えないのよ!」

「そんな物好き、いねえだろ」

 

「その物好きが、貴方なんでしょーがっ!!」

 

 心底、うるせえ。

 ますます機嫌が悪くなる巧を他所に、ひとしきり叫んで満足したのか。ぜえぜえと息を切らしてオルガマリーは立ち上がった。妙にスッキリとした顔をしているのが、ムカついた。

 取り繕う様に、一度だけ咳をするオルガマリーを見て、巧は既に何もかも放り出して、帰りたい気分になっていた。というか、帰りたい。

 

「……とにかく、私と貴方以外の適正者を探しましょう。どのような事態であれ、特異点に送られた以上、修正、修復は私達カルデアが果たすべき責務なんですから。何でか、カルデアと通信が繋がらないのは置いといて。……四十八番? ちょっと! どこ行くの貴方! こらっ、待ち、なさいってば! こらっ!」

 

 さっきから痛み続ける腹をさすりながら去ろうとする巧の裾を、逃げ出した子猫を捕まえるが如き手つきで、オルガマリーが掴んだ。思いのほか勢いが良かったのか、巧はたたらを踏んで危うく転びかけた。気まずい沈黙。掴まれた裾を振り払い、ゆっくりと、巧は振り返る。その視線、既に人を刺し殺せる域に達していた。うぐ、と喉仏から詰まった音が聞こえたが、しかしオルガマリーは怯まない。

 

「……いい? 四十八番。例え、一般協力者である貴方にも、いいえ、一般協力者だからこそ。冠位指定である特異点修復は、最優先に成し遂げなければならない事態なの。つまり、下っ端の下っ端もいいとこの貴方は、カルデアの全権限を持つ私の指揮に、従わなければならない義務があるのよ。だから、」

 

「義務?」

 

 限界を超えた苛立ちに吊り上がった巧の形相を見て、今度こそオルガマリーは怯んだ。

 

「俺はそういうのが一番嫌いなんだ。自分の面倒くらい、自分で見たらどうだ。……大体、その四十八番ってのもやめろ。名前も呼べねえのか、お前」

 

「……じゃあ、藤丸。はい、これでいいでしょう?」

 

「――お前、わざとか」

 

「は? 何言って――ちょっと、藤丸っ! もう、何なのよあいつ……! 待ちなさいってば!」

 

 いい加減、付き合い切れない。未だ聞こえる叫び声を振り払うように、巧は歩き出した。今思えば、半分でも話を聞いていた自分が馬鹿だった。どうせ今までに話された何もかもが、おふざけで造り出した妄想なのだろう。

 何が魔術師だ、馬鹿らしい。付き合ってられねえや。

 思案に耽りつつ、角を曲がろうとして――止まった。今思えば、止まらなかった方がまだ幸せだっただろう。

 すぐ横の割れかけたショーウィンドウ。なんてことない、廃墟には有り触れた光景だ。問題は、それに映っている物。まだ十六歳半ばの幼い顔つきをした少年が、鬼の如き形相でこちらをねめつけていた。

 

「――は、」

 

 呼吸が、止まる。恐る恐る、手を顔に伸ばせば、ガラスに映る少年もそれを真似た。

 深い海色の目。ぼさついた黒髪。硬く引き締められた唇は無愛想極まりなく、不機嫌に歪められた眉が、今だけは驚きに曲がった。 

 もう一度、鏡を見て、自分を映す。

 そこには、明らかに自分以外の少年の顔が、映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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