Fate/Φ's Order   作:うろまる

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第五節「影が彷徨う街」

 

 冷ややかさを孕んだ朝靄がいまだに立ち込めている、比較的なだらかな平地──その中に開かれた小さな道路を二つの影が歩いている。靄の中をかき分け続ける影の大きさが、あまりにもバラバラなことから、その二人が男女の二人組であることが推察できた。

 

「──ねえ、まだ歩くのかい?」

 

 ひたすら歩いている影のうちの一つが、疲れ切ったような声を上げた。装飾が多い服装から伸びるすらっとした手足や、腰に届いてしまうほど長々と伸ばされた髪から一見すると女性と見間違えてしまいそうだが、飛び出した声は低い男の声だった。

 前を歩くもう一つの影に言葉を投げかけた男は、弁解するように続ける。

 

「いや、確かに旅は好きだよ? 気持ちの良い汗をかけて気分も晴れるし、時には閃きの切っ掛けになるものも与えてくれる。さらには君と二人っきりと来た! ──まさしく良いことづくめってヤツだ」

 

「──ありがとう。とっても嬉しいわ」

 

 戯けた調子で吐き出された言葉に、笑いながら礼を言った前方の小さな影の声は、澄み切った少女の声だった。

 くすくすと笑う少女に、男は先ほどの少女を真似るように一礼してみせる。

 

「こちらこそ。……じゃ、なくて。ほら、僕らがここに呼ばれた理由が、まだ分かってないだろ? 呼んだのが何なのかって予想は大体ついてるけど──それにしちゃあ、長閑過ぎる」

 

「あら、長閑なのは良いことよ?」

 

 首を傾げた少女に、男はこくりと頷き返した。

 

「ああそうさ。だから気に入らないんだ。僕らみたいなのが呼ばれて、何処もかしこも長閑なんてちょっとおかし過ぎるぜ。別に、血腥いのが好きって訳じゃないけど……胡散臭い、うん。胡散臭いんだ、何もかも。だからこうしてあても無く歩くのは、ちょっと危険だと思う」

 

 男の長広舌を聞き終えた少女は、胸の前で手を合わせて驚嘆の意を示した。

 

「不思議ね……貴方が真面目な顔でそう言うと、まるで本当にあったことみたいに聞こえちゃう」

 

「……そりゃ褒め言葉かい?」

 

「ええ、もちろんっ! 私はいつだって貴方を褒めたいのよ?」

 

 そりゃどうも、と肩をすくめる男に、少女は本当のコトなのに、と頬を膨らませる。二人のやり取りには、深い交流を果たした先でしか産まれない親しさがあった。

 ひとしきり会話をした後で、少女は男から目を逸らして霧を──正確にはその先にある物を見据えた。

 

「目的が無いわけじゃないわ。──あそこに行かなきゃ、って思ったの」

 

 ゆっくりと晴れつつある霧の中に、やがて一つの街の姿が浮かび上がる。男もその街を見ながら、少女に問い掛けた。

 

「あの街に、何があるって言うんだい?」

 

 すると少女は、なにかを自慢するような誇らしげな笑みを浮かべて、答えてみせた。

 

「そうね──きっと、素敵な出会いが待っているのよ」

 

 

 

 道の途中で立ち止まった二人の、視線の先にある街を。

 フランスに住まう人々は、ラ・シャリテ・シュル・ロワールと呼んでいた。

 

 

 

 ○

 

 

 

「おはようございます、リツカ。そろそろ出立の準備を」

 

「……」

 

 閉じた目蓋を照らす日光と喧しい鳥の鳴き声とハキハキとした女の声で、巧は目を覚ました。毛布代わりに身体にかけておいたコートを退かして起き上がってみると、すぐそばでジャンヌが旅に出るための支度を始めていた。とは言っても荷物と呼べる物はほとんど無く、今は消えてしまった焚き火のそばに干してあった外套を羽織るのみであったが。

 

「……さむ」

 

 差し込む日射しの暖かさとは裏腹の、肌寒いひんやりとした空気に腕をさする。未だに太陽がのぼり切っていないため、ほんの少しの薄暗さが残っている森の中に目をやると、木々の間に霧がぼんやりと立ち込めているのが見て取れた。

 のそのそと鈍い動きでコートを手繰り寄せている巧に、ジャンヌはこれからの具体的な方針を説明し始めた。

 

「付近の捜索は昨夜の内に済ませておきました。ひとまずは川に沿いながら、村か街を目指して移動したいと思います」

 

「場所なんて分かんのかよ」

 

「土地勘がありますし、この周辺の地形には幸い、見覚えがありますから。……本当は平地で移動した方が早く済むのですが、もう一人の私を警戒して、念のために。あれだけ霊核を自ら傷つけていたのです。しばらくは動けない筈ですが……」

 

「一つ言っていいか」

 

「? 分からない所でもありましたか? 今のうちに何でも言ってくださいね」

 

 真面目な表情で喋りかけてきた巧を見て、ジャンヌは律儀に背筋を伸ばしながら応えた。巧はひと呼吸分の間を置いた後で、今までに無いぐらい真剣なトーンで、

 

「眠たい」

 

「…………」

 

 何でも言えといったくせに、まだこいつは寝ぼけているのか──という、冷たい呆れの視線が突き刺さってきた。眠たいもんは眠たいんだからしょうがねぇだろと巧が眉根を寄せると、ジャンヌは眉を八の字に曲げて、はあと深く嘆息した。

 

「……街に着けば、取りあえずは寝かせてあげられますから。今はちゃんと起きていてください」

 

「お前は眠たくないのか」

 

「私たちサーヴァントは基本的に睡眠を必要としません……しかも、あのようなことがあったのです。眠ろうと思っても眠れませんよ」

 

「へえ」

 

 自分から尋ねてきたくせに、心の底から興味の無さそうな返事だった。ジャンヌは思わず青筋を立てかけたが、ぐっと飲み込んで抑える。この少年がそういう性格──無愛想で自堕落で大雑把で粗暴な性格だということは、昨夜交わした会話の中で充分に理解できた。その奥にある、隠し切れていない不器用な優しさにも。

 

「……ふふっ」

 

 焚き火に照らされた少年の横顔をふと思い出したジャンヌが、思わずといった風に小さく笑う。巧は聞き分けが悪くとも憎めない弟を見ているかのようなその笑みに眉を顰めたが、反応するとロクなことが無いと判断して立ち上がった。

 

「さっさと行くぞ」

 

 凝り固まった関節を回してごきごき鳴らしながら歩き出そうとした巧の足に、いきなり毛布のような柔らかさを持った小さな何かがくっついてきた。あまりにも唐突なそれに驚きの声を上げながら巧が足下を見てみると、そこには白い綿毛を全身に纏った猫ともリスともつかない小動物が、耳をぴこぴこ動かしながら紫色に光るつぶらな目をこちらに真っ直ぐ向けていた。

 視線が合った途端、小動物はフォウ、と一度鳴いてから、くるくると巧の周囲を回り始めた。

 

「野生の子リスか何かでしょうか……? もこもこしていて可愛らしいですね」

 

 ジャンヌは足元で走り回っていた小動物をそっと抱き上げると、顔を緩めて頭を撫で始めた。ジャンヌの腕の中で大人しくなすがままにされているその白い塊に、巧は見覚えがあった。

 

「こいつは……」

 

 ずくん、と令呪が強く疼く。がさごそと怪しげな物音が背後で響き、振り向いた瞬間に巧の視界に広がったのは、

 胸。

 

 

「ま、すた────────────っ!!」

 

 

 背の高い草むらをがさごそ掻き分けて飛び込んできたそれを支え切れず、巧は諸共になって転がることになった。勢いよく地面に打ちつけられた背中に鈍い痛みが奔り、呼吸が一瞬止まる。

 

「っ、てえ……」

 

 状況をよく理解できないまま、単純に痛みへの怒りで怒鳴ろうとした瞬間、ぐすぐすとみっともなく鼻を啜る音が巧を止めた。

 胸元に埋められた栗色の髪は、絶え間なく小刻みに震えている。じんわりと胸を濡らしていく暖かさに巧がなす術もなく狼狽えていると、がばっと顔を上げた少女──コルデーの潤みに潤んだ瞳が向けられた。

 

「お前……」

 

「うわーんっ! 生きててほんとに良かったーっ!」

 

「がっ」

 

 泣き声混じりの言葉が飛び出すと同時に、形のいい豊かな双丘が巧の顔面に強く押し付けられる。上手く呼吸が出来なくなったせいで苦しげにもがく巧に欠片とも気づかず、コルデーは自分がいまサーヴァントであることなどすっかり忘れてしまったように、全力で巧を抱き締めていた。

 

「マスターは自分が人間だってことを忘れちゃってるおバカさんなんですか何で無茶なことしちゃうんですか命が惜しくないんですかーっ!」

 

「や……めろっ! 離れろ、って! おいっ、息できねーんだよっ」

 

 どうにか遠ざけることは叶ったものの、コルデーは未だに鼻をぐすぐす鳴らしながら巧の胸にしがみついている。そうさせてしまったのは自分の不手際であることへのバツの悪さから背けた視線の先には、もう一人の少女──マシュが立っていた。

 よほど急いで走ってきたのだろう。白い肌は赤く染まり、額には玉のような汗が浮かび、薄桃色の髪の毛はぼさぼさに荒れて、幾つもの葉っぱがくっついていた。

 

「…………せん、ぱい……」

 

 コルデーにしがみつかれている巧の姿を目にしたマシュは、ふらふらと頼りない足取りで巧のそばまで近寄って、糸が切れた人形のようにそのままへたり込んだ。そして控え目に裾を掴みながら、コルデーと同じように涙をぽろぽろとこぼし始めた。

 

「──わ、わたっ、わたしっ、先輩との、レイラインが、急に、き、切れちゃって。だから、今度こそ本当に先輩が、死んじゃっ、死んじゃったかと思ってっ」

 

 途切れ途切れにつっかえながらも、吐き出さずにはいられないと言った感じの言葉には、確かに心の底からの安堵が見えた。

 

「おい……」

 

 泣かれてもどうしようもない、と思う反面、そうさせてしまったのは自分であることに間違いはなかった。救いを求めるようにジャンヌの方を向くと、実に微笑ましそうな笑みが返ってきて、こいつに頼ろうとした俺が馬鹿だった、と巧は全力で後悔した。

 自分の不手際によって泣いている誰かに、邪魔だから退けと言えるほど冷徹にはなり切れず、巧にとって拷問に近い時間が粛々と過ぎていく。

 

 

 

「──そんな事が、あったのですか」

 

 赤くなった目の端を擦っているマシュに、これまでの経緯を改めて説明し直していたジャンヌはこくりと頷いてみせた。

 すぐ近くに、穏やかな川のせせらぎが聞こえる岸辺を、巧とジャンヌ──さらにマシュとコルデーを含めた一行は歩いていた。ジャンヌの言によると、目指す街──ラ・シャリテは、川を下ったすぐ近くにあるという。その道程を辿っている途中で、ジャンヌが話した──巧は面倒臭いと言って語りたがらなかった──出来事に、マシュは驚きを隠せない様子だった。

 

「つい昨夜まで敵対しかけていた私の発言など、とても信じられないでしょうが……」

 

 表情を陰らせるジャンヌに、マシュは首を横に振りながら、

 

「そんなことはありませんよ、マドモアゼル・ジャンヌ。貴方の眼には嘘の光が無いですから。それに──」

 

 と言った。そして言葉を切り、四、五歩ほど間を空けて歩いている巧を見た。隣で話しかけてくるコルデーに、相変わらず適当な返事ばかり繰り返していた巧は、自分が見られていることに一瞬で気が付くと、明後日の方向に向けていた顔を怪訝そうに曲げながらマシュにやった。

 

「──?」

 

 視線が交錯する。何かあったのか──と口パクで問い掛けてきた巧に、マシュは首を横に振って応えた。それで興味をすっかり失ったらしく、巧は再びコルデーの話を聞き流す作業に戻る。

 

「──先輩が信じた人ならきっと、わたしも信じられます」

 

 どこか誇るかのように囁いた彼女の横顔にこそ、嘘偽りのない信頼の光があった。ジャンヌは眩しい物を見るように目を細めると、

 

「──貴女のような素敵な人がそばにいて、彼は幸せ者ですね」

 

 と言った。マシュは一瞬なにを言っているのか分からない──と言わんばかりに呆気に取られた後、慌てたように両掌を顔の前で振り始めた。

 

「そんなことはっ。むしろわたしの方こそ、先輩に助けてもらってばっかりで…………いえ、態度がちょっとだけ乱暴なところだけは擁護することは出来ませんが」

 

「ああ……」

 

 マシュの思い悩んだ顔に、ジャンヌは納得の色が濃いため息を吐いた。

 

「確かに彼の言動はその……少し、アレですね」

 

「そうなんですっ。いえ、本当はとても優しいことはわかっているんですけど、ここにレイシフトしてくる前にもですね──」

 

 少しずつではあるが打ち解け始めた二人の話題にまさか自分が挙げられているとは思ってもいない巧は、コルデーの話を聞いて大きく眉を顰めていた。

 

「――青い、ベルト?」

 

「はい。でも青一色というわけでもなくて、どっちかというと白色の印象が強い身体でしたね──あと、空を飛んでたんですよっ。こう、ビューンって感じに」

 

 身振り手振りを添えた説明を始めるコルデーを放って、巧はひとり深い思考の海に潜っていた。変身後の姿に青と白が目立ち、なおかつ空を飛べるようになるベルト──正直に言うと、まるで見当がつかなかった。

 巧が知る限り、スマートブレインがそのようなベルトを戦いに持ち出してきたことは無かったし、そもそもそんなベルトを所持しているのなら、唯一オルフェノクの滅びを覆す術を持った王を殺そうとする巧達の前に、必ず立ちはだからせた筈だった。

 

「……」

 

「マスター? どうかしましたか?」

 

「何でもねぇ……で、そいつはどうした」

 

「ええっとですね、私とマシュさんを襲って来て、それで、爆発があったでしょう? マスター達が逃げた方向に。あれを見た途端に、そっちにバーって飛んでっちゃいました」

 

 それでどうやら終わりらしく、コルデーは話を止めた。黒いジャンヌに、存在することさえ知らなかったベルト、そして恐らく生きているであろうオルフェノク──行く手に待ち受ける困難の多さを思って巧がため息を吐いた時、ぶん、とノイズが響き、軽い男の声が辺りに木霊した。

 

『──それが、特異点発生の原因に間違いだろうね。シャルル7世を殺害したもう一人のジャンヌ・ダルクに、そのジャンヌを退けたらしい『救世主』。そして藤丸くんのファイズと、ほぼ同じ物を持った何者かがいるオルレアン──うん。歴史を破壊するには充分過ぎるぐらいだ』

 

「……誰ですか?」

 

 姿が見えず、声だけが聞こえることに訝しむジャンヌに、声の主──ロマンは、

 

『自己紹介が遅れて申し訳なかった、マドモアゼル・ジャンヌ──藤丸くんから聞いてるだろうけど、改めて。僕達はカルデアという組織に所属していて、歪んだ歴史の修正を目的にこの時代に来ました』

 

 とずいぶん張り切った声で言った。カルデア、と聞き慣れないであろう言葉を、ジャンヌがどうにか噛み締めたのを確認してから、ロマンは言葉を続けた。

 

『で、僕が彼らのサポートを担当してるロマニ・アーキマンです。もし呼び辛いようなら、気軽にロマンと呼んでください。みんなからもそう呼ばれてますし、僕も堅苦しくされるよりはそっちの方が気が楽ですから』

 

「ロマン……ロマン、ですか……」

 

 ジャンヌはロマンの自己紹介を繰り返し、ちらりと巧に目をやってから、花が咲いたような笑みを浮かべて、

 

「つまり……夢見がちな人なんですねっ。よろしくお願いします!」

 

 と言った。沈黙がその場を包み込む。やがて続いたロマンの声は、先ほどとは違ってなんとも言えない敗北感で満ち溢れていた。

 

『……いや、まあ、そうなんだけど。何なんだろう……この納得のいかなさは……』

 

「つーか何で俺を見た」

 

「だって、夢見がちな人なんでしょう?」

 

 不機嫌に顔を歪める巧に、ジャンヌはにこやかに笑いながらそう答える。すると、それを聞いていたコルデーがわあ、と驚きの声を上げた。

 

「マスターって夢見がちな人だったんですねっ。私は意外性があって素敵だと思いますよ!」

 

『ってことはなに、僕達は仲間ってこと!? 心強いよ藤丸くんっ! いや君だけじゃ正直不安なんだけど、この際いないよりは百倍マシだっ。二人でこの敗北感を分かち合おうっ』

 

「……お前らな……」

 

 好き放題言われて我慢していられるほど大人しくない巧がひそかに拳を震わせていると、前を歩いていたマシュがふと指を持ち上げて、

 

「あれは──街でしょうか?」

 

 と言った。巧達がマシュの指し示す方向を向くと、確かにそこには街並みがあった。ジャンヌは立ち止まると、注視するためにすっと目を細めた。そして何度か頷いて、

 

「はい。あれが目的地──ラ・シャリテです」

 

 と、静かに言った。

 

 

 

 ○

 

 

 

 ロワール川に架けられた、歴史の厚みを感じさせる石造りの長大な橋。そこを渡ったすぐそばにラ・シャリテはある。

 遠目からでも目立つ巨大な尖塔を持ったノートルダム修道院教会を中心に発展してきたこの街は、他の大都市に比べると些か規模は劣るが、それでも大勢の人々が暮らしていくには充分なほど広大な土地を有しており、市内には数百の建物が建築されている。

 そんな街もまた、コルデーがかつて暮らしていた農村と同様に、不自然さの欠片も無い明るい喧騒に満ち溢れていた。

 人混みが必ず醸し出す、むせ返ってしまいそうなほど濃厚な混沌に顔を歪めている巧の隣を歩いているのは、雨合羽のようなローブを目深に被ったジャンヌだ。余計な混乱を防ぐために、顔を最低限まで識別し辛くする認識阻害の魔術が掛けられているらしいが、これはこれで逆に目立ってしょうがないんじゃないかと巧は思う。

 

「──凄い活気ですね」

 

 道を進んでいくたびに、風に吹かれる雲のように次々と移り変わっていく人々や街並みをきょろきょろと見回しながら、後ろを歩いていたマシュが感慨深そうにそう呟いた。

 農村にも確かに活気はあったが、やはり街のそれとは比べ物にならない。そもそも規模が違うのだから当然と言えば当然なのだが、その証拠として、巧達よりは人混みに慣れているはずのコルデーは、街の景色を満遍なく見ようとして目を回しかけている。一体何をやっているのか。

 マシュの言葉を聞いたジャンヌは、懐かしむような表情を浮かべた。

 

「ここの教会は、フランスでも有名でしたから。それに、シャルル7世が魔女に──もう一人の私に殺害されてしまった事実に変わりはありません……ですから、みんな不安なんだと思います」

 

「でも、救世主って人が倒してくれたんですよね?」

 

 見慣れない服装をした四人組を不思議そうに見ていた通りすがりの子供に手を振っていたコルデーの質問に、ジャンヌは首を縦に振る。

 

「それがきっと、人々が明るい理由でしょう。実際に魔女はオルレアンから去ったらしいですから」

 

「……けど、アイツは生きてたろ。どうなってんだ」

 

「──それを、確かめなくてはなりません。答えはきっと、オルレアンにあります」

 

 巧の問いに、青空目掛けてそり立っている教会の尖塔を見上げながら、ジャンヌはそう答えた。

 やがて、足裏が石畳の硬い感触をどうにか踏み慣れるようになった頃。両側を煉瓦造りの壁に挟み込まれた路地を抜けた四人は、大きな広場に足を踏み入れた。

 瞬間、熱気が全身を満遍なく打ち付ける。どうやらそこは祭りか何かが開かれている真っ最中らしく、一段と厚さを増した人の波が、あちこちに開かれた屋台を物色しようと、行ったり来たりを繰り返していた。

 ジャンヌは被ったフードを少し上げて、目の前の雑多とした景色を眺める。そして何かを決意したように頷くと、巧達の方に振り向いていった。

 

「──ひとまず、ここから情報収集といきましょう。広い上に人が多いので、二手に分かれた方が良さそうです。ひと通り聞き終えたら――そうですね、あそこの宿屋に集合する、ということで」

 

「はいはいっ。それじゃあ私はあっち側から聞いてきますねっ」

 

 ジャンヌが提案したと同時に、コルデーが元気よく手を振り上げる。巧はそれを冷ややかな目で見ながら言った。

 

「遊ぶなよ」

 

「もお、分かってますってば。マスターじゃ無いんですから、ちゃんとやることはやってきます」

 

「……」

 

 口ではそう言っているものの、コルデーの目は食べ物だけでなく服飾品や日用品など様々な売り物が並べられた様々な屋台に、すっかり釘付けになっていた。

 ――大丈夫か、こいつ。

 巧が目の前の少女の先行きに対する不安に駆られていると、そばのマシュが控えめな態度で問いかけてきた。

 

「……先輩はどうなされますか?」

 

「俺は、」

 

 一同の視線が、暇そうに突っ立っていた巧に一気に集中する。

 巧は人混みを面倒臭そうに見渡したあと、集合場所である三階建ての宿屋に目を向けて、

 

「ダルいから、パスで」

 

 当然、許される訳がなかった。

 

 

 

 

 ――先輩のこと、よろしくお願いします。ワガママを言うようなら、多少強引に引きずっていってもらっても構いませんから。

 

 そう言い残して、マシュとコルデーは広場の中へと消えていった。どういう言い草してんだアイツは、と苦々しい表情で愚痴を漏らし続ける巧を引っ張りながら、ジャンヌもまたオルレアンの情報を集めるべく、行き交う人々に話を聞き始めた。しかし、投げ返される言葉はどれもこれも同じだった。

 

 ――オルレアンには、魔女を倒した救世主様がいる。

 

 じゃあその救世主サマとやらは一体どんな顔をしたヤツなのか、と訊いても、返ってくる言葉は同じ「分からない」なのだから手に負えない。あまりにも変わり映えしないために、ひょっとして街ぐるみで口裏を合わせているんじゃないかと疑いたくなるのだが、巧達がこの場所を目指していることを事前に知っていなければ、そんな芸当はできないだろう。

 つまり、本当に誰も、何も知らないのだ。オルレアンのことを。救世主のことを。

 延々と続く単調な作業に巧が耐え切れる訳もなく、ジャンヌも何もかもが徒労に終わるのだという気配を察し出したのか、聞き込みをした人数が両手両足の指をはるかに超えたところで、二人は宿屋の中にある食堂――その片隅のテーブルについていた。

 

「――まさか、ここまで誰も知らないなんて」

 

 椅子に座るや否や、ジャンヌはため息交じりにそう言葉を吐き出した。その向かい側にどっかりと腰を据えた巧は頬杖を突きながらぼそりと呟く。

 

「とんだ無駄足だったな」

 

「……そういうことは思っても口にしないのがマナーの筈ですが」

 

「知るか」

 

 手持ち無沙汰になって、巧はズボンのポケットに入れていたファイズフォンを開いた。カルデアから送られてきた物資の中に充電器があったため、ひとまずは危機を脱することはできたが、まだ液晶を表示できるほどの電池は溜まっていないらしく、画面は暗く染まっていた。舌打ちをして、仕方なく、そばの窓から見える往来を見て暇を潰すことに決めた。

 道を行き交う人々の表情は、巧が知っている現代の人間とまったく変わらない。かけがえのない平凡な幸福が、時代を超えてそこにはあった。

 穏やかな風景を眺めやる少年の横顔は凪いだように落ち着いていた。そんな巧を見て、ジャンヌは好奇心からふと問いかけたくなった。

 

「……好きなんですか? こういう風景が」

 

 一拍置いてから、巧は訊ね返した。

 

「なんで、そう思う」

 

「そういう顔をしてましたから」

 

「――見てて、気分は悪くない。それだけだ」

 

 真似るように往来に目を向けていたジャンヌには、少年の声が一瞬、まったく違う別の誰かの声に変わった風に聞こえた。振り向くと、そこには眠たげに目を瞬かせている少年の、いつもの姿があった。

 

「――どうした?」

 

「……いえ、何でもありません」

 

「トイレならさっさと済ましとけよ」

 

「だから何でもありませんっ! というか、貴方には本当にデリカシーという物が欠けていますねっ。そもそも私はサーヴァ――」

 

 デリカシーが欠けた発言に獅子のように吠えかけたジャンヌと、聞くだけ時間の無駄だと言わんばかりに耳を塞ごうとした巧を、

 

「――ムッシュー。マドモアゼル。相席しても、よろしくて?」

 

 鈴の音を鳴らしたような、可憐な声が止めた。

 喧騒が止んだ、気がした。

 光などひとつも差し込んでいないにも関わらず、少女は輝いているように見えた。

 二房に伸びた滑らかな白髪に、星のように煌く水色の瞳。真紅のドレスを身に纏った肢体は、少女の無垢さと女性の艶やかさという相容れる筈の無い二つを、奇跡的なバランスで成り立たせていた。立ちぶるまいは儚い硝子細工を連想させるが、同時に何者にも決して壊せない、力強い気高さを透かして見ることができた。

 

「あの……貴方は?」

 

 我に返ったジャンヌが戸惑いながら問いかけると、少女はまあ、と感嘆の声を上げた。そしてジャンヌの右手を両手で包み込むと、互いの睫毛を数えられそうなほどの至近距離まで、一気に顔を寄せた。

 

「な、」

 

 いきなり広がった甘い百合の香りに、思わず硬直したジャンヌに構わず、少女は喜びを露わにしながら、

 

「――貴女、とっても素敵な眼をしてるのね! 綺麗で、純粋で、真っ直ぐで。きらきら輝いていて……思わず見惚れそうになっちゃう。いいえ、ずっと貴女を見ていたいわ、私」

 

 と謳うように言った。ジャンヌはぱちぱち、と瞬きを数度繰り返し、それからうろたえた声で答えた。

 

「は、はあ……ありがとう、ございます……?」

 

「あっ、いきなりごめんなさいね? よく君は初対面の距離感を間違えてるって、アマ…………彼に怒られちゃうから、そうならないよう気を付けてたんだけど……はしたなかったわね、本当にごめんなさい」

 

 申し訳なさを示した後、少女はそっと手を離して、二歩ほど下がってから頭を下げた。あまりにも淀みが無いせいか、気品さえ滲み出ているそれを見て、ジャンヌは面白いように慌て出した。

 

「そんなっ、その、頭を上げてください。はしたないなどとは、ちっとも思っていませんから」

 

「本当? 嬉しい……それじゃあ、またしてくれる?」

 

「いや、それはどうか──それよりも、相席、でしたか? 構いませんよ。それに、私達の方も少し聞きたいこともあって――」

 

 立ち上がり、椅子を引こうとしたジャンヌを、巧の声が止めた。

 

「俺は嫌だ」

 

「は?」

 

「俺は嫌だって言ったんだ」

 

 巧は心底気に入らなさそうに少女を見上げながら、ハッキリとした声で吐き捨てた。何もそこまで強く言うことは──とジャンヌが説得する前に、少女はつい、と一歩だけ前に歩み出た。突き刺さる鋭い視線に微塵も怯むことなく、少女は手を差し出す。

 

「──貴方も、素敵な眼ね。鋭くて、力強くて、気高くて──けれど、ほんの少しだけ寂しい眼。うん……好きよ、私。貴方のことが」

 

「悪いな──俺は、最初からニコニコ笑いかけてくる奴が嫌いなんだ。座りたいんなら、他当たれ」

 

 最後まで少女の手を取らず、言いたいことだけ言って黙り込んでしまった巧に、どうするべきか、とジャンヌが悩んでいると、手を引っ込めた少女がにこやかに笑いかけてきた。

 

「お邪魔しちゃって、本当にごめんなさい。彼の気も害してしまったみたいだし……」

 

「……こちらこそ、申し訳ありませんでした。いつもは……その、もう少し柔らかい対応なのですが」

 

「いいえ、マドモアゼル。どうか頭を下げないで。無礼を働いてしまったのは私なの。それなのに貴女に頭を下げさせちゃ、私、とっても悪い女の子になってしまうわ」

 

「……」

 

「ふふ。縁があったら、また逢いましょうね。綺麗な貴女に、素敵な貴方。今度はきちんと、互いに自己紹介から始めましょう?」

 

 それが少女の最後の言葉だった。かつんこつん、とヒールを鳴らしながら去っていくその小さな背中には、問答無用で人の心を惹きつけてしまう魅力があった。食堂中の視線を一身に受けながら揺るがない少女を、巧はやはり、気に食わなさそうに──何かを疑うかのように見ていた。

 

「……情けは人の為ならず、ですよ。リツカ。良いじゃないですか、一人ぐらい増えても。それに、彼女にはまだオルレアンの話を聞いてませんでした」

 

 ジャンヌが人差し指を立てて咎めると、巧は渋い顔をしたまま口を開いた。

 

「あいつが本当に人ならな」

 

「どういう意味ですか?」

 

 大きな疑問符を浮かべたジャンヌに、巧はたちまち呆れた表情になって、

 

「お前、本当に気づいてないのかよ」

 

「だから、どういう意味なんですか」

 

 しばしの沈黙。そして巧は硬質な声色で続けた。

 

「あいつ、お前の眼がどうとか言ってたろ。よく見えないはずなのに」

 

「――!」

 

 そこでようやく自分が認識阻害のローブを着ていることに気づいたのだろう。ジャンヌは急いで宿屋の入り口の方を向いたが、既に少女の姿は無かった。おそらく、この建物の周辺からもとっくに消えているに違いない。もしかすれば、このラ・シャリテからも──

 

「……正体に気が付いたから接近してきた、のでしょうか?」

 

「さあな。仮にそうじゃなかったとしても、俺達に断られたぐらいで、さっさとここを出て行ってんだ。どっちみち怪しい」

 

「ということは、私達は既に、敵の陣地の中にいる……という可能性もありますね。……すみません。私が迂闊でした」

 

 目に見えて落ち込むジャンヌに、巧はふんと鼻を鳴らした。

 

「別に、今に始まったことじゃねぇんだから、いちいち落ち込むなよ。鬱陶しい」

 

「…………あの、それは、どういう?」

 

「どうって、寝てる途中でよだれ垂らしてたヤツが──いてっ、いつ、おいっ、おいっ! 足っ、足踏むなっ! バカ! おい!! 聞いてんのか! ってえ、このっ、馬鹿力────────い゛っ゛!」

 

 大した成果を得られなかった聞き込みとほんの少しのショッピングを終えて、宿屋に入ってきたマシュとコルデーを、少年の苦痛の悲鳴が出迎えた。

 

 

 

 ○

 

 

 

 そして日は沈み、夜が再び世界を塗り潰した。

 空に浮かぶのは月と、わずかな星々のみ。足元さえ定かではない暗闇を、躊躇うことなく進む影が一つあった。

 昼間を歩いているかのように、道を迷いなくまっすぐ歩いている影の眼に、多くの光が灯った場所が見えた。影は一旦立ち止まると、なにかを確かめるかのように頷いてから、再び歩き始めた。

 ふと、月明かりが、歩く影を照らす。すると影が、鞄のような物を手にぶら下げていることが分かった。明かりは差し続けていたが、動き続ける影はやがて濃い闇の中に溶け込んでしまい、それっきり姿を見せなくなる。

 だが、月は確かに見ていた。

 影が持つ鞄の表面に、『SMART BRAIN』という刻印が打たれていることを。

 しかしそれを知る者は、まだ、月以外の他にはいない。

 

 

 

 

 

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モジュロ虎杖悠仁に成り代わった男が、8000年のヤチヨの道中に付き合う話。善人であり、虎杖ほどイカれていない男が非常に強い力を持ってしまったことで、様々な後悔を抱えながら現代にたどり着くお話です。▼本編完結しました。気長に後日談でも書いていきたいと思います。▼


総合評価:16594/評価:9.07/完結:30話/更新日時:2026年05月06日(水) 18:00 小説情報


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