Fate/Φ's Order   作:うろまる

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第三節「白亜の運命」

 

 

「な――」

 

 ランサーの気配に、驚愕が色濃く混じるのが確かに見えた。僅かに緩む気配。数舜の不覚。巧は疾駆する勢いのまま跳躍。けたたましい咆哮と共に、無数の刃がこびりつく右腕を振り下ろす。咄嗟に振るわれた横薙ぎの斬撃を叩き落し、その腕はランサーの鎖骨を打ち砕いた。

 生木が割れるような音。余裕を絶やさなかったランサーの表情が、初めて苦痛と屈辱に歪み、不安定な態勢に陥った。逃しはしない。胸倉を掴み寄せ、顎を打つ。ほんの一瞬、ランサーの眼から意識が消えた。連撃。蹴りで膝頭を叩き割り、くの字に折れた胴体に拳を叩き込む。崩れ折れようとした身体を無理やり立たせ、もう一度顔面を殴る。泥臭い連撃は止まる事を知らず、生臭い鮮血が、点々と宙を舞った。

 

 ――まだだ。

 

 巧の手が更に追撃を加えようとした瞬間、宙を蠢く蛇が変則的な軌跡を描き、同時に左手の指がばっさりと斬り落とされた。虚空に四つの指が散乱する。火傷のような痛みに無言の悲鳴をあげつつ、返す斬撃を何とか躱し、態勢を立て直す。交錯する両者の視線。血に塗れたランサーの顔には確かに、憤怒の色が見えた。

 吸って、吐く。見せつけるように、大きく呼吸を繰り返す。そうする事が一種の挑発になると、巧は長年の戦闘経験から知っていた。ましてや、負傷している相手の前でするなど。

 

「――!」

 

 喰らうだけの餌に手傷を負わされ、しかも挑発されるとは思ってもいなかったランサーが、激怒の怨嗟を纏い突進する。賭けには、勝った。なら後は、支払いを受け取るだけだ。

 迫る、白刃。空間を裂くそれは、一直線に巧の喉を貫かんと突き進む。回避はしない。

 食い止めるように差し出された指の無い掌を、遠慮なく刃が貫いた。細胞の間をすり抜けていく冷たい感覚に苦痛を覚える。背筋に冷えた鉄の棒を刺し込まれたように、全身が硬直する。だが、これでいい。瞬時に万力の如き力を加える。掌の中で締めつけられた槍はランサーの全力をもってしても微塵も動かない。ランサーの顔に焦りが走るのが見えた。もう、遅い。

 渾身の踏み込みが、アスファルトを砕く。

 そして一瞬の躊躇もなく、女の胸に全力の一撃が叩き込まれた。

 拳を透かして骨を揺るがす堅牢な衝撃。明らかに人間が出していい感触ではない。今は、どうでもいい。吹き飛んだ敵影も、血飛沫く自分の拳も歯牙にかけず、巧は倒れ伏すオルガマリーに駆け寄った。

 蒼ざめた顔色に、目覚める気配は見えない。腹部をじんわりと汚す血液。だが、生きている。柔らかく暖かな鼓動が、オルフェノク化した事により鋭敏化した巧の耳朶を叩く。まだ死んでいない。その事実に、たまらなく安堵した。

 

「――驚きました。まさか、人間でなかったとは」

 

 響く、死神の声。振り向けば、当たり前の様に無傷なままのランサーの姿があった。振るわれた槍の刃が月光に反射し、苛烈な煌めきを放つ。

 燃える脳髄が視界を覆う分厚い暗幕を焼き払い、落ちている微小な砂粒の一つ一つさえ認識出来た。女の淫靡な笑みが闇夜に浮かぶ。知らず、唸り声が漏れた。

 

「ならば、あの血の濃さも頷けるというもの――獣化。いえこれは、変化、でしょうか? ……どちらにせよ、標本にするのは変わりませんが」

 

 ランサーの姿が消えた。咄嗟に屈んだ巧の頭上を、銀風が通り過ぎていく。躱しきれなかったのか、薄く斬られた額から出血。浅傷と判断した巧は、オルガマリーを抱えて背後に跳躍。しかしランサーは冷徹なまでに間合いを潰し、先程の意趣返しの如く、上段から一撃を繰り出した。

 無理だ。

 咄嗟に出した左腕の刃が、嘘のように簡単に折れた。続く斬撃。不規則に切り刻まれていく身体から、多量の血液が飛び散り、幾何学的にアスファルトを汚していく。

 

「まだ、まだぁ!」

 

 持ち主の激情が乗り移ったかのように、槍撃はその凄絶さを増していく。アスファルトを削り火花を上げつつ下段から迫る刃を避けたが、それは囮。電撃の速度で手首を返し、右肩から左脇腹を切り裂かんと白刃が飛来する。反射的に右腕で受け止め、払い除ける。無理に捻じ曲げた腰から嫌な音が聞こえたがいっさい無視する。

 走り回る激痛を抑え込み、ケラ首を地面に蹴り込んで距離を稼ぐ。追撃は無かった。ただ、厭らしく光る嗜虐の瞳が、じいっとこちらを睨みつけていた。

 視線を逸らす事なく、転がっていた瓦礫を蹴り飛ばす。そこに、抱えているオルガマリーをそっと横たえた。腹部の血はじわじわと広がり、蒼ざめた色はその色彩をいっそう濃くしている。もたついている暇は、無い。

 

「その少女を助けるつもりですか? 無駄な事は止めておいた方が、身の為だと思いますが」

 

「――」

 

 振り返り、敵と対峙する。大きく呼吸。そして一歩目で加速した。時速三百キロを越えるスピードでウルフオルフェノクが風となってランサーに突進する。槍が大きく半円を描き、曲がった穂先がこちらを凝視する。ざわめいた、首筋。必死で頭部を捻り、音速の刺突を回避する。耳元を掠める暴風。敵が引き戻すより、僅かにこちらの方が速い。

 喰らえ。

 抉り込むような左アッパーが放たれた。回避は出来ないし、させるつもりも毛頭ない。決して避けられない決死の拳。血糸を中空に撒き散らすそれは確実に、ランサーに致命傷をもたらす軌道にあった。

 

 ――突然、鎖に縛られなければの話だが。 

 

「――!?」

 

「あはぁっ!」

 

 獲物を捕らえた狂喜の歓声が、ランサーの妖艶な唇から堪えきれず洩れた。これは、まずい。必死の形相で腕を引くも、絞めつける鎖が離れる事は無い。ランサーは笑みを零したまま、鎖を絡みついた巧ごと振り被り、アスファルトに叩きつけた。胸部を中心として、全身にさざめく衝撃。めきめきと、肋骨とアスファルトが割れる音が混ざって聞こえた。

 執拗にしがみつく鎖を引き離そうとしても、ランサーの超人的な膂力がそれを許さない。鎖に触れるどころか、身動き一つさえ取れないまま、巧の身体は宙を舞い、叩きつけられ続けた。

 感覚は既に消えた。ただ、熱い。ゆっくりと歩み寄る死の気配。撹拌された脳髄が、極彩色に輝く景色を見せる。間隙に入り込む夜空が、やけに赤く見えた。

 やがて鎖に繋がれた生物とは言えない物体が、アスファルトに鈍い音を立てて転がった。

 

「――気が変わりました。ただの標本など生温い。脳味噌を曝け出し、全身の皮を剥ぎ、自分の内臓と神経が掻き混ぜられる様をじっくりと見学させてあげましょう。私にも慈悲というものはあります。意識と痛覚は残してあげますから。どうぞ楽しんでくださいね」 

 

 返事は、無い。虫の息のぼろキレに、ランサーは喜色満面の表情を見せる。

 

「いいえ、まずは少女の方からしましょうか? そうしましょう! まだ破瓜の痛みも知らぬ生娘のようでしたから、手始めに犯します。それからじっくりと、指先、足先、それぞれを神経の末端に至るまで、じわじわと削り取っていきましょう。苦痛という物は鮮度が大事ですからね、やり過ぎては、一瞬で終わってしまう。それでは、面白くない」

 

 巧はぶちりと、音を立てて鎖を千切った。

 鈍い音を立てて、鎖がアスファルトに散らばる。鎖が絡みついていた左腕はもはや、腕と呼べる代物ではなくなっていた。皮膚を突き破り飛び出す尺骨。銀色の外骨格は、ぼろぼろと加速度的に剥がれ落ちていっている。感情を一切表意しない瞳は、どこか空虚だ。今にも崩れ落ちそうにふらつく足。立てたのは、ほぼ偶然に近い。

 しかし、半身を朱に染めながらも、立った。

 

「――いい加減、鬱陶しいですよ」

 

 巧が駆け出し、ランサーの相貌が、耐え切れないとばかりに歪んだ。もう飽きた。“屈折延命”は不死系の能力を持たない相手にとっては、単なる治癒無効の宝具にしかならない。何から何まで、忌々しいペルセウス。だが、死にかけの獣には十分過ぎるだろう。

 呼吸と同時に投擲の態勢に入る。敵は風を切り、真っ直ぐ突っ込んでくる。馬鹿が。このまま、貫かれて死ね――!

 轟音と共に槍が投擲された。鼓膜が限界を越えて破裂した激痛が、無理やり巧の意識を取り戻した時には既に、その穂先は巧の脇腹を深く切り裂いていた。

 

「ぐ、が――あ、」

 

 大量の血反吐が地面に撒き散らされ、脇腹から零れ落ちた内臓が、びちゃと地面に叩きつけられた。たちまち漂う濃厚な血臭。標的の確実な死を嗅ぎ取ったランサーの頬が大きく歪む。

 

 ――それでも、止まらない。

 

「な、に!?」

 

「お、あ、ああああああ―――!!」

 

 当たればすぐ死ぬ。当たらなくても、もうすぐ死ぬ。

 初めから負けると確定している博打に全額を突っ込む馬鹿は、この世界のどこを探しても多分、どこにもいないだろう。生きていたいと思うならば、今すぐ後ろで寝転がっている少女を捨てて、ここから立ち去るべきだという事は十分分かっている。

 それでも自分に出来るのは、意地を張って前に進み続ける事だけなのだ。元々不器用な自分が寄り道など出来る筈が無い。後ろに逃げる事など許されない。ならば、前に進み続ける事を一生貫くしかないのだ。

 例え命を、懸けてでも。

 それが、俺に出来るのなら――!

 灰の星が紅い尾を引き、たった一度の奇跡を成す。

 ランサーの瞳が妖しく輝く。石化の魔眼。止められないなら打ち砕く。

 コンマ数秒の空白。無限に引き延ばされた刹那。赤黒い時間に包まれた脳髄。

 そして、

 石化される寸前、巧の手刀は正確に、ランサーの霊核に刺し込まれた。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 満身創痍どころでは無かった。

 あの戦いの後。放置していたオルガマリーを背負って、巧は新都方面へと歩き出した。深山町とやらに病院の類があるとはとても思えなかったし、多少でも土地勘がある新都を探索する方がまだマシだろう。それにしたって、目の前に広がる広大な街中を、たった一人で探索出来るとは思わないが。

 腹を割いて漏れ出た小腸が、ぷらぷらと間抜けに揺れながら、地面に赤色の曲線をずるずると引いている。どういう訳か、あの不可思議な槍で傷つけられた箇所は治りが極端に遅くなるらしく、オルフェノクの人知を超えた治癒能力をもってしても、この程度が精一杯だった。

 足取りは、当たり前のように重い。ひっきりなしに垂れ続ける血液と一緒に、何か大切な物まで流れている様な気がする。点滅し続ける視界はもう限界に近い。正直に言えば、アスファルトの上でもいいから、今すぐ倒れ込んで眠ってしまいたい。そう考えれば背負った物が、たまらなく重くなったように感じた。

 

「おい、起きろ」

 

「――」

 

「いい加減、起きろって」

 

 数秒経ってからようやく、背中の物体がもぞもぞと返事を返した。

 

「――うる、さい」

 

「重いんだよ、ったく」

 

 ずり落ちかけた少女を背負いなおす。思わず咳き込めば、アスファルトに紅い花が咲いた。朦朧とした意識の中で、せめてこいつだけでも助けると、ただそれだけを考え続けた。

 ひたすら、無心で歩き続ける。揺さぶられるオルガマリーが、上唇を噛み締めながら、巧の耳元で呟いた。

 

「……藤丸」

 

「なんだ」

 

「どうして、私を庇ったの」

 

「さあな」

 

 素っ気ない巧の答え。首に回されている少女の腕に、わずかな力が込められた。

 

「ふざけないで。……どうして? どうして、赤の他人の私に、命を賭けたの? 運が悪かったら貴方、殺されてたかもしれないのよ?」

 

「それ、答えなきゃ駄目か」

 

「……」

 

 無言の行。心なしか、首を締めつける力がさらに強くなった気がする。なんて女に関わってしまったのか。巧は溜め息を吐き、突き放すようにして答えた。

 

「――助けられたから、助けた。それだけだ」

 

 オルガマリーは信じられないと顔を上げて、前を見据え続ける少年の顔を見た。固く引き締められた唇に、不機嫌そうに曲げられた眉。相変わらず無愛想極まりない面だったが、その翳る瞳の奥底には、燃え続ける意思の光が見えた。思わず、首を締める力が強くなる。

 

「……貴方。ほんとに、バカね」

 

「振り落とされたいか」

 

 死にかけても続く巧の憎まれ口がよっぽど面白かったのか、最初はくすくすと小声で、やがて、深夜の街に響き渡る大声でオルガマリーは笑い出した。つられて、巧も小さく笑った。ただただ、無性に嬉しかった。生きていられるという事が。

 ひとしきり笑って疲れたのか、オルガマリーはすうすうと寝息を立て始めた。暢気な奴。幸いにも腹の傷は浅いらしいが、こっちの傷はただ事じゃなかった。辺りを見渡せば、視界を埋め尽くさんばかりの瓦礫の山が、茫洋と広がるのみだった。

 

「クソ。どっか、ねえのかよ」

 

 空を見上げる。相変わらず、憎らしい程の曇り空だった。微かに割れ目を通る月光だけが、暗闇を照らす道しるべになってくれている。

 そこを、一筋の影が通り過ぎた。

 

「な、」

 

 轟音。

 嘘だろ、という衝撃と、またか、という諦観が心中で複雑に交錯する。粉塵を切り裂き現れたのは、白い髑髏の仮面を顔面に張りつけた痩身の男だった。その身体から放たれているのは、先程と同じような殺気。この二つを結びつけなくても分かる。目の前の奴も、また敵なのだと。

 オルフェノク化の前兆を示す紋様は、どれだけ繰り返しても浮かび上がらない。変身する事も出来ないこの状況。ここまでくればいっそ笑えると、巧は思った。

 耳障りな雄叫びと共に、無数の刃が殺到する。

 ここで終わるのか。終わってしまうのだろうか。

 木場との約束も果たせず、真理や啓太郎にもう一度会う事も出来ず、こんな廃墟で塵屑同然に死んでしまうのか。

 

 ――ふざけるな!

 

 迫る白刃を真っ直ぐ睨みつける。無駄だと分かっていても、最後まで拳を握り続ける。

 まだ、この胸には、木場が手渡した物が残っている。どれだけ手の届かない理想であったとしても、確かにそれは確固とした形をもって、自分に受け継がれている。

 

 ――オルフェノクと人間の共存。

 

 叶える事の出来ない夢物語だと、今でも思っている。どちらかが滅びる事でしか決着のつかない生存競争の結末など決まっている。

 だが、夢を見た。見てしまったのだ。ならば、叶える他に道は無い。

 又聞きした、海堂の言葉を思い出す。

『夢ってのは、呪いと同じなんだ』

 呪い。

 確かにそうだ。夢は呪いによく似ている。一度囚われてしまえば、一生抜け出せない。

 夢を――呪いを解くには、叶える以外に道は無いのだ。

 そして木場は、最後まで呪われて死んでいった。夢を叶えられなかったばかりに。

 俺も、多分そうなるのだろう。巧は思う。決して叶わない夢に手を伸ばし続けて、最期には何もかもに呪われて死んでいく。あまりにも、分かり切った、当たり前に訪れる終焉。

 

 だが――

 

 右手が鈍い疼痛を繰り返す。心臓が脈動を繰り返し、全身が燃える錯覚を覚えた。

 

 この手はまだ、何にも手を伸ばしちゃいない――!

 

 握り締めた右拳が深紅に燃え盛り、紅く輝く令呪が浮かび上がる。

 そして、風が吹いた。

 天上より舞い降りた白銀が、黒く濁る影を軽々と消し飛ばした。振り下ろされる盾。荘厳な重圧を放つそれは、雪花の儚さを併せ持っている。

 

「今なら、印象的な自己紹介が、出来ると思います」

 

 鈴の音が鳴るような声が、閃光を放つ柱の中から響く。

 荒い風が吹きすさび、濁った曇天は去った。

 夜空にはただ一つ、円満な月が浮かぶのみ。

 薄い紫紺の髪が清廉な月光に照らされ、淡く光を放つ。

 

「――先輩。貴方が、私のマスターですか」

 

 巧に振り向いた少女の顔。どこか、見覚えのある澄み切った紫の瞳。

 全てを思い出す前に、巧の意識は闇の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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