Fate/Φ's Order   作:うろまる

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第五節「輝ける脅威」

 

 

 見渡す限りの闇が、影山冴子の視界を隅々まで埋め尽くしていた。

 粘ついた湿気を染み込ませて、木々の狭間でごうごうと唸りを上げる生臭い風が、冴子の全身に満遍なく吹きつけられる。不可視の暗渠が、ゆったりとその身を横たわらせて、自分達の行く手を遮っているのを確かに感じる。思わず眉を顰めるほどの暗い空気の中に入り混じっているのは、尋常ならざる血みどろの気配。明らかに何かがいる。そうと分かっていてなおも進むのは、果たして何の為なのか。

 

 ――聖杯。

 

 底知れない闇に眼を凝らす度に、冴子の思考は自然と、レフ・ライノールの依頼を思い出していた。

 大空洞に居座るサーヴァントが所持する、聖杯の回収。

 

「それを君達に頼みたい。彼女は聖杯を与えられていながら、この時代を維持しようとしていてね――まったく、余計な手間をかけさせてくれるよ」

 

 苦笑交じりに放たれたレフの言葉に、冴子は怪訝に眉をひそめた。

 

「貴方が行けば、手っ取り早く済むんじゃないの」

 

 無論、その聖杯を持つサーヴァントとやらが目の前の男より強い、という可能性も捨てきれない。だが、単純な強弱を抜きにしても、誰もこの生命には勝てないだろうという強い確信が冴子にはあった。

 何かが、違っている。

 全てがどこかズレている。

 何が違うのか、どこが狂っているのか。説明してみろと言われれば、冴子ははっきりとした答えを返す事が出来ない。勘にも似た薄らぼやけた認識だけが、男に対する全てを覆っている。

 まがりなりにも人間だった時の感覚が未だに残っているのだろうか。恐怖など、とうの昔に捨て去ったと思っていたのに。

 今も目を凝らせば、男の背後の闇に得体の知れない何かが這いずり回っているのがよく分かった。

 

 ――薄気味悪い。

 

 冴子の心情を知ってか、レフは大きく手を広げて、

 

「そうしたいのは山々なんだが、少し野暮用があってね。それに、君達の実力を見ておきたいんだよ。果たして、我等が王の御眼に入る資質があるかどうか。私は君達にあまり詳しくなくてね」

 

「つまり、貴方達の言う王様とやらに会う為の採用試験ってワケ」

 

「そういう事になるかな。まあ、過度な期待はしないでおくよ」

 

 レフの顔には、確かに冴子達に対する侮蔑と、僅かな期待の色があった。

 失敗するわけにはいかない、と冴子は思う。この無様な命に代えてでも、成し遂げなければならない。

 生き残る為には。

 

「――冴子さん?」

 

 深く思考に沈んでいた冴子の耳孔に、伺うような調子の声が届く。俯いていた顔を上げれば、前方を進んでいた男が振り向き、その相貌に心配の色を滲ませていた。

 

「――何?」

 

「あともう少しで、目的地に着きます。――水原の奴は?」

 

「彼には、漂流者を相手にしてもらってるわ。一応、念のためにアレも持たせてあるから。よほどの事が無い限りは大丈夫でしょうね」

 

「そうですか……まぁ、アレもあるならあいつも大丈夫でしょう」

 

 手に持ったスーツケースを、忌々しい物を見たかのような顔をして冴子は持ち上げる。その金属質な表面には、スマートブレインのシンボルが印されていた。それを見た男の顔にも緊張が走る。

 

「そういえば、冴子さ――」

 

 何を、言いたかったのか。

 冴子が男の言葉を聞くために耳を傾けた時、男の喉を、一本の銀矢が貫通した。

 

「ぉげ」

 

 呻きが聞こえた瞬間、小さな破裂音が響き渡った。砕けた喉仏の破片と脳漿が地面に飛び散る。バレーボール大となった首が、生い茂る雑草の中をごろごろと転がった。一頭身小さくなった身体が崩れ折れ、どす黒い粘液を断面から垂れ流しつつ蒼い炎に包まれた。一瞬の間、やがて、集団に漣のような動揺が走る。落ち着けと怒鳴る冴子の声はしかし、再び飛来した矢によって遮られた。

 

 雷撃にも似たその一射を、弾く銀閃が一筋。

 

 冴子の女性らしい妖艶な丸みを備えていた身体は、刹那の瞬間で異形の姿――ロブスターオルフェノクへと変異していた。シェルグラブを装備した手に握られた細身のレイピアがゆるゆると震えている。視界外から攻撃。おそらく狙撃手。何とか弾き返せたが、連撃されればまずい。闇から距離を取り、号令を放つ。たちまち八つの異形が立ち並び、陰惨な殺意と敵意が森の中に充満する。

 

「――今のは警告だ。これ以上、ここに踏み入る事は許されない。誰であろうとな」

 

 男の冷え切った声が、闇の奥から響いた。静まり返った暗闇を反響するその声は、オルフェノクの超感覚をもってしてもどこから響いているのか見当がつかない。恐らくは、数百メートル先。それしか分からない。冴子は油断なくレイピアを構えつつ、その視線は男の姿を探している。

 

「貴方が門番というわけ……という事は、ここに聖杯があるのは間違いでは無いようね」

 

「――彼女目当てなら、なおさらやめておいた方がいい。無益の争いは、不毛な結果しか産まないぞ」

 

「残念だけど、こちらも簡単に退がる訳にはいかないのよ。色々と、瀬戸際なものだから」

 

「私は退けと言った筈だ。君達の事情など、知った事ではない」

 

「――レオ」

 

 むき出しの、殺意。

 反応した冴子が叫ぶより早く、レオと呼ばれた男は不敵な笑みを浮かべて、受け取ったスーツケースから白銀のベルトを取り出し、筋肉質な身体に巻きつけた。

 

「――?」

 

 それを見た男――アーチャーの眼に、一瞬の戸惑いが映る。何を仕掛けてくるのか。いや、何があろうと構わない。叩き潰す。

 一瞬で思考を打ち切ったアーチャーから幾条もの銀矢が放たれた。膨大な魔力を纏い、数百メートル先から殺到するそれらをつまらなそうに一瞥し、レオは手に持った携帯電話型マルチデバイス――サイガフォンにコードを打ちこむ。軽快な電子音が森閑とした空気を渡り歩く。それがどうした。何をしようがもう手遅れだ。しかし、人知を超えたアーチャーの聴覚は、男が携帯に打ちこんだ番号を鮮明に聞き分けていた。

 315。 

 

 

 

 〇

 

 

 

「Ausuz!」

 

 鼓膜を震わせる宣誓と同時に、数発の炎塊がキャスターの持つ杖の先端から放たれた。空間を切り裂きつつ迫るそれを真正面から受け止める馬鹿はこの場にはいない。灰色の影が左右に散開する。標的を見失った炎弾は、壁を貫き新たな爆炎を生み出した。巨大な火柱が上がり、砂埃が大量に舞う。その中を、駆け抜ける一陣の異影。

 煙を切り裂き、白刃が半円を描いて迫る。

 ノコギリザメの特質を備えたソーシャークオルフェノクの振るう刃が、キャスターの蒼い頭蓋を切り裂かんと飛来する。マシュは割り込み、真正面から刃を受け止めた。散る、火花。そのまま弾き返し、颶風となって駆け抜ける。摺り上げるような一打が、ソーシャークオルフェノクの顔を掠めた。

 圧力が空を目指し、上昇する。外した。悔やむ間も無く、返しの斬撃が唸りを上げて襲い掛かる。

 

「――ッ!」

 

 足を留め、姿勢を無理に捻じ曲げる事でかろうじて回避。雑音が耳元を薙ぎ、遅れた紫色の毛髪が数本空中に散らばった。頭上を掠めた斬撃の行方を気にする暇など無い。半ば倒れかけた姿勢のまま、盾を振るった。狙う、脇腹。しかし、唐突に割り込んだ銀槍がそれを阻んだ。

 鋼がぶつかり合う甲高い音。好機を得て退いた敵の背後に、投擲の体勢を取るもう一つの影が見える。マシュの瞳に焦りが生まれる。まずい位置だった。防御、間に合わない。そして、必殺の刺突が確約されようとした瞬間、蒼い陰影がその影を吹き飛ばした。

 

「槍の使い方が、なっちゃいねえ――!」

 

 逃れようとするポーキュパインオルフェノクを、走狗の如き疾走でキャスターが追う。態勢を崩しつつ突き出された長槍に、するりと蛇のように杖が絡む。すう、と浅い呼吸が聞こえ、刹那。絶妙な手首のひねりによって、槍は上空に飛ばされていた。

 ガラ空きになった腹部を、キャスターの振るう杖が打ち抜く。規格外の打撃によって、灰色の外骨格に罅が入る。内臓を完膚なく潰され、意識を朦朧とさせたオルフェノクが、腹を押さえて大きく姿勢を崩した。弄ぶように、キャスターは一度後ろに下がり、杖を槍のように半身に構えた。

 満ちる殺気に空間が歪む。獲物を仕留める笑み。そして短く息が吐かれた瞬間、敵の額、喉笛、鳩尾に、神速の一撃が叩き込まれた。

 苦悶の声。勢いよく壁に打ちつけられた異形の敵を、円で囲むように、キャスターの指が複雑に蠢く。

 原初のルーン。

 虚空に描かれた文字が、キャスターの宣誓と同時に灼熱を纏い、噴き出した極大の爆炎が、轟音と共に闇を深く切り開いた。

 膨大な熱波が中庭全体に行き渡る。夜の帳が眩い燐光に切り払われ、刹那の瞬間だけ、真昼の様相に成り代わる。そして、噴煙が晴れた後には、キャスターと、円状に融かされた分厚い塀の姿だけがぽつりと残っていた。

 

「クソッ、逃したか」

 

 舌打ちを漏らしたキャスターを誰もが呆然と見やった。圧倒的という言葉すら生温い力。生物としての本能が、あの男は危険だと警告している。知らず退いた左足。偶発的に敵に産まれたその一瞬を見逃さず、マシュはすかさず盾を構え直し、突撃を再開した。技量は負けていない。後は心胆だけ。その言を信じるならば、今が絶好の好機――!

 雷光の速度で迫るマシュに対し、ソーシャークオルフェノクは上段から繰り出す渾身の振り下ろしを以って応えた。斬撃が唸りを上げつつ空間を引き裂いて迫る。盾を掲げ、突き進む。ぶつかり合った剣と盾が、闇の中に火花を散らす。骨を貫く衝撃。大きく息を吸い込む。負けない、負けられない。奥歯を砕かんばかりに噛み締め、雄叫びと共に得物を弾き返した。生まれた好機に脳が撓んだ途端、背筋に耐え難い悪寒が走った。視界の端。

 迫るは、もう一対の刃。

 二刀。横からの一撃。完全に隙を突かれた形。思考が今さら早回しになるがもう遅い。

 間に、合わない。

 

「――――ッ!!」

 

 斬られた。

 肋骨にするりと入り込む異物。かろうじて機能した鎧の隙間から漏れ出す赤い液体。くの字に折れ曲がった自分の身体が、宙に浮くのをどこか他人事のように感じた。激痛で視界が白く眩む。熱い何かが喉元をせり上がってくる。撒き散らされる血反吐。その飛沫の向こう側に見える、愉悦に歪む敵の顔。天高く振りかざされた、刃。灰色の輝き。避けられない死を確かに見た。

 

「おおおおっ!」

 

 諦めかけたその時、雷鳴の如き咆哮が、マシュの意識を覚醒させた。

 眼下に過った、走る巧の姿。敵を見据えるその表情は、固い。病み上がりも良い所の身体は、思うように動いてはくれない。全身が熱く燃えている。息は荒く、すぐ側に転がっている死を意識せざるを得ない。だが、足を止める訳にはいかなかった。

 

「あの――馬鹿はっ!」

 

 駆ける巧の肩先を、オルガマリーが罵声と共に放ったガンドが、音を立てて掠めた。疾る赤黒い光は、柄を握る灰色の掌に着弾。破裂音と血玉が空中に散布され、零れ落ちた長剣が大きく音を立てる。駆ける。繰り出された乱雑な刺突を、咄嗟に拾った針で受け止めようとするが堪えきれず、切先は肩に深々と突き刺さった。

 肉を深々と抉られ、蹂躙される違和感に吐き気が止まらない。それでも、呻きながら腰にしがみついた。力を籠め、なぎ倒そうとするが――無理な話だった。自分も同じオルフェノクとはいえ、ほとんど病人と健常者の差に近い物が、相手との間にあった。

 嘲笑うかのような膝蹴りが、鳩尾に叩き込まれる。えずき、離れた巧の背中に、今度こそ突き刺そうと振り被られた剣。鈍い音が中天に響く。

 その先端は、欠けていた。

 疑問を浮かべた敵の頭上に陰が落ちる。咄嗟に上を向く。得物を振り切った反動に逆らわず、極限まで腰を捻り、ふたたび盾を大きく振りかざすマシュの姿が、ソーシャークオルフェノクの視界を埋め尽くした。今度こそ、決める。

 

「は、ああ――っ!!」

 

 折れた切先が、宙に弧を描きつつ、地面に突き立ったと同時に、その一撃は、完全にソーシャークオルフェノクの脳髄を打ち砕いた。

 

 

 

 〇

 

 

 

 あの後、帰って寝ていたいという巧の願いは、オルガマリーに襟首を引っ掴まれる事で儚く散った。正直言えば、面倒くさくてたまらない巧であったが、この異変にオルフェノクが関わっているとなった以上は、そうそう逃げ出す訳にもいかない状況になっていた。

 空き家を出て、新都と深山町を繋ぐ大橋を目指すべく、廃街をひたすら歩き続ける。瓦礫が重なり、歩き辛いことこの上ない道を歩くのは、疲労も重なって想像以上に辛い。時折漂う焦げたにおいが、巧の神経をちりちりと焦がす。じくじくと痛む肩が、纏わりつく火に呼応するように熱くなる。思わず漏れた舌打ちに、マシュが過剰な反応を見せた。

 

「――あの、先輩。本当に大丈夫ですか」

 

 何度目か数えるのも飽きた謝罪に、前を向いたまま、巧はうんざりした顔を見せた。

 

「わかったから。もう謝んな」

 

「でも、私のせいで」

 

「あのな」

 

 自分が悪いと、何もかもを背負い込もうする自罰的な考え方が、巧は一番嫌いだった。それが、なんとなく木場勇治の在り方を思い出させるからだという事は、巧自身も気づいていない。

 誰にも、責任はあるのだ。あの時飛び込んだのは、結果的に間違っていなかったにしろ、肩に怪我を負ったのは間抜けた自分の責任だ。だから、そうやって自分ばかりを責める必要など、本当はどこを探しても無いのだ。それなのにこのクソ真面目な少女は、すべて自分が悪いんですとばかりに頭を俯けるばかり。

 

 ――くそ。

 

 ささくれだった気持ちもあって、言葉を上手く繫げる事がどうしても出来ずにいる。この時ほど、口下手な自分を恨んだ事は無かった。喉仏をコールタールじみた何かが塞いでいるのが分かる。

 

「いい加減、鬱陶しいぞ」

 

 自分でも狼狽してしまう鋭い声が飛び出た。ひう、と息を呑む声がやけに鮮明に聞こえる。罪悪感と焦燥感が入り混じったどす黒い気分が、胸を覆い包もうとした瞬間、

 

「あんまり気にする事無いわよ、マシュ。この大バカが、勝手に出て行ったのが悪いんだから」

 

 巧の思考を遮るようにして、オルガマリーが辛辣にそう言った。

 

「ランサーの時もそうだったし……貴方、頭のどっかがおかしいんじゃないの?」

 

「お前にだけは言われたくない。アレ、もう少しで当たる所だったんだぞ」

 

「それは仕方ないじゃないっ。そうでもしなきゃ、貴方死んでたかもしれないのよ? むしろ、感謝の気持ちをもって接してほしいわね」

 

 すうっと、一息入れて、

 

「貴方は心底わかってないようだから、一から教えてあげる。いい? マスターの役割は、徹頭徹尾サーヴァントを補助する以外に無いの。貴方みたいに、庇う為に前線に出る大馬鹿なんか何処にもいないのよ。

 大体、さっきからずっと思ってたんだけど、貴方にはまず誠意が足りないの、誠意がっ。そこら辺をよく考えてから、私に感謝してみなさい」

 

「……」

 

 突きつけられた指先をじっと見つめ、次にオルガマリーの顔にクスリをキメた馬鹿を見るような視線を移してから、巧は力強く断言した。

 

「絶対、嫌だ」

 

「何でよっ!」

 

「お前に頭下げるなんて、死んでもごめんだ」

 

「このっ……!!」

 

 背後に炎のエフェクトを生み出しつつ、オルガマリーがぐおーっと吼える。また面倒くさい事になるかと巧が身構えた時、控えめにマシュが話題を転換した。

 

「所長。カルデアと連絡を取らなくてもいいのですか?」

 

「そうだ、忘れてた――って何、貴方も取ってなかったの?」

 オルガマリーの詰問に、マシュは言葉を詰まらせた。

 

「もちろん、何度か通信を試みたのですが、デミ・サーヴァントになった直後だからか、上手く魔術回路が回らず――すぐ後にライダーに襲われたのもあって、ここまで引き延ばしになっていました。それに、先輩とのレイラインも不明瞭だったみたいで――すみません」

 

「ふうん――ま、そんな状況じゃ仕方ないか。それじゃ、早くベースキャンプを設置しましょう。あっちの安否も気になるし。触媒は……貴方の盾を使うとして、まずは霊脈のターミナルを探さないとね。この街の場合は……何処かしら」

 

「所長の足元ですね」

 

「…………もちろん、分かってます、分かってました、分かってたから。本当に。……なにその目は。言っとくけど、本当にわかってたからね! ――本当だって言ってるでしょっ」

 

 オルガマリーはなによまったくと文句を並べつつも、マシュを連れて手際よく準備を進める。する事がなく暇な巧がそれをぼうっと見ていると、不意に影が全身に覆い被さった。見上げれば、表現のしづらい表情を浮かべたキャスターの顔が近くにあった。注がれる視線。居心地が悪いどころではない。何故男同士で見つめ合わなければならないのか。

 

「……何か用か」

 

「――いや、」

 

「じゃあジロジロ見んな、気持ち悪い」

 

 巧の暴言にも応えず、キャスターは黙り込んでいる。ダメだ。付き合い切れない。空中に映し出された優男に対して、何やらぎゃあぎゃあ騒いでいるオルガマリーの元へ行こうとした巧の背筋を、

 

「――お前、何者だ?」

 

 得体の知れない、怖気が走った。

 キャスターの総身から立ち昇る絶大な魔力が、巧の生存本能を刺激している。人間ではない、尋常ならざる気配。喉元に収束する、指向性を持たされた殺意。油断していた。この男もまた、あのランサーのような存在である事を、巧は忘れていた。あまりにも、迂闊過ぎた。警鐘が鳴り響き、脳髄が灼ける。オルガマリーとマシュの背中が目に入る。まだ何も気づいていない。

 コートに突っ込まれた巧の手が、自然と拳を形作る。狙うのなら心臓。だが、相手には到底理解できない力があって、しかもその威力はオルフェノクを塵一つ残さず消し飛ばしてしまう程。構わない。全身を焼き飛ばされながらでも心臓を潰す。

 ここで、倒せるか。

 殺気立つ巧を見て、キャスターはようやく納得がいったかのように掌を叩いた。

 

「それだ」

 

「は?」

 

 立ち込めた不穏な空気が、一瞬で霧散する。後に残ったのは、あっけらかんとしたキャスターと、何が何だか分からない巧の姿。キャスターは構わず言葉を続ける。

 

「普通の人間って奴ならな、今ぐらいの魔力を、この至近距離でまともに喰らっちまえば、失神ぐらいはしちまうもんなんだ。オレと同じサーヴァントや魔術師は別としてな。それを坊主は何だ。え? あわよくば反撃する気でいやがる。どう考えても普通じゃねえよ、てめえ。よっぽどの鈍感か、さもなけりゃ救いようのねえ大馬鹿か」

 

「……ひどい言い様だな」

 

「それに、ランサー相手にどう生き残ったかも疑問だ。お前の傷は、気の強えお嬢ちゃんの魔術でも、オレのルーン魔術でも治せなかった。ってこたぁ、あの不死殺しをお前さんはまともに喰らった訳だが……奴が中途半端な所で獲物を逃がす奴じゃねえのは確かだ」

 

 熱気を含ませた風が、二人の間を通り抜ける。黙り込む巧に構わず、キャスターは、間合いを測りかねるように言葉を続けた。

 

「それじゃあ、坊主が奴を――サーヴァントを撃退できる程の魔術師なのか。と言われりゃ違うよな。あの気の強い嬢ちゃんはともかく、お前にはまるっきり魔力を感じない。嬢ちゃんを傷だらけのお前が背負ってたって事は、ランサーの奴は真っ先に唯一の戦力である嬢ちゃんを倒したって事だ。勿論、オレだってそうする。

 普通なら、嬢ちゃんが倒され、そして丸腰の一般人である坊主だけが残り、お前ら二人は仲良く石像になっている筈なんだ。それがどうだ? 腹に穴が開いたり、内臓が零れ落ちてたりはしていたが、概ね五体満足で済んでいるときた。――なあ、おまえマジで何なんだ?」

 

 結局のところ、最後はそこに落ち着く事になった。隣で無愛想に黙っている少年。その正体が一体何なのか。キャスターは未だに見当がつかずにいた。膨れ上がる疑問は、いつしか黒い疑念に変わっていた。万が一という事もある。さっきの試しの牽制は、そうした意味も込めての物だった。

 その不穏な気配を嗅ぎ取ったのか、巧はつまらなそうに顔を歪めて、ぼそりと呟いた。

 

「さあな。それよかアンタこそ、何か隠してんじゃないのか」

 

「ほお、オレが。何故? そう思う根拠はあるのか?」

 

 その時、はじめて巧はキャスターという男の存在を、真正面から見据えた。むき出しの野生を連想させる獰猛な気配。獲物を狙う肉食獣のように、爛々と紅く輝く瞳を気に入らないとばかりに睨みつけて、言い放った。

 

「気に入らねえんだよ、何となく。それで充分だろ」

 

 自然と睨み合う形になった二人の間に、硬い沈黙が降り積もる。巧が拳を握り、キャスターが杖を動かした瞬間、オルガマリーの間抜けた怒声がその空気をつんざいた。気の抜けた二人の視線が交錯する。振り上げかけた拳の行方を無くして、巧は何もかも馬鹿らしくなってきた。

 

「……アホらし」

 

 巧の声に、キャスターも頷いて杖を下ろした。

 

「そうだな。痛くもねえ腹の探り合いなんざ、時間を無駄にするだけだ」

 

「お前から吹っ掛けてきたんだろうが」

 

「ま、そうカリカリせずにいこうや。さっきも言った通り、互いに利益は一致してんだ。ならなるべく足並み揃えといた方が良いだろ」

 

「あのな……まあ、いいか」

 

 蒸し返す方が面倒くさいと考え直した巧は、言葉をひっこめた。もっとも口論を選んだところで、どうしてか目の前の男に勝てる気は全くしない。それが無性に腹立たしい。

 思わず漏れた溜め息。キャスターは巧の苦心の入った表情を見て鬱憤を晴らせたのか、大きく笑った。

 

 

 

 〇

 

 

 

『ええええっ! 所長はともかくとして、君も生きていたのかいっ!? なんてこった……カルデアは不死身の集まりか』

 

「どういう意味ですかっ! ――それよりロマニ。帰ったらこいつ、どうにかしなさいよ。まるっきりの素人をこの重大任務に入れるなんて、一体何考えてんだか」

 

「おい、指差すな」

 

 無遠慮な扱いに憤る巧をとことん無視する事に決めたオルガマリーに、目の前のロマニと呼ばれた男は首を傾げた。

 

『――あれ、所長ご存知なかったんですか? 参ったなぁ、アンダーソン君がてっきり知らせていたものだと』

 

「あいつかっ! ……道理でこのザマね。アンダーソンは?」

 

『彼なら、臨時ボーナス貰って新車買いに行きましたよ。彼、当分は戻って来ないんじゃないかなぁ』

 

「……あの、馬鹿は……」

 

 頭を押さえて唸るオルガマリーを押し退けて、巧はかったるそうな仕草で前に出る。

 

「それよりもだ。あんた、俺達は今すぐ帰れないのか」

 

 単に帰りたくてたまらないだけの巧の言葉をどう曲解したのか、ロマンは深刻そうにしばらく考え込んで、

 

『今すぐは、厳しいだろうね。何せ、特異点Fは未だに修復されていない。その不安定な状態のまま再びレイシフトを行えば、意味消失が起きてしまう可能性も有り得る――何より、結果第一の所長が認めないだろうね』

 

「だろうな」

 

 半ば予想していたとはいえ、さすがに堪える。少し肩を落とした巧を慰めるように、

 

『だけど、そっちにはデミ・サーヴァントであるマシュとアニムスフィア当主の所長。それに、心強い協力者がいるようだし。よほどの事が無ければ、必ず帰還出来ると約束するよ』

 

「――アーチャーの野郎はともかく、セイバーはキャスターのオレじゃきついぞ」

 

 黙り込んでいたキャスターから放たれた言葉に、オルガマリーは胡乱な目を向けた。

 

「……そういえば、まだ相手の真名を聞いてなかったわね。何度か戦ったような口振りだけど、まさか知ってるの?」

 

「あいつの宝具見りゃ、嫌でも分かる。王を選定する岩の剣、その二振り目。神代から続く歴史の海において、最も有名な聖剣の一つ」

 

「……まさか」

 

「――アーサー王、ですか」

 

 その名前を聞いたマシュの眉が、驚きから僅かに顰められた。

 

「多分な。オレ以外の五騎がやられたのも、奴の宝具がでたらめに強力だったからだ。オレが言うのも何だが、ありゃ化け物だな」

 

「アーサー王――エクスカリバー、ですって? そんなの、一種の神造兵装じゃない……!」

 

 オルガマリーが思わず悲痛の声を上げると、キャスターの杖はマシュを指し示した。

 

「ま、オレから言わせりゃ、嬢ちゃんの盾も決して負けちゃいない。そいつはな、何があろうと絶対に砕けない盾だ。多分、セイバーの宝具にも対抗出来るだろうさ」

 

 マシュに一同の視線が集中する。注目される事に慣れていないのか、すっかり困り果て、無言で巧に助けを求めてくる。しかし巧が自ら面倒ごとに首を突っ込む筈もない。非情にも逸らされた視線に、彼女はこの世の無常さを悟った。

 沈み込んだ場の空気を切り替えるように、オルガマリーが掌を叩く。

 

「――とにかく今は、修復を最優先しましょう。私達はこれから特異点Fの原因を調査します。それで良いわねロマニ」

 

『分かりました。こっちも外部との連絡が取れれば、すぐに物資を送ります。――藤丸君。マシュの事、よろしく頼むよ』

 

「……気が向いたらな」

 

 巧のあまりにも気の無い返事を聞き、苦笑しながら男は消えていった。疲れた。見知らぬ他人との会話に疲労した肩を動かす。

 

「とりあえず、そのセイバーがいる場所に行きましょう。キャスター、貴方が道案内しなさいよ」

 

「へいへい、サーヴァント使いが荒いこって。お嬢ちゃん、ひょっとしてSMとかやってる?」

 

「どういう意味よっ!」

 

 軽口を交わしつつ歩き出した二人についていこうとした所で、巧は立ち止まったマシュの気配に気づいた。振り向き、声をかける。

 

「どうした」

 

「……その、私は先輩のお邪魔になっていないかと」

 

 またか。溜め息を吐き、がしがしと頭を掻き毟る。

 

「……もしかしておまえ、責めてもらいたいのか?」

 

 巧の鋭い口調に、マシュは身を縮こませた。サーヴァントでありながら、守らなければならない筈のマスターに助けてもらってばかりいるこの状況。到底許せるはずがない、と彼女は心の底から思った。

 しかし。

 悲嘆に塗れた予想とは裏腹に、巧は俯き、眼を瞑るマシュの髪を乱雑にかきまわした。

 

「……あの、先輩?」

 

「よくやってるよ、おまえは」

 

 ぼさついた髪をそのままに顔を上げれば、目を虚空に投げ、苦虫を噛み潰したような表情で、そう答える巧の姿があった。とことん上から目線なその態度は、ぶん殴られても文句は言えなかった。

 しかし通常の巧を知る人間からすれば、天変地異もかくやと思われる態度である。正直、こうして欠片でも素直になっている自分が、たまらなく気持ち悪く感じた。逸らしていた眼を戻せば、マシュの驚いたような、呆気にとられたような奇妙な表情が視界に入った。

 

「……なんだよ」

 

「いえ。その……先輩もそういうことが言えたんだなと……あっ、違いますっ。今のは、言葉の綾というか、多少の語弊が混じったというか」

 

 つい漏れた失言をごにょごにょと取り繕うマシュに、巧は少しだけ歩調を緩めて歩き出した。

 

「……置いてくぞ」

 

「――はいっ」

 

 小走りでちょこちょことついてくる。まるでヒヨコの雛だ。うざったいが、無条件の信頼がどこかくすぐったく感じられた。

 数メートル先で立ち止まっていた二人に追いついた。瞬間、焦ったロマンが空中に映し出された。

 

『――すまない! すぐにそこから離れてくれっ!!』

 

「な、なによいきなりっ! びっくりさせないでっ!」

 

『サーヴァントだ! それに、反対側から高速反応っ!! ――ダメだ。もう近いっ!』

 

 黒影。

 反応する暇も無かった。まるで最初から傍にいたように、その黒い影は闇からその姿を現した。

 放たれる、短刀。かろうじて対応したキャスターの右肩に近づいたそれは、見えない壁に阻まれたように弾かれ、音を立てて地面に落ちる。

 

「――ワリィな、アサシン。てめえの攻撃はオレにゃ通じねえよ」

 

 キャスターの杖がまっすぐ向けられた先には、白骨を顔面に張りつけたアサシンの姿があった。そよぐ襤褸切れが、地面に陰影を作る。

 

「何故漂流者の肩を持つ、キャスター。貴様も馬鹿ではあるまい」

「お前らよりは万倍もマシだからだよ。元々オレ達ゃ聖杯戦争してたんだ。なら、てめえらを先にぶっ潰すのは当然だろ?」

 

「――愚かな」

 

「それはてめえだろうがぁっ!!」

 

 濁流のような爆炎が、唐突に細身の影に向かって放たれた。しかし、回避。行き場を失くした炎がアスファルトを穿つ。立ちこめる噴煙に紛れて高速で接近するアサシンにマシュが反応。煙を切り裂いて迫る烈矢。難なく弾いたその先にある筈のアサシンの姿は、文字通り影も形も無くなっていた。

 

「――何処へ」

 

「くそが、みみっちいやり方ばっかしやがってよ」

 

 背中を合わせて辺りを見渡す。あれだけ濃厚だった気配は、今や完全にその姿を消し去っていた。

 静寂が満ちる。呼吸だけが、荒れ果てた街の中をざわつかせる。誰かが、暗がりから覗き込んでいる感覚がする。

 

「――アレ、何?」

 

 不意に聞こえた疑問の声。指された指先を見れば、アスファルトの間を縫って何かが高速で近づいていた。

 何故か聞き慣れたエンジン音の判別がつく前に、その影は姿を見せた。

 異形――ポーキュパインオルフェノクは、その灰色の半身を酷く焼け爛らせながらも、こちらを萎える事無い憎悪の目つきで睨みつけている。それだけならまだいい。だが、

 

 その腰には、巧がよく知る物が、見せびらかすかのように巻かれていた。

 

「な――!」

 

 思わず漏れた、驚愕。

 オルガマリーの訝し気な視線ももはや気にならない。開かれた携帯ツールにコードが着々と入力されていく。もはや一瞬すら遅い。

 

 ――『Standing By』

 

 撃て、と言う前に撃っていた。

 オルガマリーのガンドとキャスターの爆炎が、確実に到達する射線に乗った。今度こそ外さない。外してはいけない。

 殺った。赤黒い光と光り輝く炎が、怪物を直撃する。

 その直前に、

 希望を打ち砕くひと言が、怪物の口から放たれた。

 

「――変身」

 

 ――『Complete』

 

 折り畳まれた携帯がベルト中央部の空白に叩き込まれた。

 瞬間、流体光子エネルギー――フォトンブラッドが携帯を装填したベルトから放たれ、ポーキュパインオルフェノクの全身を包み込む。闇夜を深紅のフォトンストリームが切り裂いていく。ダイヤモンドに限りなく近い硬度を持つ特殊金属――ソルメタル315が金属繊維と化し、ソルフォームを形作った。

 すべてが刹那。そして光が止み、

 

 ――超金属の仮面の騎士、ファイズがその姿を現した。

 

 

 

 

 

 

 


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